新橋演舞場 『松竹新喜劇 爆笑七夕公演』

松竹新喜劇劇団創立65周年記念で新橋演舞場は、16年ぶりだそうである。昼の部、夜の部、別演目で、どちらにも65周年御礼の<ご挨拶>が入っている。チラシに出演予定の高田次郎さんと千草英子さんは、体調不良のため休演である。高田さんは、松竹新喜劇以外での芝居にも出られていて観ているので、残念である。松竹新喜劇の代表である、三代目渋谷天外さんの生の芝居は初めてである。歌舞伎界からは、坂東彌十郎さん、WAHAHA本舗の久本雅美さんらが参加している。観劇される方は、久本さん以外はテレビでお馴染みという役者さんたちではなく、今回初めて観る役者さんも多いであろう。

松竹新喜劇は曾我廼家十吾さん、二代目渋谷天外さん、藤山寛美さんが参加されて結成した関西系の劇団である。お三方の写真も紹介された。今回は藤山寛美さんの孫で、藤山直美さんの甥の、藤山扇治郎さんが松竹新喜劇の一員として加入されての舞台である。彌十郎さんの紹介にもあったが、扇治郎さんは、今の勘九郎さんが初めて歌舞伎座で『鏡獅子』を踊った時、胡蝶として、彌十郎さんの息子さんの新吾さんと一緒に踊られている。その時は、コロコロと太られていたが、今はすっきりとされている。癖のない素直な演技をする役者さんで、これから、諸先輩に教えられどのように伸びるか楽しみな役者さんである。小島慶四郎さんも何回か独特のおとぼけと間を楽しまさせてもらっている。

演目自体が、長く演じられてきたもので、『お祭り提灯』以外は、これまたお初である。『朗らかな噓』『裏町の友情』『船場の子守唄』

この劇団の出し物は、登場人物の関係は、登場人物が演技の中で語って行く。そのため、脇のかたも下手であると、間がもたなくなり、お客さまを寝かせてしまう事もあろう。そこを、演技者も心して掛からねばならない。近頃の喜劇は、そこを堪えきれなくてお客に振るのでつまらないのである。

秀逸だったのは『裏町の友情』である。渋谷天外さんと、曾我廼家寛太郎さんの科白術である。お互いに喧嘩で結ばれている二人のやりとりが、そのバトルと緩急の飽きさせない面白さは長年積み上げてこられたものである。そして、それが、自然に相手を思いやる気持ちになっていき、その気持ちが観客に伝わり涙になっても喜劇性は失わないで、もとの喧嘩の二人の位置にもどるのである。<会津磐梯山>のメロディーの効果もきいている。小島慶四郎さんが、<役者は長ければいいというものではありませんが>と言われたが、やはり鍛錬の長さは必要である。

『お祭り提灯』は、動きも加わり楽しく、お客さんも笑われていて満足されていたようであるが、台詞劇の喜劇も残っていって欲しいものである。若い人はスピード感を求めるであろうから、その辺を上手く組み合わせて伝えていって貰いたい。今回は、バランスの取れた演目の組み合わせである。彌十郎さんは、身体も大きく、歌舞伎界では、フットワークが抜群という方ではないが、やはり、身体の使い方の違いであろうか、一段と動きがよく映った。大坂の伝統喜劇として続いて貰いたい。

今回の舞台装置で、自分の中で、やはりそうかという事があった。それは、大阪の家の屋根である。大坂に <住まいのミュージアム 大阪くらしの今昔館> という、イベント館がある。これが、江戸と比較していたりして興味深かったのであるが、江戸時代の大阪の町並みを紹介しているところで、桂米朝さんの説明が流れるのである。その時、<江戸は瓦葺きとまさ葺きがありますが、大阪は全て瓦葺きです>と言われたのである。そのことが、頭の残っていて歌舞伎の『夏祭浪花鑑』の最後の立ち回りで屋根が出てきて、一部がまさ葺きである。「うーん」と考えてしまった。そちらの方では、<舞台装置の屋根屋根の一つに引き窓があるのもアクセントになっている。>と書いたが、瓦屋根でも引き窓はきちんとあったのである。松竹新喜劇のほうは、まさ葺きの屋根は一つもないのである。『夏祭浪花鑑』も瓦屋根で統一したほうが、すっきりするような気がする。

<大坂くらしの今昔館>は、なかなかお面白い。外人さんが多く、浴衣が200円で試着して、作られた町並みを見学出来るので、昔の大阪の町や路地裏で浴衣姿を写っている。大坂のお店の並ぶ道は真ん中が少し高いアーチ型になっていて、雨水が脇の下水にながれるようになっている。火の見櫓の半鐘も集会所の屋根の上にあり、『八百屋お七』の舞踊は成り立たないことになる。町内の夜回りの時の知らせは江戸は拍子木であるが、大坂は太鼓である。まな板も大坂は隅に四本脚がついているなどの違いがある。大坂も空襲で焼かれ、そのあと、バスを住まいとする一画もあった。その町に行かないと気にかけないことが色々ある。

大坂三昧はもう少し続くのである。

 

新橋演舞場 『天然女房のスパイ大作戦』

『天然女房のスパイ大作戦』の題名に <熱海五郎一座><東京喜劇><新橋演舞場進出記念公演>などと名うたれている。

<熱海五郎一座>とみると、伝説的な<雲の上団五郎一座>を思い浮かべる。映画にもなっているが、その生の舞台は映画では表せないほどの面白さだったようである。熱海五郎一座が目指すのは軽演劇で、その<軽演劇>の規定基準はよくわからない。判らないからその基準で観劇はしない。その場限りのお楽しみ観劇である。<東京喜劇>とあるからには、<青森喜劇>とか<那覇喜劇>とかあるのかどうか。<新橋演舞場進出記念公演>とあるからには、新橋演舞場は<熱海五郎一座>にとって、進出すべき劇場なのであろう。この舞台に立った演劇のジャンルと、芸人さんたちの多さに関係しているようである。その中に自分たちも入りたい。そのことは、三宅裕司さんがカーテンコールの後の挨拶で触れられていた。

あら筋は、妻が、夫が浮気しているのではないかの疑いから、夫の行動を調べている間に、夫が知らない間に男性下着メイカーに転職していて、その新製品の開発に苦労しており、その夫を助けるべく産業スパイとなって活躍、いや、混乱を巻き起こすというものである。その、天然女房が、沢口靖子さん。夫が三宅裕司さん。私立探偵が東貴博さん(深沢邦之さんとの交互出演)。夫の上司の小倉久寛さん。夫のライバルの渡辺正行さん。社長のラサール石井さん。スパイ学校の責任者、春風亭昇太さん。歌う産業スパイ(と思います)の朝海ひかるさんである。

朝海さんの役が曖昧なのは、歌唱力と動きに魅了されてしまうからである。歌詞がハチャメチャでる。なのに高らかに歌い上げてしまうと、何か価値ある歌を聴いた気分にさせられてしまうのである。歌っているご本人、歌詞を無視しているか、自分のなかで、歌詞を変えて歌われているに違いない。歌詞と歌唱力のギャップが可笑しい。

芝居の筋の中で、色々な組み合わせの、ボケと突っ込みを楽しむことになる。このバトル、熱海五郎一座ご贔屓の観客はその辺りをすでに飲みこんでいるらしい。私も他のゲストでのメンバーの舞台映像は2つばかり観ているので予想はついた。今回、私的に面白かったのは、沢口さんと昇太さんのコンビの場面である。どこかずれる(役的にも、波長的にも)二人の行動が可笑しい。コンビでありながら、それぞれがマイぺースに行動し、自分のとんちんかんさも相手のとんちんかんさにも気が付かないのである。常識の突っ込みの入らない場を作ったのはパターン化の羅列を救った。

一つ不満だったのは、沢口さんと三宅さんの場で天然女房が発揮されなかったことである。この夫婦の場で、この奥さんは本当に天然という雰囲気が欲しかった。夫を愛するがゆえの一直線の行動の可笑しさが薄かった。筋通りの天然に終わってしまった。

面白すぎた科白は、社長が、新製品開発に成功したほうに社長の椅子を譲ると渡部さんと小倉さんに言い渡したとき、小倉さんが、「机は譲ってもらえないんですか。」と云ったときである。こちらは、社長の座と思って居るのに、突然、椅子と机の関係が生じたわけで、この科白を聴いたときの自分の頭の中の回転に、それを起こした科白に大笑いしてしまった。ラサール石井さんが呆れながら、「机も譲るよ。」

昇太さんの小話。これは、毎回変えるのかどうか。落語家の意地の見せ所と思うが。受ける受けないは、その日の観客のバロメイター。

始まる幕前で早々、シンバッシーで万雷の拍手。東さん複雑。何もせずに受ける渡部さん。

これだけネタばれしても笑えるところはまだ沢山あるので、お探しあれ。新橋演舞場の花道や舞台装置が使えるのも、劇団の新たな挑戦だったのであろう。

作・吉高寿男/構成・演出・三宅裕司

 

加藤健一事務所 『請願 ~核なき世界~』

加藤健一さんと三田和代さんの二人芝居である。

舞台での三田和代さんは初めてである。こういう感じの役者さんであろうなあと想像してた以上に繊細な役作りをされていた。『請願 ~核なき世界~』。題名から重そうなテーマと思うが、しっかり論争しあっているのに笑いがあるのである。それは、三田さん役の妻・エリザベスがどこにでもいそうな女性でありながら、相手との関係を大切にしながら自分の意見も主張する女性で、切り込みつつもユーモアもあり、夫・エドムンドの返答にグサリと突くところは、見ている者を楽しませてくれる。考えていながら行動するときは、夫をも窮地に追い込むのであるが、きちんと説明するエネルギーには驚くと同時にエリザベスという人物の芯でもあり魅力でもある。口当たりのよい言葉で説明しようとはしない。逃げないのである。自分の考えを模索して自分の頭で考え間違いも起こすが、血の躍動感を感じさせる人である。そう思える、エリザベスを三田さんは造られた。

リビングで老夫婦がお茶をしながらそれぞれ新聞を読んでいる。エドムンドは新聞を読みつつその内容にイライラしている。そんな夫を軽く注意したり、いなしたり、妻のエリザベスはこうやって夫に寄り添って生きてきたのかなと思わせる。ところが、エドムンドは新聞の<全面核兵器反対>の請願広告の署名欄に、「レディー・エリザベス・ミルトン」、妻の名前を発見するのである。エリザベスは遂に話し合う時がきたと、夫と向き合うのである。エドムンドは、元陸軍大将であり、核兵器があるからこそ、その脅威によって平和が保たれているとの信念で英国に忠誠を誓った身である。その妻が何たることか。エリザベスは核兵器を今まで使わなかったが、もしヒットラーのような狂人がまた出現したら、使わないと言えるのか。無ければ使えないのであるから無くしたほうがよいとの考えである。

この核の問題から、お互いの過去のことなどが夫婦の会話として、観客に披露される。その会話が楽しいのである。エドムンドは軍事的作戦で交戦する。エリザベスは歴史的流れから交戦する。エリザベスは子宮がんを患っており、時々、腹部の傷みにお腹に手を当てる。そうすると、エドムンドは心配でエリザベスに駆け寄る。エリザベスは、自分の病気に対しオロオロしないでほしいという。そのことによって自分が優位になったりするのは潔しとしないように受け取れた。いつもと同じ状態で、意見を主張したいのである。この二人を取り巻く人間関係も判ってくる。最初にエドムンドは、戦闘の軍事作戦がいかに難しく神経を使うかを主張したとき、エリザベスは、それよりも人と人のコミュニケーションのほうが、ずうっと難しく神経を使うと主張する。ある意味では戦争か外交かと言っているようである。エリザベスはあなたのやっていることはゲームだとまで言い切る。そして、今度自分は、スピーチに立つと告げる。

ここで上手く補足出来ないのが残念であるが、こうした大きな話が、二人の今までの個人的関係と交差するのである。それゆえ、核兵器反対、賛成の議論のメッセージ芝居と思っては困る。この二人の会話を聴かなければ、二人の夫婦の歩んできた何処にでもあるような凹凸の機微は捉えてもらえない。そしてこの会話を成立させた作者の腕前と役者さんの腕前も納得してもらえないであろう。

エリザベスは自分の力で今解決するとは思っていない。次の世代、いやその次の世代に選択できる余地を残しておきたいのだ。そして、彼女は限られた時間しか残されていないが、このままいつもの通りに過ごしましょうと夫に告げる。意見は違っても、残された日常はこのまま、今まで通り。

二人にとって、考え方が違うからといって、それが何なの。二人で過ごした日常のほうがそんなことで壊れやしない。人間の日々の当たり前の時間、それがどんなに喜ばしいことか。何てことは言っていませんが、書いているうちにそんなふうに思えました。会話の巧みさは日本人は下手です。翻訳劇の面白さの一つは会話劇の面白さでもある。

自分の生き方に疑いのない エドムンドはこの、妻との会話、コミニケーションによって、その頑なさと妻との時間の短さに動揺する。エリザベスはそうなるであろうと、夫の性格をも冷静に捉えていた。だからこそ、これからも変わらぬ今まで通りの生活を望んだのである。

全て把握していたと思った自分の知らない妻を知る驚きと怒りを、加藤さんは頑固一徹から様々な感情に揺すぶられるエドモンドを見せてくれた。それは可笑しくもあり、プライドを保とうとする男の苛立ちでもあった。それでいながら、妻を失いたくない自分でコントロールできない感情も放出させ、エドモンドの今まで人に見せなかったであろう細やかさも伝えた。

チラシに 「三田和代さんと一緒なら、この夫婦の深い愛情のドラマを絶対に成功させる自信がある。 加藤健一 」とあったが、<絶対> という言葉、この場合は許せる。

これは、ラジオドラマにしても好い作品だと思う。

作・ブライアン・クラーク/訳・吉原豊司/演出・髙瀨久男

 

 

コロッケと「早稲田大学演劇博物館」

ものまね芸人のコロッケさんが、地下鉄の関係の小冊子だったと思うが、人形町のすき焼きの「今半」の<すき焼きコロッケ>をお勧めと紹介していた。明治座に行った時思い出した。水天宮駅前店のほうで、お客さんが少なかったので1個購入し、お店で食べて行きたいのですがとことわると快く紙の包みにいれてくれた。温かくて、すき焼きのたれの味つきなので美味しかった。

~ いつも出てくるおかずはコロッケ 今日もコロッケ 明日もコロッケ これじゃ年がら年中コロッケ ~

この歌は、誰が歌っていたのか記憶にないが、なぜか知っている。ところが、よく知らなかったのである。「早稲田大学演劇博物館」へ、<六世中村歌右衛門展>を見にいったところ、<今日もコロッケ、明日もコロッケ “益田太郎冠者喜劇”の大正>企画展示もやっていた。初めて目にする名前である。この歌は大正時代に作られていて、益田太郎冠者さんの造った劇の劇中歌として歌われたものらしい。このかた、実業家でありながら、劇作家でもあり、帝国劇場の出し物にかかわり、そこで女優を育て、踊りあり、歌ありの喜劇を上演したのである。その代表的な女優が森律子さんで、彼女の等身大の人形が展示されていた。このお人形、<生人形>と云って、江戸時代から続く伝統的な技法なのだそうである。大正時代にこんなハイカラな明るい喜劇が流行していたのである。

益田太郎冠者さんの経歴をみると、三井創始者の御曹司で、ヨーロッパに留学し、実業家で、帝国劇場の役員でもあり、 ~あれも益田太郎冠者 これも益田太郎冠者~ といった感じである。映画『残菊物語』(溝口健二監督)で花柳章太郎さんと共演されている森赫子さんは、帝劇スター・森律子さんの姪にあたる。明治座では、新派の伊井芙蓉・河合武雄が 、益田太郎冠者さんの作品『思案の外』を上演している。

<六世中村歌右衛門展>は4月で終わってしまった。は2005年から10年間開催したので、ひとまずシリーズとしては今年が最終回である。演劇講座「六世中村歌右衛門を語る」講師・渡辺保さん(演劇評論家)/聞き手・児玉竜一さん(演劇博物館副館長)に参加させてもらった。一番印象に残る話は、<戦争という時代に女形が否定されたことである。> 歌舞伎に限らず、あらゆる芸能が戦局の統制下に入ったわけであるが、特に女形は否定される空気であったと思う。修行を積んでそれが否定され、<戦後そこから、また復活するということは、他の役者さんでは考えられないほどの辛苦であった。>女形でありながら、歌舞伎界の頂点に君臨したということは、並々ならぬ思いであったのであろう。<今の人達には判らないであろう。美しさが衰えてから本当の芸が出てくる。だから実際に観ないと駄目である。>との渡辺保さんの話に、あの身体も小さくなられながら、そばでそれとなく補助されながらも、役に成りきられた舞台姿が浮かんできた。『建礼門院』などは、歌右衛門さん自身が一度海深く沈まれたことの思いと重なっておられたのかもしれない。

評論家のかたの見方はなるべく見ないようにしている。それこそ、こちらの見方を否定される結果となることもあるので。ただ、時には、刺激となり観る勢いをもらう事もある。

~明日も見よう 明後日も見よう~

 

新国立劇場 『マニラ瑞穂記』

<秋元松代>の名前をインプットしたのは、若い頃、「かさぶた式部考」と「常陸坊海尊」を読んでからである。これは何なのであろう。うまく説明できないが、面白い。でも摩訶不思議な重層性がある。そして棘もある。ずーと時間が立って、蜷川幸雄さん演出の「近松心中物語」が有名になり、大劇場で公演が続いても、これがあの秋元松代さんの作品とは結びつかなかった。秋元さんの作品が大劇場で公演されるものとは思えなかったからである。

『近松心中物語』を観ても、「秋元松代の世界だ!」とは思えなかった。今回『マニラ瑞穂記』を観て、「近松心中物語」も秋元さんなのだと思えた。

『マニラ瑞穂記』の女衒・秋岡伝次郎は、矛盾を抱えつつ生き抜いていく男である。秋岡にはモデルがいて、その男の戯曲『村岡伊平治伝』を秋元さんは書いている。『マニラ瑞穂記』の中で秋元さんは、秋岡を肯定も否定もしていない。ただこの男を断罪できるのは女達だけである。女達は秋岡が自分たちの世界から逃げ出す事を許さない。

秋元さんは、この男の立場をとり、自分の生み出した作品のどれが多くの人に受け入れられようと評価されようと、それは作品の持っている手管と思われているように思える。私などは、「近松心中物語」だけが代表作でいいのだろうかと疑問に思ってきたが、本人の秋元さんはこだわっていなかったのかもしれない。ただ今回、『マニラ瑞穂記』を観劇でき、やはりこの簡単には説明できない時代性と人間性と生きようとする力と大いなる矛盾の重層性が<秋元松代>だと再確認したのであるが。

新国立劇場がこれを取り上げ、栗山民也さんが演出し舞台化してくれたことは喜ばしい。ベテランの千葉哲也さん、山西惇さん、稲川実代子さんに加え新国立劇場演劇研修所修了者の若き役者さんたちのコラボはしっかりしていた。こんな若い個性的な役者さん達が育っていたのかと心強かった。

脚本の緻密さと演出家の力もあるのか、女性たちが一人一人深く考える境遇ではないが自分を押し出して、自分は自分として描かれているのが気持ち良い。

秋岡(千葉)の矛盾を、解り易く、諭すような騙すような科白の高崎(山西)とのやりとりが面白い。アクが強そうでいながら秋岡を憎めない男としている高崎の山西さんのキャラと、男気もありながらすぐ自分を肯定し、さらに説得に乗る秋岡の千葉さんのやりとりは絶妙である。常に上手く自分の周囲の人間をまとめ様と努力する高崎の<いつまでこんなことをやっているのだ>には、国と国の利害関係の泥沼化をもさしている。

明治時代のフィリピン独立運動を背景とするマニラ領事館からこの芝居は展開されるが、フィリピン独立運動など知らず、スペインから独立し、アメリカ植民地期に、フィリピンに渡航する日本人が増えたのも知らない。森繁久彌さんの当たり役『佐渡島他吉の生涯』もその時代と関係があり、織田作之助さんの『わが町』も関係があるそうだ。村岡伊平治を主人公にした映画が今村昌平監督の『女衒』である。(パンフレットより) 川島雄三監督の『わが町』は録画して見ていないので近々見ることとする。

 

本郷菊坂散策 (1)

友人たちと歩いた谷中から、今度は本郷を歩こうと、湯島天神から始める。梅の三分咲きの頃である。湯島天神となれば菅原道真公であろうが、浮かんでくるのは、<湯島通れば思い出す お蔦主税の心意気>で泉鏡花の『婦系図』で新派である。いつどのようにこの歌の一節を記憶したのか覚えていない。<ちから>が<主税>と書くのも知ったのは随分あとである。

司馬遼太郎さんの『本郷界隈』によると、明治の文明開化の象徴ともいえる瓦斯灯(ガス灯)がこの境内に何基かあったことに触れ、「瓦斯灯があればこそ主税はお蔦をここへよび出せるのである。ふつう、村落の氏神の境内などには夜間灯火がなかった。もし湯島天神もそうだったら、両者は闇の中を手さぐりでにじり寄らざるをえず、芝居にならない。」と記している。なるほどと思いつつ、そこは工夫して石灯籠に火を灯し、背景に月を描き、月明かりとするであろうなどとつまらぬ事を考える。しかし明治という時代性を考えると<瓦斯灯>が似合っている。市川雷蔵さんと万里昌代さんの映画『婦系図』の録画が何処かにあるのでどうなっていたか、そのうち調べてみる。新派の舞台は瓦斯灯だったと思うが。ガス灯も復元されたらしいが、司馬さんの本は今、桜の時期に読み気がつかなかった。

宝物殿へ入館してきたが、ここで思いがけず川鍋暁斎さんの「龍虎図」の衝立一双に出会う。龍も虎も威圧的ではなくどことなく愛嬌がある。意外な出会いである。湯島の梅に因み、奥村土牛、横山大観、川合玉堂、竹内栖鳳等の梅の絵があり、竹内栖鳳の絵に引き付けられた。富くじの箱が展示されていて、司馬さんによると「この神社は幕府から社領をもらわず、そのかわり“富くじ”の興行をゆるされ、経費をそれでまかなっていた。」とある。当殿のパンフによると、目黒不動、谷中の感応寺、湯島天満宮が三富と称されたいへんなにぎわいをみせたらしい。落語の「富久」は深川八幡宮である。

男坂から下りようとすると、<講談高座発祥の地>の碑を目にする。文化4年(1807年)湯島天満宮の境内に住み、そこを席亭としていた講談師・伊東燕晋が家康公の偉業を語るにあたり庶民より高い高座とし、北町奉行小田切土佐守に願い出て認められたとある。なるほど初めから高かったわけではないのである。男坂を下り、美空ひばりさんの「べらんめい芸者」<通る湯島に鳥居はあれど 小粋なお蔦はもう居ない>と湯島天神から春日通りを登る。この切通坂は先にある麟祥院に春日局のお墓がありそれに因んだ名らしい。

ここから少しきつくなる。坂の勾配ではない。ここからのメモをなくしてしまったからである。さあどうなりますか。手さぐり坂である。

映画と新派の『婦系図』が見つかった。

映画『婦系図』(1962年) 監督・三隅研次/脚本・衣田義賢/出演・市川雷蔵・万里昌代の湯島天神はガス灯である。実際にはガス灯の明かるさはどの程度であったのであろうか。電球の街灯でさえ一部分を照らしていたのであるから、ほのかに明るいという感じであろうか。

新派は、新橋演舞場1985年公演の録画である。演出・戌井市郎/脚本・川口松太郎/出演/片岡孝夫(現片岡仁左衛門)・水谷良重(現水谷八重子)・波野久里子・安井昌二・長谷川稀世・英太郎・菅原謙次・杉村春子で、大きな石灯籠の灯りであった。こちらの方が場面としては薄暗い。お蔦が「あなた、いい月だわねえ」の主税の答えは「月は晴れても心は闇だ」である。月の姿はないが、台詞の中に<月>が出てくる。「ほらあの月を見てごらん。時々雲もかかるだろう。まして星ほどにもない人間だ。時には闇にもなろうじゃないか。」(主税)

あの周辺を歩いているので、台詞が立体化する。お蔦が自分が巳年なので弁天様にお参りしてくるという。それは上野不忍池の弁天様である。あそこまで行くのであろうかと距離的にどうかと思ったら、戻ってきたお蔦は仲町の角からお参りしたと告げる。江戸の切絵図でいえば池之端仲町の角ということであろうか。お蔦の別れる際の台詞が「切通しを帰るんだわね。思いを切って通すんじゃない。体を裂いて別れるよう。」

喜多村 緑郎さんのお蔦が良かったので、湯島の場面は泉鏡花さんが新たに書き足した場面らしいが、この辺はよく歩いていたらしく風景を上手く台詞に反映している。ただ、一度、石灯籠ではなくガス灯で舞台をやって欲しいとも思う。お蔦が石灯籠に腰かけての形がなくなるが、どうもあそこで形を作っていると意識され、リアルさから引きもどされるのである。それまでの作られているが、清元の「三千歳」の語りに合わせて動くお蔦の自然に流れるような動きが一瞬、それこそ引き裂かれてしまうのである。新しい明治のガス灯の淡い灯りのなかで、闇に向かう恋路というのもなかなかいいではないかと勝手に思い描いてしまった。ガス灯でも月の台詞は邪魔にはならない。

映画のほうは清元の「三千歳」は流れない。替わりに境内の石畳と下駄が作り出す音である。

 

演劇 『あとにさきだつうたかたの』と映画 『あなたを抱きしめるまで』

時間が取れないため、一日に凄い詰め込みかたをした。

銀座の映画館シネスイッチ銀座で『あなたを抱きしめるまで』の最終回を申込み、砧公園にある世田谷美術館で『岸田吟香・劉生・麗子展』を、下北沢で本多劇場で『あとにさきだつうたかたの』を、日比谷の出光美術館で『板谷波山展』を、すこし時間が空き、映画『あなたを抱きしめるまで』を見る。何処かでギブアップかと思いきや、それぞれ楽しめた。最後の映画はきっと睡魔であろうとおもったらどうしてどうして、見ておいて良かったである。

加藤健一事務所の『あとにさきだつうたかたの』は、作が山谷典子さんである。この方の書かれた作品は初めてである。役者さんとしてはまだ見ていない。この作品を観て、30代の女性がしっかり歴史を見つめ、演劇として構成的にも面白い本を書かれたことが心強かった。次の時代を担う人達のほうが冷静であるのは嬉しい限りである。戦争時代を通らなければ成らなかった人々の人生と日常の中での心。さらにジャーナリズムとは何か。科学者とは。加藤健一さんを始め役者さんの演技力で静かに確実に伝わる舞台をつくりあげた。

自分に問いかけたり、誰かを待っていたり、問いかけても答えてくれない回答、待っていても来ない人、さらに答えを見つけようとし矛盾に急速に飛び込んでしまう人など、ウミガメの産卵と脱皮からウミガメを生きる先輩として配置し、さらに鴨長明の<ゆくかわのながれはたえずしてしかももとのみずにあらず よどみにうかぶうたかたはかつきえかつむすびてひさしくとどまりたるたとえなし> をも下敷きとしている。

隠されているもの、知らせられないもの。それを知ると言う事はつらいことでもある。知ったがゆえに心にもっと傷を負う事もある。しかし、知りたいと思う人の意思を妨げてはいけないし、最終的には妨げられないことであろう。

説明しなければならない事がらを山谷さんはきちんと台詞で語らせ、説明にはしていない。生活者の言葉としている。最後に個人の事情を知らない人同士が、ウミガメの子どもが殻を破り海へ一斉に向かうのを見に行きましょうと約束する指切りがいい。そして、盲目の傷痍軍人が家族を探すために、帰らぬ息子を待つ母親のために唄う歌が美しい。

今と過去を加藤さんは老人の姿のまま少年になり、行ったり来たりする。休憩がなく、同じ舞台装置なので、その行き来に邪魔が入らず観客も負担なくスムーズに行き来でき、老人の明らかになっていく人生と時代を納得していけた。懐かしさを通り超えたところにある真実への虹の架け橋である。

それから、二つの美術館。これまたよく調べられて自分の興味あるところをピックアップし易い構成の展示と解説で、疲れることなく、ピックアップして楽しんだ。

映画『あなたを抱きしめる日まで』は事実に基づいた映画である。やはりジュディ・デンチは裏切らない。この人がいての映画である。ハッピーエンドの小説の好きで、一緒に息子探しの旅にでるジャーナリストと男性に粗筋を嬉々として語るところなど微笑ましいし、考えた事を伝えるところは自分なりにしっかり考えたという自信があり、事実に直面したときの威厳が何とも言えない。取り乱すことのない許しは、この主人公のずーっと息子を思い続けてきた苦しみの裏返しであろうか。この映画はジュディ・デンチあっての映画である。

謎が解かれて行く途中のミステリー映画のような音楽もいい。旅を一緒にするスティーヴ・クーガンの主人公フィミナの様子を見つめる眼もいい。真実はいつかは知らされる。その時はいつか。遅すぎるとその悲しみは誰が受けなければならないのか。胸を張ってドアを叩く。

 

 

劇団民芸 『八月の鯨』

『八月の鯨』は映画にもなった。たしか岩波ホールで見て、リリアン・ギッシュとベティ・デイヴィスが共演し、それも高齢になってからの共演で老年をあつかった映画として話題になった。よくわからなかった。リリアン・ギッシュは可愛いおばあさんでベティ・デイヴィスは皮肉屋のおばあさんといった印象で、若い頃の映画の役柄をも表しているのだろうかと思ったものである。鯨を待っていて、待っている鯨は現れない。「ゴドーを待ちながら」を重ねているのだろうかなどとも考えたりしたものである。

今回舞台の『八月の鯨』を観て、こんなに静かな心もちであろうか。もっと老いとはドロドロした内面なのではないだろうかと考えた。マグマは見せなかった。歳をとると諦める、諦念の心境に入ると思われがちだがそうとも言い切れない。

アメリカのメイン州沿岸の島の別荘で夏だけ過ごすことになっている二人の老いた姉妹の、ある夏の話のようである。ここに住み着いている二人と思っていたのでその点でも捉え方が違ってきた。姉のリビー(奈良岡朋子)は目が不自由らしく、さらに動きも思うようにはいかないため、妹のサラ(日色ともゑ)が面倒を見ている。サラは老いてはいるが、家事一般をするにはまだ大丈夫のようで、体を動かせる喜びを感じつつ楽しそうに家事に勤しんでいる。バザーに出す品物の制作もし人との付き合いも上手くいっている。リビーのほうは、老いる前からそうだったのかどうかは定かではないが、サラのやることに皮肉を言ったり人付き合いも上手いほうではないようだ。人に頼まなければ出来ないという立場は辛いことで、老いとともにそうなったのかもしれない。

周りには、毎日訪ねてきてくれる友人・ティシャ(船坂博子)や家の修繕などをしてくれるジョシュア(稲垣隆史)がいて、二人の話仲間となってくれている。そこへ、マラノフ(篠田三郎)というロシアから亡命してきた貴族が、釣った魚を持参してディナーとなる。マラノフは紳士的で話方も優雅でサラは次々質問するがリビーは早々と自分の部屋に入ってしまう。

サラは姉の仕打ちを謝るがマラノフは言う。<お姉さんは見抜かれている。> それはマラノフの本心を見抜いているということである。ある意味、リビーとマラノフは同じ立場なのである。誰かのお情けを必要とするのである。それを上手く取り入るか、それが嫌さに依怙地にならざるおえない老いの悲しさと闘いがある。お互いにそれを感じているのであるが、言葉で説明するのは難しいことである。時間とともにそれぞれの問題となってくるのであるから。リビーも自分のためにサラを縛っておくわけにはいかない。サラもこのままだと姉に対する愛情がなくなってしまうかもしれない。と二人が感じたかどうかは解らないが、そう受け止めた。

時間と状況が変ると二人の関係もまた変ってくるのかも知れない。ただかつて見た鯨の訪れた時は去ってしまったのである。だからといって時間は止まるわけではない。時間はもう前に進んでいるのである。どうやってその時間を埋めていくのか。それぞれの課題である。

奈良岡さんはもっとマグマを爆発させるのかなと思ったが、意思の強さをだしつつ、老いとの闘いを内に秘めつつ演じられていた。日色さんは、リビーの老いの状態までいっていない若さを明るく、今の老いを楽しんでいる様子を表現された。海を感じ、風を感じ、その自然の風景を観客に見せてくれた。過ごしやすい所なんだろうなあ。それだけに、リビーの老いの状態からくる心のやり場のなさが解るのである。

芝居が終わってから出演者との交流会があり、訳・演出の丹野郁弓さんが、「作者であるデイヴィッド・べリーが今回の舞台を観てくれて今までで最高のシチュエーションだと言ってくれた。」「バックから鐘の音が聞こえていたと思いますが、これは、パンフレットの表紙の写真にありますが、舞台となった海にあった浮標ベル(ブイベル)の鐘の音です。」と教えてくれた。その音を出すために波の音が小さめだったのかもしれない。教会が遠くにあるのかなあと思たりもしていた。客演の篠田さんの役は、詐欺師としたくなかったと丹野さんは言われた。映画のマラノフの人物像は忘れていたので、マラノフの台詞にはハッとさせられた。漂泊。パンフレットの写真を見つつ、浮標ベルは漂いながらも海の道標で、小さくても意味のあるもので、忘れられそうで忘れられない存在である。

奈良岡さんは、「是非生の舞台、ライブを見てください。音楽でも芝居でも民芸だけでなく他の芝居も。それから自分の好きなことを見つけて下さい。何でもいいんです。小さなことで。好きなことをやるのが元気の素です。」と話された。

(2013年12月4日~19日 三越劇場)

 

 

加藤健一事務所 『Be My Baby いとしのベイビー』

どこから押してもふかふかのコメディである。セットからして、幼稚園のお楽しみ会と思わせられるが、そのわけありのわけは次第に解明していく。スコットランドを車で走り、スコットランドからサンフランシスコまで飛ぶのである。きちんと飛行機で。そのつど、観客は自分のCGの洗剤?いや潜在能力を駆使して舞台背景を作りあげるのである。時々、黒い帽子とお洋服のちょろちょさんが見え隠れするが、それは洗剤を使って綺麗にする。

誰が主人公かと言えばそれはもう<BeMyBaby>である。本当は赤ちゃんなんですが、生まれたばかりですから舞台には出せないので、お人形の赤ちゃんですが、侮れない。最後は、観客全部の<BeMyBaby>にチャッカリなってしまってる。これだけの作り物を大奮闘で奮闘している様子は微塵もなくやってのけてるのが役者さんたちである。あらすじを少し。

ロンドン育ちの19歳の娘(グロリア)が恋をして、結婚するためにスコットランドへ育ての親である叔母さん(モード)と車で向かう。その相手はお屋敷に住み執事のような人(ジョン)に育てられた青年(クリスティ)。若い二人はホットでも、ジョン(加藤健一)とモード(阿知波悟美)は、若い二人の親代わりで、スコットランドとイングランドでは生活に対する考え方も違い、逢ったときから非友好的である。クリスティ(加藤義宗)とグロリア(高畑こと美)は無事結婚。ところがわけあって、グロリアの従妹の生まれたばかりの赤ちゃんをサンフランシスコまで、ジョンとモードが引き取りにいくこととなる。その珍道中が笑わせてくれる。その珍道中に何役もの変化芝居を楽しませてくれるのが、粟野史浩さんと加藤忍さん。さすがジョンとモードはその変化にまどわされることなく自分たちの役に徹していて笑わせつつも、粟野さんと忍さんには負けてはいない。ここで崩れると筋のないただのお笑いになってしまうがその点はさすが押さえている。

加藤健一さんと阿知波悟美さんは初共演ということだが、息が合っている。飛行機の座席での場面からして間が上手い。阿知波さんは座席を倒して同じ失敗を数回するのであるが、その突然の動きが会話のペースの中で動きのギャグと言えば良いのか、お笑い芸人さんより面白い。台詞も必要でそれを聞いてるだけで面白いのに、そこに良くありそうな動きが可笑しさを倍増する。それでいて相手が失敗すると本人の見えないところで、バックアップするのが微笑ましい。

この二人の間に赤ちゃんが加わる。この赤ちゃんはお人形である。ところが、抱いたりミルクを飲ませたり、ベビーカーに乗せてるときの赤ちゃんの可愛らしい表情や様子を台詞で伝えてくれる。その表現が観客に乗り移ってしまうのである。お人形でなくなるのである。ホテルの部屋に赤ちゃんを閉じ込めてしまい合い鍵を待てずにドアに体当たりするジョンの真剣さ。芝居の笑いというものは、登場人物が困っていれば困っているほど可笑しいものである。その喜劇芝居のツボをおさえつつ、大人の恋もくり広げてくれる。

この赤ちゃん、若い二人の気まぐれさを最初から見抜いていたのか、自分の一番良い居場所を獲得するのである。なかなかである。

この芝居の作者は劇中歌も指定していて、それも浮き浮きした気分にさせてくれる。

「Be My Baby」(ザ・ロネッツ) 「Hound Dog」「Heartbreak Hotel」「Let Me Be Your Teddy Bear」(エルビス・プレスリー)

作・ケン・ラドウィッグ/訳・小田島恒志、小田島則子/演出・鵜山仁

 

『さらば八月の大地』 (新橋演舞場11月)

映画、芝居好きには、日本映画の歴史、芝居としての出来など多くの好奇心を満たされた舞台であった。勘九郎さんは襲名後、初めての現代劇。日本による傀儡国家満州で、日本人と映画作りをする中国人の助監督の役である。内に矛盾を感じつつも、助監督として撮影現場を上手くまとめ様と努める役でもある。この方は間が上手いのであろうか。歌舞伎の見得もない、受けの役でもあるが、舞台にきちんと位置を決めてくれる。演じてますという臭さがないのである。それでいながら演じている。勘九郎さんあっての舞台と言えば褒め過ぎであろうか。

1937年(昭和12年)満州に日本国策の映画会社、満州映画協会(満映)が作られた。そこで終戦を挟んでの数年間、映画作りに賭けていた日本人と中国人の反発と交流の物語である。

満映の理事長が、元憲兵大尉・甘粕雅彦大尉である。大杉事件(アナキストの大 杉栄と伊藤野枝さらに大杉の甥が関東大震災の時憲兵隊に連行され殺害されたとされる事件)の首謀者とされており、その人と映画の結びつきを始め知ったのは高野悦子さん(岩波ホールを開設、日の目を見ない良質の世界の映画を紹介)の本からであろうか、映画に関しては自由な解釈の人とも思え捉えどころの難しい人である。舞台上では、甘粕大尉をモデルとして高村理事長として出てくる。得たいの知れない人物として木場勝己さんが好演である。中国人の助監督・凌風(リンフォン・勘九郎)も高村理事長のことを怪物と表現し、女優の美雨(メイユイ・檀れい)に高村理事長に近かづかないほうが良いと忠告するが、美雨はスター女優になることのみを夢見ている。宝塚出身の檀さんの歌とスター性が適役である。

そんな中へ映画を撮りづらくなった日本からまた一人撮影助手として池田五郎(今井翼)が飛び込んでくる。凌風と五郎の最初の出会いと撮影を通しての偏見や仲間意識など現場風景を見せつつの舞台は山田洋次監督ならではの演出であり、鄭義信さんの脚本の面白さである。撮っている映画は長谷川一夫さんと李香蘭さん共演の映画と思わせるし(李香蘭さんの半生を描いたテレビドラマで中村福助さんが長谷川一夫の役をやり雰囲気が似ていて驚いたことがある)、美雨が終戦後中国当局から拘束されたりと、李香蘭さんの歴史的事実とも重ねられる。そういう下敷きのなかで、架空の登場人物たちがどう映画作りをしていたのかを見せてくれるのである。

五郎の今井さんはもう少し凌風との出会いに惡が強くても良いのでは。映画を語ったり、終戦となり凌風と反対の立場となるあたりの変化がもっと躍動的になると思うのだが。それは、舞台始まりと中国語訳が字幕としてでるため、更に撮影現場セットの舞台に観客が気をとられ、舞台の状況に慣れるまで少し時間を要する事も原因のひとつであり、そのずれ分今井さんは損をしているかもしれない。

拾っていたら切りがないが、凌風と五郎が、黒澤監督の『姿三四郎』の映画の場面を語るところも、こちらを喜ばせてくれる。その他、主演男優(山口馬木也)が、冬に夏の場面を撮り、寒さから白い息が見えない様に口の中に氷を含んだりと、現場の大変さや、端から見る可笑しさも加わり見どころが多い。それでいて筋は通していて出演者の動きもよく計算されていて見逃さなくて良かったと思える舞台であった。

そして、映画 『天地明察』 (改暦1)で書いた〔NHK教育テレビ「知るを楽しむ・歴史に好奇心」<映画王国・京都~カツドウ屋の100年>〕(2007年12月)のテキストがこの舞台の時代をも含む映画の歴史としてとても参考になったのである。この満映の人材の受け皿が東映だったということなど。

演出・山田洋次/作・鄭義信/出演・中村勘九郎、今井翼、檀れい、山口馬木也、田中壮太郎、有薗芳記、中村いてう、関時男、鴫原桂、広岡由里子、木場勝己

大杉栄の時代とその周辺に関係する舞台については 『美しきものの伝説』(宮本研の伝説) と 『美しきものの伝説』のその後 を参照されたい。