テレビ『英雄たちの選択』

ハードディスクの録画容量が満杯になってしまい整理した。その中に『英雄たちの選択 ~水害と闘った男たち 治水三傑の叡智』(NHKBSプレミアム)があった。この番組は興味ありそうと思った時に録画していて3月である。おそらく治水三傑に魅かれたと思う。水害に立ち向かった人はたくさんいたわけで、治水三傑はどんなことを成したのであろうか。今回は海水温度の上昇に伴い被害増大で痛ましく心折れる状態である。

これは映像で見てもらわねば文章で説明できないが、傍若無人に試みる。三傑にあげたのは、武田信玄(山梨県)、津田永忠(岡山県)、金原明善(静岡県)である。

武田信玄の戦国時代には、川は縦横無尽に甲府盆地に流れ込んでいた。特に御勅使川(みだいがわ)と釜無川(かまなしがわ)の合流点で氾濫が起るため、その合流点を堤(信玄堤等)などで一箇所に集めるようにした。根元を抑える。

津田永忠(つだながただ)は江戸前期時代の岡山藩士である。岡山城は旭川を堀として利用していたため川があふれ出し大洪水となった。旭川から城下と領民を守るために百間川を作った。分流部にしかけがあり巻石といわれている。花崗岩でかたい巻石を通って旭川の水は流れ、百間川は放水路となるのである。さらに新田開発もした。

金原明善(きんぱらめいぜん)は明治時代前期の人で浜松の実業家である。「暴れ天竜」といわれた天竜川を治めるため私財をなげうって堤防工事を計画。天竜川で生活している人々もいて反対もあり頓挫。乱伐の山に目が行き、これでは堤防も決壊すると考えた。治水から治山へ。森を守り川を守る。さらに林業で人々の雇用を生み出していった。天竜美林。

時代時代によって、さらに地形によってさらなる考え方が変化していくのが興味深い。水は越えるかもしれないが壊れない堤防(床下浸水まで)。現代に問われているようだ。

15日、今日の午前8時からNHKBSプレミアム『英雄たちの選択  鬼か?仏か?その後の新撰組土方歳三~宇都宮城攻防戦の真実』の放送がある。再放送である。気がつくのがおそかった。

宇都宮城址に行った時、土方歳三さんが宇都宮城を攻めたジオラマがあった。どんな攻め方をしたのかわかりやすい解説を期待したいが、どう展開されるのか楽しみである。そして鬼か?仏か?

メモ帳 5 ← に宇都宮城のことがメモされていた。

追記

宇都宮城の攻防戦よくわかりました。北側を厳重に警護していたのは、伊逹藩への守りであったということ。南東からなら侵入しやすかった。そして、宇都宮二荒山神社から大砲で攻めれば北側も打ち破れた。確かに神社は高いです。地形をよく偵察していたわけである。満足であり、一つ整理がついた。歳三さんの組織論はかわらないと思う。自ら先頭に立って戦うからそこは揺るがなかったであろう。

治水から映画『箱根風雲録』に続く予定であったが、歳三さんの宇都宮攻防戦の番組があることを知って急きょ変更した。「メモ帳 5」をみたら、箱根神社と三島の旅も宇都宮城址の旅と並んで書かれてあった。忘れていたので驚いた。道筋は出来上がっていたようである。