『ワンピース』からラスベガス映画(4)

ラスベガス映画の最終は、歌がたっぷりの映画と実話に基づいた映画とします。先ずは『ラスベガス万才!』(1964年・ジョージ・シドニー監督)。ドキュメンタリー『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』でエルビス・プレスリーについてマイケル・ケインは語る。

「エルヴィスは衝撃だった。驚いたのは歌でも世間の騒ぎでもない。あの動物的な感じだ。人生で初めて誰かを見て自由だと思った。何にもとらわれない自由。」

映画『オーシャンと11人の仲間』は1960年のラスベガス。映画『ラスベガス万才!』は1964年のラスベガスである。『ラスベガス万才!』の冒頭でラスベガスの街並みが映り、エルビスのラッキーが入っていくのがホテル「フラミンゴ」のカジノである。ラッキーはラスベガスで行われるカーレースに出場する予定である。そのライバルがイタリアのスピード王・マンチーニ伯(チェザーレ・ダノヴァ)であるが、恋のライバルともなる。二人の前に現れたのがラスティ(アン・マーグレット)。

名前も判らず、マチーニ伯は踊り子であろうと想像し、二人はクラブを次々訪ねショーの中に彼女がいないか探すのである。7軒訪ねる。『オーシャンと11人の仲間』で出てきた、サンズ、フラミンゴ、サハラへも行く。それぞれのショーを楽しませてもらえる。もちろんエルビスの歌も。

予想と違い、ラスティはホテルのプールでコーチをしていた。ラッキーはプールに落ち、お金を紛失してしまう。レースカーのエンジンを買うためホテルの従事員となり、賞金めあてに従事員の歌のコンテストに出場。優勝するが賞金はでなかった。仲間がエンジンを手配してくれ何とかレースに出場でき見事優勝する。カーレースの模様や周囲のラスベガスの風景も映像として見どころである。ラッキーとラスティは結婚しハッピーエンドである。

エルビスの歌声もたっぷりである。(「テキサスの黄色いバラ」「レディ・ラブズ・ミー」「好きだよ ベイビー」「恋の賛歌」「ホワッド・アイ・セイ」「愛の証しを」「ビバ・ラスベガス」「独りぼっちのバラード」)とにかく明るく楽しくエルビスの魅力を楽しみましょうの映画である。

次の映画は、「フラミンゴ」を創設したマフィアの男の『バグジー』と、ラスベガスを牛耳っていたマフィアがラスベガスから一掃される『カジノ』である。二作品ともかつて観ていたがつないで観ていなかったので今回あらためて観て、ラスベガスの誕生と流れが二作品で表面的ではあるがわかった。

映画『バグジー』(1991年・バリー・レヴィソン監督)は、マフィアの一員であるベンジャミン・シーゲルをモデルにした映画で、ラスベガスにカジノホテル「フラミンゴ」を建設しマフィアのラスベガス進出の道を切り開いた男の話しである。

ベン(ウォーレン・ベイティ)は、ニックネームをバグジーと言われていたが彼はこれを嫌っていた。俺は虫であっても虫けらではないと。ハリウッドで幼馴染の俳優ジョージの撮影現場で売れない女優のヴァージニア(アネット・ベニング)と出会い、恋仲となる。俳優という仕事にも興味がありキャメラテストを受けたり、発音の練習などもしている。

ラスベガスのギャンブル場を任され、ヴァージニアと仲間のミッキー(ハーヴェイ・カイテル)を連れ立って行ってみると小さな汚い建物であった。ヴァージニアはこんな汚いところに何の価値があるのかとくさす。しかし、売り上げは良いのである。ベンは砂漠の何もない場所で思いつく。ここにカジノ付きの豪華ホテルを建てることを。

1945年、ホテル「フラミンゴ」の建設のためマフィアの仲間たちから100万ドルの資金を調達する。ところが、建設予定は次々と変更され予定金額がドンドン超過してしまう。最終的にはは600万ドルと膨れ上がる。マフィアたちはバグジーが私腹を肥やしているのではと疑い始める。幼馴染のマイヤー(ベン・キングスレー)もバグジーを信用してきたがもうかばい切れないと手をひく。

やっとオープンにこぎつけるが、大雨で客足は少なく、雨漏りまでする始末で、バグジーはしばらく閉館すると伝える。バグジーはマフィアたちに呼ばれ飛行機で立つときヴァージニアが現れ自分は200万ドルを自分の物にしていたことを告げる。バグジーは取っておけといい飛行機で飛び立つ。そして彼は殺される。その後、マフィアがラスベガスに進出するのである。

バグジーがスマートに描かれているが、実際は相当の抗争をへて上り詰めて行ったであろう。ハーヴェイ・カイテルがいたって静かで、『ガンジー』俳優のベン・キングスレーの耳を傾けながら、ウォーレン・ベイティの計算なしの夢を追う姿をささえている。アネット・ベニングが200万ドルかすめながら可愛い女としていての位置で、バグジーの死後、200万ドルを返還してすぐバグジーの後を追って自殺しているとしている。

とにもかくにもバグジーはラスベガスにマフィアを呼び込んだ人ということになる。1945年というと日本は原爆を落とされている。

映画『カジノ』(1995年・マーティン・スコセッシ監督)は実話に基づいているとある。上半身ピンク系で決めた男性が車に乗るとその車が爆発する。そこから(1983年)から10年前に話はもどされる。この男性は、エース(ロバート・デ・ニーロ)と呼ばれる予想屋で非常によく当たるので、マフィアの親分衆はエースから情報を得て儲けさせてもらっている。親分のリモはニッキー(ジョー・ペン)にエースの身辺護衛を命じる。

エースはそれほどの野心もなかったが、ラスベガスのカジノの「タンジール」を任せられることになる。エースは賭博関連で捕まったこともあり州法での免許がとれないが、申請していれば許可が下りなくても営業ができ、仕事の肩書を次々返ればいいと言われる。「カジノ支配人」「飲食店責任者」など。そうすると書類が後ろに回され申請中で営業が続けられるということになる。エースは仕事に対しては慎重で引き受けることにする。

カンザスシティーの親分たちへの上納金もそれ専用のルートがあり。親分たちも満足していた。そんな時、ニッキーがラスベガスに現れた。ニッキーは激情型でなんでも暴力で力を持つタイプであった。エースは少々問題のある女性・ジンジャー(シャーロン・ストーン)を気に入り結婚する。ところがニッキーとジンジャーは問題を起こし、FBIには目を付けられ、親分衆にも監視される。

1980年、FBIの盗聴器により「タジール」に検査が入り賭博管理委員会はエースのカジノ免許について審問会を開き、免許申請拒否の動議が通ってしまい無免許営業で叩かれる。

親分たちの身も危なくなり事情の知っている者は次々と消されていく。ニッキーも弟と一緒に消されてしまう。エースは車に爆弾を仕掛けられ爆発するが奇跡的に助かる。ラスベガスはその後様変わりし、大企業がカジノを買い占めデズニ―ランドの様相であると。その後エースは、ギャンブルの神様と言われた勘は健在で、一から始めての予想屋で相変わらず当てている。

映画『カジノ』はマフィアの世界そのもので、無情な殺し合いが繰り広げられる。ニッキーはエースが嫌な顔をするようにこちらが観ていても手が付けられないという感じである。どちらにしても悪事はそう長くは続かないと言う事でありそうであってもらわねば困る。バグジーがフラミンゴを建設してから35年以上(1945年から1980年頃まで)はマフィアの支配が続いたことになる。そして『オーシャンと11人の仲間』の1960年から『ラスベガス万才!』の1964年ころはハリウッドとも上手く共存していたということであろうか。

日本のカジノは始まるまえから怪しい雲行きである。「フォー・ホースメン」がイリュージョンで暴露してくれるとすっきりするのであるが。他にもはっきりしてもらいたいことが沢山ある。

映画『ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪』にロバート・デ・ニーロがでてきたのには驚いた。彼の両親は画家で、ペギーの画廊に絵を出してもらったのだそうで援助してくれたらしい。ロバート・デ・ニーロが三歳のときだそうである。ペギーの生前のインタビューから構成されている映画だが驚くべき人である。お金も使い方でこうも違うものなのかと思ってしまう。

追記: トム・ハンクスはエルヴィスの伝記映画の撮影のためオーストラリアで新型コロナを発症したのでしたね。回復してよかった。TV映画『ELVIS エルヴィス』(2005年)では、母の誕生日のプレゼントにレコードを作成しそこからスター・エルヴィスの誕生となるのであるが、1968年のテレビスペシャルの撮影までとなっている。エルヴィスは海外公演を望むがマネージャーのトム・パーカーが移民でアメリカの永住権をもっていないため再入国できないことをおそれてあきらめるのである。そして、ラスベガスでのショーへと。トム・ハンクスがトム・パーカー役である。超期待してしまう。

追記2: 映画『トラブルINベガス』。キム・ベイシンガーが出ていたので観た。ハーモニーがエルヴィスのなりきりさんに会うとその人は事故死してしまう。ベガスのエルヴィスなりきりさん大会へ行くことになり、すべてのなりきりさんが事故死。事故死の原因が見どころ。ハーモニーは少女時代エルヴィスに会っていてそれは幸福を呼び寄せる力があった。軽いラブロマンスコメディ。

同じような軽さで映画『トラブル・イン・ハリウッド』あり。プロデューサーのロバート・デ・ニーロが撮影現場や映画関連の人間に振り回される。本人役でショーン・ペンとブルース・ウィリスも登場。どちらも期待半分でかるーく鑑賞されたし。