折り紙から映画へ

友人が新しい年なので会いましょうというので、どこか行きたいところはと尋ねる。ジュサブロー館、おりがみ会館ゆしまの小林、村上隆の五百羅漢図展、いい映画をやっていれば岩波ホールで映画、思いつくままにとのこと。

おりがみ会館を調べると御茶ノ水である。神保町の岩波ホールへは歩いていける。

岩波ホールでの映画は『ヴィオレットーある作家の肖像ー』。<彼女を支え続けたボーヴォワールとの絆>との文が目を引く。

ヴィオレット・ルデュック。全然しらない作家である。監督は映画『セラフィーヌの庭』のマルタン・プロヴォ監督である。

御茶ノ水駅で待ち合わせ、「おりがみ会館」へ行き、近くでランチをして、岩波にするか、移動して違う映画館にするか、会っての時間と好み次第である。時間調節として明治大学の「阿久悠記念館」も視野に入れる。

「おりがみ会館」なるものの存在を知らなかった。会館の前にあった案内板によると、<幼稚園発祥の地・教育折り紙発祥の地>とある。江戸時代に初代小林幸助さんはこの地で襖紙加工業をはじめた。明治になって初代文部大臣の森有礼さんが、折り紙を日本教育に取り入れ、正方形の折り紙を小林染紙店が製造し始めるのである。正方形の折り紙はここで作られたのだ。

ゆしまの小林には、落語家の黒門町の師匠こと桂文楽さんが勤めていたこともある。さらに、あの絵師川鍋暁斎さんが、隣に仮住まいしていたともいわれているのであるから驚く。文楽さんはたばこ入れ屋にもいて、たばこ入れの収集家でもあった。たしか「たばこと塩の博物館」に寄贈したはずである。

かつては、和紙を揉んだような江戸しぼりの作業もしていたようであるが、今は染めだけを工房で見せてくれる。はけで真っ赤な染めをしていた。

展示階には折紙のお雛様が展示されていたが、折り方も素晴らしいが和紙の質感と色、模様なども美しい。

売店にも沢山の和紙があり、渋い粋な縞から友禅柄、現代的模様まで、額にいれて眺めていたいような美しい多様な種類であった。

折り紙の講習などを通じて、和紙や折り紙の良さを伝えて行きたいとの趣旨の会館のようである。

ゆっくりできるであろうと近くのホテルでランチをする。友人は、次は岩波での映画優先ということで、混雑状況がわからないのでランチのあと早めに映画チケットを購入。整理番号20番なので安心である。「阿久悠記念館」はパスしてお茶をして時間調整とする。

映画『ヴィオレットーある作家の肖像ー』は、私生児で自分の生き方を見つけることが出来ず、母との確執などから、男性など人に愛されたいとだけ望んでいるような女性が、書くと言う行動に向かう。彼女はボーヴォワールに作品を読んでもらう。ボーヴォワールは彼女の生きる道は書くことにあると判断して、書くことによって全てを吐き出すことを勧める。

処女作『窒息』は世間には認められず、ボーヴォワールのほうは『第二の性』が大評判となる。ボーヴォワールにときとして寄りかかりたいヴィオレットとの距離をボーヴォワールは彼女流の距離感で保ち、援助しつつもヴィオレット自身の自立の道を見守る。このあたりが微妙である。ヴィオレットが真っ逆さまに転落する可能性もある。

しかし書くという行為をヴィオレットは捨てなかった。ボーヴォワールからも自立して書く行為と果敢に闘う。そして、恋もする。彼女はかつてのように、恋の裏切りも、自分の生い立ちや姿かたちの美醜のせいにはしなくなった。彼女は書きつづけ、作家として自立の道を切り開くのである。

対称的なヴィオレットとボーヴォワールの姿形、服装なども加え、その関係の危うさとどこかで流れる電流のようなつながりと火花が面白い。

鶴の折り方で翼のところで繋がった連鶴があるが、あのわずかな繋がりのように、心もとないが切れても一羽の鶴として飛び立てて、相手を眺められる状態というのも大切である。

友人の提案から、楽しい一日であった。