ヒップホップ文化(グラフィティ)

ヒップホップ文化のグラフィティ・アートを描くライターを主人公にした映画は、少ない。映画『ワイルド・スタイル』(1983年)の主人公・がグラフィティ・ライターである。この映画は、ヒップホップ文化の四大柱としグラフィティが4要素に加わるきっかけを現わす映画ともとれる。

主人公・レイモンドは<ゾロ>という名前で電車や壁にグラフィティを描いている。ゾロが誰であるかは限られた人にしか知られていない。ゾロの名はマスコミにも知られており、クラブの支配人である友人は、レイモンドにマスコミの取材を受けさせる。電車に描くなどは違法行為でもあり、顔を出すことにレイモンドは迷う。友人はマスコミにつながりを持ち、ヒップホップのパーティーを野外公会堂で開くことを任される。レイモンドはその野外公会堂のアーチと壁のグラフィティを頼まれる。

レイモンドは描き始めるが、絵の中心となる部分のアイデアが浮かばない。そんな時、彼がゾロであることを知っていた恋人が「ゾロにこだわり過ぎている。スターはラッパーよ。」と助言する。レイモンドは気がつく。グラフィティ・アートもパーティーに溶け込むものの一つであると。

パーティーが始まると、ゾロはアーチの上に登りそこから下を眺める。自分の描いたグラフィティの前でDJ、MC、ブレイクダンスが披露され、それを楽しむ人々の姿に自分もビートに乗って満足するのである。ヒップホップの四大柱のできあがりである。ヒップホップの誕生時の公園、公民館、体育館などで開かれたパーティーの様子を想像出来る映画でもある。

映画『ビート・ストリート』(1984年)よりも前のヒップホップカルチャーの映画『ワイルド・スタイル』を、遅まきながら見れることができて満足である。

映画『ビート・ストリート』に登場するグラフィティ・ライターのラモも壁や電車にスプレーペイントをしていた。描き終わった自分の絵の上に名前だけスプレーしていく者がいて、腹だたしく思っていた。ラモは電車に描いたばかりの絵に名前をスプレーする者を見つける。逃げる相手を追いかける。そして相手を捕まえ争ううちに線路の電流に触れて亡くなるという悲劇にみまわれる。

主人公のケリーはクール・ハ―クのもとでDJとMCをやっており、プロモーターに大晦日のパーティーを任される。認められるかどうかのチャンスである。友人ラモの死に臨み、とてもできる心境ではない。しかし友人達に励まされ、ラモのグラフィティ・アーティストとして讃える祝祭を考え開催するのである。ラップ、ゴスペル、フリーダンス、ブレイクダンスなどを組み合わせ、参加者が楽しめるパーティーがケリーの考案通り盛り上がるのであった。

映画『ワイルド・スタイル』と『ビート・ストリート』はヒップホップの4要素とともに、崩壊したり荒れすさんだサウス・ブロンクスの街並みを見ることができ当時の現状が垣間見える。

グラフィティを前面にだしているのは、映画『ボム・ザ・システム』(2003年)である。グラフィティ・ライターとそれを取り締まる警察官との攻防戦も描かれている。グラフィティに使うスプレー缶は盗むというのが信条らしく、かなりあぶなっかしい主人公・アンソニーとその仲間の兄弟の三人で描いていく。アンソニーの兄もグラフィティ・ライターだったらしく、幼い頃、自分を置いて描きに行き死んだらしい。その兄との連鎖が主人公の中にくすぶっているようだ。

兄弟の弟のほうが警察につかまり暴力をうける。兄は熱くなり挑発的になっていく。取り締まる二人組の警察官とのいたちごっことなり、三人がいるところに警察官二人が姿を見せる。言い争いもめるうちに兄のほうが転落死してしまう。アンソニーは大学に受かり絵と対峙する別の道もあったが、アルコール中毒になっている警察官の一人に撃ち殺されてしまう。アンソニーは兄の死の連鎖とつながってしまった。

仲間の弟・ケヴィンが「連鎖を断ち切る」と一人電車に乗り込み去る。グラフィティの才能があるゆえに自分にこだわり迷う青春の挫折ともとれる。消されて残されないグラフィティの虚しさ。それでも描く若さの無鉄砲さと、ぶすぶす飛び出す怒りが感じられる。そして連鎖を死によってしか断ち切れなかったという悲劇。

負の連鎖をどう断ち切るかということがテーマなのかもしれないが、その代償は大きい。負の連鎖から抜け出し、前に向かって進むのがヒップホップ文化の信条である。

グラフィティの映画では『タギング』(2005年)というのもあるが、この映画はグラフィティの縄張り争いがからみ、銃と暴力が飛び出しギャング化している。

ヒップホップ誕生時期に一方でポップアートの時代の寵児と言われたジャン=ミシェル・バスキアが重なるが、バスキアはブロンクスではなく、マンハッタンで放浪生活をしており、彼はヒップホップ文化とは一線を画していた。ただ、グラフィティ・アーテイストが逮捕されその後、路上で警察官5人に暴行をうけ、病院で亡くなったことにショックを受けていたと元恋人がドキュメンタリー映画『バスキアのすべて』でコメントしている。黒人アーテイストとしての扱いにバスキアは苦悩していた。

新しい美術館が開館していた。アメリカのフロリダに、グラフィティアートに特化した世界初の美術館『 Museum of Graffiti 』がオープンしていたのである。時代と共に一緒だった四大柱にもそれぞれの道が模索されているようである。

   

<ヒップホップ> →  2020年2月4日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)