歌舞伎映画 『野田版 鼠小僧』

『野田版 鼠小僧』(作・演出・野田秀樹)は、構成もしっかりしていているが、実際に観たときは、勘三郎さんの素が見えすぎて、こちらとしてはしっくりした気分になれなかった。その記憶がありながらなぜ映像を観たかというと、映画としては、編集で役者・勘三郎さんを映すであろうし、三津五郎さんとの対決の場面をもう一度観たくなったのである。 予想していたように、役者・勘三郎さんで、棺桶屋の三太の勘三郎さんであった。笑って泣いて、カーテンコールの映像をバックに流れるエンディングロールを眺めつつ、しみじみと、勘三郎さんと三津五郎さんを偲んだのである。

ところが、自分では大丈夫と思って居たのに、一日、二日と過ぎると、お二人の喪失感に落ちいってしまった。まずい状態である。この状況から脱出するには、荒治療で、映画『野田版 鼠小僧』について書くしかない。

勘三郎さんは、これだけの段取りをどうやって頭にいれ、膨大な台詞を言いつつ身体を軽快に動かすのかと、改めて見入ってしまった。どういう内容だったのかと問われても、答えられない状態であったが、映画を観つつ、どんどん思い出していく。観た舞台を自分が撮っているように、絵ときされていく。舞台では一歩遅れる笑いも、映画では同時に笑えてしまう。

しかし、よく動く。動いていても、鍛えられた太腿はピタッとくっついているので、ピッと立ち姿などは決まる。

棺桶屋の三太はお金のことしか頭にない。前半は三太の兄が死んで、その遺言状ですったもんだが起こる。兄嫁の扇雀さん、その娘の七之助さん、番頭の彌十郎さん。後半はひょんなことから、三太は鼠小僧となり、大岡越前守と対決することになる。

三津五郎さんの大岡は、後家の鑑の福助さんのところに通い、後家の鑑には間男・與吉の橋之助さんがいる。この與吉は皆から善人と思われている。與吉には三太という息子がいるが、三太など知らないと三太の存在さえ認めない。

棺桶屋の三太は、自分と同じ名前の三太の存在をも否定され、大岡との裏取引を反古にして大岡達の悪を暴くが、悲しいかな、三太より大岡のほうの悪知恵が上であった。

クリスマスには、空から小判が降ってくるという祖父の坂東吉弥さんの言葉を信じて手のひらを上に向けて待つ子供の三太。その三太に屋根の上から鼠小僧となった三太が「屋根の上から、誰かがいつも見ているからな。」と声をかけるが、子供の三太には聞こえない。雪が舞いおり、その雪がキラキラと輝いている。

勘三郎さんの台詞が、舞台を観たときよりも、沁みてしまう。そして、大岡の三津五郎さんの弁舌爽やかな論理の展開に、羽交い絞めにされてしまう勘三郎さん。このお二人の丁々発止がもう舞台で観られないということも、沁みてくる。

鼠小僧を追っかける目明しの勘九郎さん。棺桶屋の三太の死んだ兄の幽霊の獅童さん。大岡の妻の孝太郎さん。娘役の新吾さん。その他、いつもは名前の出て来ない方の名前も表示される。ただ悲しいかな、勘三郎さん、三津五郎さんの他にも故人となられた役者さんもおられる。中村屋を支えられた小山三さんも、勘三郎さんのもとへ旅立たれた(合掌)。

屋根の上から、見ているであろうが、悔しがってもおられるであろう。今更ながらそんなこんなの感情が渦を巻く。恐らく、これからも様々な感情がふーっと襲って来るのであろう。

少々厄介な心もちにされてしまったが、映画は細かな部分も再認識でき見ておいてよかったと思う。

岡本喜八監督映画雑感

岡本喜八監督特集の中に、テレビドラマの上映も入っていた。『幽霊列車』『着ながし奉行』『昭和怪盗傳』『遊撃戦』で、『着ながし奉行』と『昭和怪盗傳』を見た。『着ながし奉行』は、後に市川崑監督によって、『どら平太』として映画化されている。『どら平太』は見ていて面白かったという印象はあるが、全体像が思い出せないまま、『着ながし奉行』を見る。さすが岡本監督テンポが良い。そして、仲代さんの奉行はある藩に着任するのだが、奉行所には出仕せず、濠外の悪所に遊び人として出仕するのである。

濠外へ遊び人として橋を渡るときの仲代さんの身体のリズムが実に良いのである。あらよ!とっとという感じでまさに着流しの遊び人の態である。何回か橋を渡るだんになると客席から笑いが起こる。遊び人への変身ぶりが上手いのである。そのリズム感に乗せられる。『どら平太』の役所広司さんの時はこのリズム感の記憶が出て来ない。『着ながし奉行』に、役所さんと益岡徹さんが出られてる。お奉行の着流し小平太にあっけにとられ、言葉の出ない表情が写された時はなんとも可笑しかった。お二人は、役どころの小平太と師匠の仲代さん両方に驚いているような形となった。そこまで岡本監督が読んだわけではなかろうが、時間が立ってみるとそんな構図も出来上がる結果となったのである。

濠外の顔役の小沢栄太郎さんに兄弟分の盃を交わすが、着流し小平太のほうは、宴席で余興に綱渡りの様子の芸を見せ、小沢さんにもやらせて参らせるという趣向で、どら平太は切り付けられての立ち回りの末、顔役の菅原文太さんに頭を下げさせる形と、この辺の違いも面白い。

菅原文太さん主演の『ダイナマイトどんどん』も面白かった。ヤクザに野球の試合で決着をつけさせるという設定で、文太さんに任侠物のほろ苦さとトラック野郎の三枚目とを同時に演じさせてしまうというサービスぶりである。アイデア満載でありテンポはいいが、上映時間が少し長かった。もう少し短縮して欲しかった。長すぎると面白いネタも新鮮味に欠ける。飽きが来る一歩手前で止めなくてはワクワク感のテンションが下がってしまう。

そのあとすぐ、テレビで『どら平太』を放送してくれて見直したら、役所さんの着流しのほうは、遊び人の態ではなく、やはり奉行がお忍びで偵察に行くと言う雰囲気であった。初めて『どら平太』を見た時は、その展開に驚き楽しんだが、岡本監督と比べると、市川監督のほうが理詰めで登場人物に語らせる。

江戸詰めの殿からのお墨付きも『どら平太』では最初に出してしまうが、岡本監督はいいだけ小平太を動きまわらせてから、白紙のものを読ませる。そして幕府からの隠密が入っていたらどうするかと脅す。これが脅しと思ったら、今日も出仕せずと粛々と記録していた珍しく穏やかな天野英世さんが隠密で、濠外の掃除もおわったあとで、「この藩には何も問題なし」というところが可笑しい。これは狙ってのことである。

その濠外と家老たち重臣とのパイプ役が『どら平太』では宇崎竜童さんで、どら平太の居る場で責任をとり切腹するが、『着ながし奉行』では、中谷一郎さんで、切腹したと字幕か、ナレーションだけで知らされる。

こういう娯楽痛快時代劇も、映像ではもうあまりお目にかかれない時代のようである。映画やテレビの主人公の解決で溜飲を下げるが、上の方のお金の流れの構造は昔から全く変わっていない。今は格好良いヒーローなぞ来ないから自分たちできちんと監視しなさいということか。『着ながし奉行』でなく『着服奉行』であり『金平太』である。

岡本監督の面白さは、役者さんの身体の動かせかたが上手いというか、引き出してしまうのであろうか。『ああ爆弾』などは、刑務所の収監部屋で、狂言で人間関係を語らせたり、映画の随所に歌舞伎、浪曲などが自然に繋がって流れて行く。それでいながら、宝塚出身の、越路吹雪さんには南無妙法蓮華経と団扇太鼓を叩かせるだけである。動けると思う人を動かしても面白くないということであろうか。

『ああ爆弾』の喜劇役者伊藤雄之助さんが、『侍』では、油断することのない周到な統率力の首領役で、あの大きな顔の存在感を示す。新納鶴千代の三船敏郎さんは年齢的に無理があるが、桜田門外での立ち回りシーンの映像は、岡本監督の時代劇の見せ所でもある。

岡本監督は、リアルさを押しつけず、編集の上手さからアッㇷ゚ダウンもあり、笑わせられるのが主流であるが、想像の空間にはきちんと印象づけるだけの材料も提供してくれる。

『日本のいちばん長い日』などは、様々の人々が戦争を終わらすかどうかの考えを指し示し、終わるということの難しさが伝わって来る。始めるよりも終わり方のほうが、ずーっと難しいものなのだということがわかる。そして、事実を知らされず、意識的に一つの方向に流される情報の力も妖怪である。

三船敏郎さんの陸軍大臣・阿南惟幾(あなみこれちか)が、責任を取り自決する。最後に部下に、<死ぬよりも生きることの方が辛いぞ。どんな国になっていくのか、俺にはそれは見れない。>と語る言葉が、今を照らす。実名の方々が多数出てくるが、出番が少なくとも一人一人の役割がきちんとしていて岡本監督の構成力を感じる。顔を出されないが、昭和天皇陛下が最後の決断をされ、玉音放送までもっていくのが大変だったことを知る。誰が演じられたか映画では判らなかったが、八代目松本幸四郎さんである。

1967年、<日本のいちばん長い日>を撮り終えたら、無性に<肉弾>を撮りたくなった。

どっちもいわば我が子であり、どっちにしても親としての責任はあったのだが、この兄弟、性格はまるっきり違っていて、<日本のいちばん~>は、当時の日本の中枢、つまりは雲の上の終戦ドキュメンタリーであり、<肉弾>は、戦争末期から敗戦にかけての、庶民も庶民、一番身近な庶民の、私自身の体験から起こしたフィクションだったからである。

 

庶民も庶民、まぎれもなきくたびれた庶民であるのに、<肉弾>は見逃してしまったのである。<日本のいちばん長い日>の鈴木貫太郎首相役の笠智衆さんが<肉弾>では、古本屋の爺さん役という予習はしてあるのであるが。肉木弾正にてドロン!

旅の前で、慌ただしく締めくくったが、『肉弾』については 水木洋子展講演会(恩地日出夫・星埜恵子) (1) での 恩地日出夫監督と岡本喜八監督のエピソードも再度紹介しておく。今回の旅先での<道成寺>で一枚の映画ポスターに岡本みね子さんの名前を発見。中村福助さん出演の『娘道成寺 蛇炎の恋』で総合プロデューサーをされていた。この映画も見逃がしている。残念である。

 

映画 『血と砂』

「シネマヴェーラ渋谷」での、<岡本喜八監督特集>も終了した。映画館に通ったり、レンタルしたりして、集中的に観た。娯楽的でありながらすーっと光を放つ台詞の一言。全体を見て真剣勝負の立場を貫くぶつかり合い。忘れ去られることを承知して英雄として生きない人々。涙と笑いの裏表。心地よいリズム感。

三船敏郎さんは、大スターである。凄い役者さんとは思うが、好きという感覚の俳優さんではなかった。今回、脇役、主役かなり映像でお目にかかった。これは三船さんの底に流れる愛嬌と大きさなのではないかと思ったのが、『血と砂』の曹長役である。

わけありで大戦末期の北支戦線にある部隊に配属となる。ところがこの映画、少年軍楽隊の演奏場面から始まる。それもデキシーの演奏である。その音楽に合わせて楽隊のゲートルを巻き、軍靴の足の動きを映し出す。その足さばきがミュージカル映画かと思わせる出だしである。 その少年軍楽隊の前に三船さんが現れる。馬上の手綱さばきが上手い。曹長は、上官と喧嘩をし問題を起こし、少年軍楽隊が自分の巻き起こす渦に巻き込まないようにしようとするが冷徹な隊長の仲代さんは、この曹長の性格を見抜く。この曹長は自分の部下を見殺しにするような奴ではない。兵としてなんの訓練もしてない少年軍楽隊を曹長の部下として、連絡の取れなくなっている陣地に行かせるのである。

これは、隊長を殴り軍法会議ものの曹長への命令である。上官からの命令は間違っていても従うのが軍隊である。 曹長は若き仕官候補兵の葬送に対し、「海ゆかば」では淋しすぎるからとデキシーの演奏を許したり、少年兵に楽器持参も許可させる。少年軍楽隊の演奏する、「夕焼け小焼け」と「雨降りお月さん」の演奏に、皆、軍楽隊の回りに集まり涙する。思い描くのは、故郷の情景であろうか、残してきた家族のことであろうか、デキシーから童謡への流れは切なさを掻き立てる。

少年兵の短期訓練が号令ではなく音楽リズムを使う。こういう訓練は実際にはあり得なかったであろうが、曹長の心の準備もない少年たちへの恐怖感への配慮である。トランペット、大太鼓と名前ではなく、担当楽器で呼ぶが、戦争という無機質の中に、楽器のパートで繋がっている少年たちの気持ちを大事にし、戦争で命を失う少年たちの虚しさを何んとか奮い立たせるのである。

曹長は、冷徹な隊長も自分が考えていたのとは違う面があるなと苦笑いし、時々見せる曹長の笑顔の三船さんが何んとも魅力的である。こういう上官とともに最後をむかえるということは、岡本監督流の少年兵への鎮魂でもある気がする。そして一緒に行動を共にする、古参兵の佐藤充さん、葬儀屋の伊藤雄之助さん、人殺しはしないと営倉につながれていた天本英世さんの個性的役者さんが、この映画の人間的変化に色を添えているし、三船さんとのからみも良い。そして、対峙する仲代さんなど、岡本監督の上手い役者さんの描きかたである。

岡本監督の映画には、主人公をどこまでも追っていく女性が登場する。ラブシーンを撮るのが苦手だった岡本監督流の、男女の究極の愛としての愛情表現であるらしい。 捕虜となり、フルートで心の交流の出来た中国の少年が逃がしてもらい、終戦と書かれた白い布を掲げて走って来る。しかし、その意味が伝わらず殺されてしまうのも哀しい。

この役は三船さんしかいないと思し、岡本監督の役者三船敏郎さんの魅力を存分に映像化した映画だと思う。この曹長のように、戦争という狂気を招く異常の組織形態のなかで、少年兵たちを自らの身体でその生き方を示した上官もいたことであろう。だからこそ、人は戦争で命を失うという生き方ではない選択肢があっていいはずである。

制作・東宝、三船プロダクション/監督・岡本喜八/原作・伊藤桂一/脚本・佐治乾、岡本喜八/撮影・西垣六郎/音楽・佐藤勝/出演・三船敏郎、伊藤雄之助、佐藤充、天本英世、団令子、仲代達矢、伊吹徹、名古屋章、長谷川弘、大沢健三郎

『座頭市と用心棒』は勝新太郎さんと三船敏郎さんの共演で、ヒットしたらしいが、この三船さんは物足りなかった。三船さんの魅力が燻っていた。

 

映画『ゆずり葉の頃』

『ゆずり葉の頃』は、東京ではまだ公開前である。5月23日(土)~6月19日(金)岩波ホールで上映される。

映画館で手にしたチラシに、八千草薫さんと仲代達矢さんが向き合って写っており、その間に <中みね子監督デビュー作> とある。何んとこの監督さんは、岡本喜八監督夫人の岡本みね子さんである。この映画を撮影時は76歳ということで、素晴らしい監督デビューである。

八千草薫さんは、谷口千吉監督夫人でもあり、岡本喜八監督は、谷口監督のデビュー作『銀嶺の果て』でサード助監督をを務めいる。『銀嶺の果て』は原作・脚本が黒澤明監督で、三船敏郎さんのデビュー作品でもある。銀行強盗犯人である志村喬さんと三船敏郎さんが山小屋に逃げ込む。人物像、山岳映像が見る者を引きつけ雪山でのアクションはワクワクしながら見た。この時代にこんな山岳映像を撮っていたのだと驚いた。演じる方もスタッフも大変であったであろう。雄大な自然に負けない、三船さんの野性味と志村さんの情が絵になっている。

『ゆずり葉の頃』は、一枚の絵が導く過ぎし日への旅のようである。岡本喜八監督は亡くなられる前、次の映画として『幻燈辻馬車』の脚本も書かれていたが実現しなかったわけで、その礎を受けられてのことか、新たに岡本みね子さんが、中みね子監督として脚本も担当されて映画監督デビューされたのである。

岡本監督の映画『ブルークリスマス』は、SF的でありながら秀作である。この映画には岡本みね子さんも出演されている。仲代さん演じる国営放送局報道部員の奥さん役で、フランス語の習得に熱中していて、食事をしている間もヘッドホンをかけたままであるという一ひねりされた奥さんである。八千草さんも異端の科学者とされてしまう妻役で出演されている。『ブルークリスマス』はUFOを目撃してその光を浴びた人の血液が青に変わってしまい、秘密裡に権力によってあぶりだされ消滅させられてしまう話しである。SFでありながら、映画は日常的な流れの中で描かれていて、もし特殊であると規定されたら隠ぺいされ闇から闇へ葬りさられてしまう権力の非情さを感じさせる。

前半はテレビ界での話しかと思ったら、その放送界も暗躍する権力を修正する力はなく、後半は押しつぶされていく若者が主軸となっていく。見ていて話しの構成展開が岡本監督と違うなと感じていたら、エンディングクレジットに脚本・倉本聰さんの名前があり、やはり岡本監督ではなかったと納得した。若い二人が田舎の列車の停車場で途中下車をしてホームで話しをする場面は、二人の前を何本か列車が通りすぎ、時間が経過したことを表し、二人が深刻な状況であることがわかる。そのあたりを列車の動きで表すあたりが岡本監督の<動>である。この若者が勝野洋さんと竹下景子さんで、竹下さんは、『ゆずり葉の頃』にも出演されている。(「ブルークリスマス」作詞・阿久悠、作曲・佐藤勝、歌・Char)

『ゆずり葉の頃』の音楽は、山下洋輔さんで、山下さんのソロピアノが入るらしい。そして、画家の宮廻正明さんがこの映画のために、絵を提供されている。

『ゆずり葉の頃』の撮影・瀬川龍さんは、『銀嶺の果て』の撮影・瀬川順一さんの息子さんである。

ゆずり葉・・・若い葉が芽吹いた後、役目を終え、譲るように落葉することから、親が子を育てるたとえになぞられてきた。縁起ものとされ、お正月のお飾りなどにも使われている

監督・脚本・中みね子/撮影・瀬川龍/音楽・山下洋輔/出演・八千草薫、風間トオル、岸部一徳、竹下景子、六平直政、嶋田久作、本田博太郎、仲代達矢/劇中画・宮廻正明

 

 

映画『英霊たちの応援歌 最後の早慶戦』『月給泥棒』 

『英霊たちの応援歌 最後の早慶戦』(1979年) チラシの紹介文を載せておく。

昭和18年に行われた最後の早慶戦と、学徒出陣して特攻隊員となった選手たちのその後を描く。当時の写真やフイルム映像を織り込みながら淡々と描かれる彼らの姿が、心から野球を愛した若者たちの命を奪っていく戦争の惨めさを浮かびあがらせる。英霊たちの鎮魂歌を奏でる佐藤勝のトランペットも心に沁みる。

 

岡本監督の映像の回転は速い。元気で、泣きつつ笑わせられる。理不尽な暴力にも笑いが起こる。何とばかばかしいことが、まかり通ってしまうのか。怒るはずのことを笑いとすることで、こんなことで笑わせるお前らじゃないよな、野球という場で、元気と感動を与えていたお前らだったはずなのにと監督が映像の裏で言っているようである。

大学を卒業するまでの何年かは大丈夫であろうと意識的に野球に没頭する学生たちも、戦争の状況によりそれは許されなくなる。学徒出陣を前に、何とか最後の早慶戦をやりたいと、関係者は動き実現する。映像は昭和59年の早慶戦とオーバーラップされる。映画はさらに特攻隊となった野球を愛した彼らを追う。<〇〇玉砕>の文字の入った当時のフイルム映像が戦局の経過と共に挿入される。その映像の映っている時間は短い。彼らは当時の戦局をどうのこうの言えるような考える時間などないのである。フィイルム映像の挿入とともに、特攻隊の出撃までの練習時間は短縮されて行く。

出撃を前に一人の若者が、ばかになるか気が狂うしかないという。その若者は迷う友人に、お前は何の為に死ぬのかそれを捜せ、母親ではだめなのかと投げかける。母親しか家族のいない友人は、プロ野球選手になって母を幸せにしようと考えていた。彼は、特別休暇をもらい、母のもとへ。母は空襲のため病院で、息子に看取られ息を引き取る。 野球を愛した若者たちは、野球をやっていた時の激を飛ばし合い突っ込んでいく。そこには上官などより、一緒に野球をしてきた者同士の信頼関係だけがある。戦争がなければ、プロとして活躍し、喝采を浴びた若者がもっといたことであろう。

知覧を訪れた時、特攻隊の訓練時の宿舎が残っていて内部に入ることが出来た。ここでまだ少年とも呼べる若者たちが、短い日数で実戦に向かうための厳しい訓練を受け、飛び立っていったと思うと胸が締め付けられた。

監督・岡本喜八/原作・神山圭介/脚本・山田信夫・岡本喜八/撮影・村井博/音楽・佐藤勝/出演・永島敏行、勝野洋、本田博太郎、中村秀和、山田隆夫、竹下景子、大谷直子、水野久美、八千草薫、田中邦衛、岸田森、殿山泰司、仲谷昇、東野英治郎

 

『月給泥棒』(1962年) 高度成長時代のサラリーマン・コメディ。<税金泥棒>と<月給泥棒>に因果関係はあるのか。解りません。

ある会社では、会社に貢献しない者は月給泥棒であると重役からの朝の訓話が放送で流されている。

自分の誇示、出世欲旺盛な一人のサラリーマン(宝田明)が、上役のご機嫌もとり、明朗快活に動き回る。さらなる飛躍は、自分の会社のカメラを石油王国の王様(ジェリー伊藤)に売り込む事。口八丁手八丁でライバル会社と渡り合う。その為に、家が没落したお嬢様育ちの美しいホステス(司葉子)の女性を使うのであるが、王様はこの女性に惚れてしまい、恋仲と思いきや、お互い割り切ってそれぞれの欲の方を選んでしまう・・・・・

サラリーマン喜劇のお色気たっぷりのホステス、芸者、宴会ではなく、至って健康的である。そしてコロッと物事がひっくり返るところが、岡本監督特有のテンポの良さである。美男美女のサラリーマン青春映画と言えそうである。司葉子さんの衣装にハリウッド的夢がある。それでいながら、ちゃぶ台が似合う結果となる。

監督・岡本喜八/原作・庄野潤三/脚本・松木ひろし/撮影・逢沢譲/音楽・佐藤勝/出演・宝田明、司葉子、十朱久雄、中丸忠雄、宮口精二、横山道代、若林英子、原知佐子、ジェリー伊藤

 

 

 

岡本喜八監督映画特集

渋谷の映画館「ユーロスペース」で、ドキュメンタリー映画 映画 『仲代達矢「役者」 を生きる』 を上映しているが、その上の映画館「シネマヴェーラ渋谷」では <岡本喜八監督特集>をやっている。

仲代さんの映画を立て続けに観た4本が、『切腹』『上意討ち 拝領妻始末記』『殺人狂時代』『野獣死すべし』で、『殺人狂時代』は喜劇とあり、岡本監督作品なので選んだのである。喜劇だけあって仲代さん演じる冴えない大学講師が、命を狙われるのであるが、頓馬な偶然が重なって命拾いをしそのうち、頭の冴えが働き悪漢をやつけてしまうというお話である。悪漢の大将が天野英世さんとくれば、多少想像がつくと思う。行動を共にする女性が陽性のお色気の団令子さんである。岡本監督らしく、ドカーン、ドカーンの爆発もある。

今のところ仲代さんの映画の喜劇としては、『殺人狂時代』も悪くはないが、つかこうへいさんの映画『熱海殺人事件』の二階堂伝兵衛が一番と思っている。この『殺人狂時代』は、現実問題として上映当時映画よりももっと悲喜劇のことがあったのである。仲代さんはニックネームを<モヤ>と呼ばれ、恭子夫人がモヤーとボンヤリしていることから命名したのであるが、仲代さんの地に近い役でと考えられたらしい。ところが、会社からお蔵入りを宣言され、その後上映したところ、東宝始まって以来の不入りで、仲代さんは東宝の人達から挨拶もしてもらえなかっとか。岡本監督は、<オクラ>は映画監督の恥と教わっていたので、そのことがあってゴルフと酒の日々。

『殺人狂時代』より3年前くらいに映された『江分利満氏の優雅な生活』も、会社の上層部は悪い意味でのびっくり仰天だったらしい。この映画を観て、私は、岡本監督の面白さに開眼したのである。原作が山口瞳さんで、自画像的なところもあるが、サラリーマンもの映画をこんな面白さで描く監督がいたのだ、それも、ドカーン、ドカーンのイメージの岡本監督なのであるから、良い意味でびっくり仰天の拍手であった。

ところが、これは観ていないがその後の『ああ爆弾』これがまたまた会社の上層部を刺激して、ついに『殺人狂時代』は<オクラ>となったのである。笑いごとではないが、その話しを読んで笑ってしまった。岡本監督は、何か面白いことはないかと、常に捜しまわって映画にはめ込んでいる感じである。その試写を観て、のけ反って驚いた上層部の姿が映画の一コマになりそうである。

さらに『江分利満氏の優雅な生活』は川島雄三監督の企画で、客として観るのを岡本監督も楽しみにされていたら川島監督は亡くなられてしまい、岡本監督が撮ることとなる。そいう経過があったことを知って、来るべきところに来たんだと納得である。岡本監督に撮ってもらって良かった。あの映画には、川島監督も二ヤリっとされたと思う。

岡本監督映画の音楽担当が佐藤勝さんが多い。これがまたいいのである。なんでここでというような歌謡曲が流れたり、壺を外しているようで外していないような、面白さがある。『ジャズ大名』は原作が筒井康隆さんで、音楽が筒井康隆さんと山下洋輔さんであるから、江戸時代でもジャズがよく似合う。

『野獣死すべし』は、大藪春彦さんのデビュー作の映画化で、監督・須川栄三さん、脚本・白坂衣志夫さん、音楽・黛敏郎さんである。日本映画での初めてのハードボイルド映画と言われている。主人公の仲代さんのニヒルで強靭で冷徹さは、『殺人狂時代』の主人公よりもシャープで歌舞伎でいえば色悪である。若い刑事の小泉博さんが、警察の捜査線上に無い新しいタイプの犯罪者であるとして、仲代さんと対決していくところも面白い。それでいながら、主人公はいつも妖しげな笑いである。

大藪春彦さんの原作『血の罠』から映画『暗黒街の対決』を岡本監督は、三船敏郎さんと鶴田浩二さんで撮られている。脚本・関沢新一さん、音楽・佐藤勝さんであるが、この映画はまだ観ていない。

岡本監督は『殺人狂時代』は、ハードボイルドなんだかそうじゃないのか最後までわからない状態の映画としたらしい。それは、『野獣死すべし』を観てこちらのほうがすっきりしている、あれは(『殺人狂時代』)は何だったのだと思ったので、監督の意図は通じたことになるのか。原作が都筑道夫さんの『飢えた遺産(なめくじに聞いてみろ)』とある。塩をまかれて消えかかったなめくじも、時間を経過して映画館を埋め尽くす日もくるのである。

映画 『上意討ち 拝領妻始末』 歌舞伎 『上意討ち』

映画『上意討ち 拝領妻始末』(1967年)は、原作は『切腹』の滝口康彦さんの『拝領妻始末』、監督・小林正樹、脚本・橋本忍、音楽・武満徹と同じメンバーである。撮影・山田一夫、出演・三船敏郎、司葉子、加藤剛、仲代達矢となり、制作は三船プロである。

これも、簡単なあらすじは知っていたので、気になりつつも後回しであったが、見始めると一気であった。三船敏郎さんが、家付きの養子ということで、20数年間養子として肩身の狭い思いをしている、馬廻り役である。その笹原伊三郎の長男・与五郎(加藤剛)に会津松平藩主(松村達雄)の側室お市の方(司葉子)がお役御免で、嫁として払い下げられる。お市の方は、菊千代という男子まで産まれたかたである。与五郎はこの話を受け、嫁に迎えてみればよくできた嫁で、夫婦中もよく、孫もでき伊三郎は隠居して安堵した。

ところが、先に生まれた若君が急死し、菊千代が世継ぎとなる。お世継ぎの実母が、藩士の妻では困ると、今度は返上を申しつけられる。伊三郎は、仲の良い夫婦であり納得できない。与五郎もお市も、このまま添い遂げたいと希望しているが受け入れられず、お市は略奪の形で城に連れ去られてしまう。伊三郎はお市の返上願いの代わりに、息子の嫁を戻されたいと嘆願書を出すが、上意に逆らう一藩士として、咎人扱いとなる。

伊三郎の友である国廻り役の浅野帯刀(仲代達也)は、お市拝領の時、「押せば下がる、さらに押せば下がる。進退窮まったと思った瞬間、鮮やかに身を開き構えの位置が逆になっておる」と伊三郎の剣に例えて意見をいう。

お市を略奪されすべもないと伊三郎が思ったとき、帯刀は「押されれば引く、さらに押されれば引く。だが、それでも勝負をあきらめないのがおぬし。」と語る。このことが、江戸幕府に知られれば松平家にとっては大失態なのである。

伊三郎は、養子の身から初めて自分が生きていると感じるのである。

与五郎とお市と悲憤の最後をとげ、伊三郎と帯刀は剣を交えることとなる。帯刀は藩の一の木戸を守る国廻り役として、藩から無断で出国するものは、放っておくわけにはいかない役目である。三船さんと仲代さんの立ち合いである。三船さんのほうが、僅かに剣の扱いが早いように思える。帯刀を倒した伊三郎は、孫のとみと江戸に向かおうとするが、藩の追ってに阻まれ、ついに伊三郎も無念の死を遂げるのである。

剣豪でありながら太平の世では役にたたず、養子として家を守るあきらめにも似た穏やかさを見せる三船さん。しかし、追い手を切り倒していく時は棲さまじい迫力である。本当に刀が相手に当たっているように見える。仲代さんは上役に気を遣う武士の生き方を冷やかに見つめ、最後は、与五郎、お市、とみの三人の力が伊三郎に加担しているからと言いつつ伊三郎の剣に敗れる。

三船さんの伊三郎も、お市のような女になり、与五郎のような夫を持てととみに思いを託す。

歌舞伎のほうの『上意討ち』は、録画で脚本・演出が榎本滋民さんである。

笹原伊三郎(二代目尾上松緑)、妻すが(三代目河原崎権十郎)、嫡男・笹原与五郎(初代尾上辰之助)、次男(現坂東三津五郎)、お市(現尾上菊五郎)、浅野帯刀(十七代目市村羽左衛門)、嫡男・浅野篤之進(十二代目市川團十郎)、笹原家娘・たき(大谷友右衛門)、許婚・溝口新助(六代目尾上松助)、側用人・高橋外記(九代目坂東三津五郎)、笹原監物(現市川左團次)

こちらは、舞台で実際に観る事の出来なかった方々や、若き日の演者ぶりが楽しめ、映画とは違う登場人物配置で、映画とはまた違った味わいがあった。

伊三郎の友の帯刀にも息子・篤之進がいて、与五郎と篤之進の関係が加わるのである。舞台ゆえに場面転換しかできないが、芝居の流れはよく出来ている。伊三郎と帯刀の剣を通じてのつながり、与五郎と篤之進の若い者同士の関係とつながりそこが先ず判るようになっていて、このつながりが貫かれるのかなと想像できる。養子である松緑さんと妻の権十郎さんとの関係に笑いを入れ、悲劇が起こるという雰囲気ではないが、お市のことから、養子であっても保たれていた笹原家に大きな動きが生じ始める。

映画と違って、お市がお役御免となった経緯は、菊五郎さんがセリフで語られるので、映像より弱い。その為、生き方の全てを貫き通す意地の強いお市ではなくどこか儚さがある。最後は、他の者に殺させるより自分たちの手でと、帯刀と篤之進が、それぞれ、伊三郎と与五郎と対決する形となる。帯刀は、伊三郎に「会津一の武芸者だ」と言って果てる。それを受けて伊三郎は「会津一の武芸者がなんになる」と槍に身体を支えつつ幕となる。

歌舞伎役者さんの層の厚さをも堪能させてもらった。皆さん役にはまっている。

映画、歌舞伎、それぞれの分野でのさらなる楽しみ方の糸口をもらったような気がする。映画のほうは、和太鼓のリズミカルな音とともに、下から俯瞰したお城が写され、その写し方がいい。どこのお城であろう。古い時の会津若松城なのであろうか。

 

 

 

映画 『切腹』

『切腹』(1962年)は、浪人が武家屋敷にて、武士の志を貫くため切腹をしたいので場所をお借りしたいと頼み、その浪人が差していた竹光で、切腹させたというような内容で、監督は小林正樹さんである。リアルで重いと思い観ていなかったのであるが、今回は観たくなった。原作は滝口康彦さんの『異聞浪人記』よりである。

武田神社で、懐剣を見て、実際のところは判らないが、この懐剣なら死に向かう人の苦しみは少ないかもしれないと思ったが、竹光で切腹させるとは何たることか。

確かに重いが、セリフ劇でもあった。井伊家の江戸上屋敷に一人の浪人が、武士として潔く切腹したいので庭先をお貸し頂きたいと現れる。ここから、仲代達矢さんの浪人・津雲半四郎と家老斎藤勘解由・三國連太郎さんとの演技上の火花が散るのが楽しみになる。徳川家の時代となり、浪人が切腹する気がないのに、施しを受けるためにこうした行動を出る者が多くなる。家老はそれを絶つために、一人の浪人を望み通り切腹させ、その浪人の刀が竹光だったことから、藩士は竹光で切腹させるのである。ここに、閉鎖された中での組織の陰湿さと集団的心理の恐ろしさがある。その残虐さは、理不尽な<武士道>の勝手な解釈のお仕着せである。

この義憤がじわじわと立ち起こってくるのは、半四郎がその話しを聞いても動じず、用意された切腹の場にての語りからである。半四郎は介錯人を指名するが、指名した三人ともが病気届を出している。この辺から、何かあるなと思わせる。半四郎は、一同もいつ自分と同じ境遇になるかもしれないので、後学のためにと浪人に至った経過とその後を話し始める。ここからが、仲代さんのセリフ劇である。

次第に事が明らかになり、竹光で切腹させられた浪人・千々岩求女(石浜朗)が半四郎の娘婿であることが明らかになっていく。さらに、三つの髷が半四郎の懐から投げ出される。半四郎の穏やかに静かに語るゆとり感が次第に勘解由を動揺させていく。それは、浪人と譜代の対決となり、さらに幕府との対決に持って行きたい半四郎の<武士道>にたいする<人間道>である。

求女の死体が戻ってきて、求女が生活のために刀を売っていたことを知った時、自分の刀を投げ出す。何のための刀だったのか。自分の刀を竹光にしていたら、孫を医者に診せることが出来こういう結果にはならなかっったのではないか。その刀で大きな矛盾した体制に挑むのである。しかし、その行為は、勘解由によって偽装され、井伊家は幕府から褒められるのである。

この老い役を演じたとき、仲代さんは29歳である。カンヌでも、その若さから求女役の役者と勘違いされたようである。半四郎のセリフから、「関ヶ原から16年」とあるから、半四郎は実戦の経験があるのである。

半四郎の静な穏やかな、笑みさえ浮かべた何をも恐れない毅然たる態度は、激して語るよりも、半四郎の心の底のマグマのような義憤が伝わるのである。

それにしても、さらなる藩士の犠牲を命じ、家を守る三國さんの家老の狡猾さも見事である。役者による映画の面白かった時代の作品でもある。

音楽は武満徹さんで、琵琶が中心で、介錯人・丹波哲郎さんと仲代さんの対決の場面の風の音が効果的である。

予告篇には、『人間の条件』の監督 小林正樹、撮影 宮島義勇、主演 仲代達矢の組み合わせが強調されている。

監督・小林正樹/脚本・橋本忍/原作・滝口康彦/音楽・武満徹/撮影・宮島義勇

出演・仲代達矢、三國連太郎、石浜朗、丹波哲郎、三島雅夫、中谷一郎、佐藤慶、井川比佐志、松村達雄、岩下志麻

 

 

映画 『仲代達矢「役者」 を生きる』

役者・仲代達矢さんのドキュメントである。このチラシを見た時、また本を出されたのかなと思い、裏に返して見た。「役者 仲代達矢が渾身の舞台「授業」を演じきるまでを、完全ドキュメント」とある。あの舞台『授業』に臨む仲代さんの姿が見れるのである。嬉しいことに、初日は、仲代達矢さんとこの映画の監督・稲塚秀孝さんとのトークショーありである。

仲代さんのイヨネスコの不条理劇『授業』の舞台は、2013年2月、3月の2か月間、仲代劇堂(東京公演)で公演されたものである。  無名塾 秘演 『授業』

仲代さんは30歳の時、映画「切腹」でカンヌ映画祭に参加された。帰りに仲代夫人である宮崎恭子さんとパリの小さな劇場で『授業』を観られ、何時かは演じたいと思われての50年後の実現である。

台詞は全部手書きで台本から紙に書き写し張りだす。そのほうが、身体に入っていくような気がするのだという。稽古に3か月。稲塚監督は誇張されることなく仲代さんの言葉と記録映像で静に穏やかに映し出し、観る側にその感じ方を任せる。先ず覚える台詞の多さに、役者になりたいと自分が思わなくて良かったと思う。しかし、80歳であれだけの挑戦をされるのであるから、観ているほうも刺激は充分に頂戴する。可笑しいのは、『授業』の舞台に出る前に仲代さんが作られた<授業のうた>を、山本雅子さん、西山知佐さん、仲代さんの三人で歌うのである。セリフを間違えても許してとイヨネスコさんにお願いしたりする。楽しくもあり切実でもある。

<無名塾>の次世代への橋渡しとして、舞台『ロミオとジュリエット』では脇に回られた。次世代への受け渡しかたは、まだ模索の段階であるようだ。トークショーで稲塚監督が、『授業』から『ロミオとジュリエット』の神父役で、次に一人芝居の『バリモア』ということは、まだまだ挑戦は続くようでと言われた。仲代さんも、やりたいことは30くらいあると。

『授業』は、お客様に解ってもらえなくてもよい、自分が演りたいから道楽と思ってやったが、楽ではなかったと言われた。仲代さんの話しは、難しそうな事を話されそうに見受けられるが、簡潔である。映画『椿三十郎』の時の三船敏郎さんとの対決の場面も相手がどう出るか教えられず、まっすぐ刀を上に抜く居合いの練習をさせられ本番で初めて三船さんの動きが解かり、血が噴出して後ろに倒れそうになり、ここで倒れてなるものかと思って踏みとどまってオッケーがでた。踏みとどまることまで黒澤さんは読んでいたんですから凄いですと。思うに、その一瞬で踏みとどまると判断するというのが、仲代さんの役者としての天性であろう。仲代さんは役者は技だという。

<無名塾>の若い役者さんは、仲代さんと話す時緊張するが、舞台では役になりきるので一緒の舞台に立って居る時は楽しいと言われていた。2012年の『Hobsonts・Choice~ホブソンの婿選び~』では、頑固親父の仲代さんが、娘たちの反乱に会い力関係が逆転し、娘たちに従う形となる。三人の娘さん役の役者さんは師匠を舞台で大いにやり込め、仲代さんもやり込められるのを楽しんでいるようであった。それは、やり込めるだけ役者として成長してくれたということでもある。

再演はあまりしないが、『バリモア』は再演されるそうである。そして、2月には、白石加代子さんと益岡徹さんと初めてのリーディング『死の舞踏』、来年3月には無名塾公演『おれたちは天使じゃない』と続いている。

映画の中では、長いセリフを言い続けることにより持病の喘息のため、吸うを息を調整しないとヒューという音がお客さんに聞こえてしまうと言われていた。芝居を解かりやすくしようとして芝居を駄目にしているという演劇事情の危惧もあり、仲代さんならではの試みの『授業』であったようだが、それを<道楽>というところが仲代流ともいえる。

編集も全て稲塚監督に任されたそうである。外部のかたが仲代さんについて語るということは入れず、仲代さんの今を記録された映画で、舞台に向き合う一人の役者と<無名塾>という家族の今を伝えるドキュメントに徹していて『仲代達矢「役者」を生きる』そのものである。

 

『炎の人』から『赤い風車』

舞台『炎の人』で、画家のロートレックが出て来たので、映画『赤い風車』を見直した。ロートレックの伝記映画であるが、画家たちが出てくる場面はワンシーンくらいで、誰なのかも解らない。ムーラン・ルージュの人々と、そこでの二度の彼の恋が話しの中心である。

ロートレックは、名門に生まれながら幼い頃両足を骨折し、それがもとで下半身の成長が止まってしまう。そうしたことが要因となり、彼は屋敷を離れパリのモンマルトルに住み、ムーラン・ルージュでフレンチ・カンカンを踊る踊り子や、それを楽しむ客などをスケッチしつづける。様々の画家がひしめき合い競い合い議論するなかでロートレックは彼独自の世界を描き続けるのである。しかし、他の画家との係りは出てこない。唯一彼の口から出てくる画家の名は<ゴッホ>である。

ロートレックは、街娼のマリイを警官から助け同棲するが、マリイは出て行ってしまう。落胆するロートレックの様子を見に来た母親が、屋敷でも絵は描けるのだから戻りなさいと諭す。その時、ロートッレクが云うのである。

「画家の知り合いがいます。ゴッホという奴でー 太陽に輝く麦畑を描いています。その輝きを見る者は圧倒されます。私には描けないし、彼にも私の真似はできない。私は裏路地や貧民街の画家です。」

『炎の人』でゴッホは画家たちの前で技法について語り、大切なのはその以前の問題だと語る。

「マネは光それ自体を描く、セザンヌは自然を分光器にかけて描く、ゴーガンは色を追いつめ還元して描く、スーラは分析して点で描く。どれにも真理はある。しかしだよ、考えて見ると、しようと思えば、そのどれで描くことも出来るじゃないか?そうだろ?だから、逆に言うと、どれで描いてもよいのだ。技法はどれを使ってもいいと言える。」「そうだ、画家が絵筆を取る前に、その画家の中に準備され、火をつけられて存在しているものだ。その事なんだ。つまり、その画家の生命そのものだ。」

画家たちが帰り興奮し<タンギイ像>に取り掛かるゴッホにタンギイは言う。

「あまり根をつめて描き過ぎるんじゃありませんかねえ。・・・すこし旅行でもなすったら?…アルルかニースあたりにいったらって、ロートッレクさんも、こないだ言ってらしたじゃありませんか?」

ゴッホは言う。

「ロートッレク・・・あれは良い男だ。」

『炎の人』と『赤い風車』の作家は別である。しかし、別の人が書きながらも、ロートレックとゴッホが感じているお互いの関係の認識は同じに感じてしまう。

もう一つ面白かったのが、韓国の人気俳優のイ・ビョンホンが二重人格を演じている『ひまわり』である。レンタルショップの払下げのDVDが安かったので、見たらイ・ビョンホンのファンである友人にあげようと思い購入したのであるがゴッホのひまわりの絵が出てくる。主人公の男性は、凶暴な時と優しい正常な時の二面性があり、正常な時、凶暴な自分に変るのを恐れ苦しむのであるが、凶暴になったときはどうする事も出来ないのである。これを見た後で『炎の人』を見たのであるが、この脚本家はゴッホから二重人格の主人公の設定を考えたのであろう。『ひまわり』の題名の意味が解ったのである。

『ひまわり』については、韓国映画は少し観たが、ドラマは見ないので全くの偶然の出会いであった。

小林秀雄の『ゴッホ』を段ボールから出して開いて見たら途中まで赤線が引いてある。かつて読もうと思って挫折したらしい。意外と今なら読めそうである。『炎の人』のお蔭である。ゴッホの全体像が見えてきたので、それがクッションとなり細部にも入っていけるということである。

今年は、もう少し本を読む時間を取ろうと思う。

年明けそうそう、『RDGーレッドデータガール』の続き5巻がきて四苦八苦したが、面白かった。ファンタジー小説でこんなに頭を使わされるとは思わなかった。