柿葺落四月大歌舞伎 (四)

【第二部】 二、忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの) <将門>

平将門は実際に登場しないが、将門を中心に据え、それにまつわる常磐津の舞踏劇である。この演目は観た印象が薄く、暗くて重いという印象が残っている。今回は常磐津の詞だけは目を通しておいた。

花道スッポンから玉三郎さんの傾城如月が上がってくる。指し照らされるロウソクの灯りがなんとも如月の怪しい色香を撒き散らす。髪の大きなくしかんざしがロウソクの灯りによって顔に影となり、それが遠目には髪が乱れて顔にかかっている様に見え、如月の心の内の複雑さを表しているようで妖艶でもある。実はこの傾城如月は将門の娘の滝夜叉姫で彼女は蝦蟇(がま)の妖術を使うのである。

大宅太郎光圀(松緑)は将門が住んでいた相馬の古い御所に不審を抱きやってくるが、そこでまどろんでしまう。目を覚ました光圀は如月に怪しいと思うが如月は、<嵯峨や御室の花盛り 浮気な蝶も色かせぐ 廓の者に連れられて 外めずらしき嵐山>そこであなたを見染めて追ってきたとクドクのである。

光圀はわざと将門の最期の戦話をする。松緑さんの見せ場である。もう少し大きさが欲しい。同年代の方たちではなく玉三郎さんが相手となるとどうしても小さく見える。玉三郎さんは最初は若手の方に合わせるが、その次からは玉三郎さんの位置まで上がるように要求するように思える。玉三郎さんと組める嬉しさと同時に苦しさも皆さん味わっておられると推測する。

将門の話に如月が涙するのを見咎めた光圀をそらして、如月は廓話をする。話の途中で如月は相馬錦の旗を落とし、二人で取り合いとなるが如月はついに将門の娘滝夜叉姫の正体を現す。そして蝦蟇の妖術を使い古御所が崩れ(屋台崩し)大屋根の上に大蝦蟇と滝夜叉姫が姿を現し赤旗を翻す。これは、出の花道で白い巻紙の手紙を手に舞うのとは対称的で光圀を油断させ仲間にしようとしての白旗にも思える。それが赤旗で光圀との対峙で終わるあたり上手く出来ている。常磐津の詞を頭に入れてもう一度観てみたい。

平将門を小説で読んでからと思ったが時間が無く進まない。平清盛の前であり、将門の頃は藤原時平と菅原道真との政略争いの後である。将門の最期はこれから自分で読み進めるとする。

東京の大手町のビルの間に将門の首塚があるという。将門の首は京で晒され、その3日目に故郷に向かい空を飛びここに落ちたという事らしい。

これは首塚というより将門塚で平将門公の御首(みしるし)をお祀りする墳墓であるらしく、将門公の所縁者たちにより、この地に納められ墳墓が築かれたそうだ。ここは神田明神創建の地でもあり、色々な経緯から神田明神が将門公を合祀し、江戸時代になって神田明神が現在の地に移る時、墳墓はそのままにして毎年9月の彼岸には将門塚例祭をこの将門塚で執り行い、神田祭の時には鳳輦・神輿が将門塚に渡御して神事が行われているようである。今年5月には4年振りに神田祭が行われる。

 

 

柿葺落四月大歌舞伎 (三)

【第二部】 一、弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)

「白浪五人男」。<白浪>とは盗賊のことで、五人の盗賊の男と云う事になる。<白浪>がなぜ盗賊なのか、マジメさんに見習い辞書で調べると、《中国の白波(はくは)の谷にいた盗賊「白波賊」から》とある。では五人とは、日本駄右衛門(吉右衛門)・弁天小僧菊之助(菊五郎)・忠信利平(三津五郎)・赤星十三郎(時蔵)・南郷力丸(左團次)である。

「弁天娘女男白浪」は弁天小僧菊之助と南郷力丸と日本駄右衛門の三人の白浪が登場する <雪下浜松屋見世先の場>から始まる。歌舞伎は江戸時代の話を鎌倉時代にしたり江戸での話を鎌倉に移したりと当時の幕府の検閲を逃れる工夫をしている。この話も江戸であるが鎌倉にしており、現在でも鎌倉散策で<雪ノ下>の地名に会える。よくぞ残しておいてくれたと嬉しくなる。

白浪は浜松屋の財を取ろうと企んでいる。弁天小僧は武家の娘に南郷はその供侍に化け、万引きの疑いをかけられるように仕組み、実際はやっていないため難癖をつけ金をせびるが、駄右衛門が弁天小僧を男と見破り浜松屋の信用を得る。この弁天小僧の女から男に変わるところが見所で、作者・河竹黙阿弥の七五調の聴かせどころである。菊五郎さんの弁天小僧菊之助は手順から台詞まで手の内なので、こちらはゆったりと楽しむだけである。歌舞伎座はしばらくは三部制でいくのであろうか。二部制だと三演目は入るので一演目は舞踊をいれたりして気を抜く演目が入るが、今回は次の「将門」の舞踊劇も重いので、ベテランの演技を安心して観ていられるのは有り難い。全体像が分らないと駄右衛門の位置が分りづらいが、いつか話の全体像に出会えることがあり、そういう事であったのかと驚くのも楽しい。役者さんは部分的な場面だけでも全体像を頭に入れて演じているので、それを分って観ている人はあそこはさすがであるとなるのである。

<稲瀬川勢揃いの場>は白波五人男の晴れの場である。悪事がばれ追っ手がきているのであるから。捕らえられる前の男振りである。それぞれ生い立ちから語るので地名などもでてくるが 「人に情を掛川から金谷をかけて・・・」「鬘も島田に由比ガ浜・・・」「月の武蔵の江戸育ち・・・」など耳に心地よい言葉が並ぶ。

盗賊などのような悪人を格好よく描いているのも、歌舞伎ならではかもしれない。それは台詞であったり、衣裳であったり、スペクタルな大道具であったり、役者さんの芸の大きさであったりするわけである。

そのスペクタルな大道具の力が<極楽寺屋根上での場>での大捕り物であったり、<極楽寺山門の場>の山門の上<滑川土橋の場>の山門の上と下の橋との上下関係であったりする。役者さんだけではなく、新歌舞伎座ではどう展開するのかという舞台装置も披露する演目となり、安心させてくれたのである。

 

 

寺山修司没後30年「寺山修司◎映像詩展」

映画館シネクイント(渋谷パルコ パート3・8F)で寺山修司の映画特集を開催している。

寺山修司没後30年/パルコ劇場開場40周年 ~幻想と詩とエロチシズム~「寺山修司◎映像詩展」

4月11日<意外なところで楽しい発見>で関容子さんの著書「舞台の神に愛される男たち」を紹介したが、そこに出てきた方が寺山修司さん関係の映画の上映に際しトークショーのゲストとして名前があった。「乾いた湖」上映後、篠田正浩さん(映画監督)×九條今日子さん(元寺山修司夫人/プロデューサー)。「無頼漢」上映前、白井晃さん(演出家・俳優)。

関さんの本の中で篠田正浩監督は、山田太一さんと寺山修司さんの大学の先輩で、お二人の様子を 「寺山と山田は仲がよくて、毎日学校で顔を合わせてるのに文通しているんだからね(笑)」 と証言(?)されている。山田さんによると、とにかく幾ら話しても話し足りなくて、別れた後も手紙に書いていたのだそうである。これは楽しい話が聴けそうだ。白井さんは、申し訳ないが舞台も映画もドラマも観ていない。機会があれば観たいと思っていたらお名前が。それも映画「無頼漢」の前。「無頼漢」はDVDで観て非常に面白く、寺山さん脚本で篠田監督なので大きなスクリーンで観れるのは幸せであり、白井さんと寺山さんの関係も興味がある。

篠田監督と九條今日子さんのトークは予想通り楽しかった。寺山さんがSKD時代の九條さんに惚れこみ「乾いた湖」に出てもらうため篠田さんが、寺山さんと一緒にシナリオを書いていた神楽坂の川田旅館に来て貰い、それが寺山さんと九條さんの縁で、九條さんは篠田さんだから行ったので篠田さんからで無ければ行かなかったし、寺山さんとの縁も無かったと言われた。その川田旅館は、川田晴久さんが奥さんにやらせていた旅館で、川田さんが松竹で美空ひばりさんと共演したギャラがそちらに廻ったらしく、松竹関係の人達もよく利用していたらしい。「乾いた湖」のシナリオを篠田監督と寺山さんが書いている隣の部屋で大島渚監督たちは「太陽の墓場」のシナリオを書いていて、寺山さんは大島監督の政治的行動を意識して自分として意見をシナリオの中に書いていた部分もあるようだ。話を聞いているだけで当時の熱さがわかる。

「小津監督の「東京物語」、木下監督の「二十四の瞳」、大庭監督「君の名は」で松竹は年4回のボーナスがあり、その後映画界は斜陽の兆しが見え始め次の監督を作らなければならない。どんな映画であれば良いか会社も判らず、好きにさせてくれたところがあった。」

篠田監督と寺山さん(脚本)は6本の映画を作っている。 「乾いた湖」(寺山さんの映画初脚本) 「拳銃よさらば!『みな殺しの歌』より」 「夕陽に赤い俺の顔」 「わが恋の旅路」  「涙を、獅子のたて髪に」(篠田監督も脚本参加・寺山さん作詞も担当・加賀まりこさんデビュー作)「無頼漢」(河竹黙阿弥の「天衣紛上野初花」を題材にしている。斬新で舞台人も多数出演。)

観客の方の質問「瀬戸内三部作は寺山さんの何かに通じるのか」に対し篠田監督の答えは「小津さんが子供の映画が作れなくては監督としてダメだといわれた。小津さんも「生まれてはみたけれど」、木下さんが「二十四の瞳」、大島渚も「愛と希望の街」「少年」を撮っている。松竹の伝統のようなものです。」

「夕陽に赤い俺の顔」 は 5月27日(月) NHK・BSプレミアム 13時から 放映される。

白井晃さんは寺山さんの本から衝撃を受け大学受験のとき寺山さんの劇団の「天井桟敷」を目の当りにしてこんな演劇があるのかと驚愕。ただそこに自分が入ろうとは思わなかった。ただ劇団のエキストラ見たいなのには出たことがあり、劇団の稽古を観に来て寺山さんの声が聞こえてきて「ああ!寺山さんだ!」と声だけで感動をおぼえたと。寺山さんの作品の舞台映像は観たことがあるが寺山さんの実際の舞台を観ていないのと、白井さんの舞台も観ていないので、その辺のつながりが判らなくて残念であったが、白井さんが舞台をやりたいと思わせたのは寺山さんの存在であろうことは判ったし、今は無い<怖い舞台>だったそうである。

 

「ヒッチコック」と「舟を編む」

久々の新作映画鑑賞である。と言っても「ヒッチコック」は映画「サイコ」に関連していているので、「サイコ」をまた鑑賞するような雰囲気であるが、様々な舞台裏が出て来て面白かった。まず、アンソニー・ホプキンスのヒッチコックがぴったりである。太り具合はもちろんであるが口の動かし具合からしてしっかり捉えている。「サイコ」を撮ろうとの動機からの奥さんとの会話が何ともお互い機知に富んでおり楽しい。儲からない仕事はどこもそっぽを向くもので、それを内心の動揺をかくしつつも奥さんに吐露しそれを軽くいなす奥さん役のヘレン・ミレンも適役。

色んな問題が山済みでさらには奥さんと男友達との関係も目が離せない。それでいて美人女優でなければ撮りたくない。「サイコ」のモデルである異常殺人者の実物の犯人ともヒッチコックの中で語り合わせ、誰の中にでもある異常心理の狂気としてヒッチコックを追い込んで、それがあのシャワーシーンの成功へと結び付けていくあたりは上手い展開である。ジャネット・リーが雨の中追いかけられるように車を走らせる場面の撮り方など裏が見れてわくわくする。

アンソニー・パーキンスの出は短いが、雰囲気はわかり、彼はやはり「サイコ」の実際の彼を見るのが一番でそれを邪魔しない出し方である。検閲官の厳しい制約が、反って映画の撮り方に工夫する結果となり、そのやり取りから撮影方法が浮かび上がるのもさすがである。宣伝の仕方、公開されてシャワーのシーンにロビーでその音楽に合わせて身体を揺り動かし満足する稚気さら、映画を見ている観客をもどんどん巻き込んでゆく。この音楽を入れることを提案したのは奥さんである。

そして、奥さんをやり込めるつもりが、反対にやり込められ、その時のヘレン・ミレンはさすが「クイーン」女優と思わせる。やり込められて唖然とし、それでいて安心しているアンソニー・ホプキンスの繊細さを判らせない余裕の演技も見事である。最後お決まりのヒッチコックの登場で次のサスペンスへのお誘いで肩にカラスが。でも当然「サイコ」を見直したくなる。

「舟を編む」。2012年の本屋大賞第一位のベストセラーを映画化したものである。本の題名がそこらに転がっていそうもない発想である。内容も、辞書を作る編集部に集う人々の話で、心躍る事件も起こりそうに無いが、そのとおり起こらないで辞書の役目のような役目をする、そこに有ってくれれば、そこに居てくれればいいなあ思わせる人々の話である。

原作を読んでいたので、これを壊されるといやだと思いつつ観たが、なかなか味のある映画になった。松田龍平さんが主人公の馬締光也をだんだん男前にしていってくれた。それもそれに気がつくか気がつかない加減で進んでいく。それを助ける軽薄なオダギリジョーの西岡の役目も上手くはまった。小説もそうであるが、人間関係の暖かさと同時に辞書ともっと仲良くしなくては勿体無い事であると思ってしまう。映像での辞書の言葉たちが本よりも強く印象づけた。沢山の言葉に触れたい人は小説の方がいいと思う。作業などは映画のほうが動きがあって流れが飲み込める。人間関係の下手な馬締くん(まじめの当て漢字が何とも冴えている)を無理に変えようとせず、そのままで上手く周るようにした脚本も芯がある。観ているほうもやはり馬締くんはこう来るのかとこちらも楽しい笑いと先輩達に対する気持ちにほろリとする。舟を辞書「大渡海」のカバーデザインだけで、海の映像に出さなかったのも懸命である。「大渡海」の辞書編集部は嫌々行っても夢中にさせるゆれ具合の舟である。

 

柿葺落四月大歌舞伎 (二)

【第一部】 三、熊谷陣屋

「熊谷陣屋」での熊谷直実の腹の内を判ったつもりでいたが、もっと厚い深層部分があるような気がした。直実は、義経から桜の花の制札<一枝を切らば一指を切るべし>を与えらる。それは桜のひと枝を切ったら自分の指を切り落とせということで、この桜は敦盛で自分の指は自分の息子小次郎の事と解釈し、敦盛の身替わりに小次郎の首を差し出す。この首実検が「熊谷陣屋」の重要な場面なのである。直実は義経の言葉の解釈がこれで良かったのかどうか陣屋に帰るまでじっと考え続けたであろう。直実(吉右衛門)の花道からの出となる。

義経の言葉の解釈を間違えたら我が子を身替わりにしたことが何の意味もなくなる。直実はなぜ自分の子を身替わりにせねば成らなかったのか。ここでは敦盛は後白河院と藤の方との間に誕生した、院のご落胤なのである。そして直実とその妻・相模(玉三郎)は後白河院の御所に仕えていたとき恋仲となり不義の罪で死罪(職場恋愛は認められていなかったのかこの辺は不確実)となるところを藤の方に助けられ武蔵の国へ下り、今の地位となる。東国へ下るとき相模と藤の方は二人とも懐妊しており、その子が小次郎と敦盛なのである。

先ずは無官太夫敦盛を後白河院のご落胤に設定していて、直実夫婦は藤の方に命を助けられ一子小次郎がいる。この複線が凄い。さらに義経はこの事実を知っているのである。

義経の意を汲み首実検に臨もうとする直実の前に考えに入れていなかったシチュエーションが出現する。妻の相模が東国から陣屋に来ていたのである。今回、吉右衛門さんと玉三郎さんが顔を見合わせたとき、直実の心の動揺とどう対処すべきかを瞬時に考える直実の内面の動きが反射し、そうだこれは大変なことなのだと今まで以上に納得した。

さらに、妻相模を上手くあしらおうと思ったのに、藤の方(菊之助)までが来ていて、直実を敦盛の仇として切りかかる。直実はそれを押さえ、敦盛の最後を語ってきかせるのである。この物語が、相模と藤の方の出現によって出来た直実の見せ場で、芝居の話の筋と同時に役者の見せ場を作るための筋立ての素晴らしさと思う。直実は藤の方に語っていながら見えているのは小次郎なのである。何回かこの芝居を観ていると、ここは藤の方を忘れて父親としての直実かなと想像する箇所がある。吉右衛門さんの直実にもそれが透けて見えた。

藤の方は納得し敦盛の青葉の笛を取り出し吹くと障子に敦盛の影が、それは敦盛が身に着けていた鎧兜であった。この辺りは「平家物語」を基盤として観客も敦盛の死を想像している。敦盛の死と考えているとその後の展開が驚きでそうなのかと思うし、すでに小次郎と知っていても今度は役者の演じ方に目が行きそれぞれに楽しみ方がある。

いよいよ義経(仁左衛門)の首実検である。制札を前に仁左衛門さんの義経が「敦盛の首に相違なし」の前にちらっと直実に」対し情をみせ、ここで涙がでてしまった。「相違なし」で吉右衛門さんの直実はやっとほっと安堵する間もなく、相模が小次郎の首と知り、藤の方も立ち騒ぐ。それを制札で押さえ、制札を逆さまにして肩に受ける見得となる。この制札も小道具として大活躍である。

真実を知ってからの玉三郎さんの相模のくどきは初めてである。打ち掛けを使い、打ち掛けに包んだ小次郎の首をしっかりと抱きかかえ、観客にその顔をみせつつ嘆き悲しむ。菊之助さんの藤の方に同じときに生まれた小次郎の首を敦盛の首として見せ、藤の方の涙を誘う。座敷上で敦盛の死を嘆いた二人が、今度は庭先で観客に近づいて嘆き悲しむのも立場の逆転の設定として見事である。役の位置関係も見せ所でよくできている。

この後、義経は石屋の弥陀六を、幼いころ自分を助けた宗清と見破り敦盛を託すのである。全てが終わり直実は世の無常を感じ出家する。花道での有名な台詞「ああ十六年はひと昔。夢だ、夢だ」小次郎の生きた年を思い、さらにあの時自分の命は助かったがそれは何の為なのか。やるせなさ、せつなさが胸を打つ。

「平家物語」が史実のはっきりしない部分の多いこともあってそれを使い、新たな複線で役者の見所を作り、さらには人間の組織の中での個人の無力観、無常観をも引き出した芝居である。この芝居に押し潰されないように長い時間をかけて練り上げられてきたのである。

 

柿葺落四月大歌舞伎 (一)

新しい歌舞伎座で一番拍手を贈りたいのは三階席から花道の七三(すっぽん)が見えることである。ここが見えるのと見えないのでは物によっては芝居が半減するものもある。今回の観劇で感じたのは、役者さんたちが気持ちを引き締めていることである。これだけの数の歌舞伎役者が同じ舞台に立つということは滅多にあることではない。この機に、幹部たちは芸を伝えようとし、次の世代はそれをしっかり受け止めようとの気迫がある。それはやはり、新しい歌舞伎座出演を成し得なかった方々への鎮魂と魂の引継ぎであろう。華やぎの中にも静謐さがある。

【第一部】 一、壽祝歌舞伎華彩(ことぶきいわいかぶきのいろどり) 鶴寿千歳

宮中での祝いの舞と新歌舞伎座の祝いを掛け合わせた舞踊で厳かな中にも艶やかさがある。染五郎さんの春の君と魁春さんの女御の踊りの後、権十郎さんと高麗蔵さん率いる宮中の男性と宮中の女性10人が並ぶと華やかさが増し、そこに長寿の象徴の藤十郎さんの鶴が降り立つと、新歌舞伎座開場を供に寿ぐ気持ちにさせられる。染五郎さんは先月一條大蔵卿を演じられているので一層貴族の優雅さが増したように観える。衣裳の扱いも美しい。おそらく若い役者さんで初めて着る衣裳の方もあるであろうが、一ヶ月その衣裳と付き合えると云う事は体に馴染むわけで貴重である。金の鶴を飾った冠に薄物の白の衣裳でゆったりと鶴の形を見せつつ踊る藤十郎さんのほんのりした柔らかさがほのぼのとさせてくれた。

二、お祭り  十八世中村勘三郎に捧ぐ

勘三郎さんゆかりの役者さんたちが明るく踊ってくれる。幕が開き浅黄幕のとき「十八代目中村屋」のお向こうさんの声がかかる。浅黄幕が下りると三津五郎さんの鳶頭を中心に、橋之助さん、彌十郎さん、獅童さん、亀蔵さん。芸者衆が福助さん、扇雀さん。若い者、手古舞と賑やかである。途中勘九郎さんと七之助さんと、なんと勘九郎さんの息子の七緒八くんが花道から登場である。予想外のサプライズである。舞台真ん中の床几に行儀良く座り動じることなく、開いた扇を持って動かしたりして皆の踊る様子などをみている。驚いたのは勘九郎さんが踊りの最後右袖を左手で少し上げ見得を切ると七緒八くんが同じように座ったままで可愛らしく見得を切ったのである。今回、この一番小さい七緒八くんから始まり、国生くん、宗生くん、宜生くん、虎之介くん、金太郎くん、大河くん、玉太郎くんがきちんと役にはまり子役としての力量を示してくれた月でもあった。

三津五郎さんと巳之助さんがおか目とひょっとこのお面で踊るのを観ていると、三津五郎さんと勘三郎さんの「三社祭」がふっと浮かぶ。勘九郎さんが左足で立ち右足をたっぷり引いて間を置き大きく前にせりだしいい形に決まると、勘九郎さんが膝を痛めたとき勘三郎さんが「俺さらはなくても踊れるよ。代わろうか。」と言われてた映像を思い出す。七之助さんは、厳島での連獅子の時毛振りを注意されていた。もっともっと勘三郎さんに怒って注意して欲しかったと思う若い方は多いであろう。怒られてもこの人ならと思える関係はなかなか得られるものではない。そんな事をつらつら考えつつ「お祭り」を楽しませてもらった。

 

意外なところで楽しい発見

友人から借りた本を早く読むように催促され慌てて開いたら楽しいことが。(「舞台の神に愛される男たち」関容子著)

役者の柄本明さんが銀座生まれ。それも聖路加病院で誕生している。5、6歳頃銀座から引越しされてしまった。新橋演舞場そばのかつての築地川でボートに乗ったし三原橋の映画館にも覚えがあると。お父さんが殿山泰司さんと泰明小学校の同級生。お母さんは歌舞伎が好きで、両親の映画の話を聞きつつ育ったようである。新橋演舞場での「浅草パラダイス」のときなど銀座生まれのアドリブもなく、筋書きも買わなかったのでこの本に出会うまで全く知らなかった。柄本明さんと和泉雅子さんは同じくらいの年齢である。幼少の頃の和泉さんの探検場所はお聞きしたので柄本さんの探検場所をお聞きしたいものである。お二人がそれぞれの世界観で銀座をちょこちょこ走り回っている姿を想像しただけで楽しくなってしまう。どこかでお二人はニアミスしていたであろう。

殿山泰司さんの人生を新藤兼人監督が映画「三文役者」で表したが殿山さん役は竹中直人さんだった。映画好きの柄本さんのお父上も殿山さんの映画は沢山観られたことだろう。

加藤武さん。この方は歌舞伎通で有名である。生まれが築地で泰明小学校。歌舞伎座の前を通って通学していたのであろう。戦時中、小学生は集団登下校させられ同じ班の下級生に澤村田之助さんがいて、ツー・カーで歌舞伎の名セリフをやりとりしている様子が、子供ながらも得意げで夢中である。歌舞伎座が空襲で燃えてるのも目にしていて、焼けたのは第三期歌舞伎座でその後に建ったのが第四期、そして今のが第五期歌舞伎座である。

この本に登場される役者さんは個性的な方が多い。関さんは高校の歌舞伎研究会に入られ、その他沢山の舞台を観ておられるので実現可能となったのであり、嬉しいことに意外な楽しい話を沢山引き出してくれている。役者さんの幼少時代から入り役者や演出家、脚本家、映画監督などへの経過を聴かれていくが、出会った人などの個性や影響力も感じ取れるような引き出し方で、その影響を与えた人についてももっと知りたくなる。

その一人は、関さんが別本にも書かれている勘三郎さんで想像以上に勘三郎さんは他の方たちの舞台を観られていたことがわかる。

坂東三津五郎さんは良き友、良きライバルであったので勘三郎さんが登場するのは当たり前であるが、三津五郎さんが勘三郎さんを見る視点が三津五郎さんならではで、勘三郎さんの芸に対する冷静さも捉えている。お城の好きな三津五郎さんが勘三郎さんに請われて案内したのが福井県にある丸岡城というのも、小さいがきりっとした古城で微笑ましい。例えば赤穂城をお二人に示したら、三津五郎さんは学術的興味から入られるであろうし、勘三郎さんは内蔵助を演じる前にされた、江戸と赤穂を駕籠で何日で行けるかという発想になるのだろうなあと考える。

その他、三木のり平さん、寺山修司さん、三島由紀夫さん等語る人たちが並みの方たちではないのでいつもの照明ではない光りを当ててくれてきらきら光ったり違う光りかたもあったとも取れる。何かを目指す人間が良き仲間を得たりまた反対にどうしても相容れなかったりという確執も垣間見れ、語り口は優しいが痛みも隠さない意外な怖さもはらんでいる本である。だからこそ<意外なところで楽しい発見>が濃密となるのである。

《柄本明・笹野高史・すまけい・平幹二朗・山崎努・加藤武・笈田ヨシ・加藤健一・坂東三津五郎・白井晃・奥田瑛二・山田太一・横内謙介》

銀座の変化

新しい歌舞伎座の開場で東銀座界隈は地下も地上も開演と終演時は大賑わいである。一幕見も長い列である。歌舞伎に関しては後日として、歌舞伎の二部と三部の間が40分近くあったので三原橋の閉館になった映画館のある地下に食事に行く。三越側はもう地下に通じる下り階段がなく、時計のあった広告塔もなく道路の一部となってしまっている。信号のある歩道を回って反対側へ。まだ、銀座シネパトス1・2・3・と表示がある。地下に入り、開いているお食事処「三原」へ。映画「インターミッション」に出演していたご主人がいるお店である。

「カレーだとすぐ出来ますか」と尋ねる。「カツカレーでもなんでも」と。余り重いと次の観劇で眠りを催すので牡蠣フライカレーとする。カウンター越しにお味噌汁を受け取り、ジュウっとフライを揚げる音を聞きつつお味噌汁を飲んでいたら程好いころに出来上がる。牡蠣フライとカレーが楽しめるというわけである。歌舞伎座から歩いてきて食事しての正味時間25分位。思い立ったのが幸い、この地下のお店に寄ろうと思いつつ映画館のある間は実現しなかったことが実現した。それも映画に出てきたお店に。ご主人は映画と同じ雰囲気である。映画の中のご主人が良かったことを告げ再び歌舞伎座へ向かう。

映画「インターミッション」は映画評論家の樋口尚文さんが銀座シネパトスの閉館になるのを惜しまれこの映画館を舞台にされて撮った初監督の映画である。今だどのような映画評論を書かれているのか読んだことはないので映画監督しての出会いが先になった。その監督に賛同された俳優さんが多数出演している。秋吉久美子さん、染谷将太さん、香川京子さん、小山明子さん、水野久美さん、竹中直人さん、佐野史郎さん等。

閉館が決まった映画館を訪れた客たちの映画の休憩時間に話す会話を主に繰り広げられるオムニバス的展開である。「三原」のご主人は、お店の客の竹中直人さんがくじらのベーコンが美味しかったので四皿追加注文をすると「二皿」と答える。ご主人は美味しくても二皿が適当と思っているようである。竹中さんは「四皿」を主張。ご主人動じず「二皿」を主張。ただそれだけの事なのにこのやり取りが可笑しい。儲け主義でないご主人と客の意志を通そうとする竹中さん。この勝敗は見た人が決めることのようである。私はお店のご主人に軍配をあげる。

もう一つ気に入ったのは映写技師の青年。恋人に原発反対のデモに皆行ってるのにあなたはこんな所でアルバイトなんかしててと言われたとき、こんな時だから大島渚とか吉田喜重のの映画を映し続けていることに意味があると自信なさそうにに言う。どこにでもいそうな若者の雰囲気がいい。古い映画のフイルムなんかをつないで見ているお客に待たせないように頑張っている。それでいながら染谷さんにけりを入れられて。くやしい。蹴り返しなさいよ。奥野瑛太さんという役者さんらしい。風袋が上がらない感じで却って映画人の心を伝えた。この映画が公開前に大島さんも亡くなられた。今、大島監督作品で見返したいのは「愛と希望の街」と「少年」である。香川京子さんのインタビューの三人の巨匠の話も面白かった。竹中さんの映画作りのハチャメチャな話もどこが本当か嘘かわからず面白い。

「インターミッション」は自分の好きな休憩時間を見つければよいようにできている。。映画館のある地下が実際より奇麗な場所に映っていたのには驚いた。もっとレトロである。秋吉さんと染谷さんがそこで言い合う時後ろの映画紹介のビデオモニターの映像が凄い映画ばかり映していてそちらばかり見ていた。あと映画館の中にB級映画の説明文のようなポスターがあったが「八人の侍」「赤い山脈」のようなおちゃらかな映画名でも欲しかった。

そんなわけで、銀座の一部が映画の中にまた一つ押し込められたのである。

 

国立劇場 『通し狂言 隅田川花御所染 女清玄 』

若手の大抜擢での公演であるが、残念ながら若手の魅力が伝わってこなかった。

入間家の執権粂平内左衛門(くまのへいないざえもん・実は平家の残党)がお家乗っ取りを企み、入間家の桜姫の許婚頼国を殺す。平家側の北條によって滅亡した吉田松若丸は魔界から現れ平内と手を組み頼国に成りすます。松若丸は桜姫の姉の花子の許婚なのであるが、行方知れずとなって三年立つため花子は剃髪し清玄尼となる。

清玄尼は夢の中で松若丸と結ばれる。清玄尼は清水の舞台から飛び降りる。松若丸が清玄尼を助ける。清玄尼は松若丸を恋い慕う余り仏の道を踏み外して行き、清玄尼に思いを寄せる船頭の惣太に殺されてしまう。妹の桜姫も許婚の松若丸を追い松若丸に巡り逢うが、二人に嫉妬する清玄尼の霊が現れ、苦しめられる。

大詰めで、吉田家の郎党軍助や忠臣粟津六郎により清玄尼の煩悩の世界も打ち払われるのである。

短く整理するとこんな感じであるが、実際には、それぞれの思惑があり一筋縄ではいかない話である。中心は深窓のお姫さまが突然一人の男に対する恋慕の情から狂い始めるわけで、そこにお家乗っ取りの話が加わるわけであるが、上手く回転していかなかった。それは、複数の若手抜擢と、25年ぶりの復活狂言ということで基本経験の薄い若手が新たに役作りをしなければならなかったことにあると思う。福助さん(花子・清玄尼)一人で引っ張る形となった。錦之助さん、翫雀さん、男女蔵さんが出てくるとほっとしてしまう悲しさ。宗之助さんは形になっていました。何を言われようと大きな役をやり通されたのですから、次の挑戦の機会を松也さん、新悟さん隼人さん、児太郎さん達は虎視眈々と狙って欲しいと思います。

残念な事に赤坂の勘九郎さんの舞台は観れなかった。新しい歌舞伎座となるが若手の歌舞伎を見続けると、歌舞伎を成り立たせていく役者さんの修練の必要時間の長さと脇役の重要性を感じてしまう。一つ一つぶつかっていくしかないのであろう。

こちらもまとめつつ本当にそうなのかと自分の見方、感じかたに疑問視しつつ、ぶつかっているのである。次の時にはもっと自信をもって納得したいと願いつつ。

 

新橋演舞場 『三月花形歌舞伎』 (夜の部)

「一條大蔵譚」(檜垣・奥殿)

この作品については2012年12月3日に<国立劇場12月歌舞伎『鬼一法眼三略巻』(2)>で、中村吉右衛門さんの一條大蔵卿について書いている。その甥の市川染五郎さんの初役である。染五郎さんは外見は二枚目であるが、二枚目半か三枚目の時のほうが伸び伸びと地なのであろうかと思わせられる楽しさがある。三枚目を演じているという空間がなく自然である。それゆえ<作り阿呆>は上手く演り通せるであろうと予想した。

吉右衛門さんに習われたのであろう。きちんと準えている。声の含みの自在さはこれからであろうが、柔らかさは申し分ない。あとは正気になってからのハラの深さであろうが、こちらは時間が必要と思う。時代の大きなうねりの中での一人の人間を演じる時、背中に時代を背負い、そこに踏みとどまりおのれの意思を通す人物像が見えてこなければならない。その空気を伝えるのは大変難易度が高いと思う。

吉右衛門さんは柔らかさと愛嬌に苦労されていたように思う。それを上手く出せたとき、本来の心理描写の上手さと合体し絶妙な大蔵卿となった。先人の歩いた道を辿らせてもらえばその距離感はわかる。それを何度か繰り返すと違う道からもと挑戦したくなり失敗したり手応えを感じたりして面白みが加わるのかもしれない。染五郎さんも憧れていた役であり、大蔵卿の支度をして宣伝写真を撮るときの喜びは大きかったようである。その喜びの分はこちらにも伝わってきた。次が楽しみである。

「二人椀久」

染五郎さんと菊之助さんである。美しい椀久と松山である。夢の中でやっと逢えた二人である。二人の連れ舞は美しさだけではなく、ほのぼのとした喜びと嬉しさと楽しさが欲しい。染五郎さんは初役ということもあるのか、踊りに硬さあった。菊之助さんは踊りこんでいる感がありリードされていた。それは松山が椀久を夢の世界に引き込むという点からすれば良いのだが、松山が消えてしまい現実では無かったのだという時、あの楽しそうな二人の世界をこちらにもう一度彷彿とさせ酔わせてもらいたかったのである。