映画『怪談』(1)

『怪談』と題名の映画二本についてである。

1965年、小林正樹監督で原作が小泉八雲の『怪談』の中から「黒髪」「雪女」「耳無芳一の話」「茶碗の中」の四つをそれぞれ短編で撮り『怪談』としているオムニバス形式である。

もう一つは、2007年、中田秀夫監督で原作が三遊亭圓朝の『真景累ヶ淵』である。中田秀夫監督といえば『リング』の監督ということで、これまた縁のないはずであった。ここまで怪談ものをみたのなら尾上菊之助さん出演であるし、『真景累ヶ淵』は歌舞伎とも縁が深いので、うわぁー!とおどろかされるのを覚悟してみた。

その結果、最終的に小泉八雲さんと三遊亭圓朝さんが結びついた。

ちかごろ図書館に、どうぞ自由にお持ちくださいと <リサイクル図書> がおかれている。図書館で保存しておく期間が図書種類によってきまりがあるらしく、それがすぎると <リサイクル図書> としてどなたでもどうぞということらしい。次から次、新書も入ってくるわけで、保存する場所の問題も生じるからであろう。古い書物は図書館で探そうとおもっていると、近くの図書館では、そうした利用のしかたは無理になってきているようである。

その <リサイクル図書> のなかに、雑誌『文学』の2013年3、4月号「特集=三遊亭圓朝」があった。読みやすそうなところをよんでいると次の文がでてきた。

「三遊亭円朝を初めてヨーロッパに紹介したのがラフカディオ・ハーンだということはよく知られているようである。」(マティルデ・マストランジェ)

紹介をしたきっかけが1892年に歌舞伎座で上演された『怪異談牡丹灯籠』で、ハーンさんも芝居をみて、「菊五郎のおかげで、またひとつ新しい恐怖の楽しみ方を知ることができた」と紹介したのである。

ところが、セツ夫人によると、ハーンさんは歌舞伎を見ていないといわれ、そのことをうけて、マストランジェさんは興味深いと書かれている。

面白いことである。歌舞伎で評判となったことで、円朝さんというひとの怪談話は今もこういうかたちで皆さんを楽しませているんですよということを伝えたかったのであろうか。八雲さんは、たくさんの怪談を発掘して書物で紹介したが、芝居などのかたちで楽しむことを怪談の楽しみ方としてより楽しいのだがという気持ちがあったように思えた。

とするなら、映画でとりあげられることは、もし八雲さんが知ったらどんなものになるのかとワクワクされたに違いない。

『怪談』(1965年)にかんしては、日本映画黄金時代の<にんじんクラブ>~三大女優~    で、この映画が赤字で「にんじんクラブ」が倒産したこと紹介したが、「仲代達矢が語る 日本映画黄金時代」(春日太一著)でもそのことにふれていた。仲代さんたち役者もスタッフもノーギャラで頑張ったようである。

さらにカンヌ国際映画祭に出品するが、事務局からながいということで、「雪女」がカットされる。岸恵子さんは、フランスに住んで居たため、いろいろ下準備をして駆けまわってくれていたが、その岸恵子さんの出ていた「雪女」を小林監督はカットしたのである。この映画祭で、『怪談』は審査員特別賞を受賞する。岸さんの胸の内は複雑であったことであろう。

DVDの特典の説明では、『雪女』は1969年ロンドン映画祭短編部門で受賞とある。この一作品だけでも世に認められたわけである。『怪談』の中での怖さからいうと「雪女」がその怖さが薄く美しくおわっている。小林監督がカットした気持ちもわかる。

さらにエピソードとして「黒髪」で、三国連太郎さんが、足の骨に届くようなトゲをさされたそうである。これは、みていてケガをしなかったのであろうかと思うほどの古く朽ちた廃屋での逃げまどう演技である。さもありなんである。

京都宇治にあった大倉庫を借り切っての撮影で、自動車メーカーの倉庫で車を走らすテストコースもあるような広さの倉庫だそうである。かつては飛行機の格納庫だったようで、ふつうの撮影所ではできないような大きなセットだったわけで、それだけでもお金がかかったことがわかる。「雪女」の雪に埋もれた家。「耳無芳一の話」の壇の浦の源平合戦や芳一が連れられて行く平家の亡霊たちの館のセットは幽玄な巨大さである。

「黒髪」の中の市の店の場面があるが、それが奈良の円成寺の境内の中の風景に似ている。ロケをされたか、小林監督は寺社などの知識も豊富なかたなので、もしかするとセットにつくられたのかもしれない。

「茶碗の中」の茶碗も陶芸家のかたに木ノ葉天目茶碗の一種をつくってもらい、小道具にいたるまで手をつくしている。こういう中で撮影できるということは、役者さんもスタッフさんも大変さはあったであろうが、もう体験できない贅沢な時間だったともいえる。

その時代その時代を踏みしめて、映画はつくられていくわけである。