四万十川 四国旅(3)

四万十川で尾形船に乗る。バスで佐田の沈下橋に行くか船に乗るかの選択だったのだが船にした。バスガイドさんがどちらも捨てがたいと。佐田の沈下橋の周りの自然も見たかったが、映画「君が踊る、夏」で我慢。川の水かさが増えて橋が沈んでも抵抗の少ないように、倒れた木などが流れてきても橋に引っかからないように欄干がない。自然に溶け込んで美しく長年の人の知恵と思うが、車などは注意を要するであろう。映画の主人公の恋人も車が通り川に落ちそうになる。佐田の沈下橋が河口から一番近い沈下橋で四万十川にはかなりの数の沈下橋があるらしい。

船のほうも良かった。船を待っていて投網漁、柴漬漁、青のり採りを見せてくれる。投網漁は綺麗に網が広がる。川が静かなときはよいが荒れているときは小舟の舳先に立って投げるので難しそうだ。柴漬漁は椎の木などの枝を束ねた物(柴)を川に沈め、枝の間に潜んでいたウナギやエビなどを柴の束ごとすくいとるのである。今回は雪が降ったあとでどちらも収穫はなかった。養殖用のシラスウナギも捕るのだそうだが近年なぜか収穫が少ないそうで、このとき捕らえられなかったウナギが天然ウナギになるわけである。

四国遍路道、札所37番岩本寺から38番金剛福寺への道もあり大師堂も見えた。弘法大師空海が四万十川の氾濫に苦しむ人々のためにここに結界を作り祈ったところである。映画「空海」(佐藤純彌監督)は空海の生涯をダイジェスト版で知ることが出来、ロケも雄大である。

「君が踊る、夏」の主人公の部屋からも四万十川が見えていた。四万十川を舞台にした映画「四万十川」(恩地日出夫監督)もある。この映画は録画しておいて見始めたがドラマ性に長けた映画ではないので前半でやめてしまい、今回見直そうと捜したがない。残念である。

 

龍馬と握手  四国旅(2)

高知と言えば龍馬であろうが、高知駅のすぐそばに<「龍馬伝」幕末志士社中>がありNHKの大河ドラマ「竜馬伝」の時の龍馬の実家の撮影セットがこちらに設置されている。長年使われていた家を表すため木材の角は丸くなっていたり大道具の人達のこだわりがある。釘隠しなどは紫の坂本家の紋・ききょう紋になっていて、是非見てほしいと書いてあった。龍馬の姉役の寺島しのぶさんが着ていた着物が展示されていたが織りのしっかりしたもので色も柄もテレビより素敵だった(紫根地格子紬着物)。

セットを眺めつつ黒澤明さんと本多猪四郎さんのドキュメントを思い出す。黒澤さんは本多さんのことを<本多木目守>と手紙で呼びかけている。本多さんが助監督時代、大道具さんがやる木目の磨きを自分で黙々とやっていたからだそうだ。クロさんとイノさんが二人で磨く姿もあった。映画に映らなくてもリアルさを求めるのであろうが、セットを眺めていると、そこで演じる役者さんの気持ちにも反映するだろうと思われた。

そこから桂浜へ。なぜか期待していなかったのであるが、充分に龍馬への想いを沸き立たせてくれる浜辺であった。坂本龍馬記念館の入り口前に懐から右手をだした龍馬像があり、龍馬と握手してしまったのである。龍馬の手紙など資料豊富であるが、一つ一つ読んでいる時間が無い。桂浜がよく見える屋上があり、ここからの桂浜と海の地平線は美しかった。「君が踊る、夏」の病院の屋上から見える海と似ている。この場所か隣の国民宿舎からの撮影であろうか。瀬戸城天守跡があり長宗我部元親の居城とありこんな美しいところに城があったのだ。龍王岬まで行きたかったのであるが、バスガイドさんに遠いですと言われたので止めにしたが時間配分を考えれば可能であった。残念。桂浜水族館に降りてゆくと、映画「コクリコ坂から」のテーマ曲「さよならの夏」のオルゴールのような音が流れていた。桂浜をみつめる坂本龍馬像も大きくて、あの目線の高さなら相当遠くまで見通せているのだろうと龍馬を見上げてきた。期間限定で「龍馬に大接近」として高さ約13.5メートルの龍馬と同じ目線で太平洋を見る事ができる企画があるらしい。それを考えた人、仲間。

 

 

映画『君が踊る、夏』 四国旅(1)

四国を旅し、高知の風景を描いている映画「君が踊る、夏」がある事を知り、旅から帰ってすぐDVDを借りて観る。高知市内、四万十川、茶畑、桂浜などがすべて網羅されていた。

「君が踊る、夏」は小児ガンと闘いつつよさこいを踊る少女の実話を元に映画化したものである。主人公は写真家になる夢があり高校を卒業すると、恋人と共に東京に出る約束をしているが、彼女は高知に残る。彼女の妹が小児ガンを発症してしまうのである。主人公はその事を知らず、彼女に振られたと思って一人上京する。病気の少女には夢がある。少女の王子様とよさこいを踊ることである。その王子様は主人公の若者である。主人公は母の病気で高知に帰って来る。そこで少女の病気の事を知る。少女の姉でもある恋人が、妹の命を縮めるかもしれないがよさこいを踊らせたいと行動し始め、主人公も動き出す。かつての仲間たちの協力も得て少女の夢は現実となる。結果的には主人公の夢である新人写真家としての登竜門である写真コンクール入賞を捨てる事となるが、主人公は郷里の高知に自分の写真のテーマを見つけるのである。

高知の街と自然をふんだんに使い、よさこいの踊りの躍動感もたっぷりに感動的な映画となっている。少女のよさこいを踊る表情が愛くるしい。出てくる場面場面が旅で観てきた場所なのでドラマと同時に追体験し、単なる観光ではない色彩の程好い人の係わる風景となった。

主人公と彼女は高校時代<一生懸命>の名のよさこいチームで踊っていた。土佐弁で<一生懸命>は<いちむじん>というのだそうである。その世話役が旅館の女将・高島礼子さんで、あねさん役を優しく柔らかい雰囲気にしながら貫禄があり、若者たちの軽さを引き締めている。

古い映画を観るのが好きなので今の若い俳優さんはよく解からないが、主人公の若者は「麒麟の翼」で加賀刑事・阿部寛さんとコンビの松宮刑事・溝端淳平さんであった。

旅では高知市内はほんのわずかしか見ていない。追手門と天守閣が一枚の写真に納まる数少ないお城の一つ高知城も地味なライトアップの外観を見ただけであり、はりまや橋もバスの中から見ただけである。がっくり三大名所は札幌の時計台と長崎のオランダ坂と高知のはりまや橋だそうである。~土佐の高知のはりまや橋で  坊さんかんざし買うを見た~ よさこい節にもあるこの歌のようにはりまや橋のそばのお店で主人公は彼女にかんざしをかって欲しいと言われるがお金がなくて買えない。5年後にはプレゼントするのだが。この辺りは歌と名所と二人の行動を上手く使っている。そういえば『お嬢さん乾杯』で圭三が池田家で歌うのもよさこい節であった。

高知城の近くにひろめ市場があり、覗くと小さなお店が様々な食べ物を提供している。藁で焼いた鰹のたたきで飲むことができた。楽しい市場であった。映画にもこの市場はでていた。高知の観光キャッチフレーズは<ローマの休日>ならぬ<リョーマの休日>である。

 

 

 

映画館「銀座シネパトス」有終の美 (1) 「東京の暴れん坊」「銀座旋風児」

銀座三原橋下の映画館「銀座シネパトス」が3月31日の閉館に向けて走りはじめている。

歌舞伎座の近くで、新しい歌舞伎座は全貌を現している。一幕見席も残るようで一安心と思っていたのに開場を前に何と多くの別れが押し寄せてきたことか。

「銀座シネパトス」との別れも近づいている。ただこの場合は別れの時間が設定されている。心に残る沢山の映画に遭遇させてもらった。

最後は銀座を舞台にした映画を、そして「銀幕の銀座」の著者・川本三郎さんを呼んで欲しいと希望を出したところ、映画館のスタッフと考えが一致したのか、あるいはその企画が元々あったのか希望が叶った。『~ 映画でよみがえる昭和 ~ 銀幕の銀座 懐かしの銀座とスターたち』 嬉しいような淋しいような。後戻りはないから様々に味わい別れを迎える事とする。

川本三郎さんは17日、和泉雅子さんとのトークショーに出られる。和泉さんは銀座生まれで、住まいが銀座と北海道にあり、行ったり来たりされてるようなので、どんな銀座の話が出てくるのであろうか。和泉さんは歌舞伎はどうだったのであろうか。トークショーは指定席でチケットぴあ等で前売り販売しているらしい。同時上映「二人の銀座」「東京は恋する」である。

先ずは「東京の暴れん坊」と「銀座旋風児」を観て来た。1960年と1959年の銀座である。当時日活は青春映画が多く作られたので、調布の日活撮影所には「銀座の永久(パーマネント)オープン」と呼ばれるセットが作られていたそうで自動車も入れるくらいだから大きい(「銀幕の銀座」)。映画を観て本当に大きいセットだったと思う。

日活映画100年・日本映画100年 で東京国立近代美術館フィルムセンターの展示室の事を書いたがこの「銀座永久オープンセット」の模型があった事は書かなかったようで、あの模型がこのように使われたのかと実物大がわかった。このセットと実写の組み合わせが上手くつながっている。「東京の暴れん坊」の方は観ていなかったのでこちらの方が楽しめた。どちらも小林旭さんと浅丘ルリ子さんのコンビだが、「東京の暴れん坊」の方が浅丘さんが生き生きとしていて、台詞も旭さんさんより上手い。

「東京の暴れん坊」は、今は無きお風呂屋さん「松の湯」でロケしていて、「松の湯」の内部の鏡などレトロで錆びが見えたりしてセットでは味わえない楽しさがある。でもセットのレストランの改修工事の場面で左官の職人をじっと見ていたらきちんと壁ぬりをしていた。こういう場面は美術のスタッフがでるのであろうか。話の内容は単純であるから筋と関係無いところにも目がいってしまうが、娯楽映画の楽しさの一つでもある。浅丘さんの衣裳も素敵で可愛らしく、これも森英恵さんのデザインかなと思ったりする。森さんはこの頃映画の衣裳を沢山担当していた。ウエストが細いから、あの動くとふわふわゆれるフレアースカートがキュートである。

「銀座旋風児」での殺人現場三吉橋はすでに現場検証済み。三股に別れた橋で中央区役所前にある橋である。「女が階段を上る時」「セクシー地帯」にも出てくるらしい。「女が階段を上る時」は観ているが場面が思い出せない。それから、今も銀座に残る銭湯「金春湯」には実地体験してきた。

映画は下町の風とモダンの風が漂う時代である。それにしても服部時計店(和光)は映画に登場する回数は建物として王者ではなかろうか。政界ものは国会であろうが、銀座の映画の代名詞はあの時計かもしれない。

「東京の暴れん坊」の監督は斉藤武一、助監督が神代辰巳。「銀座旋風児」の監督は野口博志、助監督は「東京は恋する」の監督・柳瀬観である。

追記: 『銀座同窓会』(高田文夫編著)の中で高田文夫さんと大瀧詠一さんが対談しています。大瀧さんは<あぁマイトガイ!>と小林旭さんの映画を熱く語ります。ところが驚いたことに大瀧さんが成瀬巳喜男監督の映画が好きであるということを後に知りました。

十二代目の大きさ

十二代目市川團十郎さんが亡くなられた。大病を抱えて舞台に立ち続けられた。この病気については友人の家族を通じ目にしており、本人と家族の闘病の姿を知っているので、團十郎さんの舞台姿に喜び、休演に心配し、ご本人がどんなに不安と気力の狭間におられることだろうかと想像していた。舞台は道具の移動などでホコリなども多く、荒事の重い衣裳と動きで体力を消耗されるだろうによく頑張られると敬服していた。

ご自分の芸についても、病気についてもあまり深くは語られなかった。いつも穏やかにご自分の役目を熟知されているような大きさと温かみがあった。ここ数年ご自分の芸についても語られはじめ、代々続いてきたご自分の位置を踏みしめられておられるように見えた。

若くして十一代目との別れがあり、想像もつかないような鍛錬をされてこられたであろう。それを力で他の方に強要するようなことはなっかた方に思える。

荒事に身を投じられ、細やかな心理を表現する役者さんではなかったが、その事を自分に封印していたようにも思える。平成21年に国立劇場での『歌舞伎十八番の内 象引』は今までにみられない鷹揚さがあり愛嬌があり力を抜いて楽しまれている様子があり驚き、何か今までにないオーラを発していた。

あちらから成田屋の<にらみ>を発し、歌舞伎と十二代目と同じ病気で頑張られている方々に成田屋光線を届けて下さる事でしょう。

お疲れ様でした。感謝。

 

 

国立劇場 『西行が猫・頼豪が鼠  夢市男伊達競』 (3)

雪ノ下にある市郎兵衛宅。北條家の伝内(團蔵)と伴六(亀蔵)が訪ねてき、痛めつけられた返礼として市郎兵衛を打ち据える。市郎兵衛は大江家に災いせぬ様にと我慢する。伝内は帰り際、白金の猫の置物を見つけたのでこれから鎌倉に持参すると小脇に箱を抱えている。市郎兵衛は大江広元がその役を担ったので何とか手に入れたい。その父の思いを知っている息子の市松(藤間大河)がその箱を奪おうとして箱を落としてしまい中の猫の置物を壊してしまう。大変な失態で市郎兵衛は自分の手で市松を差し出すと明言する。実はこれは偽物で明石がそれを知らせてくれる。市郎兵衛は大磯に本物があるらしいとの情報から、女房のおすま(時蔵)の妹・薄雲(時蔵)のつとめる廓・三浦屋へ向かう。侠客・夢の市郎兵衛一家の一体感を市松を中心に上手くまとまった。市郎兵衛の子分、権十郎さんと亀寿さんも無理の無い任侠ぶりを体で示す。侠客の子分はその雰囲気を出すのが難しい。若いと形にならず襟を直したりと手の持ち場に困ったりしそれを見ている観客も困ってしまう事が多い。

ここで七福神の踊りがある。日本橋の七福神と思っていたがここで先にお会いしてしまった。毘沙門天の松緑さんの手と指の形の美しさに驚いた。仏像の美しい手を感じた。毘沙門天と弁財天(時蔵)は義仲と巴御前に変身して踊る。これが岩佐又兵衛の絵を見ているようであった。

薄墨は大の猫好きで愛猫の玉を亡くし供養に出かけていた。そこへ虚無僧の深見十三郎(松緑)が現れお互いに魅かれる。十三郎は猫が苦手のようで薄墨は猫に関係する物は全て片付ける。新造胡蝶(菊之助)はどうも十三郎が信用できない。その辺りの探りあいも丁寧である。胡蝶は十三郎の後を追う。十三郎は義仲であった。巴に似ている薄墨に近づいたのである。廓の世界も役者さんの為所がよくその空気を漂わせているので荒唐無稽の話でも楽しめる。

三浦屋の台所で胡蝶と鼠の妖術を身に付けた義仲の戦いとなる。これがアニメの世界である。胡蝶はその様子からして猫の精だなと解かるので違和感無くアニメの世界へ突入である。台所用品が大きくて胡蝶が小さいのである。猫になってしまったのである。猫と鼠の戦いである。胡蝶が二本の長い棒をあやつる。次に短いのに。棒を平行に持ったりするのでこれは太鼓の撥のような働きをするなとピンときた。やはり色々な物を叩き音楽性もだした。猫と鼠だから身も軽い。しかし、胡蝶は義仲に負け深手をおう。

胡蝶は玉の化身で薄墨を助け、さらに白銀の猫の置物も携えていた。胡蝶は置物を市郎兵衛に渡し薄墨に見取られ息をひきとる。

義仲は市郎兵衛の持つ白銀の猫の置物を突きつけられ消えてしまう。病の治った頼朝(左團次)、頼家(萬太郎)、大江広元(松緑)が現れる。ここで客席に笑いが。頼朝を苦しめていた頼豪の亡霊と頼朝が左團次さんの二役なのであるからまことしやかな頼朝が可笑しい。仕組まれたのかも。広元は市郎兵衛の褒美として家の再興を願い出るが、市郎兵衛は町人の暮らしが善いとして、男伊達を貫くのである。<夢市男伊達競>

3日の夜中・4日の早朝 1時からこの芝居がNHKBSプレミアムで放送される。亀治郎の会さよなら公演も同時放送である。舞台の全体像が見れるので楽しみである。

 

国立劇場 『西行が猫・頼豪が鼠  夢市男伊達競』 (2)

原作は河竹黙阿弥の『櫓太鼓鳴音吉原(やぐらだいこおともよしわら)』である。先月は黙阿弥没後百二十年の祥月でありそれに因んで黙阿弥の埋もれた作品を取り上げたようである。題名から想像するに、相撲と吉原を舞台とした芝居と思える。

原作をかなり変えているようであるが、一言で云えば入り組んだ筋でありながら解かりやすく、楽しく、役者さんたちの動きも為所も役に合い、物語りの中であれこれ遊べて堪能できた。

源頼朝の執権北條時政と執権大江広元の争いに、頼朝に討たれた木曽義仲が頼朝を恨み、その恨みに自分の恨みを重ねた頼豪阿闍梨(らいごうあじゃり)の亡霊が義仲と合体して鼠の妖術を使い頼朝を苦しめる。この二人の執権の争いと頼朝と義仲・頼豪の亡霊の争いを複線に侠客の夢の市郎兵衛が活躍する筋立てである。頼豪は平家物語にも出て来てこの人の恨みはあとで説明する。

頼朝が鎌倉市中に現れる大鼠の影に気を病み、その退治祈願のため頼朝上覧の相撲を開催する。この頃、相撲は神事の役も担う事があったわけである。北條方のお抱え力士が仁王仁太夫(松緑)で、大江方のお抱え力士が明石志賀之助(菊之助)である。明石の花道からの出が美しい。着物は地味に押さえ色白で大きく見える。明らかに松緑さんの方は敵役である。その前に團蔵さんが北條方として憎々しく演じてくれているし、大江方の梅枝さんがいつもの女形ではなく、なかなかしっかりすっきりした立役で楽しませてくれているので、どちらが善か悪かがはっきりしている。明石の弟子・朝霧の亀三郎さんが愛嬌があり明石に明るさを添えている。この場で仁王と明石の睨み合いとなるがそこへ仲裁に入るのが行司の田之助さん。今回前方の席だったので、田之助さんの為所が無いようで居て息を詰めたり遠くからは解からぬ為所のある事を見せてもらった。

明石と仁王の取り組みは明石の勝ちとなり、明石は<日下開山(ひのもとかいざん)>今で言う横綱の称号をもらう。負けた北條は、明石を待ち構え襲撃(亀蔵)しようとするがそこへ明石の義兄の市郎兵衛(菊五郎)が現れ痛めつける。明石の黒の羽織の背中には白で右に[日下開山]左に[明石志賀之助]と名前が入り、市郎兵衛の衣裳と並んで派手であるが初芝居に相応しい。

頼豪は「平家物語」では三の巻きに出てくる。白河天皇は、ご寵愛の中宮賢子(けんし)の皇子誕生を望み、三井寺の頼豪阿闍梨に祈祷を頼み願い叶えば望みの褒美をとらせると約束する。望み通り皇子が誕生し、頼豪は三井寺に戒壇建立を願い出るが比叡山がそれを認めないであろうから世の乱れとなるとして白河天皇は聞き入れなかった。頼豪は無念と自分が祈って誕生させた皇子だから連れてゆくと言い残し断食し死んでしまう。この皇子は四歳で亡くなられた敦文親王である。「平家物語」では木曽義仲も善くは書かれていない。義経との比較もあるのか木曽の山の中で育ったということもあるのか頼朝に人質として息子をあずけ前線で戦いつつ京の罠にはまってしまった感がある。

歌舞伎では頼豪は願いを妨げた延暦寺を恨み鼠に化けて延暦寺の経文を食い破るがなお恨みが消えず、義仲を助け義仲と合体するのである。義仲は鼠の妖術を使い頼朝への復讐と天下取りを狙う。芝居では頼豪は左團次さん、義仲は松緑さん。

<頼豪が鼠>に対し<西行が猫>とは。西行は頼朝から褒美として白金の猫の置物を賜るが、西行はそれを見知らぬ子供に与えてしまう。この白金の猫の置物こそ妖術の鼠を退治する力を所持していたのである。元大江の家臣であった市郎兵衛は、大江家のため白金の猫置物を密かに捜す手伝いをする。

 

国立劇場 『西行が猫・頼豪が鼠  夢市男伊達競』 (1)

『夢市男伊達競(ゆめのいちおとこだてくらべ)』

芝居の事は後にまわします。なぜなら、岩佐又兵衛さんと会ってしまったのです。どこで。本の1ページ目で。どんな本。「日下開山 明石志賀之助物語」(中村弘著)。

この芝居にも出てくる、初代横綱・明石志賀之助の事を書いた本が国立劇場の売店にあった。相撲は興味が薄いのだが本を手にした。二冊あり厚いのから薄いのへ、その薄いほうの1ページから岩佐又兵衛勝似の名前が飛び込んできた。厚いほうの本篇に対する別冊のようである。明石と又兵衛とが直接関係しているわけでは無いが、その出だしは興味深いものであった。

結論から云うと、明石は陸奥の出羽上山の藩主ご覧相撲に招かれていて、その事を日記に書き綴っていた人がいる。藩主の側近くにいた中村文左衛門尚春でその記録は「上山三家見聞日記」として残っている。

この尚春が又兵衛の三番目の姉とつながりがあるのである。「明石志賀之助物語」によると、又兵衛の父・荒木村重は明智光秀の家臣で織田信長と対立する。城は落城するが村重と次男村基、三女荒木局、又兵衛が難を逃れる。荒木局は50年後老中松平伊豆守や春日局の推挙で大奥にあがり、春日局の下で要職を与えられる。春日局が亡くなると松山局が力を持ち不正事件を起こし松山局は惨罪となり荒木局も巻き込まれ江戸から出羽上山に配流となる。このとき幕府に仕官していた甥の荒木村常(兄村次の子・荒木局が養母)が推挙した村常の友人の遺児・中村文左衛門尚春がお供をし、「上山三家見聞日記」をかくのである。

又兵衛はこの姉の力で福井から将軍家筋の用命をうけ江戸に出て来たのであろう。将軍家光の娘千代姫の婚礼調度品を製作したり、川越東照宮の再建拝殿に三十六歌仙の扁額を奉納する仕事をしている。本によっては伯母の力ともあるが、荒木局が村常の養母からそうなったのかもしれない。又兵衛の姉・村重の三女が荒木局で、春日局とともに大奥で活躍していたとあれば、面白い現象である。

又兵衛は「西行図」も描いている。目も口も優しく笑みを浮かべている。その他平家物語関係では「文覚の乱行図」。ここでは文覚が神護寺修復の勧進で白河法皇の前で暴れる様子を。「俊寛図」では砂浜に取り残された俊寛を小さく描いている。「虎図」は竹に体を巻きつけるようにして牙をむき出し吼えているようであるがなぜか可笑しいのである。

「夢市男伊達競」の筋書きの表紙が鼠の影とそれ見詰めている猫の前身の絵で裏表紙にその原型の絵が載っている円山応挙の「猫」である。芝居に合わせなかなか凝っている。四国金比羅宮・表書院・虎ノ間の虎たちを思い出す。数日前に二回目の対面をしてきたのである。

菊之助さんが美しく作り上げた明石志賀之助やそのほかの芝居のはなしはこの次である。

 

 

映画 『山中常盤(やまなかときわ)』

「山中常盤物語絵巻」を素材にした映画があった。

監督は羽田澄子さん。羽田監督は十三代目片岡仁左衛門さんの記録映画『歌舞伎役者 片岡仁左衛門』 全六部を撮られたかたで、全六部を3日程かけて見たことがある。全部で11時間近くになる。見たのは1996年であるから、今見るともっと発見があるであろう。印象的だったのは目が不自由になられてから、形は全て身体が解かってられるので位置の確認をされていた姿である。出から何歩でこの位置に立ってそこから何歩でこの位置に来てと確認され、演じられると目が不自由とは思われない演技であった。

さらに羽田監督は武智鉄二演出の記録映画『東海道四谷怪談』も撮られている。伊右衛門が中村扇雀(現・坂田藤十郎)さんでお岩が白石加代子さんという異色の組み合わせである。これも見ることが出来た。こうであると捉えることが出来ずこれはこれとの感想である。当時様々な意見がだされたようであるが、文学者なども交えての議論百出という幸運な演劇環境で熱き時代であったと羨ましい限りである。

さて映画『山中常盤』であるが、見ていないのである。映画のチラシはとっていたのであるから、おそらく羽田監督の映画なので見たいと思ったのであろう。岩波ホールで2005年4月23日~29日までの一週間の特別上映である。羽田監督は、以前近世初期の風俗画の映画を作っていて(「風俗画ー近世初期ー」1967)絵をとることが非常に面白いことを知り、絵巻物を撮ってみたいと思い「この絵巻き・・」と思ったのが「山中常盤」だったのだそうである。文楽の鶴澤清次さんが作曲と三味線を、さらに浄瑠璃・豊竹呂勢大夫さん、三味線・鶴澤清二郎さん、胡弓・鶴澤清四郎さんも加わっている。

出遅れたというのか、岩佐又兵衛さんとはちょっとすれ違いのところがあるのである。

 

 

創造の情念の色・岩佐又兵衛

【傾城反魂香】(けいせいはんごんこう)の又平のモデルは、江戸初期の絵師・岩佐又兵衛とも言われている。かなり数奇な人生を歩まれた人である。昨年、熱海のMOA美術館で展覧会があったが、私が行った時には終わっていた。

岩佐又兵衛さんとは縁が有るような無いような関係で、彼の絵巻物の作品に、裸に近い女性が胸から血を出している絵がある。彼の絵の中でも異質でどうしてこのような絵を描いたのか。気にはなったが深く知りたいとは思わなかったのでそのままにして置いた。熱海で出会っていれば違っていたかもしれない。今回少し近づいて見る事にした。古本屋で<岩佐又兵衛>の名を目にしたので天井近くにあったのを取り出してもらったが、彼の三十六歌仙の絵の特集であった。後日図書館で画集を借りた。その絵は「山中常盤物語絵巻」であった。

絵巻のあらすじは <牛若丸が鞍馬から奥州平泉へ行き着き母・常盤に手紙を書く。常盤は牛若丸会いたさに侍従を一人伴い京から平泉に旅立つ。途中美濃の国・山中宿で旅の疲れもあり病気になってしまう。常盤の豪華な着物に目を付けた盗賊の一団が常盤と侍従の着ているものを身包み剥いでしまう。常盤は「こんな恥ずかしいことはない、肌を隠すものを返さないなら命を奪えと」叫び、盗賊はその言葉どうり常盤を刺し殺すのである。牛若丸は母が夢枕に現れるので気になり京に向かい偶然中山宿で泊まり、事の次第が解かり母の仇を討つのである。>

牛若丸と常盤御前の母と子の物語であった。この絵巻は、近世の古浄瑠璃の詞書(テキスト)とともに描かれていて、当時人気のあった古浄瑠璃の出し物である。(古浄瑠璃→慶長から元和・寛永のころにかけて上演された操浄瑠璃) 絵巻は十二巻ある。絵巻はこの頃は貴族から庶民の中にも入ってきたわけである。その事が解かりやすいリアルな絵になったのかもしれないが、もう一つ想像できる理由がある。それは、岩佐又兵衛のおいたちである。

岩佐又兵衛は織田信長に信任の厚い城摂津伊丹城主・荒木村重の末子として生まれる。父は突然信長に反旗を翻し、城が落ちる前に脱出、怒った信長は荒木一族600人あまりを処刑。当時二歳の又兵衛は乳母の手で京都の本願寺教団にかくまわれて育ったと云われている。成人してから信長の子信雄に仕え、名を母方の岩佐に改名したが武人としてではなく村重の遺児として詩歌や書画の才能を生かす渡世を選ぶのである。その後、越前北之庄・福井の城主・松平忠直(菊池寛著「忠直卿行状記」のモデルでもある)の下で暮らす。晩年の十数年間は江戸で暮らし江戸で亡くなっている。

父の村重は逃げ延び、剃髪して道薫と号する茶人として秀吉に仕え摂津にわずかな所領をもらい堺で没している。又兵衛が父と会ったかどうかは不明である。「山中常盤物語絵巻」の常盤の最後の場面は、又兵衛の母の最期と重なっているように思う。こうした血なまぐさい情景を凝視しつつ、母と子の物語を描いた又兵衛の中には、自分が仇をとったような高揚感があったかもしれないし、それを見る庶民も常盤の悲惨さが盗賊退治により一層喝采したのであろうか。そう思って見ると、又兵衛もここで母に対する想いが突き抜けたようにも感じる。

<浮世又兵衛><憂世又兵衛>とも云われた絵師を、近松門左衛門は<浮世又平>のモデルとして選び作品として仕上げた想像力と創造力の合体に何かしら細い糸が共鳴しあっているように思われてくる。近松も武士を捨てている。<又兵衛>と<又平>と<近松>。この情念の色はきっと同じ色である。