新たな視点 <江戸・文七元結・寅さん>

加来耕三さんの講演会『すみだと北斎&海舟 歴史裏話』を聞きにいく。<北斎&海舟>なら聞きたいと思ったのだが、希望者が多くめでたく抽選に当たったのである。時間は1時間で加来さんいわく、いつも1時間半なので短めでと言われたが、まさしく、勝海舟さんの話が短かった。

まず歴史は疑ってくださいとのこと。江戸っ子というが、いつからが江戸っ子なのか。<火事と喧嘩は江戸の花>というがどうしてか。火事が多かったことはわかりますが、どうして喧嘩が多かったのですか。

時代劇でいえば、江戸の火事は火消しでマトイである。恰好いい。その火消し同士がけんかするのであるから、てやんでとなってやはりいなせで花なのではないかなと思ったら、喧嘩が多かったのは、言葉が通じなかったからとのこと。江戸をつくるために地方から人が集まってきているため、言葉の壁がありコミュニケーションが大変だったらしい。江戸弁ができあがるのはずーっと後ということになる。

江戸のシンボルマークは江戸城だったが、江戸城の天守閣は焼けおち、新しいシンボルマークを打ち出したのが、葛飾北斎の富士山。加来さんの言われたごとくこれも疑ってかかりたいところであるが、いやこれはおみごとである。もしかすると、江戸城の天守閣が残っていたら、葛飾北斎さんはここまでの賞賛はえられなかったかもしれないし、北斎さんの絵の発想も突き進まなかったかもしれない。技と発想が上手く結びつくということ、これは鑑賞者に幸せをもたらしてくれる。

「暴れん坊将軍」の吉宗の時代はもう天守閣がなく、あのテレビに映るお城はどこか。疑問をもつと最初からしっかり見ることとなる。タイトルだけ見たりして。

いつの頃からであろうか、大河ドラマも、物を食べる演技でその人物の性格を誇張するようになった。さもいわくありげに食べるのである。食べる回数が多すぎ、あれは個人的につまらないシリアスな演技だとおもう。

『東海道中膝栗毛』は初めてのベストセラーで次が『東海道四谷怪談』で、先の<東海道>にあやかって『東海道四谷怪談』としたということで、これは私もなぜと思ったのでピンポンである。ちなみに、実際の旧東海道歩きは、鈴鹿峠越えを残して、京都三条大橋まで到達した。この暑さの鈴鹿峠越えはひかえたのである。到達してみると残っているのも、楽しみがもう一度あるということで良いものである。歌舞伎座八月の『東海道中膝栗毛』はラスベガスに行くそうで、お手並み拝見とする。

勝海舟さんに関しては、海舟さんの祖父の話で終わってしまい残念であった。お金のあるものが御家人株を買うという時代になっているわけで、函館の五稜郭にいってみて、海舟さんに対する興味がつよくなったのと通じあい加来さんのお話しは大変面白く参考にさせてもらった。

江戸時代は長いわけで、江戸時代といってもどこのあたりという視点が必要のようである。

視点ということで、映画の山田洋次監督から新たな視点を授けてもらった。シネマ歌舞伎『人情噺文七元結』『連獅子/らくだ』の演出をされていて、歌舞伎学会の企画講演会でお話しを聞けた。

シネマ歌舞伎、落語、映画関連の話しが様々な角度から聞かせてもらったが、そのなかでも、新しい視点が二つあった。一つは「文七元結」の長兵衛は文七に会って幸運であったというのである。長兵衛は、バクチ好きの借金だらけのどうしょうもない人間である。人情噺の主人公になるような人間ではない。ところが、お店の大切なお金を紛失してしまい死ぬしかないという文七に出会い、長兵衛は娘のおかげで手にしたお金を文七にやってしまうのである。

この出会いがよりによってなんで俺なんだよと長兵衛は思うのである。えいっとお金を渡し走り去る。そのあと、しがない長屋の住人はとてつもない情のある主人公として光輝くのである。文七に会っていなければ、真面目になった長兵衛であろうか、もとの黙阿弥の長兵衛である。

もう一つは、『男はつらいよ』の風景映像である。山田監督は、この映画のために様々な場所へいかれるが、寅さんならこの風景をどうみるであろうかと思われて観ているといわれた。函館での寅さんの映画は三本ある。函館をロケ地としている映画は調べて観た限りでは30本ほどあり、海、港、函館山、倉庫群、洋館、教会、路面電車など絵になりやす場所で観ながらあそこだということがわかるのである。ところが『男はつらいよ』の場合、「函館」とクレジットされないとわからないほど観光的な場所はさらりとしている。

そうなのである。寅さんが観る風景は自分の商売が成り立つ場所と寅さんがかかわりが出来た人の生活の場それが見えているのである。

山田監督の映画の中で歌舞伎役者さんが出演している作品ということで『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』を観た。マドンナはいしだあゆみさんで、そのマドンナと出逢うのが京都の陶芸家役である十三代目片岡仁左衛門さんの家である。葵まつりの場面がでてくる。それは、寅さんが商売をしつつみているような映像である。仁左衛門さんに連れられてお茶屋にいくが、寅さんが心配してのぞく先にあるお茶屋さんである。

寅さんにとって知られている有名な場所、建物、寺院仏閣など関係ないのである。自分の眼でみた風景が、心地よいか、楽しいか、悲しいか、苦しいか、嬉しいかなのである。今まで寅さんを観ていてウケを狙っている台詞かなと思ったりした台詞が、これは寅さんにはそう見えているのだとわかり、新鮮な眼で映画が観れたのである。

その寅さんの視点で風景をみつつ映像をみると風の向くまま、気の向くままの気分になる。そして人間国宝の陶芸家の大先生も寅さんにとっては<じいさん>であり、お茶碗もただの茶碗なのである。

もう一つ山田監督は映画を観た土地のひとが、自分の住んでいるとこは良いところだと思ってくれるように撮りたいといわれていた。

勘三郎さんは、資料の山田監督との対談で、<あたらしい古典>という言葉を使われている。技と新しい視点が合体した古典という意味なのではないかと思った次第である。そうなのである。その勘三郎さんを観たかったのである。

視点と実証、視点と技。こちらは視点と好奇心を苦もなく頂戴させてもらう。