京マチ子映画祭・ 浅草映画・『浅草紅団』

  • アルフレッド・ヒッチコック監督作品の映画に没頭していたところ「京マチ子映画祭」を開催しているのを知る。(角川シネマ有楽町)京マチ子さんは、『羅生門』(1950年)、『源氏物語』(1951年)、『雨月物語』(1953年)、『地獄門』(1953年)、『鍵』(1959年)など、海外で脚光を浴びた作品に出演され、その演技力は周知の通りである。

 

  • しかし、その他の映画での京マチ子さんも魅力的で、この方の出ている映画は飽きないのである。リアルさとは違う独特の人物像を作って披露してくれるのである。驚いたのは『愛染かつら』で、田中絹代さんのイメージを変えて京マチ子版にしてしまっていたことである。映画の中での舞台映えがするのである。一応探しあてられるだけのDVDはレンタルして観たのであるが、今回は一挙に32本の映画上映である。

 

  • 映画『浅草紅団』は川端康成さん原作であるが、『浅草紅団』ではなく『浅草物語』のほうの映画化らしい。脚本が成澤昌茂さん、美術が木村威夫さんで、監督は久松静児さん。京マチ子さんは、女剣劇の紅座の座長・紅竜子役で地方をまわりをしてやっと浅草で興行できることになった。それも浅草の顔役・中根の力で、さらにその中根に子供の頃浅草寺そばで拾われここまでにしてもらった恩義がある。この顔役が悪い奴という定番である。

 

  • 中根が狙っているのは、おでん屋の娘でレビューに出ているマキの乙羽信子さんである。お金を貸して返せないなら俺の女になれという。マキは島吉という好きな人がいる。島吉の根上淳さんは、中根からマキを守ろうとして子分を刺し浅草から身を隠したが、島吉が戻って来たという声が飛び交う。マキは中根がねらっている島吉を浅草に来させたくないが島吉は浅草に顔を出すのである。島吉は上野で田舎から出てきた女に浅草に行きたいのだがと行き方を尋ねられる。地下鉄で一本だと島吉は教えるが、女は不安だから連れて行って欲しいと頼むのである。それは中根の差し金の竜子の誘いであった。竜子は気風のよい島吉を守る形となる。そして、竜子とマキの関係が島吉を通じて明らかになるのである。

 

  • 筋としては目新しいものではないが、マキの乙羽信子さんの笑顔の「百万ドルのえくぼ」が画面いっぱいにあふれ、明るく歌う。そして、京マチ子さんの剣劇が格好いいのである。マキと島吉を舞台の背景の道具の後ろに隠し、その前での立ち回りはたっぷりと見せてくれる。乙羽信子さんのえくぼと京マチ子さんの剣劇をを見れただけでも満足である。マキちゃん!竜子!と声を掛けたくなる雰囲気である。映画のなかでの観客はもちろん声をかける。京マチ子さん、リズム感があって動きがよい。それでいてピタッときまるのである。そして目力もたっぷりである。舞台映えの生きる映画でもある。それも浅草での女剣劇である。近い目線。当時の女剣劇の人気度がわかる。

 

  • 浅草寺から六区あたりもたっぷりで、時代設定としては瓢箪池の埋め立て工事が始まった頃としている。瓢箪池が埋められたのが1952年で映画『浅草紅団』の公開が1952年であるから同時代の浅草の映像である。久しぶりの映画館での浅草であった。浅草の映写とセットが上手く合って楽しませてもらった。

 

『昭和浅草映画地図』

  • 大阪の松竹座(二代目市川齊入・三代目右團次襲名披露)から帰ると申し込んでおいた『昭和浅草映画地図』(中村実男著)が届いていた。もう夢中で読んでしまった。きっちり調べておられるので信頼でき、たくさんのことを教えてもらった。浅草が映されている映画が170本以上ある。ため息がでそうであるが、俄然元気になってしまう。行くぞ!

 

  • 映画の中で浅草のどこが映されているかも一本、一本について記してくださり、もう嬉しくなります。自分でもメモしたりしたのだが、次第に雰囲気がわかればいいやと正確に調べることをやめてしまったのである。浅草の変遷も詳しく書かれていて、たとえば昭和34年(1959年)に完成した「新世界ビル」の中にあった「劇場キャバレー」のホステスさんの人数は500名とある。そんな時代もあったのである。

 

  • 何本かの映画は内容も詳しく紹介されているが、映画『喜劇 にっぽんのお婆ぁちゃん』は読んでいても北林谷栄さんとミヤコ蝶々さんの様子を思い出して吹き出してしまう。今井正監督は先を見込んで撮られたようであるが、それを越える程、おふたりはしたたかである。老人はしたたかに生きるべしである。

 

  • 脚本を書かれた水木洋子さんは、「死を目前にみた老人が一日をたのしく遊べるところ、といえば浅草意外にない」といわれたそうで、右同じと同意させてもらう。浅草でしか会えないような多種多様の人々に会い、二人のお婆ぁちゃんは新たな社会体験をするのである。老人施設の面倒な人間関係それを浅草に照らしてみるとまだまだと元気になるのである。テレビに映った北林谷栄さんを見て「浅草のあの人」から、ミヤコ蝶々さんは元気をもらう。シニカルでコミカルで、脚本の力、役者さんの力、監督の力、そして浅草の力が融合した傑作である。その浅草を懇切丁寧に解説されているのがこの著書である。今度は根気よく確認しなければ。

 

  • この著書には出てきてない映画がある。『ガキ☆ロック』である。コミックの実写化である。浅草に住む人情に長けた若者が時には暴走しつつも人助けに浅草を走り回る4人である。コミックならではの登場人物のキャラを楽しむ映画でもある。歌舞伎の『助六』だって江戸のキャラ満載の芝居である。

 

  • ガキ☆ロック』は東武鉄道浅草駅が重要な場所となっている。そこにおり立った蝶々さんに主人公の源(上遠野太洸)は一目惚れである。源はストリップ劇場の息子で仕事を手伝っている。劇場の名前が、イギリス座。フランス座にぶつけたとおもわせる。蝶々さんはストリップの踊子さんで、兄を探しに大阪からでてきてイギリス座に世話になることにしたのである。その兄探しを手伝うのが源の仲間の、人力車の車夫のマコト(前田公輝)、フリーターのジミー(川村陽介)、坊主向きではないまっつん(中村僚志)である。

 

  • お兄さんは見つかるのであるが、気の弱いヤクザになっていた。皆は、お兄さんを大会社のサラリーマンにし、恋人役も頼み、兄と妹の再会を演出する。しかし、それも蝶々さんにばれてしまい、最後はお兄さんもヤクザから堅気になって、兄と妹は東武浅草駅から大阪に帰るのである。(2014年/原作・柳内大樹/監督・中前勇児/脚本・山本浩貴)

 

  • 東武浅草駅はかつては今のとうきょうスカイツリー駅が浅草駅で、その後隅田川を渡って延長し、浅草雷門駅とした。それが、浅草駅は、業平橋駅となり、浅草雷門駅は浅草駅となり、スカイツリーができ、業平橋駅はとうきょうスカイツリー駅となったわけである(詳しく知りたいかたは是非本で)。この東武浅草駅は電車が隅田川を渡って駅に入るのがなかなか面白いのである。

 

  • 東武伊勢崎線で浅草からとうきょうスカイツリー駅まで乗ったのだが、どうもピントこないので、また引き返した。やはり駅構内に入っていくほうが新鮮な気分になる。隅田川に架かる東武鉄橋は隅田川が見えるように設計されている。かつてはとうきょうスカイツリー駅(浅草駅)から皆歩いて浅草に遊びにきたのである。ただ、上野などからは都電はあったであろう。今度はとうきょうスカイツリー駅から歩く機会をつくろう。

 

  • 『ガキ☆ロック』の一人は人力車の車夫である。かつては、樋口一葉さんの『十三夜』のように、密かに想いあっていた男のほうが車夫に身を落としてといったような印象であるが、今の浅草では勢いのある格好いい姿を楽しませてくれていて浅草になくてはならない存在である。日本近代文学館(『浅草文芸、戻る場所』)では人力車・明治壱号が展示されていた。車輪は荷車の車輪職人、金属部分は鍛冶職人、座席は家具職人、塗装部は漆職人によって制作されていたとか。それぞれの専門の職人さんの合作だったわけである。

 

  • 車夫の印象といえば、美空ひばりさんの歌『車屋さん』で明るい光があたったような気がする。『小説 浅草案内』(半村良著)では、主人公が猿之助横丁を歩いている時、ご苦労さまという芸者に見送られて梶棒をあげる俥屋のシルエットをみて、「たった一台だけだが、この界隈には俥屋がまだ残っていて、それが走っても全然違和感のない町並みなのだ。」と書いている。そして「生き残った最後の何台かは、木曽の妻籠あたりへ移って、観光用の商売をしているとか」とくわえている。実に色々な顔をみせてくれる浅草である。

 

  • 昭和浅草映画地図』には参考資料文献も記載されているので、興味ひかれるものは目を通したいものである。図書館にリクエストした本も二冊ほど届いたそうなので秋の夜長映画と本で楽しめそうである。そして思い立った時には浅草へ。夏に友人が浅草神社の夏詣での特別御朱印を貰いに行ったのだそうである。最終日で凄い人で整理券の番号からすると夕方になっても無理そうで、整理番号券があれば違う日でもよいということで後日再び出かけたらしい。

 

  • 美空ひばりさんの映画『お嬢さん社長』で、お参りする神社があって、映画の流れからすると浅草神社のようなのだが、随分心もとないたたずまいなので違うのかなとおもったところ、『昭和浅草映画地図』にやはり浅草神社と書かれてあった。そんな具合に曖昧さを払拭してくれる有難い本でもあるわけである。

 

『浅草文芸、戻る場所』(日本近代文学館)

  • 京王井の頭線・駒場東大前駅西口改札から歩いて7分の「日本近代文学館」で『浅草文芸、戻る場所』展をやっている。関東大震災のころは、写真というものが庶民に広く普及していたわけではないので、十二階の凌雲閣などの様子も銅板画とか錦絵などで、こういう貴重な絵をしっかり保管しておられる方がいての展示である。2時からギャラリートークもありそのあたりのことの解説があった。

 

  • 凌雲閣は関東大震災で二つに折れて倒れ、その後爆破されて消滅してしまうが、今年の2月にその建築跡が出て来てきちんとその位置が確認されたそうである。そのときに分けてもらった赤レンガの破片が展示されていた。凌雲閣が重要な場面となっている文学作品の紹介もあった。爆破のときのことは、川端康成さんの『浅草紅団』にもでてくるし、江戸川乱歩さんの『押絵と旅する』にも出てくるらしい。乱歩さんが使いたい建物である。青空文庫にもあるらしいがまだ読んでいない。

 

  • 凌雲閣の映画といえば、『緋牡丹博徒・お竜参上』である。最後の闘争の場所が凌雲閣なのである。お竜さんが、鉄の門を開けるのであるが、そこからすぐに凌雲閣の建物がありこんなに狭いのだろうかとおもったが、絵からするとかなり正確である。架空の東京座という劇場の利権争いがあるが、この東京座の前に実際にあった電気館の建物が映り、この六区のセットには相当力を入れていたのがわかる。

 

  • 監督は加藤泰監督で脚本も鈴木則文さんとふたりで書いているので、意識的に凌雲閣を選んだのであろう。お竜さんが世話になるのが鉄砲久一家で、色々調べられて、六区を選んだ以上その雰囲気を作り出そうと頑張られている。映画人の心意気である。お竜さんが馬車で走る鉄で覆われた橋はかつての吾妻橋のように思える。今戸橋の雪の中をころがるミカン。この映画の事は書いているかもしれない。

 

  • 文学のほうにもどると、ひょうたん池に噴水があったが、もう一つ浅草寺の本堂の後ろにも噴水があってその真ん中に立っていたのが、高村光雲作の龍神像で、今はお参り前に清める手水舎に立っているのだそうで、よく見ていないので今度いったときは見つめることにする。その噴水で子供の身体を洗ってやる親子のことを書いているのが、堀辰雄さんの『噴水のほとりで』である。堀辰雄さんは橋を渡ったすぐの向島の育ちであるから浅草育ちと言ってよいだろう。

 

  • 浅草はレビュー、カジノフォーリー、オペレッタ、浪花節、女剣劇、喜劇などのエノケン、ロッパ、シミキンなど多くの芸人さんの名前が登場する。シミキンこと清水金一さんなどの「シミキンの笑う権三と助十」の宣伝ポスターもある。伴淳さんもロック座で一座を構え、喜劇とレビューをやっていたが、レビューのほうが人気となりそれがストリップとなり、伴さんの退団でストリップ劇場になったとあった。こういうポスターやチラシなどを収集しているかたがいてその方たちからお借りしての展示となったようである。

 

  • 同時開催として『モダニズムと浅草』として、川端康成さんを中心にした展示室もある。川端さんは映画『狂った一頁』(1926年)で映画製作にも参加している。小説『伊豆の踊子』の発表が1926年で、小説『浅草紅団』が1929年に発表され浅草が評判となり、1930年には映画化されている。そして『伊豆の踊子』が1933年に映画化されている。大正時代の経験が小説となり、そして、映画化さる。川端康成さんの作家として、あるいは作品としての知名度は芸人さんと芸人さんのいた場所と映画とが結びついて始まっているわけである。

 

  • 大正モダニズムについては、日比谷図書文化館で特別展を『大正モダーンズ 大正イマジュリィと東京モダンデザイン』も7月1日まで開催していたが、そこで観たいと思っていた浅草ひょうたん池の夜の絵葉書があった。

 

  • 高見順さんの『如何なる星の下に』で、主人公と嶺美佐子という女性がひょうたん池の橋の上から池に映るネオンをみて「綺麗だ」という場面がある。展示物に東京の地図に当時の写真の絵葉書をそえて名所を紹介していたものがあった。名所用でもあるから、夜のひょうたん池はネオンの灯が映って美しかった。けばけばした歓楽街とすたれた歓楽街の両極端のイメージがついて回りちょっと気の毒な六区なので、「綺麗」の言葉にちょっと気恥ずかしがっている六区に思えた。

 

  • 東京モダーンズ』では、大正時代の印刷術の発達と出版文化の興隆時代であることに触れている。なるほどと納得する。雑誌の表紙や挿絵、そして、浅草でのカジノフォーリー、レビュウー、演劇、音楽などのポスター、パンフレット、プログラムなどにどんどんポップな絵やデザインが使われるのである。それが『浅草文芸、戻る場所』の六区のポスターなどにもあらわれている。

 

  • 女性や子供に人気があったのが竹久夢二さんである。その他、杉浦非水さんなどが図案集などをだし、そこから商店などが宣伝用に図柄を使っているのである。「新時代のジャポニズム」として小村雪岱さんや橋口五葉さん、鏑木清方さんなどの絵も新しい浮世絵として見直される。

 

  • 次に出てくるのが写真ということになる。浅草の芸人さんたちも写真で紹介され雑誌などにも写真で登場ということになる。劇場も実演が成功すると芸人さんは浅草六区から出て行き映画のほうが主となっていく。この辺の変遷は沢山あった劇場のそれぞれの変遷でもあり複雑で手に負えない分野である。浅草を舞台とした小説も書かれた年代によって浅草の顔が違う。

 

  • 高見順さんの『如何なる星の下に』は、1939年(昭和14年)に連載され、その時代の浅草なのであるが、主人公はその一年前に浅草の本願寺うらの田島町に部屋を借りるのである。しかし主人公は六区や浅草寺の境内や仲見世などにはいかないのである。その反対側にある「風流お好み焼 惚太郎」が軸になっていて、そこで出会う芸人さんなどとのことで回転していくのである。

 

  • 活躍している芸人さんたちではないのでその人達からきく六区の様子はかなり厳しい状態のようである。浅草国際劇場の松竹歌劇団華やかなりし頃で、そのお客は脇目もふらずに田原町の停車場か地下鉄駅と劇場を真っ直ぐに往復すると書かれてある。そういう時代である。

 

  • 「風流お好み焼き 惚太郎」は現在の「染太郎」さんで、「高見順の観た浅草」ということで、日本近代文学館では染太郎二代目ご主人の対談があったようである。『如何なる星の下に』で主人公は、浅草レビュー発祥の水族館も廃屋のままで、ただ食い物屋は凄いと言っている。確かに無くなってしまった飲食店もあるがいまだにしっかり残っているところもあり、主人公の考察は当っていることになる。また半村良さんの『小説 浅草物語』は時代も違い、浅草の別の顔がみえるが、長くなるのでこのへんで・・・。

 

  • 『浅草文芸、戻る場所』の主催は「浅草文芸ハンドブックの会」である。

 

浅草映画一覧

現時点での浅草映画の一覧である。◎は観た映画。▲は内容を書き記したと思われる映画。●はまだ観ていない映画である。浅草を舞台にしているもの。浅草が重要な意味をもつもの。浅草が観光的にちょこっとでてくるもの。浅草にある建物や飲食店がでてくるもの。すでにないのでセットで作ったもの。全く架空の名前にして浅草に関係あるようにしたもの。いわれて気がつくなど様々である。順番はメモや思い出すまま並べただけで何の意図もない。観たあとで情報を得て確かめていないものもある。

つい先ごろ、「キネマ旬報・2006年10月号・1468号」が書棚にあり何のために購入したのだろうと開いたら浅草がでている。表紙は加瀬亮さんで、10数年前それほど浅草も加瀬亮さんにもハマっていなかったとおもうが、今回は参考になった。「浅草六区映画地図」(絵と文・宮崎祐治)の地図の絵がわかりやすくて、よくぞ買っておいたと自分をほめた。1942年(昭和17年)、1956年(昭和31年)、1987年(昭和62年)の絵地図がのっている。六区の変貌は激しいので大助かりである。そしてその場所のでてくる映画も映画俳優さんのイラストつきである。

小沢昭一さんと川本三郎さんの浅草の対談、浅草キッドおふたりの「我らのフランス座修業時代」の対談もある。加瀬亮さんはその後の映画でも観ていて上手い俳優さんであるとは思っている。さらに映画を探して観てもいいなあなどとおもうし、ずーっと横目でみて観る気まで起きなかった『カポーティ』が作品特集で載っていたので観ることにした。一冊だけあった『キネマ旬報』の影響力強し。『とんかつ大将』で三井弘次さんが佐野周二さんに声をかけるのが、ひょうたん池のほとりの設定らしい。『男はつらいよ』で武田鉄矢さんがアルバイトしていたのがとんかつ屋『河金』などチェックしていなかった。これからもそういうことが出てくるのであろう。シントト、シントト。(日を追って追加していく)

  1. パレード ◎
  2. 喜劇 にっぽんのお婆ぁちゃん  ◎ ▲
  3. 笑いの大学  ◎ ▲
  4. 異人たちとの夏  ◎
  5. 夢みるように眠りたい  ◎ ▲
  6. 乙女ごころの三人娘  ◎ ▲
  7. しゃべれどもしゃべれども  ◎
  8. 菊次郎の夏  ◎ ▲
  9. 陰日向に咲く  ◎
  10. 転々  ◎
  11. 男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく ◎ ▲
  12. 東京暗黒街・竹の家  ◎ ▲
  13. 深海獣雷牙  ◎
  14. ばしゃ馬さんとビッグマウス  ◎ ▲
  15. ナイト・トーキョー・デイ  ◎
  16. 100回泣くこと  ◎
  17. こちら葛飾区亀有公園前派出所  ◎ ▲
  18. 風立ちぬ(アニメ)  ◎
  19. 君に幸福を センチメンタル・ボーイ  ◎
  20. 夢売るふたり  ◎
  21. ガキ☆ロック  ◎
  22. 月  ◎
  23. 福耳   ◎
  24. 浅草・筑波の喜久次郎 ~浅草六区を創った筑波人~ ◎  ▲
  25. まむしの兄弟 懲役十三回   ◎
  26. ひとりぼっちの二人だが  ◎ ▲
  27. 青天の霹靂  ◎
  28. 下町の太陽  ◎
  29. カルメン純情す  ◎
  30. の・ようなもの  ◎
  31. 浅草キッドの浅草キッド  ◎ ▲
  32. 日本侠客伝・雷門と決斗  ◎
  33. とんかつ大将  ◎
  34. 浅草の灯 (1937年) ◎
  35. 浅草の灯・踊子物語  ◎
  36. 帝都物語   ◎  
  37. もどり川  ◎
  38. 緋牡丹博徒・お竜参上  ◎
  39. 浅草の肌  ●
  40. 浅草紅団  (1952年) ◎   ▲
  41. 浅草の夜  ◎
  42. 彼奴は誰だッ  ●
  43. セクシー地帯  ◎    ▲
  44. 泣いてたまるか  ●
  45. 清水の暴れん坊 ◎ ▲
  46. 下町  ◎ ▲
  47. 夢を召しませ  ●
  48. お嬢さん社長  ◎ ▲
  49. 胸より胸に  ●
  50. 押絵と旅する男   ●
  51. 男はつらいよ 寅次郎忘れな草  ◎
  52. 男はつらいよ 私の寅さん  ◎ ▲
  53. 男はつらいよ 噂の寅次郎  ◎
  54. 男はつらいよ 翔んでる寅次郎  ◎
  55. 忍ぶ川  ◎
  56. 男はつらいよ 拝啓車寅次郎  ◎
  57. 男はつらいよ ぼくの伯父さん ◎
  58. 海の若大将  ◎
  59. アルプスの若大将  ◎
  60. 赤線地帯  ◎ ▲
  61. 踊子  ◎ ▲
  62. 風速40米  ◎
  63. 抱かれた花嫁 ◎  ▲
  64. 妖婆(台詞のみでその場所が浅草とされる) ◎
  65. ひまわり娘  ◎
  66. 牝犬  ◎
  67. 渡り鳥いつ帰る  ◎
  68. にごりえ(第一話・十三夜、第二話・大つごもり、第三話・にごりえ) ◎
  69. 日本残侠伝  ◎
  70. 総長の首   ◎
  71. 渡世人列伝  ◎
  72. 南太平洋の若大将  ◎
  73. 昭和残侠伝 血染の唐獅子  ◎
  74. 昭和残侠伝 人斬り唐獅子  ◎
  75. 博徒一家   ◎
  76. 喜劇 駅前女将  ◎ ▲
  77. 女の子ものがたり  ◎
  78. 野良犬  ◎
  79. ヘルタースケルター  ◎
  80. キネマの天地  ◎ ▲
  81. 関東テキ屋一家 浅草の代紋 ◎
  82. 風の視線  ◎
  83. 侠花列伝 襲名賭博  ◎
  84. 墨東奇譚  ◎
  85. 若者たち  ◎ ▲
  86. 不良少年  ◎
  87. パッチギ! love&peace  ◎
  88. 監督・ばんざい!(浅草花やしきの写真のみだが笑える) ◎
  89. キトキト! ◎
  90. 三羽烏三代記  ◎  ▲
  91. その人は遠く  ◎  ▲
  92. やくざ先生  ◎ ▲
  93. 堂堂たる人生  ◎ ▲
  94. 青春怪談  ◎ ▲
  95. 太陽のない街  ◎ ▲
  96. 陽気な渡り鳥  ◎ ▲
  97. 人生劇場 新飛車角  ◎
  98. 夕映え少女(浅草の姉妹) ◎
  99. 日本人のへそ  ◎
  100. 浅草姉妹  ◎
  101. 愛怨峡   ◎
  102. トワイライト ささらさや  ◎ 

浅草散策と浅草映画(6)

  • 映画『浅草キッドの「浅草キッド」』(2002年・篠崎誠監督)正直期待していなくて急いで見ることもないと思っていた。原作は北野武さんの『浅草キッド』で脚本はダンカンさん。出演が浅草キッドで、すいませんが全然知りません。名前は聞いたことありますがどんなことをされているのかも知らないのである。あの原作の『浅草キッド』をグチャグチャにして笑い飛ばすのであろうか。若者がビーチサンダルでピタピタ歩いている。路上での靴売りが、浅草は、「永井荷風先生が、あの川端康成先生が通ったという由緒ある格の高い土地柄だよ。」と言って靴を履きなよとすすめる。永井先生と川端先生が靴の宣伝になる。面白い。

 

  • 片方の靴の寸法が大きすぎる。靴売りは革を多く使っていると思えばいいよ、と大きい靴の後ろに煙草をいれる。ふざけんなよと若者。そこへヤクザが現れて、兄ちゃん足があるのがいけないんだよと懐に手を入れる。若者逃げ出す。このヤクザ、紙切りの林家正楽さん。きっちり怖い人になっています。まゆの間のシワが効いている。紙切りの時は淡々と表情を崩さずに紙とはさみを動かすかたである。そして若者はフランス座の前にいる。切符売り場のおばちゃんが内海桂子さん。こちらは次第にしっかり見る態勢に入ってきた。若者の名前は、北野武。

 

  • フランス座のエレべーターべボーイに雇ってもらう。顔も知らなかった深見千三郎さんに舞台に出たいから弟子にして下さいと頼む。にいちゃん何かできるのかい。ジャズを聴きます。聴いてどうするんだい。深見師匠は何もできないタケシにタップを教えてくれる。このタップが何かあるごとに心の動揺を鎮めてくれるように動くのである。座付き作家になりたいともう一人弟子が入る。深見師匠は自分が住んでいるアパートの空き部屋に二人を住まわす。タケシは、浅草キッドの水道橋博士さんで、作家志望の井上雅義が玉袋筋太郎さんである。この二人がそれぞれの修行の中で育まれた関係と、深見師匠との関係が展開していく。特に深見師匠とタケの関係が微妙で可笑しい。師匠にタケが仕掛け、それに乗って怒る師匠がこれまた笑わせてくれる。

 

  • 深見千三郎は石倉三郎さんである。ぴったりである。初めてタケが深見さんと出会ってぶつかりそうになり、深見さんはそこをひらりっとかわす粋な動きを最初からみせる。大学中退で、先の見えない暗さがタケには漂っている。とにかく博士さんのタケは暗いのである。そこがこの映画の必要不可欠なところでもある。長い年季をを積んだ人と何もない人との出会いで縁を想わせる。初めてピンチヒッターで舞台に出る時、コントだからと面白い顔にしたら「タケ!なにやってる。芸で笑わせるんだよ。笑われてどうする。もうタケ!でいい。」と言うことでタケとよばれるようになる。

 

  • 毎日通って来るお客に、エレベエターボーイのタケは、このスケベオヤジめとゴチョゴチョいうと、その客降りる時、兄ちゃん男のスケベは死ぬまでなおらないよという。このお客が、横山あきおさんで、軽くてうまい脇をつとめられていたかたである。居酒屋でご馳走になるが負けん気のタケは、なんだスケベのオヤジじゃないかというと、笑って深見師匠の若い頃にそっくりだ、コント面白かったよと持ち上げられる。悪い気のしないタケ。少し顔がゆるむ。踊り子のお姉さんたちの準備など下働きと進行係りをしつつの毎日で、その失敗や、師匠とのやり取りにコント以上の面白さがある。踊り子さんのヒモの寺島進さんとダンカンさん。マジックのナポレオンズ。漫才コンビに島崎俊郎さんと小宮孝泰さん。それぞれの場面で盛り上げる。

 

  • 兄弟子に須間一彌さんと後のビートきよしにつぶやきシローさんで、漫才をやろうとタケを誘うが、誰がおまえと絶対やらないとつっぱねる。皆で屋台で飲んでいて師匠と姉さんもくる。タケが屋台のオヤジさんが見ていないすきをねらっておでんを口に入れる。それをマネする皆。こういう悪戯を考えて行動するのがタケは速い。気が付いた屋台の主人に、こいつペンキ屋の息子だから屋台にペンキ塗られないように注意しろよと上手く場をおさめる師匠。こんな師弟にも別れがくる。伊藤雅義は浅草を出ることを決める。師匠に世話になりながら恩知らずと叫んだタケも兄弟子と師匠のもとから飛び出すことになる。タケおまえだけは絶対もどって来るなよ。

 

  • 人気の出たツービートは、木馬亭に出ている。楽屋の芸人たちが皆ツービートの舞台を見ている。始まる前に、タケの足は、タップを踏んでいる。終わって、御祝儀の封筒が届けられる。中を見て飛び出すタケ。姿はない。深見千三郎師匠であった。「へタクソ」と書いてあった。タケは無表情にタップを踏みはじめる。タップは深見師匠から身に着けてもらった芸であり、形見のようなものである。映画『この男凶暴につき』で、コツコツと音を立てて歩く刑事。そして突然暴力が開始される。コツコツそしてタップの始まりのように思えた。

 

  • 映画『浅草キッドの「浅草キッド」』一回目は浅草で観ることのできる芸人さんも出て来て、撮影場所が劇場の中と浅草の街だけで、浅草そのものの映画として存分に味わわせてくれる。二回目は、やはり武さんと深見師匠の出会いと別れで、深見師匠の複雑な気持ちが想像され最後は涙してしまった。深見師匠が、「タケ、おまえ40年早く浅草に来てりゃなあ。ひょうたん池があってよ。変わってしまったなあ。」「師匠、40年前はオレ生まれていません。」。この映画、深見師匠に見せてあげたかったですね。「タケ、オレ生きていないじゃないか。」
  • 出演・深浦加奈子、井上晴美、中原翔子、小島可奈子、里見瑤子、桂小かん、神山勝、ガラかつとし、橋本真也、薬師寺保栄、野村義男

 

  • 三回目。タケがピンチヒッターで舞台にでる。固まっている。お客は笑う。兄ちゃんがんばれと声がかかりまた笑われる。そのあとアドリブと動きで客を笑わせる。深見師匠の「笑われるんじゃないよ、笑わすんだよ。」の一つの例なのである。芸がつたなくて笑われたのである。

 

  • 沢村貞子さんが、『貝のうた』で書かれていた。どうしていいかわからなくて、丸山定夫さんに教えて欲しいと頼んだら「減るからいやだ。盗むものさ。」といわれた。40年たってわかった。一緒に芝居をしていると、教えた相手の演技が気になって自分が乱れる。さらに、一度だけ丸山定夫さんの演技の上手さに笑ってしまった。「沢村君、笑いたかったら、お金を払って客席で笑いなさい。」役者が舞台でほかの役者の芝居をみて笑っているようでは見込みがないからやめたらと言われるのである。

 

  • 今、舞台での失敗や相手の演技でふいて、客席と共有してまた笑わせるというのがある。故意に受けをねらっているのか、たまたまなのかはわからない。笑いは、しっかり相手の芝居を役者が見ていて、次の台詞なり動きで笑いを受け、さらなる笑いの波をつくる過程であったりする。客席との役者との共有は芝居よりも、あの役者さんも笑っていて面白かったで終わることもある。笑いは怖いところがある。そんなことも考えさせられた。

 

  • 深見師匠は、タケが勝手にナポレオンズの車を乗り回し説教する。そういう時でさえ、タケのツッコミがおそいと怒る。常に、その場その場での笑いのことを考えていなくてはならないのである。ただ師匠は怒りつつもこのタケのツッコミに才能ありとしていたようである。反対に伊藤雅義は、師匠にいじってもらえず自分の才能に疑問が出て来て去ることになる。タケは絶対に一緒にやらないといっていた兼子二郎と身一つでできる漫才に勝負をかけて去るのである。オレの芸は全部お前に教えるぞと言った師匠のもとを。

 

浅草散策と映画(5)

  • 『水戸黄門』が出てきたとなると、浅草木馬亭での初体験に触れなくてはならない。木馬亭は浪曲の定席があり澤孝子さんを生で一度お聴きしたいと思っていた。木馬亭も初めてである。浪曲の出演者は全て女性であった。間に講談が一席入り男性である。浪曲の大山詣りがあり、落語の笑いへの調子とはやはり少し違う。黄門記の「孝子の訴人」をされた方が、年でもう声も出なくてと言われたが泣かされてしまった。確かにお声は出ないがその熟練度はここに芸ありの国本晴美さん。もしかしてと思ったら、亡くなられた浪曲界で革命児的活躍をされた国本武春さんの御母上であった。澤孝子さんは、五月なので爽やかなものをと姿三四郎と乙美との出会いを声量たっぷりと聴かせてもらう。浪曲も講談も知っていそうで知らな話しが沢山ありそうである。

 

  • 木馬亭のお隣が木馬館で大衆演劇をやっている。夕方の部にちょうど良い。席を確保し、外で食事をしてからふたたび入館する。劇場は小さいが前の人との高さがあり見やすい。橘菊太郎劇団である。若い女性客が多いのに驚く。お隣の席の方は橘大五郎さんを小さいころから観ているのだそうで、近頃は大衆演劇も若い方が増えたと言われる。木馬亭で浪曲の平手造酒を聴いて、こちらでは立ち回りで手を震わせている酒乱の平手造酒が出て来て笑ってしまった。同じ人物を違う角度から観れ、それぞれの捉え方の多様性が楽しい。途中から入場されるお客に対する席の確保なども案内係りが手際がよく、気持ちよく観劇できた。舞台が狭いので芝居をする役者さんの苦労が垣間見える。毎日出し物が違い、終演後はお客様ひとりひとりと握手されてのサービス精神が凄い。

 

  • 木馬亭木馬館を隣としたが、建物は一つで、一階が木馬亭で二階が木馬館で、一階にそれぞれの入口がある。この建物の前で、佇む人物の映画があった。映画『浅草・筑波の喜久次郎 浅草六区を創った筑波人』(2016年)で、浅草六区にたずさわった山田喜久次郎がタイムスリップし、娘と人力車に乗って浅草を訪ね、木馬館の前で「もうここしか残っていない。」というのである。映画では、木馬亭はシャッターが降ろされている。北野武監督の『菊次郎の夏』の菊次郎は北野監督の父親の名前だそうであるが、浅草で「きくじろう」が重なってしまった。

 

  • 橘大五郎さんは、北野監督の『座頭市』に出演されている。筋を忘れているので見直した。詳しくは書かないが、親を殺され復讐のため女芸者に化けて姉と旅をする弟役。大五郎さんの子供時代が早乙女太一さん。太一さんの舞台は観ている。その他、大衆演劇での舞台を観ているのは、沢竜二さん、梅沢武生さん、梅沢富美男さん、松井誠さん、竜小太郎さん、大川良太郎さん、門戸竜二さん。さて、大衆演劇の旅役者が出てくるのが映画『こちら葛飾区亀有公園前派派出所 THE MOVIE ~勝どき橋を封鎖せよ!~』(2011年)である。では、こちらの映画から。

 

  • 「こち亀」は、両さんの顔と制服姿は知っているが全く真っ白と言っていい。小学校時代の両津勘吉君は、旅役者の子にどうも恋をしたらしい。勘吉君は、その子に勝どき橋が開くことを説明するが信じてもらえない。女の子は短い期間で転校してしまう。両(香取慎吾)さんは今も、勝どき橋を見つつ、両腕で開いたその様子を示す。両さんのノスタルジーが伝わってくる。もしかして、映画のどこかで勝どき橋がひらくのかもしれないとワクワクする。もちろんCGであろうが、見て観たい。その女の子が座長(深田恭子)となって再び両さんの前に現れる。

 

  • 女座長の桃子には娘・ユイがいて、夫は行方不明である。両さんは子供たちの考える悪戯を一緒になってやるような幼さがあり、子供たちと友達である。ユイは、母が旅役者であるため、同級生の仲間に入れなかったのであるが、両さんは、その悩みを解決してあげ、自らも芝居に参加する。桃子と浅草を歩き、凄く良い雰囲気でもしかしての空気となる。そんなおり、ユイが誘拐される。犯人は本当は警察庁長官の孫を誘拐しようとして間違ってユイを誘拐したのである。両さんは子供たちと仲が良いのが幸いして、子供たちから犯人のヒントをもらい犯人逮捕となる。「勝どき橋を封鎖せよ!」は、勝どき橋で身代金を用意して待つようにとの犯人の要求からである。

 

  • 犯人は、子供たちや、両さんを励ましてくれた交通整理のおじさんであった。それには、警察庁長官の孫娘を狙うだけの動機があり、その手助けをしていたのがユイの父親であった。それでも、桃子は夫を待っていたことがはっきりして、両さんの恋は儚くも終わってしまうのである。しかし、勝どき橋が開いたということだけは、ウソではなく本当に開くのである。CGであるが、やはり感動ものです。漫画の主人公であるから両さんは誇張されてはいるが、話しの筋はまともでした。

 

  • 桃子の舞台、「鼠小僧」は浅草の雷5656会館で撮影されたようです。大変だと思ったのは、両さんが、下駄のサンダルで走りまわることである。時としては、ビニール製のサンダルだったりしたが、どちらにしてもこれで走るのはきついであろう。両さんは浅草生まれの浅草育ちなので、浅草寺横の浅草神社に「友情はいつも宝物」と記された碑がある。両さんの少年時代の友情を描いた「浅草物語」にちなんだ碑です。映画の主題歌は『三百六十五歩のマーチ』(水前寺清子)のカヴァーで香取慎吾さんが唄っている。
  • 監督・川村泰祐/原作・秋本治/出演・香里奈、速水もこみち、谷原章介、沢村一樹、夏八木勲、平田満、柴田理絵、ラサール・石井伊武雅刀

 

  • 木馬館に行った時、東十条にある大衆演劇の篠原演芸場がもっと雰囲気があってよいとのお客さんの声を聞く。その前から行っておきたかった劇場である。橘大五郎さんが、6月は篠原演芸場での公演と知りさっそく行った。お客さんの乗りが半端ではない。ゲストの大川良太郎さんと大五郎さんの掛け合いのツッコミとボケが笑いに笑わせてくれる。小さな劇場ならではの共有感が爆発する。その後、友人たちと待ち合わせて浅草の駒形どぜうへ。一度食べたかったのである。どぜうなべ。美味しかった。駒形橋から吾妻橋まで川べりを歩く。さわやかな川風で、いい気分で屋形船の行き来する隅田川を眺める。また一つ浅草を満喫できた。松屋に時計がある。う~ん。先の映画ロケ地予想がくずれるかも。そうであれば、気ままに楽しんでやっていますのでごめんなすってである。

 

  • 映画『浅草・筑波の喜久次郎 浅草六区を創った筑波人』。この映画は浅草を知るうえで興味深い人に巡り合えた。山田喜久次郎というかたである。筑波の北条出身ということで浅草・筑波とあるようにその二つの地を結ぶことにも光をあてている。そのためもう少し浅草での喜久次郎さんを知りたいと思う者には物足りなかった。『鉄砲喜久一代記』(油棚憲一著)があるので、個人的にはそちらでさらに愉しませてもらうこととする。映画の方は、つくば市で劇団をやっている若者・幸田啓介(長谷川純)と脚本担当の中町夢子がタイムスリップし、明治の浅草に紛れ込み山田喜久次郎(松平健)に助けられる。その時、喜久次郎は懐に鉄砲を持っている。

 

  • 啓介と夢子は三年間喜久次郎のもとで、喜久次郎の生き方を目の当たりにする。そこには、浅草に初めての劇場・常盤座を創立した根岸浜吉(北島三郎)もいた。喜久次郎は新富座で興行の修業中の浜吉と出会う。浜吉は筑波の小田出身であった。喜久次郎は左團次のところに居候させてもらったりもしている。啓介は現代にもどってみると、三年と思っていたのが三日間の行方不明であった。啓介の劇団「ナイトアンドディ」は借金だらけで大家さん(星由里子)から家賃の催促を受けている。家賃の棒引きの条件として大家さんは自分と猫だけに芝居をみせるならという条件をつける。啓介は喜久次郎の物語を芝居にすることにした。

 

  • 啓介は病気の母(秋吉久美子)にも見せたいと、もとSKDのダンサーだった大家さんを上手く乗せて皆に見てもらえるようにする。芝居上演まで色々あるが、壁にぶつかると喜久次郎が現れ意見してくれ、若者の成長を描いた青春物ともいえる。こちらは、山田喜久次郎さんや根岸浜吉さんのことがもっと知りたい気持ちが強く、少し欲求不満でした。その分、喜久次郎さんの本は無いのかと捜すこととなり結果よければすべてよしである。映画では、喜久次郎さんは芝居の幡随院長兵衛をみて、こういう生き方をしようと思ったとしている。このかたヤクザの親分ではありません。親分と呼ばれるのは嫌ったそうです。喜久次郎さんと当時の東京市長・尾崎咢堂(田村亮)との対決もなかなかの見せ場です。挿入歌の『むらさき山哀歌』は松平健さんが唄われています。星由里子さん、映画ではこの映画が最後でしょうか。最後まで愛くるしいです。(合掌)
  • 監督・長沼誠/脚本・香取俊介/出演・水島レイコ、戸井智恵美、綾乃彩、門戸竜二、沢竜二

 

浅草散策と映画(4)

  • 映画『お嬢さん社長』は1954年(昭和29年)、映画『東京暗黒街 竹の家』は1955年(昭和30年)公開である。『東京暗黒街 竹の家』は、アメリカの20世紀フックスが、映画『情無用の街』(1948年)の場所を日本に置き換えてリメイクしたものである。撮影の前後はわからないが、公開は『お嬢さん社長』のほうが『東京暗黒街 竹の家』より先なのに、浅草国際劇場の正面の雰囲気が『東京暗黒街 竹の家』のほうがやぼったく、幟があったりしてごちゃごちゃしている。日本に対して感覚がずれている映画の一つで、着物や住宅の中も何処なのという感じである。室内などは、アメリカのセットで撮られたのであろうし、変なアクセントをしゃべる日本人が出てくる。ただ、ロケは、その時代の浅草、銀座、鎌倉、横浜港、山梨などの貴重な映像となっている。

 

  • 映画『『東京暗黒街 竹の家』(監督・サミュエル・フラー)は、米軍警察の捜査官がアメリカ人の犯罪組織に潜入するというもので、『情無用の街』は、実際にあった第一次大戦後のギャングとFBIの対決を脚色したドキュメンタリータッチのギャング映画ということで後日見るが、こちらのほうが面白そうである。先ず、映像の中心に富士山がありその手前を蒸気機関車が走る。この軍用列車から、ピストルなどが強奪されるのである。犯罪組織の一人が重態の状態で拘束され死亡する。この男の妻が組織には内緒のマリコ(山口俶子)で、捜査官(ロバート・スタック)は死んだ男と友人であった男エディになりすまし、マリコに近づき、さらに犯罪組織の仲間となる。ボス(ロバート・ライアン)は、エディを信用する。

 

  • エディがマリコを探しに行くのが浅草国際劇場である。踊子たちが屋上で練習をしている。時計がみえるので、この屋上は銀座あたりのビルかもしれない。マリコは踊子のようであるが、身の危険を感じて自宅に逃げかえる。舟で生活している人もいる。川本三郎さんの『銀幕の東京』(浅草)によると、佃島で、当時、水に浮かぶようようにして木造の小さな家が並んでいて、題名の「竹の家」はそこから付けられているとある。ロケの映像はそのままであろうが、室内ははてなである。それは置いておき、組織からは、マリコはエディの恋人とみられ、二人は、ボスの家に住まうことになる。しかし、エディが裏切者であり捜査官であることが判明。

 

  • 危うく殺されるところを助かった捜査官とボスの銃撃戦がはじまる。ここが、見どころの一番である。ボスは浅草松屋の屋上の遊園地に逃げ込み、ボスはスカイクルーザーに乗るのである。スカイクルーザーとは土星の形をした大観覧車で、輪の部分にベンチがぐるっとあってそこに人が座り、輪の部分は一回りするようになっていてぐるっと360度、下の風景を観覧できるのである。二人の攻防を見つつ、スカイクルーザーから観える景色も追うのである。隅田川が見える。どうも浅草寺らしい建物と赤い仲見世らしきものがみえるが、本堂は空襲で焼けて1958年に再建している。形は出来上がっていたのであろう。五重塔は1973年再建であるから何もない。スカイクルーザーがなければ、この映画の面白味はないといえる。

 

  • 最初の富士山と蒸気機関車の映像は、現在の富士急行線の富士吉田駅と河口湖駅の間にわざわざ蒸気機関車を走らせたそうで、この線は乗っていないので是非乗る機会をつくりたい。楽しみがふえた。早川雪洲さんも警部役で出演している。

 

  • 映画『お嬢さん社長』は、美空ひばりさんが、16歳で社長になり、唄う場面も豊富にあるという川島雄三監督の映画である。川島監督は 「お正月映画で、美空ひばりさんでやった、唯一のものです。ひばりちゃんが、少女であるか、女としてお色気を出していいか、高村潔所長と話しあい、「少女の段階でやってくれ」 といわれたのを、覚えています。」といわれている。喜劇としているが、母恋い物の雰囲気を残している。ひばりさんの歌う場面は時代の流れを上手く捉えて挿入している。女としてのお色気をだすとすれば川島監督がどうみせたのかも見たかったです。

 

  • 製菓会社社長の孫のマドカ(美空ひばり)は、死んだ母が歌劇団のスターでもあり歌手になりたいとおもっている。浅草の歌劇団のファンでもあり、スターの江川滝子と行動を共にし、舞台ぎりぎりに劇場に送り届ける。その場所が浅草国際劇場である。劇場の舞台監督・秋山(佐田啓二)からマドカは叱責をうける。秋山に謝るためお菓子をもって、浅草稲荷横丁をたずねる。その住民の中に、太鼓持ちをしている母の父、マドカのもう一人の祖父も住んでいた。どうもマドカの亡き父母には、哀しい事情があったようである。社長の祖父が病気のため、マドカは急きょ社長になる。会社には、会社を乗っ取ろうとする動きがあり、それを食い止めてくれたのが、太鼓持ちの祖父であり稲荷横丁の住民であった。

 

  • 社長のマドカは、社内を明るくするため屋上でコーラスの指導をする。森永の広告塔が見え、マドカも秋山の友人でデザイナーの並木(大坂志郎)の案で広告塔をつくる計画を立て、宣伝のために自らテレビに出て歌うのである。この歌う場面になるとひばりさん、お嬢さん社長から美空ひばりの貫禄になるのが面白い。音楽は万城目正さんである。テレビのCM放送が1953年ということで、川島監督しっかり時代に合わせて会社経営も考えている。しかし、乗っ取り一団の策略でまどかは社長を降り、会社も危ない状態となる。それに加担していた、浅草の親分が、テレビのマドカの母を想う歌が好きで、悪事をやめてくれ、会社の危機はすくわれ、マドカも歌手として浅草国際劇場で歌うことになる。

 

  • 川島雄三監督、しっかり浅草の当時の面影も残しておいてくれる。マドカが、水上バスで浅草に着く。今の吾妻橋のところである。この水上バスは浅草から両国、浜離宮方面に向かうのである。その案内アナウンスをしているのが、稲荷横丁の娘さんである。親分を探して太鼓持ち・三八(桂小金治)と歩くマドカが立ち止まった夕暮れの隅田川の対岸には、松屋の屋上のスカイクルーザーがみえる。この映画の数年後、浅草国際劇場でひばりさんは、ファンから塩酸をかけられるという事件にあっている。色々なことを見て来た国際劇場も今はホテルとなっている。
  • 出演者/市川小太夫、坂本武、桜むつ子、小園蓉子、有島一郎、多々良純、月丘夢路

 

  • このホテルの近くにSKDの団員さんが、よく行かれたという喫茶店『シルクロード』がある。外見も古くなってしまったが、当時はおしゃれであったであろうと思えるし、若い劇団員やスターが、狭いドアをくぐってくつろぎにきたのが想像できる。時代を感じる色紙や写真があり、プログラムもあったので見せてもらったが、小月冴子さんくらいしか名前がわからない。お一人、甲斐京子さんは、新派や商業演劇でも活躍されているのでわかった。喫茶店は、地元の方たちの、もう一つのお茶の間という感じでくつろがれている。浅草寺中心の喧騒から離れたこういうお店と出会えるのも浅草ならではである。着物の姿の若い女性やカップルも多く、京都などに比べると気楽に楽しんでいて敷居が低い。

 

  • 松屋の屋上のスカイクルーザーの前にあったのが、ロープウェイの航空艇で、そのころの浅草を舞台にした映画は以前書いている。 映画『乙女ごころ三人姉妹』

 

  • 作曲家の木下忠司さんが、4月に亡くなられていました。木下恵介監督の弟さんでもあり、映画大好きの人間にとっては、これも、これも、これもと思わせられるほど多くの映画音楽を手掛けておられ楽しませてもらいました。時代劇テレビドラマ『水戸黄門』の主題歌もそうです。100歳の時、浜松市の木下恵介記念館でのお元気な写真があり、102歳での大往生ということです。(合掌)

 

浅草散策と映画(3)

  • 浅草に戻るには何処からもどろうか。市川真間まで行ったので、永井荷風さんが晩年14年間暮らした市川市本八幡からにする。市川市文学ミュージアムで『永井荷風展 ー荷風の見つめた女性たちー』(2017年11月3日~2018年2月18日)があった。作品のモデルになった方や荷風さんが交流した女性達を、「明治、大正、昭和という激動の時代のなか、女性たちがたおやかに、したたかにに生きていった姿を、作品をとおして見つめ直します。」という視点である。荷風さんは市川から、浅草のロック座やフランス座に通われ楽屋へもフリーパスで入られていた。文化勲章を受章され、踊り子さんたちが祝賀会を開いてくれ、真ん中で嬉しそうに微笑んでいる写真もあった。ところが、文化勲章をもらってから偉い人であるとわかると、これを利用する踊り子さんもあってトラブルにもなったようで、それからは、浅草へ行っても小屋へは行かず公園のベンチに座っている姿が見られたということで、なんとも心寂しい風景である。

 

  • 無くなってしまった浅草・国際劇場での松竹歌劇団SKDの舞台がでてくるのが、映画『男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく』である。SKDの舞台が国際劇場の本物であるだけにこれは貴重な映像である。寅さんのマドンナ、SKDの花形スター・紅奈々子役がの木の実ナナさんで、踊りも抜群なのでSKDの設定も無理がなく、レビュー場面や団員さんにも溶け合っていて役とのつなぎ目に違和感を感じなくて済むのが助かる。映画も松竹であるから、舞台撮影も贅沢に映すことができたのであろう。小月冴子さんは、さすが風格がある。浅草国際通りと名前があり、国際劇場に出ることは、スターを意味していたのである。山田洋次監督が映画にしたのが1978年で国際劇場が閉館になったのがその4年後の1982年である。奈々子はさくらの同級生で、二人ともSKDに入るのが夢であった。その夢を叶えた奈々子は結婚して踊りを捨てるかどうかで悩んでいた。さくらの倍賞千恵子さんが実際にSKD出身というのもよく知られているところであるがSKDも1996年に解散している。

 

  • 永井荷風さんが通った、京成八幡駅そばの飲食店「大黒家」も閉店らしく、浅草の「アリゾナキッチン」、「ボンソアール」も閉店である。これからも浅草は経営者の老齢化などもあり、どんどん変わっていくのであろう。六区街の大衆演劇の劇場・浅草大勝館も無くなってドン・キホーテのビルになっている。そもそも浅草に映画館がないのである。『男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく』での冒頭の夢の場面では、寅さんが宇宙人であったということで、トレードマークの衣裳もカバンもキラキラしている。SKDのレビューのキラキラさに合わせているのであろう。さくらの夫・博(前田吟)の勤める町工場の経営が思わしくなく慰安旅行ができなくなり、国際劇場のレビュー観劇になってしまうのも下町らしく、九州からでてきた青年(武田鉄矢)が一度国際劇場でレビューを観たかったというのも、浅草国際劇場へのあこがれを伝えてくれる。

 

  • SKDの団員が踊る場面が映画『男はつらいよ』にもう一本ある。『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』(1982年)の冒頭夢の場面である。国際劇場閉館の年である。場所はブルックリンで、札付きのチンピラのジュリー(沢田研二)が唄う周囲で踊るのがSKDである。対する正義の味方はブルックリンの寅である。ジュリーは逃げ、柴又の家族と仲間に迎えられてレビューのように階段を上がる寅さんであった。この夢の場面に悪役として定番で出演していたのが、時代劇のベテラン悪役・田中義夫さんである。『男はつらいよ 幸福の青い鳥』では旅回りの人の良い座長さん。その田中義夫さんが、<ひゃら~り、ひゃらりこ、ひゃり~こ、ひゃられろ>の『新諸国物語 笛吹童子』ラジオ放送劇の主題歌とともに現れる映画がある。映画『夢見るように眠りたい』。映画製作のお金がなく、モノクロでサイレントという手法でかえって面白い映画となっている。

 

  • 夢みるように眠りたい』は、1955年代(昭和30年代)の浅草が舞台で、私立探偵・魚塚甚のところへ、月島桜という老婦人から誘拐された娘・桔梗を探して欲しいとの依頼がある。そのことを頼みにきたのが桜の執事(吉田義夫)で、魚塚の助手・小林少年がラジオで「新諸国物語 笛吹童子」の主題歌を聴いているときなのである。吉田さんは、映画「新諸国物語 笛吹童子」で悪役で出演していて、映画好き好きを思わせる演出である。桔梗の名もある。サイレントで台詞は字幕だが音楽と効果音は流れるのである。犯人からの謎のメッセージがあり、ゆで卵を食べつつ謎の場所を探し当ててゆく。江戸川乱歩風。

 

  • 仁丹塔、花やしき、地球独楽、縁日、M・パテー商会。M・パテー商会で、これは映画に関係あるかもとピンときた。やはり次は電気館の映画館である。そこで上映されていた映画に、渡されていた写真の桔梗が映っていたのである。映画は途中で終わりそこへ警官がきて上映中止になってしまう。その映画でも桔梗はさらわれ、それを助ける黒頭巾の剣士が魚塚であった。未完に終わった映画「永遠の謎」は女優主演映画で、警視庁の検閲により女優主演はまかりならぬと撮影中止になったのである。魚塚は桔梗を探すことが映画「永遠の謎」の結末を探すことなのだと理解する。その結末を聴いて老婦人・桜は安心して ≪夢みるように眠る≫ のである。桜が安心できる結果までの複線も上手く展開していく。(1986年/脚本・監督・林海象/美術・木村威夫/佳村萌(桔梗)、佐野史郎(魚塚甚)、深水藤子(桜)、松田春翠、大泉滉、あがた森魚)

 

  • 仁丹塔もない。映画の花やしきの人工衛星の乗り物も変ったらしい。花やしき一度は行かなくては。独楽に丸く金属の輪がついてるのを地球独楽というのだ。林海象監督のデビュー映画。協力者に大林宣彦監督の名前もある。佐野史郎さんの初映画出演、初主演映画で状況劇場を退団しどうしようかという時。知る人ぞ知るアングラ劇団の役者さんがでているらしい。活弁士の沢登翠さんもちらっとでてくる。深水藤子さんは、好きな映画『丹下左膳餘話 百萬両の壺』(山中貞雄監督)で、左膳が用心棒で居候する矢場のお久として出演されていて、山中貞雄監督のフィアンセであったともいわれている。『夢みるように眠りたい』は40年振りの映画出演ということで、これを実現した無名の林海象監督の力は大きい。脚本を読みこれならと思われたのであろう。フランス座出身の渥美清さんも出てきたことでもありますし、次は北野武監督の浅草の出てくる映画となりますか。

 

  • 映画『菊次郎の夏』は、子供と大人のロードムービーで、子供の名前が菊次郎と思っていた。子供が羽根のついた空色のリュックを揺らし駈けてくる。おっ!菊ちゃん張り切ってますねと見ていたらどうも映画の始まりではないようで、プロローグのようで、次に可笑しなタイトルが映る。そして二人の少年が学校帰りで、浅草の街を走るのである。千束通り、ひさご通り、六区、伝法院通り、浅草寺の正面を横切って二王門から出てくる。走っていたり、そうであろうと思う一部分の映像であったり、通り的にはつながっていない部分もあり、映像的な編集もされているであろう。浅草は、横路に入ったりし自由に歩きまわるほうが楽しい。

 

  • 今の二王門は塗り替えたのか造りかえたのか新しい赤い色である。この門を出て真っ直ぐ歩いていくと、隅田川にぶつかる。夜は、昼の喧騒とは違い人がほんのまばら。隅田川にぶつかると、派手ではない細いブルーの灯りの東武線の鉄橋がみえる。その上を電車が通る風景は、東京なのに郷愁をさそう。撮り鉄さんか、写真を撮るひとがいる。そこから、吾妻橋に向かうと喧騒がもどる。隅田川のたもとで主人公の少年は、かつて近所だった、お婆ちゃんのお友達のお姉さんに会い、「正男くん!」と呼ばれる。えっ!この少年の名前は菊次郎ではなく正男くんなのだ。お姉さんの横には男がいて夫らしい。

 

  • 菊次郎はこの夫婦のおじちゃんのほうの名前であった。正男くんはおじちゃんとの旅からこの場所にもどって、「おじちゃん!おじちゃんの名前なんての。」と聞くとおじちゃんは「菊次郎だよ。馬鹿野郎!」といいます。普通、こういう映画のタイトルは子どもの名前でしょう。普通ではないおじちゃんなので、最後までゆずらない。いいだろう。ちゃんと最初にいい場面で出してやっているんだから名乗りは俺にきまってるだろう。ばーか。と言われた気分である。まあそれくらい普通ではないことを考えつくおじちゃんですから、正男くんにとっては大変な旅でした。でも正男くんによって、菊次郎も一つの夏を越えることができたのでもありますが。

 

  • 負けず嫌いのおじちゃんでもあります。泳ぎ、シャグリング、タップと出来ないことは嫌だとばかりに練習します。頭を下げることなど絶対にいやなのである。正男くんには、一度「ごめんな。」といいます。お金がないので何でも人からくすね取ることになります。夜店の射的では、射的では落ちない大きな飾り物のぬいぐるみを落として買い取らせたりと笑えます。ホテルでのおじちゃん流の遊び方。正男くんのちょっとほあんとして眠そうな眼差しなのが何とも印象的で、このくらいでないとおじちゃんにいちいち反応していたらおじちゃんとの旅は続けられません。正男くん、涙を流したあとは、おじちゃん流の遊び方で笑顔になり、羽根のついたリュックを揺らし、天使の鈴の音を鳴らしながら、走るのです。菊次郎に、母に逢おうと思わせたのも、母をたずねる正男くんとの旅だったからです。正男くんもいつか、ふたたび、お母さんと会おうと思う日がくるでしょう。その時、菊次郎おじちゃんとの旅の話をするであろうか・・・。

 

  • (1999年・脚本・監督・北野武/音楽・久石譲/ビート・たけし(菊次郎)、岸本加世子(菊次郎の女房)、関口雄介(正男)、吉行和子(正男のおばあちゃん)、大家由祐子、細川ふみえ、 麿赤兒、 グレート義太夫、井手らっきょ、今村ねずみ、ビート・きよし、THA CONVOY) 北野武監督の絵がファンタジーで色が綺麗で映像の色も明るい。久石譲さんの音楽も正男くんの動きや心情にぴったりと寄り添う。天使の鈴のデザインが篠原勝之さん。タイトルデザインが赤松陽構造さんでこういう専門があるのを知る。映画『哀しい気分でジョーク』(1985年・瀬川昌治監督)は、たけしさんが、落ち目のタレント役で、息子が母に会いたいというのでオーストラリアまで別れた奥さんに会いに行く。息子に脳腫瘍がみつかり、それでなくても上手く気持ちを伝えることのできない父親ができるだけ息子と過ごす時間をつくり、旅にでるのである。ラスト、人気タレントとして歌う場面が観れるという美味しい場面のある映画でもある。

 

  • 昨年の2017年の九月に初めてOSKレビューを観劇した。OSKはSKDの姉妹劇団として大阪で誕生した歌劇団である。出会ったばかりなのにトップスターの高世麻央さんが、今年の7月新橋演舞場の『夏のおどり』(7月5日~9日)がラストステージだそうで、早いお別れである。暑い夏のひとときキラキラの楽しい時間をいただくことにする。観劇のあとは、浅草もいいかな。

 

浅草散策と映画(1)

  • 戯作者・四世鶴屋南北から、浅草を舞台とした映画に飛ぶ。南北さんにちなんで脚本家と脚本家修業中の出てくる映画とする。『笑いの大学』『ばしゃ馬さんとビッグマウス』。『笑いの大学』は知名度あり。『ばしゃ馬さんとビッグマウス』私的にはノーマークであり映画名すら初めて知るが、面白かった。探索経路を時々変えないと掘り出し物と巡り合えない。

 

  • 笑いの大学』は、テレビの舞台中継で西村雅彦さんと、近藤芳正さんのコンビで観ていて、三谷幸喜さんの作品の面白さを知る。映画では二人だけの閉ざされた中での会話の面白さをだすのは無理であろうと思っていたので観る気分にならなかったが、浅草の芝居小屋の脚本家ということでみた。映画『笑いの大学』は、 役所広司さんと稲垣吾郎さんで、笑ってその笑いが哀しさにつながる流れは見事に成立した。世の中が戦争に向かう時代、芝居台本は検閲官の検閲が必要であった。上演中止の赤印を押すために、じりじりと脚本家を追い詰めていく検閲官と脚本家のやりとりである。

 

  • 検閲官の向坂睦夫(役所広司)は、時局に合わない台本には書き直しが出来なければどんどん上演禁止にしていく。浅草にある劇団『笑いの大学』の座付作家の椿一(稲垣吾郎)の書いた『ジュリオとロミエット』もなぜ外国物なのだとツッコミが入る。椿は、『ロミオとジュリエット』のパロディで笑わせるためで作者は英国だが舞台は同盟国のイタリアだと説明するが、向坂はこの時代に笑う事自体がけしからんとくる。お宮と寛一に直せと言い渡す。これが一日目で二日目、三日目と書き直しを言い渡される。ところが、笑ったことがない向坂のどこが面白いのかの疑問で、どんどん書き直していくうちに面白いものになっていく。

 

  • 苦しみつつも椿は書き直し、動きを向坂に頼む。向坂は身体を動かすことに寄って次第に本つくりにのめりこんで行きついに七日目に完成する。相対立するからこそ妥協のない作品になったともいえる。椿は引きつつ向坂を引き入れていたのである。しかし、椿には赤紙がきていた。向坂は、椿が去る廊下に出て「生きて帰ってこい!」と叫ぶ。向坂は椿との警視庁の一室の中でつくりあげた本を通して、味合う事のなかった交流を体験してしまったのである。『笑いの大学』は劇団名であるが、椿が向坂から笑いについて大学で学ぶように教えて貰ったことをもかけているのである。向坂が訪れる劇団『笑いの大学』の劇場は浅草にある。全てセットである。映画の中の舞台ともいえる。廊下に座る老警官・高橋昌也さんのさりげなさもいい。〔2004年/監督・星護/原作・脚本・三谷幸喜〕

 

  • じゃじゃ馬さんとビッグマウス』は、シナリオライターを目指す女性と、その年上の女性に恋をした男性が出来上がることのなかったシナリオを書きあげるまでとその後である。真面目な馬淵みち代(麻生久美子)は、一生懸命時間を惜しんでシナリオを書いて応募するが落選ばかりである。また、シナリオ教室に通い始める。そこで、自信だけはビックな天童義美(安田章大)と出会う。天童は馬淵に一目惚れである。このふたりのやりとりがテンポよく天童の大阪弁が上手く自信過剰に愛嬌を加える。バカバカしい、時には笑わせる映画かなと思ったらこれが軽いが息と間と人物の性格がよくできている。

 

  • 馬淵みち代はばしゃ馬さんで落ち込むときも真面目で軽口をたたいていながら気分が変わったのが分かる。するとビッグマウスはそれを察知して気分を回復させようとする繊細さも持ち合わせていて、このあたりがビッグマウスのわけのわからない魅力でもある。いうことはいうが実行がなく、有名になった時のためにとサインの練習をしてそんな暇あったらシナリオ書けと友人にいわれる天童。こういうありふれたネタを可笑しくさせてるのがこの映画のあなどれないところである。ばしゃ馬さんはシナリオのために介護体験に行き真面目に対応するが、自分の甘さが露呈し、また落ち込む。

 

  • 浅草の商店街がいい。飲み会の待ち合わせが大衆演劇の劇場・木馬館の横である。その横に、浪花節の常席・木馬亭なのであるが映らなかった。残念。木馬館と木馬亭は今回の浅草散策で入館したので、映画で出てきて嬉しくなった。それでなおさらこの映画が気に入った。エンドロールには、奥山おまいりまち商店街、六区ブロードウェイ商店街、浅草西参道商店街の名前があり、飲食店も浅草ではないが、下町的雰囲気で明るい店の閉まった浅草の商店街に包まれているようで楽しい映像となっている。ばしゃ馬さんは、浅草の芸能の街から去ることになるが。ばしゃ馬さんとビッグマウスのラストが浅草でないのが気になる。しかし、呼び出したのがビッグマウスであるから、あれはビッグマウスのばしゃ馬さんへのシナリオの場所設定なのかなとも考えられる。見せないが繊細で優しいのである。〔2013年/監督・吉田恵輔/脚本・吉田恵輔、仁志原了〕

 

浅草映画『乙女ごころ三人姉妹』

乙女ごころ三人姉妹』は成瀬己喜男監督の浅草の門付け芸人を母にもつ三姉妹のそれぞれの生き方を描いた作品です。原作は川端康成さんの『浅草の姉妹』で、脚本は成瀬己喜男監督です。川端康成さんは一高生時代に浅草で暮らしており、その後も浅草に住み浅草を散策していまして、『浅草の姉妹』も浅草物作品の一つです。

川端康成さんは映画にも興味を持ち、衣笠貞之助監督の『狂つた一頁』では、脚本に参加していまして、この作品は大正モダニズムのアヴァンギャルドな映画です。見た時、これが衣笠監督の映画かと驚きました。

成瀬監督の映画のほうに舵をとりますが、<映画監督・成瀬巳喜男 初期傑作選 >特集の中から『乙女ごころ三人姉妹』(1935年)『サーカス五人組』(1935年)『旅役者』(1940年)と見たのです。『乙女ごころ三人姉妹』の長女が細川ちか子さん、次女が堤真佐子さん、三女が梅園龍子さんで、堤さんと梅園さんは、『サーカス五人組』での団長の姉妹となって登場していました。

乙女ごごろ三人姉妹』 母親が三味線を抱えて民謡や俗曲などを歌って流す門付けの置屋のような商売をしていて、そんな母親に育てられた実子の三人姉妹のそれぞれの生き方をえがいています。実子のほかにも何人か女性の流しの芸人を抱えています。

この仕事はいつ頃まであったのでしょうか。三味線を抱え、浅草の繁華街の飲食店ののれんをくぐり聴いてくれるお客を探して歩きます。三人姉妹のうちこの仕事をしているのは、次女のお染だけで、なかなか厳しい仕事で、くじける妹弟子におこずかいをそっと渡したりします。酔ったお客にからまれたり、お店の女給さんなどから、あなた達に用はないわよとばかりにレコードをかけられたりします。民謡などのレコードも出てきている時代で先の無い仕事にみえます。

妹弟子たちは、母から厳しく稽古をつけられたり、勝手にお金を使ったと叱責をうけたりします。そんな生活をいやがり、長女のれんはバンドのピアノ弾き(滝沢修)と駆け落ちし、三女の千栄子はレビューの踊子になっています。

お染は性格が優しく、姉のことを心配し、妹に恋人(大川平八郎)がいることを喜びます。そんなとき姉と浅草の松屋の屋上で会います。姉はよくこの屋上が好きでそこから下を眺めていました。話しに聞く1931年(昭和6年)にできた浅草松屋の屋上のロープウェイ「航空艇」もしっかり見ることができ、これが見れる貴重な映画です。屋上とその下の生活の違いをうかがわせるように下の風景が映しだされます。れんは下の生活のみじめさをじっと眺めているようです。

れんは浅草の不良仲間では名前を知られていましたが、駆け落ちして夫もバンド仲間からはじかれてピアノの仕事が出来ず胸をわずらい、夫の故郷に行くことをお染に告げます。お染は見送りに行くことを約束しますが、妹の恋人が不良仲間に因縁をつけられているのを見てその場に飛び込み刺されてしまいます。それを隠して姉を見送りに駅に行きます。

姉は汽車賃を得るために、知らずに妹の恋人を不良仲間のところに案内する役目をしていました。お染は何も言わず、妹に恋人が出来たことを嬉しそうに姉に告げ姉夫婦を見送るのでした。

次女の堤真佐子さんと、三女の梅園龍子さんは、創立間もないPCLの売り出し中の新人で、堤真佐子さんは初主演です。見始めたときは、あまりのオーソドックな演技に、ものすごく古い映画を見ているような感じでした。細川ちか子さんのれんに、かつては粋がっていたが今は生活に押しつぶされそうな雰囲気が出ていて、三人姉妹の境遇にもそれなりの厚みが増します。

細川ちか子さんは、演技に対しては一言申しますといった気概があり、お化粧も個性的な新しさがあります。梅園龍子さんは榎本健一さん代表の「カジノ・フォーリー」の踊子さんでもあり映画でも彼女のレビュー舞台姿が映されます。川端康成さんはカジノ・フォーリーに出入りしていて、それが作品『浅草紅団』となります。大川平八郎さんは二枚目で、『音楽喜劇 ほろ酔い人生』『乙女ごころ三姉妹』『サーカス五人組』『旅役者』にも出演されていますが、スターという二枚目ではなくおとなしめです。

藤原釜足さんも出られてました。弟子が民謡を稽古するのをそばの住人が聴いてそれに合わせて仕事をする桶屋です。子供達が、流しの彼女たちを「お客さん、ご馳走して。」とはやし立て、はじかれていく一方で、その歌に調子を合わせるという生活もあったわけで、このあたりの表現の交差は成瀬監督ならではの細やかさです。

お店でレコードがかかる場面で、レコード時代が到来しているときなのであろうかと思ったのですが、タイミングよくテレビで『人々を魅了した芸者歌手』という番組がありまして時代背景がわかりました。

民謡や小唄などをすでにプロとしてお座敷で披露していた現役の芸者さんが、歌手としてレコード録音するのです。藤本二三吉さんの『祇園小唄』が1930年(昭和5年)で、その後、<鶯芸者三羽がらす>の市丸さん、小唄勝太郎さん、赤坂小梅さんが、故郷の民謡と同時に新民謡を広めるんです。

門付けの三味線を抱えての流し芸は、持ちこたえられる時代ではなくなっており、三人の姉妹はそうした変化の中で無理解な母のもとでもがいて各自の道を探すのです。そして、人々は浅草からもっとモダンな銀座へと移って行った時期でもあるのでしょう。

この映画は映画の中だけでなく、出演している俳優さんの経歴の違い、さらに演劇と映画、浅草と文学、浅草の時代性、さらに日本のその後など、様々な切り込みのできる映画でもあるといえます。この時代の浅草を映像で残してくれた貴重な映画でもあります。

話しは飛びますが、市丸さんが浅草橋で住まわれた家が改装され、今は「ルーサイトギャラリー」となっております。このギャラリーの信濃追分店は、「油や~信濃追分文化磁場~」となっていまして、堀辰雄さん、室生犀星さん、立原道造さんなどの文学者にゆかりのあるかつての油屋旅館で、一階はギャラリーで二階は宿泊できるようなったようです。

「油屋」は中山道追分宿の旧脇本陣で、一度火事にあっています。私が訪れた時は、建物はありましたが公開はしていませんでした。思いがけないところで新しい「油屋」さんを知りました。追分宿にひとつ景観がよみがえったわけです。しなの鉄道の信濃追分駅から徒歩20分位で近くには、堀辰雄さんの旧居が堀辰雄文学記念館になっています。