歌舞伎座 二月歌舞伎観劇始末記

  • 一か月公演の劇場は、千穐楽の日々である。歌舞伎座・二月歌舞伎は体調を崩し観劇予定の日に行けず、のびのびの思い切っての千穐楽の一幕立見席観劇となった。なんとか昼夜観ることができた。昼の部は通しで購入できたが、夜の部は『井伊大老』を見終わってからでは売り切れていると思いますとの係りのかたの説明。仕方がない、『暫』を観て、下におり並んで無事夜の部の通しを購入できた。それから、四幕目を観るために上の立見席へ。係りの方に「今からですか?」と言われるが説明する時間がないので「そうです。」のみ。『井伊大老』ラスト20分だけ観れた。

 

  • 一月に続いての高麗屋三代襲名披露である。昼の部、一幕で帰る人がいて二幕目から座れた。夜の部、ずっと立ち見なら途中で帰ろうと思っていたら、「隣、空いてますよ。」と教えてくださるかたがいて座れた。感謝。感謝。その後、周囲は皆さん通しで帰るひとがいなかったので、ここで座れなければ途中であきらめて帰ったか途中で何処か他の場所に座って仕切り直しとなったかも。記憶が薄れているが印象に残っていることを簡単に。『井伊大老』はもちろん立ち見。井伊直弼(吉右衛門)と側室・お静の方(雀右衛門)との最後の夜の語らいである。吉右衛門さんの直弼にさらに情の深さが増し、雀右衛門さんは自分が一番わかっているのであるからしっかりしなくてはという愛らしさに強さが加わっていた。お二人の濃厚な20分でした。

 

  • 幸四郎さんの染五郎時代、新作『陰陽師』の安倍晴明が源博雅に「おまえは、いいなあ。」とふっとつぶやいたあの一言の雰囲気と、能力がありながらどこか空虚さを感じている悲哀の一瞬がよくて、あれが古典で生かされないものかと思っていた。きました。『一條大蔵譚』。あほうを装っている長成は本心を打ち明ける日を待っていたのだと気づかせてくれたのです。もしかするとそんな日はこないとあきらめていたのかも。ところが、常盤御前(時蔵)を諌めるために、吉岡鬼次郎(松緑)とお京(孝太郎)が現れます。この二人が本物であることを見届けたときの長成の気持ちはいかばかりであったろう。奮い立つ鬼次郎をじっと見ておさえる長成。そしてあほうに戻る長成。晴明のときのあの一瞬と重なる。鬼次郎をふっと羨ましく思ったかも。そんなそぶりはみせませんが、私の中での役者幸四郎さんの一條大蔵卿が感じとれて満足でした。

 

  • 熊谷陣屋』では、魁春さんの相模が素晴らしかった。浄瑠璃のリズム感が身体に染み込んで、そこから動きが流れるように、それでいてきゅっと止も入り、押さえる悲しみ、こぼれ出る哀しみが舞台に漂っていた。そして、義経の菊五郎さんと弥陀六の左團次さんのやりとりに、ばあーっとかつての戦の様そうが浮かんぶ。義経は幼き頃の記憶で弥陀六はしっかり現在と照らし合わせてのかつての情景である。それが一つに重なっているのがわかった。今までには思い浮かばなかった絵です。義経の後ろにひかえている侍が歌昇さん、萬太郎さん、巳之助さん、隼人さんの若手で、毎日これを聴いて何を想い浮かべておられたであろう。しっかり聴いていてくれたであろう。幸四郎さんの熊谷は滞りなくであるが、最後の花道が、染五郎さんとの親子襲名もあり年代的にも熊谷と重なり胸に迫った。

 

  • 仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場』。お軽と平右衛門がダブルキャストであった。珍しいことである。偶数日が菊之助さんと海老蔵さん。奇数日が玉三郎さんと仁左衛門さんである。切符を予約するとき日にちだけで偶数か奇数か意識していなかったが、奇数日であった。となると、偶数日に立ち見である。新橋演舞場『喜劇有頂天一座』が偶数日の夜の部だったので、帰りに歌舞伎座に寄る。もちろん立ち見である。一幕であれば問題はない。菊之助さんは美しく、海老蔵さんも由良之助(白鴎)に相手にされなくても一生懸命に尽くし、密書を読まれたお軽の身請け話から由良之助の心がわかり、お軽に死んでくれとたのむ。笑いもありで、スムーズに展開していく。

 

  • では、玉三郎さんと仁左衛門さんとでは何が違うか。奥行が違うのである。お互いのやりとりに誘われて観客はいつのまにか笑わせられ、勘平の切腹の場面を思い起こさせられ、勘平さんが生きていないなら、なんで生きていられようというお軽の気持ちに引き込まれるのである。平右衛門は頭の切れる人ではなく、どちらかといえば鈍い人である。ただ自分なりのどうすればよいかを一心に考え仕える人であり情も深い。その辺の平右衛門の人間性もにじみ出ていて巾ができるのである。お軽もただ勘平一筋で、勘平がこのお軽の熱情に負けたのがよくわかる。お軽は公の人ではなく個の人である。仇討ちということはこちらに置いといてという女性なのだと今回思った。役と役者の大きさもみせてもらう。

 

  • 由良之助の白鷗さんは、どう変化するのであろうかと興味があったが、由良之助の基本は変わらなかった。いってみれば由良之助になりきっているのであるから、由良之助本人の考えた通りに行動し、ここをどう乗り切るかを考えだし、よしこうすれば上手く運ぶであろうという腹を決めていくのであるからぶれないのである。悟らせないのである。密書の手紙をお軽と斧九太夫(金吾)二人に盗み見されてしまうという一力茶屋での出来事。その手紙を力弥の染五郎さんは無事届け責任を果たされた。お軽を死なせることなく、勘平の手柄として九太夫を討たせる。平右衛門を仇討に加え、由良之助の事の次第のさばき方の大きさと由良之助の役者ぶりを通される白鷗さんである。

 

  • あとの演目は、お目出度い初春に演じられる曽我兄弟が春駒売りとなっての舞踏『春駒祝高麗(はるこまいわいのこうらい)』で華やかに。『(しばらく)』もお祝い劇でサイボーグのような鎌倉五郎が現れる荒事で豪快に。『壽三代歌舞伎賑(ことほぐさんだいかぶきのにぎわい)』は題名通りで、その豪華な賑やかさは歌舞伎ならではの主なる役者さん総出演である。誰さん、誰さんと思って拍手しているうちに終わって口上となった。二ヶ月間無事に公演が終わり、なによりの襲名興行でした。こちらも、この千穐楽から観劇復帰できた。

 

  • 今は四世鶴屋南北さんに引っ張られている。お墓のある春慶寺へ詣り貴重なお話も聴かせてもらえた。DVDの録画を整理していたら、2006年、四国こんぴら歌舞伎(22回)の映像が出て来た。三津五郎さん、海老蔵さん、亀治郎さんで演目は『浮世柄比翼稲妻(うきよがらひよくのいなづま)』と『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)』。三津五郎さんの名古屋山三の台詞がいい。じわじわと喪失感におそわれる。海老蔵さんの不破伴左衛門のこのトーンの台詞が荒事のトーンより好きである。亀治郎さん、この時猿之助を襲名しルフィを演じるとは考えていなかったであろう。この二つの演目、金丸座という芝居小屋に合っていて役者さんが舞台映えしている。これも鶴屋南北の作品である。ということで暫くは南北さんの世界に入り込むことにする。

 

歌舞伎座 四月歌舞伎『絵本合法衢』

  • 絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ) 立場の太平治』。「合法衢」が「合邦辻」と同じとは気がつかなかった。大阪で閻魔様にお会いできなかったのに、お江戸の歌舞伎座で大きな閻魔大王にお目見えでき有難いことである。さすが四世鶴屋南北、何のためらいもなく、次々と殺してくれる。数え間違いでなければ南北さん11人殺したことになる。左枝大学之助が6人殺し、立場の太平次が4人殺し、最後に左枝大学之助が殺されてしまうのである。左枝大学之助は仇として討たれるのである。実際にあった、合邦辻閻魔堂での仇討をもとにしている。

 

  • 左枝大学之助の配下に立場の太平次がいて、この二人は瓜二つで、悪にかけても同じで邪魔者は消せのやりかたで、この二役を演じられるのが仁左衛門さん。「立場(たてば)」というのは、旅人の休憩所で、宿場と宿場の間が遠かったり、峠越えなどのときに設けられた休憩所で<峠の茶屋>などもそうである。「間(あい)の宿」などもそうで、宿泊は許されていない。しかし、大井川の川留めなどのときは、旅人で膨れあがるので金谷宿と日坂宿の間にある間の宿・菊川宿は宿泊を許された。

 

  • 昼の部での『裏表先代萩』で菊五郎さんが演じられる下男・小助が着ていた襦袢が有松絞で、その血のついた袖が出てくるが、この有松絞の有松宿も間の宿である。江戸幕府の統制は細かいところまで規制していたのです。ところがそんな取り決めなどに従わないのが立場の太平次です。宿泊させています。殺しは当然夜でしょう。多数殺されますが、その人間関係を説明するのは難しいですが、観ていると難なくわかります。左枝大学之助は、近江国多賀家の分家の当主で本家乗っ取りを企んで、多賀家の宝をねらっている。

 

  • 大学之助が殺す1番目が中間の権平(「霊鬼の香炉」を盗んだことを知っている口封じ)。2番目が百姓の子供(気に入っていた鷹の羽を切った怒りからで、暴君そのもの)。3番目が多賀家家老・高橋瀬左衛門(「菅家の一軸」を手に入れるためのだまし討ち)。4番目がお亀(許嫁の与兵衛の仇と知っていて大学之助の懐に飛び込むが返り討ちとなり、与兵衛の夢に現れ告げる)。5番目が与兵衛(太平次に足を斬られ、合邦庵室で弥十郎に助けられるが大学之助に斬られ切腹)。6番目が太平次(太平次をかたずけた、との大学之助の台詞)。瀬左衛門、弥十郎、与兵衛は高橋家の三兄弟で与兵衛は養子にでている。次男の弥十郎と妻・皐月が敵討ちを果す。

 

  • 太平次が殺す1番目がおりよ(お亀と与兵衛の養母で、香炉を取り戻そうとして失敗し殺してしまう)。2番目がうんざりお松(太平次を好きで香炉を取り戻す手伝いをするが失敗し、邪魔になる)。3番目がお道(女房であるが、与兵衛を逃がしたため自分で手は下さないが仲間に殺させる)。4番目が孫七(高橋家の家来で悪巧みを知られたたためで、孫七は暗闇で誤って女房・お米を殺してしまうという悲劇あり)。太平次は大学之助のためと自分の欲のために殺しをするが、大学之助のそれを越えた悪によって殺されてしまう。多賀家の香炉と掛け軸の重宝を手に入れた大学之助は多賀家相続を申し出るため京に上るが、焔魔堂前で弥十郎夫婦に討たれるのである。

 

  • 殺しの凄惨さと同時に、手はずの失敗や、あちらもかたずけこちらもかたずけの慌てふためく太平次の可笑しさもある。それに対し大学之助の非情さは一貫している。太平次(仁左衛門)、弥十郎(彌十郎)、皐月(時蔵)、与兵衛(錦之助)、お亀(孝太郎)のだんまりもあって、これが、それぞれの役に合った動きで非常に綺麗な動きとなっていた。休憩の時、若いかたが「きれいだったなあ」といわれたのを聞いて、やはりそう思われたかと嬉しくなった。登場人物が多いが脇もしっかりと仁左衛門さんの悪の求心力を壊さない動きと台詞で面白くまわってくれた。

 

  • 裏表先代萩』も『絵本合法衢』も菊五郎さん、仁左衛門さんの二役ですが、舞台上での早変わりという派手さはなく、その人物像の違いを生身でみせるという熟練度での地味さでした。大南北さん、立作者となったのは50歳になってからだそうで、そこから75歳までの25年間で大きな活動をしたわけです。裏も表も知っていたからともいえるかな。お米も死んでしまうのだから南北さん、12人殺していることになる。

 

  • 絵本合法衢』のラストが面白い。京に上る大学之助の行列に弥十郎夫婦が駆けつける。駕籠めがけて斬りつけるが大学之助は乗っていなかった。悲嘆し自害する弥十郎夫婦。不敵な笑いを浮かべた大学之助が閻魔大王像の後ろから出てくる。この最後の舞台装置をみたとき、閻魔像の大きさに笑えたが、こういう大学之助の出があるのかと納得した。閻魔様の前で嘘をつてはいけませんよ。弥十郎夫婦の自害は見せかけだったのです。やります。これくらいでなくては、悪の権化大学之助を討つことはできません。そして、締めは、役者さんが並んで、「こんにちは、これにて」と終わるのです。これが許されるのが歌舞伎です。悪を美しくみせ、ふてぶてしさを笑いにかえる。そして、役からおりた役者さんまでみせる。かぶいてます。

 

  • 高橋瀬左衛門( 彌十郎)、おりよ(萬次郎)、うんざりお松(時蔵)、お道(吉弥)、孫七(坂東亀蔵)、お米(梅丸)

 

歌舞伎座 四月歌舞伎『西郷と勝』『裏表先代萩』

  • 今月の歌舞伎座は地味である。それだけにどのように観せ、どのように聴かせるかが難題である。『西郷と勝』は特に江戸城無血開城に向けての西郷隆盛と勝海舟のやりとりがいかなるものであったのか、どうお互いの想いが一致することができたのか。今回は、真山青果作『江戸城総攻』をもとに、かなり改訂されている。よいほうに改訂されているとおもいます。聴いていると勝つと負けるということの意味が逆転して返ってくるようで、ぐっと胸にせまりました。後ろの方のすすり泣きが伝わってきます。

 

  • 勝海舟(錦之助)は、山岡鉄太郎(彦三郎)と会い、慶喜をどうする気だと聞かれ、勝は慶喜にはとにかく生きてもらい、新しい日本を見てもらうのだと答えます。その秘策も勝にはあり、山岡は納得して駿府の西郷のもとに出立します。旧東海道の新静岡駅から少し南に「西郷・山岡会見跡の碑」があり、この会見でほぼ根回しされていたという意見もあります。西郷周辺の中村半次郎(坂東亀蔵)と村田新八(松江)は激しく口論している。すでに、品川、内藤新宿、板橋は総攻撃のため集まっているのに、西郷は門の外で鰯売りと長屋の人々との喧嘩をみているというのである。なんと呑気なことか。

 

  • 西郷隆盛(松緑)にとって、この喧嘩こそ大事なことであった。勝海舟が現れいよいよ話し合いとなる。西郷は自分が東海道を下って来て感じたことを話す。富士山、江戸の広さ、鰯売りと長屋の人々の喧嘩。明日のことなど考えも及ばず、いつものように生活している人々がこの広い江戸にどれだけ大勢いることか。もし、江戸総攻撃があれば、この人々は戦火のなかである。江戸だけではなく、戦争というものの実態が浮かび、原爆をも想起し、胸が熱くなった。

 

  • 西郷は、さらに、負けると思っていた戦にどんどん勝ってしまい、そのとまどいも話す。決して勝ったことにおごり高ぶってはいないのである。勝海舟も日本が二分して外国の介入をさせてはならないと説く。そして、勝海舟もこんな気持ちの良い負け戦はないと告げる。西郷の話しを聞いていた中村半次郎と村田新八も西郷の考えを理解し、三方の陣屋に総攻撃中止を伝えるために去るのである。松緑さん聞かせました。これってどこかで醒めてしまうと単調になるし、かといって熱くなりすぎても西郷の大きさが出ないしで、なかなか難しい長距離の台詞ランナーでしたが乗り切られました。錦之助さんも、主張すべきことは主張し、西郷の語りたいところは語らせ、自分があなたのことを充分に理解しているという信頼感を出し、二人の握手する姿にはその火花の熱さがしっかり伝わってきました。西郷隆盛と勝海舟、考えさせてくれます。

 

  • 裏表先代萩(うらおもてせんだいはぎ)』。「先代萩」といえば、伊達家のお家騒動を題材にしていて、乳人の政岡が執権の仁木弾正一味から鶴千代君を守るという話しであるが、それを表の話しとすれば、市井の人々にもその関係がつながっていて、裏の話しがあるとしている。表の悪を仁木弾正とするなら、裏の悪は誰か。町医者の大場道益・宗益兄弟は仁木弾正に鶴千代君を殺すための毒薬の調合をたのまれる。この兄弟も悪であるが、仁木弾正に対峙する裏の悪は、道益の下男・小助である。仁木弾正と小助の表裏の悪を演じるのが、菊五郎さんによる二役である。

 

  • 裏表先代萩』となっていますから、裏の悪から見せていきます。大場道益宅から始まり、道益(團蔵)は下駄屋に奉公するお竹(孝太郎)をくどいているがお竹はいやがっている。道益と宗益(権十郎)は薬により大金を得ており、小助はそれを知っていてお金を手に入れようと企んでいる。都合がいいことにお竹が父に金策をたのまれ、道益からお金を借りる。ところがその前にお竹は小助に言われ道益に借用書を書いていた。それが、道益が殺されお金が奪われた時にお竹に嫌疑がかかり、この裁きの場面が、「先代萩」の対決の場をお白洲の場面で展開するという形となる。仁木弾正と細川勝元の対決が、小助と倉橋弥十郎(松緑)との対決となるわけである。

 

  • では表はどうなるのか。お白洲の前に表が入ります。政岡(時蔵)、鶴千代(亀三郎)、千松の場面があり、千松が毒入りのお菓子を食べ苦しがり八汐(彌十郎)に殺される場面がある。栄御前(萬次郎)、冲の井(孝太郎)、松島(吉弥)と揃いしっかり表舞台も構成されている。床下で荒獅子男之助(彦三郎)と鼠との場面から仁木弾正の不敵な出となりゆっくりと花道を去っていく。小助⇒ 仁木弾正⇒ 小助⇒そして外記左衛門(東蔵)を狙う仁木弾正となり、援護された外記左衛門に討たれてしまう。細川勝元(錦之助)の登場で、お家騒動も無事収まるのである。鶴千代の亀三郎さんと千松の子役さんは台詞もはっきりと重い雰囲気の御殿の場で頑張られていた。

 

  • 毒薬が武家と庶民の悪をつなぐ、裏表の先代萩である。菊五郎さんの裏と表の悪の違い。人が良さそうでいてしたたかな小助が面白い。亡くなった息子の前で悲嘆にくれる時蔵さんの政岡の赤の着物が哀しくうつる。着物の色だけが一人歩きしない役柄の力というものを感じさせられた。この裏話は三世、五世尾上菊五郎が練り上げていった作品だそうで、観客を喜ばせる工夫を常に考えていたのでしょう。昔も今もその心意気は続いています。

 

4月4バージョンの旅・D

  • D・大井川鉄道バージョン/ 結果的に一番ゆったりした旅となった。大井川鉄道の時刻表を調べて、奥大井湖上駅に行きたいとおもったが、本数の少なさと乗車時間の関係から金谷駅から千頭駅へ。乗り換えて井川駅へ。折り返して金谷駅への電車での往復だけとなってしまうので、今回は千頭駅までとした。千頭で何かに出会えるかどうかで旅の時間も変わって来る。

 

  • 大井川といえば大井川の渡しで、映画は阪妻さんの『狐の呉れた赤ん坊』(丸根賛太郎監督)である。チャプリンの『キッド』を意識して作られたといわれる。子役は津川雅彦さんで、デビュー作である。阪妻さんの『無法松の一生』(稲垣浩監督)には、子役に長門裕之さんが出ていた。『キッド』観ていないので気にしておこう。大井川鉄道のほうは、大井川本線・金谷駅から千頭駅まで19駅あり、SLや昭和に活躍した各地の電車が走っている。帰りの電車がかなり古い電車で、座席のクッションが使いましたよという感じであった。千頭駅から井川駅までは南アルプスあぷとラインの井川線で14駅。千頭駅が重なっているので全部で32駅である。

 

  • 温泉あり散策道あり吊り橋ありで、見どころは沢山ありそうなのであるが、電車の本数が少ないので一日では無理でお得な切符も二日間有効である。SLは金谷駅の一つ先の新金谷駅からで停まる駅が少なく、SLが急行となるのが面白い。ガッタンゴットンの普通電車とする。車窓の大井川は右と左に姿が移動するが、空いていたので右と左に座席を自由移動。桜の名所の駅も見事に桜は散っている。大井川は、広い河川敷に対し流れは細い。茶畑の風景は観ていて飽きない。大井川で一番長い吊り橋・塩郷の吊り橋もお見事。

 

  • 千頭駅について、観光案内へ。金谷でのパンフに千頭駅周辺散策コース90分とある。案内できくと、短いコースにすると一時間弱だという。ということは、SLで帰れる。<音の散歩道ー清流ウォーク>。大井川の流れの音と湧き水の流れる音の道であった。途中、南アルプスあぷとラインの線路と並んで歩き、その一つ目の川根両国駅の前を通り、両国吊橋を渡って戻って来る道なのである。乗れなかったあぷとラインの一駅を歩けるのもご機嫌である。145メートルと短いが吊り橋で、橋からあぷとラインの線路が見え、大井川を右手にトンネルに入るという景色である。

 

  • 川根茶の湯のみのモニュメントから国道を渡り続く道へはいる。急須の形の展望台から大井川を堪能。左手に智者の丘、右手に智者の石があり、右手に下る。<智者の石>は智者山神社を源として流れる沢で長い間智者の聖水を浴びた石とある。そこからのやんば土手通りの桜と花桃のコラボが可愛らしく素敵でした。桜は散り際を頑張って残ってくれていて、この旅での一番の花となりました。突然、元気な観光客が。負けます。よく探されておいでです。日本の花を楽しんで行ってくださいな。さて、捜しておいた日帰りの湯のある食事処「旬」がありました。帰る時間を変更。

 

  • ここで、散策、吊り橋、温泉の三セット完了。ゆったり、のんびり、まったりの旅となりました。今は娘さんが継がれていて、手伝いにこられていたお母さんと少しお話をしました。メニューの写真のおでんが気になって注文。色が濃いのに味は薄味。毎朝、煮汁の汁加減を調節して味を保たせているとのこと。納得。これで大井川鉄道の旅も終わりとなるが、やはり、奥の井川線の旅が心に残る。寸又峡の夢の吊橋などは、渡るのに二時間待ちもあるとか。それは避けたい。今回の散策で、泉頭四郎兵衛(せんずしろうべえ)の碑までの道を短縮したが、この方は菅原道真公が配流になったとき、同じようにこの地に遁れこの地を開拓した人のようだ。落人が隠れ住むような静かなところである。

 

  • A・B・C・Dの他にもうひとつの旅があった。姉が肺がんのステージ1で無事手術が終わり元気に回復した。友人が肺癌で亡くなられ、たまたま病院で肺がんの検査の案内をみて検査してもらったのだそうである。というわけで、がん検診など5年以上もしていなかったが一通り受けた。胃カメラで逆流性食道炎。肺がん検査で甲状腺が細胞検査となったが無事通過。検査を受け、検査方法も進み色々な検査があるのを知る。そして、面倒がらずに早期発見がよいとの考えに変わった。身体にE(いい)旅も心掛けなければならない。

 

4月4バージョンの旅・C

  • C・谷崎潤一郎バージョン/ 谷崎潤一郎が住んでいた『倚松庵(いしょうあん)』と『芦屋市谷崎潤一郎記念館』を訪れたいと思っていた。できれば二箇所を一緒に。『倚松庵』の開館が土・日なので制限されてしまっていた。『細雪』の舞台となった家が残っていて公開されているのを知ったが、ここ!という意識は薄かった。島耕二監督の映画『細雪』(1959年)を観て、次女・幸子の家が倚松庵の写真に似ているのである。他の映画(1950年・阿部豊監督/1983年・市川崑監督)では気にかけなかったことである。これは行かなければ。

 

  • 島耕二監督『細雪』は、自分の中の『細雪』とは違和感があった。阿部豊監督の映画での次女・幸子役の轟夕起子さんをみているので、今度の長女・鶴子役の轟さんはどんなであろうと愉しみにしていた。かなり生活に疲れた主婦として描かれていた。DVDのケースの写真も叶順子さん、山本富士子さん、京マチ子さんの三人だけの写真である。島耕二監督の『細雪』の時、監督と轟夕起子さんは実生活ではご夫婦であり、轟さんだからこその鶴子役なのであろうかと深読みしてしまった。

 

  • 倚松庵』は、一番近いのが六甲ライナー魚崎駅から徒歩2分。倚松庵で購入した『ほろ酔い文学談義 谷崎潤一郎 ~その棲み家と女~』(たつみ都志著)によりますと、六甲ライナーによって倚松庵は移築することになりそれまでから開館まで、様々な苦難がありました。本は読みやすい形式になっていて、谷崎作品も読んでみたくなることでしょう。こちらは映画からの引き寄せでの興味が強いのでその辺は詳しく書きません。途中に小さな公園があってそこの前に石柱が裏表に<是より南魚崎村><是より北住吉村>とあり、この辺りは、住吉と魚崎の両村の間で境界線の争いがあったようだ。そして元の倚松庵もこのあたりらしい。横には住吉川が流れている。谷崎さんも、大家さんと賃借のことですったもんだあったようでそういう因縁の土地なのでしょうか。そのことは、倚松庵の中に資料も展示されている。

 

  • 見学して意外だったのは、思っていたよりも狭いということである。小説のほうは、実物よりも広く表記されている。ただ作品で姉妹の動線を読み込まれているかたは、納得しうなずかれることと思う。これほど実際の倚松庵と『細雪』が結びついてるとは思わなかった。松子夫人を含めた四姉妹の話しであるが、倚松庵がなければ『細雪』は生まれなかった。谷崎作品は発想の斬新さや人間の奥深くにある感情をあぶりだしているが、倚松庵と『細雪』の関係から考えると、実務的に詳細に計算し、計画して設計図をしっかりと設定して書かれていたことがうかがえる。妙子が地唄舞『雪』を舞う場所が、食堂と応接間を開放して、食堂側を舞台、応接間を観客席としていた。日本間と思っていたので、これも新事実である。

 

  • 島耕二監督の『細雪』を観直した。これは、谷崎作品と距離を置いたほうが違う視点が見えてくる。映画は1959年の作品で、戦争後の考えかたが反映されていると思えた。四姉妹それぞれの経済問題が浮き彫りになっている。三女・雪子(山本富士子)は、東京の長女・鶴子(轟夕起子)と芦屋の次女・幸子(京マチ子)の家を行ったり来たりしている居候的存在である。幸子はそんな雪子の結婚相手を見つけて幸せにしてあげようと一生懸命である。鶴子は自分の家族との生活のことで、四女・妙子(叶順子)は愛ある人との結婚と経済的自立を目指す自分のことでいっぱいである。

 

  • ところが、この雪子が大人しくはなく行動的である。姉妹の経済的状況も把握していて、姉妹の間に入って行動するのである。自分の境遇も分かっていながら他の姉妹のことにも手を貸すのである。東京で、雪子は鶴子の家に来づらい妙子と外苑で会う。映画でのその建物の場所がどこであるのか気にかかるのであるが不明である。外苑にあった建物という設定であり、神宮外苑競技場のように思えるが、撮影の時は新競技場である。映画では古い感じで、二人はそこから姉の家に向かうが、古いものから出るというイメージでもあるのだ。

 

  • 鶴子は本家である大阪上本町の家を手放す立場となり、東京暮らしとなる。鶴子が東京から出て来て、売った自分たちの家がビルとなる建設現場で幸子と二人立つ。幸子はせつなくなるが、鶴子は経済的荒波を乗り越えてきているので未練を残さない。やはり轟さんが適任な役だと思えた。一番、家族や経済的に心配のない幸子が姉妹から、幸せだといわれる。それを意識していない京マチ子さん。どんどん荒波に向かう妙子の叶順子さんに対する上の三姉妹との絆は変わらない。雪子の山本富士子さんは、結婚はまだ決まっていないが、悲壮感はない。庭に降る雪が窓から見えるが、細雪ではなくしっかり積もりそうな雪である。倚松庵を思い出しつつ映画をたのしんだ。

 

  • 芦屋市谷崎潤一郎記念館』は、阪神芦屋駅から徒歩15分なのであるが今回はバス乗車。周囲に市立美術博物館、市立図書館などがあり、文化圏としているようだ。春の特別展は「潤一郎時代絵巻 ー戦国の焔(ほむら)王朝の夢ー」。北野恒富(きたのつねとみ)の『乱菊物語』の挿画があるが、これは、千葉市立美術館の『北野恒富展』でもみている。この記念館から借りられて展示していたのであるが、今回も『乱菊物語』を読んでいないのでイメージがふくらまない。北野恒富作「茶々殿」は松子夫人がモデルである。『盲目物語』は、玉三郎さんのお市の方と勘三郎さんの按摩・弥市がすぐ浮かぶ。按摩ゆえにお市の方の体に触れることができる。目はみえなくともその感触がお市の方の美しさを感知しているという世界である。勘三郎さんの台詞の声の調子は今でも残っている。というわけで、谷崎作品の世界も文字での印象からそれてしまった。

 

  • 阪神芦屋駅から徒歩10分のところに、『富田砕花旧宅』がある。この家は、倚松庵の前に谷崎と松子夫人が住んでいた家である。谷崎潤一郎記念館にあったチラシで知った。富田砕花は、新詩社『明星』に砕花の名前で短歌を発表とあり、東京の千駄ヶ谷で新詩社跡地と出会っていたので、芦屋でつながるとは。しかし、訪れてはいないので、また次にとなる。たつみ都志さんが調べられて書かれた『倚松庵よ永遠に』によると、谷崎は関東大震災で関西に移ってから足かけ21年の間に13回転居している。そのうち現存しているのが富田砕花旧宅倚松庵だけなのである。『倚松庵』富田砕花旧宅』『芦屋市谷崎潤一郎記念館』の三セットで訪れるのがよいのであろう。

 

  • 帰りはJR芦屋駅までのバスとした。芦屋川と並行する芦屋公園の間を走りテニスコートがあり、映画『細雪』を思い出す。バスはJR芦屋駅を過ぎ、ぐるっと回って阪急の芦屋川駅前を通る。映画で最初に雪子が階段を下りてくる駅である。映画のほうがすっきりしていて広かった。すぐに芦屋川を渡る。桜まつりで花見客は多いが今年は桜は終わってしまっている。島耕二監督の『細雪』には桜のお花見場面はないのである。『ほろ酔い文学談義 谷崎潤一郎』には、この本の登場人物が芦屋市谷崎潤一郎記念館から芦屋川まで歩いて花見をしつつ阪神芦屋駅へ。阪神電車に乗り香櫨園でおり、夙川の桜をみながら阪急夙川駅までと小説『細雪』に出てくる桜をめでて歩いている。桜がなくても歩いてみたい道である。本にしおりが入っていて、ひまわりの絵の裏に「僕は向日葵が好きだなぁ」谷崎潤一郎 とある。倚松庵こだわりのしおりである。

 

4月4バージョンの旅・B

  • B・歌舞伎関連バージョン/ 嵯峨野線の終わりが園部駅で、終わりと言っても山陰本線に続いているのですが、その園部に日本最古の天満宮『生身天満宮』があります。菅原道真公をご存命中から御祭伸としてお祀りしたので「生身(なまみ)」と称したのです。

 

  • 月刊社報の説明によりますと、かつて園部の地に、菅原道真公の邸殿があり、当時、園部の代官だった武部源蔵は京都からこられる菅原公と交流がありました。太宰府左遷のおり、菅原公は八男慶能君を隠し育てるように源蔵にたくします。源蔵はこれを引き受け、菅原公の姿を御木像として刻み、ひそかに祠を建てお祀りしました。生祠(いきほこら)で、これが『生身天満宮』の始まりで、武部源蔵は、当宮の始祖なのです。

 

  • 歌舞伎『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』では、武部源蔵は寺子屋の先生で、菅原道真公も学問の神様です。そういうことが関係するのかどうかわかりませんが、園部駅から学校が多いです。『生身天満宮』まで歩いて15分くらいですが、静かな田舎の登り坂、下り坂の道で土地としては狭いのですが、新しい学校が建っていて珍しい風景でした。小高い上にお城の櫓がみえ、行きませんでしたが園部城のようで、高校の敷地にあるのだそうです。

 

  • 生身天満宮』鳥井前に一つだけ大きな常夜灯があり、もしかすると道をつくるか何かのために一つだけ残ったのかもしれません。上の本殿を拝する所に屋根があり腰かけもあり、御神楽の舞台でしょうか、そことつながっていて珍しい形でした。当然使いの牛がありなでなで。社務所にここを訪れたかたの情報が掲示されており、猿之助さんも亀治郎時代にテレビ番組で来られていました。松也さんもお詣りに来られています。武部源蔵を祀る『武部源蔵社』とお墓もあり、やはり歌舞伎、文楽などにとっては縁の濃い天満宮と言えます。

 

  • 駅にもどると裏山に樹木の字が。「子のべ」? 「そのべ」でした。頭に浮かびました。「子らよ学べそのべの地」。駅で観光パンフをゲット。園部から美山への周遊バスあり。嵯峨野線で京都へもどり、せっかくなので保津峡で降車。水尾川にかかる赤い保津峡橋を渡り上から保津峡駅と保津川をながめる。徒歩でトロッコ保津峡駅まで15分、ゆずの里水尾まで一時間、鳥居本まで一時間の案内表示あり。歩けそうななコースである。次の機会に。

 

  • 亀岡駅から保津峡駅まで「明智越ハイキングコース」がある。明智越えは光秀が京都の愛宕山に参籠した時通った道で、これは3時間30分(10キロ)できつそうである。亀岡には、元愛宕と呼ばれる愛宕神社があり、京都の愛宕神社はここから勧請(かんじょう)されたとしている。光秀が京都の愛宕山で詠んだ句「ときは今あめが下たる五月かな」。歌舞伎の『時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)』では実悪の美しい武智光秀である。紫紺の衣裳がこれまた色香があり恰好いいのです。黒もあり、色によって印象が違うのも面白いです。

 

  • 大阪の歌舞伎関連場所は、行けそう出て行けなかった、「合邦辻閻魔堂」である。天王寺上町台地の一心寺と天王寺動物園そばの天王寺公園北口信号の歩道橋下にあった。そんな大きな道路に面しているとは思わず、松屋町筋のどこか路地のなかと思ってしまい、地元の人に尋ねたら、「こちらにいらっしゃい。あの歩道橋の下にありますよ。」と教えられる。地下鉄恵美須町駅からきて、申し訳ない。見事通りすぎていた。「浪花名所 合邦辻閻魔堂」の石碑は見落としても「玉手の碑」に目もくれなかったとは嘆かわしい。時間的に戸は閉まっており、またのお出でをということでしょう。歌舞伎『欇州合邦辻(せっしゅうがっぽうつじ)』の玉手は時間の要する役で、そろそろ次世代もじっくり取り組んでいただきたい役である。

 

  • 新世界に寄ると、「グリル梵」の広告板がすぐ目に入った。チョッパーがささやいた。お肉食べて。席が空いていた、ラッキー。新世界が本店というのがいい。カレーにする。よかった!お腹すいていたのでカツともども完食できた。仁左衛門さんのサイン色紙があり、十三代目に見えてしまいご主人にお聞きすると十五代目さんでした。お付き合いが長く、楽屋で書いていただいたそうです。目の焦点の悪さは、他のサイン色紙がどなたのものか全く判別できませんでした。どうやら、谷崎潤一郎さんの『盲目物語』あたりの引きが強いのかもしれません。

 

4月4バージョンの旅・A

  • ワンピース』にちなんで4バージョンの旅にしてみます。A・戦国時代バージョンB・歌舞伎関連バージョンC・谷崎潤一郎バージョンD・大井川鉄道バージョン

 

  • A・戦国バージョン/ 作家の内田康夫さんが亡くなられてしまった。(合掌)。多くの作品で楽しませてくれ、旅の参考にもさせていただいた。そして今回も。さらにこれからも。戦国時代の旅は安土城址でお終いかなと思っていた。ふと、内田康夫さんの戦国時代をモチーフにしたミステリーはあるのかなと捜してみましたら、歴史小説がありました。『地の日 天の海』。徳川家の懐刀でもあった天海が隋風と名乗っていたころ、信玄、秀吉、光秀、信長、家康らの武将に会っていて、その語り部として武将達の行く末を見つめるという形をとっている。

 

  • 時間経過に順序だてて物語は進み、この時はこの武将はどういう立場でということがきっちりと書かれていて、横並びで、武将達の戦さぶりや考え方がわかるようになっている。さらに、隋風は、仏教だけではなく天文学や八卦のようなものも学び、人の性格や容貌から相手の心の内も観察し、隋風がどう思ったかも書かれていて、「本能寺の変」へとぐいぐいひぱっていく。そこまでに至る人の交わりの複雑さも一列に並べて一歩一歩進んで行きつつ人物像も浮き彫りになるという手法のため、大変面白く、今まで読んだり観たりしたものを、見事に整理してくれることとなった。

 

  • 天海大僧正の若い頃は実際にはよく分かっていないのである。そこは推理作家の手腕で若き日の隋風を作り上げている。読み進むと映像やお芝居などでの脚色の度合いも感知でき、この人物が歴史上ではこういう立場かというのも浮かんで嬉々としてページをめくっていった。というわけで、旅として残っていた安土城址に加えて、明智光秀の丹波の亀山城址も行かねばとなり、それではと、保津川下りも当然いれることにした。

 

  • 安土城址へは前の旅からの予定どおり、駅からレンタルサイクルとする。カトリック小神学校・セミナリヨ址に寄る。お城の外堀のそばにあった。そこから百々橋へ。『地の日 天の海』では「隋風たちは百々(どど)橋を渡り、勾配のきつい登城路に入る。途中、摠見寺(そうけんじ)の境内を通り抜けて、城にたどり着いた。」とある。今は百々橋からすぐの登城路からは登れない。見るからにきつい石段である。大手門口から入り秀吉の屋敷跡などを観つつ登って行くが、結構きつい。家康邸跡に摠見寺仮本堂がある。所々に石仏も石段として敷かれている。石材を集める時間が足りなかったのか墓石や石仏等まで集められたようである。

 

  • 天守閣址から干拓されてしまったので遠くに琵琶湖がみえる。この下は琵琶湖の水面が空の色を映していたのである。摠見寺跡からは左手に内湖が見える。ここは残ったようである。信長廟のそばの奉納絵馬の中に、宝塚の月組ファンの方が信長の公演の成功を祈願しているのがあった。摠見寺の三重塔を観ながら下り、仁王門を通り、大手道にもどる。『地の日 天の海』には、正月には信長のもとに年賀に訪れる人の多さに、摠見寺の石段が崩れて死者も出たとある。家族で来ていた男の子の一番好きなのは姫路城とか。秀吉が中国地方を制圧するときの拠点の城である。

 

  • 地の日 天の海』で隋風が華麗な安土城を見た時を次のように記している。「安土城の天守閣は五層七重で、屋根は黒の瓦葺き。軒先の瓦は金箔(きんぱく)を押し。屋根の隅木には風鐸(ふうたく)が吊るされている。最上層の壁も金閣のような金箔押しで、下の層は朱塗りの八角堂という、奇抜な構造である。」さすが簡潔かつ完璧な表現です。

 

  • 丹波亀山城は、明智光秀が備中の秀吉の援軍として出陣した城で、途中、京都の本能寺へと方向を変え『本能寺の変』となる。丹波の反信長勢力の制圧には5年を要している。そのため本腰を入れてこの地に城を築き、保津川から守るように城下に町もつくり、光秀の知と計画性もうかがえる。ところがそれを知ったのは、亀岡市文化資料館での資料からで、そのため、城跡へは行ったが町は歩いていないのである。丹波亀山城跡は宗教法人「大本」の本部となっているようで、観れる部分を歩いてきた。

 

  • 亀山という地名は、明智光秀のときかららしく、家康の時、藤堂高虎が築城し、明治に入って、西郷隆盛の西南の役で城が砦とされるため他の多くの城と共に亀山城も壊されてしまう。さらに三重県にも亀山があるため亀岡と改名する。亀岡の人々は、亀岡のもとをつくったのは、明智光秀としている。観光としては、保津川下りの出発地でもある。個人の予約はないようで、京都からJR嵯峨野線で亀岡に行き朝一番の舟に乗ることにする。番号2番で人が少なく心配したが、団体さんがきて予定時間より15分早く出発してくれた。

 

  • 川幅が狭く、岩が手の届く近さだったり、岩の棹の当る定位置に穴があいており、ひゅーと下ったり、船頭さん三人が前後中と交替され掛け合いも楽しく、その腕前にプロの意気込みを感じ大満足。この保津峡を開削したのが、秀吉時代、御朱印船の貿易商・角倉了以(すみのくらりょうい)。保津川の筏流しによる京都への資材の運搬は桓武天皇時代からで舟運は角倉了以からである。鉄道と道路輸送により、保津川下りは観光として残りました。鉄道の一部もトロッコ列車として残りました。トロッコ列車も座席は木で停まるたびに声があがるようなガッタンの大きなゆれで楽しいです。舟からトロッコ列車もみえました。

 

  • 保津川下りは、嵐山の渡月橋付近に到着です。昭和23年ころまで、お客さんを下した舟は曳綱(ひきづな)を使って、人が舟を引っ張って川を上っていたのです。これも勘と力の必要な重労働だったのです。崖岩に綱のあとが残っていたりします。先に保津川下りをすませ、JR嵯峨嵐山駅から再び亀岡へ。そして丹波亀山城跡へいったのです。そのほうが予定がたてやすいので。

 

  • 次に『亀岡市文化資料館』。ここで思いがけない情報に出会いました。映画『母と暮らせば』で、吉永小百合さんは助産婦さんの仕事をされていますが、その吉永さんが使っていた産婆カバンがここで展示していたものだったのです。企画展「かめおか子育て物語」を京都助産婦会のホームページで紹介したところ、映画関係者のかたがそれをみて、借りにこられ映画出演となったのです。小道具会社のカバンは日常的に使うには大きすぎ、これだと思われたのでしょう。映画の中で棚の上には手術道具の入ったカバンがあるとのこと。吉永さんの持っているカバンが、亀岡市文化資料館のものですので映画をみるときはご注目あれ。ここに一番力が入ってしまった。

 

  • 亀岡は足利高氏(尊氏)が篠村(しのむら)八幡宮に詣り、北条氏打倒に出陣した場所でもあり、絵師の円山応挙の生まれた土地どもあり、京都近いということで、様々な歴史をみてきた町でもあるようです。

 

松竹座『ワンピース』歌舞伎

  • 猿之助さん・ルフィの復帰航海はやはりこの眼で確かめなくてはと大阪松竹座へ電車の旅。まだ痛みや、不自由さがあるのでしょうが、そんなことは忘れさせてくれる全開の猿之助ルフィでした。ルフィはやはりゴム人間だ!ただひたすら楽しませてもらいました。

 

  • 松竹座は空間が狭く芝居小屋という気分にもさせてくれる。松竹座の周辺が、芝居小屋の前という賑わいでワンピース歌舞伎の世界と拮抗しているのが大阪ならではの空気である。商店街の歩く場所に座る場所が設置されているのが、人の波に疲れた人に優しい。おみやげ店が面白い。日本一小さな金平糖があった。フエキ糊の赤いお帽子、黄色いお顔、おめめクリクリの容器に薬用クリームを入れて売っていた。糊と間違えそう。道頓掘に着手したのは安井道頓で、テレビドラマ『けろりの道頓 秀吉と女を争った男』で知る。

 

  • さて音楽が始まるともう『ワンピース歌舞伎』の世界で、そうそうこの感覚。観客の多くがよく知っていて幕が開くともう大きな拍手である。支配人ディスコの第一声のタイミングが難しいくらい。ルフィ登場。空白時間がなかったような継続感。今回は、ルフィが猿之助さんと尾上右近さんのダブルキャストで、イワンコフも浅野和之さんと下村青さんとのダブルキャスト。そのため4バージョンあるのだが、猿之助さんと浅野和之さんのAバージョンのみの観劇。残念であるが、自分の旅もあるので我慢。基本をもう一度。

 

  • <女ヶ島・アマゾン・リリー>では、過熟女の観客の笑い声が。もちろんこちらも負けてはいない。メロメロメロ・・・・。大向うさんの掛け声もさわやかで、エースの登場の<平!>では切れが良く気持ちがよい。<ニューカマ―ランド>では、イワンコフの台詞を聴きつつ笑い、即集中しまた笑う。焼き鳥の台詞あったけ?しぐさに爆笑。蚊、カ、か ~ ~ ~。何回観ても笑わせられる。美女軍団も乗りに乗っている。下村青さんはどうされるのか興味津々。

 

  • ファーファータイムも、待ってましたの時間。上手くはまってしまってなくてはならない世界になってしまった。「ゆず」の『TETOTE』の歌もさらに乗りやすく歌いやすく響く。時間が経つにしたがって一層気持ちにぴったりしてくるから不思議。運命は不思議だね。猿之助さんにとっては手のうちであったのか。

 

  • 海軍本部と海賊団の闘いも見どころ満載で、紙吹雪も劇場いっぱいに乱れ飛ぶ。下からささえるアクショングループの切れの良い動きに、役者さんも負けじと大作烈。そんな中で、白髭の海賊団の家族としての複雑さと想いもきちんと伝わってくる。ルフィとエースの絆も台詞の力の入れ方抜き方が前よりも心地よく伝わってくる。役者さんが交代しても、基本は変わらず楽しみが加わる再演舞台となった。

 

 

映画『ペンタゴン・ペーパーズ』

  • 映画『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書 』を観た。アメリカ主要新聞社で初の女性発行人・キャサリン・グラハムのメリル・ストリープの演技が光る。キャサリンは、父から夫へ受けつがれたワシントンポスト紙を、夫の死後、娘である自分が受け継ぐことになる。主婦で子育てだけをしてきたキャサリンは、何んとか新聞社の経営を上手くやっていこうと努力している。

 

  • 編集主幹のベン・ブラドリーのトム・ハンクスは、他の新聞社のスクープが気になる。特にニューヨーク・タイムズの動きには神経をとがらせている。ベンが机に足を乗せる姿は『大統領の陰謀』のベン・ブラドリー役のジェイソン・ロバーズのほうが様になっていて、個性が強い。身体のつくりがしっかりしたトム・ハンクスは体ごとぶつかるような熱血編集者で、結果的には、最高機密文書掲載のGOサインを出した社主のキャサリンの決断の凄さを反映させる役回りをも担う。

 

  • キャサリンはあちらにもこちらにも気を使い、ベンと食事をしつつこうではと意見をいうが、ベンに記事に関しては意見を挟まないでくれと釘を刺されてしまう。そんなとき何か動きがおかしいとベンが思っていたニューヨーク・タイムズが、政府のベトナム戦争に関する最高機密文書を公表するのである。即、ニューヨーク・タイムズには政府から記事差し止めの圧力がかかり裁判となる。そんな時、ワシントン・ポストにも同じ最高機密文書が手に入る。ベンは燃える。

 

  • キャサリンは最高機密文書が手に入らなければいいがという思惑もあったと思う。キャサリンの表情にその不安がみてとれる。そのあたりのメリル・ストリープの表情の変化が観ている方にもどきどきさせる。キャサリンは国防長官のマクナマラと、夫が生存中から友人関係であった。ベンもJ・F・ケネディとは友人関係である。しかし、新聞人としては別に考えることであると認識する。30年間政府が隠し続けてきたことを国民に知らせなければならない。ベトナムで戦争でこれ以上若者を死なせてはならない。

 

  • ベンの妻は夫の正義感を認めつつ、キャサリンの凄さを夫に告げるが、それが一番キャサリンを正確に評価している台詞となっている。さらに、ワシントン・ポストも裁判にかけられその判決の知らせの電話を受けて、新聞社の仲間に報告するのが女性記者である。6対3で無罪。こういうところも、女性を中心に据えていて上手いと思った。

 

  • キャサリンは、父でもなく、夫でもなく、私の新聞社であると言い切る。キャサリンが、腕を組むと、それを見てベンも同じように腕を組むのが、なんとも好いツーショットである。ニューヨーク・タイムズが最高機密文書を掲載したとき、ワシントン・ポストの一面はニクソン大統領の娘の結婚式の写真だった。それも、ある記者は取材拒否されて代わりの記者に取材させたのである。ベンが熱血感に燃えるのも当然である。

 

  • この映画はキャサリン・グラハムという女性が、きちんと新聞の報道という役目を間違わずにワシントン・ポストを守ったというキャサリンに主眼が置かれている。それを同士として支えたのがベン・ブラドリーで、最後は、民主党本部に部屋のドアが細工されていて、それを、警備員が見つけるという場面となり、ウォーターゲート事件へのつながりを予告するのである。そしてなぜFBIの副長官・マーク・フェルトがワシントン・ポスト紙に情報を流したのかも納得できるわけである。メリル・ストリープとトム・ハンクスの共演もそれぞれの演技のキャッチのしかたも垣間見せてくれる。アメリカの成熟度がわかる映画でもあった。

 

  • 最後のクレジットに「ノーラ・エフロンに捧ぐ」と映された。ノーラ・エフロンとはどんな方かなと検索しましたら、脚本家で映画監督でした。彼女の作品観てます。メグ・ライアンのロマンティック・ コメディ映画。メグ・ライアンは好い意味でキュートでした。『恋人たちの予感』(脚本)、『めぐり逢えたら』(脚本・監督)、『ユー・ガット・メール』(脚本・監督)、『電話で抱きしめて』(脚本)。その他『奥さまは魔女』(脚本・監督)、『ジュリー&ジュリア』(脚本・監督)。俳優中心で監督など気にしてませんでした。申し訳ない。

 

  • ノーラ・エフロンは『大統領の陰謀』で活躍した実在のワシントン・ポストの記者・カール・バーンスタインと結婚していたことがあったのです。そのことをモデルにした映画が『心みだれて』(脚本)でした。メリル・ストリープとトム・ハンクスとも仕事をしています。驚きました。こんな方向に行くとは。

 

  • ペンタゴン・ペーパーズ』の脚本はリズ・ハンナとジョシュ・シンガーで、リズ・ハンナは初めての脚本の映画化のようです。ジョシュ・シンガーは『スポットライト 世紀のスクープ』で数々の脚本賞を受賞。音楽がジョン・ウィリアムズで、サスペンスのような臨場感がある。スティーブン・スピルバーグ監督が、新人のリズ・ハンナの脚本を読んでこれだと思った出会いも凄い。監督の中にキャサリン・グラハムへの想いがあって、これならきちんと彼女を時代の中で描けると確信したのでしょう。その想いは成功した。待たるる映画『ペンタゴン・ペーパーズ』

 

無名塾『肝っ玉おっ母と子供たち』東京公演

  • 昨年(2017年)の10月から能登演劇堂でロングラン公演した無名塾『肝っ玉おっ母と子供たち』の東京公演である。(世田谷パブリックシアター・4月5日まで)能登演劇堂での雰囲気とは違った意味で二回目ということもあり、肝っ玉おっ母(仲代達矢)の台詞の的を射た皮肉の可笑しさや、悲しさ、怒りなどの矢が飛んでくる。

 

  • 能登演劇堂での空間では、戦争に呑みこまれている人々の右往左往する姿をも映しだされたが、世田谷パブリックシアターでは、戦争の中での、一人一人の人物像と一人一人の心の中で思っている言葉が台詞が身近に迫って来る。劇場の空間だけではなく、能登から始まって、東京に至るまで各地で公演してきて、役者さんもその役に一層密着したということでもある。

 

  • 特に、肝っ玉おっ母の二人の息子(進藤健太郎、川村進)が兵隊となったあと一緒に行動を共にする牧師(長森雅人)と料理人(赤羽秀之)の人物像に違和感がなくなり、仲代さんの演技と呼応する自然さが増す。肝っ玉おっ母の女に刺激を与えるあたりも軽くなり、肝っ玉おっ母のあしらいにも可笑しさが増す。そのことで、料理人に娘(山本雅子)を置いて二人だけで小さな食堂をやろうと言われて、心が動き、いやいや娘を捨てれるかというあたりも深くなった。

 

  • 肝っ玉おっ母は三人の子供の性格と考え方をよく分かっていて、三人のことを他の人に語るが、三人の子供たちは、肝っ玉おっ母の心配していた通りの道を見つけ、戦争と言う渦に巻き込まれて命を失ってしまう。ただひたすら家族を守るために戦争によって儲けて生活してきた肝っ玉おっ母にとっても、どうすることもできない力である。

 

  • 肝っ玉おっ母が町に行っている間に町が攻撃されることを知った娘は言葉を発することができないため太鼓をたたいてそれを知らせようとして撃ちころされてしまう。お前の母親は助けてやると兵隊に言われても娘はたたき続ける。それは、農婦が、町には姉の家族がいてこどもが4人いるのにと嘆くのを聞いたからである。娘の遺体をみて肝っ玉おっ母は、どうしてこの娘の前で子供の話しをしたのかと嘆く。肝っ玉おっ母は娘のことをよくわかっていたのである。

 

  • 肝っ玉おっ母からでる言葉は商売、商売である。守るべきは、商売道具の引き車である。車を売ったお金を賄賂にして小さい兄ちゃんの命を助けようとするが、値切ってしまい助けることができなかった。肝っ玉おっ母は「敗北の歌」を歌う。陽気に歌った肝っ玉おっ母もついに「敗北の歌」である。しかし肝っ玉おっ母は立ち上がる。元気なときには、兵士が上司のために働いたのに女にお金をやって自分には報奨金が少ないと怒ると、肝っ玉おっ母はいう。怒るなら長く怒りなよ。すぐ忘れるんじゃない。兵士は上司の座れの命令に、すぐ応じて座ってしまう。肝っ玉おっ母は、ほらすぐ従ってしまうと笑う。こちらも笑ってしまう。

 

  • やはりブレヒトさんなかなかである。芝居の中に、現代にも通じる皮肉を忘れない。そういう台詞のひとつひとつの繋がりで、芝居が出来上がっていることをあらためて感じさせてくれる舞台となった。仲代達矢さんは能登とは変わらず、さらなる舞台人としての円熟と元気さを発揮されていた。嬉しいことである。