「三谷かぶき」から三谷文楽『其礼成心中』(3)

「三谷かぶき」を楽しんできたが三谷文楽『其礼成心中』(2012年・パルコ劇場/昨年の8月にも再演されました)に進みます。この作品のおかげで文楽の『曽根崎心中』と『天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)』の録画を観なおすこととなり、さらに歌舞伎の『河庄』のDVDも鑑賞することとなり文楽と歌舞伎の違いも改めて味わえました。

其礼成心中』の録画を以前観たときは少しお笑い的かなと思い、舞台の後方上に大夫と三味線が位置するのも違和感があった。ところが観るうちに面白い筋を考えたものだと感心していた。今回は大夫と三味線の位置も慣れたのか気にならなかった。

そもそもこういう位置関係にしたのはかつてこういう形もあったということで、さらに大夫(浄瑠璃)、三味線、人形の三位一体の文楽であるからとして三谷幸喜さんは考えたのだそうである。

三谷さんは文楽の魅力を、あの小さなサイズの人形が一生懸命生きるのがいじらしく、小さな世界を俯瞰でみられ応援したくなるといわれている。始めは人が動かしているとおもってみるが、いつしか人形が人の手を借りずに動いているように引き込まれていくのが不思議である。

近松門左衛門が『曽根崎心中』を書き、芝居が大ブームとなる。半兵衛とおかつ夫婦は天神の森のはずれで饅頭を売っているが、次々とカップルが心中の場所として選び死を誘う饅頭として売れなくなっている。これ以上心中が増えては困ると半兵衛は心中しそうなカップルがいないかパトロールしてまわる。

油屋の手代・六助とお嬢さんのおせんが心中しようとするのを半兵衛は止め、店に連れてきて相談に乗る。半兵衛よりもおかつの説得のほうがカップルは納得する。おかつは心中は近松門左衛門が描くような美しいものでななく、実際にはみにくくて、汚くて、くさくて、みじめだという。カップルはおかつの話に納得して饅頭をもらって帰るのである。

そこで半兵衛は心中のカップルの身の上相談をして饅頭を売ることを思いつき曽根崎饅頭として売りだし大評判となり店も大繁盛である。

ところが、近松さんは次に『心中天網島』の芝居を書きこれが『曽根崎心中』を超えたとしてさらなるだいブームとなる。半兵衛夫婦の一人娘のお福が網島に天ぷら屋が出店を出し人気だと知らせてくれる。名前もかき揚げ天の網島。夫婦はさらにお福に偵察に行かせる。

かき揚げ天の網島は大繁盛で曽根崎饅頭屋傾いてしまう。さらにお福は天ぷら屋の一人息子と恋仲となりロミオとジュリエットの状況となる。

半兵衛は近松門左衛門に『曽根崎心中』の続きを書いてくれとたのむ。近松は自分が書きたくなるような「それなり」の心中があれば書くという。『其礼成心中』とはどんな心中であろうか。誰が心中することになるのであろうか。

曽根崎心中』に『心中天網島』をぶつけるというのが面白い。そして『其礼成心中』はできあがるのであろうか。

三谷ワールドであるから人形もいつもより立ったり座ったり走ったり、さらに水中で泳ぐということまでやってしまう。足遣いのかたは大忙しであった。

三谷さんは、人形も人形遣いさんも実際に水浸しにするという提案をしたところ文楽の方から、それは違うといわれる。たとえば『女殺油地獄』の油まみれで転ぶシーンも人形は何もなくても転ぶことができる。人間が演じることを人形が演じるということはウソの世界であるから、文楽はすべてウソの世界である。なるべく本物を排除して人間のできないことをしようということになったのだそうである。

近松門左衛門の『心中天網島』は今は原作ではなく改作が上演されていて、文楽では『天網島時雨炬燵』として、歌舞伎では『心中紙屋治兵衛』(『紙屋治兵衛』)などとして上演している。『天網島時雨炬燵』で心中に向かう「道行名残の橋尽くし」の場で橋の名前がでてくる。

其礼成心中』の中で、半兵衛夫婦が『心中天網島』を見に行く。紙屋治兵衛と紀の国屋の遊女小春の道行。「天神橋はその昔 菅丞相(かんしょうじょう)と申せし時 筑紫へ流され給ひしに 君を慕ひて大宰府へ たった一飛び梅田橋 跡おひ松の緑橋 別れを嘆き悲しみて 跡に焦るる櫻橋」

「道行名残の橋尽くし」に出てくる橋は、蜆橋、大江橋、難波小橋、船入橋、堀川、天満橋とつづき、最後の場所綱島の大長寺に行きつくのである。

この橋の場所などを知りたいと思ったらありました。

独立行政法人日本芸術部文化振興会のサイトの文化デジタルライブラリーの近松門左衛門から地図で見る「道行名残の橋づくし」で探してみてください。大変参考になります。