旧東海道歩き 『箱根の峠越え』 

<箱根の山は天下の嶮>である。箱根の山を、どう越えるかが、当面の問題であった。リーダーが先に、<小田原>から<畑宿>まで歩いて様子を探ってくれ、それから相談し合った。 <小田原宿>→<箱根宿>→<三島宿>は、4分割必要である。

<小田原>→<畑宿>→<箱根宿>→<行けるところまで>→<三島宿>の分割である。<畑宿>→<箱根宿>→<行けるところまで>で、箱根峠を越すかたちである。

リーダーの歩いた感じから、<畑宿>→<箱根宿>までは、下るかたちをとることとする。<箱根宿>→<畑宿・行けるところまだ>のもどるコースは、箱根登山鉄道を使い箱根湯本へ行き、バスに乗り換えて終点の元箱根港で降り、そこから、下るのである。予定としては<畑宿>までとし、余裕があれば、畑宿から少し下ったところに須雲川への散策路があるようなのでそこを歩き、バス道路に出てバスに乘る計画に決まる。石畳の道もあるので、天候の良い時とする。。その為、2回流れて3回目で実行できた。前日の夜に降った雨のため、やはり石が濡れて滑り、雨予報の日は避けるは必須条件であった。この行程は予定通り<畑宿>まで到達できた。

その帰りにリーダーが、暑さを考えると、旧東海道歩きは今月中で秋まで休憩とし、2日後に<元箱根港>から<歩けるところまで>を1人で行ってみるという。私も、できるなら早めに箱根峠を超えたいので、帰ってバス停を検討し同道するかどうか決めることとした。調べると、旧東海道からバス道路へ交差する地点があり、そのバス停で無理な時はリタイアし、リーダーは自分のペースで進む条件で同道することとする。

今度は、小田原から、元箱根港までバスに乗り、<元箱根港>から<箱根峠>へ登り<三島>へ下るコースである。リーダーも歩きつつ、山中新田あたりまで行ければバスに乘るという。そのあとバス道路に出るには距離がある。その辺りが妥当と決める。出たところに山中バス停が近く、そこからバスに乗ったが、その一つ先に、山中城跡バス停があった。このバス停まで歩いても良かったのである。今度はここまでバスで来て、山中城跡まで少しもどり城跡を確かめてから進もうということとなる。バスで三島まで行ったが、結構長かった。旧東海道は、のちに出来た自動道の新東海道より直線に進み、短縮されているので大丈夫と思うが。。

<小田原>→<箱根>→<三島>が、合計で、31.2キロであるから、4分割で7.8キロである。7~8キロが少し休み、写真を撮ったり、案内板の説明を読んだりすりには丁度適当な距離である。リーダーの4分割計画は適格であった。

元箱根港まで、二つのルートの道を使ったので、芦ノ湖までの旧東海道を少し加えた箱根観光ルートも考えだせた。箱根は二回くらい来ているが、職場の忘年会的、泊って飲んでのコースと、車でお任せコースだったので、どこがどうなのか記憶されていないのである。これでやっと、箱根の行きたいコースを組み立てることができる。

時間の関係が判らないので、<箱根の関所跡>も無料で通過しただけである。今度は、美術館などもいれつつ、見学コースを考えることにする。

<箱根の山は天下の嶮>の峠越えができたので、一安心である。リーダーは、まだ越えられない仲間が健脚なので、<畑宿>から<箱根宿>を登るコースを考えているようだ。程度を考えて計画してくれるので助かる。そして、1日フリー切符も見つけてくれた。さらに、そのほかの方法は無いか、検討してくれる仲間たちなのである。ただし、自分の体力と財力は自分管理が基本で、集合場所まで集まる道筋はお金をかけようとかけまいと自由である。安く行くためには時間もかかるのである。参加も、不参加も自由。そこが、この仲間の良いところである。

この二つの東海道歩きの旅も時間があれば、記録として書いておきたい。<品川>→<川崎>、<三島>←<沼津>も書きたいのだが、時間が足りない。いつの日か。

 

『文楽』 七世竹本住大夫引退公演

住大夫さんの引退公演の最終日を見届けることができた。引退されることは残念であるが、引退公演ときまった以上は、無事勤められて欲しいと願っていた。24日に国立劇場で面白い企画があった。舞踊公演で<動物のいる風景>と題し、動物に係る舞踊なのである。時間が空き、その公演の前に小劇場で筋書だけ買うため、売り場に入らせて貰った。丁度、住大夫さんの語られている時間でロビーまで聞こえてきた。この調子なら、最終日も大丈夫であると安心したのである。

引退公演の演目は、『恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)』の<沓掛村の段>の切りである。

沓掛村に住む八蔵親子は、八蔵が仕えていた主人の息子・与之助(5歳)を預かり育てている。八蔵は母が病のため、母を置いて馬方の仕事にも行けず、生活は困窮している。八蔵親子はそんな貧しさの中でも、与之助を大切に育てている。与之助は、侍の子として育てようとする八蔵親子の気持ちよりも、竹馬遊びをしつつ、自分は侍はいやだ、三吉と名乗って馬方になりたいという。八蔵の母は、与之助に、かれの生い立ちを話して聞かせる。

八蔵は馬方の親方の口添えもあり、仕事に出て、一人の座頭を連れて帰って来る。座頭は胡麻の蠅に付きまとわれ、それを八蔵が助け一晩の宿も提供したのである。寝静まってから八蔵は刀を砥ぐ。それを、母は座頭からお金を奪うと勘違いする。そうではなく、主君の与作を落とし入れた者が近くにいるのが判ったから、それを討つつもりであった。しかし、母は八蔵にもしもの事があったら、与之助は誰が育てるのか。自分の命は短いのにと引き留める。座頭は、何を思ったか一人で出立してしまう。火鉢の灰の中に金包みが入っていて、それが、座頭の物と知った八蔵は座頭の後を追うのである。

預かっている与之助を中にして、八蔵の母を思う心、母の八蔵を思う心を、住大夫さんは情感を込めて語られた。2月文楽 『近頃河原の達引』(ちかごろかわらのたてひき)でも、心情の起伏の緩急は見事だったので、こんなに早く引退されるとは思わなかったが、引退挨拶を聞くと、ご自分では納得していなかったようである。病気をされてから、自分の思い通りに語れぬもどかしさに、芸に厳しい住大夫さんは引退を決心されたのであろう。

住大夫さんの語りに合わせて、蓑助さんの遣う与之助があどけない可愛らしい様子で出てきたときは、この組み合わせも今日で最後と思うと与之助が一層愛らしく見えた。文字久大夫さんが<沓掛村の段>の前と<坂の下の段>を勤められ、三味線の錦糸さんが、時にピンと張った音で住大夫さんの女房役を務められ、深く記憶に刻まれる引退公演であった。

何よりも練習をモットーとされていて、<苦の文楽>のイメージがあるが、是非、<楽の文楽>のほうで、観客へ文楽の楽しさを教えて頂きたい。そういう企画を、考えて欲しいものである。文楽について語られたい事は尽きないであろう。

 

映画監督 ☆川島雄三☆ 『女であること』『赤坂の姉妹・夜の肌』『花影』

『女であること』  川島監督が、日活から東宝(東京映画)に移っての一作目である。川島監督は<今度は自分の好きなものを撮れると思ったがそうはいかなかった>と言われている。原作は川端康成さんである。

美輪明宏さんが若い頃の妖艶さで先ず歌い、タイトルとなっていく。歌はここだけである。なんとなく女の繊細というか、固執というか、面倒臭さを感じさせる。悪い予感。殺人者の弁護を引き受けた弁護士・佐山(森雅之)が、妻(原節子)の考えもあり、殺人者の娘・妙子(香川京子)を自分の家に引き取る。いつしか穏やかな日常に、妻の友達の娘・さかえ(久我美子)が同居することにより、家の中のバランスが崩れてゆく。さかえは自分が何をやりたいのか見つからず、佐山夫妻の愛情を独り占めにして、埋めようとする。

妙子には、大学生の恋人(石浜朗)がいる。妙子はさかえがきたことによって居場所を失い恋人のもとに走るが上手くいかない。さかえは、佐山の弁護士事務所で働くが、自分の行動に自分で制御できなくなり、夫妻のもとを去る。妙子の父も佐山の弁護により死刑とならず、妙子も仕事を見つけ自立する。夫妻の間には、10年ぶりに子供が授かる。

この間のそれぞれの心理描写にせまるのであるが、さかえの行動には、もういい加減にしてと言いたくなる。原作は長編のようである。原作を読まないで言うのもおかしいが、川島監督もよく粘ったなあと思う。原さんは小津監督の映画と違い、たたみかける科白も多くあり、あの科白の少ない独特の美しさではない。小津監督が創られた原さんのイメージが見る側に出来上がっているので、少々戸惑う。この夫婦にとって、妙子もさかえも、子供がいないゆえの倦怠からくる埋め合わせだったのであろうかと、見終るとなぜかすっきりしない。

この家は丘の上にあって、そのことによって、家の中に幾つかの階段が造られる。その階段が、動きの少ない家の中にも動線をつくるのである。

原作・川端康成/脚本・田中澄江、井手俊郎、川島雄三/撮影・飯村正/出演・原節子、森雅之、久我美子、香川京子、三橋達也、石浜朗

『赤坂の姉妹・夜の肌』  信州から娘(川口知子)が出てきて、国会の門の前に立ちりんごとお花を添える。守衛からあの事件はこちらの門では無く南門だと言われる。樺美智子さんの死を思い起こさせる場面である。この娘さんが向かうのは赤坂の姉たちのところで、長女(淡島千景)はバーを開いている。次女(新玉三千代)はバーを手伝っているが、姉の生き方に同調出来ず姉のもと恋人(フランキー堺)と一緒になる。

政治家のうごめく赤坂で、長女はついに料亭の女将となる。彼女はかつて新劇の劇団に参加していたが、生活のため、その夢を捨て夜の世界をのし上がっていくのである。色仕掛けもあるが、それよりも、よく動くのには感心してしまう。確かに自分の利に叶う男を引き付けていくが、男たちの真実も怪しいから、次女が反発するほど、悪女にはとれない。長女と次女がつかみ合いの喧嘩する場面の動きは見事である。特に淡島さんは、テーブルの上を着物で飛び上がったり、尻もちをついたり、運動神経が良いのであろう。淡島さんは、<私はどの監督にも、監督の言われた通りにするだけです>と言われていたが、そこが、多くの監督に起用された原因なのかもしれない。言われた通りにするということは出来るから言えるのである。ふすま一枚分の見える空間で真ん中にテーブルがあり、そこを左右に淡島さんと新玉さんを動かして、喧嘩のすごさを想像させる。

次女は恋人を追ってブラジルへ、三女は、政治活動へと、三姉妹は別々の道をあゆむ。最後に、チェーホフの「三人姉妹」の科白を淡島さんがつぶやく。<私は全力を尽くした。出来るものなら、もっと上手にやってみるがいい。>

伊藤雄之助さんが政界の実力者の味を出していて好演である。蜷川幸雄さんが学生運動家として出ている。久慈あさみさんが淡島さんと昔新劇仲間で、今も女優を続けていて、夫(三橋達也)と別れて伊藤雄之助さんと一緒になるつもりであったが、淡島さんにとられたかたちである。。赤坂はもう5年くらいで先がないと、赤坂の料亭を伊藤さんに売り、次の手を考える山岡久乃さんが淡島さんの一歩前を進んでいるたくましさが上手い。

加藤武さんが、ナレーションで、赤坂を紹介する。日枝神社、豊川稲荷、氷川神社も出てきて川島監督の町の紹介の少しひねたエスプリが好きである。

原作・由起しげ子/脚本・八住利雄、柳沢類寿、川島雄三/撮影・安本淳/出演・淡島千景、新玉三千代、川口知子、伊藤雄之助、三橋達也、田崎潤、久慈あさみ、山岡久乃、蜷川幸雄

『花影』 原作が大岡昇平さんで、この小説の主人公にはモデルがあったらしい。池内淳子さんの映画復帰第一作で、川島監督は原作に忠実に撮ったと言われている。この作品は小説も読んでみたいと積んであるので読んでからと思ったが、いつになるか判らないので簡単に終わらせておく。映像が岡崎宏三さんで「花影」調ともいわれる映像らしいが、池内さんと池部さんが夜桜を見に行き、池内さんの顔に桜の影がうつるのが印象的であった。

義理の母にそだてられ、15歳から銀座で働き始め、自分の今の年齢から、この銀座で生きていく先行きのなさと、男にも自分にも愛想がつき、義理の母に遺書とアパートの鍵を送り薬を飲むのである。始めに三年一緒に暮らした大学の先生(池部良)が別れていくとき、部屋の窓から下の道路を見下ろし男の姿を見送る場面がある。その時、赤いポストが目につく。そのポストから遺書と鍵を投函するのである。川島監督はこういう手法をよく使う。

男に尽くすタイプであるが、甘えて見返りをもらうタイプではない。こうなるのも成り行きであり、どう修正しようにもできなかったのである。そして、惚れこむのが、お金のない男になのである。一番の原因は池部さんであろうかと思うが、原作を読んで、川島監督がその辺をどう描いたのかもう一回検証したい作品である。別れたのに再会し、男の狡さが分かっていながら、また惹かれ、そんな自分を始末するのは自分しかいない。であるなら、『花影』の題名もいきるのだが。

全然解釈が違っていたら、それもまた楽しである。

原作・大岡昇平/脚本・菊島隆三/撮影・岡崎宏三/出演・池内淳子、佐野周二、池部良、高島忠夫、有島一郎、三橋達也、淡島千景、山岡久乃

池袋の新文芸坐で、川島雄三監督の特集があり、その中で見ていない映画が、8本ある。上映できる映画がまだ8本もあるということで、出会える楽しみを先に延ばしたと考えればよいわけである。

 

 

映画監督 ☆川島雄三☆ 『喜劇・とんかつ一代』『イチかバチか』

川島監督は50本の映画を撮られた。49本目が『喜劇・とんかつ一代』、50本目が『イチかバチか』である。 (『飢える魂』『続 飢える魂』を一本とする。これは続けて撮ったらしく、長さから2本にしているが、川島監督はシリーズ化をしない監督であるので、撮るときは1本の感覚で撮っているように思うので1本とする)  最後の作品が『イチかバチか』のタイトルで、最後まで映画に自分の全てを賭けられたようで、喜劇であるというのも監督らしい。

この映画の公開数日前に亡くなられ、飲み屋の借金は全て返されていたらしい。それも、亡くなって数日後に川島監督の自筆で届いたところもあり、益々、伝説の残るかたである。筋肉が次第に委縮する病気に罹られていて、最後に喜劇で終わるというのは、ご自身の肉体の対極であり、監督が自分と闘いつつ最後まで楽しんで映画を撮られていたのだと想像し、こちらは大いに笑い、時にはクスクスとほくそ笑み楽しませてもらう以外に居場所は無い。『喜劇・とんかつ一代』の時、お隣に座っていた高齢のかたが、途中で帰られた。時々、ブツブツつぶやかれていた。どうも不満だったようである。 「監督、帰られたかたがいましたよ。」「フフフフッ!帰られげしたか。」 帰られたかたは、バカバカしいと思われたか、これが川島か!と思われたのかもしれない。巨匠にならなかった監督の「フフフフッ!」である。

川島監督は常に新たなものを求めて、当たってもシリーズ化しなかった。『喜劇・とんかつ一代』の後の『イチかバチか』では、俳優陣を一新している。東宝時代は、大映で、<女>を描いている。自分の主義のためには撮らないという監督ではない。ご自分の病から、そんなことは贅沢と思われたのかどうか。外部から病と仕事を並べることを好まれなかったであろうから、やはりクスクスしかない。

『喜劇・とんかつ一代』。原作・八住利雄/脚本・柳沢類寿/撮影・岡崎宏三/出演・森繁久彌、フランキー堺、加東大介、淡島千景、団令子、三木のり平、池内淳子、小暮実千代、山茶花究、横山道代、水谷良重(現八重子)、岡田真澄、益田喜頓

森繁さんは、トンカツ屋の主人で、奥さんが淡島さん。淡島さんの兄が加東さんで、レストラン(上野精養軒がモデル)の料理長。加東さんの息子がフランキー堺さん。加東さんの奥さんが小暮さんで連れ子が池内さんで、その夫がクロレラを研究している三木さん。森繁さんは加東さんの下でフランス料理の修行をしていたが、加東さんの息子のフランキーさんが継ぐのが良いとして、加東さんの下を離れ、一流のトンカツ屋となっている。加東さんにしてみれば、自分の下を去った理由が判らず許せない。期待の息子は、料理ではなく、経営の方に興味があり、レストランを、父のかつての友人の益田さんに買い取らせ新しい経営を吹聴する。恋人が団さんで、フランキーさんはビジネスのため益田さんの娘・横山さんとも付き合う。団さんの父が山茶花さんで豚殺しの世界選手権にでるような名人である。

そこに、箸とおしぼりを研究にきているフランス人の青年・岡田さん、芸者のりんごちゃん・水谷さんが絡む。森繁さんがお気に入りの女性は皆果物の名前がついている。りんごちゃん(帯の柄がりんご)を筆頭にバナナ、メロン、パイナップル等がトンカツ屋へ挨拶に来る。そして、奥さんの名が柿枝で柿のレイを淡島さんの首にかけ、ヨイショする。そんなショート、ショートが間に入る。間でショートを楽しみ、それぞれの間を楽しみ、どうしてそういう動きを考えだすのだろうと楽しんでいるうちに上手く話はまとまっていく。

三木さんと池内さん夫婦はクロレラを使っての料理しか食べない。三木さんは内緒で森繁さんのトンカツ屋に入る。見ている方はばれるでしょうにと、その後の演技を楽しみにする。小暮さんが来ていてばれてしまう。それぞれが、あれ?あれ?あれ?の伝達が楽しい。連鎖反応。この研究家は認められアメリカにいくことになる。外国へ行くのは、映画の中での出世、別れ、の常套手段である。

役者さんを動かすために、セットも動線を考えて造られている。川島監督は、階段を使う。家の中などにも、段差をつける。そのことによって、左右だけではなく、上下の動きもでる。身体の動きのリズム感も違ってくる。

上野の不忍池弁天堂では<豚魂祭>(だと思います)が行われて当時の不忍池周辺も味わえる。レストランからのテラスには、動物園への近道との案内板があり、すぐ隣りが動物園で動物の鳴き声がしている。見たり聞こえたりして、なぜ?と思ったことに関してきちんと何処かで謎解きがなされるようになっている。ただテンポがあるので、それに乗っていかないと、なんなのこれ訳わからないとなってしまう。トンカツの講釈も述べられるが、記憶する能力にかけるからその場で聞いて、その場で忘れる。

これだけの出演者がいれば、役者さんをどう動かすのか想像するだけでも見たくなる。森繁さんが何か歌われるが、歌よりも映像に追われて歌詞がよく判らなかった。あっても無くてもいいような歌と思うが、川島監督は歌を入れるのが好きである。

『イチかバチか』。原作・城山三郎/脚本・菊島隆三/逢沢譲/出演・伴淳三郎、ハナ肇、高島忠夫、水野久美、山茶花茶、谷啓、団令子、横山道代

先ず200億の現金が積み上げられる。製鉄会社の社長・伴さんは、現金を見ないとやる気が起こらないという。その現金を前に、鉄関係が冷え込んでいるのに、200億の私財を投じて大製鉄所を造る事を決心する。イチかバチかの大勝負である。この現金、終盤にも出てくる。是非わが町へと県や市の政治家が動く。その一つの東三市の市長・ハナ肇さんが調子よく伴さんに東三市をアピールする。伴さんのところには、かつて借金を申し込んだが断られ自殺した友人の息子・高島さんが他の会社から引き抜かれてやってくる。早速、東三市の市長と市の偵察を仰せつかる。行ってみると、必要な土地の広さはない。この映画は弁舌である。土地の前は海。後ろの山を崩して埋め立てれば、その場所は確保され、新たな道も出来る寸法である。

これは開発の常套手段である。環境派の人は見ない方がよいかも。何が噓で何が真実なのか。などと深刻になるほどの内容ではないが、東三市では、大風呂敷の市長に反対する市議・山茶花さん等が市民集会を開く。そこへ、市長が弁明のため現れる。市長はこの誘致のため相当のお金を使っている。ところが、それは全て自分の個人的お金であった。市税は使っていない。そのことを弁明に伴さんが登場する。

伴さんは、市議たちは、この集会のために、公共の施設をただで使い、マイクも全て公共のものをただで利用している。ところが、市長は車は自分のもの、宣伝ようのスピーカーは、電器店から借りて、公共のものは使っていない。些細なことだが、それが大事なのだという。伴社長清貧といえば聴こえがよいが、ケチに徹している。

市議は、市長には3人もの女がいるという。芸者と秘書と未亡人である。そうだと市民は盛り上がる。秘書(水野久美)は自分は市長とはそんな関係ではなく、今日結婚したと告げる。それを受けて谷啓さんが、その結婚相手は自分で戸籍係りだから間違いないと名乗り出る。市長は未亡人との結婚届を今日出しました、女(横山道代)はひとりですと宣言する。戸籍係りは確かに市長の結婚届は受理したと叫ぶ。戸籍係が出てきたのには笑ってしまった。

最後、この誘致は実現可能な話なのか、疑心暗鬼の市民に、伴社長は、では現金をお見せすると、市議会室に200億積み上げるのである。辻褄が合います。人間現金を見なければ信用できないのです。人のお金で失敗する政治家のかたは後をたたない。自分で働いて得たお金ではないのだから、もっとも信用してはいけないお金なのに。

 

映画監督 ☆川島雄三☆ 『青べか物語』『縞の背広の親分衆』

森繁久彌さんが川島監督の作品で出演されているのは、川島監督が松竹、日活、東宝(東京映画)と移られた東宝作品である。『暖簾』(映画 『暖簾』)『グラマ島の誘惑』『島の背広の親分衆』『青べか物語』『喜劇・とんかつ一代』である。『グラマ島の誘惑』だけを見残してしまった。

『島の背広の親分衆』『喜劇・とんかつ一代』は喜劇である。『青べか物語』は山本周五郎さん原作の映画化でやっと見ることができた。千葉県浦安町(現浦安市)に住んだことのある山本さんがその町のことを書き、映画になったというので、浦安の人々は映画館に集まった。しかし、これは浦安ではないといって立ち去った人が多かったという映画である。地下鉄東西線の浦安から『青べか物語』の先生が住んで居たという蒸気河岸を歩いたことがあるが、その面影はない。浦安市郷土博物館のほうに、移築された舟宿や民家が<浦安の町>として残されていて、海苔や貝の採取で活躍した<べか舟>や漁の道具も展示されている。山本周五郎さんがよくいった居酒屋などもある。

『青べか物語』は、少し精神的に疲れた小説家がふらっとバスでこの町に降りるのである。役柄からして、森繁さんは町の人々の聞き役である。大きなリアクションはない。この町の人々の生命力溢れる饒舌と、地域の出来事の些細なことから私的なことまでに関心を示す活力に先生は、旅人として少し係り再び去っていく。精神的疲労の回復になったのかどうかは判らない。この町は先生にとって、時には不快でもあり、困った現象でもあり、お節介でもあった。町の人々は、固定化した見方に新しい見方を求めて先生に自分の心の底にある想いを話す。間借りしている夫婦。妻は足が不自由でそれを献身的に介助する夫。乞食をして赤ん坊の妹を育てる少女。古くなった汽船を川に浮かべそこに住む元船長。この船長の話す恋物語の風景は、撮影の岡崎宏三さんの力の入ったところであろう。猥雑な町の風景とは対象的である。

川島監督は「印象派でやろう」といったそうだ。始まりは航空映像と浦安を紹介する森繁さんのナレーションから入る。<青べか>は、青く塗られたべか舟のことで、先ず先生はこの<青べか>を押し付けられ買う事となる。この舟に横たわり本を読み、昼寝をしている間に海の干満によって舟が、元の場所に戻っている長閑さは、ひと時、先生も癒されたようである。先生の去ったあと、先生は、町の人の噂話の種になっているであろうか。

原作・山本周五郎/脚本・新藤兼人/撮影・岡崎宏三/出演・森繁久彌、池内淳子、左幸子、乙羽信子、フランキー堺、山茶花究、東野英次郎、中村メイ子、加藤武、左卜全、桂小金治

『縞の背広の親分衆』は、タイトルから森繁さんの浪花節調の歌が流れる。仁義を切る時、森の石松の末裔と語る。マキノ雅弘監督の『次郎長三国志』を見ている人はニヤリとする。この映画での森繁さんの森の石松は追随を許さぬくらいのできである。

亡くなった兄貴分の親分の女房の淡島千景さんに向かって仁義を切るのであるが、それが長いのである。川島監督が色々考えて長くしたのであろう。所々、クス、クスとしながら聞いていた。それに対し、返す淡島さんの仁義の切りかたもふわり花がある。この映画のセットはバックが絵であったりしてあれあれと思ったがそれほど重要な問題でもない。役者さんの動きを見せる映画である。高速道路建設のため、ヤクザの信仰しているお狸様の社を取り除けば道路は真っ直ぐに建設され、迂回しなくて済むので、それを退ける退けないの話がからむ。

森繁さん側が、フランキー堺さんに桂小金治さん、淡島さん。反対側が、有島一郎さん、西村晃さん、ジェリー藤尾さん。淡島さんの義理の娘に団令子さんで、この人は独自の動きをする。その交差の中で、よく皆さん動き回る。筋よりも、役者さんがどう動くのか見ているのが楽しい。フランキー堺さんの小物の取り扱いかたが楽しい。川島監督は、身体に音楽性のある人を使うのが上手で、喜劇には、それが必要条件と考えられていたように思う。各自のリズム感を科白や動きで引き出し違う人と組み合わせ、その間合やフェイントの掛け合いで見る者に可笑しさを伝導していく。さらに、繰り返しの可笑しさ。その背景に高度成長の社会の流れが庶民の生活の中に入り込むと社会派であれば、亀裂を描くが、川島監督はあえてそれを、笑いにしてしまう。

だから、ヤクザという設定でも、恰好よくないのである。殺したと思って海外に逃亡し、隠れつつ帰ってきて見れば、殺していたはずの相手は、道路公団の副総裁になっていたりする。あれっ、道路公団のトップは<総裁>と呼ぶのかと、今まで気にしなかった事が気になる。多少もめてくれた方が予算が取れると利用されたりもする。その辺のパロディ化も笑える。喜劇は何かがあって笑うのであるから、これもそのうちの一つなのかと匂わせてくれなければ、ただのドタバタ劇である。笑いの中にはその人の何かに向かう一生懸命さが含まれる。

森繁さんは、姉さんの淡島さんを助ける為に一生懸命で、フランキー堺さんは、団さんの心を掴むために一生懸命である。あちら様は儲けることに一生懸命で、どちらさまも大義名分はおまけである。森繁さん、フランキー堺さん、淡島さんが縞柄の背広とスーツで、兄貴分の親分のお墓にお参りするのが、映画のタイトルを裏切らない。

原作・八住利雄/脚本・柳沢類寿/撮影・岡崎宏三/出演・森繁久彌、フランキー堺、淡島千景、団令子、有島一郎、桂小金冶、ジェリー藤尾、藤間紫、西村晃、渥美清

 

 

映画監督 ☆川島雄三☆  『銀座二十四帖』

川島雄三監督特集を池袋の新文芸座で上映している。先週は時間が取れず悔しい想いをしたので、今週は通い詰めである。2本立てなのでこれまた嬉しい限りである。<喜劇>から<夜の世界>から<男女の超難解な色模様>から<町の活写>から、様々なから、から、からが、川島流に撮って行く。粘つく情もさらりと流し、流す涙も意地に変え、気障な旅人関所を通し、素人離れの歌と語りに色を添え、俯瞰で写す町にうごめく人間模様の出来上がり。

『銀座二十四帖』

空から銀座を写す。タイトル画の時から、森繁久彌さんの「銀座の雀」の歌が流れる。それが郷愁をさそう声と歌い方である。ところがそれが終わると、森繁さんのナレーションが入る。「素人ばなれした歌をお聴かせして・・・」とか何んとか、そして銀座の説明に入るが歌とは反対に明るさがある。この辺が森繁さんのテクニシャンというか、技である。語りでも自由自在である。「銀座の一晩の電気の消費量が、秋田市の一日分・・・・」。こういうことを何気なく挿入する川島監督の手法。気が付けばいいし、気が付かなければそれもよし。考える時間は与えない。抒情に浸る時間は与えない。今回、川島監督の映画を数本まとめて見て、テンポ、リズム、流れ、動線が面白かった。この「銀座の雀」の挿入歌は、キャバレーでの歌い手が歌い、流しが歌いと数回出てくるが、歌われるのは、この曲だけである。最初に印象づけておいて、あとは映画の流れの一部として使うのであるが、最初にインプットされているから歌は歌で複線の一つの流れのように錯覚してしまう。こういう歌の挿入効果も初めてである。邪魔せずにスーッと入ってくる。森繁さんの使い方が、森繁さんの上をいく監督の技である。

川島監督自身が、原作から離れ、筋はどうでもよく、銀座を画きたかったとされているが、森繁さんは銀座の街の風景のみのナレーションで、登場人物の心情には入ってこない。森繁さんのナレーションの部分だけを切り取って写せば昭和30年代の銀座の街のドキュメンタリー映画になるかもしれない。では映画はどんな話かというと、ミステリーの部分を設定している。ある美しいご夫人(月丘夢路)が、自分が少女時代に描いてもらった肖像画を他の売り物の絵と一緒に画廊に展示するのである。<G・M>とイニシャルがあり 、夫人はその人の記憶がはっきりしないが、淡い恋心を抱いたひとのようである。その絵を巡って、銀座の悪を叩き出そうとする花屋の主人(三橋達也)が動き出す。花屋は自分の知っている人とその絵を描いた人が同一人物なのかどうかも知りたいのである。次第にその絵を描いた人物の詳細が判ってくるのである。

日活のトレードマークのアクション映画の要素を入れつつ、大阪から出てきた夫人の姪(北原三枝)のアプリな女性も配し、銀座の昼のデパートの様子や、銀座の夜なども写される。確か衣裳のかたの名前もタイトルに出てきたと思う。このあたりも川島監督のこだわりであろうか。月丘さんの着物姿に魅了され、北原さんのスタイルの良さは映画『風船』の時と同様、斬新なデザインの衣装が長身に映える。浅丘ルリ子さんが、花屋に雇われている事情のある少女たちの一人として出られているが、北原さんと比較すると、こんなに可愛らしい少女と大人の女性との違いであったのかと驚いてしまった。

月丘さんは、父の代からの知り合いが営んでいる料亭に身を寄せている。その料亭の橋のそばで、絵を描いている大阪志郎さんはどういうわけか、銀座の色々なところに姿を現す。刑事さんかなと思わせるが、飄々として刑事らしくないのがまた楽しい。夫人に近づきたくて、自分が描いたのではないのに、自分が描いたとしてマスコミに発表するメチャクチャな画家が阿部徹さん。話はかなりおふざけであるが、時々そこに、銀座紹介の森繁さんの声と映像が加わり、上手く流れていくのである。

一つ残念だったのは、この夫人は嫁ぎ先の鵠沼に娘を残してきていて、その娘に会いにいくのであるが、会うのは湘南の海なのである。鵠沼のその頃の住宅地の方を写しておいて欲しかった。銀座再発見 での、岸田劉生さんの画いた、鵠沼の坂道の風景が写ったかもしれない。<鵠沼>と科白に出てきたとき期待したが残念ながら湘南の海岸だけのロケーションであった。

『銀座二十四帖』の<二十四帖>に関しては、「銀幕の東京」(川本三郎著)のなかで、<銀座八丁に加え、西銀座と東銀座を入れて二十四丁になった拡大された銀座をさしている。>としている。その他、この映画に出て来る場所の詳しいことを知りたいかたは川本さんの本を読まれ参考にされるとよい。

原作・井上友一郎/脚本・柳沢類寿/撮影・横山寛/出演・月丘夢路、三橋達也、河津清三郎、北原三枝、大阪志郎、阿部徹、岡田真澄、浅丘ルリ子、芦田伸介

銀座4丁目の三原橋地下に昨年(2013年)3月31日まで「銀座シネパトス名画座」がありました。その最終章の企画として、<銀幕の銀座 懐かしの風景とスターたち>と題し上映してくれ、最後まで楽しませてもらいました。その時に見た映画について書いてありますので興味があればクリックしてみてください。

映画館「銀座シネパトス」有終の美 (1) 映画館「銀座シネパトス」有終の美(2) 映画館「銀座シネパトス」有終の美(3) 映画館「銀座シネパトス」有終の美(4) 映画館「銀座シネパトス」有終の美(5) 映画館「銀座シネパトス」有終の美(6) 映画館「銀座シネパトス」有終の美(7) 映画館「銀座シネパトス」有終の美(8) 映画館「銀座シネパトス」有終の美(9) 映画館「銀座シネパトス」有終の美(10)

 

監督歌舞伎通 映画『唄祭り 江戸っ子金さん捕り物帖』

DVDのタイトルには、<美空ひばり 唄祭り 江戸っ子金さん捕り物帖>となっているが、ひばりさんは控えめである。映画名のタイトルに<美空ひばり>はない。川田晴久さんが軸として動き唄いまくる。気楽に見ていたら、あれあれあれと歌舞伎に関係する場面が出て来る。

先ず、芝居小屋での芝居が『児雷也』である。宙乗りもあり、舞台正面で宙乗りで新年の挨拶をしていたら、その役者さんが殺されてしまう。川田晴久さんは銀次といい、スリである。銀次が頂戴した財布には三人の名前が書かれていている紙が入っていて、その一人が殺された役者である。イナセに町歩きをしている遠山の金さんの若山富三郎さんは、銀次が情報集めとして使えるとし、岡っ引きに取り立てる。銀次が手にした十手が普通のものより大きい。歌舞伎の『毛抜』や『矢の根』に出てくる物をもじっているのである。     歌舞伎座 『團菊祭五月大歌舞伎』 (昼の部 2)  歌舞伎座 『團菊祭五月大歌舞伎』 (夜の部 1)

ひばりさんは芝居小屋の太夫で舞台で舞い唄う。ひばりさんは勘が抜群なのであろう。こういう場面も上手い下手を気にせずに楽しませてくれる。娯楽ものの必須条件である。遠山の金さんはこの太夫には裏に何かあると目星をつける。

岡っ引きの銀次が嗅ぎまわるので、銀次は悪人に連れ去られこれ以上深い入りするなと脅され返される。その場所が判らない。遠山の金さんから何とかして思い出せとの言明である。お勝手で妹が口ずさんでいる唄に聞き覚えがあり、何んという唄かと銀次は尋ねる。通い始めた小唄のお師匠さんから習った『吉原雀』と妹が答える。囚われた時、銀次はその唄を耳にしていたのである。長屋の皆でその師匠の所へ弟子入りする。そして銀次は外で様子をうかがう。この場面の『吉原雀』がしっかり嬉しくなる長さなのである。歌舞伎舞踊として『吉原雀』は人気演目である。

「その手で深みへ浜千鳥 通いなれたる土手八丁 口八丁に乗せられて 冲の鷗の二挺立(にちょうだ)ち 三挺立ち 素見(すけん)ぞめきは椋鳥(むくどり)の 群れつつ啄木鳥(きつつき)格子先(こうしさき) 叩く水鶏(くいな)の口まめ鳥に 孔雀(くじゃく)ぞめきで目白押し 見世清掻く(みせすががき)のてんてつとん さっさ押せ押せえ」

師匠のところには、銀次を連れさってきた男がいたが殺されてしまう。色々調べていくと、太夫は、お取りつぶしになった家のお姫様で、悪人の家老がその恨みを晴らそうとしていたのである。それに対し姫は疑問視し始める。悪人は捕まり、遠山の金さんの粋な裁きで姫と側近の若侍は旅へでる。

監督/冬島泰三、原作/木村重夫、脚本/中山淀次、撮影/河崎喜久三

スタッフの方々は、時代劇に造詣が深いので、歌舞伎関係も頭の中にしっかりあるであろう。楽しんで、この場面はこうしようとか考えられたのではなかろうか。川田晴久さんが出てくれば歌である。ひばりさんは川田さんからエンターテイメントな部分を沢山学ばれている。ただ次第に川田さんに時代の古さが出てきている。他に、嵯峨美智子さん、柳家金語楼さん、堺駿二さん、山茶花究さんも出られている。

時代劇盛んなころは、美術さん、衣裳さん、鬘を扱う床山さんなど、知識と経験が豊富だったであろう。鬘など役者さんの顔に合った物を使われている。

鬘と云えば、泉鏡花の『日本橋』のパンフレットの表紙の玉三郎さんが素敵なので、観劇の先輩に見せたところ、即「鬘の鬢(びん)を抑えているのがいいわね。張り過ぎて無理に若作りにしていないのが好い。」との感想。なるほどそうきますか。こういう答えがポンと即返ってくるので、先輩たちとの話は楽しいのである。

先輩はテレビで『羽衣』を見たらしい。愛之助さん特集だったようだ。孝太郎さんと愛之助さん、玉三郎さんと愛之助さんの二通りを見せたらしい。愛之助さんは羽衣を見つける漁師である。「孝太郎さんの時は愛之助さん元気だけど、玉三郎さんのとき、ははぁーってかしこまっていたわよ。」 笑ってしまう。それだけでどういう雰囲気かわかるのである。「あの箱からドーナツに移せないのよ。見せたくても駄目なのよ。」充分言われている意味はわかります。

その箱から切符を出せよ。その中に入っているんだろ。いえお客さんこの中に入っているわけではないのです。だってその箱からさっきから切符を出しているじゃないか。大好きな『みどりの窓口』(志の輔)を思い出す。

昨日の朝ドラ見た。見た。見てない。あの人九州に行っちゃうのよね。だれ。ほらあの人。そうあの人。主人公の友達のあの人。えーと、ほらよく元気のいい先生役で出ていた。そうあのドラマに出ていたわよね。お父さんが宇津井健で。そうヤクザなのよね。ああ判ったあの人ね。(こんなこと書いていたら際限がない。)

 

光る刀剣 『小鍛冶』『名刀美女丸』

歌舞伎によく家宝の名刀が悪人に盗まれ、それを探すのが一つの話の筋として重要になってくるが、それ位で刀には関心が無かった。ところが、しまなみ海道  四国旅(7)での義経の奉納の刀が歌舞伎座5月の『勧進帳』と重なったり、長唄舞踊『小鍛冶』 と 能『小鍛冶』での小鍛冶宗近から、そのあとで栗田神社、鍛冶神社、相槌稲荷神社を訪ねることも出来た。

さらに思いがけず、京都の大本山本能寺の宝物館大寶殿で、この宗近さんの作った太刀にあえたのである。織田信長さんは目利きのかたであったように思える。<三足の蛙>名の銅の香炉も面白い。麒麟(きりん)の角が一本であったり、中国では奇数が吉とされた時期のものである。千利休に愛された釜師・辻与次郎の作品も美しかった。ゆっくり眺めていたら突然、<『小鍛冶』のモデルである宗近作>の一文が目に飛び込んできた。<『小鍛冶』のモデル>と書かれていなければ、<宗近>と一致しなかったであろう。どこかで想像上の人物と思っていたのである。信長公が所持していたとあり、長さ62.7㎝、反り7分6里で、細くて反り具合が美しい。眺めてその美しさを楽しむような刀である。

鍛冶にも幾つか派があったのであろうか。粟田口派鍛冶が北条時頼に召されて鎌倉に下り鎌倉鍛冶の開拓者になったとある。こういう技術も京から東国に流れてきたのである。

東京代々木に「刀剣博物館」があり、企画展 <祈りのかたち~刀身彫刻と刀装具~> とあり<祈りのかたち>にひかれたが知ったのが遅く行けなかった。

そしてふっと思い出したのが、溝口健二監督の映画『名刀美女丸』である。題名の<美女丸>が娯楽映画のように思え期待していなかったが予想外に面白かったのである。しかし、時間もたち、何が好かったのか忘れてしまったのでレンタルして見た。名刀の名を<美女丸>とした溝口監督の裏の意図も判り、刀鍛冶三条宗近の事も出てきて撮影当時の時代背景も判り、初めて見た時と違う想いが重なった。最初に見た時は、刀打ちの場面が興味深く、その場面が長いのでこういう風に打たれていくのかと興味深く、<美女丸>の意味は単純に、笹枝の力と理解していたのを思い出した。

粗筋は、孤児の清音が侍の小野田小左衛門に助けられ刀鍛冶となっていて、やっと御恩返しの刀を打つことが出来、小左衛門も喜んでその刀を差し殿の護衛にたつ。ところがその刀が肝心な役目の時に折れてしまい、小左衛門は蟄居の身となる。そして、娘・笹枝に執心の侍に殺されてしまう。笹枝は敵のための刀を清音に頼み、精魂込めた刀も出来上がり無事敵を討つのである。その刀が<美女丸>ということである。映画の中で、その刀の名は出てこない。その刀を打つとき、笹枝の生霊が現れ、清音の弟弟子清治と三人でその刀は打たれるのである。その時の笹枝は、透明人間のような手法で現れ、効果的である。そして刀も出来上がり、見事敵討ちが果たされるのである。

最初に見た時、清音の師匠が尊王派に傾倒し、このように複雑にしなくても十分面白いのにと思ったが、そこに当時の時代背景があったのである。この映画が出来上がったのが、昭和20年1月、公開が終戦の8月である。まだ国策の空気があったのである。

物資不足ででフィイルムもなく、タイトルも、映画名、配役、演出だけである。スタッフのタイトルもない。

配役/新生新派 清音(花柳章太郎)、清次(石井寛)、清秀(柳永二郎)、小野田小左衛門(大矢市次郎)、東宝 娘笹枝(山田五十鈴)  これだけの名前である。

師匠の清秀は、刀を打つための志を求め勤王と接触している。そして、三条宗近作の刀を借り受け、清音、清次に見せつつ独白する。自分は宗近に劣らない技がありなが何のための技か、誰のための。心が無い。目当てがない。目当てをくれ俺の心に灯をともしてくれ。自刀するとき、えんじゅ鍛冶(科白からの聞き取り)は、足利のためには刀を打たず、足利を倒すために打った。ここに刀鍛冶の魂があるとして帝のために打てと遺言する。その時、清音は、小野田先生の仇討のためでは駄目ですかと尋ねるとそれでは駄目だと言われる。

清音と清次は刀作りに励むが上手くいかない。弟弟子の清次が云う。「何でもいい、俺はただ立派な刀を作りたい。」 そして、精根も尽き清治は相打ちを使ってくれと頼み倒れてしまう。清音はそのまま仕事を続ける。そこに笹枝の生霊が現れ刀を打つのである。清次も起き上がり打ち始める。これは、映画をみている者にのみ判ることとしている。そこに溝口監督の抵抗がある。大義名分は付け足しである。三人は仇討のための刀を打ったのである。その名が<美女丸>である。

特典映像で新藤兼人監督が、語られている。<映画はロングショットとクローズアップで作られるが、溝口はほとんどがロングショットである。役者と役者のぶつかり合いの中で見える、個々の人格、内容をぶつけ合って見えてくるもの、不思議な情念を描いた監督である。>

刀を打つ場面はドキュメントのようである。この場面だけでも見たかいがある。娯楽性もきちんと踏んでいる。制約を受けているが、きちんと刀鍛冶のことも調べている。 脚本/川口松太郎、撮影/三木滋人。

溝口監督と花柳章太郎さんのエピソードを一つ。衣裳に凝る花柳さんが、舞台『細雪』に出るため、<寄せ水>という能の水干に着る衣裳で、寒中でないと麻糸が揃わないといわれる布を三反作らせた。二反は自分が購入し、残りの一反を溝口監督が購入。ところが、舞台上演前に、映画『雪夫人絵図』で小暮実千代さんに着せたため、花柳さんは溝口監督に抗議したそうである。映像では大きく写り舞台より目をひくであろうし、それを先に着られては抗議するのは当然と思う。それを知ったので『雪夫人絵図』のDVDが安く購入できたので見たが、DVDのパッケージの写真が一番その材質を捉えていた。(早稲田演劇博物館 日活向島と新派映画の時代展資料集より)

えっ! 今話題の本屋大賞受賞の『村上海賊の娘』(和田竜著)に鶴姫さんのことが出てくるんだ。今、押して来ないでくださいな!

 

 

歌舞伎座 『團菊祭五月大歌舞伎』 (夜の部 2)

『極付 番隨長兵衛』。町奴の頭・番隨院長兵衛と旗本・水野十郎左衛門の命の取り合いであるが、水野の屋敷の湯殿で浴衣姿で素手の長兵衛を水野が槍で殺すという卑怯な命の取り方である。町奴と旗本奴の白柄組(しらつかぐみ)とは、小競り合いが絶えなかった。

芝居小屋(江戸村山座)で芝居の最中に、水野の家中のものが暴れ芝居を中断させてしまう。それを見かねた長兵衛が仲裁に入り事を収めてしまう。それを水野が桟敷で観ていて、これまでの経緯もあり殺意を抱くのである。

花川戸の長兵衛宅へ水野から宴の誘いがある。子分や兄弟分の唐犬権兵衛が罠だと言って止め、さらに女房のお時、息子の長松も行くのを止めてくれと頼む。しかし長兵衛はここで男を立てなければ末代の恥と、死を覚悟で水野の屋敷へでかける。

水野の屋敷で、お酒を振る舞われて、そのお酒を家来が長兵衛の着物にこぼしてしまう。これは申し訳ないと、気持ち悪かろうお風呂でさっぱりして下さいとすすめる。長兵衛は断るが、再度のすすめに腹をきめ、湯殿に向かう。そこでだまし討ちに遭うのであるが、もとより覚悟のうえ。水野が槍を構えて現れ、水野に対する啖呵の科白が海老蔵さんきまっていた。殺すならころせいと胸をはだける覚悟の程がきっぱりきまる。長兵衛の男伊達である。

このお芝居、お芝居の中にで芝居が演じられ、その観客と歌舞伎座の観客とを一緒にしてしまい、ことを収めるため長兵衛は観客席から現れ現実のお客様を、芝居の中のお客様として扱う。この辺りはお客様に対する柔らかさと、邪魔者に対する威圧感と大きさが必要である。

もう一つ面白いのが、湯殿が出てきて、そこが長兵衛の死に場所となることである。刀もなく、浴衣である。その姿で、死に際の潔さと大きさを表現しなくてはならない。そして、人の子である長兵衛と長松との親子の別れも見どころであるが、今回は湯殿での男伊達が光っていた。

長兵衛(海老蔵)、お時(時蔵)、唐犬(松緑)、子分(男女蔵、亀三郎、亀寿、萬太郎、巳之助、右近、男寅)、役者(松之助、市蔵、右之助、家橘)、近藤(彦三郎)、水野(菊五郎)

『春興鏡獅子』。最後が大曲の舞踊である。菊之助さんであるから、『娘道成寺』や玉三郎さんとの『二人道成寺』の面白さもあって、わくわくしていた。誘い出され、一旦引っ込み再び出てきて挨拶をして踊りが始まる。美しいし、身体の全てが流麗に動いていく。ところが、何か単調である。ここぞというところが伝わってこない。さらさら流れていく。牡丹の花のところか。 「散るは散るは 散りくるは散りくるは ちりちりちり 散りかかるようで面白うて寝られぬ」 ここでもこない。獅子頭に引っ張られるところで何かが起こるか。起こらない。う~ん。なぜなのだ。帰ってから、他のかたの『春興鏡獅子』を見た。どこかしらで、静ではあるが内面の起伏が伝わる。どうしてなのか。こちらの力の無さか。残念ながらわからないのである。しいて言えば、優等生の踊りなのか。

 

歌舞伎座 『團菊祭五月大歌舞伎』 (夜の部 1)

『矢の根』」。<矢の根>は、羽のほうではなく、根の鏃(やじり)のほうのことである。石の鏃となると、黒曜石が美しいと思うが、それは横に置いておいて、歌舞伎では鉄であろう。曽我の五郎が一生懸命この矢の根を砥いでいる。これも<毛抜き>同様特大の矢である。正月から矢の根を研いでいるのであるから、父の敵の工藤祐経 (くどうすけつね)を討つための心根と思ってもよい。矢の根を研ぎつつの科白の中に七福神の名前が出てくる。ここで、戯曲を読んでおくのだったと、後悔先に立たずである。どうも七福神の悪口らしいのである。これは目で読んで耳で聞くべきである。そこへ、よくわからない人が年始の挨拶にくる。これは、五郎を演じている役者さんに、大薩摩(演奏の方)が舞台の上で年始の挨拶に来たらしいのである。かつては実際にやっていたらしいのであるが、今は大薩摩の方も役者さんが演じて、かつての形を、演じるという手法になっている。初めて観た時はなんじゃなの世界である。

この年始に頂いたの宝船の絵を枕の下に入て五郎は寝るのである。この五郎の衣装も凄いのである。黒地に大きな蝶の模様が素晴らしい。松緑さん負けてはいない。襷(たすき)が太くて紫とブルーのねじりである。これを外して寝る。衣装が綿入れであるから、寝るといっても大変である。後見さんが肩を入れて五郎の背中を支える。五郎は夢をみる。兄の十郎が現れ、工藤に捉われていると告げる。目を覚ました五郎は兄を助けるべく支度をする。外した襷をかけるのであるが、後見さんが二人がかりで取り掛かる。これも見せ場の一つで、出来上がると拍手である。背中に蝶の羽ねのように、太い襷が形よく出来上がる。正式には<仁王襷>と呼ばれている。

五郎は、大根を積んだ馬に、馬子を蹴散らして乗り、兄のもとへ駆けつけるのである。ムチの替わり大根を振り上げて。花道を力強く進んで去るのである。この大根はお正月なので、初荷を現している。大きな五郎を乗せた馬の足が細く見え、馬の役者さんは、何ともご苦労様である。荒事の大きくて、少年の遊び心を舞台にしてしっまたような演目である。

あの砥いだ鏃の矢、せっかくだから、背中に背負わせたかったものである。このアイデアだめかな~。そうなると弓も持たなくは形にならないか。最後は庶民の食材である大根に花を持たせたのであろう。

五郎(松緑)、十郎(田之助)、大薩摩太夫(権十郎)、馬子(橘太郎)