映画『怪談』(2)

怪談』(1965年)監督・小林正樹/原作・小泉八雲/脚本・水木洋子/撮影・瀬川浩/音楽・武満徹

黒髪」 京で武士の夫婦(三国連太郎、新珠三千代)が貧しいながらも仲睦まじく暮らしていたが、夫のほうが貧しさにいやけがさし、遠い任地に一人でいってしまい、新しい妻(渡辺美佐子)をめとる。しかし、新しい妻はわがままで、武士はかつての妻が恋しく、京にもどりかつての住まいをたづねる。妻は夫を優しくむかえ二人は一夜をともにすごす。朝になってみると、妻の黒髪は白髪で、骸骨となっていた。館も朽ちはて、夫はそのおぞましさに恐怖で顔がどんどんやつれはて館をころげまわるように逃げだす。

『今昔物語』の第三部霊鬼のなかに「死んだ妻とただの一夜逢う話」としてのっている。

雪女」 若い巳之吉(仲代達矢)は年寄りの茂作と山の中で吹雪にあう。逃げ込んだ山小屋に美しい女があらわれ茂作を殺してしまう。女はだれにも話さないようにとつげ消えてしまう。巳之助は旅の美しい女と出逢い母(望月優子)とともに暮らし、母なきあとも子供たちと家族で幸せな日々を過ごす。ある夜、ふっと女房に雪女のことを話してしまう。女房は雪女で巳之吉が約束をやぶったため去ってしまう。

武蔵の国の調布村に雪女の伝説が伝えられ、青梅市の調布橋には『雪女の碑」がたてられている。

耳無芳一の話」 ある寺に盲目の琵琶法師・芳一(中村賀津雄)がいた。ある夜、甲冑姿の男(丹波哲郎)が、高貴なお方のために「平家物語」を語れと言われその屋敷につれていかれる。そこには、建礼門院(村松英子)、尼(夏川静江)など平家の亡霊が鎮座していて、毎夜、毎夜、芳一は語りつづけ次第に昼は眠るといった生活に、寺の住職(志村喬)は心配し、副住職(友竹正則)と寺男(田中邦衛、花沢徳衛)たちに芳一の後をつけさせる。芳一は平家の墓の前で一心に壇の浦の合戦を語っていた。住職は、平家の亡霊から救うため、体中にお経を書くが、耳だけわすれてしまったため、芳一は耳をちぎられてしまう。命の助かった芳一は耳無芳一として琵琶法師としての名声をえる。

義経(林与一)、弁慶(近藤洋介)、知盛(北村和夫)、貴人(中谷一郎)、教経(中村敦夫)そのほか、大勢の新劇団員が壇の浦の合戦の船上場面や、平家の人々として出演していた。

茶碗の中」 ある家臣の関内(中村翫右衛門)が主人の年始廻りの際、喉が渇き用意されていた水をのもうとして茶碗をみると、茶碗の水に人(仲谷昇)の不気味な笑い顔がうつる。ふしんに想い二度目、三度目と茶碗をかえるが人の顔がうかぶ。三度目に関内はかまわずに水をのんでしまう。それから関内は、関内にしか見えない亡霊に悩まされ乱心となる。この話しを書き留めていた作家(滝沢修)を版元(中村鴈治郎)が訪ねてくる。妻(杉村春子)が夫はどこへもでかけていないがとふっと水瓶をみると夫の顔がその水瓶にうつっている。妻も版元も恐怖のあまり叫び声をあげる。

宮口精二、佐藤慶、神山繁、田崎潤、天野英世、奈良岡朋子

「人生には理屈ぬきで怖いと思う瞬間がある。それでいいではないかという頭書がついている。まさに怪談とはそういうものである。しかし、我々の周囲には他人の魂をのんでヌケヌケと暮らしている人間がうようよいる。それも現代の怪談といえるのではないか。」(小林正樹)

怪談』(2007年)監督・中田秀夫/原作・三遊亭圓朝「真景累ヶ淵」/脚本・奥寺佐渡子/撮影・林淳一郎

深見新吉(尾上菊之助)、豊志賀(黒木瞳)、豊志賀の妹・お園(木村多江)、お久(井上真央)、お累(麻生久美子)、お賤(瀬戸朝香)、深見新左衛門(榎木孝明)、皆川宗悦(六平直政)、三蔵(津川雅彦)、講釈師(一龍齋貞水)

『真景累ヶ淵』は因縁話で、最後に謎解きのように登場人物の因果関係があかされる話しである。この映画を見たあとで、桂歌丸さんの『真景累ヶ淵』のDVD1から7巻までをみて聴いた。この話しの全容がわかり、この映画がそぎ落としていった部分もわかった。

一龍齋貞水さんの講釈を挟みつつ、深見新左衛門があんまの宗悦からお金を借りる。その取り立てにきた宗悦を新左衛門は殺してしまう。時はたち、宗悦の姉娘・豊志賀は、富本節の師匠で人気があり弟子も多い。そんな豊志賀に新左衛門の次男である新吉が惚れてしまう。新吉は叔父に世話になりつつきざみたばこを売ってあるいている。

豊志賀と新吉は深い仲となるが、豊志賀のほうが、新吉なしではいられなくなり弟子も減り、三味線のバチで傷した頬が化膿してひどい顔になってしまう。豊志賀は新吉へのおもいをのこし自害する。そこからそのおもいは、新吉に惚れる女性たちにのりうつり、新吉が殺すことになってしまう。

新吉と一緒に羽生村の叔父・三蔵を訪ねるお久。新吉と結婚する三蔵の娘お累。三蔵の囲い者であるお賤。ついには三蔵を殺し、新吉は追われる身となる。豊志賀の妹のお園が新吉を助けようとするが、豊志賀は新吉を死の世界に奪い取り、新吉の首を抱き微笑むのだある。新吉もまた幸せそうな顔をして微笑んでいる。

二回ほどドッキリさせられた。そのタイミングはさすがである。ただ、ラストでは、どうせ新吉を死の世界につれていくのなら、女たちを殺すこともなかったであろうに、さっさと連れて行けばよかったのにとおもってしまった。新吉は豊志賀への想いよりも、怖くて豊志賀から逃げたいという気持ちがあったのでこらしめられたわけであるが、女性達がお気の毒であった。

最後に妹のお園に見せつけるようなかたちととれて、本質はここなのであろうかと、すっきりしないかたちで終わった。因縁話がうすめられてしまった感もある。

『文学』に中田秀夫監督の文もある。『累ヶ淵』は中田監督が敬愛する中川信夫監督も撮られ、溝口健二監督も無声映画で撮られている。溝口監督のは残っていないが、淀川長治さんが大傑作といわれたらしい。中川信夫監督は『東海道四谷怪談』があったからこそ映画で飯を食ってこられたといわれたように、中田監督も自分も映画を生業としていられるのも、円朝のような天才の怪談物のおかげであるとされている。

壮大な怪談が「日本の高音多湿な夏と相まって、落語も、歌舞伎も映画も夏は納涼で怪談物が定着したおかげである。」

八雲さんも、日本に土着している怪談物の日本人の楽しみかたを紹介したわけである。八雲さんの怪談を書きものの文学としてとらえて映像化したのが小林正樹監督の『怪談』であり、江戸時代から人々の生活のなかにあった怖い『怪談』を映像化したのが中田秀夫監督につながる怪談映画のながれの一つということであろう。

中川信夫監督の『東海道四谷怪談』が怖いらしいが、まだみていない。

『真景累ヶ淵』(岩波文庫)では、近頃怪談話はすたれてしまったとはじまる。「幽霊というものは無い、全く神経病だということになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌いなさる事でございます。」

明治の西洋、西洋の掛け声に圓朝さんは一席投じたくなったようである。