劇団民藝『新 正午浅草』

 正午浅草 荷風小伝』(作・演出・吉永仁郎/演出補・中島裕一郎)。永井荷風生誕140年、没後60年。こちらは新宿紀伊國屋サザンシアターからの発信である。 

フライヤーによると、千葉県市川市八幡の荷風(77歳)の住まいに、かつての愛妾お歌が訪ねて来て、思い出話から『濹東綺譚』に出てくる娼婦お雪の話しへとつながるようである。荷風さんは多くの女性と関係があったが、劇中で登場するのは、お歌とお雪である。

劇から少し離れて新藤兼人監督の著書「『断腸亭日乗』を読む」に触れる。新藤兼人監督は、映画『濹東綺譚』を撮った後で、「岩波市民セミナー」で講義をされ、それが本となった。その中に「荷風の女たち」として関根うたさんのことが書かれてある。日記の中では時間的に十三人目の女性ということになるらしい。これは女性関係だけをピックアップしてのことである。それだけの日記でないことは自明のことではあるが。

この日記の中ではうたさんのことが一番多く書かれていて、新藤兼人監督も、うたさんのことを多く語られている。そして、荷風が一番心を通わした女は、おうただろうとしている。荷風と別れたおうたは20年後石川県の和倉温泉で働いていて年賀状を出す(昭和31年)。そして市川まで荷風に会いに来る(昭和31年)。最後に会ったのが昭和32年3月6日である。<晴れ。関根お歌来話。午後浅草食事。>この頃には「正午浅草」「正午大黒屋」とか書くだけの気力しかなかったようで、劇の題名『新 正午浅草』も、晩年の老いた荷風さんとの時間を通してその最後を観客は看取るというかたちになる。

「正午浅草。」はまだ、体力的に浅草まで行けたのである。「正午大黒屋。」となると、浅草までは行けなくて八幡の「大黒家」での外食なのである。新藤兼人監督は、浅草の尾張屋の本店に取材にいっている。その時おかみさんがお嫁に来た頃の出来事を話されている。それは、カメラをもった若い人が店の中まで入って来て荷風さんの写真を撮るので、それとなく邪魔をするようにしたと。その時若いおかみさんは、その老人が永井荷風さんだと知ったのである。

「下町芸能大学」で、松倉久幸さんが、尾張屋のおかみさんを含めて浅草で荷風先生を知っておられるのは三人だけなったと言われていたのを思い出す。

人間これだけ老いて来れば誰かに頼ろうとする気持ちが湧いてくると思うのであるが、お掃除などをしてくれる人は雇うが、永井荷風さんは最後まで自分で食事を作るか外食をして一人を通すのである。そこが凄いというか、老人特有の頑固さであろうか。結婚は二度しているし、お歌さんとも一緒にくらしている。しかし、一緒に住めば女のほうに我がでて嫌な思いをすることを知っていて、そのことを極力嫌うのである。それを我慢できない自分をも知っているともいえる。浅草の踊子さんのところへ行くわけであるから、女性が好きである。ところが自分の最後をささえてくれる女性という感覚はないのである。

そんなことを、演劇を観ていても再度感じてしまった。ある面では潔い人でもある。最後まで荷風さんだけの世界観を貫き通したのであるから。老人の孤独の象徴のようにも思われがちであるが、荷風さんの場合はそうとだけは思えないのである。

好きなものを食べて誰の手もかけずに亡くなられる。日記も事実が書かれているとは限らない。小説家の場合、そこには文筆家としての仕掛けもあるかもしれない。ただ、新藤兼人監督が『断腸亭日乗』を読み始めたのが、昭和20年3月9日の空襲で偏奇館が焼ける箇所からで、その書き方が見事なシナリオをみるようで引きつけられている。

シナリオというのは、俳優やスタッフに内容を正確に伝えるためにかくので、余分なことを書いたり、美文の形容を使う必要がない。荷風さんの空襲の様子はまさしく客観描写であり、事実をその目で見た人でないと書けない記述だとしている。そのことが、監督が七巻もある『断腸亭日乗』を読めたきっかけでもあったとしている。

原作の『濹東綺譚』や「『断腸亭日乗』を読む」などを思い浮かべつつ演劇の方を鑑賞する。お歌さんは、芝居の流れから脚色された感があり、お雪さんと比べるとお気の毒のような気もする。お歌さんにお雪さんはどんな人だったのと聞かれ荷風さんは、お雪さんとの想いでの中に入る。

夢を見ると父親が現れ、父親の考え方や、荷風さんを自分の思うようにしようと父親なりの助力したことが明らかになるが、それに荷風さんが逆らい、自分を押し通したこともわかる。

生前意見をよく聞いた神代帚葉(こうじろそうよう)翁らしき人も登場し、荷風さんがきらっていた菊池寛さんも短時間で上手く登場させる。そして、写真を撮り荷風さんを困らせた青年も登場させ、荷風さんに聴きずらいことも尋ねさせている。

戦時、行く先々で四回も羅災し、やっと市川市に落ち着き、今その終の棲家で最期を向かえようとしている荷風さんを、写真でみる荷風さんとよく似た雰囲気で、水谷貞雄さんが登場する。体力的に書くことが少なくなった日記の代わりに、舞台上で登場人物たちとの会話で語り、荷風さんの生き方の筋の通し方を示めされた。老いて最後の死という大仕事をいかに当たり前の事としてむかえるかの心構えをそれとなく見せてくれてもいる。

永井荷風(水谷貞雄)、永井久一郎(伊藤孝雄)、若いカメラマン(みやざこ夏穂)、お歌(白石珠江)、お雪(飯野遠)、松田史朗、佐々木研、梶野稔、大中耀洋、田畑ゆり、高木理加、長木彩

紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA(新宿) 4月28日(日)まで