『デトロイト美術館展』『ゴッホとゴーギャン展』(2)

ゴッホとゴーギャン展』のほうですが、ゴッホからのゴーギャンとして考えていたのです。ところが、それぞれの表現者ですから、絵を観ているとゴーギャンって何なんだということにいってしまいます。

ゴーギャンといえばタヒチで、タヒチの太陽と文明から解放された島の人々というような感覚ですが、解説読んでみるとそれだけじゃなくて、絵のなかにゴーギャンの思想といいますか追及しているものが隠されているようなんです。解説に書かれていても絵の中にそれを読み取ることはできませんでした。

ただ、ゴッホとゴーギャンが一緒に住んで居た時、絵描き仲間という簡単な枠組みでないことだけはわかりました。

ゴッホはゴーギャンを迎えます。ゴーギャンを歓迎しその部屋に飾るためにひまわりの絵を描きます。ひまわりの絵はゴーギャンとの関係なければゴッホの象徴的絵とならなかったのかもしれません。

ゴーギャンはゴーギャンで自分の絵の定義を求めています。ゴッホも模索していますが、どこかゴーギャンに依存しているようなところがあります。ゴーギャンはゴッホの神経につき合いつつ自分の道を探すほどの余裕はありません。

ゴッホには弟のテオという経済的援助者もいますが、ゴーギャンは家族すら捨てて絵の道を進んでいます。生活基盤の相違からしてそれぞれの想いも違います。

ゴーギャンとの共同生活では、並んで同じ風景もえがいたでしょう。ゴーギャンに対する想いからでしょうか、「ゴーギャンの椅子」も描いています。しかし、ゴーギャンとの共同生活は短いものとなりました。

ゴーギャンはゴッホが亡くなったのちに、タヒチにひまわりの種を送らせてひまわりを咲かせ「ひじ掛け椅子のひまわり」の絵を描いています。この時ゴーギャンは自分の絵というものの本質をつかまえ方向性はきまっています。ゴーギャンはゴーギャンでそこまで走りつづけてきたのです。

ゴッホの神経はそこまで走り続ける程の強靭さと柔軟さはありませんでした。宣教師としても失格で、画家を目指し、機織りをする男性「織機と職工」など働く人々を描き、パリでは自画像を、アルルでは外に出て作物畑などを、「グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝」というゴッホには珍しい小さな花の絵もあります。今回は展示されていませんが、テオに子供ができたとき、青空に咲くアーモンドの花の絵「花咲くアーモンドの木の枝」を送っています。ゴッホと同じヴィンセントを名前つけました。

テオは兄のゴッホが亡くなった次の年に亡くなっています。その後、テオの奥さんがゴッホの展覧会を開いたりして、最終的にはゴッホの甥が、ゴッホの作品を守り父であるテオの想いを成し遂げるのです。

ゴッホもそうですがゴーギャンに関してはもっと表面的にしか絵に接することができず、自分の中でゴッホとゴーギャンの絵をぶつけ合わせることが出来ませんでした。神に対する想いも二人それぞれに屈折しているところがあり、そのあたりも関係してくるようにおもいます。

こちらの展示会には、ゴッホとゴーギャンの椅子のレプリカが置いてありました。

ゴッホとゴーギャンに関しては不完全燃焼です。もう一回観ても無理でしょう。それぞれの画集で時代を追って検証してから、原画をもう一度見直す作業が必要のようです。ゴッホとゴーギャンの自画像を観れただけでも良しとします。ゴッホはどこか不安そうで、ゴーギャンはくわせものといったような斜に構えた挑むようなところがあります。

その他、ゴッホの「収穫」「刈り入れする人のいる麦畑」、ゴーギャンの「家畜番の女」「タヒチの牧歌」などもよかったですし、結果的に観て置いて良かったということでしょう。

さて気分を変えて、ゴッホの映画で違う愉しみ方をみつけることにします。しっぽをまいて早々と逃げるが勝ちです。

 

『デトロイト美術館展』『ゴッホとゴーギャン展』(1)

上野の森美術館で『デトロイト美術館展』、東京都美術館で『ゴッホとゴーギャン展』を開催しています。ゴッホを主軸として観ることにしました。ゴッホは何を見ていたのかという視点も気にかかります。ところがいつもながらの力なさで、そこに個人の好みの視点を入れると、ガラガラとゴッホが崩れていくようで、ただその瓦礫を拾っているような気分もしてきます。

『デトロイト美術館展』では、ゴッホがパリで見聞きし影響を受けたであろう雰囲気を印象派やポスト印象派などの絵の中から味わい、『ゴッホとゴーギャン展』では、ゴッホとゴーギャンの関係を感じとるようにしようと思いました。これまた難しい。今までの観て来た眼力では横道にそれるか、再構成力のなさから袋に瓦礫を入れてそれを静かにそこへ置くだけという状態です。

デトロイト美術館展』に入ってまず驚いたのが、写真OKだったことです。月曜日と火曜日がOKなのです。写真を上手く撮ろうとすると時間がかかり観る眼が中断されてしまうので、全部みてから邪魔にならないようにピンとはそこそこに気になった作品を写しましたが、その人の好みで曜日を選んだ方が良いでしょう。

解説文は写して置いて参考になりましたが、実物の絵と写真では全然比較になりません。絵は自分の眼に焼き付ける時間をとったほうがいいという結論でした。

ゴッホの黄色い麦わら帽子をかぶった自画像の麦わら帽子の感覚が写真ではとらえられないのです。とにかくゴッホの絵の具の凹凸感は、写真では無理です。

ゴッホの麦わら帽子の色一つとっても変化をします。その中でこれだけ黄色い麦わら帽子の色の絵はないでしょう。それも筆触が絵の具の量であらわすかのように多いのです。明るさに反撃しているようにもおもえます。

『志村ふくみ展』の図録で、高階秀爾さんが、志村さんの日本独特の美意識の例として茶と鼠を挙げていることに対して、印象派のことにも触れて書かれています。茶と鼠は地味で暗い色の感じの色で、印象派の画家たちがパレットから追放した色であるが、日本人は、四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)というほど多様な色を認めていたと。茶と鼠は江戸の粋な色でもあったんですよね。

ゴッホは、暗い色から始めています。ゴッホは四十八茶百鼠のように、わずかな色の違いを感じていて、その色を捨てていけなかったのかもしれません。パリでその新しさを吸収しつつ闘い、細い線描の集まりの自分の顔に対して、麦わら帽子に太い筆触をもってくるあたりにも、闘いそのものが感じられます。

セザンヌの「サント=ヴィクトワール山」などは、いかに平板に描くかを試みていたのだそうで、そういう試み方もあって描いていたのかとはじめて知りました。

その後のピカソにいたると、「座る女性」などは茶と鼠色だけで、絵画史の流れにとらわれない独自の色の使いかたをしているように思えますし、愉しくなるような色の組み合わせもありますし、また少し楽しみかたが増えました。

ゴッホの自画像は、パリの新しい風になじもうとしつつも自分の絵に迷いが生じ、その絵が売れるかどうかによって決まる絵の価値に対する反逆など、あらゆることが含まれている自画像です。

ゴッホのもう一枚は「オワーズ川の岸辺、オーヴェールにて」はこれからボートを楽しむ人々の姿がある風景ですが、川は直線のタッチで周りの木々の葉は曲線のタッチで男性は黒で縁書きされていて、赤系の色も少し入り、一枚の絵に今捨てきれないすべてをえがきこむゴッホの姿があるようにおもえました。ゴッホは二枚でしたが、少ないだけに細かく見入りました。

この展覧会では、出口のそばに凹凸感もある手でさわれる複製画があります。ゴッホとセザンヌの絵もあって、ゴッホとセザンヌは実物の絵を観ていて触りたいとおもいましたので粋な試みでした。

 

シネマ歌舞伎『ワンピース』

群像劇の『ワンピース』が、映像となった場合はどうなるのか。

ダイジェスト版として、観劇を再生する為にもとおもって見たのですが、最初から観劇で観た位置とは違う映像が沢山あり、映像としての『ワンピース』を楽しめました。

歌舞伎の見得の表情が皆さんいいのにも驚きでした。動きが激しいのにここはきめるところとしっかりときまっています。着地成功というところですが、着地が結構多いですから映像のための編集があったとしても歌舞伎の筋は通していました。

かなり削除されている部分もありますが、その部分は上手く説明を加え、初めて見る人への配慮も考えて編集されています。なるほどこう編集できるのかと新たな見方ができました。アニメ的な画像も加えられていましたが、違和感がなくかえって、映像ならではの弾みとなって映画を楽しんでいるという感覚なのですが、あのクジラとルフィの波乗りの宙乗りは劇場の中ですが、どこから観ればこう観えるのであろうかと、不思議な空間に映りました。

ルフィが膝を曲げてサーフボードをくるっと後ろに返すのが格好良くてさらに笑えます。猿之助さんがしらっとしてやってのけ、皆があれっとおもってざわつくのですが、そのまましらっとしているのがかえって可笑しくて宙乗りの楽しさを増してくれます。と書きつつ本当にそうだったのかなと近頃疑問になることが多いのです。書きつつ自分の感覚にはめ込んでいるのではと懐疑的になるのです。自分の感覚で楽しまないとつまりませんから、人の感覚は信用しないほうがいいです。

ルフィの腕が伸びるのを知りませんでしたので踊りの時に、ルフィを真ん中にして何人かが横に腕を組んで繋がり、ルフィの腕が伸びたように演出したのも、今回は印象的で、そうであったかと納得して楽しめました。単に腕が伸びるだけではなく「TETOTE」の歌詞にもつながるような動きになりました。

小さいチョッパーが、大きいチョッパーになって出て来たのも角でわかり、キャッチできました。よかった。

ところが、序章での勘九郎さんの声を勘九郎さんとは気がつかずに映像を見入ってしまいました。どんな映像になるかと力がはいり、なるほどと思って聞きつつ声の主に気がつかなかったとは不覚です。そういう意味では聞きやすくほど良い声だったということになります。それにしても残念。

花道から舞台への角度の映像もあり、切れの良いアップなど映像ならではのテンポで、観客席は年輩のかたが多く見受けられましたが、終映後に面白かったの声が聴こえてきました。

『ワンピース』の舞台を観て、テレビでもアニメの『ワンピース』を放映していたので録画して見たのですが、続きませんでした。舞台の『ワンピース』を楽しむ能力しかないようです。

最後に博多座での千穐楽での舞台からの発表がありました。2017年10月11月に新橋演舞場での再演決定。配役なども、春猿さんが来年の1月に新派へ入団され河合雪之丞さんとなられますから変ってくるのでしょうか。それとも客演されるかな。ナミさんをめぐって争奪戦ありというのも刺激的ですが。

映画を見た後に『ワンピース』のプログラムを楽しみました。浅野和之さんのメッセージから、作者の尾田栄一郎さんが「次郎長三国志」が好きであるということが判明。『ワンピース』は「ひとつなぎの大秘宝」を探すという仲間意識とそれぞれのキャラクターで話しが長く続いていくという手法が見えます。

アルトマン監督の群像劇は、関係のないと思われる人々が、何かのために集まり、その人間関係が観客に次第に明らかとなるというケースが多いのです。戦場の一部隊であったり、ファッションショーであったり、選挙の集会だったりなどするのです。その辺りが『ワンピース』とは違う群像劇です。

映画『次郎長三国志』は言わずと知れたマキノ雅弘監督ですが、東宝版では廣澤虎造さんに唸らせ、東映版では、次郎長の鶴田浩二さんに唄わせるという変化球をやってのけました。マキノ雅弘監督も映画会社とは様々のバトルがあったことでしょう。

そうそう旧東海道中では、吉原で次郎長さんや山岡鉄舟さんが定宿としていた宿屋に宿泊しました。今はビジネス旅館として頑張っておられます。

新橋演舞場 『ワンピース』

まさか新橋演舞場に再入港するとは思っていませんから、主題歌を唄うともっと楽しいであろうなどと書いてしまっていました。北川悠仁さんの歌詞をあらためてみますと、う~ん、ちょっとこちらにとっては、遥か遠き青春歌です。どうしようか。口ぱくでそーっと応援することにしましょう。

そして、2015年から2016年になっての見せかけ進化は、ペリー萩野さんが紹介されていた海賊本の『村上海賊の娘』(和田竜著)が積んであること。実質進化に今年中になるかどうか。来年の10月まで実質進化期限延長可とします。

ルフィと麦わら帽子と麦わら一味との再会は来年として、ゴッホの麦わら帽子について自分のための報告書をまとめなくてはなりません。映画も見直さなければ、映画同士が乱入し合っています。できるだけはやく調査に乗り出します。

パンフを見ていると、それぞれのお化粧の仕方が超熟慮の化粧術です。ゴッホさんが『ワンピース』の役者絵を描いたらどうなったのでしょうか。精神的重圧から解放されたかもしれません。こんなのがありなのかと。

 

映画『ゴスフォード・パーク』『相続人』

ロバート・アルトマン監督のミステリーものです。

ゴスフォード・パーク』はミステリーですが、イギリスの貴族社会の主人と使用人の違いを見事にえがいています。時代は1932年の設定で、かつて執事であったり、メイドであったり、料理人であったりした経験者を現場にいてもらって役者さんと自由に会話してもらい、役者さんは実際に質問して役作りに励んだわけです。経験者のかたは80歳になられていて、実際の話しを聞くギリギリの線だったわけです。

アルトマン監督は自由に演技させてくれたという役者さんが多いですが、これがアルトマンマジックでもあり、役づくりのできる役者さんを選んでいるところもあります。経験者から話を聞いてもそれが役に反映できるかどうかは役者さんの力です。

たとえば、貴族の会食場面では、役になりきって自由に会話してくださいといい、勝手にカメラがとらえますからと伝えます。それって、貴族の振る舞い方を身につけどんな話題の話しをしていいのかなど咄嗟に出て来なければできないことです。そういう自由さは、高度な経験と演技力が要求されます。さらに、この人はこういう事情のある人という人物像があるのですから、その人物像も作っていかなければならないのです。

群像劇なので、ずーっと一人の人を追いかけるわけでありませんから、ほんの少しの出に人物像を出していかなければならないのです。観る側も、登場人物の配置図鑑をつくりあげていかなければならないので、頭の体操です。

最初から混乱しました。雨が降っていてお屋敷の前に車がとまっています。急いで若い女性と運転手が車の幌を設置します。後席に婦人が乗り車は出発します。途中で後席の婦人がポットの蓋を開けてくれるように指図します。後席と運転席はガラスで仕切られています。運転席に乗っている若い女性は車からおりて半周して後席の婦人のドアを開けそこで立ったままポットの蓋をあけ婦人が呑むまで待っています。雨にぬれたまま。傘など使いません。傘などないのです。

この若い女性は、婦人の付き人だったのです。この車は、ゴスフォード・パークと呼ばれる貴族の田舎にある大きな邸宅に招待されて向かっている途中だったのです。

この車がゴスフォード・パークに到着します。婦人は表玄関から入ります。付き人は、主人を見送り、違う入口からはいります。そこには、この邸宅の女中頭がいて、部屋を教えられます。次々と他の招待客の付き人が到着します。邸宅の使用人と招待客の使用人の寝泊りするところは、階下です。上階が貴族たちの生活の場。階下が使用人の仕事場と寝泊りの場なのです。

執事や付き人やメイドなどは、上での仕事もありますが、料理人などはご主人の顔などみることなどめったにないという次第です。映画では、この邸宅の奥方が下に降りてきますが、実際にはあまり無い光景です。

階下の夕食は、階上が飲物を楽しんでいる合間に30分でといってはじまりますが、席の順番がきまっていて、それは仕えるご主人の身分によって決まるのです。

アルトマン監督は階上は、ある屋敷でロケをして、階下は当時の状態を忠実にセットにして撮影していますので、階下の動きが当時のままわかるというのも、この映画の見どころです。階下に入って来る光、靴磨きの部屋、そして装飾品や銀食器を磨くために使われるための毒薬が身近なところにあり映しだされます。

ゴスフォード・パークの主人が殺されるのは、庖丁です。書斎に入る殺人者の足が映し出され、随分簡単に主人に気がつかれずに殺せたなとおもいました。そう、簡単すぎるのです。ということは、何かがあるのでは。そう簡単にアルトマン監督は得心させません。

最初に気をひいた若い付き人が、映画上ではこの事件の探偵役にもなります。彼女は階上にも階下にもいける立場で、彼女のご主人は階下の噂話を聞くのが好きで、階下のひとは階上の噂話が好きなのです。

招待客の中に、映画製作者がいて、今どんな映画を作っているかと聞かれると『チャーリー・チャンのロンドンの冒険』と答えます。これは、実際にあった映画で、さらに実在した俳優のアイヴァー・ノヴェロも登場します。貴族は映画は観ません。ノヴェロがピアノの弾き語りで歌うと、階上の人々は気のない拍手をしますが、階下の人々は階段の途中やドアの後ろで聴き入ります。

階上の人数が14人。わけありの付き人がいて、途中から15人となります。それだけの人数の関係、さらに、階下の主要な人物が10人ほどいますから画面にくぎづけです。窓の外とか、集まった人々の間をとおり抜ける人も気になります。油断がならないんですアルトマン監督は。室内で話す人物を撮りつつ窓の外にも人物を動かすのです。

アガサ・クリスティーの原作を使おうとしましたが、面白いのは全て映画化されていたので新たな脚本としています。アガサ・クリスティー調で、印象深い映画『日の名残り』よりもリアルさがあり、アルトマン監督ならではの群像劇です。

朝食がバイキング形式で、もちろんベッドでの部屋食の人もありますが、バイキング形式はこんなところから派生したのであろうかと一つ一つが面白く、さらにミステリーなのですからこれは楽しみどころがいっぱいです。二回見ても飽きないとおもいます。

相続人』のほうは、ジョン・グリシャムが映画用に書きおろしたものでハラハラドキドキ感たっぷりです。ただこれは、犯人がわかってしまうともう一度観たいとは思いません。この辺が『ゴストフォード・パーク』とはミステリーでも違うところです。ケネス・ブレナーをはじめ役者ぞろいですから、演技的にも惹きつけてはくれます。ロバート・デュバルの謎めいた演技も困惑を起こしますし、ケネス・ブレナーがまんまとはまってしまうという役どころもいいです。

アルトマン監督は親子関係や家族ということも挿入させ、映画のなかでは小さな子どもを重要な位置づけとして登場させたりもします。

ジョン・クリシャム原作の映画『ザ・ファーム法律事務所』『依頼人』『評決のとき』『レインメーカー』『ペリカン文書』などは、時間もたったので見返してもいいかなとおもいますので『相続人』なども時間がたてば見返したくなるのでしょう。

『相続人』についてはサクッと触れるだけにします。ミステリーでも、二作品を全然違うタイプの映画として作り上げているのがアルトマン監督の魅力的なところです。

アルトマン監督、ビンセント・ヴァン・ゴッホの映画も撮っていました。

目指せ!上野でしょうか。目指しました。上野は今、ゴッホだけではありません。スイマセン。世界遺産は素通りでした。

 

2006年舞台 『獅子を飼う―利休と秀吉』

平幹二朗さんが亡くなられました。平さんはテレビで、健康と体力維持もかねて歩いて移動し、途中に銭湯があればよく寄られて汗を流されると話されていたことがあり、それ私もやりたいと思ったことがあります。

平さんの舞台は、『王女メディア』と『獅子を飼うー利休と秀吉』を観ています。蜷川幸雄さんと平幹二朗さんの『王女メディア』は演劇界にセンセーションを巻き起こした舞台です。

1998年5月に < 復活!! 平幹二朗の「王女メディア」! 世界に船出した伝説のギルシャ・アクロポリス公演から15年 > のチラシの言葉に心躍らせて観に行った記憶があります。場所は世田谷パブリックシアターで、これが『王女メディア』なのかと芝居の内容よりも、蜷川さんと平幹二朗さんの『王女メディア』を観れたという既成事実に満足したところがありました。

丁々発止の台詞のやりとりでは、2006年1月の平幹二朗さんと坂東三津五郎さんが共演された『獅子を飼うー利休と秀吉』です。1月21日~26日ですから上演期間が短かったのに驚きます。これは、利休の平さんと秀吉の三津五郎さんのぶつかり合いがすざまじく、利休と秀吉が命をかけて闘い、役者同士のぶつかり合いもあって面白かったのですが、内容が一筋縄ではいかない作品でした。

最初はお互いに楽しんで競い合っていたのが、お互いの関係が微妙になりはじめた頃からの話しとなり、そのすき間がずれてきて、利休の死ということになるのです。

2006年作品は、NHK衛生第2の「山川静夫の新・華麗な招待席」で放送され録画していましたので、今回見直しましたが、お二人の台詞と演技の見事さを、改めてじっくりと鑑賞させてもらいました。

ひょうご舞台芸術第33回公演とありまして、少し込み入りますが、この「ひょうご舞台芸術」というのは、建物を作る前に、実際の舞台芸術を発信しようということで最初に発信したのが、1992年第1回公演で初演の『獅子を飼う』です。建設にとりかかっていた「芸術文化センター」は、1995年の神戸・淡路大震災が起こり文化は後回しといった風潮のなかで、芸術顧問の山﨑正和さんが、兵庫の阪神間は文化的産業で生きてきた街で、ここでもう一度文化を復興させることが大切との考えを広め、2005年12月に「兵庫県立芸術文化センター」が完成します。その第1回公演が2006年1月10日~15日までの『獅子を飼う』で、14年ぶりの再演となり、1月21日から東京公演となったのです。

建物ができあがるまで、「ひょうご舞台芸術」は、舞台芸術を発信しつづけていたのです。

『獅子を飼う』の脚本を書かれたのが山崎正和さん。演出の栗山民也さん、平幹二朗さん、坂東三津五郎さんの初演メンバーでの再演となったのです。初演時は三津五郎さんは八十助時代で、おそらく年齢的にも再演のほうが、役者どうしの駆け引きも深くなっていたと想像しつつ録画を観ていました。

神戸・淡路大震災を通過して『獅子を飼う』という舞台が獅子奮迅して再演に至ったようにもおもえてきます。

秀吉は、帝を聚楽第にお招きし、お茶席をもうけ利休とともに歓待し無事大役も終えますが、同時に成し遂げた達成感よりも焦燥感が大きくなってきています。

小田原の北条氏をまだそのままにしていて、全国制覇をしていません。なぜか北条攻めを残していて、大明国への出兵などに次々と手を染めていきます。利休は、お茶という文化を秀吉のもとで次々と発進し続け、茶に関しては、利休の一言で価値が決まるまでになっています。

利休は、秀吉のたてがみを振るい立たせていた勢いと自分の茶に対する美意識とをぶつかり合わせることに、恐れと快感を味わっていました。自分の中に秀吉という獅子を飼っていて、それがどうあばれ、それをどう静めるかに、自分の命をかけているところがあります。

秀吉は、いくら城を造っても利休の茶よりも価値がないのでは、ということに囚われはじめます。ところが鶴松が生まれ、自分の死後も秀吉の功績が続くことが確信でき、利休の力の必要性もなくなり、最後の仕上げの北条小田原攻めを決めます。小田原攻めも成功しますが、弟の秀長の死とともに、鶴松の死も知らされます。

その少し前に、秀長のはからいによって利休と秀吉は茶室で久しぶりで二人だけで向かいあっていたのです。鶴松の死の知らせのあと、利休の茶道職を辞すという文が届きます。鶴松が死んで、秀吉は再び利休を必要としているのを知っている利休に拒否された秀吉は利休を殺すことを命じます。

戦さが終ればそれに代わる発進は文化であることを秀吉は知っています。ところが、利休の手を借りなければ世の人々にさすが秀吉様といわれることができないのも秀吉は知っているのです。

利休は利休で、茶人はお客様の鏡であって生身の茶人を見せてはならないのに、自分はお上(秀吉)に甘えていたと語ります。茶人としての道をはずれていたのなら、今は勝ちにでます。宗易(利休)は死にません。宗易の茶はお上のすみずみにまで染み込んでいます。お上が茶室に一人座れば宗易は天地の風のように満ちているのですと。

時代の流れ。茶々の存在も意識しつつのねね。利休と秀吉の複雑な関係の間に立つ秀長。利休を快くおもっていない石田三成と津田宗及。利休に囲われている於絹。キリシタンの弥八郎。陶工の新三郎。イスパニア人のドン・ペドロ・ロペス。それぞれが、自分の生き方と生きるための損得を計算する登場人物。それらが交差しあっていますので、そこから利休と秀吉の人間像を浮かび上がらすということも加わり、こうであると決めるのが難しいところです。

秀吉だってぞうり取りから天下をとった男です。それだけに本心がどこにあるかわかりません。秀長は利休に秀吉の素顔を見ようとするなと助言します。しかし利休にとって秀吉は自分の茶に対する素顔をみたくなる獅子であるわけです。自分を獅子のエサとして喰らわされたとしてもぶつかる存在であってほしかったのです。自分の茶を武器にしてしまった利休の自我の強さともいえます。

個人的には小田原攻めがでてくるとアンテナが動きます。北条氏がよくわからなくて、三回目の小田原城で友人とああじゃらこうじゃら話しあって、やっと秀吉の小田原攻めまでの過程が組み立てられました。八王子城の悲惨な最期を知っての影響もあります。秀吉がなぜ北条攻めを決めるまで2年もかけたのかという芝居上の設定も時代性を想起させてくれました。

利休と秀吉の関係は、謎です。それだけにその関係は一筋縄では表せない面白さでもあります。

映画でも『利休』(勅使川原宏監督)、『千利休 本覺坊遺文』(熊井啓監督)、『利休にたずねよ』(田中光敏監督)があり、名作ぞろいです。

平幹二朗さんの利休も、舞台人としての作り上げの緻密さを感じさせてくれました。 (合掌)

作・山崎正和/演出・栗山民也/キャスト・利休(平幹二朗)、秀吉(坂東三津五郎)ねね(平淑恵)豊臣秀長(高橋長英)、於絹(大鳥れい)、ドン・ペドロ・ロペス(立川三貴)、津田宗及(三木敏彦)、石田三成(石田圭祐)、弥八郎(渕野俊太)、新三郎(檀臣幸)、(篠原正志、坂東八大、坂東大和、松川真也、大窪晶)

見えない子供の貧困

日本で貧困のために食事を満足に食べれていない子供さんたちがいるという情報を目にしたり聞いたりしていましたが、それに関する話をきちんと聞く機会をえました。

「NPO法人 フードバンク山梨」の理事長の米山けい子さんのお話です。映像を見せていただきつつの適格で実際に行動されているかたの判りやすい説明、米山さんの静かでありながら理解しやすい話術に好感がもて、内実がよくわかり聞いてよかったと友人と同じ感想をもちました。

厚生労働省の発表によると、日本の子どもの貧困率は16.3%で6人に1人が「相対的貧困」状態ということです。日本でこの位なら生活できるであろうという所得にみたないということです。親としては自分の子どもがいじめられたりしないようにとほかの子どもたちと同じようにと頑張りますが、病気や失職などでギリギリの生活となり、そこで削っていくのが食費ということになります。

ひとり親の家庭の「相対的貧困率」は50.8%と高く、いちばん低いデンマークで9.3%ですから、ひとり親の金銭的、精神的負担は大変なものです。ひとり親ということで、その負担を子どもにかけたくないという気持ちがはたらき、そんな親の気持ちを察して子ども我慢して気持ちを外には出さないため、その実態を見えづらくしているのです。

SOSを受け取った地域のフードバンクはそうした人々の支援をします。その一つであるフードバンク山梨の活動を聞かせてもらったのです。<フードバンク>という活動さえしりませんでした。

フードバンク山梨ではその活動の一つとして、市民、企業、行政と連携して食料を支援しているのです。その家庭構成にあった食料品を宅配で送り届けます。アメリカでは50年前からこうした運動があり、視察などもして、アメリカのやりかたも学ばれたようです。たとえば、アメリカでは、学校で、お菓子など食料の入ったリュックサックを子どもに渡したりします。これは日本ではいじめの対象となり同じ方法はできません。

そこでフードバンク山梨で考えておこなっている方法が宅配便で届けます。たとえばスタッフが届けると、近所にも好奇の目でみられたり、送り主にも気を使います。そういう負担のない方法を考えられたようです。荷物の中にスタッフからの手紙が入っています。

この宅配を送られた家庭の子供たちは「宝物が届いた」と大喜びです。ある家庭では、皆で分け合い夕食でお腹がいっぱいにならない子が、働いているお母さんの分を食べようとして上の子に「残しておかないとお母さんの分なくなるでしょ。」と怒られるような状態なのですから、宅配の段ボールを開けた時の喜びの声は、歓声そのものです。

入っているお米と調味料をみて、今夜はカレーだねとか、おやつの袋に、一人二袋だけと調整する声が飛びます。しっかりおやつを握った手。そんな状況の反面、日本で毎日捨てられしまう食料の量のなんと膨大なことでしょう。

フードバンク山梨では、寄付金とともに、食糧品の個人の寄贈。そして箱が壊れたり、包装が破れたり、印字が薄くなったりして安全に食べられるが販売できない食品を企業から寄贈してもらい、それを必要としている家庭や施設などに届けているのです。

その食品の仕分けや荷造りなどは、ボランティアのかたが担当しています。高校生の学生さんなども協力されています。

どうしても内に内にとこもってしまい、困窮してどうしていいのかわからない状態の家庭がどこかとつながっているという意識を持ち、これから先も自分たちの力でやっていけるかもしれないという灯りとなっているように思えます。

米山けい子さんは一人で始められ、生活保護以外しか支援の道がなかった、生活に困っている方々の支援を「食のセーフティネット事業」とし、山梨モデルとしても注目され、報道関係でも紹介されるようになりました。

見えない貧困ということが次第に問題視されてきていますが、貧富の差がどんどん大きくなってきて、子どもたちが食べるものまで食べれない状態が日本にあるのです。震災や災害なども含めこんな時代がくるとは思っていませんでした。

立ち上がろうとする気持ちを大切にした支援。それが、日本にとっては大切な支援の仕方の一つのように思えます。学ばせてもらいました。知らないことが沢山あります。

親の貧しさが子の世代にまでつながってしまい、そこから抜け出せないという社会構造にはなって欲しくないものです。

 

 

伝統歌舞伎保存会 研修発表会 (第18回)

伝統歌舞伎保存会では、歌舞伎俳優や歌舞伎関係の音楽演奏家の養成をおこなっており、そこで研修を受けた役者さんや演奏者の発表会が国立劇場でありました。

国立劇場では、全く歌舞伎を知らない人でも志望者を募集していて、そこで研修を受けることができます。また歌舞伎役者を師匠として入門しているひとも既成者研修を受けることができ、それらの経験者の発表会ということで、実際の公演舞台ではなかなか演じられることのない大きな役を演じることとなります。

今回は、10月国立劇場で公演されている『仮名手本忠臣蔵』の二段目「桃井館 力弥使者の場、松切りの場」三段目「足利館 松の間刃傷の場」を発表されたのです。

これが皆さん堂々と演じられ、緊張していて、ためておけないでテンポが速くなったり、衣装が上手く自分の動きにそってくれなくて、姿に見苦しさがでたりするのではと思ったのですが、そんなこともなく芝居の中に素直に入れました。

二段目などは、今月初めて観ましたから、今回で二回目ということとなり、三段目も台詞などを聞き逃していたり記憶からおちた部分などがよみがえり、観ている方も勉強になりました。若狭之助が、高師直に怒りをぶつけて去る場面で「ばかめ」の記憶が残っていて、河内山じゃないんだからそれだけではないなと思っていたのですが「ばかな侍めが」でした。と書きつつ「が」があったかなかったのか怪しいのですが。メモすればいいのでしょうが、いやなのです。正確ではなくても自分の中の空気は乱したくないので、そのうち図書館あたりで調べることにしましょう。

加古川本蔵や高師直などは、芝居の内容から顔の作りが老人になりますから、どうしても役者さんの若さが浮かんでしまいますが、役者さんたちはそんなことは意に介せず役になりきられていましたので、こちらもそれにのりました。

塩冶判官の着物の色が薄い鼠系というか水色系といおうか素敵な色でした。判官の役者さんとの映りもよくて、この色を選ばれたのは良かったとおもいます。もう少し濃い色が多いですが、判官と師直の関係と役者さんの関係からすると腹の深さが衣装の色に負けるということもありますので、そのあたりも検討してえらばれたのかどうか興味のあるところです。

戸無瀬と若い小浪、力弥との風格の差もはっきりし、若狭之助と本蔵の主従関係と松を切る意味合いも伝わり、刃傷沙汰に至る判官と師直の場面も細かく展開し、鷺坂伴内も道化役としての役目をはたしていました。

判官が刃傷に至り大名たちがそれを止めるため集まりますが、その時の長袴の動きがドタバタした感じがありそこだけ一つ気になりました。あれはリズムがあるのでしょう。咄嗟の出来事ではありますが、リアルさよりも美しさが大切とおもうのですが。そのくらいですね。観ている者の気持ちを乱されたのは。出の少ないほど芝居を乱すことがありますからこれが芝居の怖さであり、脇役の熟練度の重要性なのです。

研修生の皆さんの発表の場が増え、その力の認知度が高くなることを望んでおります。

二段目/桃井若狭之助(中村東三郎)本蔵妻戸無瀬(中村京紫)本蔵娘小浪(中村蝶次)大星力弥(大谷桂太郎)近習(中村蝶一郎)近習(坂東八重之)本蔵家来(片岡りき彌)本蔵家来(中村扇十郎)加古川本蔵(市川荒五郎)

三段目/塩冶判官(市川蔦之助)桃井若狭之助(松本錦次)鷺坂伴内(中村かなめ)大名中村富二朗)大名(片岡千藏)大名(中村蝶一郎)大名(坂東八重之)大名(片岡りき彌)大名(中村扇十郎)加古川本蔵(市川荒五郎)高師直(中村梅蔵)

竹本 浄瑠璃(竹本豊太夫)三味線(鶴澤翔也)/浄瑠璃(竹本六太夫)三味線(鶴澤公彦)/浄瑠璃(竹本東太夫)三味線(鶴澤公彦)

<お楽しみ座談会>

中村梅玉、市川左團次、市川團蔵、中村錦之助、市村萬次郎、市村橘太郎、中村米吉、中村隼人 / 司会・葛西聖司

歌舞伎のあとに、今回の指導をされた歌舞伎役者さんたちの座談会がありました。

司会の葛西さんが、仮名手本忠臣蔵を中心に、梅玉さん、左團次さん、團蔵さん、錦之助さん、萬次郎さん、橘太郎さんそれぞれが、どんな役をされてきたかを聞かれたのですが、芸歴が長いだけに皆さん様々な役をされていて、さらに、このときはどこの劇場でだれがこの役とこの役をされていたということも頭にしっかり入られていました。忠臣蔵は誰でもが全部の役の台詞が入っていなければならないのが基本だったそうで台本など渡されなかったというのです。恐ろしき世界です。

このかたから教えられたとか、他の子弟には教えるけれども自分の子弟には教えないので観て盗んだというような話があって、話しが進むにつれて次第に皆さんサイボーグにみえてきました。カチャ、カチッと受け取った芸が、技能の精度をたかめて身体にはめ込まれていく感じなんです。そうまさしくサイボーグです。

これは録音でもしておかなければ正確には伝えられない芸の歴史のながれです。

そのなかでお一人いつのまにかサイボーグの装着をどこかへ隠してしまう方がいらっしゃいましたがどなたかはお判りとおもいます。

若い米吉さんと隼人さんは、お客さまよりもこのサイボーグ軍団に緊張されたことでしょう。隼人さんの力弥は、田之助さんから教えを受け、米吉さんの小浪は魁春さんから教えを受け、さらに指導の側にもまわられたわけですから、この体験がより多くの事を感じるきっかけとなることでしょう。

一つ一つ人を通して積み重ねられてきた様子がわかり、観る側も大変興味深く聞かせてもらいました。

研修発表会は二回目ですが、なかなか楽しいです。

余談ですが、バレエのオーケストラの場合、指揮者によっては、あくまでも音楽優先で踊り手など無視で自分の音楽の世界観で指揮をする方もいて、踊り手が苦労することもあるそうです。その点歌舞伎は役者さんに合わせますから、歌舞伎の演奏者の腕は自由自在といえます。ツケ打ちの方もそうですね。芝居とともに音も作り上げていくというシステムがあってのことでしょう。

 

歌舞伎座十月 成駒屋襲名披露公演

中村橋之助さんが中村芝翫を、中村国生さんが橋之助を、宗生さんが福之助を、宜生さんが歌之助を襲名されての公演です。

新橋演舞場の『十月花形歌舞伎GOEMON石川五右衛門』の盛況さをみて、歌舞伎の世襲制と芸の継承、新しいお客の集客と、これからどのようにより高い歌舞伎の芸の伝達につながっていくのか課題は多いとおもえました。すでにそのことを察知されている若い世代に任せるしかありませんが。

さて八代目新芝翫さんの誕生ですが、芸の継承ということでは、芝翫型の『熊谷陣屋』です。チラシから熊谷の顔の化粧の赤が強く、金と朱の衣装でいつもと違うなといぶかしくおもっていましたが、観るのがはじめての芝翫型でした。花道の出から違和感をおぼえ、芝居が進むにつれて、流れにのっていけました。細かく違いを指摘できませんが雰囲気が違っていました。舞台の敦盛の影をみる障子の部屋の作りも違います。

團十郎型を見慣れていて、それも熟練の役者さんと若手の役者さんでは芝居の雰囲気が違うので、その型が違うとまたまた観るものにもハードルが上がってしまいます。

ただ、今回の襲名での芸の継承から考えると芝翫型を新芝翫さんがこれからこれを伝えるぞという具体的な心意気の伝わる演目であったとおもいます。

最終的には、見慣れていないということを差し引いても、熊谷の花道での引っ込みがないだけに熊谷の悲哀の印象が違いますが、芝翫型は芝翫型で戦の虚しさをあらわしていました。とまどいはしましたが、新芝翫としての強い意志は通された熊谷でした。

できれば藤の方の菊之助さんと『幡隨長兵衛』の女房お時の雀右衛門さんとを入れ替えてほしかったです。これから芝翫型がどれだけ公演されるかわわかりませんが、吉右衛門さんの義経、魁春さんの相模、歌六さんの弥陀六に、雀右衛門さんの藤の方で重厚さを固め、『番隨長兵衛』では、前半が芝翫さんの色気がおもっていたほど出なかったので、菊之助さんで色をそえてほしかったとおもったのです。

『幡隨長兵衛』の劇中劇は、七之助さん、亀三郎さん、児太郎さんらでそのまま続けてくれていいですよといいたいほどの面白さでしいた。芝翫さんは、色気ある河内山から期待していたのですが一般的で、後半は心意気をあらわして本領発揮というところでしょうか。水野側が菊五郎さんに東蔵さん。橋之助さん、福之助さん、歌之助さんが子分で親子4人の共演。

3兄弟は、『初帆上成駒宝船(ほあげていおうたからふね)』の長唄舞踊で明るく勤めます。来月は親子4人での『連獅子』ですから今月は序盤戦といったところでしょう。来月の最後には3兄弟の『芝翫奴』がありますから、身体がどれだけできあがるか、短期間の挑戦はつづきます。

『女暫』は若手で、思いのほか台詞がはっきりしていて、それぞれの役どころがよく判りました。七之助さんの巴御前も寸法があっていて、松緑さんの愛嬌も活きました。玉三郎さんの巴御前の時のような緊張感がなく少し物足りなさもありますが、皆さん伸び伸びと演じられていていましたので気持ちよかったです。さらにここで先輩たちからご意見を頂ければよりみがきがかかるのではないでしょうか。お化粧が濃いので、声で役者さんを当てるのが楽しかったです。発声がよくなっていて、これが、年数とともにそれぞれの味がでてくるでしょうから楽しみです。

『浮塒鷗(うきねのともどり)』を観るのははじめてです。舞台に久方ぶりに三囲神社の鳥居がみえました。お染(児太郎)と久松(松也)の心中しようかどうしようかという踊りがあり、そこへ通りかかった女の猿曳き(菊之助)が、ちまたの噂で聞いていたのでしょう、二人がお染と久松であることに気づき、歌祭文で意見して心中などさせないようにしむけるのですが、やはりお染と久松は心中の道を選ぶという踊りで、猿曳きの女の踊りを期待していたのですが、面白いふりもなく残念ながらよく判りませんでした。

『外郎売(ういろううり)』は久方振りで、曽我兄弟ものです。曽我兄弟物の登場人物にも慣れ親しんできたので、だれがどの役か楽しみになっています。ういろうはお菓子と薬があって、東海道を歩いた時、お城にかたどった建物がありそこがういろうのお店と判ったのですが先を急ぎ寄りませんでした。小田原城の改修も終わり友人を伴い再度小田原へいきういろう屋さんへもよりました。お店に歌舞伎役者の團十郎さんが外郎売りに扮してくれて有名になったと書かれてありました。お薬のほうで、五郎が外郎売りとなってその故事来歴、効能などを早口で披露するのです。今回は松緑さんが五郎で、以前聞いたときはもっと長かったようにおもいましたが思いのほかさらさらと短く感じました。

人気物の曽我兄弟の五郎を外郎売りに仕立てるとは、二代目團十郎さんのアイデアも大したものでそのお店が残っているというのも凄いことです。

『藤娘』は、玉三郎さんの一人での舞踊はこれまたお久しぶりで、今回はかなりお酒に酔われた藤娘でした。これは酔い過ぎてて危ない。番犬になって遠回りで守らなくてはなどと、べらぼうなことを考えてしまいました。舞台の松の幹も細く、藤も少なめで、そのかわり衣裳が藤いっぱいで、片身変わりの色違いで、襟がまたその反対という使い方をしてました。片身変わりを色違いで二種類変えられしごきもされていて、いつもとは違う衣装だったようにおもいます。藤の精でした。

口上で印象的だったのは、どなたであったでしょうか「これだけ成駒屋さんがそろえば、福助さんも必ずや舞台に復帰されることと思います」と言われていて、本当にそうであってほしいとおもいました。それまで今まで同様児太郎さんも、橋之助さん、福之助さん、歌之助さんたちと競ってともにさらに精進されることでしょう。

今回は手短で役者さんたちのお名前も省略気味ですがこれにて。

 

映画『バレエ・カンパニー』ドキュメンタリー映画『ロバート・アルトマン ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』

映画『リトル・ダンサー』に触発され手にしたのが『バレエ・カンパニー』です。この作品の映画監督がロバート・アルトマンで、そういえば見たいと思っているうちに終わってしまったアルトマン監督のドキュメンタリーがあったなとおもいだしました。それが『ロバート・アルトマン ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』です。

映画のチラシを探していましたら『リトル・ダンサー』のチラシが出てきて、< 世界のトップダンサー、アダム・クーパーが特別出演しているのも見逃せない!! >とあり、やはりアダム・クーパーであったかと、たしか?と思っていた疑問符も消すことができました。いまとなっては、あれはアダム・クーパー以外考えられないショットです。

『リトル・ダンサー』のスティーヴン・ダルドリー監督を調べたら、『めぐりあう時間たち』『愛を読む人』『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』の監督でもありましたが、見ていながら記憶のなかではつながっていませんでした。

ロバート・アルトマン監督のほうにいきます。『リトル・ダンサー』からバレエの映像が見たいと思って手にした『バレエ・カンパニー』ですが、これがバレエのドキュメンタリー映画を見ているようなダンスのシーンがたっぷりで、主人公がいるのですが、その物語の部分はバレエシーンの間にほどよく配置されていて、そのほど良さがアルトマン監督の上手さであるとおもいます。

主人公の恋愛、所属バレー団の運営、練習場面、バレリーナの怪我などの話しが流れているのですが、その流れがバレエシーンの流れを邪魔せず、その華麗なおどりはバレエ映像を見たいと思っていた者を満足させてくれました。

バレエ・カンパニー「ジョフリー・バレエ・オブ・シカゴ」のトップ・ダンサーたちとアルトマン監督とのコラボレーションが見事で、こちらもチラシがあり、主役のライは女優・ネーヴ・キャンベルさんで代役なしとのことで、見ていてダンスシーンが違和感がなかったので納得できました。キャンベルさんはナショナル・バレエ・オブ・カナダ出身で、自らの経験から企画・制作・主演をされていたのです。

アルトマン監督流のエスプリもあって、それでいてリアリティたっぷりの稽古風景などはドキュメント感にみなぎっています。

20世紀最高の振り付け家・モーリス・ベジャールのドキュメンタリー映画『ベジャール・バレエ・リュミエール』も見たのですが、こちらは、振り付け家ベジャールの発想がどう踊り手にのり移っていくかという視点なので、作り上げていく過程が興味深いところですが、ダンスを楽しむというよりも、その試行錯誤と苦慮をたどるというかたちで、アルトマン監督のその重さを軽くしていかにその技術も伝えるかという映画としてみせたのは、映画とドキュメンタリー映画の狭間に開化させた映像の面白さでした。

ベジャールさん関係では死後、その意志を継ぐモーリス・ベジャール・バレエ団のドキュメンタリー映画『ベジャール、そしてバレエはつづく』もありました。

アルトマン監督をえがいたドキュメンタリー映画『ロバート・アルトマン ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』はどうなのか。ジェットコースターに乗っているような一生ともいえます。映画のことなど全然知らないのに映画界に潜り込み、独力で映画技術を勉強し、映してはいけないと言われる映像を映してクビとなり、『M★A★S★H』が大ヒットとなりそれから快進撃ですが、また谷底へ。『ザ・プレイヤー』『ショート・カット』『プレタポルテ』で再び走りだします。このあたりは評判になっていましたので見ましたがよくわかりませんでした。見直しますが。

『プレタポルテ』などは、スターの総出演で、スター登場、字幕、ストーリー、ファッション界の内幕と追っているうちにラストへ、ラストの落ちには笑えました。

今回見ていない『Dr・Tと女たち~スペシャル・エディション~』と『クッキー フォーチュン』を見て、ゆったりと善良な人々の生活がながれ、次第に状況がかわり竜巻にまきこまれたり、自分が仕組んだ芝居にはまって殺人犯になったりと、自然とことが運んでいくながれにどこで歯止めをすればよかったのかがわからないのですが、最後は少し違う位置の倖せの場所にいるという展開がくりひろげられます。

アルトマン監督最後の映画『今宵、フィッツジェラルド劇場で』は遺作ということで映画館でみましたが、どうしても外国のことになると時代背景がぼんやりで身にそはないのがもどかしいのですが、ラストになにがくるのかというアルトマン監督の楽しみは、最後の映画ということもあってか<死>が暗示されていました。

アルトマン監督のドキュメンタリー映画をみて、アルトマン監督の映画をみることがアルトマン監督のドキュメンタリーをみることなのだと想えました。さすが監督落ちをつけてくれました。

これを機に見直したり新たに見たアルトマン監督の映画

『マッシュ』『ギャンブラー』『ロング・グッドバイ』『ナッシュビル』『クインテット』『ウェディング』『ゴッホ』『ザ・プレイヤー』『ショート・カッツ』『プレタポルテ』『相続人』『クッキー・フォーチュン』『Dr・Tと女たち』『ゴースフォード・パーク』『バレエ・カンパニー』『今宵、フィッツジェラルド劇場で』

 

国立劇場 『仮名手本忠臣蔵』第一部(2)

加古川本蔵が師直に進物の贈賄をするのは、師直が足利館へ登城する門前で、師直は駕籠のなかで、家来の鷺坂伴内(さぎさかばんない)が応対します。鷺坂伴内は芝居の緊張をゆるめる道化役でもあります。

足利館の門前ではもうひとつ若い一組の男女、勘平とお軽の悲劇の幕開けともなる場所です。お軽は顔世御前から判官を通じて師直に渡るようにと文をあずかり、勘平に渡します。この文は顔世御前が師直を拒絶する内容で、このことから師直の判官にたいするいじめは増幅します。

そのあとお軽は勤務中の勘平を誘い、勘平もお軽に引きづられるように逢瀬の時をもってしまいます。このへんが力弥と小浪とは違う、もうすこし情欲を含む男女の関係となります。この二組の男女の行く末は芝居の経過のなかでみていくことができます。鷺坂伴内も再度登場します。足利館のなかでは刃傷がおこり門は閉められ、勘平とお軽は門外に締め出された形となってしまうのです。

判官は自分の館に蟄居(ちっきょ)の身となり、顔世御前は夫を慰めるため様々な種類の桜を集めますが、そこへ上使がきて、判官は切腹、お家断絶、城明け渡しがつたえられます。

判官は切腹を前に国家老の由良之助を待ち、幾度となく力弥に由良之助はまだかとたずねます。力弥は未だ参上つかまつりませんと答えますが、本当に力弥は自分自身の最後を見苦しくなく終えるまで若くして重圧を担っていたのがわかります。

由良之助を待てずに判官は切腹となりますが遅かりし由良之助もやっと判官の死の間際に駆けつけ、判官の仇をとってくれとの遺言を受けとることができます。静かにおごそかに判官を見送るゆかりの人々。

顔世御前の秀太郎さんは、兜改めから、夫の判官を見送るまで、動揺を内に秘めどのようなことが起きようとも判官の妻としての威厳をもって立ち振る舞う気丈さをみせます。

勘平の扇雀さんは真面目でありながら、お軽の誘いにふっとのってしまう気のゆるみと動揺を台詞まわしが妙味で、お軽の高麗蔵さんも身体の動きで恋心を匂わせます。このあたりが小浪の米吉さんの可愛らしさとは違う色香で面白いところです。

鷺坂伴内の橘太郎さんの道化役は軽快で、少し疲れてきている観客をなごませ、師直の狡猾さの代役を笑いで引き受けてくれます。

判官の梅玉さんは、襖が開き上使の前に進み出る時の足の動きの間が覚悟している人の動きで、坐したときなは上使に対する態度も大序でのおおらかさにもどり、由良之助に自分の想いを伝えるときは悲壮感と悔しさがあり、それを受ける由良之助さんの幸四郎さんは大きさと同時に実務家の雰囲気がありました。

死の直前の判官の顔もまじかに見、父を待っていた心も知っている力弥の隼人さんは、父のもとでただ自分は言われた通りに動くのみと静かに別れの支度にかかるのが印象的です。

上使役は、塩冶家に好意的な左團次さん(師直との二役)とお上の言いつけ通りにことを運び塩冶家の人々の気持ちを混乱させる彦三郎さん。

まずは、主人の塩冶判官との最後の別れを終えて、これからが由良之助の大仕事の序盤戦です。どういう方向で残された者たちをまとめていくか。判官の遺言は受けているので由良之助の気持ちは決まっています。それを信頼できるものたちにどう伝えていくのか。

主人の死、城明け渡しなど家来にとっては承服しかねる状況です。そこで由良之助が持ち出したのが塩冶家の資産を公平に分配するということです。ここで籠城して主人の後を追ったのでは判官の意志を受け継ぐことができません。しかし一時的な感情で同志を引っ張ることはできません。落ち着けば先行きの生活のこともおもいいたります。この過程を公開してくれるのが家老の斧九太夫(おのくだゆう)です。見事に、お金によって本心をあらわす一人の人間を浮かびあがらせ当然道は別れることをしめします。

ついに由良之助は本心を打ち明けます。由良之助にとってもこれからこのおのおのの人々をまとめていけるかはわかりません。しかし、判官の一念を受けた以上やるしかありません。

様々な想いの交差する自分を隠し血気はやる若い人々を由良之助の真意を知る人々によってしずめさせ、すでに手腕の知略は働きはじめています。

城の外でひとり主人に対する情感の想いを解き放し、改めて自分の中に判官の気を入れ込みます。そして迷うことなく花道をさっていきます。

仇討に賛同する人々が花道にさがり由良之助と心を一つにするところも圧巻です。この辺の展開も由良之助の幸四郎さんの感情だけではなく実務家としての一端がうかがえます。もう実践は始まっているのです。押さえて鎮めて、それぞれの内に家族にも話さない約束事をおさめるのです。

そして、判官の形見の切腹刀についた血を口にするとき、判官の想いがすべて幸四郎さんの中におさめられます。それは、由良之助と同時に役者幸四郎さんの中に由良之助がおさまったことでもあります。幸四郎さんの由良之助は、感情を外に出す場面がところどころにあり、最初から出来上がった腹のある由良之助というより、やっと判官の死に間に合って、判官の本心を明かされ、それを待ったなしで采配する人物に変っていく過程をも観客には垣間見せ、家来たちには大きくみせる由良之助でありました。

由良之助を信頼する人々にも役の位の違いの落ち着き、はやる気持ちを抑える切れのある動きがあり、斧九太夫の錦吾さんにはそちらとは違うという色をだされていました。

さてさて、これらの登場人物は次の登場ではどんな人生がまちうけているのでしょうか。

秀調、桂三、宗之助、竹松、男寅、橘三郎、桂三、由次郎、友右衛門等一同