『木田金次郎展』(府中市美術館)

  • 暑さのため美術館へ行くのが少なかったが、気に入ったのは『木田金次郎展』と『河井寛次郎展』である。

 

  • 『木田金次郎展』(府中市美術館)は、9月2日までなのでギリギリセーフであった。有島武郎さんの小説『生まれ出づる悩み』のモデルである画家・木田金次郎さんの作品が予想以上に沢山展示されていた。好い絵である。有島武郎さんと木田金次郎さんとの実際の出会いを小説だけではなく、木田さんの文章などからも紹介していて文学展としての意味合いもあり、複合的な展覧会になっている。

 

  • それぞれの生い立ちからどうして巡りあったのか。そのあたりも興味をそそるように展示物され、解説文を読むことで解き明かされていくようになっていた。解説文も読みやすかった。字の大きさなどから、その前に人が立っていても横からも読めるようになっている。この間隔が上手であり、なるほどこういう風にして読むことができる置き方というのもあるのだと思わされた。そのためしっかり時間をかけて見学する気にさせてくれた。

 

  • 木田金次郎さんは、北海道の岩内の海産物を営む家に生まれている。裕福で東京の中学校で勉学する。ところが、父が漁業に乗り出しうまくいっていたのが、岩内港の修復工事で木田家の漁場に土砂が流れ込み漁業が上手くいかなくなった。岩内にもどる金次郎さん。東京時代は、萩原守衛、高村光太郎、藤島武二、有島生馬などがヨーロッパから帰国し活躍し始めていた。そんな空気を感じつつの帰郷である。

 

  • ある時、札幌で有島武郎の表札の家に偶然出会う。金次郎さんは、黒百合会の展覧会で有島武郎と名のある絵に感銘を受けたことがあった。後日、自分の作品を持参して見てもらう。いい絵だといってくれる。有島武郎さん32歳、木田金次郎さん17歳である。金次郎さんは家のこともあり漁師の出稼ぎにもでたりして7年後の再会となる。大きな体の人が訪ねて来て有島さんは、金次郎さんとはわからなかった。そしていろいろ相談に乗ってくれ最終的に、地元に残りその土地を絵に描くのがよいという意見をもらう。

 

  • 有島武郎さん自身も、親から受け継いだ有島農場や自分が作家として生きていくことなどの模索があり、自分とその青年とを重ねて、作品を生み出す悩みを小説に書いたのである。有島武郎さんは農場を小作人たちに個人個人に譲るのではなく共有するという形で譲っている。そのあたりのこともわかるように展示されている。有島武郎さんの死に衝撃を受けながらも、金次郎さんは、岩内に残り絵を描き続ける。1954年、岩内で大火がある。連絡船洞爺丸が沈没した台風の時である。映画『飢餓海峡』にも出てくる。その火災で金次郎さんは、1500点の絵を焼失してしまうが、有島武郎さんからの手紙だけは持ち出している。

 

  • 岩内港の焼け跡をすぐに描いている。その絵が岩内地方文化センターホールの緞帳となっている。その絵のほうも展示しているが、60歳になって初めて個展を開いている。絵の色合いが好きである。そしてどの絵にも微かに明るさがある。明るさは後の作品にどんどん増していく。絵は小説『生まれ出る悩み』のモデル画家から解放されている。芸術とはそういう物なのだとおもう。

 

  • 「青春の苦悩と孤独を歓喜にかえた画家たち」ということで、作家・水上勉さんが「若狭がうんだ農民画家の第一人者」と評した渡邊淳さんの絵も展示してある。独創的な感覚をもった絵を描かれている。水上勉さんは、渡邊淳さんに触発されて作画されるようになったそうで水上さんの絵も二点あった。水上勉さんは『飢餓海峡』を書かれたかたで、あれ、つながってしまったとおもった。北海道で『生まれ出づる悩み』コンテストというのをやっているらしく、そこで選ばれた若手画家たちの作品の展示もあった。

 

  • <有島武郎『生まれ出づる悩み』出版100年記念>とも表記されているが、どうして府中市なのであろうかと美術館のかたにお聞きしたら、有島武郎さんのお墓が近くの多摩霊園にあるからとのことであった。なんにせよ画家・木田金次郎さんの絵が観れてよかった。絵をみて『生まれ出づる悩み』を読むとまた違った味わいになるかもしれない。

 

  • 美術館には、時々面白い本を置いてある。今回は、町田康さんの『猫とあほんだら』の題名が気に入りすぐ読めそうで購入。パナソニック汐留ミュージアムでの『河井寛次郎展』(~9月16日)では、獅子文六さんの『ちんちん電車』を。こちらは都電のお話で、浅草もでてくる。獅子文六さんが見る影もなくすたれているようすから、若い頃通った浅草六区を懐かしんで書かれていて楽しかった。