奈良の柳生街道(3)

2日目。滝坂の道コースである。この道は石仏を見て歩くコースである。どんな現れ方をしてくれるのかワクワクである。先ずは1日目見ることの出来なかった<円成寺>からである。思っていた以上に心地よい迎え方をしてくれる。楼門(ろうもん)と本堂を映す庭の池が、これは紅葉の頃はたまらない美しさであろうと溜息が出る。さぞ混雑するであろうと思うが、お寺の方の話しだと、駐車場がバス2台しか入らないそうである。ここは、バスの便を考えるとどうしても避けてしまい、先に他をと思ってしまう場所である。

 

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円城寺>には、 運慶の最初の作品ではないかと言われる、若き運慶作の国宝大日如来像がある。後白河法皇によって寄進されたという多宝塔(現在は三代目)に安置されていて、保護のためにガラス張りである。光の加減から、ガラスに顔を近づけ両手で光をさえぎって観るとよい。写真でしかはっきりと観れないが、均整のとれた姿で、頬がふっくらとしていて、髪の毛一本一本がわかるような彫り方である。

他の女性お二人は、神奈川の金沢八景から来られていて、金沢文庫にこの仏像がきたとき、間近から拝観されたそうである。うらやましい。このお二人から、急に滝坂の道を私たちもこれから行きたいと言われたのであるが、私たちは初めての道で、昨日も道に迷っているので、申し訳ないがご一緒出来ないとお断りする。本堂の阿弥陀如来坐像、可愛らしくて聡明な聖徳太子立像、四天王立像などを拝観し、1時間ほどここで時間を取り出発である。

さっそく石畳の道となり東海道の箱根を思い出す。迷うことなく順調に進む。広い道路から集落に出て、峠の茶屋があるが、茶屋は閉められていた。これからいよいよ石仏群の道に入るかなと思ったら、左手に無理をしないようにと言われた道の入り口にさしかかる。そこで後ろからこられた夫婦連れのかたに挨拶すると、お二人は左の道を進むという。何回か来ていてその道を歩いているということなので、同道を申し入れる。快諾してくださる。やはりアップダウンの道である。

地獄谷石窟仏>を観ることができた。以前は無かったというが、やはり保護のため柵などがあるが、石仏絵には彩色が残っている。途中ご主人が、以前来た時と道の様子が違うからと先に様子を見にいかれる。やはり初めての同道者がいるので気を使ってくださる。大丈夫のようである。盛り土されたような細い道もあり、山道である。お蔭さまで基本の柳生の道に辿りつき、<首切り地蔵>の前にでる。

 

 

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首切り地蔵>は首に亀裂が入っていて、これは石質が軟弱だからなのであるが、荒木又右衛門の試し切りとも言われている。それにしても、お地蔵様の首を試し切りとは、荒木又右衛門も剣豪ゆえの迷惑な言われ方である。荒木又右衛門も、新陰流である。そういえば、武蔵も荒木又右衛門も、12月の歌舞伎座と国立劇場の演目に関係してくる。12月の国立劇場『伊賀越道中双六』はかなり複雑な話となるようで、あぜくら会の集いで、吉右衛門さんをゲストに解説とトークショーがあった。三大仇討ちの一つ<伊賀上野の仇討ち>を題材にしている。12月は仇討ちの月のようである。

 

 

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今はこの<首切り地蔵>の場所は休憩所があり、ここで持参の昼食をとることにする。春日山の原生林の中であるが、何本か道があり、休憩所もあるため、人の通りが一番多い。食事後、ご夫婦がこのまま進みますがといわれ、再び同道させてもらう。川の流れを交叉しつつ歩き、滝坂道弥勒三尊磨崖仏(たきさかみろくさんぞんまがいぶつ)・朝日観音滝坂道弥勒立像磨崖仏(たきさかみちみろくりゅうぞうまがいぶつ)・夕日観音に逢うことができた。木々の間から朝日を浴びることから<朝日観音>、夕日に映えることから<夕日観音>と呼ばれている。

 

朝日観音

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磨崖仏

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この道を通った修験僧は何を思ってこの石仏を彫ったのであろうか。六道のどの道の煩悩に苦しんでいたのであろうか。そして、剣豪たちは、何を思いつつこの石仏の道を歩き、柳生を目指したのであろうか。石仏のその剥落のみが知っている柳生の道である。

時々振り返りつつ、柳生の石畳みの道との別れを惜しむ。

 

 

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そして、春日大社の若宮神社のそばでご夫婦とお別れする。お二人のお蔭で、2日目はスムーズに滞りなく、柳生街道を愛でることができた。そして、二人では無理と思っていた<地獄谷石窟仏>への道も歩くことができた。途中で、新薬師寺に行くならこちらですよと言われたのであるが、友人にはまたの機会にささやきの小道から志賀直哉旧宅、新薬師寺、百毫寺、ならまち、元興寺のコースを別枠で回ってもらいたと考え、春日大社、東大寺の方を勧める。

そして、二人は、次の道をお互いに想い描いていて、帰ってからすぐ、その計画は迅速に進んでいる。