映画『わが母の記』から『更級日記』(3)

映画『わが母の記』から井上靖さんの『姥捨』にたどり着いたがそこからどこへ行ったのか。

姥捨』の<私>は場所的に姥捨駅もその附近も知らなかった。母の言葉がきっかけで信州を旅する時は車窓から姥捨の風景をとらえるようになった。

「丘陵の中腹にある姥捨という小駅を通過する度に、そこから一望のもとに見降ろせる善光寺平(ぜんこうじだいら)や、その平原を蛇の腹のような冷たい光を見せながらその名の如く曲がりくねって流れている千曲川(ちくまがわ)を、他の場所の風景のように無心には眺めることができなかった。」

実際にはここに書かれている通りの風景であるが当時棚田が今のような姿であったかどうかはわからない。<私>が無心になれないのは、その場所には老いた母が座っていて、ある時には「自分が母を背負い、その附近をさまよい歩いている情景を眼に浮かべた。」ここは観月の場所でもあるが、<私>はそのことには殆ど関心をもたなかった。

<私>はその心持ちのまま、その後、志賀高原に行った帰りに戸倉温泉に泊まり、車で姥捨駅にむかいそこで降りて運転手に案内されて長楽寺にむかうのである。眼にする山々は紅葉していた。

道は自然に巨大な岩石の上に出た。捨てられた老婆が石になったとされる姥石の頂上である。そこで善光寺平の美しい秋の眺望を見下ろしている。そこから降りて長楽寺の庫裡(くり)の前にで声をかけるが返事がないので、観月堂で休む。運転手の「月より紅葉の方がよさそうですね」との言葉に、<私>は同意するのである。

道筋をいえばこんな感じなのである。私は暑い時期に姨捨駅(篠ノ井線)から長楽寺に歩いていったのであるが、そんな感じであったと思い出させてもらった。

姥捨駅の名前にひきつけられ、車窓から見たその風景の棚田を歩いてみたいと実行したのである。暑くて棚田を散策するのは風流とは言えなかった。その旅の時に手に入れた本があったのを思い出した。『地名遺産 さらしな ~都人のあこがれ、そして今』(大谷善邦著)である。長楽寺の後に行った「おばすて観光会館」で購入したのであろう。

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きちんと読んでいなかったのである。大変わかりやすくまとめられている本で奈良、平安のころから<さらしな>の地名が知られていてそのさらしの里(更級郡)の一部が<姨捨>なのだそうである。地元では冠着山(かむきりやま)と呼んでいる山が都人には姨捨山として知られていたらしいのです。

井上靖さんも棄老伝説は各地にあったがそれが一つに集約され、古代は小長谷山、中世は冠着山が姨捨山となったとしている。映画『わが母の記』の八重さんが月の名称なら捨てられてもいいといったように、美しい月の光に包まれた場所というのが棄老伝説の重要な要素であったのかもしれない。さらに雪に包まれて静かに眠る場所であることも。

地名遺産 さらしな ~都人のあこがれ、そして今』では<さらしな>についていろいろな角度から書かれていて『更級日記(さらしなにっき)』にも触れられていた。

「最初の約5分の1は、父親の任が解けて都に戻るまでの、今の東海道をたどる旅でのエピソードなどが紹介されています。」

東海道の旅。平安時代の東海道の旅を垣間見れるのである。即反応しました。手もとにある『更級日記』の現代語訳の本を開いたらその訳者が井上靖さんでした。ここまでひっぱてくれたのは井上靖さんのあやつりの糸だったのでしょうか。素敵なあやつり糸でした。

追記: 千曲市が昨年日本遺産になっていました。

「月の都 千曲」が令和2年度文化庁日本遺産に認定されました | 千曲市 (chikuma.lg.jp)

 追記2:

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