九月歌舞伎座『東海道四谷怪談』

最初から伊右衛門(仁左衛門)の悪にぶつかってしまいました。普通は徐々に伊右衛門の悪に引っ張られていくのですが、今回は伊右衛門から御主人のために薬を盗んだ小仏小平(橋之助)が捕まって、指十本を折ってしまえのひとこと。その嗜虐的残酷さは知っているのですがここから入られると一気に悪の世界の異常さに連れ込まれ、南北さんは凄いことをさせていると衝撃でした。

この悪の世界に迷い込んだお岩さん(玉三郎)。彼女のそのひとこと、ひとことのセリフから伝わってきます。すでに伊右衛門の邪険さは知っていますが、親のあだ討ちのためと我慢して耐えています。現代人としては、そこまで我慢してのあだ討ちが疑問になってきますが、武士の家族にとっては第一主義の重要なことなのでしょう。

そこへ、隣の伊藤家から子供の着物と、薬を届けてもらい、お岩さんにとっては地獄の中の仏のようなありがたさでした。お岩さんの様子から人の情けにほっとしたほのぼのとした心持ちがわかります。

それだけにこれが裏切りであったならお岩さんの恨みはいかばかりかということが想像できます。顔がみにくくなり、髪が抜け、それまで武士の妻としてつらくてもきりっとしていた姿は、見事に崩れていきます。その崩れ具合が、お岩さんの心も壊れてしまったのがわかりますが、母親としての心だけは維持していました。

それに比べて伊右衛門はこんな非道な人間もいるのかと思わせます。次々と悪道を考え出すのです。今回はその悪道のリアリティが濃かったです。

お岩さんが醜くなるのは薬が原因なのですが、お岩さんの心の恨みが爆発したようにも観えてくるのです。観るほうは、この後のお岩さんは死んで恨みをはらすのだと納得していて、恨みを晴らさずにいられるものかと待ち望んでしまいます。

残念ながら、今回はそれがありません。何か拍子抜けでした。それほど凝縮した濃厚な舞台でした。

伊右衛門の「首が飛んでも動いてみせる」のセリフがこれほどリアルに響くとは。そういう男なのよ伊右衛門は。神仏をも恐れぬ男なのです。仁左衛門さんの中に伊右衛門が入り込んでいました。まずいこれは。やはり伊右衛門をお岩さんの恨みで封じなくてはと思わせます。

その悪の世界に顔を出した直助の松緑さんも悪の世界を壊すことなく「首が飛んでも動いてみせる」のセリフを引き出しました。ここで悪が薄まっては台無しです。そして、成仏できない戸板のお岩さんと小仏小平。

そのあとのだんまりで、伊右衛門、直助(鰻かき直助権兵衛の小幅の足使い)、与茂七、茶屋女おもんの登場です。伊右衛門に不義密通の罪にされ戸板に打ち付けられたお岩さんと小仏小平は茶屋女おもん(玉三郎)と与茂七(橋之助)として登場し、お岩さん役者・玉三郎さんが美しい玉三郎さんとして復活したのはよかったのですが、やはり不完全燃焼に終わってしまったのが無念でした。それにしても凄い『東海道四谷怪談』でした。

今回の芝居でさらに確認しました。セリフで心の内を発することができますが、それだけではどうしても表すことはできません。それをもっと観客に伝えたい。そこから生まれたのが型であり身体での表現です。ある意味異形での表現となりますから、それが観客に自然な流れで伝え納得させるにはそれなりの技が必要になってきます。

それにしても、実際にあったとされる本所砂村に流れついた心中の死体と、不義をした妻の死体を杉板に打ち付けて流したという二つを結び付け、戸板返しで舞台で見せたという四世鶴屋南北さんはやはりただ者ではありません。

もちろんそれを舞台で再現する役者さんも。

宅悦(松之助)、伊藤家→喜兵衛(片岡亀蔵)、お弓(萬次郎)、お梅(千之助)、乳母おまき(歌女之丞)