『類』(朝井まかて著)(3)

半日』(森鴎外著)は森鷗外さん夫人・志げさんが姑を疎ましくおもっている様子が書かれている。鷗外夫人悪妻のレッテルを張られたような作品である。

鷗外さんは遺言で観潮楼は於菟さんと類さんに半分づつの所有権とし夫人には日在の別荘を残した。日在の別荘での様子は、日在の場面から始まる小堀杏奴さんの『晩年の父』からも想像出来る。志げ夫人は田舎での生活は嫌いであり砂浜を歩くということも好きではない。鷗外さんはお金が必要になれば売ればよいのだからと考えたのであろうか。この多少ミステリーな部分を『』で夏井まかてさんは類さんの想いに解決をさせるという形にしたのである。

この日在の別荘地を志げ夫人は類さんに残すのである。類さんはこの地を売ってしまうのであるが妻の志穂さんと相談して買いもどす。志穂さんの死後類さんは再婚しこの地で二人で暮らすことになる。小さなころ怒られてばかりであった母は、類さんのために川崎の生田に土地を買っておいてくれ、日在の地も残してくれたのである。類さんの生活力を心配していたのであろう。

鷗外さんの亡きあと森家は先妻との長男・於菟さんが本家ということになる。さらに決定的だったのが、類さんが書いた『森家の兄弟』が『世界』に載り続きが載る予定であったときに岩波書店から断られてしまう。原稿を読んだ杏奴さんが茉莉さんの鼻の化粧の様子の記述に茉莉さん共々抗議したのである。類さんはその部分は削除するからと提案するが拒否されてしまう。このことから杏奴さんと茉莉さんとは絶縁となってしまう。

茉莉さんとはその後和解するが、杏奴さんとは終生歩み寄ることはなかった。

そのようなこともあり杏奴さんは於菟さんの本家としての後押しをし、類さんがなるべく表にでないように望む。於菟さん夫婦が亡きあと、その子の真章(まくす)さんにも「あなたが森家の本家」と伝えている。それは、鷗外記念会常任理事に真章がなったと知った時類さんは真章さんと話す。真章さんは、杏奴さんから言われたことを伝える。あなたが森家の本家なのだから先祖の菩提を弔うことはもちろん記念会のことも森家の代表者として面倒みるようにと頼まれました。ただ祖父の想いでは杏奴さんと類さんにお願いします。類さんは納得するがただほかから知る前に一言先に伝えてほしかったと胸に納める。

類さんを無視してことが運んでしまっていることが何回かあるのだ。それは鷗外さん亡き後、志げ夫人を排除していく力と関係し、その関係が、杏奴さんと類さんの不和でさらに強まってしまったようにみえる。

類さんと杏奴さんの蜜月時代もあった。類さんと茉莉さんの蜜月時代もあった。それが壊れてしまう。それは、亡き鷗外の愛の独占であったと類さんは思う。

パッパが一番愛していたのはあたしで、パッパを一番愛していたのはあたしなのと杏奴さんも茉莉さんも確信している。茉莉さんは「茉莉文学という花に、しとどの露を宿らせた。」杏奴さんは、「小堀姓になっても鷗外のご息女の生霊が森家の息災を願って正面からも側面からも舵取りを見守っている。」杏奴さんは森家のことに対し余計なことは書いて欲しくないと思っていたのであろう。

その杏奴さんも母に対してはかなり厳しい表現をし「父と母とが仲の好いように感じられた記憶は私には殆ど見付からない。」とまで書いている。類さんも、最後の小説『贋の子』で母らしい馨の人物像を珍しい性格として描いている。

一番印象的な志げさんは、『半日』である。主人公を挟んでの母と妻の嫉妬に対し、主人公は一応母に肩をもち妻をなだめる。自分(鷗外)が書くことによって外からの内に向かって入られるよりも内から外に発したほうがいいと考えたのかもしれない。

妻を世間が悪く言っても鴎外さんには愛する家族が手の届くところにあり守ってやることもできるのである。そして老いた母も自分の優位を感じつつ残された人生を送らせたいのである。さらにこの頃鷗外さんは志げさんに小説を書かせている。残念ながら志げさんの作品は読んでいないのであるが、志げさんが書く行為によって何か感じてくれることを期待したのかもしれない。そして『妄想』が書かれる。

妄想』は、主人公が別荘で老いを感じ、そこからドイツに留学したころのことを回想して死についてなど様々に考えがめぐる。志げ夫人は、夫との年の差から現実的な不安を感じていたと思う。その思考する方向性の違いもそれぞれにもっともなことに思える。

類さんは小説『贋の子』の発表前に津和野の父の生家に再訪したことを随筆『武士の影』で書いている。その質素な家から森家の人々の生活を想像し、先妻も母もお嬢様育ちで誰も悪い人間ではないのに相克が起ったのは当然であると考える。ただ最終的に自分が森家の墓に入ることを拒否されそのことを『贋の子』という小説にしこれが最後の小説作品となっている。

類さんが森家本家から受けた森類外しで納得できない心の内を伝える。類さんは森家のその後をここまで書いたのだからここでお終いにしようと考えたのかもしれない。もし佐藤春夫さんが生きていて相談したなら小説はもっとお書きなさいと言われたように思う。

朝井まかてさんは、『硝子の水槽の中の茉莉』で「ベスト・エッセイ集」に選ばれ日在で類さんの妻、子供、孫がお祝いをしてくれるところで終らしている。『硝子の水槽の中の茉莉』の最後に、茉莉さんの葬儀には類さんが喪主であったが、三鷹の禅林寺での一周忌には本家の営む法事となって参列している。「当然なのにこれで本当の茉莉姉さんの一周忌になったと思った。」茉莉さんが森家のお墓に入れたということに類さんはきまりがついたと考えられたのかもしれない。パッパに愛された茉莉姉さんがパッパのそばにもどった。

類さんは日在からの海をみつめつつ、パッパと母の関係を思い起こす。父の『妄想』の作品が日在の風景から始まっていることから自分の記憶をたぐる。「母は一緒に砂浜に出たりしない。自然が嫌いであったのだ。海の見える書斎で父とお茶をのんだり、本を操る音に耳を澄ませながら団扇でも扇いでいたのだろう。」その時鷗外さんには老いが近寄っていたのである。

鷗外さんは、日在で誰にも邪魔されない家族の時間を大切にしたのであろう。子供たちには自然を、妻には森家周辺の騒音を避けさせて。類さんは、回答をえる。「父はこの景色を他の者に継がせなかった。ここだけは母に残したのである。今になって、その真意に触れている。」その真意に触れるきっかけに、月夜に父は別荘の爺やに夷隅川に小舟を浮かべさせたことがあり、「月明りの下で、類は父と母の横顔を見上げ」月の砂漠の王子様とお姫様にたとえているが、これは朝井まかてさんのプレゼントで、個人的には感傷的と感じた。

この真意によって、類さんは、自分の存在の確かさを手にしたのである。

外されて外されて行き着いた自分だけの父と母であり、その子供であった。

』の作品がなければ類さんのことや作品を読むことはなかってであろう。森茉莉さんが亡くなられた時、親戚は何をしていたのかという批判があったように記憶している。その時、茉莉さんの作品や編集者と喫茶店で会っている記事などから茉莉さん独特の世界観と生活感から違う暮らしを無理強いはできなかったであろうと想像していた。かすかな記憶から、その批判を受けたのが類さんだったのではという想像も浮かぶ。

類さんの書かれた物から感じるのは、正直な人であった。ある意味母・志げさんの性格を受け、書くことに対しては静かに写生を試みる父・鷗外との子供であった。