鎌倉『旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)』公開

鎌倉市の秋の施設公開で、『旧華頂宮邸』『大佛次郎茶亭(野尻亭)』『旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)』が、10月4、5日に公開された。『大佛次郎茶亭(野尻亭)』『旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)』は鎌倉駅から近いので、いつでもと思いつつやっと実現である。今回はこの二つを中心に据えての訪れとした。『大佛次郎茶亭(野尻亭)』のほうが時間的に先に訪ねたが、映画のこともあるので、『旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)』からにする。

ヨーロッパ映画の輸入に貢献された川喜多長政、かしこさんご夫妻の邸宅跡に鎌倉市川喜多映画記念館 が建て変えられ、その同じ敷地に別邸として『旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)』が残されている。旧和辻邸とあるように、東京の練馬にあった哲学者・和辻哲郎さんの住まわれていた江戸時代後期の民家を鎌倉に移築したものである。この別邸には、多くの海外の映画監督やきらびやかな映画スターが訪れている。

アラン・ドロン、フランソワ・トリュフォー監督、サタジット・レイ監督など、記念館にその写真パネルなども多く展示されている。映画『聖者たちの食卓』でのトークイベントで神谷武夫さんが、司会者にインド映画について尋ねられたとき「岩波ホールで上映されたサタジット・レイ監督の三部作(『大地のうた』『大河のうた』『大樹のうた』)もよいが『チャルラータ』がよかった。」と言われていた。残念ながら『チャルラータ』はDVDにはなっていない。私が驚いたその後のインド映画は『ボンベイ』である。美しい別天地のような歌あり踊りあり。テーマは宗教の違う男女の愛を、実際にあったヒンドゥー教徒とイスラム教徒の争いを背景に描いていたのには呆気にとられた。そして、宗教の違いの難しさも知らされた。

『旧川喜多別邸』は、入れるのは土間の部分であるが、開け放たれた縁側からも、テーブルと椅子の置かれた居間と和辻さんが書斎として使っていた部屋を見ることができる。

 

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縁側には、先日亡くなられた、山口淑子さんと川喜多長政さん、川喜多夫妻、フランソワ・トリュフォー監督とマリー・ラフォレさんと田中絹代さんが一緒の写真パネルが置かれている。この家で写されたものである。『東京画』でインタビューを受けられた笠智衆さんと、ヴイム・べエンダース監督 の写真もある。様々な映画人を包み込んだ家屋である。

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「記念館」の特別展は<映画女優 吉永小百合>で吉永さんが出演した映画ポスターが展示されている。吉永さんのデビューは1960年の『電光石化の男』であるが、同年に『不敵に笑う男』『霧笛が俺を呼んでいる』『疾風小僧』にも出演され、全てに(新人)とされていて、日活が力を入れていたことがわかる。展示されたポスターのところどころに吉永さんのコメントがある。吉永さんも印象的なこととし『キューポラのある町』の永六輔さんのメッセージが紹介されていた。<この映画でもう映画に出ないで欲しい>というものであった。それほど、主人公のジュンが生き生きとしていて、ジュンが吉永さんか、吉永さんがジュンか区別できないほどの演技力だったからであろう。吉永さんのコメントを読んでいると、吉永さんが放送関係から子役としてこの世界に参加し、映画の撮影現場とその作品からご自分の感性と生活感覚、社会感覚を育てられていったことがわかる。

『幕末』で、中村錦之助さんと仲代達矢さんの個性に挟まれてのお良、『華の乱』の与謝野晶子、『北の零年』の志乃など、自分の意思を前面に出す役のほうが、輝いて見えるのだが、受け身のほうの小百合さんを好きなサユリストが多いかもしれない。

モントリオール世界映画祭で二冠を受賞した『ふしぎな岬の物語』の受賞現場の映像も放映されている。これから12月25日まで吉永さんの映画や共演者の浜田光夫さんのトークイベントなどが目白押しである。

観ることはできないが、書棚には、見たいと思うVHSがずらーっと並んでいる。そして映画関係の本も。本のほうは時間さえあれば見放題である。ここは、小町通りから少し入っただけなのに静かで、4回ほど立ち寄っている。そして、いつも指を加え、棚を見上げ映画のタイトル名を眺めるのである。

映画『めぐり逢わせのお弁当』『聖者たちの食卓』

映画『めぐり逢わせのお弁当』はインドのムバイが舞台である。世界のそれぞれの国には、思いもよらないシステムがあるのだと驚かされる。

イラは夫のために腕をふるいお弁当を作る。ところが、夫の反応はいつも同じ。戻ってきたお弁当にある日手紙が入っていて、お弁当の批評が書かれている。お弁当は、夫ではない人に届きその人からの手紙であった。イラはその人のためにお弁当を作り、手紙を待つようになる。相手のサージャンは、早期退職を前にした単調な日々に楽しみを見つけるのである。二人は次第に相手に好意をもつようになり、愛を感じ始めるのである。

このお弁当を届ける仕事がある。<ダッバーワーラー>と呼ばれ、各家にお弁当を取りに行き、それを自転車で貨車に運び、貨車が着いた所にそれを受け取る人がいて、自転車に積み、会社の働く人の机の上にお弁当を配達するのである。飲食店にお弁当を頼んでいる人もいて、<ダッバーワーラー>は、飲食店にお弁当を(自分用のお弁当入れを預けているらしい)取りに行きそれを届けるのである。5千人の<ダッバーワーラー>が一日20万個のお弁当を届けるのである。その様子がドキュメント映像のようで、まず驚いた。ハーバード大学の分析によると、誤って配達されるのは600万分の一だそうである。あり得ないような確率を突破して生じた誤配によって生まれたロマンスということである。

イラのお弁当入れの容器は四段重ねで、一つにはイラが焼いたチャパテが入っており、残りの三つに手をかけた料理が入っている。イラがこの料理を上階の年配者の意見を窓から聞きつつ作る様子は無関心の夫の関心を曳こうとする気持ちが伝わる。ところがその一途さは手紙の返事のために使われることとなる。

恋愛映画としても面白い発想で、心あたたまるが、<ダッバーワーラー>とインド料理ってこんなに種類があるのかと、そのことに興味が奪われた。そしてその時手にした『聖者たちの食卓』のチラシである。

ドキュメンタリー映画『聖者たちの食卓』。黄金寺院(ハリ・マンディール)での、毎日豆カレーを10万食作っている無料食堂である。インド北西部バンシャープ州の都市アムリトサルにある、シク教徒の神聖なる寺院<黄金寺院>で500年以上伝わっている習わしである。

この習わしの意味は、宗教、カースト、肌の色、年齢、性別、地位などに関係なくすべての人が平等だというシク教の教義によるのだそうで、巡礼者、旅行者のために無料提供しているのである。その舞台裏を公開し映像を許可したわけである。ひたすらニンニクの薄皮をむいたり、豆をさやから出したり、チャパテを焼いたり、巨大なべをかき混ぜたり、当たり前の行為として、粛々と執り行われていく。皆で食べ終わると、その後かたずけも圧巻である。食器は上手に投げ入れられ、洗い場では人々が一枚一枚洗い、次の人は綺麗に磨き、それらに使うふきんが鋏で綺麗に切られ畳まれ、あらゆる作業が一つの流れとなってどこかでつながっていくのである。分業なのであるが、工場の分業作業の冷たい感覚とは違う空気である。音楽は時々聞こえてくる、シク教のコーラスの声だけである。後はその場で起こる音だけでありそれもこのドキュメントには合っていた。

映画のあとで、建築家でインド建築の研究家である神谷武夫さんのトークイベントがあり、<黄金寺院>の解説があった。映画でも映されたが、廻りを白い建物で囲まれた中庭が池になっていて、門をくぐって橋を渡ると池の真ん中に<黄金寺院>が建っているのである。

眺められているだけではなく、この建物の中で一度に五千人の人が豆カレーを食べるのである。10万人とすると、一日20回の食事である。陽が白々と明けるころから、陽が沈むまで、この寺院の無料食堂は、お腹を満たす幸福の食器の音を奏でている。

インド映画は幾つか観ているが、またインドの違う面を見せてもっらった。

〈 神谷武夫と黄金寺院 〉 で検索すると、<黄金寺院>の様子が探しあてられるでしょう。

 

国立劇場 『東北の芸能V』(2)

五回目の今開催は、東北六県の芸能を存分に楽しませてもらった。

『寺崎のはねこ踊』は宮城県石巻市桃生(ものう)町寺崎に伝わるもので四年に一度の「寺崎八幡神社大祭礼」の時の踊りらしいが、今は毎年披露されている。この踊りの起源は江戸時代で、凶作が続き苦しんだ人々が、豊作に恵まれ歓喜して踊ったのが始まりだそうで、気持ちそのままの踊りである。ずーっと飛び跳ねている豊年踊りである。現在の衣装は模様入りの長襦袢である。はね易いようにであろう。裾の重ねが開き気味にされている。そのため足がむき出しにならないように、襦袢の下にお相撲さんの化粧まわしと同じような<マス>と呼ばれるものが締められている。白い房と鈴がついている<マス>が跳ねるたびに見える。お囃子が大太鼓、小太鼓、笛、鉦である。二枚扇を使い、お囃子が次第にはやくなるが、その速さに負けてはいない跳ね方である。豊作の喜びがビンビン響いてくる踊りであった。

『青森ねぶた囃子』は、あの<ねぶた>と跳人(はたと)とともに練り歩く。ねぶた囃子は、ねぶた祭りの始まりから終わりまである。「集合太鼓」、「小屋出し」、「出発準備」、ねぶた本番の「進行囃子」、「もどり囃子」、「小屋入れ」。その他、8月7日のみの「七日囃子」、賑やかな「ころばし」。跳人が「ラセラ、ラセラ」と掛け声をかけ跳ねる。お囃子に手振り鉦が加わりその手さばきがリズミカルで軽快で面白い。ねぶた祭りでは、大きな夜を照らすねぶたに負けないお囃子で盛り上げているのであろう。人を集め、ねぶたを小屋から出し、出発準備にまで、種類の違うお囃子が活躍していたとは。現地で本番だけ観ている人はきっと知らないであろう。まだ現地に行ってない者のひがみ誉かな。

『鹿踊大群舞』。これはずーっと見たいと思っていた。ししおどりは、岩手県と宮城県に伝えれていて、岩手県でもさらに「太鼓踊系鹿踊」と「幕踊系鹿踊」に分れ、さらに「太鼓踊系鹿踊」も流派がある。「金津流」「行山流」「春日流」。今回は「金津流」である。この装束が、興味深い。おそらく長い間に色々な影響を受け完成していったのであろう。背負っている白い長いササラ(腰竹)が地面を叩く(煽ると表現している)のが何んとも言えない形である。その起源も、狩猟の犠牲になった鹿の供養、鹿に遊ぶさま、中国の唐獅子の影響など様々である。それが庶民の信仰や神事と結びつき、足さばきも独特である。獅子頭から鹿の角が出、顔は隠されている。前には太鼓をつけ打ちながら舞う。そして唄もあり、歌詞が判らないのが残念である。動きは太鼓があるので拘束されるが、それでいながら勇壮でササラのしなやかさが加わり劇場でありながら風を感じさせる。

10月1日に、国立劇場で『伝統芸能の交流ー日本・モンゴルの歌と踊り』があり、その時、岩手県花巻市の春日流落合鹿踊がある。そして、一度聴きたいと思っているモンゴルのホーメィ(喉歌)もある。予定があり行けないのが残念である。

なかなか現地まで行って観たり聞いたり出来ない各地に伝わる芸能を、特に今回は東北六県に長く伝わる芸能に接する事ができ楽しい時間を過ごす事が出来た。震災の復興は遅遅としているが、こうした芸能を支える力が立ち上がりまた土台となって支えて行かれるのであろう。

 

 

国立劇場 『東北の芸能V』(1)

東日本大震災復興支援として平成24年度より始まって五回目ということである。目にしつつ予定が合わなかったのであろう。今回は、早めに予定として入れることが出来た。

福島県「相馬野馬追太鼓(そうまのまおいだいこ)」、秋田県「なまはげ太鼓」、山形県「花笠踊り」、宮城県「寺崎のはねこ踊」、青森県「青森ねぶた囃子(ばやし)」、岩手県「鹿踊大群舞(ししおどりだいぐんぶ)」

全て興味があった。耳慣れているのは、「花笠踊り」はおそらく<花笠音頭>であろうから、<ヤッショー、マカショ>であろう。それぞれの芸能の起こりの説明のパンフを渡されたので、大変参考になった。

<相馬野馬追>は一千有余年の歴史があり、中村藩主相馬氏は、平将門(相馬小次郎)を祖としている。そして<相馬野馬追>も平将門に始まると伝えられている。凄いです。そこから時代を超えてつながっているのですから。「相馬野馬追太鼓」は新しく、この伝統行事を見てくださるお客様に太鼓演奏でもっと盛り上がって欲しいということで14年前から始まった。たとえば今回のように、劇場で<相馬野馬追>の勇壮さを楽しんでもらおうという場合に有効ということになる。ほら貝の音も加わり旗の閃きを感じるリズミカルな太鼓演奏である。

東日本大震災の時、無名塾主催の仲代達矢さんの『炎の人』を観劇する予定であったが、公演は中止となった。そのため、切符を購入した人には返金のお知らせがあったが、返金を辞退し何かに役立てて下さいと連絡した。後日連絡があった。相馬の馬を仕事でお借りしたこともあり、被害が大きいので、そちらへの支援として回させてもらいますと。その事もあり、若い人が一生懸命に太鼓を打つ姿は頼もしかった。

「なまはげ太鼓」は、男鹿の<なまはげ>を主題とした創作和太鼓である。<なまはげ>は、大晦日にテレビ映像などでよく子供を泣かせている鬼のような怖い顔の面をして、蓑を身につけているがケラミノというそうだ。起源は諸説あるが、<なまはげ>の役割は、怠け心を戒め、家に住む厄(わざわい)を振り払うことである。この<なまはげ>が太鼓演奏をしてくれた。演奏しないときも動きまわり、<なまはげ>としての動きを色々工夫されていた。突然家に来られると、やはりドキッとするであろう。見慣れると愛嬌もある。

「花笠踊り」は、やはり<花笠音頭>である。<花笠音頭>は、尾花沢近郊の徳良湖の土木工事で、土を固める作業の際の囃し唄「土突き(どんつき)唄」が起源とも言われているとか。これは想像外である。踊りも、作業している人に風を送ったり、励ましたりと笠を持ち唄い踊るようになっていったのだそうである。華やかなので、紅花と結びつけていたが起源は違う労働歌であった。しかし、その後歌詞を一般公募したり、踊りも紅花や山形の風物を取り入れ、現在の「花笠踊り」となり、花笠まつりの主役となったわけである。綺麗にそろっていて、多くの観光客の目を楽しませる様子が想像できる。

 

映画 『Frances H フランシス・ハ』(2)

この映画の中で、かつての映画音楽が使われている。パンフレットに次の作品が紹介されていた。

フランソワ・トリュフォー監督『私のように美しい娘』『大人は判ってくれない』『家庭』、フィリップ・ド・ブロカ監督『まぼろしの市街戦』、レオス・カラックス監督『汚れた血』、ジュールズ・ダッシン監督『夜明けの約束』

私が観ているのは『大人は判ってくれない』で、その中の音楽がどんなだったかなんて記憶にない。『汚れた血』の中で使われた、デヴィット・ボウイの「モダン・ラブ」をバックにフランシスは走り出す。ここの場面も見ものだが、音楽がなんであるかなど聞き分けてはいない。ただ、フランシスの気持ちと合っているということだけである。

デヴィット・ボウイは音楽より、映画『戦場のメリークリスマス』と夭折したアメリカの画家『バスキア』のアンディ・ウォーホール役のほうが印象的である。

監督のノア・バームバックには、<ヌーヴェルヴァーグへのオマージュ>が、色濃く反映したようだ。

映像としても、フランシスがパリで逢おうと思った友人とも逢うことが出来ず、セーヌ河畔を歩く姿は、モノクロのためヌーヴェルヴァーグの味がある。その淋しさが、いつものフランシスとは違う哀愁があり、少し大人の雰囲気がある。ニューヨークとパリの違いでもある。この雰囲気が、ニートのフランシスに、「良いではないか。パリの夜を独り占めしたと思えば。」と言いたくなる。たとえお金がなく美味しい物が口に入らなかったとしても、ライトに浮かび上がる奈良の興福寺の夜の五重塔を前にすると、ゴージャスな気分になる。人も少なくひとり占めと思う。少し外れにある三重塔のほうが形としては美しいが。

その後、ニューヨークに戻りタクシーの中で、友人から「留守をしていたから今夜食事をしよう」のメッセージには笑ってしまう。いつものフランシスの世界が始まった。こういうところが、脚本の上手さである。

セーヌ河畔と云えば、ここでタンゴを踊る『タンゴ・レッスン』を思い浮かべる。そうだ、録画があるはずだ。サリー・ポッター監督の『タンゴ・レッスン』とフランソワ・トリュフォー監督の『突然炎のごとく』を見直そう。やはり、観た映画もまめに録画しておいたほうがよさそうである。

ノア・バームバック監督の『イカとクジラ』は、レンタルでありそうである。レンタルショップで見つける。この作品、何度か手にして見て戻している。賞も沢山取っていて優秀な作品と思うが観る気が起らなかったのである。この監督の映画であったのか。この際だから観ることにする。予想は当たった。俳優の演技が細かい。家族四人。両親は離婚する。出だしから、父派(長男)、母派(次男)と分かれているのがわかる。父と暮らす日と母と暮らす日が親権により半分に分けられている。次第に子供たちの精神の不安定さの揺れが激しくなっていく。結末の予想としては、二人の兄弟は自立していく方向が見える。

この監督の場合、流れる音楽(複数の歌)と、住む場所が重要な役割をしていて、たとえば、日本でいえば、下町と山の手のような風景も感じ取らなければならないが、こちらはわからない。歌の歌詞も。そのため、上手い俳優の神経ばかりが伝わり疲れてしまう。ウィリアム・ボールドウィンのテニスコーチがそこを少し和らげてくれるが。父がジェフ・ダニエルズ。母がローラ・リニー。長男が、ジェシー・アイゼンバーグ。次男は新人で、この子がまたいいのだ。父の教え子にアンナ・パーキンスで『ピアノ・レッスン』の娘役を演じたあの方である。登場人物に対し色々なとらえ方のできる映画である。ただ、こういう状況の兄弟の心理をここまで繊細に表した映画は少ないかもしれない。<イカとクジラの争い>が作り物であるというところが、題名『イカとクジラ』のキーポイントなのであろう。

フランシスのほうが転んでも血を流しバンドエイドですむ。『フランシス・ハ』。

 

映画 『Frances H フランシス・ハ』(1)  

映画館でキャッチしてきたチラシの中に 『フランシス・ハ』があった。紫系のセピア色の写真である。女性が普通の白のシャツブラウスにタイトスカート。左手はスカートのポケットに入れ、右手を上げジャンプしている。金髪の髪は躍動して獅子のよう。   <ハンパなわたしで生きていく>

映画のフランシスは、チラシでみたイメージと全然違っていた。駄目系のレギンスで走り回る、映画の主人公には成りづらい20代の女性。ニューヨークを舞台にしてのモノクロ映画である。モダンダンサーを目指しているが、少し太めで映像でも無理かもと思わせる。人生を前向きに楽しもうとしているが、一番気の合うルームシェアである女友達は、自分の住みたかった少し高級な地域で他の友人と住むという。

この友人ソフィーの言葉にこちらもビックリ。フランシスはソフィーとの関係から恋人との同居をことわって破局となったのである。それは、フランシスが選んだ事でソフィーがそうするようにと言ったわけではない。フランシスとソフィーの関係は、フランシスにいわせれば「私たちってプラトニックなレズカップルみたい」となり、言ってみれば「女の親友」ということである。ソフィーに恋人が出来、落ち込んでフランシスは実家に帰る。その両親がとてもいい感じで、居心地も良さそうである。しかし、フランシスは故郷から前に進む。

知人宅の夕食の席でフランシスは愛の形を語る。その時はよく解らなかったが、ソフィーとの自分の理想としている愛の形を語っていたのである。最終的には、この理想の形は映像で表現され、これだったのかと納得させられる。。そこまでのフランシスの日常の旅が、可笑しくもあるが、意見をしたくなったり、イライラさせられたりもするのである。お金もないのに知り合いに部屋が空いてるから使ってといわれてパリに行ったり、それでいて落ち込むがまた前に進む。

フランシスとソフィーは、それぞれの落ち込む状況で再会し、お互いを認め合い、ソフィーは彼のもとへ去って行く。

フランシスはまた走り出すのであるが、彼女は、彼女を客観的に見てアドバイスしてくれる、バレエカンパニーの経営者なのであろうか、その人の意見を受け入れるのである。このアドバイスした人が、私には魅力的であった。大人なのである。きちんとフランシスの特質を見抜いていて、お説教するのではなく、彼女の才能の方向を示すのである。この人がいなければフランシスの望む愛の形もなかったのである。

そのことによって、フランシスとソフィーの理想の愛の形が出来上がるのである。「沢山人のいるパーティーで、離れていても私と相手の気持ちが通じ合うの。特別な関係が出来上がっているの。」それは、「私たちってプラトニックなレズカップルみたい」な世界の延長上にある。

フランシス、そういうことであったのと頷いてしまう。そして『フランシス・ハ』の意味も。     <ハンパなわたしで生きていく>

主演のフランシス役のグレタ・ガーウイングは共同脚本に参加している。映画の中での帰省する実家の両親は実の両親だそうで、とてもよい雰囲気でなるほどと思う。

監督・脚本・制作がノア・バームバックで全然知りません。共演のアダム・ドライバーが2015年公開の『スターウォーズエピソード7』で悪役をやるそうなので公開されたら見ようかなと思う。いい悪役が出来そうな予感。

予告編にて。あのむさくるしい二人が帰ってくるそうな。『まほろ駅前狂騒曲』。

 

 

 

こまつ座 『きらめく星座』

観劇した<こまつ座>の『きらめく星座』のことを書こうとして、浅草のレコード店オデオン堂のお兄ちゃん正一を演じた田代万里生さんのことを調べようと検索したら、頚椎棘突起の骨折のため降板とある。田代さんについては『きらめく星座』で初見で情報もゼロである。愛くるしい真ん丸の目で脱走兵の正ちゃんはオデオン堂の家族のもとに顔を出し、楽しい困った状況を作り出しては、はたまた姿を消す。今度、正ちゃんはどんな姿で現れるのか。年上の義弟をあきれさせ、憲兵を煙に巻き、家族とその仲間に歌を歌わせ、正ちゃんは消えて行く。そんな役柄の田代さんであった。よく動き回り美しい声も披露し元気いっぱいであった。降板前の18日の観劇でのことである。

役者さんだって生身の人間である。故障があれば先の舞台や仕事で挽回すればよいのである。しっかり治していただきたい。24日から、峰﨑亮介さんが新しい正一で公演が続くようで、他の役者さん達はきっちり個々の役が出来上がっており、新しい正一を受け入れる皿は大きいので、浅草オデオン堂は新たな素敵なレコードをかけてくれるであろう。

いつもながらの、井上ひさしさんの深刻な問題も笑いと歌をおりなしつつの芝居である。笑いつつも重要なことはきちんと伝わってくる。どうして逆転の発想というか、ユーモアをもって問題点を突けるのか観ながら笑いながら思ってしまう。

長男の正一が進んで陸軍に入隊したのに脱走してしまい、オデオン堂は非国民の家族である。ひとり娘は、傷病兵に励ましの手紙を書いて、その返事がトランクからあふれるほどである。この娘さん、お母さんの軽い一言から、彼女はきちんと考え傷病兵と結婚する。オデオン堂は今度は美談の家である。

私はこの作品は二回目の観劇で、最初の時楽しかったのが、「一杯のコーヒーから」の歌の場面であった。横文字が入り、仮想敵国の飲物である。オデオン堂には広告文案家(コピーーライター)の下宿人もいて、この歌謡曲に対する傷病兵の婿とのやりとりが可笑しい。「日本人は日本茶だよ。」「日本茶はもとをただせば中国から渡来しました。」お母さんはもと少女歌劇団員で、彼女は歌手デビューするのであるが、市川春代の「青空」のために全く売れなかった経験がある。「煌めく星座」も軟弱な歌謡曲と一蹴される。この小さな普通の家族の愛する音楽は否定される。しかし、夜空には、動かすことの出来ない星座が、きらきら輝いている。

「星めぐりの歌」(宮沢賢治・作詞・作曲)

あかいめだまの さそり / ひろげた鷲の つばさ / あおいめだまの 子いぬ

ひかりのへびの とぐろ / オリオン高く うたひ / つゆとしもと おとす

太平洋戦争前夜昭和15年から16年の東京浅草レコード店オデオン堂。

みんながなんか違うんじゃないかと思ったとき、好きな歌が歌えなくなっている。

公演後、「時代と広告」のテーマで馬場マコトさん(クリエイティブ・ディレクター/ノンイクション作家)のスペシャルトークショーがあった。『煌めく星座』の中にに出てくる広告文案家は、満州にいるかつての教え子たちのもとに旅立つが、実際に同じ仕事に携わっていた優秀な人々が国策のコピーを書く形となったことを話される。<欲しがりません勝つまでは>。なるほど。広告って感心するぐらいすーと溶け込んでくる。それでなければ広告の役目を果たさないのである。広告は多くの人を動かす力があるからこそ面白く、広告の仕事にのめり込む怖さもあるのである。歌もしかりである。この時代の広告人については『戦争と広告』(馬場マコト著)に書かれているようである。

スペシャルトークショーは本当にスペシャルで、湯川れい子さん、村松友視さん、馬場マコトさん(すでに終わっている)、服部克久さん、大沢悠里さん、出演の役者さんなどである。

一杯のコーヒーから 夢の花咲くこともある 街のテラスの夕暮れに

二人の胸の灯が ちらりほらりとつきました

作・井上ひさし/演出・栗山民也/出演・秋山菜津子、山西惇、久保酎吉、田代万里生(9月18日まで)木村靖司、後藤浩明、深谷美歩、峰﨑亮介、長谷川直紀、木場勝巳

 

 

 

歌舞伎座 秀山祭九月 『曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)』

『曽我綉侠御所染』作は河竹黙阿弥であるが、種本が柳亭種彦の「浅間嶽面影草子(あさまがだけおもかげぞうし)である。柳亭種彦といえば「にせ紫田舎源氏」がうかぶが、<にせ>は<偐>。こんな字だったのだ。

『曽我綉侠御所染』は、前半部分が<時鳥殺し>で後半が<御所五郎蔵(ごしょのごろぞう)に分かれていて、今回は<御所五郎蔵>だけである。

主君に仕えていた、男女が御法度の職場恋愛が見つかり、お家から追い出されてしまう。男は、俠客の御所五郎蔵となり、女は傾城皐月となる。浪人となっても御所五郎蔵は忠儀を忘れず、旧主の浅野巴之丞の借金二百両をなんとか工面しようとしている。この借金、巴之丞が傾城逢州に入れ込んだお金である。そして逢州と皐月は朋輩である。皐月は夫の五郎蔵のために、浅間家を追われたもう一人の男・星影土右衛門にお金を調達したもらうことにする。その条件は、五郎蔵に愛想尽かしをすることである。本心を隠し五郎蔵に愛想尽かしをする皐月。裏切られて激怒立ち去る五郎蔵。

余りの事に皐月は癪がおこり、逢瀬が代わりに皐月の提灯を持って土右衛門の伴をする。五郎蔵は皐月を許すことが出来ず、待ち構えて逢瀬を斬ってしまう。本来は、土右衛門も殺害してしまうのだか、今宵はこれにてでチョンである。

最初に五条坂仲之町で、五郎蔵(染五郎)は子分を連れて、土右衛門(松緑)は剣術師範で弟子を連れての再会の場がある。ここで言葉での皐月に対するさやあてがある。五郎蔵は夫であるから自信がある。この事もあって、土右衛門の前での皐月の愛想尽かしには怒り心頭なのである。この出会いの五郎蔵の子分は五人である。三人までは形になっているが、残り二人がなぜか心もとない。このお二人、廣太郎さんと児太郎さんらしい。前のお三方は、松江さん、亀寿さん、亀鶴さんである。五郎蔵もこの三人の子分なら頼りになることであろう。残るお二人の子分も早く頼られる子分になってもらいたい。このやり取りの仲裁に入るのが秀太郎さんの甲屋女房お松。いつものことながらお見事。女将の意地と色気が期待通りに漂う。

皐月の芝雀さんは、夫のためと自分に言い聞かせているのであろう。土右衛門に急かされながら愛想尽かしの文を書く。そして取りつくひまもない夫・五郎蔵の激怒。高麗蔵さんの逢州が五郎蔵をなだめる。主君の傾城でもあり、五郎蔵はその場を去るが、その場の事情から皐月の代わりをつとめる逢州を手に掛けるとはなんという皮肉なことであろうか。

染五郎さんも松緑さんも、もう少し年齢が欲しい。

五郎蔵と皐月は夫婦なので、<愛想尽かしの文>は<のきじょう(退き状)>で、離縁状ということである。

 

歌舞伎座 秀山祭九月 『絵本太功記』

『絵本太功記(えほんたいこうき)』の十段目<尼ケ崎閑居の場>で通称<太十>ともいわれる。説明するまでもないが、『絵本太功記』の<太>と十段目の<十>を合わせて<太十>である。この通称は誰が考えたのか。響きが重いのと芝居の内容があっている。歌舞伎は長い年月が経っているので、少しづつ、あるいは大幅に変えられて続いている部分がある。この<尼ケ崎閑居の場>でも誰が考えたのであろうかという場面に出くわした。この演目は一回か二回は観ているのであるが、あまり好きではないのである。今回も気は引いているのだがそれだけに、しっかり観ておこうと思った。

『絵本太功記』は明智光秀を主人公にしているが、<太十>しか舞台に上がらないのである。光秀を主人公にしている通称<馬盥>(『時今桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)』)の光秀の方が気が入るし、素敵である。

<太十>の光秀は、明智ではなく武智光秀となっている。主君の織田信長は小田春永で、羽柴秀吉は真柴久吉となる。光秀の母・皐月(さつき)は息子の謀反を怒り、尼ケ崎の奥深きところに引込んでしまった。そこへ、西国から駆け付けた久吉が、旅僧となってこの家に入り込んでいる。このことからして唐突である。そして、光秀の妻・操と息子の許婚・初菊も尋ねてきて、さらに孫の十次郎も出陣の許しを得るためやってくる。皐月は、十次郎と初菊に祝言をさせる。初菊は大喜びである。しかし、それは死出への盃でもある。

十次郎(染五郎)が初菊(米吉)に、鎧びつを持って来いと告げる。この時からである。注目したのは。赤姫の可憐な初菊がどうやってあの鎧びつを持ってこれるのかと思ってしまった。初菊は嫌だと言って首を振る。戦の支度をすることは、それだけ早く十次郎と別れなくてはならないのである。それからこの二人にピンポイントである。十次郎は急がなければと鎧びつのそばに移動する。初菊も仕方なく鎧びつの蓋を取る。重そうに。それがまた可憐さを誘う。十次郎は鎧と具足を持って裏の部屋に消える。残された初菊は重い兜を取り出す。重くて持って部屋まで運べない。しかし、初菊が妻らしきことが出来るのは、戦支度だけである。米吉さんの初菊をみているとそう思ってしまった。さあどうしよう。床に長い振袖の二つの袂の先を重ね、三角の山にする。その上に兜を載せ、前向きで後ろに身体をずらしながら袂の兜を運ぶのである。そのいじらしさと可憐さが、初菊の切なさを一層加味するのである。誰が考えだしたのであろうかこの兜の運びかた。恐れ入る。

戦の支度の出来た十次郎と初菊。十次郎は左手に兜を持ち、右手に赤い兜の紐を持っている。感極まって泣く場面では、その赤い紐を持った手が目頭を押さえる。若者の悲しさが強調される。

この家の悲劇はこれからなのである。光秀(吉右衛門)の出で、吉右衛門さんの出は時代がかっていて大きい。光秀は家の中を伺っていて、僧が久吉だと解かっていて、久吉が風呂に入っていると思い竹やりで突く。ところがそれは、母の皐月(東蔵)であった。ここで、母と妻・操(魁春)の嘆きと光秀に対するいさめがはいる。東蔵さんも魁春さんもきちんと役どころを押さえていて演じられる。そこへ深手を負った十次郎がもどり負け戦である事を告げる。悲劇は最大限に拡大される。物見をしている光秀の前に久吉(歌六)と佐藤正清(又五郎)が現れ戦場での再会を約束するのである。吉右衛門さん、母を間違って突いてしまう不覚さ、子へも思いを表すが、その振幅が薄かったように感じる。

今回は、若い二人の悲劇の前哨戦が先に胸にきてしまった。

初代、二代目吉右衛門さんの芸を探るなら DVD 「初代 二代目 中村吉右衛門の芸」【播磨屋物語】がお薦めである。播磨屋の芸の見どころが18演目近くダイジェストで見ることができる。二時間以上たっぷりの名場面の連続である。雀右衛門さん、富十郎さん、芝翫さんのお姿もあり、そうであったと皆さまの舞台を思い出す。

 

 

歌舞伎座 秀山祭九月 『連獅子』

法界坊さんが、『連獅子』の紹介をしてくれたので、夜の部はこの大曲の舞踏からにする。

中国の清凉山に架かる石橋の先に文殊菩薩がおられ、その御仏が現れる前触れとして文殊菩薩を守る獅子が現れるという。その獅子を舞わせる能からとり、獅子を親子で登場させるのが、『連獅子』である。最初から獅子として現れるのではない。狂言師に扮し、左近は白い毛の手獅子を(親獅子)、右近が赤い毛の手獅子(子獅子)で下手揚幕から前後並んで登場する。

獅子は子供を谷底に蹴落とし、自分の力で這い上がって来る力のある子を育てるという言い伝えがあるらしく、『連獅子』にもその場面がある。そういう事でも実際の親子共演が好まれるのである。今回は仁左衛門さんが親獅子で、お孫さんの千之助さんが子獅子である。歌舞伎座六月 『お祭り』 『春霞歌舞伎草紙』 『お祭り』の千之助さんをみて、少し身体がきゃしゃであるなと思ったので、獅子はどうであろうかと危惧していたが、どうしてどうして下半身が思いのほかしっかりされていた。側転を加えシャープな動きである。

子獅子を谷に突き落とした後、子獅子は谷底である花道にうずくまり、親獅子は心配そうに谷底を覗き込む。この親獅子の表現が、演じられる役者さんのそれぞれの色合いで、様々な方の表情が浮かぶ。仁左衛門さんの表情もまたまたインプットされた。その親獅子の姿を見て子獅子が頑張って登ってくるのである。花道の谷底から、子獅子は元気に舞台に移動してくる。親子は再会を喜び合う振りとなり、その後花道へ入って行く。

『連獅子』の長唄も良い詞が続くが、親子獅子の情のつながる部分の長唄。

登りえざるは臆せしか あら育てつる甲斐なやと 望む谷間は雲霧に それともわかぬ八十瀬川(やそせかわ) 水に映れる面影を 見るより子獅子は勇み立ち 翼なけれど飛び上り 数丈の岩を難なくも 駈け上がりたる勢いは 目覚ましくもまた勇ましし

下手揚幕くから、今度は宗派の違う坊主が二人登場し、それぞれの宗派の擁護をするが、自派を熱弁するうちに、<南無阿弥陀仏>と<南無妙法蓮華経>を取り違えて唱えてしまうという間狂言が演じられる。浄土僧専念が錦之助さんで、法華僧日門が又五郎さんで、基本がしっかりされてるので安定していて、おかし味も程よく伝わりこれからの獅子の登場前の緊張を和ませてくれる。

花道からの獅子の出は、ドキドキとワクワクである。花道の入りと出で芝居の味も違って来ることがチラッと頭をかすめる。舞台空間に花道を考えた人は何がきっかけだったのであろうか。客の眼を芝居に引き付けようと考えたのであろうか。芝居の時間的空間を操作したり、登場人物が違う者になって再登場したりと様々な役割を担ってくれる魔法の道でもある。そうそう、舞台中央に登場させる時、その裏をかいて花道の灯りをつけてそちらに客の眼を移動させて、その間に舞台中央に出終わっている時もある。

狂言師として入った花道から、親子獅子が登場する。その出によって、今回の獅子は大丈夫かどうかを客は判断するのである。大丈夫である。それからは、獅子の動きに気持ちも動かされる。獅子には牡丹である。<牡丹は百花の王>で<獅子は百獣の長>である。千之助さん、華美な衣装にも負けていない。仁左衛門さんの脇にしっかり位置している。獅子の<狂い>の毛振りも無事終わる。『お祭り』から3ケ月目である。お祖父さんと共演できる『連獅子』を経験できる役者さんは何人おられるであろうか。その選ばれた経験を後々の糧として成長されることを期待したい。仁左衛門さんは、今後も歌舞伎界の獅子として身体的無理を押し通さず活躍して頂きたい。

法界坊さんの紹介された『連獅子』堪能させてもらった。