映画『父ありき』

映画『TOMORROW/明日』(黒木和雄監督)に小津安二郎監督の映画『父ありき』が挿入されている。結婚する花嫁は、病院に勤めている。結婚式といえども、戦時下である。皆が座ってまだかまだかと待っているのになかなか帰って来ない。結婚式に同席する同僚とともに走って帰ってくる。待っているほうは、とにかく空襲警報の鳴らないうちに終わらせたいのである。何とか写真も撮り終わる。

花嫁の同僚の一人が、もう一人の同僚に映画を観に行こうと誘うが、誘われたほうはそれどころではない。妊娠しており、相手と連絡がとれず困惑しており帰ってしまう。彼女は一人で映画を観るのである。

その映画が『父ありき』である。息子が父のお葬式を済ませた後、東京から妻と二人で秋田に帰る車中である。息子はしみじみと良い父であったと語る。妻は涙する。息子は、妻の父と弟を秋田に呼んで一緒に暮らそうと提案する。妻は喜んで笑顔を見せる。若い夫婦の会話とその妻の笑顔のほんの少しの部分である。息子は、幼くして母を亡くし父に育てられるが、父と一緒に暮らす年月も短かった。一緒に暮らしたいとの願いも虚しく父は亡くなってしまい、妻も母がいないので、義理の父と弟と賑やかに暮らしたいと思うのである。その思いを乗せた列車の去りゆく場面で映画は終わる。

父ありき』公開が1942年で、当然検閲を受けている。いま残っているものは、当時の映画をかなりカットされていて、音声も悪い。そのため、辻褄の合わないところもある。黒木監督は、敬愛する小津監督の作品を挿入したかったのであろうか。さらに、作品の内容に挿入したい意味があったのか、その辺が知りたくて観なおしたが、わからなかった。『父ありき』は戦争中とは思えないおだやかさで、父が息子の将来のために学業に専念できる環境を作ってやり、そのために父子離れ離れに暮らし、父が息子を思う心情と、息子が父を慕う心情を細やかに表している。

この細やかな父子の交流は、戦争高揚にとっては、不要のものかも知れないが、一応は検閲を通ったわけである。もしかすると、この息子の不安な気持ちが、精神状態の不安定だった中学生時代の黒木監督の想いと重なっているのかもしれない。

父親役は笠智衆さんで、中学の教師をしているが、修学旅行で生徒を事故死させてしまう。それが、箱根の芦ノ湖である。生徒が禁止しているボートに乗り転覆事故で亡くなってしまうのである。教師は自分がもっと強く注意していたらと後悔し教師をやめてしまう。そこから父子別々の生活となる。

修学旅行の場面で、箱根の曽我兄弟のお墓が映ったのである。箱根登山バスのⒽ路線の国道1号線に<曽我兄弟の墓停留所>があり、バスの中からもそのお墓が見えて、いつか降りたいと思っていたのであるが、先週、そこの一区間を降りて歩いたのである。映画のなかの中学生は、どこから歩き始めたのか~箱根の山は天下の嶮~と歌いつつそこを歩いているのである。三つ五輪塔があり、二つは十郎と五郎で、少し離れた三つ目は虎御前のものと言われている。

旧東海道歩きの<箱根湯本>から<畑宿>まで歩きバスで元箱根の芦ノ湖前にきて湖を見つつ食事して、前から気になっていた<曽我兄弟の墓>に行くことにしたのである。映画では芦ノ湖の先に富士山がくっきり見えるが残念ながら霞んでいる。<六道地蔵停留所>で降りると<石仏群と歴史館>がありそばに精進池が出現した。この池はバスからは見えなかったので驚きであった。そこで、地蔵信仰の石仏群があることを知る。

 

<石仏群と歴史観>でのパネル

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<六道地蔵>から<曽我兄弟の墓>のバス停一区間の左右に石仏があり、国道の下に地下道があり、歩けるようになっていたのである。<八百比丘尼の墓>。八百歳の長寿を得た伝説上の女性のお墓である。友人が言うに人魚を食べて長寿を得てあちこちにでてくるとのこと。「『陰陽師』に出てきた小泉今日子。」「天皇に頼まれて亡き親王が出現したら鎮める役目か。そういえば食べてた。この伝説からきているのか。」

3体の地蔵菩薩の磨崖仏の<応長地蔵>。地下道をくぐって<六道地蔵>。大きい。磨崖仏であるが、きちんとお堂で覆われている。岩とお堂とが上手く合わさっている。磨崖仏の地蔵菩薩坐像としては、国内最大級。ちょっとの寄り道が凄い手応えに。地下道を戻って進むと<多田満仲の墓>のこれまた大きな塔。平安時代に活躍した源氏の祖先とか。さらに進むと<二十五菩薩>で岩盤に幾つもの菩薩が彫られている。地下道があり、反対側にも<二十五菩薩>。

 

<六道地蔵>

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<多田満仲の墓>

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<二十五菩薩>

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最後が、<曽我兄弟と虎御前の墓>である。国道を進んだら、お墓の前に降りられない。細い道があったらしいのでもどってお墓へ。

 

<曽我兄弟と虎御前の墓>

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涼しげな着物姿のご婦人と息子さんらしいかたがおられた。後で友人が「浅見光彦とそのお母さん!」とそく思ったそうである。そこまで思わなかったが、暑い中で、すがすがしい感じであった。友人は、頭の中で、吹き出しも作っていたらしい。「箱根六道殺人事件」ができるかもしれない。死体は二十五菩薩の上で、どうやってあそこに運んだのか。

作家の内田康夫さんは病気のため、新聞に連載中の『孤道』が終了してしまった。熊野に行った仲間と回し読みしていたので残念である。療養され、お元気にならて執筆活動が再開されることを願うばかりである。

箱根の石仏群は二子山の石で、非常に硬く、西国からの石工の技術によって加工できるようになり、箱根の石畳もこの二子山の石が使われたらしい。現在では、<旧街道石畳バス停>付近(白水坂付近)の石畳が江戸時代の二子山の石らしいが、違いなど判らずに歩いてしまった。

しかし、バス停一区間であるが、箱根の地蔵信仰の人々の想いが伝わる場所である。暑かったが箱根の自然の良さが加えられたひと時であった。

そして思う。『父ありき』では、父は息子を男手で一人前にし、満足して息をひきとるのである。『TOMORROW/明日』は、あってはならない死である。父は教師として事故死というあってはならない死の責任をとり教師という仕事をやめるが、教師の道を選んだ息子には、しっかりと責任ある仕事であることを伝えるのである。

戦時中この父の様に順序立てて説得のできる大人は多くはなかったであろう。そうした中で誠実に語る父は、子供にとって信頼できる人であった。息子が子供の頃と大人になってから、同じ川で父子並んで釣りをするが、その釣竿の動かしかたがかつても今も同じペースで、父子の信頼関係は変っていないのである。

監督・小津安二郎/脚本・池田忠雄、柳井隆雄、小津安二郎/撮影・厚田雄春/音楽・彩木暁一/出演・笠智衆、佐野周二、津田晴彦、佐分利信、坂本武、水戸光子、

小津監督の絵、富士山も曽我兄弟のお墓もお城の石垣も有無を言わせない撮り方です。構図がきっちり決まっている。見ながら背筋を正してしまった。