明治座 11月 『高時』

11月の明治座は、10月の新橋演舞場に続く、<市川猿之助奮闘連続公演>である。

『高時』は、河竹黙阿弥さんの<活歴>と云われるもので、これが厄介なのである。<活歴>というのは、明治時代に入り西洋の文化も入ってきて、当然歌舞伎界にも波紋が起こり、九代目團十郎が河竹黙阿弥等と新しい歌舞伎として始めた史実にもとずいた歌舞伎作品をいうことらしい。ただこれが、当時の團十郎さんや黙阿弥さんの意図する作品として継承されたかどうかは疑問の残すところで、解釈的にはその流れを研究されている専門家のかたの研究を探索するしかない。ただ黙阿弥さんが幕末から明治にかけて、時代の流れに生身を通して書かれた<活歴>ものの作品の中で、置き去りにされたものも沢山あるようだ。

芝居のほうの『高時』は、明治17年「北條九代名家功(ほうじょうくだいめいかのいさおし)」(黙阿弥69歳)として九代目團十郎によって上演され好評を博し、その後『高時』の場面のみが上演されているのである。

北條高時は、「太平記」では北條時政から九代目で、次のように書かれている。

「高時の行状ははなはだ軽薄で他人を嘲りを意に止めず、政治の仕方も道にはずれて民の苦難をかえりみず、日夜もっぱら遊興にふけって、地下の祖先の偉業を傷つけ、朝に晩に珍奇な品々をもてあそんで、荒廃の期を目前にむかえようととしていた。」

遊興の中に、闘犬と田楽舞を好むことも含まれるらしく、その事と天狗にたぶらかされたとの逸話を盛り込んだ場面の芝居となっている。駕籠に乗った闘犬に母が噛まれ、その息子が犬を殺してしまう。高時はその男を殺すよう命じるが、家来がいさめる。聞かぬ高時に入道は、きょうは祖先の命日であるからと言われ、いやいや承諾する。そのやりとりで高時の横暴さがあぶりだされる。酔った高時の前に烏天狗が現れ、高時を田楽舞いに参加させ、高時も興にのり踊り始める。しかし、次第に踊りの中でいいだけ烏天狗に翻弄され踊り倒れ、高時の行く末を暗示することとなる。

主人公の高時が、横向きで登場するが、これは、歌舞伎では異例のことだそうである。この芝居が上演された時、批判が続出したようで。『頼朝の死』で頼家が横向きで登場するが、明治では、まだ考えられない形だったのである。ただ頼家と高時では、人物設定が違うので、その効果も違う。

横暴な高時としては、市川右近さんの高時は少し弱すぎる。ただ、烏天狗と市川右近さんの高時の踊りの場面は楽しく、次第に翻弄される身体の動きも軽快で、空中を飛ぶ仕掛けも、高時が違う世界にいる面白さがあり、澤瀉屋の世界である。解かりやすい澤瀉屋の『高時』である。

戯作作家は、上演回数の多い作品で作家としてのイメージを定着されてしまう。それは、上演されなければ作品の意味がないからである。しかし、それだけで決められてしまう評価に対して、納得のいかない部分もあるのが戯作者としての宿命なのかもしれないなどと、いつにない感覚を黙阿弥さんに持ってしまった。

しかし、この感覚に引っ張られていくと、底なし沼にはまりそうな深さも感じるので、とぼとぼ引き返すこととする。

 

新橋演舞場 11月 『京舞』

『京舞』も芸道ものであるが、こちらは、実在する京舞の井上流三世家元井上八千代さんと四世家元井上八千代さんのお話である。四世家元は、井上流に内弟子として入られ、三世家元の厳しい指導を受け、四世家元を継がれる。

現在活躍されている五世家元は、四世家元のお孫さんにあたられ、その芸の継承模様は、テレビのドキュメンタリーでも紹介されていた。

北條秀司さんの脚本は、芸の厳しさの中に人間としての日常の可笑しさも含めつつ、話を膨らませ、ぐいぐい引っ張ていき、観客を楽しませてくれる。祇園の<都おどり>の初めての振り付けをしたのが三世で、舞台には<都おどり>の様子も加え、<手打ち式>も行われる。<手打ち式>とは、かつては、京の顔見世の芝居の役者さんの乗り込みを迎えるものであったらしいが、現在では、慶事の席で披露される伝統芸能となっている。これを観れるのが、舞台『京舞』の楽しみでもある。

芝居では三世家元(片山春子)が内弟子愛子を次の家元として決めていて、孫の片山博通と結婚させる。そして百歳のお祝いの席で「猩々(しょうじょう)」を舞いおさめるのである。

そこまでの人間片山春子と師匠としての片山春子を水谷八重子さんは、風格を持って時には奔放な性格を爆発させながら芸に身を奉げる一途さを演じられる。愛子の波野久里子さんは、内弟子として若々しく甲斐甲斐しく働き、練習に励む。そんな愛子をそれとなく支える片山博通の勘九郎さんのさりげなさに好感がもてる。春子亡きあと、愛子は家元として井上流をりっぱに引っ張って行き、芸術院賞を受賞し、芸術院会員となり、その祝いの席で、「長刀八島」を踊るのである。その夜、愛子は博通に先代が観にきてくれたと告げ、芸に打ち込めたお礼を博通に伝える。

この芝居では、八重子さんと久里子さんは孫ほどの歳の開きのある関係であり、久里子さんと勘九郎さんは夫婦の関係である。それが、不自然でないのは、それぞれの役者さんの力量である。前回の公演のときよりも、八重子さんの老け役は手の内で、久里子さんは娘時代から芸が認められる年代までを自然な流れで演じていかれる。孫であり夫である勘九郎さんの優しさの変わることのない年齢の流れも違和感なく観て居られる。

舞台上の井上流を支えれ周囲の人々も、新派という劇団の息の合いかたが、上手く作用して小気味が良い。春子の性格をよく知っている料亭の主人の近藤正臣さんと八重子さんも息がぴったりで、後継ぎを話す相手として納得できる。

これだけ大勢の役者さんが出てきて、ダレさせることなく見せれるのは、やはり、長い間、お互いの芝居をみて進んできた新派の良さであると思う。

片山春子の役は八重子さんは、十七世勘三郎さんを踏襲していくと言われた。当然、久里子さんは愛子を演じた初代八重子さんを踏襲されるのであろう。

追善挨拶は『京舞』の劇中で行われる。一回目に観たときはゲストは上島竜兵さんで、勘三郎さんと呑んだとき、夜中も過ぎ、明日仕事が早いのでこの辺で帰らせていただきますと言ったら、僕も早いんだよ、あなたと同じ舞台に立ってるんだからと言われて困ってしまったと言われた。

他でも、勘三郎さんは、明け方まで飲んでいるにも関わらず、その日の舞台には何かしら新しい工夫があって、寝ないで考えてきたなと思ったことが何回もあると言われていたのをどこかで見たか聞いたかしている。『京舞』のように長寿であっていただきたかった。

近藤正臣さんは、十七世勘三郎さんと一緒だった舞台での、十七世の演技を身振りで説明され、二回別々の演技の話しであった。まだ幾つか別の話しをされているのかもしれない。

柄本明さんは、新派に参加させてもらって、どうしたらよいのか解らないといわれていた。謙遜ではないように思えた。勘九郎さんの鶴次郎の前で、毎日自分の位置の定まらなさに苦慮されているかもしれない。いいとか悪いとかいうことではない。安易に収まろうとする自分に待ったをかけているようにおもえたのである。さてどうであろうか。もしそうであるならこういう時、勘三郎さんはどんな言葉をかけられるのであろうか。

作・北條秀司/演出・大場正昭、成瀬芳一 /舞踏振付・井上八千代/

友人は「観に来て良かった。良い物を観るために今度は一人でも出かけて来るよ。」と言っていたが、どうであろうか。