織田信長関連映画・テレビドラマ(2)

  • 織田信長  天下を取ったバカ』、映画は『若き日の信長』、『風雲児 織田信長』三作品は観た時間が経過してしまい記憶の曖昧さが出て来て再度観る必要が生じてしまう。

 

  • テレビドラマ『織田信長 天下を取ったバカ』(1998年/原作・坂口安吾『信長』/織田信長・木村拓哉)。父・信秀とは心が通じていたが、実母・土田御前からは行動の粗野さからうとまれ、母は弟の信行を寵愛し織田家の跡目は信行と決めている。父の突然の死。信長は、ますます疑心暗鬼になり肉親をも信用しなくなるが弟とは心を通わす。そんな中で、一人心許していた教育係りのじい平手政秀が信長をいさめるために自刃する。内だけでなく外にも敵がいる信長は、濃姫の父・斎藤道三との対面にのぞむ。道三は、信長の供の兵の数の配分と衣服を正して舅の自分と会う振る舞いにただのうつけでないことを見抜く。

 

  • 美濃の道三に認められながら身内の弟を殺さなければならぬ運命を、信長は変えることができなかった。若くして内と外に敵のいる環境に生まれ、優れた軍略家信長の悲哀と爆発の基盤の時期である。桶狭間で今川を倒す前の信長の若き日の姿であり、信長役の木村拓哉さんの年代との合わせ方が功を奏している。原作が坂口安吾さんというのが目をひく。『桜の森の満開の下』『夜長姫と耳男』を書いた坂口安吾さんの信長の歴史小説である。原作と脚本(井上由美子)の相違を探りたくなる。

 

  • 映画『若き日の信長』(1959年/監督・森一生/原作・大佛次郎/織田信長・市川雷蔵)。モノクロである。映画的には市川雷蔵さんはモノクロが似合う俳優さんで森一生監督なのでかえって面白く観れた。歌舞伎『若き日の信長』の初演は1952年である。織田の家臣日高城主・山口左馬之助は、娘・弥生を信長の清洲城に人質として送るが今川義元と手を結でいる。映画ではここから始まるので弥生の立場がよくわかった。ここでの信長はうつけだけではなく、山口左馬之助の文字を真似させ、左馬之助が今川を裏切るニセ手紙が今川に渡るように仕組む。今川はニセ手紙に踊らされ左馬之助を斬ってしまう。信長は弥生に温情の眼差しをなげつつ、同時に自分の冷徹さに目をむけている。

 

  • 父が信長をいさめるため自刃したことから、信長に仕えながらも混乱してしまう平手政秀の三男・甚三郎(二代目白鸚)。織田家では信長の弟・信行を擁立しようと林美作守が策謀しており、信長に恨みを持つ小萩を弥生の世話係とする。その小萩に恋する若き甚三郎。信長は孤立しつつも全てに目を凝らし手をうち林美作守を逆臣として討ち果たし、信長は弥生の鼓で幸若の「敦盛」を舞い桶狭間へ馬を走らす。もちろん平手の三兄弟も後に続く。映画前半では白鸚さんも「敦盛」を舞う。雷蔵さんらしい派手さを抑えた術策権謀家の信長を見せる作品である。

 

  • 歌舞伎の『若き日の信長』は、2015年に海老蔵さんが信長、左團次さんが平手政秀、孝太郎さんが弥生、松緑さんが藤吉郎で上演している。わかりやすいようでいて難しい作品であると思った。うつけの信長が観る者の周知のことなので、芝居の出にこのうつけは何をやらかしてくれるのかという期待もある。その観客の気持ちをどう運んでくれるのか。海老蔵さんの信長の完成度は次に期待している。

 

  • 映画『風雲児 織田信長』(1959年/監督・河野寿一/原作・山岡荘八『織田信長』/織田信長・中村錦之助)。1955年に河野寿一監督は『紅顔の若武者 織田信長』をモノクロで撮っている。原作も山岡荘八さんの作品で重要な配役も同じです。織田信長・中村錦之助さん、平手政秀・月形龍之介さん、斎藤道三・進藤英太郎さんで残念ながら観ていませんが、この組み合わせは『風雲児 織田信長』でも光っていますからもう一度と思ったのでしょうか。月形龍之介さんのあの独特の声の台詞が、信長を想う気持ちを奥深く抑えているのが伝わる。左團次さんの平手もよかった。

 

  • 平手政秀は信長をいさめての自刃だが、この映画では信長が平手の手腕に甘えていて自分は放蕩していても大丈夫なのだという気持ちが信長の中にあるのを知って自分は消えることを決意。父が亡くなり、自分を支えてくれていた平手が亡くなりその悲嘆が大きな山場だが、もう一人味方がいました。濃姫です。香川京子さんの濃姫が賢い。平手の死は、信長に斎藤道三に一人立ち向かう機会を作ったことになり、衣服を正しての信長の押し出しは、さすがスターとおもわせる。娯楽時代劇のよさを加味して見せ場を楽しませる映画である。今川義元との戦いも、古きを破る新しい風を感じさせる。

 

  • 錦之助さんの映画で『反逆児』というのがある。ずーっとこれも信長を主人公にした映画と思っていた。同じような映画をまた撮ったのかと手にしなかったが、この際と手にしたら信長ではなく、家康の子・信康が主人公であった。これがなかなか面白かった。

 

  • 映画『反逆児』(1961年/監督・脚本・伊藤大輔/原作・大佛次郎の戯曲『築山殿始末』。主人公の中村錦之助(萬屋錦之介)は、家康の嫡子・松平信康の役で、織田信長は月形龍之介さんである。家康の正室で信康の母である築山殿は今川義元の血を引き、今川の人質として家康と結婚する。子の信康は、信長の娘・徳姫と結婚する。築山殿にとって、今川を倒した信長など認められず当然、徳姫のことも気に入らない。今川の血をもう一度と願っている。

 

  • 信康は戦にも長けていて、戦勝の宴の場で、舅・信長に請われてひとさし舞う。それが、信長が好む小唄の「死のうは一定 しのぶ草には何をしょうぞ」を、若い者には若い者の歌があるとして、替え歌にする。男は「死のうは一定 ただひとすじに死するばかりぞまことなりける われおのこよ」で、女は「生きるも一定 ただひとすじに恋するのみぞまことなりけり われおみなえや」と唄い舞う。ところが、この唄とは反対に、信康は、自刃することとなり、徳姫の想いは信長とすれ違い父・信長に訴状を送る結果となってしまう。

 

  • 信長は娘徳姫の訴状などよりも、信康が自分に似てい過ぎると若き芽を摘むのである。今川の血を引く築山殿が武田家と通じていた疑惑を、家康の家臣は信長の前で簡単に認めてしまい、家康の迷う気持ちをわかっていて築山殿と信康の命を絶たせるのである。信長の娘徳姫と今川の血の築山殿の確執など、複雑な人間関係の中にあっても、自分の力で未来を切り開いていけると何の疑いもなく才気を発揮する信康。若々しい力にみなぎって前にすすむまぶしいくらいの錦之助さんの信康である。

 

  • 家康が佐野周二さん、築山殿が杉村春子さん、徳姫が岩崎加根子さんで、このあたりを時代劇スターにしなかったところが、壁に囲まれた信康の無念さが映し出される。最後に上手く介錯できない信康を慕う家臣に「あわてるな」と声をかけ腹をみせ、信長が芽を摘みたかった冷徹な眼のたしかさを想わせる信康の最後である。(天正7年)

 

  • 獅童さんが初代錦之助さんの十三回忌に大阪松竹座で『反逆児』を演じられていたのを近頃知る。映画『反逆児』を観て、もし、初代錦之助さんが歌舞伎を続けていたなら、荒事も似合う役者さんになったのではとふっと思う。新春浅草歌舞伎の『義経千本桜 鳥居前』では、隼人さんが狐忠信の荒事をやり、これが似合っていた。タイプとして違うのではと思っていたので驚き。二代目錦之助さんが『操三番叟』の翁では、品があり年代を感じる。我當さんの風格ある翁も浮かび、二月歌舞伎座では、お元気なお姿を舞台で観られ嬉しかった。

 

  • そろそろ、新幸四郎さんの染五郎時代の、信長関連映像にいきますか。その前に、信康のお墓は遠州二俣城址、清龍寺内にあるが、信康関係が東京にもあった。東京の日本庭園の紹介冊子を見ていたら、最後に『京王百草園(けいおうもぐさえん)』が載っていて、行っていないなあと眺めていたら「江戸時代の享保年間(1716年~)、小田原城主大久保候の室であった寿昌院慈岳元長尼が徳川家康の長男・信康追悼のため当地に松連寺を再建しました。その後、時代を経てつくられたのが京王百草園です。」と。さらに信康の妹・亀姫が「宇都宮城釣天井事件」の黒幕だったという説もある。