神田祭と神田の家

神田明神の資料館で江戸時代の【神田祭】の盛大な様子を知る。山、鉾、人形、花などを飾りつけた山車が36番まであり、山車は本で数えるのだそうで、40本前後の数である。それが曳き出されるのであるから、江戸の町が埋め尽くされる感じである。その山車が続く祭礼の絵図が展示されているが、36番までの絵もあるのでそれを順番に眺めその大きさを想像すると、自ずとその行列の長さが思い起こせる。どれも8メートルを越えていたとある。

山車も10番は<鞍馬山>で義経と天狗の人形が。能・芝居・歴史的ヒーロー物が多い。22番<紅葉狩>。27番<小鍛冶宗近>。28番<佐々木高綱>33番<源義経>などである。天下祭と呼ばれた神田祭は江戸城の中にまで入り将軍や奥方たちも上覧していた。田安御門から江戸城内に入り、上覧前を通過、竹橋御門を経て常盤橋御門から江戸城外へと出ている。

歌舞伎の「夏祭浪花鑑」(故・中村勘三郎さんが得意としたと書かれていた)の長町裏の場で団七が舅・義平次のいじめに耐えかねて手を掛ける時、後ろの黒板塀から高津神社の夏祭りの山車の上部が見え通りすぎてゆくが、歌川国芳の浮世絵ではその山車を神田祭りの山車で画いている。昔の本郷座のポスターもそうであった。ご愛嬌で関東にかえたのであろう。

神田明神そばの宮本公園内に[神田の家]がある。屋上回遊庭園から降りたほうがわかりやすいが、その建物は江戸時代から神田鎌倉町(現在の内神田一丁目)で材木商を営んできた遠藤家の関東大震災後に建て替えた店舗併用住宅である。オリンピック開催にともない木造建築は立ち退きとなり府中に移築し、木造建築の伝統的技術を兼ね備えていることから千代田区の有形文化財となり、遠藤家が神田明神の氏子総代を務めていたこともあり今の地で活用されている。8、18、28日は有料で説明付きで内覧できる。(但し時間が決められている)今の職人さんでは直すことの出来ない細かい仕事や、生活しやすい工夫と隠れたおしゃれさもある。この家を残された当主は史跡将門塚保存会でも尽力されている。

この保存会の方々であろうか、信仰されている方であろうか、将門塚にお線香をあげに来られていた。短い時間に二人の方に会った。将門は今も庶民のそばにいるのである。

神田明神にはお馴染みの銭形平次親分の顕彰碑が明神下を見守る場所に建っており、日本画家・水野年方顕彰碑、京都伏見稲荷大社の神職の国学者・荷田春満に江戸で最初に入門したのが神田明神神主家の芝崎好高で、賀茂真淵も芝崎家に一時住んでいたことから国学発祥の地碑なども建っている。

神田明神に行く時はJRお茶の水駅から聖橋の右手欄干沿いに歩いて、橋の上からJR総武線・中央線の電車と地下鉄丸の内線の電車が三本交差するのが見れた。帰りははお茶の水橋に周りそこから聖橋を眺めると聖橋が神田川に逆さまに映り、橋の下のアーチが円を描いている。この丸いアーチの中を地下鉄丸の内線の電車が通って行く。人口的な風景なのにその中をかい潜って見せてくれる健気な風景である。