歌舞伎座『七月花形歌舞伎』

花形歌舞伎となっているので若手と云うことになる。演目は昼夜とも通し狂言で、昼が「加賀見山再岩藤(かがみやまごにちのいわふじ)」と「東海道四谷怪談」である。

どちらも筋が分かり易かった。これが良いのかどうか。観ているとすーっと流れてこうなってこうなるのかと話が見えてくる。もしかするとこれは人物の描き方が薄いのではないかと思い始める。何処かで役者の台詞廻しや演技に引き込まれこちらの感情の起伏も波打つのであるが、その波が静かである。

「加賀見山再岩藤」は「鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」の後日譚である。「鏡山旧錦絵」では中村芝翫さんのお初が忘れられない。町娘出の尾上を浪人の娘お初が一生懸命に尾上の気持ちを盛り立てつつかばうのである。そして主人の尾上を死に至らしめた岩藤を討ち、お初は二代目尾上となり、その後日譚なのである。

尾上はお初の成りをして主人尾上のお墓参りの後に、岩藤の亡骸の捨ててある場所で弔いをする。すると岩藤のバラバラになっていた骨が寄せ集まり亡霊となり、次の場面ではいとも楽しげに桜の花の満開の上空を嬉々として円遊するのである。この骨寄せの後の亡霊の場面はあまり手を入れず役者さんの芸だけでやって欲しかった。そのほうが舞台の宙乗りでの岩藤の肉体を持った喜びの意味が返って強調されるように思う。

岩藤はお家転覆を狙う望月弾正に乗り移り二代目尾上に仕返しをするが、それとは別に現闘争の犠牲となる鳥居又助の悲劇がある。浪人中の主人求女を助け、その帰参のため弾正の政略にはまり主君の奥方を誤って殺してしまう。そのことを知った又助は盲目の弟志賀市の弾く琴の中で自害する。この又助の疑う事無く奸悪に翻弄される人間の巡りあわせと盲目の志賀市が無心に弾く琴の場面は見せ所となった。(又助・松緑/志賀市・玉太郎)

「東海道四谷怪談」は伊右衛門とお岩の話であるが、民谷伊右衛門は塩冶判官(えんやはんがん)の家中にいて今は浪人である。その隣に住む塩冶判官の敵である高師直(こうのもろなお)の家臣の伊藤喜兵衛の孫娘が伊右衛門にほれる。そのため伊藤家は親切を装い産後の肥立ちの悪いお岩に顔形が崩れる薬を血の道の薬と称して届ける。お岩は伊藤家のほうに何度も手を合わせその薬を飲む。菊之助さんのお岩の一つ一つの仕種が丁寧で細かい。そのこととは別で非常にストイックなお岩である。その為幽霊となって出てくるのは当たり前と思わせるがこちらにゆとりを与えない。もう少しお岩に可愛さがあると膨らみも出る。染五郎さんの伊右衛門も殺人鬼の印象が強い。単なる幽霊話のアニメではなく人間界の話である。操られているだけではない人間の感情の機微が欲しい。

何役かスムーズにこなされている。その出方も綺麗である。幽霊の仕掛けも自然に場の空気を廻している。これからなのかもしれない。伊右衛門とお岩の<蛍狩>は夢ではない心の交流の合ったものたちの芳香を感じ取らせる。戸口前の送り火にほのかに照らし出される伊右衛門のふっとした淋しさにもその兆しがあった。