『坂東玉三郎新春舞踊公演』とシネマ歌舞伎『京鹿子娘五人道成寺・二人椀久』

  • 大阪松竹座の新春は、お年賀の口上から始まる。玉三郎は舞踏公演で台詞がなく声をお聞かせするという意味でも口上をもうけましたと。新春から大阪で壱太郎さんと江戸と上方の役者が並べることを嬉しく思いますと二代目鴈治郎さんのことにも触れられる。何を踊りたいか聞いてもなかなか言わなかった『鷺娘』を踊る壱太郎さんは、玉三郎さんの踊りはもちろんであるが、小道具、照明、舞台装置などあらゆる発想が印象に残ると。テレビの『にっぽんの芸能』(NHK・Eテレ)で玉三郎さんが『京鹿子娘道成寺』の鈴太鼓は子供用を用いていると言われて驚いた。身体の動きからそうなったと。そばで壱太郎さんは様々な驚きを受け取られているのだろう。

 

  • 今、玉三郎さんは、後輩たちと同じ舞台に立つことが伝えるということに一番有効な手段と考えておられるようだ。後輩たちは緊張と新鮮さの連続なのであろう。シネマ歌舞伎『京鹿子娘五人道成寺』(全国上映中)でもそうであったが、心に粘着性の突起を装置して触れる驚きや教えをすばやくとらえ、それを心の中に取り込んで再考し活かす方法を模索しているようである。七之助さんは、他のテレビ番組で勘三郎さんは穴を掘れというがどう掘るかを教えてくれないで、何やっているんだ掘れとだけ言うが、玉三郎さんはきちんと掘り方を教えてくれて優しいですと言われていた。その教えを聴く耳の鋭さも必要のようです。

 

  • 舞踊は賑やかな『元禄花見踊』から始まる。詞は花見の様々な様子がでてくる。着ている衣裳の様子、北嵯峨、御室の地名、お酒の大杯など、そして上野のはなざかりとなる。さらには囃子詞(はやしことば)も入りまるで花見の酔いに任せた詞の蛇行ジャンプである。ここは玉三郎さんの朱色の組みひもの優雅な動きに操られて楽しく花見客の見学である。ヨイヨイヨヤサ・・・

 

  • 秋の色種』は大好きな長唄である。CDを購入。詞に合わせた振りもいい。「衣かりがね声を帆に、上げておろして玉すだれ」声を帆に・・・で扇を少し開いたり閉じたり、玉すだれ・・・でゆらゆらと。この踊りの扇使いは見とれてしまうだけである。お箏は、玉三郎さんと壱太郎さんのお二人で。『秋の色種』の演目が入っていたからこそ、大阪へと思ったのである。はかないですね。観ている時はそうこことおもいますが、記憶が薄れていく。季節はずれの秋の溜息。後輩たちも、千穐楽、もう終わってしまうんだと溜息でしたね。

 

  • 鷺娘』は、玉三郎さんが<玉三郎の鷺娘>として一つの完成を極めた感のある演目である。それに壱太郎さんが一か月果敢に挑戦することを決め、それも玉三郎さんと同じ舞台でということで、なかなかいいだせなかったという気持ちもわかる。玉三郎さんの『鷺娘』が脳裏に残っている人が多い。玉三郎さん以外では、魁春さんの、黒の塗り下駄での出をされたものと、福助さんは透かしの印象的な傘にされた踊りが記憶に残る。恋の妄執に責めさいなまれ息耐えるというテーマのある作品なので観るほうもそこに気持ちが集約されていく。

 

  • 踊り手に鷺の精町娘との変化が要請され、一度観ていると綿帽子の白無垢に黒帯の出では、鷺の精の鷺娘としてそこにいる。そこから引き抜きがあり、明るい町娘となり ~縁を結ぶの神さんに 取りあげられし嬉しさも~ となる。ところが引っ込んで出てくると、神さんへの怨み言となる。引き抜きがあって傘づくし。壱太郎さんは小さな傘を二本使い若さが映える。もろ肌脱ぎの赤になり、鷺のぶっ帰りで終盤に入る。短いなかに引き抜きが入り、観客に鷺娘の心模様を伝えつつ最後は鷺の精にも抗い難い責め苦へと入っていく。

 

  • 人に恋してしまった鷺の許されない道。玉三郎さんの『鷺娘』は終盤、玉三郎さんが踊られてるのは重々承知していながらなにものかに身体が操られていて内面の妄執のすさまじさと悲しさを感じる。壱太郎さんの場合はまだ壱太郎さんの意志の力で踊られていて激しい踊りであると認識してしまう。この観客の気持ちをこの後どう鷺娘の心に吸引していくのかたのしみでもある。『鷺娘』は変化物の一つとして踊られていて、それが一つの舞踊作品として独立したものである。最後の責めの分部を加えたのが九世團十郎さんでロシアバレエのアンナ・パブロワが来日して『瀕死の白鳥』を観て着想を得たという。 

 

  • 真っ暗な舞台にぽつぽつと灯りがみえる。あれはなんであろうか。ぱっと明るくなって吉原仲之町。松の位の『傾城』。チラシの玉三郎さん。髷(まげ)は伊逹兵庫(だてひょうご)。左右あわせて12本の長い簪(かんざし)。中央には櫛が三枚。その後ろの左の松葉の簪が二本。右後ろには玉簪が二本。まじまじと髷と飾りをみる。花魁道中の風情を軽く見せて暗くなる。歌舞伎座と違ってこの場面は短い。再び明るくなり、廓での間夫とのやりとりが踊りとなっていく。喧嘩したり仲直りしたり、戸を叩く音を水鶏にだまされたりと動きはゆったりしているが饒舌な舞踊で、季節感豊かなありさまである。

 

  • 実際にそこにはいないのに映像でその場面や人物を映し出すことをバーチャルというなら、芝居や踊りなどはその心を自分で映像化するバーチャルである。『京鹿子娘五人道成寺』は、五人の花子の心をこちらは受け取ることになり超バーチャルな場所にいることになる。人工的バーチャルに対する五人の花子の肘鉄。歌舞伎役者さんの素と役の扮装と技はこれまた時空を超えさせる。その映像は、その場にいて観忘れた所作などが確認できる。烏帽子の脱ぎ方など。いつもと違っていた。

 

  • 映画『二人椀久』では、椀久の最後は倒れて終わるのであるが、勘九郎さんは、大木に体を支えるようにして終わる。傾城松山が夢の中に現れ楽しく踊るのであるが、いつのまにか椀久は松山がそこにいるのに触れることができない状態になっていく。花道でも捕らえようとしてとらえられない。そして完全に松山の姿は消え椀久は一人残され、たまらなくなって大木に体をゆだねるのであるが、命あるものに触れていたいという椀久の寂寥感伝わってすっと幕がおりた。実際に観てたよりも寂しさが心にささる。

 

  • 友人の住んでいる近くの映画館でもシネマ歌舞伎を上映しているので薦めたら行っそうで、映画館へ一人で行くのは生まれて初めてで朝4時に目が覚めて不安だったと。彼女に言わせると玉三郎さんは神技で、若手に苦言を呈し、意気盛んな感想である。来月、『籠釣瓶花街酔醒』も見に行くと。行く前と後の彼女の話しの様子に笑ってしまう。苦言の多いこちらが、しきりに若手の弁護にまわっていた。『籠釣瓶花街酔醒』の縁切りの場で『傾城』が流れる。

 

  • 鷺娘』に関しての九世團十郎さんとアンナ・パブロワとの件は、パブロワさんが来日した1922年には九世團十郎さんはすでに亡くなっていますので間違いです。『鷺娘』を最初に踊ったのは江戸時代(1762年)二代目瀬川菊之丞さんで、明治に九世團十郎さんが復活して人気を得ました。玉三郎さんが踊られている『鷺娘』の振り付けは六世藤間勘十郎(二世勘祖)さんである。『商業演劇の光芒』(神山彰編)の中で水落潔さんが「東宝歌舞伎と芸術座」で書かれている。長谷川一夫さんが座長で新演技座旗揚げ公演の演目に『鷺娘』(1941年)が入っていて「『鷺娘』は勘十郎さんが『瀕死の白鳥』をヒントに創作した舞踏・・・」とあるので実際に『鷺娘』と『瀕死の白鳥』を結びつけたのは、六世藤間勘十郎さんであったと思います。その後、踊る方によって変化していることでしょう。

 

  • 判らないことが多く、研究しているわけではないから出たとこ勝負。壱太郎さんの『鷺娘』の二本の傘も現藤十郎さんが扇雀時代に初演で二本傘なのを復活振り付けされたのを踊られたことを知る。『名作歌舞伎全集第19巻』の『鷺娘』に1961年にNHK「日本の芸能」でのテレビ放送のときで扇雀時代の写真が載っていて傘の大きさは普通の大きさである。壱太郎さんと藤十郎さんの『鷺娘』のこんなところにつながりがあったのかと、観た事がさらにしっくり落ち着いた。

 

  • シネマ歌舞伎の『籠釣瓶花街酔醒』を観れなくて、セット券が一枚残ってしまう。有効期限は2月。東劇で『京鹿子娘五人道成寺』『二人椀久』を延長して上映してくれていた。二回目の鑑賞である。上記の『二人椀久』の最後、間違って記していた。<勘九郎さんは、大木に体を支えるようにして終わる。>としたが、そのあと立ち膝になり羽織を抱きしめて幕であった。大木に寄りかかるところが強い印象でそこで記憶は終わったらしい。二回観て訂正できてよかった。落ち着いて鑑賞でき二回目なのに新鮮であった。