映画館「銀座シネパトス」有終の美 (6) 「女人哀愁」

「女人哀愁」(1937年)こちらも戦前の映画である。

監督・成瀬巳喜男/脚本・成瀬巳喜男、田中千禾夫/出演・入江たか子、伊藤薫、堤真知子佐伯秀男

戦前で古く、映画の題名からして耐えるお涙頂戴の話であろうと思っていたらどうして、戦争は女性の前に進むべき生き方を後ろに戻してしまったのかもしれないと思わせられた。

主人公・広子(入江たか子)は銀座のレコード店に務めている。「銀幕の銀座」にはクラシックのレコードが売れていたという事だから、クラシック音楽にもそれなりの知識があると云う事で、母にダンスなど出来ないと言われ従兄・良介(佐伯秀男)の妹と踊ってみせたりもして、自分の生き方を意識的に古風に押し込めている。その古風さを良介は広子の意思からくる生き方として自然に受け止めていて広子も良介に本心を隠さずに話せる相手である。

広子は父を亡くし母と弟の学校の事もあり資産家の息子と結婚をする。そこでひたすら嫁として嫁ぎ先の家族に仕える。入江たか子さんが華族出身と云う事もあってか、その動きが美しく品があり程よいてきぱきさで苛められているという印象が薄くなんとも小気味良くその美しい動きを見るだけで価値がある。彼女にとってお手伝いとして使われようとそれは覚悟の上でそれに耐える強さはもっている。ただ夫が自分をそれだけの女と思い、それ以外はただ意思の無い美しい人形と思っていることに納得が行かない。夫の妹が駆け落ちをし、その相手から妹に会いたいからと頼まれる。相手は妹のために会社の金を使い込み逃げていた。夫や義父母は自分達に災いが降りかかるのを恐れ居場所を問いただし、相手を警察に突き出すという。

広子は納得できない。妹にそれでよいのかと詰め寄る。妹は自分の役目を理解し相手のところに駆けつける。広子は離縁される。彼女は喜んでそれを受け入れ堂々と自分の意見を述べ婚家から立ち去る。川本三郎さんも書かれているが、イプセンの「人形の家」を思い浮かべる。ノラより自分の意見をきちんと述べ立てられる。離婚後良介に会い、こういう女は困ったものよねというようなことを話す。自分で自分の事を分析できる女性で、良介もそれが解かっているのでへんに同情したりせず爽やかである。母と弟の事もある家庭事情の設定であるから泣きつつ我慢させるのかと思ったがそうはならなかった。彼女は事も無げにまた働きに出るわと前に進むのである。本当は広子と良介がお互いが分かり合える似合いのカップルであるのだが、お互いにそれは出来ないことを前提にしているので、凭れ合う事もなくそれぞれの意思ある人間関係が、見終った後もすくっと気持ちよく席を立つことが出来る。戦前にこうした映画があったことが嬉しい。

 

映画館「銀座シネパトス」有終の美 (5) 「花籠の歌」

「花籠の歌」(1937年/松竹)戦前の映画である。

監督・五所平之助/原作・岩崎文隆「豚と看板娘」/脚色・野田高吾・五所亭          出演・田中絹代 、佐野周二、徳大寺伸、川村惣吉、高峰秀子

東京のとんかつ屋を舞台にその看板娘とそこに通う大学生の青春恋愛映画である。その当時の銀座、とんかつ屋の二階の窓から見える東京の風景など「銀幕の銀座」(川本三郎著)に興味深く書かれているので読めば楽しく想像できる。映画を観てから改めて読み返し、なるほどと感心させられつつ思いださせてもらった。

とんかつ屋の看板娘・田中絹代さんは溝口監督の田中絹代さんと違って愛くるしくて可愛らしい。溝口監督と田中絹代、小津監督と原節子。確かに演技的にもその計算された美しさも良いのであるが、彼女たちの初期の映画の原石としての瑞々しさがなんとも新鮮である。それに対し高峰秀子さんのちょっとひねた演技には、デコちゃんらしいと笑ってしまう。此のくらいの年齢で、もう大人達に対し素直にはなれないわよという態度があり、誰も真似の出来ないところである。演技指導があっての事なのか、あの子役は面白いからやらせておこうとの判断なのか。役がとんかつ屋の看板娘・田中絹代さんの妹で、どうも女優の勉強をしているらしく、自分が売れる女優になれるかどうか疑問の言葉を吐くが、周りは注目しない。なんせ看板娘に皆の目は集中しているのだから。姉が恋人の佐野周二さんとの事で泣いていると、デコちゃんはどうしたのと心配し慰めつつ、周りの男たちをちらりと見回し、何とか出来ないのとあんた達とでも言っている様である。仲代さんが高峰秀子さんの事を<日本の女優には非常に珍しく、人間のニヒリズムってものをやっぱり強烈に出した人ですよ>(「仲代達矢が語る日本映画黄金時代」)と的確に言われている。

看板娘・お嬢さんに恋焦がれているコックの中国人・李さんは徳大寺伸さんでこの俳優さんが徳大寺伸さんという名前である事を今回はっきり記憶に残した。作詞家・西條八十にあこがれ作詞家を目指していて、お嬢さんに捧げる歌を作りたいと思っている。しかし、恋破れ、とんかつ屋を去るのである。この中国人・李さんのとんかつの腕と看板娘でこのとんかつ屋は持っていたのであるが、李さんが去り、慣れない佐野周二さんが婿に入りどうなることかと思いきや、看板娘の父(川村惣吉)は2年後には<すき焼き屋>にしよう、きっと儲かると言って明るく終わるのである。

原作名「豚と看板娘」が映画名では「花籠の歌」と変わっているのが面白い。これは中国人・李さんの作詞しそうな題名である。

「銀幕の銀座」にとんかつ屋の出てくる映画として、川島雄三監督の「とんかつ大将」と「喜劇・とんかつ一代」、小津安二郎監督の「一人息子」が紹介されている。「喜劇・とんかつ一代」は見ていない。「とんかつ太将」はとんかつが好きで貧しい人達の治療にあたっている医師を中心とした話である。その医師が佐野周二さん。その友人で佐野さんが戦地に行っている間に佐野さんの婚約者と結婚してしまうのが徳大寺伸さんである。「とんかつ大将」は浅草が舞台で、そう簡単にはとんかつは口に入らない。貧しい人にとってあこがれのとんかつである。「一人息子」のとんかつ屋は砂町あたりだそうである。「花籠の歌」で佐野周二さんの友人で寺の息子の笠智衆さんは「一人息子」では、信州の学校の教師で、教師を辞め勉学に燃え東京に出るのである。この先生の勧めで、一人息子を貧しいながらも母は一人で働き続け、東京の学校まで出すのである。母が一人息子に会いに行ってみると、息子は結婚し子どももおり、夜学の教師となり細々と生活し、かつての先生もこれまた細々ととんかつ屋となっている。こちらのとんかつ屋は総菜屋のようである。母にとっては期待はずれの納得のいかない<とんかつ>である。

「一人息子」(1936年)砂町・「花籠の歌」(1937年)銀座・「とんかつ大将」(1952年)浅草・「喜劇・とんかつ一代」(1963年)上野である。

 

自転車のしまなみ海道 四国旅(番外篇)

旅好きの仲間と四国の話から、彼女は自転車でしまなみ海道を渡ったという。青春18きっぷ利用者なのだが、自転車のしまなみ海道は季節的に青春18きっぷでは無理と判断。10月、夜行の高速バスで東京から京都に行き、鉄道の日を記念しての格安切符で(初めて聞く切符である。情報感謝。)岡山から四国に渡り今治へ。そこで泊まり次の日の朝8時、自転車で出発。尾道着午後3時だそうである。尾道大橋は渡らず、向島(東京はむこうじまだが、むかうしまと読むようだ)から尾道渡船でフェリーを利用。

<尾道渡船><フェリー><自転車>。映画「さびしんぼう」ではないか。彼女は映画は見ていないからこちらの反応が解からない。大林宣彦監督の尾道三部作「転向生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の一作である。映画で<さびしんぼう>が出て来た時、この<さびしんぼう>を上手く違和感なくつなげていけるのであろうか。下手すると手口が解かる手品となって白けさせるかもしれないと思ったが、きっちり役目を果たした。尾道のどこか懐かしい石垣の坂道やフェリーで通学する残された風景の力でもあるが、心が<さびしんぼう>という形となってチクチクと痛みを感じさせる。

しまなみ海道をバスで渡る時ガイドさんが、「自転車で渡れるんですよ」と説明してくれ渡ってみたいと思った。そして即、火野正平さんが怖くてこの橋はパスしたことを思い出す。NHK/BSプレミアムの旅番組「にっぽん縦断・こころの旅」である。そのことを彼女に話しすと、その番組は時々見るがそこは見ていないと。こちらも時々見ていてたまたまその旅の部分を見たのである。その話を聞いていた仲間が、あの番組に高校時代の部活が終わっての帰り道、夕焼けの美しい場所を投稿し、残念ながら採用にならなかったという。色々書きすぎて焦点がボケてしまったと反省していた。山口生まれで、「龍馬伝」にはまり、毛利や清盛の瀬戸内海の話など短時間ではあったが、熱く語り聞かせてもらった。でも会津の人は今でも長州は嫌いという人がいると思うとも。たしかに歴史を見ていくとそれぞれ言い分があり、どこかで風が変わってしまうようである。

旅の話にもどすと自転車の彼女は、尾道の夜、予定通り焼きそばとうどんのお好み焼きを二種類食べれて満足のしまなみ海道自転車旅だったようである。

彼女は青春18きっぷで関西から夜行で東京にもどり、その足で再び下り身延山の枝垂桜を見てきた事もある。その行動は理解できる。宿泊までして早朝身延線で身延山に上り、下って身延線で甲府に出ようと思ったのに、身延線出発時間を間違え大幅な時間のロスから甲府周りを諦めたことがあるから。

青春18きっぷで全部という贅沢な旅も体力的にきつくなり、連絡の悪いところは新幹線などを使うが、車窓としては在来線のほうが勝っている。防音のためのコンクリートの壁に挟まれていると旅というより運ばれているだけで楽しみはお弁当か。在来線は4人がけのシートが少なくなり横並びなのでお弁当を楽しむ雰囲気ではない。そこがさびしいところである。

 

 

映画館「銀座シネパトス」有終の美 (4) 「君の名は」(一部~三部)

「君の名は」(第一部・第二部・第三部) 1953年~1954年

監督・大庭秀雄/原作・菊池寛/脚本・柳井隆雄/出演・佐田啓二、岸恵子、淡島千景、月丘夢路、川喜多雄二

東京の空襲で出会った二人の男女が、空襲の後、数寄屋橋の上にて半年後に会おうと約束する。もしそれがダメならその半年後に。半年後に女性の氏家真知子(岸恵子)は行けず、1年後に再会。しかし後宮春樹(佐田啓二)は真知子から「明日結婚します」と告げられ成すすべも無く別れる。お互いに名前も知らなかった事から真知子の友人の綾(淡島千景)等の協力で会う前に名前はわかる。さらに真知子の見合い相手の浜口勝則(川喜多雄二)は後宮を一緒に捜してくれる。後宮の姉の悠起枝(月丘夢路)は自分の不幸な結婚と恋人の裏切りから男性不審に陥っており、弟に対する真知子の気持ち程、弟が貴方の事を思っているかどうか解からない、男の気持ちは変わるものであると告げる。それを聞いた真知子は、浜口の親切さと叔父の勧めもあり、浜口と結婚を決意するのである。後に悠起枝はその時の発言を誤るのであるが、この時、自分の意思を変えた真知子の責任でもあり、その事が不幸の始まりでもあり、修正への道のりでもある。

結婚した浜口と真知子の物事に対する考え方の相違が出始め、それは浜口にとって真知子が後宮を忘れられないからだと考え、夫浜口の嫉妬心が増幅していく。おせっかいの綾は、真知子と後宮は運命の二人なのだから一緒になるべきだと考えパイプ役を勝手に引き受けている。この人がいなければ最終的なハッピーエンドは無かったのかもしれないが、静かにしていれば事も無く二人は諦めたのかもしれない。微妙な立場であり、筋立てに変化をもたらす人である。淡島さんならではの役である。屈託なくじれったがったり自分のお節介に呆れたりしていて、嫌味でないのが良い。

真知子と春樹の別れている場所として、佐渡の尖閣湾、北海道の美幌峠・摩周湖、九州の雲仙・普賢岳など観光地も上手く使っている。今見ると自然が自然としての荒々しさが残っている。特に雲仙普賢岳の樹氷は知らなかったので、その氷に覆われた枝々の間からアップで映す岸恵子さんの表情も美しい。

佐渡の尖閣湾では女として押して押しまくり悠起枝から恋人を奪う奈美・淡路恵子さん、じっと耐える月丘夢路さん、自分の生き方を模索する岸恵子さん、自力で生活を切り開いていく淡島千景さん、それぞれの女性像をも菊池寛の原作をもとに大庭監督は冷静に撮っている。さらに、真知子の叔母である望月優子が普通の一般的日本女性でありながら、真知子の環境の変化に伴い真知子の気持ちを代弁していくのが小気味良い。真知子はこの叔母を頼りにしているが、見ている方もこの叔母が出てくると今度は何をいうのであろうかと楽しみであり、その一言に館内明るい笑いとなる。ごく当たり前の事を言っているのだが、ずっと言えないできた一言が効く。

北海道では、アイヌ人であるユミ・北原三枝さんが個性をぶつけ、真知子・岸恵子さんとの馬車で美幌峠を走るそれぞれの表情が興味深い。ユミは真知子に負けじと馬を走らせる。揺られながら真知子は自分の選んだ道を今度は手放さないと覚悟している。北原三枝さんの情念のほとばしりが北海道の自然に負けていない。有名な「黒百合の花」(織井茂子)は歌謡番組の映像では見て聞いていたが、どう映画で使われているのか知りたかったのでそれだけでもこの映画を見た価値がある。映画の中の歌謡曲というものもあるのである。菊池寛という人は女性の個性なり前に進む女性像を上手く書ける人である。甘いところもあるが、突き進ませると成ったら待つ暇など与えない。奈美とユミの自死。

その他、身を売っていた梢・小林トシ子とあさ・野添ひとみの再生。不幸のどん底にいた悠起枝と梢の幸せ。様々の人々の生き方を通過しての真知子と春樹のやっとの春。

古い映画を見ると俳優の層の厚さをいつも感じる。笠智衆、大阪志郎、柳永次郎、須賀不二男なども出ている。さらにこれだけの女優陣を撮る醍醐味もあるであろうが三部作という長さに挑戦した大庭監督の力量もたいしたものである。一回ではあらすじが解かる程度なのでもう一回見たかったが時間的に無理であった。

一部の撮影円谷英二さんの名前もあった。空襲の特殊撮影の担当だったのであろう。音楽は古関裕而さんが担当。映画の中の歌は作詞・菊田一夫、作曲・古関裕而。

「君の名は」「黒百合の花」(織井茂子)・「忘れえぬ人」「数寄屋橋エレジー」(伊藤久男)・「君は遥かに」(佐田啓二・織井茂子)・「綾の歌」(淡島千景)

佐田さんと淡島さんの歌声は聞いたような聞かなかったような、はっきりした記憶がない。俳優さんの演技に気をとられ最後まで歌の歌詞は残らないものである。歌謡映画として、メロドラマとして、戦後の女性たちの生き方のダイジェストとして、菊田一夫さんのエンターテイメントの代表として楽しみ方は幾らでもある。

 

数寄屋橋の碑  真知子と春樹が再会を約束した橋は今はない。数寄屋橋公園に橋の遺材を残して碑が建てられました。

 

<文楽>の言葉から空間へ

文楽>を観ながら<文楽>と名称が落ち着くまでの歴史を知らなかった。

文楽のもとは琵琶法師が平家物語を語る<平曲>までさかのぼり、楽曲が三味線となり表現が増し、人気演目だった浄瑠璃姫物語にちなんで語り物は<浄瑠璃>といわれるようになった。さらに人形が加わり<人形浄瑠璃>となり、江戸時代になって大阪で竹本義太夫が義太夫節を起こしこれが<浄瑠璃>イコール<義太夫>と呼ばれる事もある。近松門左衛門の作品と供に人形浄瑠璃は流行し、一時衰退するが、19世紀初め興行師・植村文楽軒が復興し、いつしか<文楽>が<人形浄瑠璃>の代名詞となる。

浄瑠璃を語る方を文楽では<大夫>と書き歌舞伎では<太夫>と点を入れます。歌舞伎では竹本義太夫の流れをくむという事なのでしょうか。詳しくは解かりません。そういう訳で厳密に正しく文楽を観て感想を書くとなると何も書けなくなりますのでそこの辺りは目を瞑って頂きますよう。

人形と云う事で、北野武監督の映画「Dolls」(2002年)。人形から入ったのではなく桜の美しい映画として何かに出ていたので、DVDを捜したら文楽の人形が出ている。これは次の空間に行くなと直感。「冥途の飛脚」の梅川(桐竹勘十郎)と忠兵衛(吉田玉女)の文楽の人形をここまで美しく撮った映像があるであろうか。ひとめ惚れである。自分の目で見た人形を一番と思っているが、悔しいがちょっと負けているかな。たけしさんのお祖母さんが女浄瑠璃語りで、それが少年時代はイヤであったと言われているが、その音楽性が良い意味でたけしさんの体の中に染み付いている様に思う。

2012年11月6日<浅草紹介のお助け>https://www.suocean.com/wordpress/2012/11/06で少し書いたが、たけしさんは浅草時代タップとの出会いがあり夢中で練習されている。それは、この浄瑠璃からの逃避にも思えるのであるが、反対にこの浄瑠璃の持つ掴まえがたい音楽性が、映像の流れを左右しているのではないかと仮説をたてているのであるが、証明は難しい。

映画「Dolls」は、三つの愛の形から構成されているが中心になっているのは次の話である。松本(西島秀俊)が結婚を約束していた佐和子(菅野美穂)を袖にし、勤務先の社長の娘と結婚式を挙げる。式の直前、佐和子が気が振れたことを知り佐和子のもとに行き、佐和子と供に赤い紐で結ばれた<つながれ乞食>として美しい映像のなかの日本の四季をさ迷うのである。桜は埼玉の幸手の土手の桜らしい。桜も紅葉も雪も佐和子のお気に入りの玩具も小道具の三個の天使の置物も花びらもそれぞれが自分の色で主張していてこれがたけしさんの色彩感覚なのかと曳き付けられる。衣裳が山本耀司さんで、これはその場面場面に溶け込んでいてうるさくない。菅野美穂さんの夢の中にいる様な表情と時々ぴょこたぴょこたんとした歩き方がなんとも言えない白痴的味を出している。最後の二人の死の姿は全く想像していなかったシチュエーションで、こう来るわけかと感服した。二人の道行きの流れの緩慢のリズムと長さが飽きさせないのである。こういう映画の場合どうしても何処かで飽きが来るのであるがそれがない。そこがたけしさんの中にある浄瑠璃なのではないかと思うのである。二人の心中の映像は人形に負けじと美しく描かれている。

もう一つ愛は、アイドル歌手を追っかけている若者の愛。アイドル歌手が事故で顔に傷を負う。彼女が今の自分を人に見られたくないであろうと、若者は考え、自ら失明の世界を選ぶ。しかしこの究極の愛も若者の交通事故死で閉じられる。「春琴抄」が脳裏を掠める。

もう一つの愛は、若い頃お弁当を作ってくれた恋人と別れる際彼女が、いつまでもこの場所でお弁当と一緒に待っているという言葉を確かめに公園のベンチに行ってみると彼女がお弁当を抱えて待っている。彼女は彼が昔の恋人とは気がつかない。そして、もう待つのは止める、あなたがいるからという。この元の恋人でもある彼は今はヤクザの親分になっていて殺されてしまう。この熟年の恋人は松原智恵子さんと三橋達也さん。このお二人の若い頃の映画は沢山見ているので、その若い頃の映画を思い出し、たけしさんはそれも狙ってるなと思ってしまう。

愛は美しくも残酷に閉じられてしまう。

映画館「銀座シネパトス」有終の美 (3) 「あした来る人」「銀座の恋の物語」

「あした来るひと」(1955年)と「銀座の恋の物語」(1962年)。

「あした来る人」は白黒のフランス映画を見ているようである。原作・井上靖、監督・川島雄三、出演・山村聰/三橋達也/月丘夢路/新珠三千代/三國連太郎。

新珠を中心に人間関係を説明すると、新珠は洋裁店を開いておりパトロンが山村である。新珠はふとしたきっかけから三橋を好きになる。三橋は月丘と結婚しているが三橋は登山が命で、夫婦仲は上手くいっていない。月丘はかじかの研究をしている三國に魅かれる。月丘の父が山村である。山村は関西の財界人で、東京に来た時泊まるのが日比谷交差点にあった日活国際ホテルである。このホテルで新珠は山村の娘が月丘であることを知る。その時三橋と月丘は離婚しているのであるが、新珠は心の整理がつかず三橋のもとへは行けなくなるのである。ラスト、ホテルの廊下を歩く山村が若い者たちがまだ不完全でいつか彼らも完全な人となるであろうと心の中でつぶやく。

登場人物はきちんと言いたいことをいう。何で行き違うかもはっきりしている。その方向で行動する。しかし、立ち止まる人がでる。それが「あした来る人」ということなのか。

可笑しいのは三国が、こんな面倒な人間関係は御免であると、さっさとかじかの世界にもどり東京を後にする事である。。そういう道も作っているのが川島監督らしいし、新珠さんも月丘さんも美しい。この美しさがどろどろした人間関係にならない。この美しい人に余計な台詞は使わない。時として人形に陰影を与えるような表情を映し出す。こういう表情はスクリーンで見てこそである。

新珠さんの洋服は森英恵さんのデザインできりっとしている。月丘さんは着物で後ろ姿の帯の模様がモダンで妥協しなさを表している。川島監督の女性に着せる衣裳はその性格をも表し、おしゃれである。東京生まれのモダンボーイと思いきやそうではないので、彼独特の美意識なのだろう。森さんも監督たちの美意識が師でもあったと言われている。

日比谷交差点前の日比谷公園も噴水などよく使われる。「東京は恋する」では日比谷花壇(花屋さん)の看板描きをしているし、「二人の銀座」では、楽譜を忘れる場所がこの近辺の公衆電話である。

「銀座の恋の物語」でも浅丘ルリ子さんは洋裁店に務めている。妹分として和泉さんもお針子さんとして出ている。恋人が絵描きの石原裕次郎さん。浅丘さんの記憶喪失の時期があるが最終的には結ばれる恋物語である。お金の無い二人のデート場所が夜のビルの屋上でご馳走は屋上からの銀座のネオンである。裕次郎さんに心よせる婦人警官に江利チエミさんがでている。三人娘の映画の時はいつもコミカルな明るい役なのであるがこの映画では地味で脇を固めている。短いが歌う場面はさすが華がある。この映画の衣裳も森英恵さんで貧しい若き二人という事で衣裳の数も少なく地味である。

この映画の出だしは裕次郎さんが人力車で銀座の町を走る。スクリーンで見るとその道路の上とかビルの狭間とかにいる気分にさせてくれる。

撮り方も上空からビルの間を潜り細い通りの道路上で止まり、その時はセットの道路上でそのまま主人公の歩く進行方向に動いて行き主人公の目指す建物の前にいる形となり、実物とセットを上手く組み合わせていく。おそらく俳優も忙しくなり、また、ロケなどでの人の整理も大変になってそういう手法が多くなるのであろう。

「東京の暴れん坊」の第二弾「でかんしょ風来坊」などは<松の湯>なども煙突は実物で中はセットである。こちらの銀座の次郎長の台詞の滑らかさは第一弾より江戸っ子になっている。

 

 

映画館「銀座シネパトス」有終の美 (2) 「東京は恋する」「二人の銀座」

「夜の蝶」・「夜の流れ」・「河口」・「その場所に女あり」 見たい映画が時間が取れず見事にパス。

和泉雅子さんと川本三郎さんのトークショーを込みで「東京は恋する」と「二人の銀座」。和泉さんの銀座の話は銀座シネパトスのお向かいさんで、江戸弁(しとひの発音が反対でした)ですらすらと2、3歳頃の話から銀座を浮かび上がらせてくれた。あまりにも気さくな方で川本さんも、多くの女優さんをインタビューしているがこれ程映像と違う方はいないと言われる。聞いているこちらは楽しくて、大型店の氾濫する前の銀座の庶民性と銀座を愛する心意気が伝わる。

「東京は恋する」(1965年・監督・柳瀬観)「二人の銀座」(1967年・監督・鍛冶昇)。この日活青春映画と云われる頃から銀座が若者の街として登場する。川本さんは<銀座病>で、銀座というと大人の高級な街というイメージで銀座にコンプレックスがあったと。木挽町(こびきちょう)とか現銀座4丁目は尾張町とか尾張町交差点と呼び名が残っていてそれだけでも時代を感じさせる。今は交差点とか交番に古い町名が残っているそうだ。

江戸は火事が多かったが明治に入ってからも多く、火事から守るために周りに堀を巡らし、関東大震災での瓦礫を処理するために堀は埋め立てられ、さらに高速道路のために埋め立てられ現在に至っているわけである。和泉さんが子供の頃は浅草に水上バスで行った事もあったとか。

「銀座化粧」で三原橋も出てくるが、出だしが服部時計店の時計台が写り子供がそのあたりで大人に時間を聞き駆け出して家に帰る。川本さんは「銀座裏の子どもには銀座が遊び場所になっているのだろう」(「銀幕の東京」)とあるが、和泉さんはあの映画の坊やそのままのお嬢ちゃんで3歳頃からデパートが遊び場だった。三越は迷子にならないのだが、松坂屋に行くとよく迷子になり、配達の自転車の後ろの駕籠に乗せられて帰った。迷子になるのに松坂屋をめざしたのは松坂屋の屋上の滑り台の上から富士山が見え、それが見たかったそうで、どうやら冒険家の血は幼い頃からのようである。

銀座の商店(和泉さんは食堂屋さん)にはお風呂がなかったので東京温泉にもよく入りにいき、小さかったので男女両方のお風呂を経験。東劇の5階にはストリップ劇場もあり、出前にくっついて行きキョロキョロ。銀座のあらゆるところに出没していたようだ。

名門泰明小学校の話で役者さんでは殿山泰司さんと中山千夏さんもいましたがと川本さんがフルと中山さんは芸術座の「がめついやつ」に出ていて、泰明小に転向してきてお友達だそうだ。やはり泰明小学校は凄い。

銀座の商店は二階が住まいになっているので、お店を通って二階に上がるが、途中でお客さんにこましゃくれて「いらしゃいませ」などとは云わず、そうっと下を向いて静かに通ったそうである。ここは大人の領分と云う不文律があったのであろうか。

「東京は恋する」の主人公舟木一夫さんは看板屋さんでアルバイトをしつつ芸大を目指している。看板屋さん自体が今どれだけ残っているのであろうか。ビルの上に掲げる大きな看板や銭湯の絵を描いたりしているが、もうあの時代にしかない風景かもしれない。ビルの屋上を使う映像も多くなり、この映画は職業がら上手く取り入れている。またエレキバンドの最盛期で、「東京は恋する」にも素人バンドがプロを目指す話が加わり、「二人の銀座」は素人バンドが一枚の楽譜とめぐり合う事から話は始まる。「東京は恋する」よりも「二人の銀座」のほうが後の公開なのに、「二人の銀座」は白黒である。和泉さんは映画にもA面とB面があって、「二人の銀座」は歌が流行ったので映画も作ることになりB面だから白黒と言われていた。

「二人の銀座」の字幕に美術・木村威夫さんの名前が。ライブハウスや事務所の壁にビートルズの白黒の大きな写真。和泉さんのお姉さんが経営する洋裁店の住居との境のドアにはレイモン・ペイネの絵が。こういうのを見ると楽しくなる。白黒を狙っている。映画の作り手はA級B級に左右されないように思う。見えなくてもどこかで自分の発想や工夫を押し込んでいる。ライブハウスの尾藤イサオさん歌うアップの光加減も白黒ならではである。

この二本の映画で地方の若者たちも映画館の中で東京の銀座を闊歩したのであろう。

四万十川 四国旅(3)

四万十川で尾形船に乗る。バスで佐田の沈下橋に行くか船に乗るかの選択だったのだが船にした。バスガイドさんがどちらも捨てがたいと。佐田の沈下橋の周りの自然も見たかったが、映画「君が踊る、夏」で我慢。川の水かさが増えて橋が沈んでも抵抗の少ないように、倒れた木などが流れてきても橋に引っかからないように欄干がない。自然に溶け込んで美しく長年の人の知恵と思うが、車などは注意を要するであろう。映画の主人公の恋人も車が通り川に落ちそうになる。佐田の沈下橋が河口から一番近い沈下橋で四万十川にはかなりの数の沈下橋があるらしい。

船のほうも良かった。船を待っていて投網漁、柴漬漁、青のり採りを見せてくれる。投網漁は綺麗に網が広がる。川が静かなときはよいが荒れているときは小舟の舳先に立って投げるので難しそうだ。柴漬漁は椎の木などの枝を束ねた物(柴)を川に沈め、枝の間に潜んでいたウナギやエビなどを柴の束ごとすくいとるのである。今回は雪が降ったあとでどちらも収穫はなかった。養殖用のシラスウナギも捕るのだそうだが近年なぜか収穫が少ないそうで、このとき捕らえられなかったウナギが天然ウナギになるわけである。

四国遍路道、札所37番岩本寺から38番金剛福寺への道もあり大師堂も見えた。弘法大師空海が四万十川の氾濫に苦しむ人々のためにここに結界を作り祈ったところである。映画「空海」(佐藤純彌監督)は空海の生涯をダイジェスト版で知ることが出来、ロケも雄大である。

「君が踊る、夏」の主人公の部屋からも四万十川が見えていた。四万十川を舞台にした映画「四万十川」(恩地日出夫監督)もある。この映画は録画しておいて見始めたがドラマ性に長けた映画ではないので前半でやめてしまい、今回見直そうと捜したがない。残念である。

 

映画『君が踊る、夏』 四国旅(1)

四国を旅し、高知の風景を描いている映画「君が踊る、夏」がある事を知り、旅から帰ってすぐDVDを借りて観る。高知市内、四万十川、茶畑、桂浜などがすべて網羅されていた。

「君が踊る、夏」は小児ガンと闘いつつよさこいを踊る少女の実話を元に映画化したものである。主人公は写真家になる夢があり高校を卒業すると、恋人と共に東京に出る約束をしているが、彼女は高知に残る。彼女の妹が小児ガンを発症してしまうのである。主人公はその事を知らず、彼女に振られたと思って一人上京する。病気の少女には夢がある。少女の王子様とよさこいを踊ることである。その王子様は主人公の若者である。主人公は母の病気で高知に帰って来る。そこで少女の病気の事を知る。少女の姉でもある恋人が、妹の命を縮めるかもしれないがよさこいを踊らせたいと行動し始め、主人公も動き出す。かつての仲間たちの協力も得て少女の夢は現実となる。結果的には主人公の夢である新人写真家としての登竜門である写真コンクール入賞を捨てる事となるが、主人公は郷里の高知に自分の写真のテーマを見つけるのである。

高知の街と自然をふんだんに使い、よさこいの踊りの躍動感もたっぷりに感動的な映画となっている。少女のよさこいを踊る表情が愛くるしい。出てくる場面場面が旅で観てきた場所なのでドラマと同時に追体験し、単なる観光ではない色彩の程好い人の係わる風景となった。

主人公と彼女は高校時代<一生懸命>の名のよさこいチームで踊っていた。土佐弁で<一生懸命>は<いちむじん>というのだそうである。その世話役が旅館の女将・高島礼子さんで、あねさん役を優しく柔らかい雰囲気にしながら貫禄があり、若者たちの軽さを引き締めている。

古い映画を観るのが好きなので今の若い俳優さんはよく解からないが、主人公の若者は「麒麟の翼」で加賀刑事・阿部寛さんとコンビの松宮刑事・溝端淳平さんであった。

旅では高知市内はほんのわずかしか見ていない。追手門と天守閣が一枚の写真に納まる数少ないお城の一つ高知城も地味なライトアップの外観を見ただけであり、はりまや橋もバスの中から見ただけである。がっくり三大名所は札幌の時計台と長崎のオランダ坂と高知のはりまや橋だそうである。~土佐の高知のはりまや橋で  坊さんかんざし買うを見た~ よさこい節にもあるこの歌のようにはりまや橋のそばのお店で主人公は彼女にかんざしをかって欲しいと言われるがお金がなくて買えない。5年後にはプレゼントするのだが。この辺りは歌と名所と二人の行動を上手く使っている。そういえば『お嬢さん乾杯』で圭三が池田家で歌うのもよさこい節であった。

高知城の近くにひろめ市場があり、覗くと小さなお店が様々な食べ物を提供している。藁で焼いた鰹のたたきで飲むことができた。楽しい市場であった。映画にもこの市場はでていた。高知の観光キャッチフレーズは<ローマの休日>ならぬ<リョーマの休日>である。

 

 

 

映画館「銀座シネパトス」有終の美 (1) 「東京の暴れん坊」「銀座旋風児」

銀座三原橋下の映画館「銀座シネパトス」が3月31日の閉館に向けて走りはじめている。

歌舞伎座の近くで、新しい歌舞伎座は全貌を現している。一幕見席も残るようで一安心と思っていたのに開場を前に何と多くの別れが押し寄せてきたことか。

「銀座シネパトス」との別れも近づいている。ただこの場合は別れの時間が設定されている。心に残る沢山の映画に遭遇させてもらった。

最後は銀座を舞台にした映画を、そして「銀幕の銀座」の著者・川本三郎さんを呼んで欲しいと希望を出したところ、映画館のスタッフと考えが一致したのか、あるいはその企画が元々あったのか希望が叶った。『~ 映画でよみがえる昭和 ~ 銀幕の銀座 懐かしの銀座とスターたち』 嬉しいような淋しいような。後戻りはないから様々に味わい別れを迎える事とする。

川本三郎さんは17日、和泉雅子さんとのトークショーに出られる。和泉さんは銀座生まれで、住まいが銀座と北海道にあり、行ったり来たりされてるようなので、どんな銀座の話が出てくるのであろうか。和泉さんは歌舞伎はどうだったのであろうか。トークショーは指定席でチケットぴあ等で前売り販売しているらしい。同時上映「二人の銀座」「東京は恋する」である。

先ずは「東京の暴れん坊」と「銀座旋風児」を観て来た。1960年と1959年の銀座である。当時日活は青春映画が多く作られたので、調布の日活撮影所には「銀座の永久(パーマネント)オープン」と呼ばれるセットが作られていたそうで自動車も入れるくらいだから大きい(「銀幕の銀座」)。映画を観て本当に大きいセットだったと思う。

日活映画100年・日本映画100年 で東京国立近代美術館フィルムセンターの展示室の事を書いたがこの「銀座永久オープンセット」の模型があった事は書かなかったようで、あの模型がこのように使われたのかと実物大がわかった。このセットと実写の組み合わせが上手くつながっている。「東京の暴れん坊」の方は観ていなかったのでこちらの方が楽しめた。どちらも小林旭さんと浅丘ルリ子さんのコンビだが、「東京の暴れん坊」の方が浅丘さんが生き生きとしていて、台詞も旭さんさんより上手い。

「東京の暴れん坊」は、今は無きお風呂屋さん「松の湯」でロケしていて、「松の湯」の内部の鏡などレトロで錆びが見えたりしてセットでは味わえない楽しさがある。でもセットのレストランの改修工事の場面で左官の職人をじっと見ていたらきちんと壁ぬりをしていた。こういう場面は美術のスタッフがでるのであろうか。話の内容は単純であるから筋と関係無いところにも目がいってしまうが、娯楽映画の楽しさの一つでもある。浅丘さんの衣裳も素敵で可愛らしく、これも森英恵さんのデザインかなと思ったりする。森さんはこの頃映画の衣裳を沢山担当していた。ウエストが細いから、あの動くとふわふわゆれるフレアースカートがキュートである。

「銀座旋風児」での殺人現場三吉橋はすでに現場検証済み。三股に別れた橋で中央区役所前にある橋である。「女が階段を上る時」「セクシー地帯」にも出てくるらしい。「女が階段を上る時」は観ているが場面が思い出せない。それから、今も銀座に残る銭湯「金春湯」には実地体験してきた。

映画は下町の風とモダンの風が漂う時代である。それにしても服部時計店(和光)は映画に登場する回数は建物として王者ではなかろうか。政界ものは国会であろうが、銀座の映画の代名詞はあの時計かもしれない。

「東京の暴れん坊」の監督は斉藤武一、助監督が神代辰巳。「銀座旋風児」の監督は野口博志、助監督は「東京は恋する」の監督・柳瀬観である。

追記: 『銀座同窓会』(高田文夫編著)の中で高田文夫さんと大瀧詠一さんが対談しています。大瀧さんは<あぁマイトガイ!>と小林旭さんの映画を熱く語ります。ところが驚いたことに大瀧さんが成瀬巳喜男監督の映画が好きであるということを後に知りました。