映画『怪談』(2)

怪談』(1965年)監督・小林正樹/原作・小泉八雲/脚本・水木洋子/撮影・瀬川浩/音楽・武満徹

黒髪」 京で武士の夫婦(三国連太郎、新珠三千代)が貧しいながらも仲睦まじく暮らしていたが、夫のほうが貧しさにいやけがさし、遠い任地に一人でいってしまい、新しい妻(渡辺美佐子)をめとる。しかし、新しい妻はわがままで、武士はかつての妻が恋しく、京にもどりかつての住まいをたづねる。妻は夫を優しくむかえ二人は一夜をともにすごす。朝になってみると、妻の黒髪は白髪で、骸骨となっていた。館も朽ちはて、夫はそのおぞましさに恐怖で顔がどんどんやつれはて館をころげまわるように逃げだす。

『今昔物語』の第三部霊鬼のなかに「死んだ妻とただの一夜逢う話」としてのっている。

雪女」 若い巳之吉(仲代達矢)は年寄りの茂作と山の中で吹雪にあう。逃げ込んだ山小屋に美しい女があらわれ茂作を殺してしまう。女はだれにも話さないようにとつげ消えてしまう。巳之助は旅の美しい女と出逢い母(望月優子)とともに暮らし、母なきあとも子供たちと家族で幸せな日々を過ごす。ある夜、ふっと女房に雪女のことを話してしまう。女房は雪女で巳之吉が約束をやぶったため去ってしまう。

武蔵の国の調布村に雪女の伝説が伝えられ、青梅市の調布橋には『雪女の碑」がたてられている。

耳無芳一の話」 ある寺に盲目の琵琶法師・芳一(中村賀津雄)がいた。ある夜、甲冑姿の男(丹波哲郎)が、高貴なお方のために「平家物語」を語れと言われその屋敷につれていかれる。そこには、建礼門院(村松英子)、尼(夏川静江)など平家の亡霊が鎮座していて、毎夜、毎夜、芳一は語りつづけ次第に昼は眠るといった生活に、寺の住職(志村喬)は心配し、副住職(友竹正則)と寺男(田中邦衛、花沢徳衛)たちに芳一の後をつけさせる。芳一は平家の墓の前で一心に壇の浦の合戦を語っていた。住職は、平家の亡霊から救うため、体中にお経を書くが、耳だけわすれてしまったため、芳一は耳をちぎられてしまう。命の助かった芳一は耳無芳一として琵琶法師としての名声をえる。

義経(林与一)、弁慶(近藤洋介)、知盛(北村和夫)、貴人(中谷一郎)、教経(中村敦夫)そのほか、大勢の新劇団員が壇の浦の合戦の船上場面や、平家の人々として出演していた。

茶碗の中」 ある家臣の関内(中村翫右衛門)が主人の年始廻りの際、喉が渇き用意されていた水をのもうとして茶碗をみると、茶碗の水に人(仲谷昇)の不気味な笑い顔がうつる。ふしんに想い二度目、三度目と茶碗をかえるが人の顔がうかぶ。三度目に関内はかまわずに水をのんでしまう。それから関内は、関内にしか見えない亡霊に悩まされ乱心となる。この話しを書き留めていた作家(滝沢修)を版元(中村鴈治郎)が訪ねてくる。妻(杉村春子)が夫はどこへもでかけていないがとふっと水瓶をみると夫の顔がその水瓶にうつっている。妻も版元も恐怖のあまり叫び声をあげる。

宮口精二、佐藤慶、神山繁、田崎潤、天野英世、奈良岡朋子

「人生には理屈ぬきで怖いと思う瞬間がある。それでいいではないかという頭書がついている。まさに怪談とはそういうものである。しかし、我々の周囲には他人の魂をのんでヌケヌケと暮らしている人間がうようよいる。それも現代の怪談といえるのではないか。」(小林正樹)

怪談』(2007年)監督・中田秀夫/原作・三遊亭圓朝「真景累ヶ淵」/脚本・奥寺佐渡子/撮影・林淳一郎

深見新吉(尾上菊之助)、豊志賀(黒木瞳)、豊志賀の妹・お園(木村多江)、お久(井上真央)、お累(麻生久美子)、お賤(瀬戸朝香)、深見新左衛門(榎木孝明)、皆川宗悦(六平直政)、三蔵(津川雅彦)、講釈師(一龍齋貞水)

『真景累ヶ淵』は因縁話で、最後に謎解きのように登場人物の因果関係があかされる話しである。この映画を見たあとで、桂歌丸さんの『真景累ヶ淵』のDVD1から7巻までをみて聴いた。この話しの全容がわかり、この映画がそぎ落としていった部分もわかった。

一龍齋貞水さんの講釈を挟みつつ、深見新左衛門があんまの宗悦からお金を借りる。その取り立てにきた宗悦を新左衛門は殺してしまう。時はたち、宗悦の姉娘・豊志賀は、富本節の師匠で人気があり弟子も多い。そんな豊志賀に新左衛門の次男である新吉が惚れてしまう。新吉は叔父に世話になりつつきざみたばこを売ってあるいている。

豊志賀と新吉は深い仲となるが、豊志賀のほうが、新吉なしではいられなくなり弟子も減り、三味線のバチで傷した頬が化膿してひどい顔になってしまう。豊志賀は新吉へのおもいをのこし自害する。そこからそのおもいは、新吉に惚れる女性たちにのりうつり、新吉が殺すことになってしまう。

新吉と一緒に羽生村の叔父・三蔵を訪ねるお久。新吉と結婚する三蔵の娘お累。三蔵の囲い者であるお賤。ついには三蔵を殺し、新吉は追われる身となる。豊志賀の妹のお園が新吉を助けようとするが、豊志賀は新吉を死の世界に奪い取り、新吉の首を抱き微笑むのだある。新吉もまた幸せそうな顔をして微笑んでいる。

二回ほどドッキリさせられた。そのタイミングはさすがである。ただ、ラストでは、どうせ新吉を死の世界につれていくのなら、女たちを殺すこともなかったであろうに、さっさと連れて行けばよかったのにとおもってしまった。新吉は豊志賀への想いよりも、怖くて豊志賀から逃げたいという気持ちがあったのでこらしめられたわけであるが、女性達がお気の毒であった。

最後に妹のお園に見せつけるようなかたちととれて、本質はここなのであろうかと、すっきりしないかたちで終わった。因縁話がうすめられてしまった感もある。

『文学』に中田秀夫監督の文もある。『累ヶ淵』は中田監督が敬愛する中川信夫監督も撮られ、溝口健二監督も無声映画で撮られている。溝口監督のは残っていないが、淀川長治さんが大傑作といわれたらしい。中川信夫監督は『東海道四谷怪談』があったからこそ映画で飯を食ってこられたといわれたように、中田監督も自分も映画を生業としていられるのも、円朝のような天才の怪談物のおかげであるとされている。

壮大な怪談が「日本の高音多湿な夏と相まって、落語も、歌舞伎も映画も夏は納涼で怪談物が定着したおかげである。」

八雲さんも、日本に土着している怪談物の日本人の楽しみかたを紹介したわけである。八雲さんの怪談を書きものの文学としてとらえて映像化したのが小林正樹監督の『怪談』であり、江戸時代から人々の生活のなかにあった怖い『怪談』を映像化したのが中田秀夫監督につながる怪談映画のながれの一つということであろう。

中川信夫監督の『東海道四谷怪談』が怖いらしいが、まだみていない。

『真景累ヶ淵』(岩波文庫)では、近頃怪談話はすたれてしまったとはじまる。「幽霊というものは無い、全く神経病だということになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌いなさる事でございます。」

明治の西洋、西洋の掛け声に圓朝さんは一席投じたくなったようである。

 

 

映画『怪談』(1)

『怪談』と題名の映画二本についてである。

1965年、小林正樹監督で原作が小泉八雲の『怪談』の中から「黒髪」「雪女」「耳無芳一の話」「茶碗の中」の四つをそれぞれ短編で撮り『怪談』としているオムニバス形式である。

もう一つは、2007年、中田秀夫監督で原作が三遊亭圓朝の『真景累ヶ淵』である。中田秀夫監督といえば『リング』の監督ということで、これまた縁のないはずであった。ここまで怪談ものをみたのなら尾上菊之助さん出演であるし、『真景累ヶ淵』は歌舞伎とも縁が深いので、うわぁー!とおどろかされるのを覚悟してみた。

その結果、最終的に小泉八雲さんと三遊亭圓朝さんが結びついた。

ちかごろ図書館に、どうぞ自由にお持ちくださいと <リサイクル図書> がおかれている。図書館で保存しておく期間が図書種類によってきまりがあるらしく、それがすぎると <リサイクル図書> としてどなたでもどうぞということらしい。次から次、新書も入ってくるわけで、保存する場所の問題も生じるからであろう。古い書物は図書館で探そうとおもっていると、近くの図書館では、そうした利用のしかたは無理になってきているようである。

その <リサイクル図書> のなかに、雑誌『文学』の2013年3、4月号「特集=三遊亭圓朝」があった。読みやすそうなところをよんでいると次の文がでてきた。

「三遊亭円朝を初めてヨーロッパに紹介したのがラフカディオ・ハーンだということはよく知られているようである。」(マティルデ・マストランジェ)

紹介をしたきっかけが1892年に歌舞伎座で上演された『怪異談牡丹灯籠』で、ハーンさんも芝居をみて、「菊五郎のおかげで、またひとつ新しい恐怖の楽しみ方を知ることができた」と紹介したのである。

ところが、セツ夫人によると、ハーンさんは歌舞伎を見ていないといわれ、そのことをうけて、マストランジェさんは興味深いと書かれている。

面白いことである。歌舞伎で評判となったことで、円朝さんというひとの怪談話は今もこういうかたちで皆さんを楽しませているんですよということを伝えたかったのであろうか。八雲さんは、たくさんの怪談を発掘して書物で紹介したが、芝居などのかたちで楽しむことを怪談の楽しみ方としてより楽しいのだがという気持ちがあったように思えた。

とするなら、映画でとりあげられることは、もし八雲さんが知ったらどんなものになるのかとワクワクされたに違いない。

『怪談』(1965年)にかんしては、日本映画黄金時代の<にんじんクラブ>~三大女優~    で、この映画が赤字で「にんじんクラブ」が倒産したこと紹介したが、「仲代達矢が語る 日本映画黄金時代」(春日太一著)でもそのことにふれていた。仲代さんたち役者もスタッフもノーギャラで頑張ったようである。

さらにカンヌ国際映画祭に出品するが、事務局からながいということで、「雪女」がカットされる。岸恵子さんは、フランスに住んで居たため、いろいろ下準備をして駆けまわってくれていたが、その岸恵子さんの出ていた「雪女」を小林監督はカットしたのである。この映画祭で、『怪談』は審査員特別賞を受賞する。岸さんの胸の内は複雑であったことであろう。

DVDの特典の説明では、『雪女』は1969年ロンドン映画祭短編部門で受賞とある。この一作品だけでも世に認められたわけである。『怪談』の中での怖さからいうと「雪女」がその怖さが薄く美しくおわっている。小林監督がカットした気持ちもわかる。

さらにエピソードとして「黒髪」で、三国連太郎さんが、足の骨に届くようなトゲをさされたそうである。これは、みていてケガをしなかったのであろうかと思うほどの古く朽ちた廃屋での逃げまどう演技である。さもありなんである。

京都宇治にあった大倉庫を借り切っての撮影で、自動車メーカーの倉庫で車を走らすテストコースもあるような広さの倉庫だそうである。かつては飛行機の格納庫だったようで、ふつうの撮影所ではできないような大きなセットだったわけで、それだけでもお金がかかったことがわかる。「雪女」の雪に埋もれた家。「耳無芳一の話」の壇の浦の源平合戦や芳一が連れられて行く平家の亡霊たちの館のセットは幽玄な巨大さである。

「黒髪」の中の市の店の場面があるが、それが奈良の円成寺の境内の中の風景に似ている。ロケをされたか、小林監督は寺社などの知識も豊富なかたなので、もしかするとセットにつくられたのかもしれない。

「茶碗の中」の茶碗も陶芸家のかたに木ノ葉天目茶碗の一種をつくってもらい、小道具にいたるまで手をつくしている。こういう中で撮影できるということは、役者さんもスタッフさんも大変さはあったであろうが、もう体験できない贅沢な時間だったともいえる。

その時代その時代を踏みしめて、映画はつくられていくわけである。

 

『四谷怪談』関連映画 (1)

怪談映画は観ないほうなのであるが、木下恵介監督の『新釈 四谷怪談』<前篇・後編>を観たところ、鶴屋南北さんのとは登場人物の名がおなじでも、設定がちがいそのあたりが面白かったので、その後6本ばかり観てしまった。

怪談ものとあって、おどろおどろした映像には閉口したが、伊右衛門、お岩、お袖、直助、与茂七、宅悦、伊藤喜左衛門にあたる人物が商人だったりして、人物構成の相違などに頭がいき、お岩さんの怖さなど薄れてしまった。

『新釈 四谷怪談』(1949年)監督・木下恵介/脚本・久板栄二郎、新藤兼人

伊右衛門が上原謙さんで、お岩の田中絹代さんが妹のお袖の二役である。『愛染かつら』コンビが、四谷怪談である。上原謙さんの伊右衛門は悪になりきれず、迷いに迷う伊右衛門で最後は毒を飲んで死んでしまう。田中絹代さんのお岩は、かつて茶屋女で武士の妻として努めるが、仕官できない伊右衛門につらくあたられ、ついにはむなしい最後となる。顔の傷は、伊右衛門に行水をさせるための熱湯で火傷をし、火傷にきく薬と渡されたのが悪化させる薬であった。妹のお袖の田中絹代さんは、姉の死に不審におもい、岡っ引きの親分に調べてもらうというしっかりした妹である。

お袖の夫の与茂七が宇野重吉さんで、この二人がお岩の死をきちんと弔うこととなる。直助は、滝沢修さんで、しっかり伊右衛門をあやつる悪人である。お槙が杉村春子さんで、まわりを新劇俳優でかため演技力もたのしめる。江戸時代の怪談でありながら、近代人の人物描写も伝わってきて、木下監督らしい解釈の四谷怪談である。

『四谷怪談』(1959年) 監督・三隅研二/脚本・八尋不二

長谷川一夫さんが伊右衛門である。ファンへの配慮はおこたらない。御家人の役付きも賄賂を使っての世界で、そんなことまでして役付きになどなりたいとは思わない伊右衛門である。直助の高松英郎さんや仲間内にはかられての展開とし、最後はそれらの悪人を切り倒し、仏堂で岩に謝っての死となる。さらにお袖がくれた岩の美しい着物がどこからともなくふわっと飛んで来て伊右衛門を包み込むのである。美しい大スター好みを裏切らない終わり方としている。お岩は中田康子さんである。

『四谷怪談 お岩の亡霊』(1969年)監督・森一生/原作・鶴屋南北/脚本・直居欣哉

原作・鶴屋南北といれている。<お岩の亡霊>とつけ加えているのは、佐藤慶さんの伊右衛門が根っからの悪人だからであろう。岩の父は殺すし、札差伊勢谷の娘梅を悪漢から助けてやるがはじめから段取りをして悪漢をやとってのやらせである。

自分には能力があり、士官さえすれば実力を発揮できるとする自己顕示欲の強い伊右衛門である。そんな伊右衛門であるからお岩が邪魔であるとはっきりおもっていて沢村宗之助さんの宅悦にお岩に言い寄るように命令する。沢村宗之助さんは時代劇の悪役のうまい役者さんでこの宅悦もなかなか味がある。

お岩の稲野和子さんは蚊帳で生爪をはがすが、この場面は観た映画の中でこの映画だけであった。その傷の薬を買ってお岩に渡し喜ばせ、そのあとで、毒薬を飲ませる伊右衛門である。最後に伊右衛門、「首がとんでも動いてみせる」のセリフをはく。

先ごろ亡くなられた、演出家名でお客さまを呼べた蜷川幸雄さんの監督映画を二本。舞台でも『四谷怪談』を演出されているが観ていない。

『魔性の夏 四谷怪談・より』(1981年) 監督・蜷川幸雄/原作・鶴屋南北/脚本・内田栄一

伊右衛門が萩原健一さん、岩が高橋恵子さん、袖が夏目雅子さん、与茂七が勝野洋さん、直助が石橋蓮司さん、宅悦が小倉一郎さん、梅が森下愛子さんで、若者たちの「四谷怪談」という印象である。

筋としては鶴屋南北に近いが、どこか現代風の感覚である。かたき討ちなどする気のないくせに、かたき討ちには金がかかるという伊右衛門の言葉が結構きいている。かたき討ちのためには情報がひつようである。情報をえるためには動きまわらなくてはならない。たしかにお金が必要である。全体の発想としては、それほど過激ではない。他の注目点では伊右衛門と岩と梅が歌舞伎を観にいく。演目が「かさね」で、役者さんは市川左團次さんと先代の嵐芳三郎さんであった。

『嗤う伊右衛門』(2003年)監督・蜷川幸雄/原作・京極夏彦/脚本・筒井ともみ

原作が京極夏彦さんの『嗤う伊右衛門』で、鶴屋南北さんの原作や他の書物をからめあわせて作品化しているので発想の基盤が異色である。まず、岩が、伊右衛門と会うまえから顔に疱瘡のあとがある。じつは疱瘡のあとではなく父の思惑から薬をのまされてのことである。

お岩の小雪さんが顔の醜い右と美しい左を見せ、さらに正面をみすえて、心は凛としているさまをあらわす。しかしそれを支えているのは、民谷家の武家の総領としての自分の立場である。ところが、お岩のすべてをみとめてくれる夫があらわれる。それが、唐沢寿明さんの伊右衛門で、民谷家に養子に入り岩の夫となる。それをあっせんするのが、又一の香川照之さんで、この又一が世間のしくみに精通している。ようするに情報をもっている。しかし乞食同然である。

幸せになるはずのお岩さんは、父の上役の伊藤喜左衛門の椎名桔平さんによって伊右衛門と別れるようにしむけられる。お岩さんの民谷家をまもる意地を利用されてしまう。この映画では伊藤喜左衛門が悪の権化である。つらぬいているのは岩と伊右衛門の愛の物語である。伊右衛門は岩を殺し、蚊帳の中の長持ちの上に座り、笑ったことのない伊右衛門がはじめて笑い、喜左衛門を切るのである。「首が飛んでも動いてみせるわ」のセリフをいうのは喜左衛門である。後に長持ちをあけてみると、岩と伊右衛門の亡骸が寄り添って横たわっている。周囲には幸せそうな二人の笑い声が響いている。

おどろおどろしい映像ではなく、もう少しすっきりした美しい映像にしてほしかった。こういうときは、原作を読んで、あらたに映像を自分で作りなおすしかない。どれも耐え忍ぶお岩さんだが、事実を知って怒りを爆発させる小雪さんのお岩。すべてのお岩さんの怒り、くやしさを一気に吐き出している感がある。

『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(1994年) 監督・深作欣二/脚本・古田求、深作欣二

この映画は、発想が飛んでいる。そしてテンポが深作監督ならではのリズムである。忠臣蔵でよく知られた面々が登場し人数も多いが、それぞれの役どころを抑え配置して、俳優さんの個性もいかしている。浅野家の家臣となって日の浅い佐藤浩市さんの伊右衛門を内匠頭の切腹の場に位置させ、伊右衛門が義士のひとりでありながら、脱落していく過程をわかりやすくしている。

岩は、湯屋で娼婦をしているが、その登場場面の高岡早紀さんの笑顔がなんともあいらしい無垢さである。このお岩さん、伊右衛門に裏切られるが吉良家の侍に殺されることもあって、死んだあとは、雪女のように雪を噴き上げ赤穂の義士たちに加勢する。この映画は見直しであるが、発想の面白さに再度ひきこまれた。琵琶も効果的である。

伊右衛門とお岩さんは、幽霊になって赤穂浪士の本懐をとげた姿をみとどけ、ふたり仲睦まじく死後の世界を歩み始めるのである。最終的にはラブストーリーとしている。出会ったときの二人である。

喰女ークイメー』(2014年)監督・三池崇史/原作・脚本・山岸きくみ(『誰にもあげない』)

『四谷怪談』の舞台稽古と重ねて、その芝居の伊右衛門役の市川海老蔵さんと、お岩役の柴咲コウさんとの関係を描いている。『四谷怪談』同様、海老蔵さんが柴咲さんを裏切り、柴咲さんが海老蔵さんの首を自分だけのものとするという話である。

発想は面白いが、舞台稽古が暗く、スローテンポで退屈してしまった。おもわせぶりがながすぎる。こういう部類の映画はテンポが必要である。残念である。

好んで選ばない映画をみてしまったが、今後、ほかに『四谷怪談』系の映画がみつかれば観るであろう。

 

2017年2月20日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

 

映画『瀬戸内海ムーンライト・セレナーデ』

函館の旅のあと追いをしている。映画、歴史、文学などであるが、同時進行で、さらに寄り道もあり無法状態である。

函館が出てくる映画が、25、6本あって、20本は見たのである。旧作レンタル10本で14日間の貸し出しサービス期間がかさなり、これが強い味方であった。さらに、見たいとおもっていた映画もレンタルする。

その一本が、阿久悠さんの「瀬戸内三部作」の一本であり、篠田正浩監督の「少年三部作」の一本である『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』である。それぞれの三部作に共通する作品として『瀬戸内少年野球団』があるが、個人的内は『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』のほうが好きである。

それよりも良いと思うのが、『少年時代』である。こちらは、東京から富山に疎開した少年と地元の少年たちとの交流を描いているが、少年の世界も美しいことばかりではなく、力関係があり、そのなかでどう生きて行くかが問われる作品である。その人間関係が大人社会とも類似しているのである。ただ過ぎてみれば少年時代は、甘酸っぱい涙とともに短時間で終わるということである。

『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』は、主人公が、阪神大震災のニュースを見つつ、「神戸が燃えている」状態から戦争中、淡路島から空襲で焼ける神戸を見た少年時代にもどるのである。

少年の父親は厳格な警察官である。長男は17歳の時志願兵となり戦死してしまう。次男は父親に反発してぐれている。少年は三男で下に妹がいる。母は、父親に従順ではあるが思ったことを時には主張する。

この5人の家族が戦後の混乱する中、淡路島から父の故郷である九州の宮崎に、長男の遺骨をお墓に納めるための家族旅行をするのである。

神戸からフェリーに乗り九州に向かうのであるが、そのフェリー上での、様々な事情をかかえた人々との交流が、考え方を変えない父親を中心に少年の前に繰り広げられる。

それぞれの過去を抱えつつ戦後を生きるために皆必死である。瀬戸内海には時として地雷が発見されたりもし、戦争が終わっても安全とは言えないのである。そうして中で甲板にしか居場所を作れなかった人々は、楽しくやりましょうと歌をうたったり、映画の弁士が阪妻の『無法松の一生』の映画を映してくれたりする。

雨で中止となると、少年の手の平に映画が映る。阪妻の『雄呂血』である。

弁士の活弁が見る者をひきつける。捕吏に囲まれ立ちまわりの場面。「平三郎はわれにかえりふっと気がついたとき、かれの眼に映じたのはまわりにある無数の屍であった。ああ!おれはついに人を斬った。ああ!おれはついに人殺しになった。」平三郎は慨嘆し刀を捨てとらえられるのであるが、その時の平三郎である阪妻さんの表情の絶望感が何とも言えない。痛快娯楽時代劇とはちがう人気をあつめたのが、この映画のなかの映像でわかった。

『無法松の一生』は、戦中は内務省か戦後は進駐軍から一部カットされ、『雄呂血』は進駐軍から禁止されたチャンバラ映画である。価値観の違いを上からのみ押し付けられる時代の流れである。

父と少年は、船を下りてから映画館で『カサブランカ』をみる。父は真剣に観ていながら少年にはアメリカ映画は嫌いだと言い放つ。

地震がなければ、この連休には瀬戸内海の別府航路を使って九州に入る観光客も大勢いたことであろう。いつの日か、この航路から大きな月を見たいものである。

この映画に、震災と戦争という映像が重なってどちらも残酷な現象であるが、戦争は人が起こす現象である。今回も不眠不休に近い状態の自衛隊の救助活動をみて、あの方達を人殺しとなるかもしれない場所に送り出していいのであろうか、やはりもっと時間をかけ冷静になって考えなければ。

そして、大きな災害を抱え込んでいるこの国は、若い人の力が必要である。非正規雇用という不安定な比率が増加しているような社会体制では土台も不安定である。そのあたりから考えて積み直しをしなければ、大切な減少している若い人の力を使い捨てにしてしまうことになりかねない。

映画のなかの家族の次男は、父親に反発しながら自分の生き方を探し、それでいながら父との約束を守る青年でもあった。

長男の遺骨の入っている骨壺に入っていたのは・・・・

震災の神戸港を歩くかつての少年は、今の人々と過去の人々から何かを受け取ったようである。

阿久悠さんの「瀬戸内三部作」(『瀬戸内少年野球団』『瀬戸内少年野団・青春篇/最後の楽園』『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』)

篠田正浩監督の「少年三部作」(『瀬戸内少年野球団』『少年時代』『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』)

監督・篠田正浩/原作・阿久悠(『飢餓旅行』)/脚本・成瀬行雄/撮影・鈴木達夫

出演・長塚京三、岩下志麻、笠原秀幸、鳥羽潤、吉川ひなの、羽田美智子、高田純次、火野正平、河原崎長一郎、麿赤児、余貴美子、フランキー堺、西村雅彦、竹中直人

 

映画『バックコーラスの歌姫たち』『THIS IS IT』『三つ数えろ』

『バックコーラスの歌姫たち』は、世界のロック界などのスーパースターのバックコーラスの女性ヴォーカルとして、実力ある歌姫たちのドキュメンタリーである。

いづれはメインで歌いたいと挑戦するひと。途中でやめてもやはり、バックでも歌っていることが好きだと戻る人。バックであっても歌を作り上げているのだと自負する人。その想いが時間の流れの中で、一人の人の流れであったり、他の人から見た流れであったり、時代とともに要求されるバックコーラスの求められ方の違いなどが交差している。

その中に、この人は確かという人がでてきた。ジュディス・ヒル。ドキュメンタリー映画『THIS IS IT』でマイケル・ジャクソンとメインで歌い、バックでも歌っていた人である。マイケルが『THIS IS IT』公演前に亡くなって、公演前のリハーサル風景が映画となった。

マイケルに関しては、歌を聴きたいとか映像を観たいとか思わなかった。スーパースターの一人と思っていただけである。たまたま、映画『THIS IS IT』が公開されたころ、ドキュメンタリーにはまっていたのである。バレエ、ファッション、音楽、タンゴ等の出来上がるまでの過程が面白かったしドキュメンタリー映画も見せるという要素が強くなっていた。

ドキュメンタリーといえども編集があるわけで、意図的な効果や構成があるであろうから『THIS IS IT』も当然そういう人的介入は考慮したとしても、気に入った。マイケルに舞台の表現者以外の発言を一切させていない。好きも嫌いもない者にとっては、それだけのほうが納得できた。つまらぬ感情を使わなくてすみ、こういう風にマイケルはコンサートを作りあげていきたかったのかということが素直に受け止められた。再度見直して、この気持ちはかわらなかった。

大きな声を張り上げるわけでもない。周りがマイケルの気持ちを読んでカバーしてもいるが、皆がマイケルの感覚をつかもうと真剣である。

マイケルのテンポの表現が「ベッドからはい出すような感じ」「月光に浸る感じだ静寂が染み渡る」などとその表現が時には微妙である。

この時期、仲間うちで、「マイケルのような表現で説明して。」「マイケル的哲学表現でよくわからない。」というのが流行って飛び交った。

このコンサートの構成のなかに、ショート映像が映し出されるらしく、かつての幾つかのハリウッド映画の一場面を、マイケルが追われるシーンとして作っていた。リタ・ヘイワースの『ギルダ』と、ハンフリー・ボガードの『三つ数えろ』はわかった。それがまた、気に入ってしまった理由の一つでもある。マイケルは映画を色々みていたのだ。

『ギルダ』は『ショーシャンクの空に』で刑務所内で上映された映画で、リタ・ヘイワースが髪をなびかせて振り向くと<ギルダ>と声がかかるのである。この映画を観たいと思っていたら、今のシネスイッチ銀座が銀座文化劇場であったとき「ハリウッド黄金時代の美女たち」として『ギルダ』を上映してくれ待ってましたとばかりに見に行ったのである。内容は、ありふれていてリタ・ヘイワースをみるための映画であった。

『三つ数えろ』は、今回見直した。この映画は、1945年版と1946年版があるらしく、1946年版である。1946年版のほうが、ハンフリー・ボガートとローレン・バコールのからみの部分が多いのだそうで、二人の結婚と関係があるのであろうか。ただこの映画は、謎が謎を生んで最終わかったようなわからないようなという結末である。

映画好きとしては、これが出て来ただけでマイケルの評価はたかくなる。このショート映像はマイケルもその中に参加するということで合成である。かなり入り組んだ合成映像となっている。

マイケルは小さいころから踊っていただけに身体のリズム感が、楽器のようである。手、足、顔が同時に別の方向に動いて、身体も前後、左右と動き続けで、さらに声を出して歌っている。詞があるゆえに、感情の表現も身体から出したいという想いがあるようだ。

何日間もかけてリハーサルをし、自分のなかで一つ一つ確かめ、最終的には自分のイメージと合体させていくのであろうが、残念ながらこのコンサートの完成品が世にでることはなかった。

この映画は、マイケルが自分の持つ力をどう発露していくかという点ですぐれた映像だとおもう。マイケルの勝負しようとする焦点がはっきりしている。

好きでも嫌いでもないマイケル・ジャクソンの映像は、これ一つがお勧めである。実力とあふれる想像力と創造力を兼ね備えたスーパースターであった。

マイケルとメインで歌った、ジュディス・ヒルは、一人立ちしたようでもあるが、そのプロデューサーであろうか、「スターに仕立て上げることは簡単だ。だがジュディスの才能はもっと奥深いものだ。売れすぎるのもよくない。」といっている。

マイケル・ジャクソンも売れすぎて、彼の実績だけでない余計な付随物で覆われてしまったところがある。そのことだけが膨らんでしまったような感もある。有名人のプライベートのみに関心のある人も多いから、それは避けられないことであるが。

シネマ歌舞伎『棒しばり』と『喜撰』を見た。芸はそのひとが亡くなるとき持っていってしまうというに尽きる。お迎え坊主さんたちがくりだして、そうか皆さん三津五郎さんと同じ舞台上だったのである。今の彼らを、勘三郎さんと三津五郎さんはどう見て、どう声をかけるであろうかと思ったら胸がつまった。

 

映画『日本誕生』と『ハワイ・マレー沖海戦』(2)

『ハワイ・マレー沖海戦』は、1941年の真珠湾攻撃を題材とした国策映画で1942年に制作されている。

この映画は戦後GHQの検閲にひっかかる。

<新聞の写真だけで真珠湾を想像した>(円谷英二の言葉>

新聞に載った一枚の写真の民家からアメリカの軍艦の大きさを割り出して、軍港の大きさを推測したのである。

<どっから撮ったんだって、言われたんだ>(円谷英二の言葉)

戦闘シーンが特撮なのに記録映像とGHQはおもったらしい。実際は東宝撮影所のプールで撮ったのであるがなかなか信じてもらえなかったようである。

今観ても戦争や軍の厳しい規制があったとは思えないほど自由に撮ったようにみえる。日本軍がいかに真珠湾攻撃を秘密裡に、果敢に戦ったかをアピールしてはいるが、一人の少年・義一(伊東薫)が海軍少年飛行兵を志願し、真珠湾攻撃に参加することが軸となって戦闘場面につながる。

義一の姉・きく子が原節子さんである。義一は志願するとき、母の許可をもらう。そのあたりも山本嘉次郎監督らしく義一のはやる気持ちをおさえる大人を配置し、予科練に入ってからも、彼らを育てる指揮官にも情をふくませている。

土浦の海軍航空隊の建物などが映っているが、これは本物なのかどうかはわからないが、ここから最終的には特攻隊も飛び立ったのだと思うと、映像を見つつ複雑な気持ちになる。

義一たちは空母艦からの出撃であるから、空母艦から飛び立ち、空母艦に着陸する訓練をする。そのため寝る場所はハンモックである。

空母艦に戻るときいつも海が静かだとは限らず、暴れ馬の尻に着陸すると思えといわれるが、まだこのころは帰ることが許されていたのである。

義一が休暇で帰ってきたり、義一の手紙が届いたりすると原節子さんが画面に登場する。このような時も原節子さんの笑顔には透明感がある。まだ庶民は先になにがあるのかわからない状態である。

行先を教えられないまま、大編成の飛行隊が出撃する。ハワイとマレー沖での戦の始まりであった。

戦闘の事実関係がよくわからないのでるが、雲の間から真珠湾が現れたり、マレー沖に英国の戦艦が見えたりしてそこに攻撃する様子でそういうことかと流れをつかむ。このあたりが円谷英二特撮監督の力量となるのであるが、苦労のほどがわからないほどスムーズな映像である。『日本誕生』は、特撮とわかる部分が多いのであるが、『ハワイ・マレー沖海戦』は、ここが特撮だといわれるからそうなのだと思うほど映像にひずみがない流れの良さがある。

受けた仕事の手は抜かぬという仕事ぶりである。隅っこに押しやられていた特撮がやっと日の目をみるのが国策の戦争映画であった。そのことにより、円谷英二さんは公職を追放された時期もある。

脚本・山本嘉次郎、山崎健太/撮影・三村明/出演・大河内傅次郎、藤田進、河野秋武、花澤徳衛、進藤英太郎、清水将夫、中村彰、英百合子、加藤照子

しかしまた円谷英二さんは立ち上がり『ゴジラ』や『ウルトラマン』を作り出していき、多くの人材をもそだてていくのである。

<この男にシナリオを教えてやってくれ>(円谷英二の言葉)

名前がかかれてないがこれは、金城哲夫さんと関沢新一さんのことではないかと思われる。「大御所のシナリオライターに、のちに円谷プロを背負って立つことになる、若き脚本家志望の青年を託した時の言葉。」とある。

『円谷英二の言葉ーゴジラとウルトラマンを作った男の173の金言』(右田昌万著)は、本だけでも楽しかったが、円谷英二さんの映画と仕事と人物像を知るうえで様々な変化球を投げてくれた。まだ受けそこなっている球もあるが、円谷さんの関係した映像は沢山あるのでその都度拾いあつめることにする。

特撮も今観ると手作りの縫い目のあらい部分もあったりするが、狙いがわっかていないよと言われそうである。

観ていない『怪獣大戦争』のゴジラのおそ松くんの「シェー」を真似て消えることとする。

 

映画『日本誕生』と『ハワイ・マレー沖海戦』(1)

この二つの映画は亡くなられた原節子さんが出られていて、特撮監督が円谷英二さんであるという共通点である。

『日本誕生』は、スパー歌舞伎『ヤマトタケル』を観ていれば流れがわかる。ヤマトタケルを主軸にしている。そこに、アマテラスオオミカミの天の岩戸に隠れられた話と、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治したとき、オロチの尾から取り出したのがクサナギノ剣であるという事が挿入されている。

アマテラスオオミカミが原節子さんで、その出現はすんなりとアマテラスと認めてしまうことができ、大らかな美しい笑顔なのである。

踊るアマノウズメノミコトが乙羽信子さんで岩を空けるのが朝汐太郎さん。この場面、名役者さんたちが万の神として、もったいないほどの脇役に徹している。腕の振るいどころがないのが気の毒なくらい。(有島一郎、榎本健一、加東大介、小林桂樹、左卜全、三木のり平、柳家金語楼)

景行天皇(二代目中村鴈治郎)の時代、兄を追放した弟のオウスノミコト(三船敏郎)は、父の天皇に命ぜられクマソ征伐に向かう。見事クマソの兄弟を倒す。クマソの弟のタケル(鶴田浩二)は、オウスにヤマトタケルと名乗って平和にしてくれと遺言をのこす。ヤマトタケルの誕生である。

しかし今度は、父・天皇から東国征伐を命じられてしまう。伊勢神宮の宮司を務める叔母(田中絹代)は、天皇からだとクサナギノ剣をタケルに渡す。クサナギノ剣は、スサノウノミコトがヤマタノオロチ退治の際、その尾から取り出した剣である。

ヤマタノオロチ退治の場面も挿入され、三船敏郎さんは二役でスサノウノミコトもつとめる。ただこのとき、オロチとの闘いは合成であるから、三船さんはこれまた気の毒なくらいオロチに向かって両腕を上げたりするだけであったりする。尾に乘って斬りつけクサナギノ剣を出す時にやっとリアルな演技ができる。しかし、虚しい動きを力一杯表現する三船さんを観ていると、その一生懸命さにいい人だなあと感心してしまった。現場の大変さを受けて立っているようであった。この場面は特撮の見せ場でもある。

クサナギノ剣も叔母がタケルへの同情の噓であったことがわかりタケルは大和に引き返す。その途中で、タケルを邪魔者とする大伴一族の兵に敗れ、ヤマトタケルは死と同時に白い鳥となって飛び回る。天地の自然を動かし、火山の爆発、洪水などを起こし大伴一族を滅ぼしてしまうのである。

ここが特撮の力の入れどころである。地割れのシーンがあり人がそこに落ちて行くがその撮影について『円谷英二の言葉』(右田昌万・みぎたまさかず著)で触れている。

<人形では面白くないので、本当の人間に落ちてもらいます>(円谷英二の言葉)

大きな地面を三つ作り、それを合わせておいて、群衆が走ってきたらそこでトラック5台くらいでそれぞれの地面を別方向に引っ張って地割れをつくり、そこに落ちていくという特撮だったとある。

この場面は、明らかに合成しているというものではなかったので、リアルで不思議であったが納得である。

とにかく特撮のあらゆる技術が網羅されていて、東宝の俳優さんが総出演といった豪華映画である。神話でもあり、特撮も多いので物語の楽しみが覚めさせられる箇所も多いが、ああやろうかこうやろうか、どうしたら演技者と特撮が一体となれるかなど考えかつ工夫していた姿がにじみ出る映画でもある。

監督・稲垣浩/脚本・八住利雄、田中友幸/撮影・山田一夫/音楽・伊福部昭/美術・伊藤熹朔、植田寛

出演・志村喬、平田昭彦、宝田明、久保明、東野英治郎、田崎潤、藤木悠、天本英世、杉村春子、司葉子、香川京子、水野久美、上原美佐

 

公演記録『婦系図』と映画『忍ぶ川』

国立劇場で月に一回程度国立劇場で公演した公演記録鑑賞会を開催している。知ってはいたが実演と違い用事を優先させることとなり、鑑賞する機会を逸していた。

昭和48年の国立劇場第2回新派公演の『婦系図』で初代水谷八重子さんのお蔦(おつた)、中村吉右衛門さんの早瀬主税(はやせちから)である。

内容は知っているし、初代八重子さんだからと言って涙がでるとは思わなかった。初代八重子さんの型を観ようとおもったのであるが、型の流れよりもそのお蔦の心情表現に涙してしまった。涙の原因はお蔦のゆれの上手さと玄人の意気地の立てかたである。

レジメの解説によると、初演が新富座で、お蔦が喜多村緑郎(きたむらろくろう)さんで、早瀬主税が伊井蓉峰(いいようほう)さんで、「湯島の境内」で流れる清元『三千歳』を使ったり、風呂敷からお蔦が落とす障子紙と刷毛を小道具として使ったのも喜多村さんとのことである。そして今もこの喜多村さんに教えられた形を踏襲しているのである。

お蔦は柳橋の芸者であったが早瀬主税と結ばれて、飯田橋に住んで居る。しかし、身分違いから日蔭の身で、久方ぶりに早瀬との外出である。嬉しいお蔦。髪は銀杏返しである。お蔦の芸者だった玄人と芸者をやめて素人になった、そのゆれが八重子さんは、何とも言えない可愛らしさになっている。機嫌のよくない早瀬に対する気の使い方は玄人はだがみえ、わがままをいう時は素人の純なところである。

作っているというより、まだ世間に認めて貰えない立場と、そんなことはどうでもよいと思う気持ちと、早瀬と一緒であるという嬉しさのお蔦さんのなかでの複雑な絡み合いが梅の香りに乘ってゆらゆらしている。それがわかれ話となり、障子紙と刷毛が落ち、それが当り前のそれも、思い立って障子はりをしてみようと思ったお蔦の日常は無くなってしまうことと重なるのである。

台詞のひとつひとつが重なり、真砂町の先生がいなければ今の早瀬は存在しない訳で、その先生の言いつけならと身をひくところの意気地は、悲しくも人の道として通すことになる。

そして病気で助からない時に、髪を島田に結って早瀬を待つという意気地。この時代の玄人さんの意地の張り方にみえる。本当はこういう女性はいないのであろうが、存在させてしまうのが役者さんである。生きる世界が狭い人達である。だからこそ無意識な意気地の張り方で自分の足場を築くすべを探りあてるのである。その無意識の意気地が悲しくもあり、切なくもあり、美しくもあるのである。

いそうもないが、いたであろうと納得する。

映画『忍ぶ川』(熊井啓監督)が深川、洲崎がでてくるということで、観なおした。主人公哲郎(加藤剛)は、青森出身の慶応の学生であるが、二人の兄が失踪し二人の姉が自殺しており、子供心に死は恥として植えつけられる。そしていつも、自分も恥と考える死に、引っ張られるのではないかという疑念にさいなまれている。自分の大学の学費を出す為に深川の木場で働いて兄が失踪してから、彼はよく木場を訪ね、恋人の志乃(栗原小巻)もつれてくる。

志乃は大学の寮のちかくの料理屋<忍ぶ川>に住み込みで働く娘で、彼女は自分の生まれて戦争になる12歳まで暮らしていた洲崎を案内する。志乃は洲崎の射的屋の娘で、父は<射的屋のセンセイ>と呼ばれ、お女郎さんの相談にものるような人であったが、今は疎開先の栃木で病気となっている。母は亡くなり、彼女の仕送りと上の弟の稼ぎで、父と下の弟と妹との生活をみている。

志乃は自分の生まれたところが、どういうところかを哲郎に見ておいてて欲しかったと同時に、世間からみるとだらしない父かもしれないが、タガが外れずに今生きていけるのは、この父のお蔭であるというおもいも伝えたかった。そして、この地で筋を通して生き、この地で育ったことを恥ずかしいとは思わぬ自分を見て貰いたいと思って居る。

さらに、それを判ってくれた哲郎を父がどうみるか、父の死の間際に志乃は彼を父に合わせるのである。父は納得してくれる。

志乃は玄人の悲しみを子供心にしっている。それを知っているゆえに自分が自分の踏み止まるべき位置をくいしばって維持している。そんな時に哲郎に出会うのである。

その志乃をみて哲郎も、自分の家族の恥を全てを話すことができ、兄や姉だったらこうしたであろうと思われる行動とは反対の行動を選んでいくのである。

映画『忍ぶ川』は三浦哲郎さんが芥川賞をとった小説の映画化で、三浦さん自身の事を題材としていて、過酷な環境に負けない生き方を美しく描いている。

『婦系図』の真砂町の先生はお蔦にあやまるが、先生には意気地というものが判らなかったのである。意気地を張ろうにも張れないもっと悲しい世界をしっている志乃の父は、絶対にゆるんでもタガをはずすなということを教える。そう理解するだけの意志を志乃は身につけていた。

意気地など無く、通用しない世の中でもあるからこそ、今も舞台では生きていけるかもしれない。しかし意志は、ますます必要な時代ともいえる。

 

映画『長屋紳士録』と『日本の悲劇』

築地川から縁続きで小津安二郎監督の映画『長屋紳士録』と木下恵介監督の『日本の悲劇』につながる。

『長屋紳士録』と『日本の悲劇』は戦後の親子の関係がえがかれていてなんとなく対になってしまった。もうひとつは音楽である。音楽といえるのかどうかわからないが、『長屋紳士録』はのぞきからくりの口上で、『日本の悲劇』は流行歌である。

『長屋紳士録』は、長屋に一人の少年の出現によって波風がたつ。路上占いを仕事にしている笠智衆さんが、九段で父にはぐれたという少年がついてくるので仕方なく連れて帰ったがどうしようかということになり、金物屋のおたね・飯田蝶子さんが一晩泊めることとなる。

この少年次の朝には布団に大きな地図を作ってしまい、干した布団の前である。おたねさんはうちわではやく乾かすようにと少年に渡すそのうちわがぼろぼろで、おたねさんの怖い顔とあいまって可笑しさがおこる。

みんな困ったすえ、少年がここにくる以前に住んでいた茅ヶ崎に行ってみたらということになる。当たりばかりのひもくじをおたねさんは最初にひき、貧乏くじをひいたと文句をいいつつ茅ヶ崎にいくが、父親はおらず受け入れてもらえない。

おたねさんは、少年に、お前は父親に捨てられたのだと決めつける。

長屋では長屋うちの集まりがあり、染め物師の坂本武さんがその長に選ばられたようである。そこの息子がくじに当たってそのお金で大人たちは一杯やるのであるが、そこで笠智衆さんがのぞきからくりの口上をやる。皆お茶碗に箸で拍子をとるのであるがそれが面白いし、笠さんが上手である。本物を聞いたことがないが、そうであろうと思わせる調子のよさである。『不如帰』である。お金を勝手に使われむくれていた子供も一緒になって調子をとっている。それほど、のぞきからくりの口上というものが、庶民のお気に入りだったのである。ここで長屋の住人は一つ和みをえるのである。

次の日少年はねしょんべんをしていなくなる。心配になるおたねさん。探すときにも築地本願寺が映り、川では魚つりの人もいる。築地川である。

少年はまた笠さんに連れられて戻ってくる。九段へ行っていたのである。おたねさんは少年に情が移り動物園にいき写真屋で写真までうつすが、少年の父がむかえに来る。喜ぶおたねさん。自分の心の動きをおもいやり反省もして、どこかに引き取るような子供はいないかと長屋の紳士たちに尋ねると上野の西郷さんの銅像あたりが良い方角だと教えてくれる。その場所が映される。多くの戦争孤児の子がたむろしている。そこで映画は終わる。おたねさんが上野へ行ったのかどうかもわからない。おたねさんが行ったとしたらどうおもうかもわからない。

長屋のおたねさんによって、戦争孤児とならずに、少年が無事親と再会できたことはたしかである。長屋の紳士たちもそれとなく助けたことになるのであろう。

『日本の悲劇』は、戦争未亡人(望月優子)が、幼い姉(桂木洋子)と弟(田浦正巳)を親戚に預けて闇屋をし、さらに熱海であろうとおもわれるが料理屋で中居をしつつ酔客の相手もして子供を育てるのである。子供を育てるため体を許したこともあり、子供だけが自分の生き方を認めてくれる存在と思っているが、子供は子供で、母のいない生活で母には言えない苦労をしていた。いつしか母と子供の間に世の中を見る目が違っていた。

医科大に通わせてもらった弟は、自分では到底できない開業医の養子になることにする。姉はこの母の娘である以上普通の結婚などできないと判断し、自分の過去からの逃避もあり妻子ある英語塾の先生(上原謙)と駆け落ちをしてしまう。

いづれ、子供たちが立派に社会人となり、母の苦労をねぎらってもらえると思っていた母は、さらなるお金を手にしようと相場に手をだし失敗し、電車に飛び込んでしまう。

映画の最初の場面で、流しの演歌師(佐田啓二)が『湯の町エレジー』を歌っている。料理屋の二階座敷に声をかける。そのとき呼んでくれたのがこの母であった。そしてつらいことがあったとき、自分のためだけに『湯の町エレジー』を歌ってくれといい、お母さんを大事にしなさいといってお金を渡してくれる。

もう一人短気な板前がいて、母はこの板前(高橋貞二)にも意見する。板前は反発するが、この母がどんなに苦労して子供の成長を楽しみにしていたか知っているので、この母が亡くなったと知ると演歌師に『湯の町エレジー』を歌わせ、、しみじみといい人だったと語りあうのである。肉親ではなく他人に母は偲んでもらうのである。この映画では三人の思いのつながる『湯の町エレジー』であるが、それぞれの聞く情感はまた別のところにある。

このあたりが長屋という一つの共同体にいる人々と流れ者同士として情を交わすのとは違う趣である。真ん中にのぞきからくりの口上を長くもってきた小津監督。始め、中、最後と『湯の町エレジー』をもってきた木下監督。それぞれの構成上の計算がうかがえる。

話しはそれるが、そういえば小津監督と木下監督はお二人で、佐田啓二さんの結婚式で仲人をされている。

さてさて築地川であるが、今その姿を見れるのは、浜離宮恩賜庭の大手門口にかかる大手門橋から東京湾に流れる姿である。これが築地川とは知らなかったので見に行った。なるほどである。東京湾に出る手前に水上バス発着所がある。水上バスに乘るのもいいな。

 

浜離宮恩賜庭園は菜の花が咲いていた。

折り紙から映画へ

友人が新しい年なので会いましょうというので、どこか行きたいところはと尋ねる。ジュサブロー館、おりがみ会館ゆしまの小林、村上隆の五百羅漢図展、いい映画をやっていれば岩波ホールで映画、思いつくままにとのこと。

おりがみ会館を調べると御茶ノ水である。神保町の岩波ホールへは歩いていける。

岩波ホールでの映画は『ヴィオレットーある作家の肖像ー』。<彼女を支え続けたボーヴォワールとの絆>との文が目を引く。

ヴィオレット・ルデュック。全然しらない作家である。監督は映画『セラフィーヌの庭』のマルタン・プロヴォ監督である。

御茶ノ水駅で待ち合わせ、「おりがみ会館」へ行き、近くでランチをして、岩波にするか、移動して違う映画館にするか、会っての時間と好み次第である。時間調節として明治大学の「阿久悠記念館」も視野に入れる。

「おりがみ会館」なるものの存在を知らなかった。会館の前にあった案内板によると、<幼稚園発祥の地・教育折り紙発祥の地>とある。江戸時代に初代小林幸助さんはこの地で襖紙加工業をはじめた。明治になって初代文部大臣の森有礼さんが、折り紙を日本教育に取り入れ、正方形の折り紙を小林染紙店が製造し始めるのである。正方形の折り紙はここで作られたのだ。

 

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ゆしまの小林には、落語家の黒門町の師匠こと桂文楽さんが勤めていたこともある。さらに、あの絵師川鍋暁斎さんが、隣に仮住まいしていたともいわれているのであるから驚く。文楽さんはたばこ入れ屋にもいて、たばこ入れの収集家でもあった。たしか「たばこと塩の博物館」に寄贈したはずである。

かつては、和紙を揉んだような江戸しぼりの作業もしていたようであるが、今は染めだけを工房で見せてくれる。はけで真っ赤な染めをしていた。

展示階には折紙のお雛様が展示されていたが、折り方も素晴らしいが和紙の質感と色、模様なども美しい。

売店にも沢山の和紙があり、渋い粋な縞から友禅柄、現代的模様まで、額にいれて眺めていたいような美しい多様な種類であった。

折り紙の講習などを通じて、和紙や折り紙の良さを伝えて行きたいとの趣旨の会館のようである。

ゆっくりできるであろうと近くのホテルでランチをする。友人は、次は岩波での映画優先ということで、混雑状況がわからないのでランチのあと早めに映画チケットを購入。整理番号20番なので安心である。「阿久悠記念館」はパスしてお茶をして時間調整とする。

映画『ヴィオレットーある作家の肖像ー』は、私生児で自分の生き方を見つけることが出来ず、母との確執などから、男性など人に愛されたいとだけ望んでいるような女性が、書くと言う行動に向かう。彼女はボーヴォワールに作品を読んでもらう。ボーヴォワールは彼女の生きる道は書くことにあると判断して、書くことによって全てを吐き出すことを勧める。

処女作『窒息』は世間には認められず、ボーヴォワールのほうは『第二の性』が大評判となる。ボーヴォワールにときとして寄りかかりたいヴィオレットとの距離をボーヴォワールは彼女流の距離感で保ち、援助しつつもヴィオレット自身の自立の道を見守る。このあたりが微妙である。ヴィオレットが真っ逆さまに転落する可能性もある。

しかし書くという行為をヴィオレットは捨てなかった。ボーヴォワールからも自立して書く行為と果敢に闘う。そして、恋もする。彼女はかつてのように、恋の裏切りも、自分の生い立ちや姿かたちの美醜のせいにはしなくなった。彼女は書きつづけ、作家として自立の道を切り開くのである。

対称的なヴィオレットとボーヴォワールの姿形、服装なども加え、その関係の危うさとどこかで流れる電流のようなつながりと火花が面白い。

鶴の折り方で翼のところで繋がった連鶴があるが、あのわずかな繋がりのように、心もとないが切れても一羽の鶴として飛び立てて、相手を眺められる状態というのも大切である。

友人の提案から、楽しい一日であった。