九月歌舞伎座『東海道四谷怪談』

最初から伊右衛門(仁左衛門)の悪にぶつかってしまいました。普通は徐々に伊右衛門の悪に引っ張られていくのですが、今回は伊右衛門から御主人のために薬を盗んだ小仏小平(橋之助)が捕まって、指十本を折ってしまえのひとこと。その嗜虐的残酷さは知っているのですがここから入られると一気に悪の世界の異常さに連れ込まれ、南北さんは凄いことをさせていると衝撃でした。

この悪の世界に迷い込んだお岩さん(玉三郎)。彼女のそのひとこと、ひとことのセリフから伝わってきます。すでに伊右衛門の邪険さは知っていますが、親のあだ討ちのためと我慢して耐えています。現代人としては、そこまで我慢してのあだ討ちが疑問になってきますが、武士の家族にとっては第一主義の重要なことなのでしょう。

そこへ、隣の伊藤家から子供の着物と、薬を届けてもらい、お岩さんにとっては地獄の中の仏のようなありがたさでした。お岩さんの様子から人の情けにほっとしたほのぼのとした心持ちがわかります。

それだけにこれが裏切りであったならお岩さんの恨みはいかばかりかということが想像できます。顔がみにくくなり、髪が抜け、それまで武士の妻としてつらくてもきりっとしていた姿は、見事に崩れていきます。その崩れ具合が、お岩さんの心も壊れてしまったのがわかりますが、母親としての心だけは維持していました。

それに比べて伊右衛門はこんな非道な人間もいるのかと思わせます。次々と悪道を考え出すのです。今回はその悪道のリアリティが濃かったです。

お岩さんが醜くなるのは薬が原因なのですが、お岩さんの心の恨みが爆発したようにも観えてくるのです。観るほうは、この後のお岩さんは死んで恨みをはらすのだと納得していて、恨みを晴らさずにいられるものかと待ち望んでしまいます。

残念ながら、今回はそれがありません。何か拍子抜けでした。それほど凝縮した濃厚な舞台でした。

伊右衛門の「首が飛んでも動いてみせる」のセリフがこれほどリアルに響くとは。そういう男なのよ伊右衛門は。神仏をも恐れぬ男なのです。仁左衛門さんの中に伊右衛門が入り込んでいました。まずいこれは。やはり伊右衛門をお岩さんの恨みで封じなくてはと思わせます。

その悪の世界に顔を出した直助の松緑さんも悪の世界を壊すことなく「首が飛んでも動いてみせる」のセリフを引き出しました。ここで悪が薄まっては台無しです。そして、成仏できない戸板のお岩さんと小仏小平。

そのあとのだんまりで、伊右衛門、直助(鰻かき直助権兵衛の小幅の足使い)、与茂七、茶屋女おもんの登場です。伊右衛門に不義密通の罪にされ戸板に打ち付けられたお岩さんと小仏小平は茶屋女おもん(玉三郎)と与茂七(橋之助)として登場し、お岩さん役者・玉三郎さんが美しい玉三郎さんとして復活したのはよかったのですが、やはり不完全燃焼に終わってしまったのが無念でした。それにしても凄い『東海道四谷怪談』でした。

今回の芝居でさらに確認しました。セリフで心の内を発することができますが、それだけではどうしても表すことはできません。それをもっと観客に伝えたい。そこから生まれたのが型であり身体での表現です。ある意味異形での表現となりますから、それが観客に自然な流れで伝え納得させるにはそれなりの技が必要になってきます。

それにしても、実際にあったとされる本所砂村に流れついた心中の死体と、不義をした妻の死体を杉板に打ち付けて流したという二つを結び付け、戸板返しで舞台で見せたという四世鶴屋南北さんはやはりただ者ではありません。

もちろんそれを舞台で再現する役者さんも。

宅悦(松之助)、伊藤家→喜兵衛(片岡亀蔵)、お弓(萬次郎)、お梅(千之助)、乳母おまき(歌女之丞)

ロジャー・コーマン監督とマーティン・スコセッシ監督(4)

ひょんなことからマーティン・スコセッシ監督の作品に行きあたり、ひょんなことからロジャー・コーマン監督がプロデュースする映画『明日に処刑を...』をマーティン・スコセッシ監督が撮ったということを知りました。

そのひょんなことというのは、マリリン・モンローの映画『ノックは無用』(1952年)を観て、題名が『ドアをノックするのは誰?』(1967年)という映画があるのを知り、どんな映画なのかと行きついたのがマーティン・スコセッシ監督の初期の映画です。そして映画『ミーン・ストリート』(1973年)につながりました。この二つの間に映画『明日に処刑を...』(1972年)が入っているのです。

全然違うところからの出発だったのですが、ロジャー・コーマン監督とマーティン・スコセッシ監督との関係が出てきましたので続けることにしました。

マリリン・モンローの『ノックは無用』には驚きました。その演技力に。その前にイブ・モンタンと共演の『恋をしましょう』(1960年)を期待して観たのですが、ここに至ってまで踊り子の可愛い女を演じさせられていて気の毒でした。プロですね。歌と踊りではしっかり魅了させてくれます。『ノックは無用』はもっと前の作品ですから同じタイプの女性かなと期待しませんでしたら、サスペンスで彼女が次第に異常さを増していくのです。今まで観たことのないマリリンでした。その変化の凄さに、この人の演技力をもっとわかってあげれる環境があればよかったのにと思いました。

ドアをノックするのは誰?』は、なんだかよくわかりませんでしたがこういうことなのかなと思いました。

若者が仲間うちでお互いの通じる世界の中で楽しんでいます。主人公はフェリーで一人の女性と知り合います。お互い好きになりますが女性の過去の出来事を告白され彼女を責めます。それは自分が招いたことだとして、許すから結婚しようといいます。女性は許すということはお互いにずーっとそのことにこだわり続けるわけでそれでは充分ではないといいます。主人公は彼女が求める人間性をつちかっていない自分にも怒りを感じます。教会に行き自分の気持ちを整理します。

そうなのであろうとの解釈です。ハーベイ・カイテルのデビュー作で彼の若い頃の演技を見ているだけで愉しかったです。若者たちのふざける場面のカメラの回し方。フェリーの待合室で出会う主人公の彼女への話しかけ方。二人が屋根上を行ったり来たりして過ごすデート。その切り替えての次の場面。その時間的スピード感が上手くいって先の見えない不安を抱えつつの明日話し合おうというラストも印象的です。明日も変わらないのでしょう。

この映画の脚本は、マーティン・スコセッシ監督がニュヨーク大学映画学科の卒業作品として書いたもので10分ほどの作品に4年かけて『ドアをノックするのは誰?』に作り上げた作品です。主人公はマーティン・スコセッシ監督がモデルで、他の登場人物もモデルがあるとのことです。スコセッシ監督は自分が過ごした街の様子を描きたかったようです。

俳優を広告募集し、その中にハーベイ・カイテルがいて彼は裁判所の速記者をしつつ演技を勉強していてダントツに上手かったようで主人公役となります。

この最初の短編は賞もとり一部の人には評判がよく、さらに劇場公開を目指して女性を加え、主人公の恋愛を入れてストーリー性をもたせます。その当時のアメリカは倫理規定が崩れ自由な表現を求めていて公開用にするなら裸がなくては駄目だとの意見があり、唐突に主人公と女性の登場人物とは関係のない女性との絡みの場面が入ってきます。主人公の妄想の場面ということなのでしょう。スコセッシ監督の絡みの撮り方はねちねちさがないのがいいです。

この映画の続きとして『ミーン・ストリート』となります。スコセッシ監督が撮りたかった自分と自分の育った街の人々が描かれています。

スコセッシ監督が自分も映画を作れると希望を与えてくれたのがジョン・カサヴェテス監督の映画『アメリカの影』です。この『アメリカの影』を一番最後に観てスコセッシ監督のその想いが納得できました。

映画『明日に処刑を...』を撮っていた頃、すでに『ミーン・ストリート』のことは頭にあったと思います。

スコセッシ監督は、ロジャー・コーマンから撮影のイロハを教わったといいます。

「週6日で24日間の撮影期間、朝6時から夜10時まで撮影。構図を考えリハーサルしろ。難しいシーンを最初に撮れ。B級映画を撮りきったのは重要なことだと考えた。仕事のコツがわかった。」

「ロジャー・コーマンからは計画性と規律をもって撮影することを学んだ。『ハネムーン・キラーズ』の時みたいに上手くいかず、首になることもなかった。『ウッドストック』では編集さえ完成しなかった。」

「ロジャー・コーマンによって、一つにまとまり監督としての段取りをつかめた。」

ドアをノックするのは誰?』は資金面のこともありますが、4年もかかっていますから。

ただ友人たちはあ然として、散々いわれたらしいです。カサヴェテス監督からは、最初の長編のような映画を撮れ、君は何をしていたんだといわれ、出演者への愛があるね、でもこんなの低俗だだろ?と付け加えられたようです。

映画『明日に処刑を...』はいわゆるギャング映画です。映画『俺たちに明日はない』を思い出させます。初めに<この物語はバーサ・トンプソンの実話に基づいています>とクレジットされますが、実際にはバーサ・トンプソンは実在しなかったいうはなしもあります。

1930年代、バーサは飛行機を操縦する父親を農薬散布の仕事中に亡くします。彼女は貨車に乗り町に出ます。そこで鉄道会社の労働組合員であるがビルに出会います。労組員は弾圧を受け、バーサとビルとその仲間4人はギャングに変貌します。バーサ以外は何回か捕まりますが刑務所から脱出し逃げ回りつつお金を奪います。そして最後はバーサの前でビルは貨車にハリツケにされ虐殺されてしまいます。必死で貨車を追うバーサ。

カサヴェテス監督が言った「出演者への愛がある」の言葉どおり、4人のギャングには不快感はありませんが暴力が暴力を生んでいくといった構図の中で行き場を失うという結果です。

スコセッシ監督が経験していないロケ現場でもあり、狭い街のさらなる狭い範囲の設定とは違い学んだものは沢山あったとおもいます。そして次に映画『ミーン・ストリート』が出来上がっていくのです。

スコセッシ監督は学びつつも自分の心に温めていたテーマは貫くのです。

ロジャー・コーマン流で新人たちの才能が開花していったのは興味深いことです。新人たちもロジャー・コーマンから学びつつ自分の手法を見つけ出していくたくましさがあったわけです。

映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』 (1986年)(3)

1986年版映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』のDVDには特典映像があり、ロジャー・コーマン監督も現れました。

二日で撮ったといわれる1960年版のそのことを語られています。

あるスタジオの関係者が昼食の席で「撮影が終わったばかりのセットがそのままある」というので、じゃそのセットで何か撮ろうということになった。「どのくらいで撮れる?」と聞かれたので「2日で挑戦してみよう。」と答える。

セットの手直しを終え、脚本家のチャック・グリィスと話し合って人食い植物の話を2週間で書き上げ、1週間分のギャラで役者を雇い、リハーサルは月曜から水曜日で、大方の撮影は木曜と金曜でほかに少し追加のシーンを撮り終了したと。

舞台も観に行っていて「気にいったよ。とにかく楽しくてテンポがあって、ナンセンスで、映画版のセリフも見事に生かされていた。」と監督は満足していました。

この映画を舞台にしたのがデビット・ゲフィンで、この方やり手です。ワーナー・ブラザーズ映画の副会長を5年間務め、その後、音楽業界に返り咲きゲフィン・レコードを立ち上げ、ジョン・レノン、エルトン・ジョンらが所属していたというのですから。

1960年版の映画は日本で劇場公開されていないのですから評判はよくなかったようで、あの映画を舞台にするとはと不思議がられたようです。ところがそれを当ててしまったわけです。

脚本・作詞がハワード・アッシュマンで作曲がアラン・メンケン。この後、二人は長編アニメ『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』でオスカーを手にし大活躍です。(アラン・メンケンは『アラジン』の途中で亡くなります。)3作品とも観ていませんので音楽を目的で鑑賞したいと思います。

舞台をさらに映画化した製作者がデビット・ゲフィンです。ワーナーから監督としてスピルバーグやスコセッシの名前も挙がったのだそうですが、ゲフィンは最初から低予算でのリメイクを考えていてそれを貫きました。

そして声を掛けられたのがフランク・オズ監督でした。最初フランク・オズ監督は断ったそうです。やることが多すぎてとても無理だと。ただコーラスの3人を舞台で自由に出入りしていたように、衣装を変えて映画的にどこにでも出現させればよいのだと思いつきやる気になったようです。

コーラスの3人は、1960年代の動きを習うためダンスレッスンを受け、それはステップではなく動きなので、すぐできる娘と苦労した娘とがいたと本人たちがコメントしています。時代を感じさせる動きということは踊ることよりも難しいかもしれません。でも踊らなかったのがやはりよかったです。

撮影はイギリスのスタジオでのセットで、当時としては最大規模といわれていた<007>のセットを飲み込む大きさだそうで、ダウンタウンのあの高架線に電車が走っていたのには驚きました。

セットは細かいところまでこだわり、ものすごい量の60年代の小道具がニューヨークから運ばれたようです。ゴミバケツなどは車に新しいのを積んで古いのと取り換えて集めたと。映画人のこのこだわりは映画への愛としか言いようがありませんね。どこの国でも。

ですからオードリーⅡなどは、大きさが7種類あって、最後は床下に30人が機械を使ったり、大きな梃子(てこ)や長いレバーを手で動かしたりしていました。なんせオードリーⅡのツルがレジを開け、コインを取り出し、電話にコインを入れて、ダイヤルを回すのですから。

フランク・オズ監督の狙いは、いかに観客を納得させるか。あまりわざとらしい演じ方だと観客はキャラクターに関心をもってくれないし、反対にあまり正攻法でもメロだラマになってしまう。目指したのは<誇張したリアリティ>。

ラストの撮り直しには、監督もアッシャマンも不満だったようですが最後は映画は観客のためにつくるものという結論にいたったようです。

観客の一人としましては、オードリーⅡにはどうやっても勝てると思えないシーモアが勝って、幼いころから苦労してきた二人が幸せになれたことにはやはり拍手ですね。

映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』 (1986年)(2)

1960年の映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』がミュージカルの舞台となり、映画と舞台を合体して1986年にふたたび映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(フランク・オズ監督)となったのです。

ブロードウエイでロングランとなった舞台の内容は知らないまま映画を観ました。女性三人のコーラスに、新たな気持ちで映画に引きつけられていきました。十代の女性コーラス三人は路地から出てきてこの物語の場所や、お店、登場人物などを歌いながら紹介していきます。衣装も好いですし、動きも大げさではなく邪魔にならないリズミカルさで観る者を誘ってくれます。

この三人のコーラスが色々な場面で登場し歌で状況をカバーして教えてくれるのです。

登場人物は知っていますのでなるほどと納得します。ただオードリーの登場で、何かただ事ならぬ様子を察知します。オードリーには恋人がいてその相手があのサディストの歯医者なのです。

ところがオードリーの意中の人はシーモアで、シーモアの意中の人がオードリーなのです。二人とも汚いこの街から抜け出したいと願っています。オードリーは小さな家で家族仲良く暮らすことにあこがれています。ところが現実はそうは行きません。

店主がもうやっていけないので店を閉めるとい言いだし、シーモアが育ていた植物を持ってきます。名前はオードリーⅡです。オードリーⅡをショーウインドーに飾ったとたんに客が珍しいといって入ってきてバラを買って行ってくれるのです。それからはお店は繁盛します。

例によってシーモアは自分の血をオードリーⅡに与えることになります。

シーモアはオードリーの恋人がサデストの歯医者であることに納得がいきません。歯医者のところへ様子を見に行き、診察中歯医者は事故死してしまうのです。歯医者の遺体を切り刻むとき斧が出てきました。映画『ディメンシャ13 』の斧とここでつながったと可笑しくなりました。オードリーⅡは育っていきます。シーモアとオードリーは愛を告白しあいました。シーモアは雑誌のライフに載ったりして有名になりお金持ちになれそうです。

でも、シーモアはもうオードリーⅡに人間を食べさせるのはいやです。オードリーもお金が目的ではないと言ってくれるので二人でこの街から出ることにします。この映画にはラブロマンスが加わっていました。

ただ、1960年版では、シーモアがオードリー・ジュニアをやっつけようとして食べられてしまうんです。このままシーモアは逃げられるのでしょうか。もしシーモアが食べられたらラブロマンスも悲劇的結末です。

新たな展開でした。オードリーⅡは植物のくせに伸びたツルをあやつって電話をかけオードリーを呼び出し飲み込みます。そこにシーモアが現れ危機一髪で救い出すのです。

シーモアはこれは自分が始末しなければならないとオードリーⅡとの戦いとなります。オードリーⅡには沢山のチビオードリーⅡが誕生しています。オードリーⅡは世界中に広まって地球を乗っ取ろうとする宇宙からの侵略者だったのです。

しかし愛は強しでありましょうか、シーモアはオードリーⅡを倒すことができたのです。シーモアとオードリーは小さなわが家へと向かうのでした。ただ、花に隠れてチビオードリーⅡの姿がありました。

舞台版では、シーモアとオードリーは二人とも食べられてしまうのだそうです。

映画ではどうしてはハッピーエンドにしたのでしょうか。映画でも二人が食べられるように撮ったのですが、テスト試写で観客がショックを受けおびえてしまったので変えたのだそうです。

舞台ではアンコールで食べられた二人が再登場するのでかえってお客もよろこび楽しめたのでしょう。

映画でのオードリーⅡは出演者の一人としての動きをしていますから、リアリティがありすぎたのかもしれません。

ということでそれぞれ楽しめるバージョンとなっているようです。音楽もいいので舞台も楽しいと思います。

ホラー映画『ディメンシャ13 』『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(1)

ホラー映画の部類は観ないのですが、これはパッケージの解説に惹きつけられて超格安で購入したDVDです。この際なので観ることにしました。

映画『ディメンシャ13 』(1963年)は日本劇場未公開作品でフランシス・フォード・コッポラ監督(脚本)の一作目の作品です。< コッポラの原点。ホラーの傑作。これが本物のホラーだ!! >

夜に男女がボートに乗ります。男は自分が死ねば財産が受け取れなくなると女に言います。ところが男には持病があって心臓麻痺で亡くなってしまいます。女は夫の死体を湖に遺棄します。妻は夫は出張であるとして一人で夫の実家である城に行きます。遺産相続がテーマなのかなと思ったら、どうもその城には外部の人には知られたくない謎があるようです。一家の末娘の死が関係しているようです。

そして謎めいた殺人が斧によって実行されるのです。映画を観るものには湖に落ちて亡くなったという娘の姿を湖の底に存在するように見せたり、城という状況が登場人物の動線に謎めきを深め、登場人物が皆何かを隠し疑わしいのです。ロケ映像が効いています。そこに斧!

解説にはコッポラ監督が < この映画のプロデューサーのロジャー・コーマンにこき使われながら映画製作の裏の裏まで学びとった > とあります。次に観た映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(1960年・日本劇場未公開)がロジャー・コーマン監督作品でした。グットタイミングでした。

< コーマン監督、究極のホラー・コメディ・カルト!映画マニア必見!! > とあります。

花屋に勤めるシーモアは失敗ばかりしていて店主から首を言い渡されますが、自分は珍しい花を育てていると言います。店はもうかっていないので店主はその新種をもってこさせます。この新種はもう一人の女性店員の名前をとってオードリー・ジュニアと名付けられます。

この新種の種は、日本人からもらったとされています。このオードリー・ジュニアは次の日には大きくなっています。たまたまシーモアの指の血を味って、声を出し食べ物を催促します。次の日、シーモアの指すべてにはバンソウコウがはられています。

このオードリー・ジュニアが評判となりお店には客がきます。その前からおかしな客が来ていて、花を食べる男などもいます。シーモアは首がつながりますが、オードリー・ジュニアに食べ物を与えなくてはなりません。何とかしなくてはとさまようシーモアの前で事故死した死人と遭遇します。オードリー・ジュニアは人肉が好物でした。そこからどんどんホラー化が増殖していくのです。

変な登場人物が多く、その中に、歯科医院にくるマゾの患者が無名のジャック・ニコルソンなのです。

ロジャー・コーマン監督はB級映画の帝王といわれ、低予算で多くの映画を撮りました。そのためコッポラ監督もこき使われていたのでしょう。この映画も二日で撮られたといわれています。ただ次の世代の監督や俳優などを多く育てています。

コッポラ監督の第一作目の『ディメンシャ13 』を撮るときもコーマン監督はお金を貸してくれています。

ジャック・ニコルソンもコーマン仲間の、ピーター・フォンダ、デニス・ホッパーらと映画『イージー・ライダー』にかかわることとなります。

映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』はさらにブロードウェイでミュージカルとして上演され5年間ロングランとなります。日本でも1984年に宮本亜門さんの振り付けで上演されたようです。(シーモア・真田広之、オードリー・桜田淳子、歯医者・陣内孝則)

ミュージカル版の映画化もなされたようなのでそちらは後日鑑賞したいです。

この二本の映画でアメリカ映画の様々な相関図が見えてきて楽しく有益でした。好んでホラー映画を観る気にはなりませんが。

新型コロナ陽性で自宅療養と称してきちんと診察、観察してもらえないほうがホラー現象です。

追記: 驚きました。『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』を検索しましたら、8月23日から9月11日まで上演されていたのです。ミュージカル演目として長く続いているんですね。

https://www.tohostage.com/little-shop-of-horrors/

追記2: ジャック・ニコルソンの『チャイナタウン』と『黄昏のチャイナタウン』を鑑賞。これは続けて観た方がよいでしょう。最後に衝撃的な死を迎えたエヴリィン・モーレイ(フェイ・ダナウェイ) への私立探偵・ジェイク(ジャック・ニコルソン)の想いが続いていたのです。そして二人のジェイク。気になっていた作品なのでここで一件落着です。

歌舞伎舞踊『博奕十王』

DVDの『博奕十王(ばくちじゅうおう)』を鑑賞したとき猿之助さんが相変わらず洒脱な愛嬌さで踊られているなとの感想でした。そこで止まっていました。

ところが『新TV見仏記 (3) 京都編』(DVD)を観ていましたら、例によりお二人はトークを交えつつ京都の神護寺への階段をのぼっています。かなりシンドイらしく、いとうせいこうさんが江戸時代の話をしました。大山詣りでは、江戸の人はサイコロをころがしながら出た目の数をきそってのぼったというのです。

その話のあとで『博奕十王』を観なおしましたら前回よりも可笑しさが膨れていました。見仏記は色々な香辛料となってくれます。神護寺ではかわらけ投げもされていて住職さんの見本の投げ方が綺麗でした。かわらけ投げの型のようでしたし、切れよく飛んでいました。。私も神護寺で投げましたが落語の『愛宕山』を思い出しつつでしたのでこんな深さでは登ってこれないでしょうなどと思って投げていました。

みうらじゅんさんは閻魔像や地獄絵図の前に立つといつも自分が地獄落ちと決められています。さらに映画『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』では、みうらじゅんさんしっかり地獄にいました。

博奕十王』は、当代の猿翁さんが猿之助時代に自分で脚本を手がけて自主公演で演じられたのが始めで、同名の狂言から考えられたようです。それを当代の猿之助さんが亀治郎時代にやはり自主公演で演じられ、2014年の新春浅草歌舞伎の本公演でのDVD化です。来年2022年の浅草新春歌舞伎は中止となってしまいました。残念です。

博奕十王』の内容は、仏教に帰依するひとが多くなって地獄にくる人が少なくなったので、閻魔大王が自ら地獄、極楽の分かれ道、六道の辻へお出ましになり自分で罪人は地獄に送ろうと考えたのです。

そこへ極楽とんぼのような亡者(もうじゃ)がやってきます。彼は博奕打ちでした。浄玻璃(じょうはり)の鏡に映すと彼の罪業が次々と現れます。ところが博奕打ちは博奕は時の運で遊びなのだから負けるときもあれば勝つときもあるといいます。博奕を知らない閻魔様はまじめに博奕を知ろうとしました。それが運のつきでした。閻魔様はサイコロ博奕に熱くなります。

何とか詣りにも祭式にも今なら悪行の遊びをしっかり取り入れた江戸庶民の動向が、冥土でも発揮されるというわけです。

博奕打ちが猿之助さん、閻魔大王が男女蔵さん、獄卒が弘太郎さんと猿四郎さん。男女蔵さんの後見が蔦之助さんです。当時は左字郎さんでした。自主公演『蔦之会』の二回目では『博奕十王』を踊られたようです。この時の後見がきっかけだったのでしょうか。

博奕打ちは、まんまと極楽への切符を手に入れ、博奕で勝ち取った浄玻璃の鏡らを背負い極楽に向かうのですから閻魔大王もお手上げです。

< そもそも博奕の始まりは >と踊りで解説するところが端唄も入り楽しいです。天武天皇の時代の九月、菊の宴のときが始まりだそうです。衣装の花札とサイコロの模様が映えるところでもあります。出から入りまで憎めない博奕打ちなのでした。

追記: 『空飛ぶ雲の上団五郎一座 アチャラカの再登場』(DVD)は、いとうせいこうさんとケラリーノ・サンドロヴィッチさんが中心になって旗揚げ公演(2002年)した舞台で、出演者が個性的でさらに文芸部(井上ひさし、筒井康隆、別役実、いとうせいこう、ケラリーノ・サンドロヴィッチ)が豪華です。一番笑ったのは、興行主のいとうせいこうさんが、興行主としてもっともらしいことを言って去り際、言葉が意味不明になります。三谷幸喜さんが出てきてカチャカチャやっています。興行主がロボットだったという落ちです。見事に落ちました。もとを変化させてさらに新しくする。冒険であり博奕です。

不易流行『遅ればせながら 市川弘太郎の会』

市川弘太郎さんの自主公演の感想のほうはさらに遅れに遅れてです。場所は池袋の東京建物 Brillia HALL(ブリリアホール)です。旧豊島区立芸術文化劇場のようです。

切符を購入するときから手違い。8月1日昼の部購入の予定が気がついてみれば7月31日の夜の部を購入していました。池袋駅周辺は行きつけていないので苦手なのです。予定していた駅の出口の番号が見つからず駅員さんに尋ね、駅から近かったので何とか到着です。

一席空きなので気分的にゆとりがあります。席に着くとアナウンスの声に反応しました。どうも松也さんの声に似ているのです。弘太郎さんと松也さんとつながらないのです。開演間近に「誰かわかりましたか。尾上松也です。」と。そもそもこの会は、弘太郎さんと七之助さんと松也さんが食事をしたとき、弘太郎さんの一番やりたいことは問われて『四の切』(「義経千本桜」)と答えられお二人が出演すると約束され、それがきっかけで実現に向かったのだそうです。松也さんは出演できないのでアナウンス係りとなりましたと。声でこういう内幕を聞くのも楽しかったです。

最初は『吉野山』で七之助さんの静御前です。改めて女形は色々細かい仕事があるのだなと感じさせてもらいました。自主公演ははじめてなのですが、観客の皆さんが歌舞伎通なのか拍手がピタッ、ピタッと決まっていて驚きました。弘太郎さんは基本的に芸に対しては真面目な方と思っていますが、今回もしっかり基本にそっておられたとおもいます。あがっている様子もなく真摯に向かわれていました。

次の演目『四の切』までの休憩時間が15分で、舞台装置大丈夫かなと気になりました。途中舞台から何か落ちる大きな音が。仕掛けもあるのでしっかりお願いします。やはり時間通りには無理でした。安全のためにもそれは必要な時間です。生の舞台は舞台の設置も大変です。

忠信の登場から始まり、静に二人目の忠信の詮議が任され、竹本の床が回ると拍手がおこり、葵太夫さんでした。贅沢です。観客の皆さん、よくわかっておられます。1992年の上演DVDでの三代目猿之助さんの時も葵太夫さんです。狐忠信の三段階段からの登場は半々呼吸ほど起き上がりが遅いかな。床にひれ伏して正体が静に見破られるとストンと床下に落ちて狐となってあっという間に床下から再登場。成功。

ここから初音の鼓の皮が父母であると子狐は語り親子の情を全身で表現し、欄干渡り。そして子狐は鼓と別れる名残り惜しさを切々と。泣きつつ格子窓に飛び込んで姿を消します。

その様子を本物の忠信が見ていて障子窓から姿を見せ、義経の心の内を聞き障子を閉めます。

義経の自分と狐の立場を重ねた言葉を聞いてか子狐は再び登場。欄間抜けです。舞台上に降りて所作台にスーと滑って止まるとき位置的に後ろすぎると思われたのか膝でスースーと前にでました。それをみて、弘太郎さん欄間抜け何回も練習されたなとおもいました。それでなければその距離感をすぐ察知して動けないとおもいます。初回の公演なのに律儀ですね。ただ慣れていないならなおさら定位置でないと次への動きが美しくならないともおもえます。

この後、義経から鼓を送られます。子狐は大喜び。そのお礼に義経を襲おうとしている悪僧達をおびき寄せ翻弄しやっつけ、自分の古巣へ帰るのでした。

何事もなく無事終わり何よりでした。改めて一つ一つのパーツが上手く重なり合って呼吸を合わせつつ作られていくのだと思い知らされました。そしてそこから物語が発生し観客を感動に導くのです。

今回は、七之助さんが約束通り静を受け持ってくれてよかったです。細やかな動きの中に芯があって、團子さんの義経を映えさせました。そして葵太夫さんのゆるぎない語り。おそらく支えてくれた舞台裏の裏方さんたちも『四の切』を熟知されている方たちだったのでしょう。駿河次郎が鶴松さんでつつがなくつとめ、亀井六郎の國矢さんが適度な軽やかさの雰囲気がよかったです。

今回の公演でこちらも『四の切』の骨格をもう一度確認させてもらいました。弘太郎さんはきちんと基本を重ねていくタイプなのかもしれません。今までのほかの役でもそう感じていました。安易に崩したりしません。土台をしっかりということでしょう。ケレンの多い澤瀉屋ではそれがかえって必須ともいえるでしょう。

舞台が幕となってのアナウンスで弘太郎さんは一回目は誰でもできると言われないように次をといわれていましたので、次はどんな土台を重ねられるのでしょうか。こうご期待です。

劇場の中は安心なのですが、行きかえりの移動がいやなんです。何ということか確率的に超低い体験をしました。電車はすいていたのですが、出入り口に吐いた人がいたのです。本を読んでいたので全然気がつきませんでした。若い女性が乗ってきて「何?」と足裏をみています。吐しゃ物を踏んだらしいのです。吐いた人は乗るときに吐き乗らなかったのでしょう。

私は一度外のホームに降り立ち思いをめぐらしました。お酒によることかどうかはわかりません。ただお酒は人を高揚させ楽しい気分にさせてくれます。それが新型コロナの突きどころでもあります。お酒愛好者のためにも、居酒屋さんのためにも、今までのお酒の飲み方ではない楽しみ方を見つけなくてはお互いの損失です。

そして地方公演の方々も安全に留意され無事幕が下せますように。

追記: <アーカイブ配信>不易流行 遅ればせながら、市川弘太郎の会 今年7月31日、8月1日に開催の劇場公演を映像化【Streaming+(配信)】のチケット情報(Streaming+) – イープラス (eplus.jp)