井原西鶴作品と映画『好色一代男』(1)

井原西鶴が最初に書いた浮世草子は『好色一代男』です。1682年、西鶴さん41歳のときです。5代将軍綱吉の時代で、倹約令、不孝不忠の者は重罪とか新作書物を売る場合は町奉行の許しを得るというようなお達しがあったりしたのです。そのような中で無事出版されベストセラーとなったわけです。

1年1章で54章、『源氏物語』にちなんでいるのです。恋の始まりは7歳で、勘当、放浪、遺産相続と続き、60歳にしてあるのかどうかもわからない女護島を目指して船出するという結末です。

全8巻で、前4巻は少年から青春時代の色模様、勘当され放浪するも色模様は途切れることはありません。後4巻では親の遺産で大尽として大阪、京、江戸の色里での太夫との色模様となります。大阪新町の夕霧、京島原の吉野、江戸吉原の高尾。億単位のお金がなければ到底遊べないような色里での様子に読者は挿絵を楽しみ知らない世界を想像して読んだのでしょう。

さらにこの主人公の世之介はまあ驚くべき速さで大阪から移動して歩くのです。北は出羽から南は肥前の長崎までいくのです。芭蕉の『奥の細道』からすると何の苦労もなくあっという間の移動で、東海道を下るのも早いです。

この『好色一代男』があったからこそ、十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』ができあがったと島田雅彦さんは言われています。言いおくれましたが現代語訳は島田雅彦さんので読んだのです。最初、吉行淳之介さんので読み始めたのです。お!吉行さんだと喜び勇んで読み始めたのです。さすが吉行さん、慌てず急がずの感じですがなぜかこちらのテンポと合わないのです。島田雅彦さんの訳があるというのでそちらにしたら、裾裁きも軽快な世之介で早めに読みおわることができました。

サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』も、読み直したらどうも進まなくて、村上春樹さんの訳があることを知り村上さんのに変えたらすらすら読めたので、自分の読みやすい訳者を選ぶのも読了する一つの方法かとも思います。

読者というジャンルを増やしたのは井原西鶴の手柄でもあったように思います。書き手にも相当影響をあたえました。しかしベストセラー作家でありながら印税などない時代ですから、西鶴さん蔵も建ちません。実家の隠居所からさらに狭い家に目の不自由な娘と引っ越すということになってしまいます。西鶴さんの知らない間に江戸では菱川師宣の絵に『好色一代男』のあらましをかかげて出版されたりもしますが、西鶴さんは名が知れることを喜んで気にしません。

人の驚くようなことを実行し、名前の売れることを楽しみともしています。

ただいつお咎めがあるかわからないので出版するほうも綱渡りのところがありました。そのあたりの駆け引きも西鶴さんは自分でやらなければならなかったわけですが闘志をみなぎらせています。ただその後、本屋が売れる好色物の続きのみを要求し、それには閉口もしますがとにかくアイデア満載で新しさをすすめていきます。

好色一代男』ではお金のことがよくでてきます。現代語訳ではそのお金の価値を現代のお金に換算してくれていますのでその辺もわかりやすいです。さらにジトっとした情緒というものがありませんから女性たちと尾を引くということもありません。世之介には執着心がないということでもあります。新たなる女性を求める以外は。さらに使う金銭も加味されるのですから恋愛とはなりません。

当時の商業の都市としての大阪の発展事情もあり、そのことに西鶴さんは非常に興味をもっています。そのことがのちに、お金をどうやって増やしていくかの話や、貧富の差の貧のほうに目を向けていくことになるのです。西鶴さんも貧の中で最後まで筆を動かし続けることをやめませんでした。

世之介が遺産相続した額は、500億円です。