平将門の伝説と史実

歴史的伝説と史実というのはその境目が難しい。興味を持ったが運のつきで、気にもしていなかったことが気になり始め、底なし沼に足を取られかねない。

友人が茨城に引っ越した。やっと訪問することができた。最寄りの駅が関東鉄道常総線の駅である。この線には、石下駅、下館駅がある。石下は、いしげ結城紬の町で、ここに行って結城紬といしげ結城紬が別ものであることを知る。さらに小説「土」の長塚節誕生の地であることも知りその方が興味深かった。夏目漱石の推挙で朝日新聞に連載されたのである。短歌から小説へと才能を伸ばすが36歳で亡くなる。映画「土」は内田吐夢監督である。

そして、平将門の館跡と思われる将門公苑がある。これは、後になって将門が身近に出没し気がつくのである。関東鉄道常総線の辺りは将門伝説と史実が入り組んでいることだろう。

下館は陶芸家板谷波山さんの生まれた町であり、波山さんが完成させた葆光釉磁(ほこうさいじ)は光沢を押さえつつもその曲線部分に柔かな光の反射を投げかけられる。下館には「板谷波山記念館」がありこの辺りもプラプラと歩いたのである。板谷波山の映画もある。「HAZAN」(監督・五十嵐匠/主演・榎木孝明)。波山没後50年でドキュメンタリー映画「波山をたどる旅」(監督・西川文恵)も出来たらしい。

友人宅のほうは、心地よいおもてなしで将門も波山も飛んでいた。今度機会をみて話すこととする。

将門伝説のほうは、水木洋子邸でサポーターの方から教えられたが、市川市のパンフを見ていたら書かれてあった。市川の大野に将門の出城があったらしく、大野城跡とある。歴史家によると市川には来ていないという説もあるようで、馬を駆使しての行動であるから、ここに城や屋敷は作らなくてもこの地を眺め渡した将門の姿はあったであろう。大野にある駒形大神社の祭神とし将門も併祀(へいし)されている。市川市役所の前に、八幡知不森(やわたしらずのもり)というのがあり、それは、平貞盛が将門の乱のときここに八門ある陣をしき、その死門の一角を残していてこの地に入るものにたたりがあるとされている。八門とは、開門・休門・生門・傷門・杜門・景門・死門・驚門で、開門・休門・生門の三門は吉門の方位を示すようだ。当然、死門は悪い方位であろう。行ってはいないが、森というより藪のようである。

御代の院と呼ばれるものもあり、これは、京都の菅野氏が将門平定のため関東に下り、その妻の美貌を使い将門に近づき内情を知らせさせ、それにより、将門は田原藤太秀郷の強弓に首を射抜かれた。その後、菅野夫妻は仏門に入り将門を弔いこの世を去ったが、その心根に里人が夫妻を祀り、これを御代の院と呼んで今日にいたるのである。

この御代の院の近くに幸田露伴終焉の地があり、露伴さんは「平将門」を書いており、将門伝説の残る地で最後を送ったというのも思えば不思議なことであるが、司馬遼太郎さんは関東・東北は馬文化であると言っており、馬の進むところ武士ありで、坂東武者の祖の将門は今も神出鬼没と言えるかもしれない。