講演 『荷風をめぐる女性たち』 川本三郎

市川市文学ミュージアムで、川本三郎さんの講演「荷風をめぐる女性たち」を聴く。今までこちらでのイベントは市川在住の人でなければ参加出来なかったが、今年から空きがあれば参加可能ということである。

川本さんは、その著書で永井荷風さんの「断腸亭日乗」を踏まえて、永井さんの東京散歩のブームをつくったかたである。今回は東京散歩が一般化したのでと、荷風さんの周囲にいた女性たちについて講演された。時間たちメモをながめても荷風さんが愛した女性が誰であったのかよく判らないのである。川本さんも話の最初に、荷風さんの時代の恋愛は今の感覚とは違っていることを強調されていた。

荷風さんは新橋の芸者をモデルに「腕くらべ」を書き、銀座のカフェ・タイガーに通い「つゆのあとさき」を書き、私娼の玉ノ井に通い「墨東綺譚」を書かれている。荷風さんの場合、そこに足しげく通ってもそれは取材のためであり、作家であることの野心は忘れないのである。

荷風さんの母親・恆(つね)さんは、一宮出身で漢文学者・鷲津毅堂の娘であり、父親の永井久一郎氏は、尾張藩士の息子で、鷲頭毅堂の弟子であるから師の娘をめとったことになる。のちに米国に留学もしている。荷風の渡米も父の勧めである。荷風さんは二十歳のころは落語家朝寝坊むらくの門人となり、三遊亭夢之助を名乗たっり、福地桜痴の門に入り、歌舞伎座作者見習いとなり、拍子木を入れたりしている。

40代の頃は森鴎外さんを尊敬している荷風さん、鴎外史伝の仕事に影響され祖父・鷲頭毅堂氏の資料など探究したりもしている。全くの想像であるが、川本さんの話しと年譜などから総合判断すると、荷風さんの女性観の一方に母親・恆さんがある。自分の仕事の対極に鴎外さんがあるのと構図が似ているように思う。

荷風さんは39歳の2月より、三世清元梅吉さんに師事している。永井荷風展の資料の中に、昭和30年9月11日の清元梅吉さんから荷風さん宛の手紙に、今月は中村吉右衛門の追善興行で法界坊に出ているとある。(この月の演目と出演者は興味があるので後で調べたい)

荷風さんは歌舞音曲は好きだったようで、浅草へ通ったことからしても、その上下関係は無かったようである。映画「つゆのあとさき」の映画に関しては、「銀座街上及びカフェの空気、映画に現れず全体に面白くなし」と批評している。

永井荷風展では荷風さんが見た映画なども調べられていた。

川本三郎さんには、荷風さんの映画についての話もききたかった。講演後、サイン会があり、川本さんの著書「映画は呼んでいる」にサインしていただいた。「この本はかなりマニアックですよ。大丈夫ですか。」といわれた。「大丈夫です。頑張って読みます。」と答えたが、頑張って読んでいない。サラサラと流した。映画を見てから詳細に読まないと変に植えつけられる部分がでてくるのである。水木洋子さん脚本で山下清さんモデルの「裸の大将」では、花の事がかかれていた。記憶に残っていない。こちらは山下清さん役の小林桂樹さんを見入っていた。口のとんがらせ方とか。先日、松本清張原作・野村芳太郎監督「張り込み」を見た。この列車やバス、車の移動には、事件の犯人の現れるのを待つ観客としては、刑事と一緒に張り込んで追いかけている。さらにこのDVDには「シネマ紀行」の映像もふくまれていた。ほとんどがロケーションで撮られ、現在と比べていた。さらに街に流れている流行歌が時代をあらわしている。もう撮り得ない映像である。

川本さんの本の「張り込み」を読んだらマニアックであった。刑事は犯人が佐賀に住む、かつての恋人のところへ来るであろうと考え、東京から九州の佐賀まで急行さつま号で24時間かけて張り込みのため移動するのである。その途中での乗り換え駅が出ていないと。これは原作が読みたくなる。頭に映像が残っているうちに文字でなぞって置きたいのである。ただ高峰秀子さんのいつもと変わらぬ後ろ姿なのに、日傘が微かに静かに回っていき心の中を表し、何か違うと思わせる。これは文字で表現されているであろうか。この辺の映像と文字の対決も見ものである。

 

水木洋子 『北限の海女』

水木洋子さんの市民サポーターの教え通り、横浜の放送ライブラリーで、ラジオドラマ『北限の海女』を聴くことが出来た。力作である。映像ではないので音だけで、こちらの気持ちに添って映像を造りつつ聞くというのも迫力がある。

水木洋子邸に参考資料として、この作品の取材の様子を書いた一文、「磯焚火」がコピーされていて自由に持ってこれた。作品の登場人物について次のようにある。「一人は命綱を握る夫と娘たちと幸福に山の上に住み、貧しい下町に住む一人は、夫を北洋の海で失い、一人息子がまた同じ海へ出ていると言う七十八才の海女である。産気づくまで海で働き、自分一人で生み、産湯を自分の手でわかし、今でも海女として、腕も体力も絶対若い者に負けないというベテランで、上町の海女と下町のこの海女は春のコンクールにトップを競い合っていた。」

この山町の海女が賀原夏子さんで声にこもるようなふくよかさがあり、下町の海女は原泉さんで独特の凄味のあるしゃべり方、旅人の私は荒木道子さんで若々しい都会人の趣きを出しており、二人の海女の方言と標準語のトーンだけ聴いていても、その生活している風土の違いがよく伝わってくる。目で脚本を読んでいたので、サポーターのかたが、さすが出演者の方言がいいですが、分かりずらいかもしれませんとの言葉も危惧に終わった。この声の澄んだ都会の私は自分の標準語で生き方を見つけて行くであろう。水木さんは出演者を選ばれたのであろうか。映画『にっぽんのお婆ちゃん』にしろ、よくその役者さんの特徴と役者さんの役どころを知っていて、上手く重ねてその作品にあてはめたり、新たな挑戦をさせる。

テレビドラマ『なぎ』(漢字で書かれているがさんずいに嵐と書き水木さんの造語である)『こぎとゆかり』の二本も見ることができた。『なぎ』は信州の洪水によるがけ崩れで両親と兄弟を亡くした少年が無くなった村を訪ねると母方の祖父とその仲間の老夫婦が傾いた家に居残っていた。少年はその温もりに安堵するが、祖父と友人の老人は、放送局で二人の持論の天災ではなく人災であるという説を存分に話してくれと連れ出され精神科の病院に収容されてしまう。それでも少年は山に向かって、暴れないで静かにしてくれよ、暴れない山が好きなのだからと語りかけるのである。

『こぎとゆかり』は、おばちゃんの北林谷栄さんと孫の大原麗子さんのコンビである。おばちゃんは、認知症が出てきている。それとゆかりは日々闘っている。おばちゃんのとんちんかんさとそれに翻弄されつつも、自分の位置を見失わずに、自分の青春を失わせないでと望む葛藤を大原さんは勝気さと情の間で揺れる感情を上手くだしている。文通している青年との交流と別れ。それが、お婆ちゃんと同道する明治村で展開される。その場所設定もドラマを面白くしている。テーマも解決されない今を映していて古くないのである。

その他、水木洋子さんのテレビドラマとしては『竜馬がゆく第16回』『出会い』『灯の橋』『女が職場を去る日』『五月の肌着』がみれる。

 

立川志の輔 『中村仲蔵』

落語の『中村仲蔵』はそう長い噺ではない。天明の頃、歌舞伎の血筋ではない、後に名優と言われた中村仲蔵が名題にまでなり、その最初に与えられた役が「仮名手本忠臣蔵」の五段目の斧定九郎(おのさだくろう)である。この役はは名題下が勤める役どころで、仲蔵にして見れば嫌がらせともとれるものである。仲蔵は何んとかこの役を自分の工夫で見せたいと願い舞台にのぞむのである。

志の輔さんは「仮名手本忠臣蔵」の説明から入った。『牡丹灯籠』の時は、その人間関係の複雑さから概略を説明された。今回は<赤穂事件>から47年たって初演され、それも時代を鎌倉に変え、登場人物の名前も変え、単なる<赤穂事件>が敵討ちの話「仮名手本忠臣蔵」となって蘇らせたた事を話された。そして、「仮名手本忠臣蔵」の粗筋を十一段目まで解説していくのである。

これが幸いなことに、歌舞伎の場面、場面を思い出させ、あの時のあの役者さんはこうだったと思い出させてくれるのである。さらにそこでの役者さんの華があったか、腹があったか、心理がにじみ出たかまで走馬灯のように浮かび上がらせてくれ、やはり「仮名手本忠臣蔵」は大作で役者を見せる出し物であると再認識させてくれた。その中で、斧定九郎の役はお客が弁当を食べつつ、ここで定九郎が与一兵衛のあとからどてらをきて出てきて呼び止めて終わって、次がと箸を動かす程度の役である。大作なるがゆえに如何に斧定九郎という役がつまらない役であるかを叩きこんだわけである。その役を仲蔵はどうしたのか。

志の輔さんは小さな噺の中に大きな「仮名手本忠臣蔵」を入れてしまったのである。歌舞伎の中の小さな落語の噺ではないのである。落語の中に歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」を封じこめたのである。なぜ出来たか。前もって「仮名手本忠臣蔵」を説明することによって聞き手は仲蔵になっているのである。仲蔵の口惜しさ。何いってるか。工夫を見つけてやる。仲蔵の頭も身体も、「仮名手本忠臣蔵」の全てが入っているのである。聞き手は芝居の粗筋を知っただけであるが、仲蔵の気持ちは十分にわかる。志の輔さんの罠にはまってしまった。

上手く工夫が浮かぶようにと、柳島の妙見様へお参りし、37日の満願の日の帰り道、蕎麦屋で雨宿りしていると浪人が駆け込んでくる。黒羽二重の紋付に、五分月代(ごぶさかやき)、大小をさし、着物のすそは高くはしょり、壊れた蛇の目傘。 できた! 斧定九郎は、赤穂の家老職のむすこである。どてらの身分ではない。

斧定九郎の出。反応無し。お客は驚き静けさのあとに・・・。反応無し。最後まで無反応。                        しくじった・・・・!

役者修行のため身を隠して旅へ。人の中を歩いていると、定九郎を褒めている声が聴こえる。一人でも褒めてくれる人がいる。聞き手はもう仲蔵になっているから、嬉しくて目がじわじわとしてくる。違う芝居の定九郎の話が出てくる。えーっ!それじゃ、下手人は勘平じゃない。これには参ってしまう。降参である。泣かせておいて笑わせる。勘平が定九郎を殺した犯人にされてしまった。定九郎が勘平より上になったのである。よくドラマで思いがけない人が人気が出て消えてしまうところを消さないでと嘆願するようなものである。この情から笑いへの転換、情の上に笑いを重ねる職人芸。

志の輔さんは、松竹の回し者ではありませんが、歌舞伎座11月、12月は「仮名手本忠臣蔵」ですと。こちらも、松竹の回し者ではないが、11月の斧定九郎は松緑さん。12月は獅童さんである。今の歌舞伎の斧定九郎のしどころを楽しむのも良いかもしれない。

志の輔さんの『中村仲蔵』は二度目であるが、江戸時代の名題下は幾つかに分かれていて仲蔵がいかに芝居が好きで一生懸命だったか、蕎麦屋に駆け込んだ浪人がゆったりと大きくつくられたこと、泣きから笑へのかぶさりかた、この辺が濃厚になっていた。その位の濃厚さがなければ噺の中に大忠臣蔵は取り込めないであろう。

平将門の上空旋回

吉川英治著「平の将門」を読んでいて驚いたのは、菅原道真の三男・景行が出てきた時である。道真の子がなぜ。小説によると、筑波山のふもとにわずかな菅家の荘園があり、景行は父の遺骨をもって筑波のふもとに祀り、そのまま住みついて地方官吏の余生を送っているとあった。その景行が創建したと言われる大生郷天満宮が常総市にある。

市川市の永井荷風の姿をよく見かけたという白幡天神社は、太田道潅の建立とのいい伝えもあり白幡神社だったのが、明治になって菅原道真を合祀して天の字を加え白幡天神社となり、「白幡神社」の扁額は勝海舟が書いて奉納している。

常総市には、累(かさね)の墓のある法蔵寺もある。歌舞伎では「色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)ーかさね」の舞踊でお馴染みである。これは佑天上人の霊験譚として語り伝えられていて、法蔵寺には、累の木像や佑天上人が用いた怨霊解脱の数珠も保存されているようだ。伝説では、苅り取った豆を累に背負わせて、うしろから与右衛門が鬼怒川に突き落とし窒息させたとして、舞踏で、累が鎌で与右衛門に殺されるのはこのあたりの話からきているらしい。

さらに、千姫の墓もある。千姫は家康の命で大阪城落城の際、救出される。千姫の映画で記憶に残るのが、「千姫と秀頼」の美空ひばりさんである。江戸城にもどった千姫は祖父家康を恨み、気がふれたような行動をとる。それが凄い印象で残っているのだが、You Tube に千姫のひばりさんが祖父家康の前で薙刀を持ち踊る場面があった。その形の良さは驚くばかりである。是非 「千姫と秀頼」は見直したい。秀頼は当時の中村錦之助さんである。

千姫のお墓は東京の小石川傳通院にもあり、千姫はその後、桑名藩の忠刻と結婚するが死に別れ落飾し、その時からこの地にある弘経寺を菩提寺と決めている。この寺に崇拝する了学上人がいたからとされている。

将門の終焉の地は、現在の坂東市岩井にある国王神社である。今年は平将門公生誕1111年で、将門まつりが11月10日(日)に行われるらしい。小説では猿島で敗死とされているが、ここが昔猿島と呼ばれた地かどうかはわからない。石下に行ったとき坂東市のパンフも貰ってきたのであるが、処分してしまった。どうも地元の地図が無いと頭の中に描ききれない。

読んでおられる方はもっと描ききれないことであろう。こういう事は、人に言われたからと言って興味が湧くものでもない。どこかで、出会っていても興味が湧かないものは沢山ある。何かそういった事があったなあと素通りして、あれっ!と思ったときに自分で調べるのがよい。

平将門を討った平貞盛はのちの平清盛へとつながるわけで、貴族社会の番人を武士に据えることになったのは、平将門の登場があったからであり、この人なく平清盛も源頼朝もないのであり、徳川家もないのかもしれない。

電車に乗れば駅でパンフレットを手当たり次第に貰ってくるのだが、その中に面白いのがあった。あの鵺(ぬえ)退治 道後温泉  四国旅(6)の源頼政 の頼政塚が千葉県印西市にあった。京都宇治からなぜ。

似仁王(もちひとおう)を立て、平家打倒で闘い敗れ、宇治の平等院で自害した頼政である。解説によると、頼政は自害する時、二人の家臣に「自分の首を持って馬を引き東国へ向かえ。重くなったら、そこに塚を築いて首を葬れ。」と遺言。二人は遺言通り、首が重くて進めなくなり、その地に首を葬り塚を築いた。同じような伝承が茨城県古河市にもあり、古河市には頼政神社があるという。これは、将門に対する憧れの気持ちではないだろうか。東国が武士の発祥の地という。

 

平将門の伝説と史実

歴史的伝説と史実というのはその境目が難しい。興味を持ったが運のつきで、気にもしていなかったことが気になり始め、底なし沼に足を取られかねない。

友人が茨城に引っ越した。やっと訪問することができた。最寄りの駅が関東鉄道常総線の駅である。この線には、石下駅、下館駅がある。石下は、いしげ結城紬の町で、ここに行って結城紬といしげ結城紬が別ものであることを知る。さらに小説「土」の長塚節誕生の地であることも知りその方が興味深かった。夏目漱石の推挙で朝日新聞に連載されたのである。短歌から小説へと才能を伸ばすが36歳で亡くなる。映画「土」は内田吐夢監督である。

そして、平将門の館跡と思われる将門公苑がある。これは、後になって将門が身近に出没し気がつくのである。関東鉄道常総線の辺りは将門伝説と史実が入り組んでいることだろう。

下館は陶芸家板谷波山さんの生まれた町であり、波山さんが完成させた葆光釉磁(ほこうさいじ)は光沢を押さえつつもその曲線部分に柔かな光の反射を投げかけられる。下館には「板谷波山記念館」がありこの辺りもプラプラと歩いたのである。板谷波山の映画もある。「HAZAN」(監督・五十嵐匠/主演・榎木孝明)。波山没後50年でドキュメンタリー映画「波山をたどる旅」(監督・西川文恵)も出来たらしい。

友人宅のほうは、心地よいおもてなしで将門も波山も飛んでいた。今度機会をみて話すこととする。

将門伝説のほうは、水木洋子邸でサポーターの方から教えられたが、市川市のパンフを見ていたら書かれてあった。市川の大野に将門の出城があったらしく、大野城跡とある。歴史家によると市川には来ていないという説もあるようで、馬を駆使しての行動であるから、ここに城や屋敷は作らなくてもこの地を眺め渡した将門の姿はあったであろう。大野にある駒形大神社の祭神とし将門も併祀(へいし)されている。市川市役所の前に、八幡知不森(やわたしらずのもり)というのがあり、それは、平貞盛が将門の乱のときここに八門ある陣をしき、その死門の一角を残していてこの地に入るものにたたりがあるとされている。八門とは、開門・休門・生門・傷門・杜門・景門・死門・驚門で、開門・休門・生門の三門は吉門の方位を示すようだ。当然、死門は悪い方位であろう。行ってはいないが、森というより藪のようである。

御代の院と呼ばれるものもあり、これは、京都の菅野氏が将門平定のため関東に下り、その妻の美貌を使い将門に近づき内情を知らせさせ、それにより、将門は田原藤太秀郷の強弓に首を射抜かれた。その後、菅野夫妻は仏門に入り将門を弔いこの世を去ったが、その心根に里人が夫妻を祀り、これを御代の院と呼んで今日にいたるのである。

この御代の院の近くに幸田露伴終焉の地があり、露伴さんは「平将門」を書いており、将門伝説の残る地で最後を送ったというのも思えば不思議なことであるが、司馬遼太郎さんは関東・東北は馬文化であると言っており、馬の進むところ武士ありで、坂東武者の祖の将門は今も神出鬼没と言えるかもしれない。

 

歌舞伎座 『九月花形歌舞伎』 (2)

歌舞伎座新開場記念 新作歌舞伎 『陰陽師』

作・夢枕獏 / 脚本・今井豊茂 / 補綴・演出・斎藤雅文

『陰陽師』に、<滝夜叉姫> と添え書きされている。観ての概略は、平将門が都から東国に帰り乱を起こす。将門の友である俵藤太に将門討伐の勅命が下る。藤太は将門の行動が納得できず、自分の目で確かめた上でどうするかを決めようと考える。しかし将門は、藤太が知っていたかつての将門ではなく藤太は将門を討つこととなる。

それから20年後都では、盗賊が荒らしまわったり、子供を宿した 母親が殺されたりと不穏な空気で満たされている。そんな時、帝の命で、陰陽師の安倍晴明が平貞盛の病を治すべく様子を見に行く。晴明には、常に友であり笛の名手の源博雅がそばについている。博雅の笛の音に魅せられて現れた美しい娘は、将門の娘滝夜叉姫で、盗賊を率い、貞盛の病も滝夜叉姫が係っていた。

将門を焚き付け乱を起こさせたのは興世王で、将門亡き後、将門を慕う娘・滝夜叉姫を利用し将門討伐に加わった者たちを亡き者とし、将門の再生を企んでいたのである。この時には興世王は実は藤原純友なのである。しかし、それも晴明の陰陽師の力によって打ち負かされてしまう。最後は、将門と藤太の友情、晴明と博雅の友情が前面に出され、滝夜叉姫も博雅の美しい笛の音に心穏やかになることが出来るのである。

俵藤太はムカデ退治で有名な藤原秀郷で、将門討伐への途中、ムカデ退治の場面もある。さらに、将門の愛妾桔梗の前と藤太はかつては恋仲であり、藤太を将門の闇討ちから逃がしてやり、興世王に殺される。将門と桔梗の前との子供が滝夜叉姫である。

場面は現在、20年前、現在、20年前、現在と設定し、20年間その怨念を興世王を通じて純友は育て続け将門再生を企てるのである。ただ、将門の死までの前半は面白味にかけていた。後半からの晴明の信太(しのだ)の森の白狐の血を受けているという事を前提としての陰陽師としての力に対する晴明の微かな悲哀と、揺るぎなき血を受けている博雅の屈託ない交流が場面を、明るくしてくれる。そして、興世王の呪縛から解き放された将門と藤太の将門に対する友情が締めてくれた。

『忍夜恋曲者』の滝夜叉姫のイメージがあるので、今回の<滝夜叉姫>の副題は必要ないような気もする。最初の何かに乗って現れた滝夜叉姫の出ももう少し工夫が欲しかった。後半の心理劇の加わりによって助けられたように思う。

安倍清明・ 染五郎 / 平将門・ 海老蔵 / 興世王・ 愛之助 / 桔梗の前・ 七之助 / 源博雅・ 勘九郎 / 俵藤太・ 松緑 / 滝夜叉姫・ 菊之助

平将門が都を去ることを告げる時と藤太と東国で会う場面は興世王に操られているということなのか海老蔵さんが全然生かされてなかった。興世王の企みに従わず再生を拒んだところでやっと見せ場がありホッとした。染五郎さんの狐を使っての晴明の心を遊ばせて自分を解放させる下りは、笛の音と共に美しい場面であった。その晴明の心の内を理解することなく、屈託なく、自分は晴明、君の友達だよと云う勘九郎さんと晴明のコンビが中々良い。松緑さんもまだ形と無らない動きなのでしどころに精彩がなかった。愛之助さんと染五郎さんの異界での争いであるが、その辺は納得出来た。時々出没する蘆屋道満の亀蔵さんも異界の愛嬌者として活躍していた。菊之助さんが将門を慕う気持ちはでているのだが、妖艶な滝夜叉姫としての輝きどころがなかった。

小説も映画も観ていないので、こういう事なのかと楽しませては貰った。