浅草映画『堂堂たる人生』『その人は遠く』

映画『堂堂たる人生』(1961年・牛原陽一監督)原作は源氏鶏太さんの同名小説。裕次郎さんの熱血サラリーマン映画である。『天下を取る』(1960年)が成功し興行高収入で、『喧嘩太郎』(1960年)と続きさらに『堂堂たる人生』へと至る。

タイトル映像がオモチャの汽車の線路レールの輪の真ん中にでんと石原裕次郎さんが座っている。その回りを汽車が走り沢山のオモチャが並んでいる。

映画始まりから浅草寺境内である。バスガイドが本堂の説明をしている。バスガイドに声をかける友人。そのガイドさんの足元にオモチャの自動車がぶつかりガイドさんは転んでしまう。怒る友人。相手は老田玩具の社員であった。気の強い友人は口数の減らないもう一人の社員の足を下駄で踏む。洋服の彼女の足元は足袋と下駄であった。その可笑しさでこの映画のコメディさが感じとれる。撮影は高村倉太郎さんである。

下駄の女性は浅草の寿司屋寿し龍の娘・いさみ(芦川いづみ)。老田玩具の社員は中部(石原裕次郎)と足を踏まれた方は紺屋(長門裕之)である。老田玩具会社の社長(宇野重吉)は寿し龍の常連客で、いさみは老田の会社で働きたいと頼みこんでいる。ところが老田の会社は老舗であるが経営破たん寸前で無理だと断られる。

そこへ現れたのが中部と連れのバー・サレムのママ(中原早苗)である。いさみは中部につんつんしながらも中部が気になる存在となる。それを見守るいさみの両親(桂小金吾、清川虹子)。

その夜、再び雷門で二人は顔を合わす。雷門が再建されたのが1960年である。ただ、本堂側の天龍像と金龍像はまだ奉納設置されていない。現在、大提灯の本堂側は風雷神門と書かれているが、映画では雷門とあった。二人がお参りする姿を本堂側から撮っていて二人の背後は闇である。高い建物の灯りやイルミネーションがない。1961年の浅草周辺の姿である。

中部と紺屋は金策のため大阪へ出張となる。その列車にいさみも現れ勝手に一緒に大阪へ。大阪で色々あるがいさみの手助けもあり金策に成功しいさみも老田玩具に採用となる。もどってから三人は観音様にお礼にいく。背後に凱旋記念塔大灯籠、遠くにちらっと地下鉄ビルの塔の先端が見える。かなり見つけられるようになった。

中部はバー・サレムのママや大阪のバー・八千代のマダム(浦里はるみ)にも気に入られているが、八千代のママのパトロン・原(東野英治郎)にも気にいられる。そのことが、その後、会社にとって良い方向へと動かすのである。大阪では大阪城がばっちりである。

臨時総会の前、中部、いさみ、紺屋の三人が隅田公園に立ち会社のことを相談する。言問橋、対岸に松屋地下鉄ビル東武鉄橋がみえる。老田社長も中部もとにかく玩具が大好きで、中部は新しい煙を吐くアメリカ西部を走る汽車を発明する。煙は輪も描く。それがアメリカ人のオモチャ王に認められ発注をうけ老田玩具は持ちこたえることとなる。

ライバル社の息子が藤村有弘さんで、得意な国際語を次々と披露するが、それにきちんとゆるいコメディさで中部の裕次郎さんは答えている。コンビとして長門裕之さんが達者なひょうきんぶりで、芦川いづみさんの機転のきく気の強さも好演。ドタバタ感を押さえ裕次郎さんの茶目っ気な表情を上手く捉えている。

中原早苗さんはバーのマダムであるが衣裳がシックな色使いで、芦川いづみさんのスカイブルーのカーディガンや異国人変装の衣裳の色などが際立ち画面のアクセントになり、芦川いづみさんを印象づけている。明朗痛快なサラリーマンものである。

煙を出して走る汽車の玩具はあるのだろうかと検索したら、水が水蒸気の煙となって走る汽車があった。日本の会社である。このほうが安全そうで可愛らしい。それにしても、映画の方は小道具さんがつくったのであろうか。どんな仕掛けだったのであろう。存在感のある玩具であった。そのあと、例のトリオは外国出張で羽田空港から飛び立つのである。老舗の玩具会社もグローバル時代の幕開けである。

映画『その人は遠く』(1963年・堀池清監督)は、浅草は松屋屋上遊園地のスカイクルーザーに乗っている場面である。

京都に住む遠縁の奈津子(芦川いづみ)が父の死により一人になる。量介(山内賢)の母は息子と二人ぐらしなので、奈津子を東京に呼び同居することを決める。大学受験勉強中の量介は気が進まなかったが、彼女と会って恋い心を抱いてしまう。量介の受験勉強も危ぶまれたがなんとか試験が終わり解放され、奈津子を東京観光に連れ出す。その一つが浅草の松屋屋上のスカイクルーザーである。浅草寺などが下に見える。

奈津子は量介の気持ちをそれとなく感じつつ、どこかで心の支えとしつつ量介と一緒にいる時間を大切にする。しかし、奈津子は大阪にお嫁にいってしまう。その結婚も失敗で東京に戻って来る。量介は一人暮らしを始めており、恵以子(和泉雅子)という家庭に事情のある友人に手を貸していた。

量介は奈津子に対する気持ちは変わらないが、奈津子は誰にも頼らないで生きて行くため九州の教師の道を選ぶ。恵以子も自立することを決め、それぞれが、新しい道を目指すことにする。年上の人に憧れる微妙な年齢の淡い恋物語である。

俳優としてもお姉さん的存在である芦川いづみさんが山内賢さんと和泉雅子さんを相手に年上の女性の危うさと強さを演じられた作品である。1963年という日活映画の新旧の時代の流れの重なりを感じさせる映画でもある。

追記: 検察庁法改正への芸能人、映画人、演劇人等の多くの抗議の声は、人としてセンスよく生きられていることの表れである。常に人の本質を探りつつ表現される仕事でもある。

追記2: 『撮影監督 高村倉太郎』(高村倉太郎著)届く。インタビューに淡々と答えられていて頭の中の映像と楽しい葛藤。 

追記3: 友人の息子さんが3月に発熱し例によってやっと診察してもらえた。結果はインフルエンザ。秋から冬のインフルエンザと新型コロナのダブル感染の危惧。それまでの期間の今、緊急事態宣言解除とダブルの対策お願いいたします。その時になって時間がなかったなどとは言わないでくださいね。何をしているのかわからない政治家様たち。(スマフォを持った姉がメールで「張りぼての政治家」と。見事な表現力に負けた。)

追記4: 千葉県船橋市にある太宰治さんが逗留した老舗割烹旅館「玉川」が閉館だそうである。ランチだけのプランの時があり、それを待って居たら手の届かないことになってしまった。