映画 『大忠臣蔵』

12月14日、赤穂浪士討ち入りの日が選挙日である。自分たちの意見を反映するこの一票に何百億円の税金がかかっているのである。政治家がお金を出して、ご意見をどうぞと言っているわけではない。自分たちが納めた税金である。棄権などして税金の使われ損にされてはたまらないからきちんと投票します。

1957年の映画『大忠臣蔵』を見た。『仮名手本忠臣蔵』をもとにしている映画で、文楽や歌舞伎 でやっているものを、映画ではどうなるのか見たいと思っていた。重要な場面を取り入れ、映画的娯楽性も加味されていて楽しませて貰った。

大石内蔵助が、市川猿之助さん(初代猿翁)、大石主税が市川団子さん(二代目猿翁)、矢頭右衛門七が、市川染五郎さん(現・幸四郎)さん、立花左近が松本幸四郎さん(初代白鴎)さん、加古川本蔵が、坂東蓑助さん(八代目三津五郎)等が歌舞伎界から出演している。新派からは大石の妻・お石に水谷八重子さん(初代)。本蔵の妻・戸無瀬に山田五十鈴さん。映画界からも豪華メンバーが出演している。

歌舞伎にはない場面でも出演者の見せ場として作られている場面もある。

仇討が決まり、矢頭右衛門七が年齢が若く参加を認められないが、主税が認められて自分が認められないのは足軽の子ゆえかと主張し認められる。

内蔵助と立花左近との対決は、内蔵助が東下りの際、禁裏御用金を運ぶ役目として関所を通ろうとするが、それを止める関所守を左近としており、勧進帳を重ねて緊迫感を出している。内蔵助はそっと、<道中記 内蔵助>と書かれた道中記の表紙をみせ、左近は納得するのである。

討ち入り前、内蔵助が瑤泉院(有馬稲子)を訪ねそっと連判状を浅野内匠頭(北上弥太郎)の位牌の前に置き、それを、吉良の間者が盗み出す場面などである。

お馴染みの、おかる、勘平は高千穂ひづるさんと高田浩吉さんで、この辺りはきちんとえがき、勘平の切腹までを映画ならではの上手い運びとなっている。おかるが勤めにでる一文字屋の女将の沢村貞子さんと源太の桂小金治さんの雰囲気がよくはまっている。

おかるを請け出す内蔵助との場面、おかると兄・寺岡平右衛門(近衛十四郎)の場面も違和感がない。幇間の伴淳三郎さんのちょっとの出がいい。

そして光るのが、お石と戸無瀬の対決である。女性がやれば、このお二人しかいないと思う。小浪が嵯峨三智子さんで可愛らしい。死ぬ覚悟の時は、刀ではなく短刀であった。戸を外す仕掛けはやらなかった。どうするのかと興味があったが、映画では無理と思う。猿之助さん、蓑助さん、団子さんはよく解っている場面なので、それぞれ印象深い場面に仕上がっていた。

清水一角(大木実)が赤穂浪士に武士の生き方として心情的に魅かれていて、吉良家で茶会があるのを教え、吉良の逃げた先も教えるという形をとっている。

『仮名手本忠臣蔵』をなぞりつつ流れが上手くいくように工夫されていて、歌舞伎特有の節回しもなく、映画の『仮名手本忠臣蔵』として楽しめた。渋みのある初代猿翁さんもたっぷり見ることができた、他の忠臣蔵映画とは一味違う味わいとなった。

監督・大曾根辰保/脚本・井手雅人/撮影・石本秀雄/美術・大角純一/音楽・鈴木静一

 

 

高倉健さんの遠い旅立ち

奈良の柳生街道 (2) の コメントで『宮本武蔵』については、また書く機会があるかもしれないとしたが、その一つが高倉健さんの佐々木小次郎である。初めて見たとき多少違和感があった。錦之助さんは、歌舞伎から入って時代劇に精通していた役者さんであり、宮本武蔵は、恋にも悩み、様々なことに悩みつつ剣の道を進む人である。それだけに作戦もたて、人の心理も読む人である。佐々木小次郎は違う。自分の剣の強さを信じ切っている。再度見ていてそこが小次郎らしいところなのだと思え、派手な衣装、長い刀それが似合う高倉健さんの小次郎が納得できた。

『宮本武蔵 二刀流開眼』が1963年、『一乗寺の決斗』が1964年、『巌流島の決斗』が1965年である。そして、内田吐夢監督の『森と湖のまつり(1968年)がレンタルショップで目に飛び込んできた。武田泰淳さんの原作である。この映画があるとは知らなかった。それも高倉健さんが主演である。さっそく借りたが、時間がなく半分を見て、奈良の<山の辺の道>への旅にでる。奈良から帰って来てから残りを見る。

雄大な北海道の自然のなかで、アイヌ民族の血の問題と差別問題が描かれている。高倉さんは、アイヌ民族の純血として、アイヌの人々のために基金を力ずくで集めようとする。ところが、彼には、和人の血も混じっている混血であった。三国連太郎さんとの決闘をする場面は迫力がある。さすが、内田吐夢監督である。アイヌの人々の宗教的儀式も取り入れながら、自在な自然描写。野生児的な主人公を若い高倉健さんは演じ切っている。新鮮な映画俳優、高倉健さんを感じた。

その野生児を内田監督は、今度は、武蔵の相手の小次郎にするのである。この野生児と佐々木小次郎の合体が、銀幕のスター・高倉健さんの誕生のように思えた。そんな時、健さんの突然の訃報である。驚きしかない。

『あなたへ』は、見ていない。なぜか、評判でありながら見ていないのである。だから、高倉健さんの<遺作>は私の中には未だ無い。しばらくは見ないであろう。

数か月前、高倉健さんの五代前の祖先である小田宅子(おだいえこ)さんの著書を古本屋で見つけた。『姥ざかり花の旅笠 ー 小田宅子の「東路日記(あずまじにっき)』である。田辺聖子さんが、読み解いてくれている。そもそもは、高倉健さんが、<うちの祖先の人が、こういう手記をものしているが、これをわかりやすく読めるようにならないものだろうか、面白そうなのだけれど>と言われたのが、色々な人の縁で田辺さんのもとに届いたらしい。時間が出来読める日を楽しみにしていた。

高倉健さんは、借りておられは肉体は返され、遠い遠い旅に発たれてしまわれた。まだまだ、新鮮な高倉健さんにお逢いできるような気がする。到底納得できないが、手を合わせさせていただく。

合掌。

奈良の柳生街道 (2)

柳生の里までたどり着くまで、幾つかの<六地蔵>に出会う。<六地蔵>は、六体のお地蔵様が立っていたり、一つの石に彫られていたりする。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の六道を生命は輪廻しつつ生き変わることを現しているらしい。 <天乃立石神社><一刀石>の森から<芳徳寺>へ向かう。

芳徳寺>は、柳生宗巌石舟斎の屋敷跡で、柳生宗矩が父の菩提寺として、沢庵和尚が開基し、宗矩の末子列堂和尚が初代住職である。史料室に、沢庵和尚、列堂和尚、宗矩の像があり、石舟斎による「新陰流兵法目録」も展示されている。

 

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このお寺の裏に柳生一族のお墓があり、そのお墓の入口にも<六地蔵>の石碑がある。墓地で柳生十兵衛のお墓を探すが無い。十兵衛は三巌(みつよし)の名もあり、後になってそれを知り、友人とお互いに<柳生三巌>ならあったような気がするとメールし合う。字の読みづらい碑もあり、読めないと軽く素通りしたら、山岡荘八さんの文学碑であった。大河ドラマ、「春の坂道」の原作を書かれている。なんともいい加減な旅人である。<芳徳寺>への違う道で、この石段から上りたかったと思う風情のある石段が見つかるが下から眺めるのみ。下りながら<正木坂道場>へ。今でも使われている。外国の方も修業に来ているらしく、私たち不思議そうな目をしていたのであろうか。「私フランス人。合気道やってます。」と言われて道場に向かわれた。

やっと昼食。要望のお粥定食に。赤米と黒米の古代米のお粥に黒米の小さなお餅が二つ入っていて香ばしい。素朴な味である。旅の時など胃も疲れているので、胃に優しいのがいい。例のフランス人の修行者が入って来られ、いっときの息抜きであろうか。茶屋を出る時、「頑張って下さい。」と声をかけると、「頑張ります。」と言われ出口まで歩いてこられ見送ってくれた。さすがフランス人。それぞれの国の習慣の違いであろう。

史跡公園となっている<旧柳生藩陣屋跡>。柳生藩は将軍の剣道指南役で家康、秀忠、家光三代に信任も厚かったが、江戸定府大名で江戸常駐のため、城はなく城下町としての発展がなかった。それだけに、柳生の里という神秘的な意味合いを含むのである。

 

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石垣の立派な<家老屋敷>は、江戸後期の家老小山田主鈴(おやまだしゅれい)の屋敷である。米相場で柳生藩財政の立て直しに貢献している。この家老屋敷は、昭和39年に作家の山岡荘八さんが購入し、ここで『春の坂道』の構想を練ったそうで、大河ドラマの写真も展示してあった。その後、奈良市に寄贈され史料館として公開している。

 

 

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柳生の里も散策し終わり、暗くならない内に予定通り奈良ゆきのバスに乘ることができた。バスの本数が少ないため、混雑時期は、奈良まで立つ場合もあると旅行雑誌にあった。時々出逢う団体さんがバス停にいないので不思議に思っていたら、先にもう一箇所バス停があって、すでに乗られていた。二つ席は空いていたのでほっとする。1日目満足。

帰って来て、映画『宮本武蔵』(原作・吉川英治/監督・内田吐夢/主演・中村錦之助)を見返す。5本のうちの三部にあたる『二刀流開眼』から見始める。武蔵が柳生石舟斎を訪ねるのである。武蔵が柳生の庄を見下ろす場面があるが、私たちが行かなかった<十兵衛杉>のある場所からなら、柳生の里が見渡せる。<十兵衛杉>は十兵衛が諸国修業の旅に出る時に植えたとされ、落雷のため枯れ、今は二代目がその横に育っている。帰りのバス停から見えたが、そこまで上る元気はなかった。武蔵は石舟斎の切った花のしゃくやくの切り口から腕の凄さを知り、是非会いたいと思うが、会う事出来なかった。しかし、その門弟たちと斬り合うかたちとなり、そのとき二刀流に開眼するというものである。そのあと、吉岡清十郎(江原真二郎)との蓮台寺野の決闘がある。

石舟斎は、現芳徳寺の位置に住んでいたことになる。石舟斎は剣人とは誰とも合わず、藩主は江戸におり留守であると門人に伝えさせるが、なるほど宗矩はずーっと留守なわけである。藩陣屋敷へも武蔵は行くが、その時の見上げた石段は、現在残っている石段の雰囲気がある。同じ風景を当てはめたのであろう。石舟斎は薄田研二さんで、この役者さんは悪役も、こういう深見のある役もこなせる不思議な方である。沢庵和尚は三国連太郎さんである。『二刀流開眼』『一乗寺の決斗』『巌流島の決斗』『般若坂の決斗』『宮本武蔵』と気ままな順番で見直したが、面白かった。『一乗寺の決斗』のカラーでありながら決斗場面はモノクロというのが、素晴らしい効果であった。

柳生の里も、なぜか、<柳生と宮本武蔵>の旗がひらめいていた。

 

奈良の柳生街道(3) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

映画 『破戒』『乾いた花』『鋪道の囁き』(2)

『乾いた花』は二度目なので、最初に観たときのドキドキ感はない。自分の観た時の印象で映画を再構築しているから、役者さんの登場や場面など、自分の中での登場と違っている。それと、映像が途中で数か所切れているように感じた。ただ、表情などはじっくり観察できた。冴子が、村木が人を殺し終わったあと微笑むのだが、その微笑みの意味が解らなかったので、それも虚無感の一つとしておいたが、加賀まりこさんがトークで、篠田監督からマリアのような微笑みをしてくれと言われたと話された。あの時の冴子は、村木が殺しのあと冴子を見つめる眼に対して、村木に自分が殺された時の恍惚感の微笑みではないかと思ったのだが、今はその解釈としておく。

加賀さんのトークは、演じた時の状況など、簡潔に話され、観た者としては、映画の場面に即反応でき、裏話も手短に話される。『泥の河』では、小栗庸平監督から、お化粧なしの素顔で、演じて欲しいと言われたが、加賀さんは少年から見た母親は美しいはずだと、周囲のスタッフの意見で決めて欲しいと提案したところ、ほとんどのスタッフが加賀さんの意見のほうに賛成したのだそうである。皆さんが母親の場面は白黒なのにカラーと思ってくれて嬉しいですと言われていた。私は少年がカニに火をつけて友達に美しいだろうというところと母親が呼応して観ていて切なくなり今もその炎には色がついているのである。『麻雀放浪記』では、真田広之さんを叩くシーンで、パイの並べ方が上手く出来ず20数回叩いたそうで、この映画は、良い機会なので観なおすことにする。

加賀さんは高校生の時、住まわれていた神楽坂を歩いているとき、篠田監督と寺山修司さんにスカウトされ初映画が『涙を、獅子のたて髪に』である。

その神楽坂で、父の制作映画を上映できて親孝行ができましたと言われた映画が『鋪道の囁き』である。この映画は当時正式には公開できず、その後行方がわからなかったが、アメリカの大学に保存されていたのである。保存状態がよく、映像も音も綺麗である。ジャズが主人公のような映画であるから、音の良さには驚いた。

1936年の作品で、日本のアステア&ロジャースを目指した映画で、タップダンサーの中川三郎さんのタップが素晴らしい。甘いマスクの美男子で演技は下手、これが若き日の中川さんなのであろうかと観ていたら突然、ジャズシンガーのベティ稲田さんの歌でタップダンスを始めたのには驚いた。この場面と、バンドコンクールで、中川さんとべティ稲田さん二人で歌いタップダンスを踊る場面を観れただけでも、よくフィイルムが残っていてくらたと思う。映画のあらすじはたわいない。アメリカ帰りのジャズシンガーが、興行者に騙されそれを守る男がいて、ジャズシンガーはバンドマンでタップダンサーの男と出会い、結ばれるという和製ミュージカルの卵といった感じである。監督が鈴木傳明さんで、この方も演技は下手である。演技性に中心をもってきていないのであろうが、道化役の俳優さんは上手いし、その動作も計算されているので、軽いタッチで描くということであったのかもしれない。それに比べ、音楽、歌、タップはしっかりしているので、その落差が可笑しい。

和製オペレッタは、その流れを調べていないが、傑作は1939年の『鴛鴦歌合戦』(マキノ正博監督)である。出演は片岡千恵蔵さん、志村喬さん、ディク・ミネさん、市川春代さんなどである。

トークショーの司会者である横堀加寿夫さんが、実は、ディク・ミネの息子でしてと言われたときは、驚いてしまった。加賀四郎さんの映画が成功していたら、ディク・ミネさんは当然参加されていたであろう。映像と音が良いだけに、新しさ古さとが交差する摩訶不思議な映画である。この映画が流布していたら、ジャズも特定の世界だけで楽しむ音楽でなくもっと広く浸透していたかもしれない。

 

映画 『破戒』『乾いた花』『鋪道の囁き』(1)

今、映画館が呼応して面白い企画で映画を上映している。インドの映画からインド料理に眼がいったが、<第5回 東京ごはん映画祭>には、小津安二郎監督の『お茶漬』が入っているし、トニー・レオンとマギー・チャンの『花様年華』も入っている。美しく悩ましいマギー・チャンがペンキ入れのような入れ物に食事を調達していたのが妙に印象づけられたので、やったり!とほくそ笑んだ。『エル・ブリの秘密 世界一予約の取れないレストラン』は、やはり舞台裏が面白かった。その他、こういう映画があったのかと映画名をみているだけで楽しい。

神保町シアターが<生誕100年記念 宇野重吉と民芸の名優たち>で、宇野重吉さんが出演、監督した映画や民芸の名優といわれる方々の映画の特集である。その中に、池部良さんの青年教師丑松の『破戒』があった。名画座ギンレイホールは<名画座主義で行こう>として、『乾いた花』~加賀まりこさんのトークショー~『鋪道の囁き』の二本立てである。『鋪道の囁き』は、映画プロデューサーであった加賀まりこさんのお父上である加賀四郎さんが制作された映画である。神保町に行く前に神楽坂のギンレイホールで当日券を購入する。

映画 『乾いた花』 で、篠田監督が、池部さんが名監督たちに起用されてることをいわれていたが、その時から、木下恵介監督の『破戒』は観たいと思っていた。池部さんが、戦争から戻り両親の疎開先に居た時、高峰秀子さんと助監督だった市川崑監督が、阿部豊監督で『破戒』を撮るからと迎えに来た。再び映画に出ることに躊躇していた池部さんは、二人の熱心さから戦後映画復帰第一作のはずが、東宝争議のため撮影途中で中止となる。

そして、1947年木下監督のもと『破戒』が撮られる。お志保は、桂木洋子さん。丑松が敬愛する部落解放運動家・猪子に滝沢修さん。丑松の友人の土屋に宇野重吉さんである。宇野重吉さんのほうが、丑松に合いそうであるが宇野さんには、宇野さんの役目があった。木下監督は、部落問題をきちんと捉えつつも自然描写などは、千曲川の流れや、リンゴの樹などを写し、信州の美しさを抒情的に描いている。部落民ということがなければ、丑松もこの美しい風景のなかで子供たちと楽しい長い時間を過ごせたのである。撮影は楠田浩之、音楽が木下忠司である。映画の始まりから、琴の音が流れる。志保は家の事情で、丑松の下宿するお寺の養女となっていて、お寺のお嬢様として琴などたしなみ、その琴の音を効果音としても使っている。そして、お志保の心の動きもこの琴の音であらわされる。

お志保はが部落民の丑松について行く決心は、丑松に対する愛情も当然であるが、猪子の奥さんの生き方に共鳴し、その先達の姿に力を得てのことである。この映画では、友人の土屋と丑松の男のつながりのほうに重点が置かれている。この宇野重吉さんの土屋が、お仕着せがなく、悩む丑松を自分で立ち上がるまで待っていて、いざというときにここぞといい笑顔を見せる。池部さんは、役柄上俯き加減である。猪子先生を失ったあと、丑松は泣くだけ泣く。それに対し、宇野重吉さんは、心配したり、行動する丑松の脇にしっかりついていて、丑松が俺を認めてくれたと感じた時の土屋の笑顔は宇野さんならではの演技であり観ているこちらも勇気づけられる。丑松はきちんと部落民であることを認める、生徒たちにも伝える。池部さんの丑松に苦しみはあるが卑屈さはない。

千曲川を舟で猪子先生の奥さんとお志保と丑松は、東京に向かう。そこへ教え子たちが見送りに土手を駆けてくる。木下監督にとって千曲川は外せなかったようである。

市川崑監督の『破戒』も観直した。市川監督のほうがリアルである。風景も丑松の見る心の晴れない風景描写である。市川雷蔵さんの丑松の生徒たちに語るところはしみじみと語りかけ、部落民だということを隠していたことを土下座して謝る。どちらがどうというよりも、それぞれの映画であるとして観たほうがよいであろう。

 

鎌倉『大佛次郎茶亭(野尻亭)』

大佛次郎さんの本名は、<野尻清彦>で<大佛次郎>は、鎌倉の長谷の大仏の裏に住んで居たことから、<大佛(おさらぎ)>とし、鎌倉の大仏が太郎なら自分は<次郎>であるとしてつけた、ペンネームと言われている。

『大佛次郎茶亭』は鎌倉八幡宮に近い雪ノ下にあり、住まいは小路を挟んだところで、この茶亭は、大佛さんの書斎と訪問者の接待の応接間として使われていたようである。係りの人の説明に拠ると、廃材を使って建てた<風>の平屋木造建物で、柱も細く、軒の天井裏の押さえの木もそこらに落ちていたような木を使っている。しかし、規格外なので実際には大工さん泣かせの建物でもある。屋根は茅葺で、茅も囲炉裏の煙が茅の隅々に行きわたり虫食いを防ぐのだそうで、全ての部屋にお茶用の炉が切られているが、それだけでは長持ちはさせられないそうである。囲炉裏の煙にはそういう働きがあるのかと初めて知る。大佛さんのねこ好きがわかる猫の蚊取り線香置きが三匹並んでいた。

 

 

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この茶亭は鎌倉風致保存会が助成、保存している。大佛さんは、鶴岡八幡宮裏山の御谷(おやつ)山林の開発に反対し、ナショナル・トラスト(英国の環境保全団体)を日本に紹介したかたでもある。その運動から鎌倉風致保存会が生まれたのである。無料公開は年2回だが、土・日・祭日には<大佛茶廊>として開いているようである。その日はお庭で茶亭を眺めつつ抹茶をいただく。

そして、横浜の大佛次郎記念館が発行している、「おさらぎ選書 第22集」を購入。大佛さんが主宰していた雑誌「苦楽」と「天馬」のことが書かれていて、<安鶴さんと「苦楽」 大佛次郎 >と見出しにある。安藤鶴夫さんの『落語鑑賞』はこの雑誌「苦楽」からの出発であった。「苦楽」という雑誌自体を知らなかった。大佛さんは、戦後文学史に「苦楽」の名が出たのを見たことがないと書かれている。雑誌「苦楽」の調子が少し硬くなったので、柔らかくしようと云うので落語をのせることとする。江戸からの口語文、特に下町の言葉をきちんと残したいと思ったようである。大佛さん自身が小説を書くとき、武士や町人の話し方を三遊亭円朝の噺の速記をお手本にしていたのである。

雑誌「苦楽」は、表紙が鏑木清方さんで、執筆者も画家も様々な方が参加している。例えば<オ>で始まる方を並べるなら、小穴隆一、大池唯雄、太田照彦、大坪砂男、岡鹿之助、岡本一平、荻須高徳、荻原井泉水、奥野信太郎、尾崎一雄、尾崎士郎、大佛次郎、織田一麿、折口信夫

「苦楽」は昭和21年11月に創刊し昭和24年7月に廃刊となっている。

川喜多映画記念館に近い「鏑木清方記念美術館」で < 清方描く 季節の情趣 -大佛次郎とのかかわりー>(10月31日~12月4日)がある。ここも絵の数は少ないが喧騒から逃れほっとできる場所である。

横浜の「大佛次郎記念館」では <大佛次郎、雑誌「苦楽」を発刊す>(11月20日~来年3月8日)のテーマ展示がある。

英国のナショナル・トラストの力添えした人として、『ピーターラビット』の作者、ビアトリクス・ポターがあげられる。ポターの半生を描いた映画『ミス・ポター』がなかなか良かった。自立した女性の職業など考えられなかった時代に、それを成し遂げ、さらに資本家から自然環境を守るのである。ポター役のレニー・ゼルウィガーが多少クセのある演技ともおもえるが、絵本の主人公たちも飛び出して動き、婚約者の妹役がエミリー・ワトソンでもあるから許せる。相当考えた役づくりであったろうと想像できる。婚約者のユアン・マクレガーもはまり役となっていた。『ピーターラビット』やその仲間たちは子供たちの良き友となり、さらに自分たちの住む環境をも、自分たちの力で守ったことになる。

 

鎌倉『旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)』公開

鎌倉市の秋の施設公開で、『旧華頂宮邸』『大佛次郎茶亭(野尻亭)』『旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)』が、10月4、5日に公開された。『大佛次郎茶亭(野尻亭)』『旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)』は鎌倉駅から近いので、いつでもと思いつつやっと実現である。今回はこの二つを中心に据えての訪れとした。『大佛次郎茶亭(野尻亭)』のほうが時間的に先に訪ねたが、映画のこともあるので、『旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)』からにする。

ヨーロッパ映画の輸入に貢献された川喜多長政、かしこさんご夫妻の邸宅跡に鎌倉市川喜多映画記念館 が建て変えられ、その同じ敷地に別邸として『旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)』が残されている。旧和辻邸とあるように、東京の練馬にあった哲学者・和辻哲郎さんの住まわれていた江戸時代後期の民家を鎌倉に移築したものである。この別邸には、多くの海外の映画監督やきらびやかな映画スターが訪れている。

アラン・ドロン、フランソワ・トリュフォー監督、サタジット・レイ監督など、記念館にその写真パネルなども多く展示されている。映画『聖者たちの食卓』でのトークイベントで神谷武夫さんが、司会者にインド映画について尋ねられたとき「岩波ホールで上映されたサタジット・レイ監督の三部作(『大地のうた』『大河のうた』『大樹のうた』)もよいが『チャルラータ』がよかった。」と言われていた。残念ながら『チャルラータ』はDVDにはなっていない。私が驚いたその後のインド映画は『ボンベイ』である。美しい別天地のような歌あり踊りあり。テーマは宗教の違う男女の愛を、実際にあったヒンドゥー教徒とイスラム教徒の争いを背景に描いていたのには呆気にとられた。そして、宗教の違いの難しさも知らされた。

『旧川喜多別邸』は、入れるのは土間の部分であるが、開け放たれた縁側からも、テーブルと椅子の置かれた居間と和辻さんが書斎として使っていた部屋を見ることができる。

 

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縁側には、先日亡くなられた、山口淑子さんと川喜多長政さん、川喜多夫妻、フランソワ・トリュフォー監督とマリー・ラフォレさんと田中絹代さんが一緒の写真パネルが置かれている。この家で写されたものである。『東京画』でインタビューを受けられた笠智衆さんと、ヴイム・べエンダース監督 の写真もある。様々な映画人を包み込んだ家屋である。

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「記念館」の特別展は<映画女優 吉永小百合>で吉永さんが出演した映画ポスターが展示されている。吉永さんのデビューは1960年の『電光石化の男』であるが、同年に『不敵に笑う男』『霧笛が俺を呼んでいる』『疾風小僧』にも出演され、全てに(新人)とされていて、日活が力を入れていたことがわかる。展示されたポスターのところどころに吉永さんのコメントがある。吉永さんも印象的なこととし『キューポラのある町』の永六輔さんのメッセージが紹介されていた。<この映画でもう映画に出ないで欲しい>というものであった。それほど、主人公のジュンが生き生きとしていて、ジュンが吉永さんか、吉永さんがジュンか区別できないほどの演技力だったからであろう。吉永さんのコメントを読んでいると、吉永さんが放送関係から子役としてこの世界に参加し、映画の撮影現場とその作品からご自分の感性と生活感覚、社会感覚を育てられていったことがわかる。

『幕末』で、中村錦之助さんと仲代達矢さんの個性に挟まれてのお良、『華の乱』の与謝野晶子、『北の零年』の志乃など、自分の意思を前面に出す役のほうが、輝いて見えるのだが、受け身のほうの小百合さんを好きなサユリストが多いかもしれない。

モントリオール世界映画祭で二冠を受賞した『ふしぎな岬の物語』の受賞現場の映像も放映されている。これから12月25日まで吉永さんの映画や共演者の浜田光夫さんのトークイベントなどが目白押しである。

観ることはできないが、書棚には、見たいと思うVHSがずらーっと並んでいる。そして映画関係の本も。本のほうは時間さえあれば見放題である。ここは、小町通りから少し入っただけなのに静かで、4回ほど立ち寄っている。そして、いつも指を加え、棚を見上げ映画のタイトル名を眺めるのである。

映画『めぐり逢わせのお弁当』『聖者たちの食卓』

映画『めぐり逢わせのお弁当』はインドのムバイが舞台である。世界のそれぞれの国には、思いもよらないシステムがあるのだと驚かされる。

イラは夫のために腕をふるいお弁当を作る。ところが、夫の反応はいつも同じ。戻ってきたお弁当にある日手紙が入っていて、お弁当の批評が書かれている。お弁当は、夫ではない人に届きその人からの手紙であった。イラはその人のためにお弁当を作り、手紙を待つようになる。相手のサージャンは、早期退職を前にした単調な日々に楽しみを見つけるのである。二人は次第に相手に好意をもつようになり、愛を感じ始めるのである。

このお弁当を届ける仕事がある。<ダッバーワーラー>と呼ばれ、各家にお弁当を取りに行き、それを自転車で貨車に運び、貨車が着いた所にそれを受け取る人がいて、自転車に積み、会社の働く人の机の上にお弁当を配達するのである。飲食店にお弁当を頼んでいる人もいて、<ダッバーワーラー>は、飲食店にお弁当を(自分用のお弁当入れを預けているらしい)取りに行きそれを届けるのである。5千人の<ダッバーワーラー>が一日20万個のお弁当を届けるのである。その様子がドキュメント映像のようで、まず驚いた。ハーバード大学の分析によると、誤って配達されるのは600万分の一だそうである。あり得ないような確率を突破して生じた誤配によって生まれたロマンスということである。

イラのお弁当入れの容器は四段重ねで、一つにはイラが焼いたチャパテが入っており、残りの三つに手をかけた料理が入っている。イラがこの料理を上階の年配者の意見を窓から聞きつつ作る様子は無関心の夫の関心を曳こうとする気持ちが伝わる。ところがその一途さは手紙の返事のために使われることとなる。

恋愛映画としても面白い発想で、心あたたまるが、<ダッバーワーラー>とインド料理ってこんなに種類があるのかと、そのことに興味が奪われた。そしてその時手にした『聖者たちの食卓』のチラシである。

ドキュメンタリー映画『聖者たちの食卓』。黄金寺院(ハリ・マンディール)での、毎日豆カレーを10万食作っている無料食堂である。インド北西部バンシャープ州の都市アムリトサルにある、シク教徒の神聖なる寺院<黄金寺院>で500年以上伝わっている習わしである。

この習わしの意味は、宗教、カースト、肌の色、年齢、性別、地位などに関係なくすべての人が平等だというシク教の教義によるのだそうで、巡礼者、旅行者のために無料提供しているのである。その舞台裏を公開し映像を許可したわけである。ひたすらニンニクの薄皮をむいたり、豆をさやから出したり、チャパテを焼いたり、巨大なべをかき混ぜたり、当たり前の行為として、粛々と執り行われていく。皆で食べ終わると、その後かたずけも圧巻である。食器は上手に投げ入れられ、洗い場では人々が一枚一枚洗い、次の人は綺麗に磨き、それらに使うふきんが鋏で綺麗に切られ畳まれ、あらゆる作業が一つの流れとなってどこかでつながっていくのである。分業なのであるが、工場の分業作業の冷たい感覚とは違う空気である。音楽は時々聞こえてくる、シク教のコーラスの声だけである。後はその場で起こる音だけでありそれもこのドキュメントには合っていた。

映画のあとで、建築家でインド建築の研究家である神谷武夫さんのトークイベントがあり、<黄金寺院>の解説があった。映画でも映されたが、廻りを白い建物で囲まれた中庭が池になっていて、門をくぐって橋を渡ると池の真ん中に<黄金寺院>が建っているのである。

眺められているだけではなく、この建物の中で一度に五千人の人が豆カレーを食べるのである。10万人とすると、一日20回の食事である。陽が白々と明けるころから、陽が沈むまで、この寺院の無料食堂は、お腹を満たす幸福の食器の音を奏でている。

インド映画は幾つか観ているが、またインドの違う面を見せてもっらった。

〈 神谷武夫と黄金寺院 〉 で検索すると、<黄金寺院>の様子が探しあてられるでしょう。

 

映画 『Frances H フランシス・ハ』(2)

この映画の中で、かつての映画音楽が使われている。パンフレットに次の作品が紹介されていた。

フランソワ・トリュフォー監督『私のように美しい娘』『大人は判ってくれない』『家庭』、フィリップ・ド・ブロカ監督『まぼろしの市街戦』、レオス・カラックス監督『汚れた血』、ジュールズ・ダッシン監督『夜明けの約束』

私が観ているのは『大人は判ってくれない』で、その中の音楽がどんなだったかなんて記憶にない。『汚れた血』の中で使われた、デヴィット・ボウイの「モダン・ラブ」をバックにフランシスは走り出す。ここの場面も見ものだが、音楽がなんであるかなど聞き分けてはいない。ただ、フランシスの気持ちと合っているということだけである。

デヴィット・ボウイは音楽より、映画『戦場のメリークリスマス』と夭折したアメリカの画家『バスキア』のアンディ・ウォーホール役のほうが印象的である。

監督のノア・バームバックには、<ヌーヴェルヴァーグへのオマージュ>が、色濃く反映したようだ。

映像としても、フランシスがパリで逢おうと思った友人とも逢うことが出来ず、セーヌ河畔を歩く姿は、モノクロのためヌーヴェルヴァーグの味がある。その淋しさが、いつものフランシスとは違う哀愁があり、少し大人の雰囲気がある。ニューヨークとパリの違いでもある。この雰囲気が、ニートのフランシスに、「良いではないか。パリの夜を独り占めしたと思えば。」と言いたくなる。たとえお金がなく美味しい物が口に入らなかったとしても、ライトに浮かび上がる奈良の興福寺の夜の五重塔を前にすると、ゴージャスな気分になる。人も少なくひとり占めと思う。少し外れにある三重塔のほうが形としては美しいが。

その後、ニューヨークに戻りタクシーの中で、友人から「留守をしていたから今夜食事をしよう」のメッセージには笑ってしまう。いつものフランシスの世界が始まった。こういうところが、脚本の上手さである。

セーヌ河畔と云えば、ここでタンゴを踊る『タンゴ・レッスン』を思い浮かべる。そうだ、録画があるはずだ。サリー・ポッター監督の『タンゴ・レッスン』とフランソワ・トリュフォー監督の『突然炎のごとく』を見直そう。やはり、観た映画もまめに録画しておいたほうがよさそうである。

ノア・バームバック監督の『イカとクジラ』は、レンタルでありそうである。レンタルショップで見つける。この作品、何度か手にして見て戻している。賞も沢山取っていて優秀な作品と思うが観る気が起らなかったのである。この監督の映画であったのか。この際だから観ることにする。予想は当たった。俳優の演技が細かい。家族四人。両親は離婚する。出だしから、父派(長男)、母派(次男)と分かれているのがわかる。父と暮らす日と母と暮らす日が親権により半分に分けられている。次第に子供たちの精神の不安定さの揺れが激しくなっていく。結末の予想としては、二人の兄弟は自立していく方向が見える。

この監督の場合、流れる音楽(複数の歌)と、住む場所が重要な役割をしていて、たとえば、日本でいえば、下町と山の手のような風景も感じ取らなければならないが、こちらはわからない。歌の歌詞も。そのため、上手い俳優の神経ばかりが伝わり疲れてしまう。ウィリアム・ボールドウィンのテニスコーチがそこを少し和らげてくれるが。父がジェフ・ダニエルズ。母がローラ・リニー。長男が、ジェシー・アイゼンバーグ。次男は新人で、この子がまたいいのだ。父の教え子にアンナ・パーキンスで『ピアノ・レッスン』の娘役を演じたあの方である。登場人物に対し色々なとらえ方のできる映画である。ただ、こういう状況の兄弟の心理をここまで繊細に表した映画は少ないかもしれない。<イカとクジラの争い>が作り物であるというところが、題名『イカとクジラ』のキーポイントなのであろう。

フランシスのほうが転んでも血を流しバンドエイドですむ。『フランシス・ハ』。

 

映画 『Frances H フランシス・ハ』(1)  

映画館でキャッチしてきたチラシの中に 『フランシス・ハ』があった。紫系のセピア色の写真である。女性が普通の白のシャツブラウスにタイトスカート。左手はスカートのポケットに入れ、右手を上げジャンプしている。金髪の髪は躍動して獅子のよう。   <ハンパなわたしで生きていく>

映画のフランシスは、チラシでみたイメージと全然違っていた。駄目系のレギンスで走り回る、映画の主人公には成りづらい20代の女性。ニューヨークを舞台にしてのモノクロ映画である。モダンダンサーを目指しているが、少し太めで映像でも無理かもと思わせる。人生を前向きに楽しもうとしているが、一番気の合うルームシェアである女友達は、自分の住みたかった少し高級な地域で他の友人と住むという。

この友人ソフィーの言葉にこちらもビックリ。フランシスはソフィーとの関係から恋人との同居をことわって破局となったのである。それは、フランシスが選んだ事でソフィーがそうするようにと言ったわけではない。フランシスとソフィーの関係は、フランシスにいわせれば「私たちってプラトニックなレズカップルみたい」となり、言ってみれば「女の親友」ということである。ソフィーに恋人が出来、落ち込んでフランシスは実家に帰る。その両親がとてもいい感じで、居心地も良さそうである。しかし、フランシスは故郷から前に進む。

知人宅の夕食の席でフランシスは愛の形を語る。その時はよく解らなかったが、ソフィーとの自分の理想としている愛の形を語っていたのである。最終的には、この理想の形は映像で表現され、これだったのかと納得させられる。。そこまでのフランシスの日常の旅が、可笑しくもあるが、意見をしたくなったり、イライラさせられたりもするのである。お金もないのに知り合いに部屋が空いてるから使ってといわれてパリに行ったり、それでいて落ち込むがまた前に進む。

フランシスとソフィーは、それぞれの落ち込む状況で再会し、お互いを認め合い、ソフィーは彼のもとへ去って行く。

フランシスはまた走り出すのであるが、彼女は、彼女を客観的に見てアドバイスしてくれる、バレエカンパニーの経営者なのであろうか、その人の意見を受け入れるのである。このアドバイスした人が、私には魅力的であった。大人なのである。きちんとフランシスの特質を見抜いていて、お説教するのではなく、彼女の才能の方向を示すのである。この人がいなければフランシスの望む愛の形もなかったのである。

そのことによって、フランシスとソフィーの理想の愛の形が出来上がるのである。「沢山人のいるパーティーで、離れていても私と相手の気持ちが通じ合うの。特別な関係が出来上がっているの。」それは、「私たちってプラトニックなレズカップルみたい」な世界の延長上にある。

フランシス、そういうことであったのと頷いてしまう。そして『フランシス・ハ』の意味も。     <ハンパなわたしで生きていく>

主演のフランシス役のグレタ・ガーウイングは共同脚本に参加している。映画の中での帰省する実家の両親は実の両親だそうで、とてもよい雰囲気でなるほどと思う。

監督・脚本・制作がノア・バームバックで全然知りません。共演のアダム・ドライバーが2015年公開の『スターウォーズエピソード7』で悪役をやるそうなので公開されたら見ようかなと思う。いい悪役が出来そうな予感。

予告編にて。あのむさくるしい二人が帰ってくるそうな。『まほろ駅前狂騒曲』。