映画『リヴァプール、最後の恋』からグロリア・グレアム出演映画(5)

グロリア・グレアムさんも今回が最終章でしょうか。映画『復讐は俺に任せろ』(フリッツ・ラング監督)のデビー役はこの人あっての映画と思わせてくれた。ギャングの情婦の役であるが、身体表現のリズム感が何とも言えないのである。この映画のグロリアは『リヴァプール、最後の恋』のグロリア役のアネット・ベニングの表情と一致するところが多い。生き生きとしていて、演じている感の無い自由さがあって魅力的である。

記録係りの警察官・トムが自殺する。その担当となったディヴ警部(グレン・フォード)は何かがあるとにらむ。ところが警察の上層部も署長もディヴが深入りすることを許さない。町を牛耳っているギャングのラガーナと警察とは癒着していたのである。さらに自殺したトムの妻が夫の握っていた遺書の情報でラガーナをゆすっていた。

最悪なことに、ディヴの最愛の妻が自家用車を爆破され亡くなってしまう。ディヴは警察を辞めて復讐へと立ち上がる。そんな時ラガーナの子分であるヴァンスの情婦であるデビ―(グロリア・グレアム)はディヴと出会い、その男気に魅かれる。そのことを知ってヴァンスは激情し、熱いコーヒーをデビ―の顔にかける。火傷をおったデビ―はディヴのところへ助けをもとめる。そして自分の知っている人間関係を話すのである。

ディヴは妻を殺した犯人に復讐し、自殺したトムの妻も殺害しそうになる。なぜなら、トムの妻は自分のつかんでいる遺書を自分が死んだら新聞に発表するように手はずしていたのである。ディヴに代わってデビ―がトムの妻を殺し、さらにヴァンスの顔に熱いコーヒーをおみまいする。しかし、ディヴが駆けつけた時にはデビ―はヴァンスに撃たれていた。救急車に連絡し、ディヴはヴァンスを追い詰めて捕まえ警察にひき渡す。

デビ―は瀕死の中でディヴに亡くなった奥さんの事を話してくれという。ディヴは奥さんの様子を話す。観客は仲の良かった二人の様子を見ているから、そうだよなあと思って聞いている。

デビ―は「良かった。仲よくなれそう。」といって亡くなるのである。オシャレな言い方である。私も復讐を手伝わせてもらった甲斐があったわ。あちらの世界で会うのが楽しみともよみとれる。グロリアのデビ―がいなければこれほど面白い映画にならなかったであろう。『孤独な場所で』では、ローレン・バコールならと思ってしまった。申し訳ない。

次の『仕組まれた罠』(フリッツ・ラング監督)は『復讐は俺に任せろ』と同じ監督で、主人公もグレン・フォードである。グロリアの役柄は、悪女ということになる。映画の始まりが列車の走行場面で外の景色が飛び、グレン・フォード(ジェフ)が機関士として運転していてスピード感があり期待を持たせてくれる。列車は終着駅に到着する。その駅に勤務する鉄道員が関係するのである。操車場なども映り目新しい場面である。

この映画は、殺人が列車の客室で起こり、最後にグロリア(ヴィッキー)が夫(カール)に客室で殺され、列車が重要な役割を果たしている。問題のある夫婦にジェフが巻き込まれながらも二人から上手く逃れることができたという筋立てである。それを仕組むのが美貌で若い妻のヴィッキーである。ヴィッキーの語りを信じれば子供の頃から苦労してそこから何とか這い上がろうとする生き方にも同情できる。ジェフも同じ気持ちであったが、夫殺しにまで手を染める程ジェフは正常心を失ってはいなかった。破滅はカール夫婦のみで終了となる。

面白い場所設定であるし、ジェフが帰還兵で戦争での殺人と一般人の殺人についてもからませているが、話しの展開としては単純である。グロリアの熱演が生きなかったのが残念。『復讐は俺に任せろ』と続けて観たので肩透かしの感じであった。

2017年の7月から8月にかけてシネマヴェ―ラ渋谷で上映した『フイルム・ノワールの世界Ⅱ』のフライヤーが出てきた。その時はフイルム・ノワールには興味なしである。そこに書かれているフイルム・ノワールの定義を紹介しておく。

「フランスの映画批評家のニーノ・フランクが、『マルタの鷹』など第二次世界大戦中アメリカで作られた犯罪映画をこう呼んだことが始まり。多くは低予算のB級映画として製作され、上映時間や俳優の起用に厳しい制限があった。

ドイツ表現主義にも通じる影やコントラストの強調、夜間ロケーションを多用したモノクローム映像、モノローグや回想による時系列が錯綜した物語展開などが特徴。ファム・ファタール、私立探偵、警官、ギャングなど、一筋縄ではいかない登場人物たち。彼らの相互の裏切り、それに伴う殺人、主人公の破滅が、しばしば映画のストーリーの核となる。」

ラストはミュージカル映画『オクラホマ!』(フレッド・ジンネマン監督)である。叔母と二人で大草原に住む娘・ローリーが、恋人のカウボーイ・カーリーと横やりが入りつつも結婚にこぎ着ける。手伝いのジャッドが嫉妬から二人を殺そうとするが、反対にカーリーに殺されてしまう。判事がいたので急遽裁判となり、自己防衛とされ、二人は無事新婚旅行へ向かう。明朗快活な作品である。グロリアのアニーは、言い寄られるとすぐ心が動いてしまうという三枚目役でコメデイータッチの花をそえている。シャーリー・マクレーンに似ていた。

映画はちょっと長すぎるなの感想である。前半のクレモア駅でのタップがたのしい。若者たちがお祭りに行く途中でローリーの家に寄り、娘たちは身なりを整えたりする。その時の娘たちのダンスが、バレエの基本がしっかりした人たちで振り付けも面白かった。残念ながらその後、心惹かれるダンスは無かった。明るく楽しく鑑賞しましょうと言ったところである。

グロリア・グレアムさんは、8本の映画でも様々なキャラクターの人物を演じていて、演じるのが好きで、最後まで演者として全うされた女優さんであったというのが結論である。

追記 

映画『拳銃の報酬』(1959年・ロバート・ワイズ監督)が観れた。出だしの光の陰影、反射の映像に見とれてしまう。フイルムノワールである。三人の男が銀行強盗を計画し実行する。刑務所帰りの元警察官パーク(エド・ベグリー)、前科者で情婦・ロリーに食べさせてもらっているスレイター(ロバート・ライアン)、博打好きで借金だらけの酒場の歌手ジョ二ー(ハリー・べラフォンテ)。ハリー・べラフォンテの歌う場面がさすがである。

スレイターは人種差別意識が強くでジョ二ーとの仕事に難色をしめすがパークがなだめて実行へ。しかし、スレイターとジョ二ーの気持ちのづれが失敗へと導く。パークは警官に撃たれて死亡。ジョ二ーはスレイターのやり方に怒り彼との銃撃戦へ。ラストが壮絶。途中のテンポにだらける部分があるのが残念。

グロリア・グレアムはスレイターと同じアパートの住人でロリーとも付き合いがある女性ヘレン。スレイターに挑発的な色仕掛けを。ロリーは情のある女性で、ジョーの別れた妻も子供を育てるしっかり者である。そんな中で、違うタイプの女性を登場させている。その役目をグロリア・グレアムははたしている。

ウエストサイド物語』「サウンド・オブ・ミュージック』がロバート・ワイズ監督だったとは。さらに『市民ケーン』の編集をしている。驚きである。グロリア・グレアムさん、たくさんの情報をありがとうございます。