『三千両初春駒曳』から映画『家光と彦左』

『三千両初春駒引』の幕に美しく飾られた白馬がうつし出され初春らしい華やかさであった。馬の鞍がきらきら輝き席につくと楽しい芝居が観れそうで明るい気分にしてくれる。素敵な趣向である。

<釣天井>で思い浮かべたのが、映画『家光と彦左』である。「宇都宮釣天井事件」という史実的にははっきりしない話があり、これは、二代将軍秀忠を宇都宮城主本田正純が釣天井で暗殺しようとしたというものである。『三千両初春駒曳』でもその話を導入して勝重が三法師丸を暗殺するため釣天井をつくるのである。歌舞伎の釣天井は、釣った天井の上に大きな石が幾つか乗っており、天井が床に落ちても、そこに役者さんが隠れるような工夫になっていて、人が床に潰されてしまう形となった。

映画『家光と彦左』は、三代将軍を決める時、長男の千代松(家光)を大久保彦左衛門が押し、次男の国松を松平伊豆守信綱が押す。将軍秀忠は彦左衛門の長男が継ぐのが順当の意見に従い、家光を三代将軍にする。そこから家光と彦左の<じい><わこ>の熱い関係が生まれるのである。彦左は老体となり生きがいを無くす。それを見た天海僧正が時には暴君となるのも必要ですと家光に提言する。家光は彦左が飛んできそうなことをしでかし、彦左は張り切って家光に意見すべく登城してくる。家光は彦左の花道として、日光東照宮参詣の先供を命じる。彦左は三千石の身分の自分がと涙を流し任務に励むのである。途中、本多正純の宇都宮城に寄りそこでの宴の席が突然、入口、窓など全て閉じられる。何事かと尋ねる家光に正純は自分は秀長(国松)を将軍にと仕えていたから、ここで家光には死んで貰うという。そして釣天井が下がってくるのである。主君正純の考えに一度は同意した家来の川村靭負は慌てることなくそれを受け入れようとする家光を、隠し通路から逃がし自分は正純の家来として死するのである。

家光を窮地に立たせてしまった彦左は切腹の覚悟であったが、家光は彦左の気持ちを察し、勝手に死ぬなよと言葉をかけるのである。

あらすじを読むと娯楽時代劇の定番であるが、家光が長谷川一夫さんで彦左が古川緑波さんである。天海僧正の意見を受け入れ家光は芝居をする。遊興にふけり白拍子と連れ舞いをする長谷川一夫さん。お手の内である。ところがその間に分け入るロッパさんの動きのよさ。老人の形で危なっかしさを見せつつ踊りのすき間を上手く動くのである。家光が芝居をしていると彦左は気が付き憤慨するが、天海に家光の心を受け入れなさいと言われ芝居に芝居する。その辺のあたりも二人の役者さんの見せ場である。長谷川一夫さんは川村靭負との二役で船弁慶も舞う。そしてもう一つの見どころは16歳の藤間紫さんが出ており、静御前を短時間であるが舞う形がいいのである。長谷川さんが褒めたというのでこの映像を見て確かめられ納得した。

1941年の東宝作品で、戦の馬の場面、釣天井が下がる屋台崩しや、建物の爆破など、東宝の技術人の力がわかる。

監督・マキノ正博/脚本・小国英雄。

筝曲の宮城道雄さんと按舞に藤間勘十郎さんの名前もある。家光と彦左の互いを思う気持ちを軸に、名君を返上しての振舞という形で歌舞音曲も入れ、世継ぎ問題からくる逆臣の手の込んだ企ても見せ、娯楽時代劇でありながら見せてくれる映画である。

 

国立劇場 『三千両初春駒曳』

観劇している時は、ああなってこうなって、この人がこうで、こちらの人はこうでと人間関係、筋も分っていたつもりが、いざ文字にするとなると話が入り組んでいて上手く説明がつくのか心もとない。途中でギブアップするかもしれないが、筋書を参考に試みる。

織田信長の死後の羽柴秀吉と柴田勝家の後継者争いが話の中心で、そこへ、徳川家の二代将軍秀忠の次男(長男は三代将軍家光)忠長の子・松平長七郎をモデルに、信長の次男・信孝として設定している。芝居の登場人物としては、小田信長と長男・信忠の死後、長男・信忠の子・三法師丸を押す真柴久吉と次男・信孝を押す柴田勝重が権力争いをしている。(信孝は史実では信長の三男であるが気にしない。)

この権力争いのすきを狙って隣国・高麗国が攻めて来ないか久吉側は采女を、勝重側は小平太を偵察にやる。高麗国の皇女は采女に恋をして、采女のあとを追って日本に渡る。采女は小平太の計略にかかり謹慎の身となるが、兄から紛失した小田家の宝・蛙丸の剣を探す任務を受ける。皇女は廓の仲居として働いていて、采女と再会し剣を探す手伝いを誓う。

勝重が押す、信孝は遊興三昧で家督相続には関心がなく、三法師丸とも不和になりたくないので自ら家追放となる。

勝重は信長の一周忌法要のため三法師丸が泊る宿を建設する。かつて庄助と名乗っていた勝重を庄助の妻・小谷が夫を探しにきて、勝重が庄助だと信じる。勝重は身を明かさないが、もし自分が窮地に落ちいっていたら、寝所の釣り燈籠を切り落とせと伝える。その宿には釣天井が造られ、それに係った大工は足止めされていて、いづれは殺される運命である。その棟梁の与四郎は宿を抜け出し恋人の父親・藤右衛門にその事を伝え、宿にもどる。藤右衛門はそのことを久吉に伝える。

宿に帰った与四郎は勝重に詮議さるが、与四郎の所持していた脇差から、与四郎が先妻との自分の子であることを知り逃がしてやる。事の次第を知った久吉は勝重のもとに軍勢を送り込む。これまでと思った勝重はつり天井の寝所に軍勢を誘い込み、勝重の窮地を知った小谷は吊リ燈籠を切ると釣天井が落ち皆圧死する。<釣天井>

久吉は信長の菩提を弔うために三千両を高野山に納める。その納める三千両を積んだ馬が石川五右衛門の子分が奪い、その奪った三千両を廓通いのために信孝が奪い取る。ここで言う詞がふるっている。信長のために使うお金を息子が持ち帰っても何の問題もないと悠々と三千両を積んだ馬を引いて行く。<馬切り>

信孝が元信長の家臣でもある与四郎に馬を引かせ帰った先は、元小田家の家臣でもあり与四郎の養父であり叔父でもある町人の田郎助宅である。帯刀が田郎助宅を訪ね、信孝に三法師丸の補佐役になって欲しいと要請するが、信孝は断る。ここで、事実が露見する。田郎助は重勝の弟であり、与四郎は重勝の子供である。帯刀に与四郎を打つように言われるが、田郎助は与四郎の代わりに自害し、事実を知った与四郎も自害する。その二人の血潮が池に流れ込み蛙の声とともに蛙丸の剣が浮かび上がる。信孝は遊興しつつこの剣を探していたので、二人に感謝し、剣を三法師丸に渡すようにと帯刀に託す。

信長一周忌の法要の席に、死んだはずの勝重が現れ、企んでいた高麗国からの援軍の鬨の声に合わせ久吉に飛びかかるが、三法師丸と高麗国の皇女と共に信孝が現れる。鬨の声は信孝により皇女が三法師丸と久吉側と友好を結んだ証であった。三法師丸は信孝に励まされ立派に日本国を治める事を誓うのであった。

筋はこんな感じである。信孝が菊五郎さんで、今の菊五郎さんは古典の油の乗りようのほうが好きなので鷹揚さがあるが無難にこなされたなとの感想である。菊之助さんは高麗国の皇女と与四郎で、采女に合っている松也さんを恋する乙女心を上手くだし、与四郎役のほうはスカッとしていた。松緑さんの勝重の顔の造りが良く映えていてシャープであったが、もう少し重みも欲しかった。田郎助の自害は菊之助さんの自害と合わせ、なんてことか、二人死んでしまうのと思いきや息も合い血潮が合体し納得であった。団蔵さんはなぜかいつか変貌するのではと期待してしまうが最後まで善人で少々がっかり。その代り、高麗国での小平太の亀三郎さんと高麗国の国守・権十郎さんはこの人達は悪人とすぐ分かり、何をしでかすかもわかり、滑り出しを解り易くしてくれた。鷹の場面では、亀寿さんが納得してから松緑さんへ渡したので、この鷹は何かの役割をするのだろうと思ったが、ウソ発見器の役割だったわけだ。時蔵さんの小谷は私の目にくるいはないとばかりに迫ってましたが、あの迫り方が勝重が重要な役を託す人として選んだのに納得できる。梅枝さんのお豊はやっと与四郎との仲を許されたと思ったらまた宿にもどってしまうし、無事帰ってきたと思ったら止めるのも聞かず自害してしまい、そのあたりの心情を可憐に演じられていた。お豊と与四郎の保護者の藤右衛門はこの人しかいませんの彦三郎さん。もう一人適役は大徳寺住職の田之助さん。舞台が広くなる。出が少ないが、町衆のまとめ役の萬次郎さんが押さえる。あの背の高い侍は誰と思ったら右近さん。新鮮さを感じたいのでなるべく筋書を見ないで観るので見落とすことがたくさんある。三法師丸も大河さんとは思わなかった。小さいのに最後までしっかり台詞をいう子役さんだと思い、大河さんはもう少し大きくなっていると思っていた。

150年ぶりの復活狂言だそうである。新作とかでも思うのだが、近頃やはり歌舞伎は型のあるかたちにしてほしいと思う。型は何代も受け継がれて出来上がってきたわけであるが、現代でもこれが型の原点となるのかなというものに遭遇したい。未知との遭遇ではなく、原点との遭遇である。

筋を追いつつ、役者さんを追うので、どちらも時間がたつと薄れてしまうのが悲しい。役者さんに捉われていると筋が飛んでいたりする。筋が分かって観ると先にも書いたが新鮮さが薄れるような気がするのである。ただ古典は型が分るためにも、きちんと押さえるべきところは押さえていないと役者さんの段取りから型にいたるプロセスが分らないなと思うこの頃である。

1月の歌舞伎では浅草の夜の部を見逃してしまった。上手く時間が取れなかったのである。残念である。

 

 

歌舞伎座(平成26年)新春大歌舞伎 夜の部(2) 

『乗合船恵方万歳』(のりあいぶねえほうまんざい) 苦手の常磐津の舞踏である。ところが、常磐津林中さんのCDが出てきたのである。いつ買ったのか記憶が定かではないから、かなり前であろう。もしかするとその時も苦手と思い名人ならと思って買ったのかもしれないが、レコードのSP盤のCD化であるから雑音が入っていて聞きずらい。その為もあってしまい込んでしまったのかもしれない。林中さんのレコードのなかでも通人や萬歳と才造の掛け合いなどの軽妙な芸でこれが一番売れ、『将門』は、林中さんのレコードによって愛好者を広げたようである。『将門』は物語性があるので常磐津でもついていけたのである。『乗合船』は江戸の隅田川風物詩で詞は分らないところもあるが、雰囲気はわかる。

船に、女船頭(扇雀)、白酒売(秀太郎)、大工(橋之助)、通人(翫雀)、田舎侍(彌十郎)、芸者(児太郎)が乗り合わせている。それに萬歳(梅玉)、才造(又五郎)が加わり、それぞれの踊りを披露するのである。それぞれの役者さんの役柄にあっていて、林中さんの萬歳と才造のやり取りの調子の良いリズム感は伝わっていたので、梅玉さんと又五郎さんの二人の踊りの軽さには乘ることが出来た。この踊り七福神にもかぶせているお正月らしい出し物である。

『東慶寺花だより』どうなるかと楽しみであった。話の前と後は滑稽本作者の信次郎(染五郎)の売れた滑稽本から始まり、駆け込みの人々を観察して新しい滑稽本が出来上がり目出度し目出度しで終わるのであるそ。おせん(孝太郎)の登場で江戸時代の妻の持参金は夫から離縁申し立てのときはそのまま妻のもので、妻からの離縁申し立ての場合は夫のものとなることや東慶寺に入ってからのしきたり、2年間勤め上げれば女は誰と結婚してもよいなど、駆け込み寺の仕組みが説明される。駆け込み女性や関係者を預かる宿柏屋に、信次郎はその仕事を手伝いつつお世話になっているのである。その宿の主人(彌十郎)も、もめ事をまとめる人であるから穏やかで宿の使用人も心得ているから信次郎も居心地がよい。さらに年頃の娘・お美代(虎之介)が信次郎を好いている。(原作では八つであるが、芝居では年頃の娘とした)おぎん(笑也)の話が加わり信次郎は東慶寺の中へ入り、信次郎が医者の修行中であることがわかる。おぎんは囲われる者でそのご隠居から自由になりたいのである。信次郎はそのご隠居(松之助)に意見をしたりもする。そこに男の惣右衛門(翫雀)が駆け込んでくる。東慶寺は男子禁制でそれはかなわない。惣右衛門の妻(秀太郎)が追いかけてきて、一悶着あるが、惣右衛門は妻に丸め込まれて渋々帰って行く。そのことから信次郎は、男と女、あべこべの世界の滑稽本の題材を思いつくのである。

原作の面白さは薄められたが、説明しなくてはならない部分を考えると上手くまとめたかなと思う。信次郎の世間に対する修行の身と言うことも加わり、完全でないところが人に好かれる原因でもあり、愛嬌でもあり、染五郎さんは楽しんで役にはまっておられた。そして有能なコンビが、キャリーバッグである。机にもなり本当によくできていた。ただ、滑稽本の粗筋の説明のとき、声が高く早口になり聴こえずらのが難点であった。染五郎さんの明るさ、宿に係る人々で駆け込みという題材に温かさが加わり、翫雀さんと秀太郎さん夫婦で笑いをとった。駆け込みの仕組みの説明がそれとなくわかる方法があれば、また違う題材の『東慶寺花だより 〇〇編』も可能である。

信次郎は円覚寺の僧医の代わりに代診したのであるが、お寺には専門の医者が居たようで、龍馬のお龍さんの父も医者であり、京都青蓮院の医者であった。

長唄舞踊『小鍛冶』 と 能『小鍛冶』で、<粟田神社、鍛冶神社、三条通りを挟んで相槌稲荷神社あたりにその痕跡があるらしい。粟田神社は行きたいと思っていた場所でいつも青蓮院どまりなので、是非行く機会を作りたい。>と書いたが、その後行く機会があった。栗田神社、鍛冶神社、相槌稲荷神社を参り、三条通りの 地下鉄東西線の東山駅へ青蓮院側の通りを歩いていると、「阪本龍馬とお龍結婚式場跡」の案内表示版がある。そこは、青蓮院の旧境内で塔頭金蔵寺跡で1864年8月初旬仮祝言とある。さらに、お龍さんの父が青蓮院宮の医師であった関係でそうなったとあった。お龍さんの父がお医者さんとは知っていたが、青蓮院のお医者とは驚いた。反対側を歩いていれば見つけていないのである。相槌稲荷神社は、住宅の路地奥にあり個人のお稲荷様かと思うような雰囲気で残されていた。そっと住人のかたの邪魔にならないように静かにお参りさせてもらった。

 

歌舞伎座(平成26年)新春大歌舞伎 夜の部(1) 

『仮名手本忠臣蔵 九段目 山科閑居』はとにかく大作である。どこを切っても絵になっている。それぞれの人物の絡み合いが見事に構成されている。ずうっと気を張りつめている時間も長く、腹を見据える型もある加古川本蔵の女房・戸無瀬を、藤十郎さんが、お歳のことを言っては失礼だが濃厚に演じられ感服してしまう。今回は大星由良之助を吉右衛門さん、由良之助の妻お石を魁春さん、力弥を梅玉さん、加古川本蔵の娘小浪を扇雀さん、加古川本蔵を幸四郎さんと練熟された方々のぶつかり合いである。

山科にある由良之助の住まいの舞台は、その室内の壁の色は濃くてくすんだ松葉色、唐紙には白の漢文字で、家の周囲の竹藪には雪、竹の笹の雪具合もこれから人の生き死にがかかっているとは想像できない静けさである。この場で戸無瀬の赤と小浪の白の着物が配置されるのであるから計算づくであろうか。

戸無瀬は先妻の娘・小浪を力弥と祝言させるため山科の由良之助宅を訪れる。生さぬ仲ゆえこの祝言をなんとか成し遂げたいとの腹である。本蔵の代わりに夫の刀大小を持参している。小浪は綿帽子をかぶり白無垢の花嫁衣装である。お石は、こちらは浪人の身、そちらとは釣り合わないと断る。ここが戸無瀬とお石のさや当てである。戸無瀬はもとはそちらは千五百石、こちら五百、千違って許嫁となり、浪人しても五百の違いと言い返す。お石、心と心が釣り合わないと返答。何処かで使いたいくらいな言葉である。戸無瀬、どの心じゃ。ここでお石は、主君塩冶判官は正直さゆえこうなったが、そちらは金品を使ってのへつらい。戸無瀬、聞き捨てならないがここで怒っては娘のためにならぬと、祝言しょうとしまいと許嫁なんだからりっぱに力弥の嫁。お石、女房なら、力弥に変って母が去らせるとその場を去る。母同士で結婚させ離縁してしまう。小浪はびっくりして綿帽子を取り払い嘆く。戸無瀬とお石、藤十郎さんと魁春さんのぶつかり合いである。

ここからが戸無瀬と小浪のやり取りとなる。戸無瀬は娘の心の内をはかる。他に嫁する気はないか。小浪、力弥様以外いやである。この時、綿帽子を使いつつくどくのであるが、扇雀さんの使い方がいい。柔らかくそれでいて一心である。小浪の意思を確認した戸無瀬は持参の刀を手にし自分の不首尾の責任から自害しようとする。小浪は、自分が力弥に見放されたのだから母の手にかかって死にたいと訴える。母はそこまでいう娘に感嘆し、娘を手にしたあと自分も後を追うと二人手を取り合う。ここで二人は実の母娘になったのである。そう解釈した。

藤十郎さんの娘を手にかけるために刀を使っての腹を決める立ち姿はこちらを圧倒させる。ここが大きいだけに次の心の揺れに戸惑う戸無瀬の心中も推察できる。死出の水を氷の張った手水鉢から氷を割るのであるが、氷が飛び散りこの場面も好きである。戸外では虚無僧が尺八を吹く。この曲は<鶴の巣籠り>で子を思う親鳥を思う曲で、子を手にかける親とをかぶせているようであるが深くは分らない。今回はこの尺八の音色をずっととらえていることが出来た。聞いているようで場面に目を奪われ耳は何もとらえていないことが多いものである。こんなぼあ~んとした音もあったのかと気が付いた。いざ手をかけようとすると「ご無用」の声がする。戸無瀬の手がにぶる。ここも戸無瀬の見せ場である。自分の気の迷いと自分を立て直す。再び「ご無用」の声、さらに力弥と祝言させるとのお石の声。喜び打掛を間違える母娘の前に三方を持ったお石が現れ二人の心構えを見届け祝言させるという。黒の着物に打掛。魁春さんのお石は一層凛としての登場である。ここまでの死をかけた母娘の姿を見れば当然かと思いきや、まだ山がある。

三方に引き出物をというので、戸無瀬は大小二本の刀を差し出す。名刀である。お石、これではない、加古川本蔵のお首が欲しい。ここで、本蔵が塩冶判官を抱き押さえ本望を遂げられなかった恨みを述べ、それゆえ首が欲しいと強調する。そこへ、戸外にいた虚無僧が加古川本蔵の首差し上げると入ってくる。虚無僧こそ加古川本蔵であった。堂々として、この首が欲しいというが、お宅のご主人は何たる様か、遊興にふけり主君の仇討をしようともしない。その息子力弥にこの首が討てるかと三方を踏みつけてしまう。壊してしまったとほくそ笑む本蔵にお石は押さえが切れて槍を取り本蔵に立ち向かうが歯が立たない。そこへ力弥が飛び出してきて落ちている槍を持ち本蔵を刺す。その時本蔵は、その槍を仕損じないように自分の腹に刺し込む。覚悟の上の悪口雑言であった。幸四郎さんあくまでも大きく軽くいなす感じでけしかける。それに乗って魁春さんは戸無瀬とのやり取りとは反対に本蔵とのやり取りで初めてうろたえてしまう。力弥が止めを刺そうとするそこへ、由良之助が登場し、一座を静め、本蔵殿本望であろうと声をかける。

本蔵ここで心の内を知る人物があらわれ、自分の主君・桃井若狭之助が高師直に苛められ師直を切る覚悟と知って、賄賂を使い急場を救わんとしたが、その矛先が今度は塩冶判官に向き、差し押さえたのも相手の傷が浅ければ切腹にはいたらないと考えたからであると語る。本蔵にとっての忠儀は他家の難儀となったのである。ここで初めて死をかけての本蔵という人の実像が明らかになるのである。本蔵の首は三方に乗る形となった。

ここで由良之助は力弥に襖を開けさせ、庭に雪をかぶった二つの五輪。由良之助と力弥の行く末を見せる。戸無瀬は気が付く。お石どのが難題を突き付けたのは死にゆく力弥の嫁にはもらえないとの心づもり。二人の母は涙する。そこで本蔵、引き出物として、師直の屋敷の図面を渡す。由良之助と力弥は図面を推考しつつ嬉し笑みを浮かべる。吉右衛門さんにまだ成さねばならぬ事がある気迫と思慮深さがある。自分の役目を終わろうとする幸四郎さんは、苦しさの中から最後の心使いで、師直は用心深いから障子、雨戸はしっかり止めてあるがどうするかと心配する。そこで力弥が竹のしなりを利用して障子を倒していく様を見せる。いつも不思議である。梅玉さんの力弥は若者である。首の傾げ方、足の運び、手の置き方など点検してしまう。芸の力である。

本蔵は、これだけの家来が主人の短慮から命を捨てる無念さをつぶやく。由良之助もお互い、世が世であれば主人の先に立って働いたものをと慨嘆する。言葉は少ないが、本蔵と由良之助の男同士の本心である。由良之助は本蔵の虚無僧姿で、堺へと立ち、力弥は一夜残り後から出立することとなる。戸無瀬、お石、小浪の女三人はいずれは同じ夫の無い身となるのである。

今回は文楽の床本があったのでそれをなぞりつつ、役者さんたちの動きを思い出していたが、ここはどう表現したのであろうかと自分の中の映像のぼやけに歯ぎしりするが、一応役者さんたちの現された人物像のぶつかり合いは残ったように思う。何処を切っても絵になるのである。

新橋演舞場 『寿三升景清(ことほいでみますかげきよ)』

景清といえば、<阿古屋の琴ぜめ>で、阿古屋といえば景清と切っても切れない仲であるが、今回は景清中心の荒事である。話がトントントンと進み、趣向もあってフンフンフン、、、アレアレアレ、、、そうくるのかと思っている内に終わってしまった。

平家一門も源氏によっておおかた片付いたが、まだ景清が残っている。その景清を何んとか捕らえようとする。ところが景清は自分から捕らえられ牢に入る。その捕らえられる前に岩屋の中で景清(海老蔵)は、重盛、知盛、安徳帝が姿を現し自分に語り掛ける心の内を独白する。そして岩屋に幕が下りるとその幕に<心>と書かれている。

半分夢の世界なのか、曹操の姿の武士のところに関羽の姿の景清が現れる。何か力を保持する暗示なのであろうか。ここがよく解らない。

鍛冶屋の所へ修行僧になった景清があらわれ、自分の刀をもう一度叩いてくれと託す。そして髭も剃って欲しいと頼む。鍛冶屋四郎兵衛(左團次)は承知する。凄く立派な衣装の景清が現れ、やっと荒事の<景清>となる。花道のすっぽんからは鍛冶屋四郎兵衛、実は三保谷四郎が鎌を持ってあらわれる。その鎌で首を取ろうとするが切れない。景清は自ら捕らえられる。この時、猪熊入道(獅童)が道化になって色々仕掛け、景清は縛られ入道に引かれて花道へ。花道での海老蔵さんと獅童さんとの掛け合いがあり、お客様は大喜びである。私はこういう時の獅童さんの声とか台詞回しが素で好きではないのであるが、重忠が大満足だったので差引プラスとする。

阿古屋のいる花菱屋である。花菱屋の女将(右之助)さんが場を絞めてくれた。着物、帯、立ち姿も決まっている。阿古屋の芝雀さんが出て、雰囲気が古風になった。若々しい舞台の中で、ぐっと落ち着いた。花菱屋に来ていた秩父庄司重忠(獅童)も品と色気があり、今回琴ぜめはないがその場が想像できる。今回の獅童さんの重忠は納得である。役の寸法にかなっていた。阿古屋は六波羅での取り調べのため花魁道中で出向く。この趣向は阿古屋の景清の思われ人としての度量がでた。

捕らえられている景清と重忠との問答。海老蔵さんと獅童さんも良いコンビである。景清は、頼朝が平家のみならず、一般の女、子供を犠牲にしているのが許せない、天下泰平は平民を守護することだ主張。重忠はそれこそ頼朝の目指すところであり、頼朝からの志として、牢の鎖を解いてやる。そこから、景清は牢破りとなり一暴れする。その時、津軽三味線が入る。想像ではもっと激しく響くと思ったがリズム感のみで意外と単調であった。雪が欲しくなるが、景清の後ろには巨大な海老が鎮座していた。

一般のお客様が舞台の左右特別席に16人づつ座られての観劇である。鐘の中に入り、鐘から出て<解脱>ということであろうか、華やかな中での踊りで締めくくりである。こちらも若手が頑張っていた。廣松さんの役に徹する身体の安定さは、12月の国立の時と同様感心した。

暗い平家物も、荒事中心ということであり、明るいタッチで若々しく終わったが、もう少し重くてもいい。そのほうが荒事が荒事としてもっと生きると思うし台詞に実が加わわると思う。荒事の成田屋は前進している。

 

 

 

『上州土産百両首』から若者映画

歌舞伎の『上州土産百両首』浅草公会堂 新春浅草歌舞伎 (第一部)から現代の若者映画に思いが移った。二人の江戸時代の世の中から外れた若者の友情と絶望と復活。その辺りを現代の映画はどう描いているか。などと大袈裟なことではないのであるが、たまたま見た映画三本が、屈折があり面白かった。

『まほろ駅前多田便利軒』『僕たちA列車で行こう』『アヒルと鴨とコインロッカー』

瑛太さんのファンではないが、三本とも瑛太さんとのコンビの映画である。瑛太さんは共演者の個性の映りを引き出す何かがあるのかもしれない。

『まほろ駅前多田便利軒』は、三浦しをんさん原作(直木賞受賞)で、その前に『舟を編む』の小説と映画に接していたからである。『舟を編む』が思いもかけない辞書編集者の話で<まほろ駅前>の駅名もミステリアスで行きたい気分にさせてくれた。松田龍平さんが出ているのも気に入った。わけありの幼馴染が出会い、便利屋をやっている主人公と一緒に暮らし仕事をする。それぞれの過去を知り、それぞれの感性の違いが際立ってくる。これ以上の腐れ縁は沢山だと思いつつ、また一緒に暮らし仕事をすることになる。監督・脚本は大森立嗣さんでこの監督の映画は初めてである。

『僕たちA列車で行こう』は、列車の走る外と内と車窓の映像が沢山見れそうで選んだ。監督・脚本は森田芳光さんで、森田監督の遺作である。コンビは松山ケンイチさんと瑛太さん。鉄道好きな二人で松山さんは、車窓を眺めながら音楽を聞くこと。瑛太さんは、実家の鉄工所の仕事を手伝っており、車輪の音やシートの手すりのカーブなどに興味がある。マニアックな趣味の持ち主であるが、それが功を奏して人生上手く回る。上手くいかなくてもこの二人のマニアックさは変らないであろう。

『アヒルと鴨とコインロッカー』は、映画『はじまりのみち』で注目した濱田岳さんが瑛太さんと絡むとあったからである。原作は伊坂幸太郎さんで、初めて(吉川英治文学新人賞)。監督も初めての中村義洋さん。脚本は中村義洋さんと鈴木謙一さん。仙台で大学生活を始める濱田さんがアパートの戸の外で段ボールを片づけながら、ボブ・ディランの「風に吹かれた」を歌っていると、隣の住人の瑛太さんが声をかける。この映画はネタばれになると面白くないのでそこまでであるが、松田龍平さんも出る。原作は解らないが、映画での濱田さんはこの役はこの人以外にいないと思うくらいはまり役である。今度は、伊坂幸太郎さん原作の『重力ピエロ』と中村義洋監督の『ジャージの二人』のDVDを借りてしまった。

歌舞伎の『陰陽師』の染五郎さんと勘九郎さん、『主税と右衛門七』の歌昇さんと隼人さんなど新しいコンビの芝居が増えるのを期待する。四月に三津五郎さんが戻られるようなので、三津五郎さんと橋之助さんコンビも嬉しいのだが。

 

 

 

浅草公会堂 新春浅草歌舞伎 (第一部)

亀治郎さんが<猿之助>となって浅草に戻ってきた。第一部のお年玉・年始ご挨拶は男女蔵さんであった。男女蔵さんは語る。猿之助さんは浅草に戻ってくると言って本当に戻ってきた。あの人は凄い人だ。そしてしっかり若い人にバトンタッチしようとしている。では恒例の「おめちゃんコール」で締めますので宜しく。男女蔵さんの年始挨拶は初めてなので、「おめちゃんコール」知りませんでした。「おめちゃん、おめちゃん」と二回連呼するのである。男女蔵さんは素顔のほうが男前である。

『義賢最後(よしかたさいご)』は、現在では『実盛物語』と二つだけが上演される、浄瑠璃「源平布引滝」の中の一つである。義賢は三浦半島と浦賀 (3)に出てくる為朝神社の源為朝の兄にあたる。義賢(愛之助)は帝から源氏の白旗を賜っており、兄・義朝を平清盛に殺された後は平家側についていた。しかし、その白旗の詮議を受け、清盛への忠儀の証として兄・義朝のしゃれこうべを踏みつけるように指示される。それを拒否して大立ち回りとなる。これはこの芝居の見どころである。立てかけた二枚のふすまの上にもう一枚のふすまを横に渡しその上に乗り、ゆっくり体重を片方にかけつつ倒していくふすま倒し。上段から立って手を横にまっすぐ広げ、そのままうつ伏せに倒れる仏倒しなどがある。義賢は素袍大紋(勧進帳の富樫や忠臣蔵の浅野内匠頭が着ている衣服)の衣装でそれを見せる。仁左衛門さんが孝夫時代の当たり役で、今回は愛之助さんである。兄のしゃれこうべを踏もうとして踏まれるものかという苦渋さをはっきりと押し出した。義賢は家来の折平(亀鶴)の妻小万(壱太郎)に白旗を託すのであるが、小万に義賢を気遣うあとの白旗を託された腹が欲しかった。白旗を離さないためその腕を斬られる人なのであるから。

『上州土産百両首』は、正太郎(猿之助)と牙次郎(巳之助)に泣かされてしまった。幼馴染の二人が大人になって再会し、お互いがスリである事を知る。牙次郎は呑み込みが遅く自分も他の人より劣っていると思って居る。でもスリは全うな仕事ではないとして正太郎にやり直そうと意見する。正太郎も牙次郎の純な気持ちに動かされ金的の与市(男女蔵)に盃を返す。与市は、後戻りできない自分の代わりに正太郎に夢を託す。。それを不満に思って居たのが仲間のみぐるみの三次(亀鶴)である。正太郎と牙次郎は十年後に会うことを約束をして別れるのである。

その十年目が近づいた日、偶然に正太郎が板前となって働く高崎の宿屋に与市と三次が泊り再会する。正太郎はそこで牙次郎のために貯めたお金の話をする。三次は仲間を抜けその宿の娘と祝言の決まった正太郎を許せず金を巻き上げ、過去のことを種にまたゆすりにくるという。正太郎は三次を殺してしまう。正太郎の首には百両の賞金がつく。牙次郎は目明しの子分になっていた。土産のお金のない正太郎は牙次郎に自分を捕らえさせその百両を牙次郎に渡そうと考える。ところがここで行き違いが生じ正太郎は牙次郎が自分を騙したと思い込む。このもつれを溶いていく二人のやりとりが泣かせるのである。お涙ちょうだいのよくある話であると思っていながら、猿之助さんと巳之助さんのコンビがよいのである。巳之助さんが純な気持ちを一生懸命に伝える。腹を立てていた猿之助さんの気持ちも次第に溶解させていき、もうどうする事もできないこの二人の運命に涙する。幸せにさせてたまるかという三次を、当時のはぐれた若者として亀鶴さんが細やかな動きで見せる。

最後、目明しの親分・隼の勘次(門之助)の計らいで正太郎と牙次郎は、新しい出発をするのである。しまった!泣かされて損をしてしまったと思いつつもまた泣かされた。若い歌舞伎役者さんたちはこういう時代、時代の若者たちの心の交流を演じると上手いと思う。やはり形が出来ているのでつまらぬ事に気をとられないですみ、すんなりと物語の中に入れるのである。

 

歌舞伎座(平成26年)新春大歌舞伎 昼の部 

『天満宮菜種御供(てんまんぐうなたねのごくう)ー時平の七笑ー』 時平は菅原道真を罪に陥れ筑紫に流罪させた悪玉である。この時平の七つの笑いが見せ場の芝居である。悪玉を主人公としている。

『梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)』 頼朝に義経の讒言をし義経びいきにとっては嫌な人であるが、この芝居はあくまでも善人梶原景時である。

『松浦の太鼓』 吉良屋敷の隣に住む松浦鎮信(まつうらしずのぶ)が赤穂浪士の仇討を待っている。仇討を待っている人々の代表的存在としてお殿様でありながら可笑しみを加え、でかしたと我を忘れて讃える。この三芝居、見方によっては、裏側を見せる面白さがある。

時平(我當)は道真(歌六)が唐の皇帝と密約し天下国家を転覆させようとの疑いありとされ、内裏で問ただされる。その時、時平は心をこめて道真をかばうのであるが、天蘭敬という唐人が事実であると証言し、道真は流罪となり花道から去るのである。一人になった時平は笑いだす。その笑い方で悪人に豹変する様を見せるのである。我當さんの穏やかさと台詞廻しが変幻自在で、道真が騙されたように観客も騙され意表をつかれる。ここが上手く表現されないとつまらぬ芝居になってしまうのであるが、そこが上手くいき、七つの笑いが堪能できた。歌六さんの道真も品と憂いがあった。進之助さんの台詞も心地よかった。公家の台詞は柔かさも必要とし難しいと感じた。

梶原(幸四郎)はこの時はまだ平家方で、頼朝を助けた石橋山の合戦の後である。六郎太夫(東蔵)と娘(高麗蔵)が大庭(橋之助)に刀を売るため訪れ、その刀の目利きを大庭は梶原に頼む。梶原はいい刀だから買うことを勧める。この時梶原は刀の銘から六郎太夫が源氏方であることを見抜く。幸四郎さんは静かに六郎親子のやりとりに耳を傾けつつ刀にしか興味がないようにしている。試し切りに横たえた二人の人間の胴を切ることとなるが、罪人が一人しかいず六郎太夫は刀を売りたいがため、自分がその一人になると申し出る。そして梶原は罪人だけを切り六郎太夫を助ける。それを見た大庭と弟(錦之助)は刀を買うのをやめ立ち去る。ここで初めて梶原は本心を明かす。そして、手水鉢を真っ二つに切り、刀が名刀であることを証明する。最後まで善人梶原で、刀を売ることのみを考え思いがけない行動に出る六郎太夫を東蔵さんが好演し、好機を冷静に待つ幸四郎さんと対照的で味わいが出た。景時は冷静な判断力を持つ人物だったという見方も多く、その冷静さと重なるような幸四郎さんであった。錦之助さんが弟の短気さを声の調子と合わせて出していた。

松浦侯(吉右衛門)はゆったりと構え俳句をたしなむ風流人で、物に動じない人物かと思いきや、俳人の其角(歌六)が世話した大高源吾(梅玉)の妹お縫い(米吉)がお茶をだそうとすると、急に不機嫌になる。それまで、松浦侯もご機嫌をとっていた近習たちも困ってしまう。米吉さんはしっかりお縫いを務めた。近習たちも若手が入り張り切って松浦侯をよいしょしていたのが可笑しかった。それに加えて吉右衛門さんが自分の意に添わない事がありその苛立ちとじれったさを解り易く演じられた。その原因は赤穂浪士が仇討をしないことで、浪士の大高源吾の妹にまで八つ当たりをしているのである。その大高源吾と其角は前日会っており、その場面が浮世絵を思わせた。浮世絵の中に、江戸の人が動いているようであった。この場面が美しく感じたのは初めてで、「年の瀬や水の流れと人の身は」(其角)「明日またるゝその宝船」(源吾)も余韻を残した。太鼓の音と源吾の「明日またるゝその宝船」で謎が解け「討ち入りじゃ、討ち入りじゃ」と喜びはしゃぐ愛嬌は江戸の人々の気持ちを代表しているようであった。最初の威厳との落差が楽しませてくれる。

『鴛鴦恋睦(おしのふすまこいのむつごと) おしどり』 常磐津の舞踊は難しい。解説を読んでも詞をたどっても、そういうことなのかと頭の中で空回りしている。時間を要しそうである。

 

『仮名手本忠臣蔵』(歌舞伎座12月) (3)

勘平腹切りの場では、勘平は家にもどり何かおかしい雰囲気だなあと思いつつ、おかるに紋服を出させ着替える。その場に相応しくないような、綺麗な浅葱色の着物である。この色が初めはその場の空気を変える華やかさなのであるが、次第に悲劇性に変えていく色となる。美しい色では覆い尽くせない事態となっていくのである。自分が舅を殺したと思った時から勘平の心は狂気さえを帯びてきて頭を抱える。染五郎さんは目の下あたりを薄い青系の化粧を加えた。もう死神に憑りつかれているような雰囲気である。それと鬘の黒いたぶさが乱れて揺れ、身体も心も究極のところにきているのが伝った。良い勘平であった。ただ勘三郎さんの勘平にはそこに色気が加わっていたのを思い出す。声の質か何なのであろうか。言葉では言い表せられないのである。

祇園一力の場は、おかると平右衛門との会話、「互いに見合わす顔と顔。それから、じゃらじゃら、じゃれつきだして身請けの相談」と由良之助の気持ちを推し量るところがあるが、その「互いに見合わす顔と顔。それから、じゃらじゃら、じゃれつきだして身請けの相談」が映画の台詞に突然出てきたのである。それがなんと『キクとイサム』である。キクが自分の肌の色の黒いのを気にし鏡に向かい白粉を塗り突然その台詞を言い始める。旅回りの芝居の真似も上手いので何処かで覚えたのであろう。脚本家の水木洋子さんも演劇にたずさわっていたことだし、きっと観劇もされていたであろう。この台詞をこの場面で使うのは、この映画の流れをも暗示しつつ軽さを加えたのか。やはりこの方の引き出しも多い。

その「じゃらじゃら、じゃれつきだして」は、おかるが二階から由良之助の誘いにのり、梯子段を降りてくる場面である。軽く酔狂に幸四郎さんは誘い出す。玉三郎さんも酔いに任せる感じで梯子を怖がりつつ下へと移動する。ぐるっと周ってくれば良いのであるが、由良之助には決めたことがある。邪魔の入らぬうち、おかるに悟られない前に上手くやらなければならない。酔いの座興のように進められる。由良之助は降りてきたおかるに女房になってくれないかと聞く。そんなの嘘とおかるは返す。由良之助、嘘からでた誠と返す。おかる、あなたのは嘘からでた誠でなくて誠から出た全てが噓々と冷やかす。この<じゃらじゃら>はただの<じゃらじゃら>ではないのであるが、その場では軽い<じゃらじゃら>で言葉遊びのようなところが楽しかった。

しかしこの平右衛門は自分が義士の仲間に入りたいために随分身勝手なことを考える人である。その勝手さを意識なく海老蔵さんは押していく。手紙を読んだおかるを自分が殺してその手柄で東下りに加わろうと必死である。おかるは勘平が死んだと聞き何の生きがいもなくなり、勘平の出来なかったことの役に立とうと納得する。その辺も繰り返しの可笑しさを含ませつつ進んでいく。この繰り返しは平右衛門の察しの悪さからきていて、結構この場は固くなって観ていたのであるが、そう観なくてもいいのだと今回感じた。

役者さんによって、この軽さ重さの比重が違うのも、情が浅いか深いかなど、芝居のどの辺の芯に行きつくかの面白味でもある。

と言いつつこちらは、未だ外堀を埋める事もかなわずその周辺を行きつ戻りつぶらぶらしている状態である。

 

 

『仮名手本忠臣蔵』(歌舞伎座12月) (2)

「道行旅路の花婿」は「落人(おちゅうど)」とも呼ばれる。塩冶判官にお供してきた勘平と、師直に顔世御前からの手紙を届けにきたおかるが出会い、相思相愛の若い二人が二人だけの世界に入ってしまい不忠となり、人目を忍んで落ちて行く人となるのである。

浅葱幕が落とされるとそこには、おかる(玉三郎)と勘平(海老蔵)が寄り添い笠で顔を隠し立っている。玉三郎さんは何か月ぶりであろうか。今回は「落人」の歌詞に一応目を通しておいた。舞台は遠目に富士が、桜と菜の花の明るい場面であるが、夜の設定なのである。場所は神奈川県の戸塚。東海道です。<気も戸塚はと吉田橋> 気もあせっていると土地の戸塚とをかけている。次のこちらの東海道の旅は保土ヶ谷から戸塚なので、嬉しくなる。広重の浮世絵〔戸塚 元町別道〕の橋が吉田橋らしい。しかし、鎌倉から落ち延びてきているのでややこしいのだが、そこのところは深く考えない。<墨絵の筆に夜の富士> そう夜なんです。難しいところは三味線と語りの調子と美しいお二人の動きとで楽しむだけ。

<泊りとまりの旅籠やで ほんの旅寝の仮枕 嬉しい仲じゃないかいな> おかるは少し浮き浮きした心持も。おかるのクドキは難しいようだ。おかるが世話女房になってはいけないらしいのである。実際観ていた時は、玉三郎さん静かに優雅に演じられたので感じなかったのであるが、時間がたち思い出していると、玉三郎さんは大きな役者さんなので、海老蔵さんより玉三郎さんの方が印象が大きくなりちょと困った現象の中にいる。おかるは腰元であるからそれなりの風格もある立場であり、単に可憐さだけでは駄目な役でもあろう。観ていた時はその振袖の扱いかたなどただただ美しいと見とれていたのである。<野暮な田舎の暮らしには 機(はた)も織り候 賃仕事>では、縫い物をする仕草がリアルで可笑しかった。所々に微笑ましいさを加え、打ち沈む勘平の気をひこうとするのが娘らしさの表れか。

<ねぐらを離れなく烏 かわい かわいの女夫(みょうと)づれ> かわい、かわいはカアカアと鳴く烏の声で、それを愛しいにかけている。反射的に「かわい かわいと烏は鳴くの かわい かわいと鳴くんだよ」(七つの子)が浮かぶ。作詞家の野口雨情さんこのあたりの歌詞も引き出しに入っていたかもしれない。

勘平が気を取り直したところに鷺坂伴内(権十郎)と花四天(はなよてん)が勘平を捕らえに現れる。権十郎さんは武士のいでたちから例の派手な着物姿に引き抜きのように変身でした。このかたちは初めて見た。勘平も噴き出す、洒落の効いた伴内の台詞。気分を変えさせる詞の力。

表情を変えず憂いを残す海老蔵さんと花四天の流麗な所作ダテ(舞踊味の強い立ち回り)があって、伴内を殺さずに逃がしてやり、勘平とおかるは花道から再び足を早めるのである。華麗な中にも悲愁と支え合う若い二人の面影を残す舞台であった。一幕見でもう一度見たかったが都合がつかないのが残念。