『四谷怪談』関連映画 (3)

加藤泰監督の『怪談 お岩の亡霊』(1961年・昭和36年)は伊右衛門が、若山富三郎さんなのですが、浪人ということもあって髭ものびています。お梅と結婚するときも、鼻の下に髭があり、あの声ですのでどうも極道の伊右衛門さんという感じです。

監督・脚本・加藤泰/撮影・古谷伸/出演・民谷伊右衛門(若山富三郎)、お岩(藤代佳子)、佐藤与茂七(沢村訥升・九代目澤村宗十郎)、小平(伏見扇太郎)、伊勢屋喜兵衛(沢村宗之助)、お袖(桜町弘子)、お梅(三原有美子)、直助(近衛十四郎)

筋としては、正統派ですが、伊藤家は伊勢屋という商家で、伊右衛門の隣に引っ越してきます。伊右衛門と直助は、舅と与茂七の仇を討つとしますが、生きている与茂七は他家の武士で主人について江戸から離れています。

小平は、伊勢屋からお岩が受け取った血の道の薬を、病気の母親のために盗み、伊右衛門に殺されてしまいます。

<お岩の亡霊>とあるだけに、お岩さんの亡霊の登場が多いです。お寺で百万遍を唱えるところは、歌舞伎でも色々工夫して亡霊があらわれます。豊田四郎監督の『四谷怪談』でも、伊右衛門の幻覚にお岩と幸せそうな二人が出てきますが、こちらは、伊右衛門とお岩が踊る場面がでてきます。

与茂七が江戸にもどり、お岩が伊右衛門に殺されたことを告げる直助は、与茂七とお袖の仇討ちの助太刀をします。雪の場面で、与茂七は武士ですから、お袖と二人、白の着物で武士の仇討の衣装です。助太刀をした直助は、伊右衛門に殺されてしまいますが、「直助、ついていないね。」と言って死ぬあたりが近衛十四郎さんの直助らしいところです。

お袖と与茂七に討たれる伊右衛門は「首が飛んでもうごいてみせらあ。」の台詞ありです。

加藤泰監督は、忍術映画も撮られていたのですね。萩原遼監督との共作ですが、『伝奇大忍術映画 忍術児雷也』『伝奇大忍術映画 逆襲大蛇丸』(1955年昭和30年)がありました。

四代目中村雀右衛門さんが大谷友右衛門時代で、児雷也・尾形周馬役でガマに変身し、おろち丸の田崎潤さんが大蛇に変身、周馬側の綱手姫の利根はる恵さんがナメクジに変身するという忍術映画です。映画俳優としては友右衛門さんは繊細すぎるかもしれません。苦労されましたが、歌舞伎界にもどって正解だったとおもいます。この作品には、若山富三郎さんも出られていて、若山さんと加藤監督とは長いお付き合いなのです。

今の映像からすると技術的に劣って見えますが、全て手づくりできっとそれらしく見えるためにはどうすればよいかと一生懸命だったのだろうとおもえてきます。

『四谷怪談 お岩の亡霊』の森一生監督なども、『赤胴鈴之助 三つ目の鳥人』を撮られていて、撮影はなんと宮川一夫さんです。子供用とはあなどれない工夫をされています。

古い映画を見ていると驚かされることが沢山でてきます。映画人の職人としての心意気が伝わってきます。限られた中でどう自分たちの技術を使って面白いものにしていくかという意気込みです。

ただ聞いてみたいこともあります。どうして若山富三郎さんの伊右衛門は、髭をのこしたのかなあと。何か意味があったのでしょうか。

加藤泰監督の評判の長谷川伸原作の『瞼の母』は、『怪談 お岩の亡霊』の次の年、1962年(昭和37年)の作品です。評判どおり萬屋錦之助さんの華を生かして秀逸です。加藤泰監督の女優陣の衣装と着物の着せ方が美しいのです。

母親の小暮実千代さんが粋で綺麗で、錦之助さんの忠太郎が、自分の母親がこんないい女でどきどきして、それでいて自慢したいような嬉しさが湧き出ているのがわかります。それだけに、母親の拒絶から自分の中でおこったこの嬉しさに腹立たしくなったもう一人の忠太郎がみえてきます。

通過して通過して、手に入れていくのでしょう。