歌舞伎座9月『俊寛』『幽玄』

  • 俊寛』。今回は芥川龍之介さん、菊池寛さん、倉田百三さんの『俊寛』を読んでみた。鬼海ヶ島にひとり残った俊寛は生きのびていてそこへ都で仕えていた童の有王が尋ねてくる。芥川さんのほうは、俊寛は何んとか生きていくと有王をかえす。菊池さんのほうは、成経は島の娘と結婚するが島に置いて行ってしまいう。俊寛はといえば、たくましく魚を採り畑などを耕し、結婚して5人の子持ちとなっている。既に清盛の時代ではなくなっているが、都には未練がなく俊寛は死んだとしてくれと有王をかえす。倉田さんのは、有王は俊寛と共に島で暮らし、俊寛が亡くなるとその遺体とともに海に飛び込むのである。

 

  • 近松門左衛門さんは、迎えの使者として瀬尾太郎兼康を登場させている。俊寛、成経、康頼の人間関係は上手く行っている。成経に千鳥という恋人があらわれると俊寛は祝言の盃事をしてやる。千鳥も、康頼を兄、俊寛を父と想っていると慕う。そこへ、赦免状を持った船があらわれる。その使者である瀬尾がとにかく清盛の権威を全身で背負っているような人である。俊寛赦免の名がないのをざまあみろとばかりの悪態である。頭をかきむしって転がって悲嘆にくれる俊寛。

 

  • そこへ、丹左衛門尉基康が現れ、清盛の子・重盛の情けによって備前国・岡山まで帰参を赦すとの赦免状をみせる。皆喜ぶのである。どうして基康はすぐ自分の持参している赦免状をみせないのか疑問であった。これは、平家のなかにあっても瀬尾のような清盛しか頭にない人と重盛ならこう裁くのだがという人もいたとの権力構成を表しているようにおもえ、とにかくうるさい瀬尾に言いたいだけ言わせないとかえって面倒だとの思惑のようにおもえる。

 

  • ところがここで一つ問題が生じる。千鳥である。成経も千鳥を一心同体と想っている。しかし瀬尾は乗せるわけにはいかないという。三人だけであると。成経は残るといい、それなら皆も残るという。そこで瀬尾のさらなる言葉が飛ぶ。俊寛の妻・東屋は清盛に従わなかったために首をはねられたとつげる。清盛に従わない者は許されないという平家の世を支えているのが瀬尾のような人間なのである。近松門左衛門さんは、台詞少なくとも時代をきちんと表現している。呆然とする俊寛をはじめ三人は船に押し込められてしまう。

 

  • 残された千鳥のクドキである。島の娘である。時代的に言えば主人公になりえない存在であるが、ここも近松さんはきちんと浮き彫りにして千鳥の心情を押し出してやる。その心情を妻の死と重ねたのが俊寛である。帰ったところで自分に何があるのだ何にもないのである。父と慕ってくれたこの娘を幸せにしてやろう。その想いが瀬尾を殺す原動力となる。観客もそうこなくちゃである。基康は、君がごちゃごちゃいうからこんなことになってしまったんだから、僕は見物するよである。しかし、それを成し得て一人残って船を見送った後に俊寛に見えてくるのは・・・

 

  • 心中物にしろ、登場人物を取り巻く世界というものを近松さんはきちんと構築している。無我夢中で自分の道を見つけ出すのであるが、気がついてみればのっぴきならないところにはまっている。そういう道筋のつけかたは観ている者は自然に運ばれていくが、客観的にながめると用意周到に仕組まれているのである。心理劇だけにはしないしたたかさがある。その用意周到さを感じさせないで、それぞれの役にはまって隙間なく埋めてくれたのが下記の配役の役者さんたちである。
  • 俊寛僧都(吉右衛門)、海女・千鳥(雀右衛門)、丹波少将成経(菊之助)、平判官康頼(錦之助)、瀬尾太郎兼康(又五郎)、丹左衛門尉基康(歌六)

 

  • 幽玄』。他の劇場のときとかなり変えられていた。歌舞伎座ということもあってか、歌舞伎役者さんが多数登場し、「羽衣」「道成寺」「石橋」を、「羽衣」「石橋」「道成寺」の順番にして、「道成寺」を夜としたのである。

 

  • 「羽衣」が全く明るい舞台としていて場内がザワザワしているところに奏者さんが現れ、これは前の薄暗い中から現れたほうが神秘的でした。伯竜が三保の松原で仲間と釣りに来て、木に掛けてある羽衣を見つけるのが朝だからでしょうか。釣り仲間がおおぜい出てきたのには驚きました。歌昇さんを中心に11名です。動きは一糸乱れずで綺麗でした。衣裳が上はブルー系で下は白の袴。動きを見ていて、これを波としても生かして欲しかったとおもいました。ひろーい海。役者さんも今回は貴重な経験をされた。(喜猿、千次郎、玉雪、鶴松、種太郎、萬太郎、弘太郎、吉太朗、猿柴、蔦之助)

 

  • 「石橋」は、歌昇さん、萬太郎さん、種之助さん、弘太郎さん、鶴松さんの五人が獅子の精となってあばれます。能の世界、打楽器、歌舞伎役者さんの身体的表現を合わせるとどういう表現ができるかという試みのようでもあり、これが一番わかりやすかったです。打楽器の力強さと一体にになっていた。

 

  • 「道成寺」の花子の玉三郎さんの鞨鼓(かっこ)の音が太鼓の音に負けてしまい全然聞こえなくて、玉三郎さんが動き回って指揮をとっているような感じで残念であった。蛇体が花四天の方達が20人以上であろうが太鼓に合わせて動きこの息の合わせ方はみごとであった。それに対する僧侶もでて、これだけの人数を動かす構成の緻密さにおもいいたる。かなりの実験的舞台であった。秀山祭、自分が初代だと思って若い役者さんは、切磋琢磨してほしいですね。