松竹座七月歌舞伎と尾張荒子観音(2)

  • 円空さんのが彫った仏様は仏師が作造したような仏様ではない。丸木のままとか、木を二つに割ったり、四つに割ったりして粗削りで、お顔は繊細な線の眉と目、三角の鼻、微笑みの口である。『名古屋市立博物館』にあるというのでそちらに先に訪れた。常設していると思ったら早とちりで、所有しているが、いつも展示していいるわけではなかった。期間限定で特別展として公開するらしい。残念。興味深かったのは「嵐しぼり」である。有松しぼりは有名であるが初めて聞く。

 

  • 「嵐しぼり」の再現ビデオ映像があった。丸い筒状のものに白い布斜めに重ならないように巻いていく。その上から糸を等間隔で巻いていく。そして巻きはじめのほうに布をよせる。それを藍につけるのである。糸を切ってさらすと、細い縞となって藍色がでてくる。糸を較差するとひし形の模様がでてくるのである。昔は、丸太に巻きつけて創作していたらしい。豪快であるが素朴で単純な模様で涼やかであった。発想が面白い。

 

  • 広重の「東海道五十三次」の版画もあった。吉田宿(現豊橋市)の「豊川橋」で、吉田城の外壁を職人が塗っていて、一人の職人は仕事をさぼり足場から橋を渡る旅人でも眺めているのか、絵のなかであるからなんとものんきである。赤坂宿(現豊川市)は「旅舎招婦ノ図」で旅篭の内部の客のようすと客のため化粧する女たちが描かれている。庭にはソテツがあって、浄泉寺にこの絵のソテツを移したものとして残されていた。岡崎宿(現岡崎市)は「矢矧之橋(矢作橋)」で東海道最長の橋である。鳴海宿は「名物有松絞」とあり有松絞を売る店が描かれていた。きっと旅から帰った人はこの浮世絵で色々説明したのであろう。

 

  • からくり人形もあり、山車の上のからくり人形などその技術が残っているようである。お茶を運ぶからくり人形など、その仕組みの映像もあった。大須には織田信長の父が開いた萬松寺がありからくり人形もあるが、あまりの新しい建物のお寺さんで、新興宗教かな、なんて通り過ぎてしまった。大須観音しか考えていなかったのである。博物館も楽しめたので円空仏像とはお会いできなかったがよしとする。レプリカがあり触って木の感触を確かめる。

 

  • 荒子観音寺』の開基は古く奈良時代である。北陸の霊峰白山を開いた泰澄和尚の開基といわれている。節分の日恵方のお寺にお参りすると御利益があると言われて江戸時代に尾張四観音信仰が盛んになる。四観音は竜泉寺、笠寺、甚目寺、荒子観音寺である。このことは今回知ったことです。

 

  • この荒子観音寺に円空仏が千二百五十余体まつられていている。北海道から滋賀、奈良まで遊行されて全部で十二万体の神仏像をまつられたようである。そのなかでも荒子観音寺のご住職・十世円盛と親しくたびたび訪れて彫っている。仏像をほることが行のようである。今はないが境内に蓮池があって、その池に丸太を浮かべながら二王門の中の三メートルを超える仁王像を彫ったようである。残念ながらこの仁王像はよく見えなくて外にはられている写真で見ることとなる。

 

  • 他の仏像は一箇所にまとめられていて、説明してくれるかたがいてお話を聞くことができる。一番小さいのは阿弥陀さま2.8cmと観音さま3.4cmである。仁王像を彫った時に鉈から飛び散った木片が池に浮かぶ。それに目鼻をつけたのが千余体の像である。木の総てに仏さまがおられるということであろうか。さらなる削りくずもお経の書かれた紙に大切に保存されていたという。その紙は年月がたっているので写真ではぼろぼろになっていた。よくお顔が見えない仏さまは小さなライトが置いてあって照らして拝見することができる。

 

  • ふしがあればそれを生かし、曲っていれば曲ったままで、傾いていればかたむいたままで彫っている。仏さまといわれなければ、古代人が微笑んでいるようでもある。柿本人麻呂さんの像もあった。このかたの歌が好きだったのでしょうか。聞いてくればよかった。場所が狭く結構人がいて、皆さんかなり熟知しているようであった。1972年(昭和47年)に多宝塔の中から発見されたのだそうで、46年前である。300年ここにいるんだけどなと微笑んでいたわけである。ただその前から230体余は保存されていて、円空さんゆかりのお寺として知られていた。

 

  • 円空さんは1632年に美濃国に生まれ、幼い頃に出家し、1654年(23歳)に遊行僧となり、1695年(65歳)に岐阜県関市弥勒寺近くの長良川畔にて入定(永遠の瞑想に入る)した。神仏像を造り衆生救済を祈願したのは、想像であるが、円空さん10歳のとき、寛永の大飢饉がおこっている。その惨状を目にしていたことによるのかもしれない。

 

  • 帰りに、仏像を彫っているのを見て行きませんかと声をかけられた。円空仏彫刻・木端の会のかたである。円空仏を彫る会で無料体験できるのである。円空仏は削ってでた木端(こっぱ)までも仏さまにしているので「木端仏」とも言われる。体験では小さな木端観音に顔を入れるのである。参考にする顔を見本に選び鉛筆で眉、目、鼻、口を書き、平刀で線を入れる感じである。その他の細かい事は教えてくれる。これは持ち帰ることができる。その時はこの位かなと思うが、帰ってよくみると、やはり煩悩あり。微笑みというのは難しいものである。

 

  • 木端仏などは全て同じにみえるが、木端の会の方が彫られたものを頂いた仏さまは、円空作の千面菩薩の「迦楼羅(かるら)」模刻で説明文によると「インドでの名前は ガルダ 神の鳥の王として仏教を守護。羽の色が金色。インド神話の霊鳥で毒蛇を食し、毒、煩悩から守ってくれる聖なる鳥。」とある。ひとつひとつに意味があるらしい。暑かったので涼の恩恵もうけ暑さの煩悩から守られた。

 

  • 荒子観音寺の本尊・聖観音菩薩は秘仏で、本堂のお前立ては優美であった。この近くには前田利家が生まれたといわれる荒子城址もあり、予定では散策するつもりであったが外へ出ると即、中止モードである。もちろん利家はこの荒子観音の修造にも力を貸して大切にしている。荒子観音は、名古屋駅から地下鉄東山線の高畑から歩いて徒歩7、8分である。地下鉄の途中駅に中村公園駅があり、豊臣秀吉の生まれたところである。秀吉と利家の誕生地が結構近かったのである。利家は加賀へ移るが、白山信仰にもあつかったようで、荒子観音の開祖泰澄和尚のお導きでしょうか。そんなつながりも想像できる。さてこの旅も終わり、江戸にもどります。近松門左衛門さんは国立劇場へ。秀吉さんと利家さんは歌舞伎座へ移します。