本との縁ある出会い

パソコンで想わぬ映像や書き込みに出会うのも嬉しいが、本との出会いは格別である。

図書館で「冥途の飛脚」を捜していたら、その隣に「“古典を読む” 平家物語」(木下順二著・岩波)が並んでいる。『平家物語』に出てくる人物を<忠盛・俊寛・文覚・清盛・義経・知盛>物語の中から追いもとめ、それぞれの生き方を捉えている。文覚を『平家物語』から選び抜粋していたので、抜け落ちが無いかどうか確認でき助かった。

「“古典を読む” 平家物語」の、<巻尾に>に木下さんが『平家物語』と本当に付き合いだしたのは、 <1957年、故・石母田正君の「平家物語」(岩波新書)に接した時からだと言っていい>と書かれてある。石母田さんの本は、木下さんの本と出会う数日前に初めて入った古本屋さんで目にし購入していた。またまた奇縁である。

木下さんは、画家・瀬川康男さんと組まれ「絵巻平家物語」(全九巻)を作られた。瀬川さんが凝りに凝って刊行に八年かかったとある。一人一巻で岩波の本に<祇王・忠度>を加えている。この本は児童書であるが、年数をかけただけに絵・文章ともに味わい深く解かりやすい。

さらに木下さんは<山本安英の会>で “群読” という問題を考え始め、「『平家物語』による群読ー知盛」を発表、上演し、その延長に「子午線の祀り」があるという。

この「子午線の祀り」は、1999年に出演・野村萬斎・三田和代・鈴木瑞穂・市川右近・木場勝巳・観世栄夫・等で見ている。その物語の膨大さに感動したのであるが、細部は解からなかった。その頃『平家物語』は頭の中にはない。もう一度観たいものであるが、戯曲だけでも読む事とする。

 

国立劇場 12月文楽公演 (2)

『刈萱桑門筑紫いえづと(かるかやどうしんつくしのいえづと)』                     【高野山の段】

石童丸は一人で高野山に登り一人の修行者に会い父の名を伝え尋ねる。その修行者こそ名を改めた父・刈萱道心でしたが刈萱は <『待てしばし、仏前にて誓ひを立てたる恩愛妹背、ここぞ』と思ひ>名乗らず、母親のためにと薬を与え <来た道筋は難所にてくたびれ足では叶うまじ。こちらへ往けば花坂とて平地も同じ事、馬もあり駕籠もありいざいざ立つて往かれよ>と泣く泣く引き返す石童丸の跡をそうっと追うのである。

石童丸の幼さ、刈萱道心の修行者の姿になっても迷う父の子に対する気持ちは、高野山という情景の中で静かに淡々とすすんで行く。

私たちは、大阪難波から南海高野山線で極楽橋駅へ、高野山ケーブルで高野山駅へ、そこからバスで高野山へ登っていったのであるが、石童丸は <いたはしや石童丸、かかる難所をたどたどと心も空に浮き草の根ざしの父は顔知らず、名のみしるべに尋ね往く。>

大夫の語りと太棹の糸に乗って物語の高野山へと導かれていくのである。

『傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)』                                                【新口村(にのくちむら)の段】

『傾城恋飛脚』は今回が初めてなのかもしれない。『冥途の飛脚』は【淡路町の段】【封印切の段】【道行相合かご】まで見ている。【新口村の段】は『傾城恋飛脚』で見る事になった。        実話を人形浄瑠璃作品にしたのは近松門左衛門で、その改作に紀海音(きのかいおん)の『傾城三度笠』があり、これらの作品を基にしたのが『傾城恋飛脚』である。(今回学んだ)

歌舞伎では『恋飛脚大和往来(こいのたよりやまとおうらい)』 【封印切】【新口村】となり、こちらは何回も見ている。

『傾城恋飛脚』の【新口村の段】は、公金を横領するかたちとなってしまった大阪の飛脚屋・亀屋の養子・忠兵衛が遊女・梅川と落ち延び忠兵衛の父・孫右衛門との対面と別れの場面である。忠兵衛と梅川は追われる身なので孫右衛門の家に往く事は出来ず、孫右衛門の下働きをしている人の家を尋ね、その家の内で孫右衛門と会う。歌舞伎では外での対面だったので違うなとおもいつつ見ていた。

孫右衛門は氷に足を滑らせて転び鼻緒を切ってしまう。それを梅川が家の内に招き入れすげ替えてくれる。孫右衛門は言葉の様子から息子の恋人・梅川と知る。孫右衛門は養子先の親への義理から息子に会えば訴人しなければならないので息子には会えない。梅川は機転を利かせ、孫右衛門に目隠しをして親子の対面させ、そっと目隠しを外す。再会を果たしてもすぐに別れなくてはならない親子。孫右衛門は二人に裏の道を教え涙ながらに見送るのである。

『冥途の飛脚』では親子は直接会わず、忠兵衛と梅川が捕えられて孫右衛門は対面するかたちと成り、忠兵衛は父に自分の姿を見せたくないので、<面を包んでくだされ>と頼み、忠兵衛が目隠しをして幕となる。

今回の親子の対面は、語りが竹本文字久大夫さん、三味線が野澤錦糸さん。文字久大夫(もじひさだゆう)さんの師匠は、人間国宝の竹本住大夫さんでその相方の錦糸(きんし)さんの三味線だったので、時として住大夫(すみだゆう)さんを思わせるかたりの部分があり思わず床の方を見てしまった。テレビのドキュメントで文字久大夫さんが住大夫さんから何回も駄目だしをだされながら教えを受け、住大夫さんが公演で語るときは床下に位置し学ばれていたのが印象にある。その住大夫さんが、引退された越路大夫さんのところに教えを請いに往かれ、そばには錦糸さんが常にいて伝統芸能を受け継ぐ厳しさを伝えていた。

 

 

 

北林谷栄さんとミヤコ蝶々さん

水木洋子さんはエッセイの中でお二人の事を書かれている。

北林さんは映画「キクとイサム」の時 <その最初の打ち合わせに農村漁村の分厚い風俗写真集や、へキ地で老婆から譲りうけた着物や帯や、財布のアカじみた数々をかつぎこんで、どれにしようかと見世をひろげる北林谷栄の土根性は、映画を金かせぎと考える人たちには見られない一本気であり、またヅラ(かつらのこと)一つにしても、予算で意にそわないものは、自前を投じても他であつらえなおすという慎重さは、顔に描くシワひとつにしても背や腰に入れるフトンひとつにも彼女独自のチミツな工夫がある。>

水木さんは映画「喜劇 にっぽんのお婆あちゃん」の北林さんの競演するお婆さん役にミヤコ蝶々さんを希望した。 <映画で北林さんと競演の時、ひそかに8ミリで自分の歩きつきを研究し、北林さんはコンタクトレンズに凝るなど、火花の散る両者であったが、私の目算通り、蝶々さんは創り上げた相手に対し、さりげなく淡々と味を滲み出して天下の婆さん女優に遜色を見せなかった。>

ミヤコ蝶々さんは <それからお婆さん役が続々ときて、音を上げ、イメージがこわれると断るようになったと聞いている。>

「喜劇 にっぽんのお婆あちゃん」のラスト、自殺を考え薬を飲もうとする蝶々さんが見るテレビの中に北林さんが、マイクを突きつけられテレビ局の演出のもっていきたいほうにしゃあしゃあと養老院で上手く行っていると答えている。北林さんは自殺まで考えて飛び出して来た所なのだからバラ色の世界の場所ではない。蝶々さんもそれは解かっている。でもここだけしか自分の居場所が無いと悲観するよりも、同じ行動を取った友もいるということに生きる価値を回復させるのである。したたかな老人にならなければ。

役者としてもそれぞれの個性を貫くしたたかな心意気をもたれたお二人である。

こちらでも少し触れている →https://www.suocean.com/wordpress/2012/12/16/

国立劇場 12月文楽公演 (1)

『刈萱桑門筑紫いえづと(かるかやどうしんつくしのいえづと)』                                              【守宮酒(いもりざけ)の段】

<守宮酒>というのは、つがいのイモリを浸した酒で、これを飲むと心寄せる人間が自分のほうへ心が傾くという媚薬である。

筑紫国の城主・加藤繁氏(刈萱道心)は世を儚んで出家してしまい、幼い石童丸が跡継ぎとなる。そこへ、豊前国の領主・大内之助義弘が加藤家の家宝<夜明珠(やめいしゅ)>をさし出せと命じる。加藤家は、この珠(たま)は二十歳を過ぎた穢れのなき娘がもたなければ光を失うと伝え、義弘の家臣の娘ゆうしが使者として受け取りに来る。

人形ゆうしの衣装、紅白梅の飾りを付けた被りもの、出で立ちが美しい。ゆうしは伊勢神宮に仕える娘で、操を守るため髪に白羽の矢を挿している。人形の衣装の着付けは、その人形を遣う人が整える。そのため少しゆったりと着付けたり、引きつめて着付けたりする事によって人形の雰囲気も変わるのであるがそこまで見極めるのは至難の業であろう。

ゆうしは自分の任務を果たすべく気を引き締めて来たのであるが、この<守宮酒>を飲まされ、加藤家の執権・監物(けんもつ)の美男の弟・女之助と結ばれてしまう。その事を盾に取り、偽物の<夜明珠>を見せ、ゆうしの不浄により珠が光を失ってしまったと説明する。  ゆうしは自分を恥じて髪に挿していた白羽の矢で喉をつく。うまい道具立てである。

ここでゆうしの乱れ姿が一層悲しみをおびた色香となり、半身の白い衣装の袖がゆらゆらゆれる。人形だけに透明感のある美しさである。人形は時として生身の人間では表現できない艶かしさを見せてくれる。ゆうしは自分の父に向かい契ったからには女之助は夫であると主張し息絶える。

ゆうしの父は図られた事を悟るが娘の死を無にせぬため、珠を切り〈この珠こそ娘の敵である。あとでその珠偽物などというなよ。本物があるなら石童丸と御台に持たせて立ち去れ〉と言い残す。その夜、石童丸御台は加藤繁氏のいる高野山に向かうのである。

物凄い展開である。お家騒動があり、そこには常に宝物がでてくる。そして誰かが死に追いやられ親子の情、家臣の情、男女の情などがかたられる。この展開は作者の腕の見せ所であり、その見せ所を語りと三味線と人形が見物客に伝えられるかどうかの闘いなのである。

その闘いの中に見物客の心地よい居場所があるかどうかそこに懸かっている。

展開がよく解かったので客としては、もう一度見て噛み締めたいところである。

 

 

息抜き雑感

歌舞伎「籠釣瓶(かごつるべ)」の観劇感想がいまだ上手くまとまらずもやもやしている。元歌舞伎座であれば一幕見があったので駆けつけてもう一度見ているところである。新しい歌舞伎座に一幕見は出来るのであろうか。昼の部を見て夜の部の一幕を見るため走ったり、昼の部の一幕を見て安心して夜の部を見たりと様々なバージョンを組み合わせられたのも観劇継続の条件に入っていた。願わくば・・・・であるが。

 

長唄にも盛遠(もりとう)と袈裟御前(けさごぜん)の逸話を題材にして作品が出来ていた。「鳥羽の恋塚」で、どんな長唄か聴きたかった。YouTubeで検索したら映像があって聴けた。それも作曲した四世吉住小三郎さんの映像である。何と幸せな事か。作詞は半井桃水(なからいとうすい)。あの樋口一葉の文学上の師であり恋した相手である。詞はよくまとまっておりなかなかである。そして曲が良い。こういう時、パソコンの便利さを思う。京都の丹波橋から桂川よりに盛遠が文覚上人となってから袈裟御前のために建立した恋塚寺があるようだ。

 

お勧め映画。<山田洋次監督が選んだ日本の名作100本 喜劇編>にいよいよ「喜劇 にっぽんのお婆あちゃん」が放映される。12月18日(火) NHKBSプレミアム 21:00~ 監督は社会派の今井正、脚本が水木洋子、主演がミヤコ蝶々と北林谷栄である。主演お二人のやり取りは見所だが、その他色々なおばあちゃんが出て来て、それまで演じてきた役者さんの特徴をよく掴んだ役柄にしていてそれも可笑しくて楽しい。セールスマンの木村功さんのセールスマンぶりは必見かもしれない。水木さんの締めくくりは転んだままでは居ないのである。すくっと起き上がるのが良い。三木のり平、小沢昭一、渥美清、伴淳三郎等うまく使っている。山田監督、山本晋也監督、小野文恵アナウンサーのコメントも興味深い。

 

 

高野山

12月の文楽は「刈萱桑門筑紫いえづと(かるかやどうしんつくのいえづと)」と「傾城恋飛脚」である。この「刈萱桑門筑紫いえづと」は高野山に残る<石童丸伝説>から作られている。

<石童丸伝説>は、加藤左衛門尉繁氏(かとうさえもんのじょうしげうじ)は筑前国(福岡県)の領主であったが、妻桂子(かつらこ)と側室千里との間の嫉妬の苦しみを見抜き、世の無常を悟って出家し刈萱道心となる。その直後生まれた石童丸は母千里と父を訪ねて高野山へ行く。病の母を宿に残し一人高野山へ登り偶然、刈萱道心と出会うが父は名乗らない。母を病で亡くした石童丸は再び高野山に戻り、刈萱道心(円空)の弟子となり親子の名乗りを上げないまま、ともに厳しい修行に励んで生涯を送った。

この物語は諸国を回る高野聖たちが高野山信仰を唱導しつつ話して聞かせた。

「平家物語」にもでてくる<横笛>は建礼門院に仕える雑仕横笛との身分違いの恋が叶わず出家した斉藤時頼(滝口入道)を追い横笛も尼となり天野(かつらぎ町)で再会出来ぬまま19歳で病死する。(「平家物語」では歌を交わし、横笛は奈良の往生寺で世を去ったとある)

また、西行法師も高野山に庵室をかまえた。妻と娘はやはり天野の里に住まい西行は時々高野山からそこを訪ねたとも伝わる。

明治の初めまで女人禁制で、有吉佐和子の「紀ノ川」にも慈尊院までは上がれてこの寺を女人高野と云うとある。この慈尊院の場は空海が高野山麓の庶務を司る政所をおいたところで空海の母もここに留まっている。この政所に藤原道長・白河上皇・鳥羽上皇等も宿所としている。

戦国時代には秀吉に疎まれた秀次も高野山に追放され自刃している。真田昌幸・幸村親子も高野山に追放され、昌幸は病死するが、幸村は高野山を抜け出し徳川と戦い討ち死にしている。

宿坊に泊まりたくて友人と三人で高野山の宿坊に泊まったことがある。般若湯(はんにゃとう・お酒)も頼むことが出来た。

友人のまとめてくれた記録によると<本場精進料理ごま豆腐は絶品>、<闇夜に聳え立つ木立の上にほんのり霞む月>、<帰宅したら日々修行(掃除)をしようと決意?>とある。宿坊は何処もかしこも磨かれていて、三人掃除の大切さに目覚めたのだが?

朝の勤行の後、もう一人の友人は次から次へと質問をし、深きお話も聞け、持つべきものは友人であると悟ったが、お二人覚えているであろうか。忘れた者にお助けを。

 

 

 

新橋演舞場 『十二月大歌舞伎』

昼の部は【通し狂言 御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)】。これも「義経記」を土台にして作られた作品らしい。本歌どりのパロディの感があるが「勧進帳」よりも約70年前にあったというから驚きである。能は武士が愛好し庶民は人形浄瑠璃や歌舞伎を愛好し芸能の階層のようなものがあった。歌舞伎の「勧進帳」は能の「安宅」を基にしており、直接見れないので、能舞台の床下に潜んでぬすんだというようなこともきく。

<暫><色手綱恋の関札><芋洗い勧進帳>

昼夜共に若い役者さんがずらりと並び、あれは誰でと楽しんで確認しつつ見ていた。書くほうも歌舞伎の専門用語はきちんとしていないし、筋は頭に入っていないしで若い方と共に勉強させてもらった。

やはり歌舞伎は難しい。江戸時代の人々は、「平家物語」なども琵琶法師の語りから聞いていて、もっと歌舞伎の物語が身近のものであってお弁当を食べつつでもわかったことであろう。その辺の感覚が今とは違っている。楽器も琵琶から三味線へと変わり、浄瑠璃・一中節・常磐津・長唄・端唄などその違いの耳を持っていたことだろう。羨ましい。

夜の部の「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」は何回か見ているので、菊之助さんの初役の八ツ橋がたのしみであった。菊五郎さんも次郎左衛門は初役だそうである。

顔にあばたのある佐野の大百姓次郎左衛門(尾上菊五郎)が吉原の花魁道中で八ツ橋(尾上菊之助)に微笑みかけられ心奪われ八ツ橋のもとに通う。この八ツ橋の花道での微笑みが見せ場であるが、菊之助さんの八ツ橋は綺麗で愛らしかった。この微笑みは次郎左衛門に向けたわけではなくちょっと微笑んだだけが、次郎左衛門にとってはそうではなくなってしまい、身請けの話まで進んでしまう。八ツ橋には浪人の栄之丞(坂東三津五郎)という間夫(まぶ)がいて次郎左衛門との縁切りを迫られる。このとき菊之助さんはかなり気持ちを露にし泣き崩れるが、間夫を目の前にすれば惚れた男とただのお客との比較でここではそこまで感情を出さなくてもと思ったが。愛想づかしのところでだんだん気の毒な気持ちが出てくるのではないだろうか。しかしそこを押し通す辛さを押さえての愛想づかし。少々ヒステリックに見えた。それは菊五郎さんの次郎左衛門が傷つけられた気持ちをかなりストレートに出しているからか。今までの愛想づかしと違って感じられた。ここでも若手の役者さんが並び頑張っていた。

「奴道成寺」は三津五郎さんの踊りで、花子になりすましてしていたのがばれた時の愛嬌、三つの面を使っての踊り分けなど巧みであった。

松也さん・梅枝さん・萬太郎さん・右近さん・廣太郎さん・宗之助さん等がこれから育っていくと役者さんの層も厚くなり楽しみである。

 

 

 

国立劇場12月歌舞伎 『鬼一法眼三略巻』 (2)

【檜垣】周囲の思惑や重盛のいさめもあり、清盛は常盤御前を一條大蔵卿長成に嫁す。清盛の愛妾を、はいはいと受ける一條大蔵卿を皆笑い者にしているが、大蔵卿は毎日、舞にうつつを抜かす〈阿呆〉なのである。
鬼一の弟・鬼次郎(梅玉)は 、常盤御前の本心が知りたく様子を探る為、妻・お京(中村東蔵)を女芸者の狂言師として大蔵卿に仕えさせる。この場は 大蔵卿の出が見所である。どう呆けて出るのか。吉右衛門さんの出は、公家の呆けであった。柔軟で軽い。フワフワと世の中を楽しんでいる。自分の境遇など考えてもいない。平家も源氏も関係なし。今まで演られた大蔵卿で最高の出来と感じた。

宮廷装束の文化を守り伝承している衣装道大倉流の装束劇で「光源氏の加冠」の儀式をDVDで見たが、平安時代の公家は儀式が多かっただけにあの衣装を着こなし優雅な動きをしていた。その公家が呆けても動きはゆったりと優雅でなくてはいけない。その想像に今回はぴったりであった。

誰にも悟らせない、作り阿呆である。その大蔵卿のそば近く仕える鳴瀬(市川高麗蔵)が 、周りの者達をしっかり裁きキリッとしていて良い。主人の作り阿呆を知っていて、悟られないように気を配っているのかもしれないなと思わせる謎がいい。

いいだけ楽しい呆けを見せて花道へ。大蔵卿はそこで鬼次郎に気付くがそこでも正気を見せずに檜扇を開いて顔を隠す、この形もよく考えられていると思う。

この場の茶屋の主人が、鳥羽院が押し込められたと噂し、きちんと時代背景も台詞の中に出てくる。

【奥殿】常盤御前(中村魁春)の本心は、平家討伐であった。夜中まで楊弓に興じていて業を煮やしていた鬼次郎夫婦に明かされたのは、牛若丸の牛に因んで丑の刻に清盛の絵姿を的の下に隠し射ていたのである。それを密告しようとする鳴瀬の夫を大蔵卿は殺し自分の作り阿呆を明かす。この辺りも正気と阿呆の演じ分けが見所である。また、魁春さんの常盤も数奇な運命をたどっていながら気丈に平家打倒の強固な意志を秘めていた。

大蔵卿は鬼次郎に<小松>になぞかけた歌を送る。重盛がいては駄目だ。小松の枯れるのを待たなくては。ここも今回台詞でわかった。「平家物語」を読んでいなければ<小松>は<重盛>と気が付かなかった。

一條大蔵卿の周到さも、その頃の清盛の力の凄さが判ると納得である。再び大蔵卿は作り阿呆に戻るが、観客は笑いつつ共犯者にされているわけである。これは現代劇にも通ずるドラマ展開である。

常盤御前と牛若丸。やはり義経がその中心に一本の線を成している。全部通しでやはり見てみたいものである。

種之助さんの腰元白菊と隼人さんの頼兼は判ったが、米吉さんの弥生が吉右衛門さんの阿呆に気をとられよく見ていなかった。残念。

 

 

国立劇場12月歌舞伎『鬼一法眼三略巻』 (1)

『鬼一法眼三略巻』(きいちほうがんさんりゃくのまき)

「義経記」(ぎけいき)などの説話や史実から創作された芝居らしい。

<菊畑>(きくばたけ)<一條大蔵譚>(いちじょうおおくらものがたり)などは単発で見ているが義経の話が基本にあるとは知らずにいた。ただ「平家物語」を読んでいたので平家がまだ奢り高ぶっている時代の、源氏側の水面下の平家攻略の話で面白かった。

史実にもあるものは、そこでは登場しなかったり目立たない人物でも古典芸能・芝居・映画・ドラマなどで表に大きく登場させることが出来るし、脚色しやすい。これが小説などになると、作家の作った登場人物であるから、作家の描いた人物を壊し過ぎると作品自体の崩壊にもなるのでかなりの制約があるように思う。

歌舞伎に出てくる鬼一法眼も、一條大蔵卿もそんな時代の中で登場する人物であろう。今回初めて自分の中で時代に解放して見せられた登場人物である。時代背景が芝居だからと軽くみていたのである。ところが時代が解かると嬉しいことにもっと人物が生き生きとしてきて、役者さんの演技にも深く入っていけるのである。

このところ「平家物語」様様(さまさま)なのである。

芝居は今回【六波羅清盛館】が約40年ぶりの上演で本当は三段目なのを序幕にもってきている。本来は序と二段目で義経と弁慶の生い立ちをやるようで今回はない。さらに五段目で義経と弁慶が出会うそうで、ここまで知ると、全部通しで見たくなる。

清盛(中村歌六)は吉岡鬼一法眼が所持している兵法の書を差し出すように云うがなかなか差し出さない。それは鬼一法眼が今は平家で元は源氏である。これは明かされないが此のくらいは知っていた方が次の幕での鬼一法眼(中村吉右衛門)の演技がわかる。父の代わりに娘の皆鶴姫(中村芝雀)が持参するが、読み上げろといわれて読むとそれは重盛(中村錦之助)の清盛が義朝の妻・常盤御前を愛妾にしている事への意見書である。出ました重盛。ここでも思慮深い。ここだけの出だが錦之助さんは美しい。少々ひ弱わだがこの辺から重盛の悩みが続くとすればそれも良い。鬼一には幼い頃別れた鬼三太・鬼次郎の二人の弟がいてこの二人が源氏がたについているためその詮議のために湛海(中村歌昇)が鬼一の館へ遣わされる。歌昇さん大きさに欠けるが張り切っているのがわかる。

【菊畑】鬼一法眼の館で鬼一が庭の菊見物に出てくる。この館の奴として智恵内(中村又五郎)と虎蔵(中村梅玉)が仕えている。智恵内は実は鬼三太。虎蔵は実は牛若丸。二人は兵法の巻き物を手に入れたいと思っている。いつも思うが梅玉さんの牛若丸が幾つになっても牛若丸である。その歩き方、座っている時の型が若き貴公子なのである。この役が体の一部になっているのであろう。弟としりつつ清盛の探索から救うため二人に暇を出す鬼一。そこにいたるまでの鬼一と智恵内の探りあい。智恵内と虎蔵との主従関係を見抜く鬼一の仕掛け。吉右衛門さん初役だそうだが初役とは思えない。智恵内は演られているから頭に入っているのであろう。

その後皆鶴姫は虎蔵に思いをよせ、それを取り持つ智恵内のひょうきんさも出す場面でもあるがここの智恵内は難しい。鬼一とのやり取りとは違う智恵内を出さなくてはならない。

鬼一の出から引き付けられたのが、女小姓楓。とても良い形である。鬼一にメガネを渡したりするのであるがその姿のよい事。動いても形が崩れない。胸を張って膝は少し折って少し片足を引いたり。女小姓に見とれたのは始めてである。子供の時から型を体に覚えさせるので他の演劇が敵わないところなのである。大谷廣松さんと思うが。

この後に今回は無い【奥庭】があって牛若が鞍馬で天狗から兵法を習ったという伝説とそれが鬼一法眼であったという展開になるらしいが残念である。時間の制約があるので仕方がないが、それだけこの演目は大きい作品ということである。

【一條大蔵譚】は次になってしまう。これは、現代人も好む話と思う。

 

 

 

勘三郎さんの芸を映像で

十八世中村勘三郎さんの特番の映像が次々と放映される。

一番見て欲しいのは NHKEテレ「十八世中村勘三郎の至芸」である。「髪結新三」と「春興鏡獅子」の二演目が放送される。(9日午後9時から)

ただ見ていただきたい。

追記 (12月11日)

好い映像を放映してくれた。「髪結新三」(かみゆいしんざ)は素晴らしい豪華メンバーである。

新三(勘三郎)・忠七(芝翫)・お熊(玉三郎)・弥太五郎源七(仁左衛門)・大家(富十郎)・勝奴(染五郎)

平成12年の公演であるが、そんなに時間がたってしまったのかと驚いた。あの時、大家さんの富十郎さんと新三の勘三郎さんのやり取りの間を楽しませてもらった事を思い出した。今回映像で見て、小悪党の 新三の上をいく大家さんの強欲さも二人の掛け合いでよく出ている。

きちんと型にはまり、それでいて生身の小悪党のどうしょうもない性根が見え隠れし、本性が出て、また型がきまる流れは見るものをあきさせない。この独特の魅力が勘三郎さんにはそなわっていた。

そして、がらっと変わる女形の舞踊。

リアルタイムで勘三郎さんの芸を見れた事を拳(こぶし)に握りしめる。