四世鶴屋南北の旅(作品)

  • 大南北の旅、今度は気分まかせに作品から入って行きたいと思う。2006年、四国こんぴら歌舞伎での『浮世柄比翼稲妻(うきよがらひよくのいなづま)』の録画映像を観て、ここから潜り込んでみようかなと思う。『鞘当(さやあて)』が単独で、様式美と役者さんの大きさと台詞まわしの面白さとして上演されるが、これは『浮世柄比翼稲妻(うきよがらひよくのいなづま)』に挿入されている一部分である。DVDを観て、これは、その前の『名古屋浪宅の場』を観るともっと面白く観れることがわかった。

 

  • 鞘当』は、二つの花道から深編笠の不破半左衛門と名古屋山三が登場し、江戸の吉原仲ノ町で刀の鞘の先が当たり、何を!となるのである。この二人の衣裳が派手で立派で、二人とも吉原の花魁・葛木のところに通っている。お互いに刀を抜くことになるがそこへ止める人が入り収まるのである。止める人は、茶屋女房で留め女であるが、男の場合もある。半左衛門は黒地に雲と稲妻の模様に羽織つき。山三は浅葱色に濡れ燕模様に羽織つきである。深編笠をかぶっているから本舞台まで役者さんの顔は見えないが、ツラネの台詞とこの衣裳が観客にとっての御馳走である。

 

  • 鞘当』の前の場面『名古屋浪宅の場』では、山三の美しい小袖が、山三に仕えるお国という顔にあざのある下女が苦労して預けてあったのを請け出してくるのがわかる。山三はそれを着ての吉原通いなのである。山三は浪人で貧乏長屋住まい。お国が着物を請け出しに行っている間に恋仲の葛木がやってきて、山三の親の仇はどうやら半左衛門でその証拠をつかみたいとの話しがでてくる。鞘当でそれぞれの刀をたがえて鞘に収めるが、違う鞘に刀が収まるのが父を殺して奪った刀である証拠なのである。恋の鞘当だけでなく仇の証拠をつかむ鞘当ともなる。

 

  • 名古屋浪宅の場』では、南北さんお得意の毒薬も出てくる。お国の父・又平は伴左衛門に加担し、やり手のお爪との悪事。山三を殺そうと毒をしこむが、手違いから又平とお国が毒を飲んでしまう。お国はそっと山三を想っていたがその想いが叶い、瀕死の中、暗闇から葛木の元へ出かける山三に深編笠を渡し、お前が女房と言われ、手を合わせて死出へと旅立つのである。この場の幕開けから家に深編笠がかかっているのがわかり、ここで渡されるのかと納得する。家の中が暗いため、濡れ燕の小袖に着替えた山三はお国の状態を知らずに吉原へ出かける。小袖がローソクの灯りにきらきらひかり、模様の濡れ燕もお国の悲しさをおもわせる。お国の名前は名古屋山三と阿国の関係からかぶせているのだろう。お国の父の名が浮世又平であるが意図はわからないが何かあるのかも。

 

  • 名古屋浪宅の場』では、山三をめぐるお国と花魁葛木が出てくるが、女形が二役で演じるように工夫されている。こんぴら歌舞伎では猿之助(亀治郎)さんが二役で、山三が三津五郎さんである。雨が降れば雨漏りする家で、傘をさしたり、たらいを吊るして雨漏りを避けたりと大家や掛け取りとのやりとりも可笑しい。花魁の葛木が訪ねて来てそのアンバランスのやりとりとりや、ご飯の炊き方を面白可笑しく伝授したりとにぎやかな後に仇の話しが加わるという趣向である。

 

  • 芝居は濡れ場から殺しへと入っていく。お国は山三の錦絵を大切に持っている。娘が有名人や役者の錦絵を写真のように持っていたのがわかる。現代ではスマフォの画像であろうか。お国が山三の髪をなでつけるがその時流れるのが長唄の「黒髪」である。こういうあたりも心憎い演出である。お国の気持ちがよくわかる。鏡に映る山三とアザのある自分の顔。このあたりのお国の心情と山三のお国の心を知ってのしっぽりとへの流れがいい。その一方で又兵との悪巧み。殺しの場面へと入っていく。南北さんの細工は流々仕上げを御覧じろであるが、仕上げは、お国の哀しい最後である。

 

  • 鞘当』では、色男の山三の三津五郎さんは柔らかく、敵役の半左衛門の海老蔵さんも太々しさも垣間見せ、派手な衣装を着こなすお二人の役の違いが映える。留めの女・は猿之助さんで三役ということになりそれぞれを演じわける。お国の一途さとはかなさがが特に良い。猿之助さんは、ご自分の中で歌舞伎作品の分類化が明確にできているかたである。やはり、『名古屋浪宅の場』があると物語性が膨らむ。『名古屋浪宅の場』『鞘当』での『浮世柄比翼稲妻』を上演して欲しいものである。この作品、これだけではないのである。山東京伝の作品『昔語稲表紙(むかしがたりいなずまぞうし)』に出てくる名古屋山三と不破半左衛門の物語に、当時の世間に名高い白井権八と三浦屋小紫、幡随院長兵衛の話しを合わせてあるという。相当長くて複雑な芝居になっているようで、短いもので四世鶴屋南北作とあれば、その背後に大きく広がる物語があると考えたほうがよさそうである。〔浮世又平(秀調)、家主(市蔵)、やり手お爪(右之助・現齊入)〕

 

  • こんぴら歌舞伎で上演された所作事『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ) かさね』も四世鶴屋南北の作品『法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)』の一部分だが明治時代に清元の所作事として復活したもので、所作事なので役者さんの動きを見ているとあれあれ!と思う世界に引き込んでくれる。仮花道からすっきりとした立役の浪人・与右衛門の海老蔵さんが登場。本花道からは、与右衛門を慕って追いかけてくる腰元・累の猿之助さんの登場である。『色彩間苅豆』には、梅幸型と菊五郎型のふたつある。菊五郎型はふたりそろって花道からでる。小さい金丸座でさらに客席数が減ってしまうが『鞘当』で二つの花道をつかっているので贅沢な『色彩間苅豆』となった。

 

  • 次第に与右衛門は色悪となっていくのも見どころである。累は突然足が不自由になり、顔が醜くなってしまい、殺され、怨霊となって再び現れる。与右衛門の悪行が累にたたってしまうのである。与右衛門はかつて累の母と密通していて、それを累の義父・助にみつかり助を殺していたのである。川に卒塔婆と左目に鎌の刺さったしゃれこうべが流れてくる。卒塔婆には助の名前があり、与右衛門は卒塔婆を折ってしまう。すると累の足が不自由になり足を引きずって歩き、しゃれこうべの鎌を抜くと、累の顔が醜くなってしまうのである。そのたたりの恐ろしさに与右衛門は累に親の仇として討たれるかもしれないと、累を殺すことになる。演じる役者さんたちによって練りに練られて洗練されていき、月明かり、音楽、傘や帯ほどき、亡霊になっての引き戻しなどによって様式化されきた。海老蔵さんと猿之助さんでしっかり見させてもらった。

 

  • 法懸松成田利剣』は、醜い累が嫉妬深くて夫与右衛門に鬼怒川で殺され、その怨念が一族につきまとって様々なたたりをなすので、祐天上人が祈りによって解脱したという霊験譯をもとにしているらしい。累物は色々あり、南北さんがあったものから取り入れてさらに加えて自分の狂言を作りあげているのであろうが、そこのあたりは勉強不足である。『色彩間苅豆』は、かさねは自分の知らないところで悪があり、そこにはまって狂わされていくのが同情され哀れを誘うところで、時代の流れのなかで名作となった例であろう。清元を語るのは延寿太夫さん。尾上右近、清元栄寿太夫の二刀流の誕生も時代の流れのなかでの寿ぎごとである。

 

  • 南北さんの作品は、四月の歌舞伎座でもたっぷり観させてもらった。裏表といえば『四谷怪談』と『忠臣蔵』の関係もそうである。『四谷怪談』の大詰め「蛇山の庵室の場」は冬の場面であったのが、途中で夏のお盆の時期にかわり、夏の風物詩怪談物として受け入れられるようになったのである。南北さんは、あくまでも『忠臣蔵』と『四谷怪談』は表裏一体のドラマとして考えていたと思う。ただ『裏表先代萩』は、世話物としての要請があって小助を考えたようで、南北さんが最初から全面的に書いたわけではないようである。書いていながら、混乱してきたからもうやめた方がいいよという声が聞こえるのでこれまでとする。違う作品の映像もあるので、また、書きつつ探っていきたい南北世界である。『浮世柄比翼稲妻』の「名古屋浪宅の場」は浅草鳥越で、浅草関連の映画に今はまっているので、浅草の旅も加えつつ愉しみながら進めたい。さらなる声が、早く映画を観ようよと言っている。