メモ帳 2

  • 北野恒富展 -「画壇の悪魔派」と呼ばれた日本画家』(千葉市美術館) ナニワで明治、大正、昭和と活躍された画家。期待の「画壇の悪魔派」がよくわからない。結果的には美人画家の印象。作品多数でナニワの美人画家がチバで頑張り、寒風の最終日鑑賞者も頑張る。日本酒の美人ポスターから熱燗連想。「鷺娘」の絵からナニワの『鷺娘』が気になる。
  • 映画『総会屋錦城 勝負師とその娘』 表舞台から消えていた大物総会屋・錦城の志村喬さんがやはりこの人ありの抜群さ。老いていながら娘のために相手の総会屋を倒し、総会屋はダニであると自ら豪語。妻の轟夕起子さんも適任。近頃、轟さんに注目。京マチ子さんにも。
  • 男はつらいよ純情詩集』の京マチ子さんと寅さんの出会いは最高。満男の先生・壇ふみさんを好きになり、さくらにお兄ちゃんは先生のお母さんと同じ年代よと注意されて、寅さん納得。そこへ先生のお母さんの京マチ子さんが登場。こんな落ちありと爆笑。世間離れしたふたり。山田監督の俳優さんの芸歴に合わせた人物像の設定の上手さ。
  • 溝口健二監督の遺作『赤線地帯』は、売春防止法が議論されている時代の娼婦たちの様子をえがいている。京マチ子さん、若尾文子さん、三益愛子さん、木暮実千代さんなどがそれぞれの事情からその生き様を演じる。この女優さんたちが渡辺邦男監督の『忠臣蔵』にこぞって出演。その振幅がお見事。『赤線地帯』の前に、同時代の厚生大臣一家を描いた川島雄三監督の『愛のお荷物』があり、厚生大臣夫人が轟夕起子さんで好演。過ぎし日の映画鑑賞はやめられない。
  • 国立科学博物館で『南方熊楠』展始まる。(2018年3月4日まで)
  • NHKEテレビ 12月19日22時~「知恵泉」究極日本人・南方熊楠
  • 映画『女の勲章』原作・山崎豊子さんで吉村公三郎監督。船場のとうはんの京マチ子さんが、洋裁教室から商才に長けた八代銀四郎の力を借り洋裁学校にし、チェーン学校へとファッション界を登りつめる。銀四郎の田宮二郎さんがギンギンの大阪弁のテンポの速さで女も経営も手にしていくが、とうはんは自殺。若尾文子さん、叶順子さん、中村玉緒さんと個性がくっきり。ファッションも楽しめる。原作のほうが、経営手腕の機微は面白いであろう。驚き。テレビドラマで銀四郎を仁左衛門さんが、孝夫時代に。現代物の色悪。
  • 世界最大級のファッションイベント「メットガラ」密着ドキュメンタリー『メットガラ ドレスをまとった美術館』。ファッション満載であるが、NYメトロポリタン美術館のスミに追いやられている服飾部門の地位獲得の目的がある。ファッションはアートになれるか。テーマは「鏡に中の中国」。今まで中国のイメージで創作されたファッションの展示。和服の場合。日本では工芸としての位置づけがすでにある。織り、染め、刺繍などから、帯留め、煙草入れまで工芸品のアートとして展示。洋服のファッションは動いてこその意見もある。そんなこんなで裏も表も刺激的。
  • 映画『楊貴妃』溝口健二監督である。実家での下働きのような生活。宮廷での優雅な生活。どちらも自分なりの生き方で行き来する京マチ子さん。枠組みは狭く、権力争いの中でそれとは関係なく自分の生き方を探すがやはり負けてしまう楊貴妃。溝口監督の世界。玉三郎さんの『楊貴妃』はその後のことで難解。言葉と踊りが自分の中で曖昧。玉三郎さんの世界に入りきれなかった。
  • 映画『大阪物語』原作は井原西鶴作品をもとに溝口健二監督が。脚本・依田義賢。溝口監督が急死され、吉村公三郎監督が引き受ける。夜逃げの百姓一家が大阪で大店に。主人の二代目鴈治郎さんのお金に対する執着心が引っ張る。最後はお金の妄執にとりつかれる鴈治郎さん。この方が出演されと映画に一味深みが加わる。

映画『ゴッホ 最後の手紙』

『ボストン美術館の至宝展』東京都美術館(2017年7月20日~10月9日)に、ゴッホにとって大切な友人である郵便配達人のジョゼフ・ルーランとその夫人の肖像画がきていました。

映画『ゴッホ 最後の手紙』は、ゴッホの死後、郵便配達人である父・ジョゼフから息子・アルマンに一通の手紙が託されます。ゴッホからテオ宛の最後の手紙です。アルマンは直接テオに手紙を渡すため出発しますが、テオが亡くなっていることを知り、さらにゴッホの死の原因にも疑問を抱き始めます。アルマンはゴッホが最後に過ごしたパリ近郊のオーヴェールで親しかった人々にゴッホについて色々聞いてまわります。

ゴッホはなぜどのようにして亡くなったのであろうか。本当に自殺だったのであろうかとサスペンス的流れとなり、引きつけていきます。

なんとこの映画は、ゴッホが描いた肖像画の人々がゴッホの絵のタッチで油絵の動く人物として登場します。さらに、ゴッホの描いた風景がこれまたゴッホの絵のタッチで街や畑や家として映し出され、そこを、登場人物が動くのです。ゴッホ絵画の動画となって映画は作られているのです。

静止すればそれはゴッホの絵の複製で、それが動くわけですから、そうかゴッホはこういう風にとらえて歩いたり座ったりしていたのかとゴッホの画家としての眼で見ていたものが動いて見えるという感覚も味わいます。しかし、そこをサスペンス的にひっぱりますからゴッホの絵の中で二重の面白さを体験させてもらうことになります。

ゴッホの絵をよく知っている人も、知らない人もゴッホの絵のタッチを感じつつ映画を愉しめます。興味深い試みです。

アルマンの帽子と黄色いジャケットが若者特有のどこか世の中に対する憂鬱がマッチしていて、映画の人物設定にもゴッホの絵を上手く使っています。

この映画実写映像で撮影し、そこに125名の絵描きがゴッホのタッチを訓練し、ひとコマひとコマを62、450枚の油絵でつないでいます。5000人の応募者から125名えらばれたのですが、その中に一人、日本女性画家・古賀陽子さんが選ばれ参加しています。『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』(東京都美術館、2018年、1月8日まで)でも紹介されていました。

この展覧会では、ゴッホの認められなかった苦悩の画家人生とは少し違う視点でゴッホの作品を鑑賞できるようになっていて、それが浮世絵にあることが文化は空気のように人知れず飛んでいくことに明るさを感じさせてくれます。

さらに『北斎とジャポニスム』(国立西洋美術館、2018年、1月28日まで)を観ると、日本の庶民文化って凄いじゃないか。閉ざされたなかでも庶民のエネルギーは、あらよっと軽い足さばきで闊歩しているではないか。面白い企画が並んでくれました。

それにしても観たい映画を観るのも方向音痴のためか六本木ヒルズ大変です。事前に調べていてもビルの中で、私今どこにいるの状態です。毛利庭園がビルの中では盆栽型庭園で、現代ですから仕方のないことでしょう。日本人が日本人のおもてなしに助けられ、めげずにウロウロします。森美術館の展望台入口を聴いてそこに行き着くと映画ポスターがありますからその外階段を上がれば映画館です。映画館の入口は外になります。(中からも上がれるのかは今のところ不明。)すいませんがウサギ君、上野に映画館できたのは嬉しいけれどおしゃべりより地図を映してよ。

予告映画で『フラットライナーズ』が出て来てリメイク版?1990年版は、若きキーファー・サザーランド、ジュリア・ロバーツ、ケヴィン・ベーコン、ウィリアム・ボールドウィン、オリヴァー・プラットらが出ていたんですよ。リメイク版はパス。もう一つのリメイク版『オリエント急行殺人事件』は、ケネス・ブラナー監督・主演ですので観たいですね。古いほうも観直したいです。

 

映画『ザ・サークル』『ポリーナ、私を踊る』

古い映画ばかりを観ていたので、映画館での新しい映画で、トム・ハンクスとエマ・ワトソン共演の『ザ・サークル』期待したのですが肩透かしというか、後味の悪さを残す映画となりました。

評判になった『美女と野獣』を観てディズニーらしいファンタジーだなと思い、『ザ・サークル』は美しいエマ・トンプソンの違う面が観れるかなと期待したのですが新たな魅力も感じられませんでした。チラシには<サスペンス・エンタテインメント>とありましたが、サスペンスにも疑問でした。

自分はこのまま田舎に埋もれてしまうのはいやだでと思っていた若い娘メイ(エマ・トンプソン)が、SMS企業の大会社「サークル」に採用されます。とにかく多くの人に登録してもらい社員もいいね!とフォロワーの数を増やすのが任務でそれが仕事ができるかどうかの評価になるのです。

「サークル」のカリスマ経営者ベイリー(トム・ハンクス)は、新しい目玉のような小さな映像カメラを開発し、誰にも見つかることなく設置できて全ての犯罪などから人々は守られると紹介し、社員から喝采を浴びます。

メイは田舎に帰ってカヤックで海に出て遭難し、人々のSMSの連携で助けられ、そのことから新開発のカメラで自分の24時間を公開することを承諾。益々人気者となりアイデアも出し会社の重要な位置まで登ります。さらに隠れている犯罪者を短時間で見つけ出そうという試みをして成功し、次に社員がもとめたのはマーサーを探し出すことでした。

マーサーはメイの元恋人で、良かれと思ってメイはマーサーが制作している鹿の角のシャンデリアを紹介したところ、鹿殺しときめつけられマーサーは身を隠してしまいます。その人を探し出そうという人々の興奮の要請にノアはオッケーをだします。近未来への警鐘なのでしょうが、観ていて狂っているなと思います。当然悲劇が起ります。

ノアは最後にベイリーと共同経営者こそ24時間を公開すべきだと社員に働きかけ復讐ということなのでしょうが、その前に、なぜマーサーをそっとして置かなかったのかと、凄くいやな気分になりました。そこが映画の狙いなのかもしれませんが、安易な展開でサスペンスでもなくあまりにも単純に盲信するSMS企業社員が軽すぎです。

原作があるのでそうもいきませんが、喜劇にでもしてトム・ハンクスの演技力にエマを絡ませて彼女の新しい面を引き出す方法もありだなと思いました。こういう問題は喜劇のほうが身につまされるかもしれません。

エマ・ワトソンのベルということで、ジャン・コクトー監督のほうの『美女と野獣』(1946年)も観ました。野獣の住む屋敷の中の壁の蝋燭を持つのが人の腕だったり、彫刻の顔が人で眼が動いたりとの工夫があり異様さが結構面白かったです。演技が舞台人のようなところもあり、衣裳も時代がかっていて半分舞台演劇としてもみれました。

野獣はベルを戻すため、ベルに宝物の鍵、行きたいところへ行ける手袋、見たいものが見える鏡、館にもどれる白馬などを与え、童話的現実では無い世界として位置づけています。ただ、野獣と王子と求婚者のアヴナンがジャン・マレーが三役で、ベルはアヴナンの求婚を断ったのは父のそばにいるためできらいだったわけではなく、王子になった野獣にアヴナンの顔が好きだったと言います。人間どうしになると新たなる恋の駆け引きでジャン・コクトーならではの大人のひねりを加えたのでしょうか。

この際とジャン・コクトーの『双頭の鷲』『オルフェ』も観ましたので、ジャン・コクトー監督の映画はこのあたりまででいいかなというところです。

ポリーナ、私を踊る』は踊りがよかったです。ドキュメンタリーではなく、映画ですが踊る場面がドキュメンタリー映画のごとく多くて、それがきちんとしているので好みの映画でした。監督が全然知らないお二人でヴァレリー・ミュラーとアンジュラン・プレルジョカージュで、アンジュラン・プレルジョカージュがバレーダンサーでありコンテンポラリーダンスカンパニーの振付家として有名なかたのようです。

原作はフランスの漫画だそうで、主人公の少女・ポリーナはでボリショイ・バレエ団に入るため厳しい練習にはげんでいます。家は貧しいのですが、両親は彼女に夢を託しています。ところが彼女は自分の踊りが踊りたいとボリショイ・バレエ団への入団を前にロシアから南フランスへパートナーと旅立ちます。

クラシックバレエのキャリアもコンテンポラリーダンスには通用しません。バーで働きつつポリーナは自分の踊りを探します。路上で雨に濡れた猫のような眼をしていた彼女が、次第に自分の踊りを見つけて自信に満ちて来て好い表情で踊るまでの経過が納得いく映像で撮られていました。アニメ原作とは思えない作品です。

主人公ポリーナ役のアナスタシア・シェフツォワは実際に実力派ダンサーで映画デビューとなりました。ダンスと演技がバランスよく愉しませてもらいました。踊りがしっかりしていますのでシンデレラストーリーにならずに成長物語となったのがよかったです。久しぶりでジュリエット・ビノシュにも会えました。。

 

歌舞伎座11月吉例顔見世大歌舞伎(2)

十三世仁左衛門さんの映画で、『伊賀越道中双六』の<沼津>が映し出されます。十三世が平作で当代が孝夫時代の十兵衛です。平作の出からで十兵衛は声が主です。当代仁左衛門さんは声もセリフもいいですが、上方言葉が身につかれていますからそのアクセントと抑揚に味があります。平作も柔らかいリズム感で荷物を担ぐには怪しい体力ですが、なんだかんだと言うところに愛嬌があります。

『恋飛脚大和往来』の<封印切>のでの我當さんの八右衛門は実際にも憎らしくて面白かったですが、当代仁左衛門さんの忠兵衛とのやりとりのたたみかける間は関西歌舞伎ならではの間です。関西歌舞伎を残すということは大変で、三味線の音締めからして違うそうで、雰囲気を残すということになるでしょうと。

十三世は研究熱心で型もよいところを組み合わせて自分のものにされていますので当代仁左衛門さんもその方向性なのだと思います。

仮名手本忠臣蔵(五・六段目)』の当代の仁左衛門さんは、映画の中で舞台での父は自分よりも若いんですよねといわれていましたが、その言葉をお返しできる勘平です。勘平自身とささやかな猟師の一家族が仇討ちのために翻弄される悲劇です。そこが猪を撃つところから始まるのがよくできています。婿を喜ばそうとの家族の気持ちが運命を狂わせます。秀太郎さんの一文字屋の女将の上方言葉もながれに軽さを加えますが、女将の出した財布が勘平への一つの刃です。勘平は絶望的におかる(孝太郎)を抱きとめます。二つ目の刃は千崎弥五郎(彦三郎)、不破数右衛門(彌十郎)の仲間とは認められないという言葉です。仁左衛門さん浅葱色の紋服が悲壮な色に変わっていきます。勘平は刃を自分にむけるしかありませんでした。これらを目にした義母(吉弥)の悲劇。染五郎さんの定九郎は色悪風。

十三世仁左衛門さんは、義太夫狂言など、口三味線で全てのセリフを言いつつお稽古をつけ、その調子がこちらに伝わりお稽古のときに涙してしまいます。口三味線や口お囃子はその方の身体の一部なので情愛が濃く伝わるものだなあと思いました。皆さんこの音が入っていますので、お稽古というよりもお互いの音を確かめて一致させ、立ち位置をきめ、その上で主役の動きを察知し絡んでいくわけです。セリフ、所作はすでに入っていて、さらに音が身体に入っていなければいくら言われても良い動きができないことになります。ここが歌舞伎の練習日数の少ない凄いところです。

恋飛脚大和往来(新口村)』は忠兵衛と孫右衛門と二役されたりもしますが、藤十郎さんは忠兵衛だけです。藤十郎さんはこの役の全てが身体に染み込まれておられますから脚が弱られてはいますが、その忠兵衛の気持ちはよくわかります。扇雀さんの梅川も藤十郎さんに気を使うところを、梅川が忠兵衛の立場と孫右衛門の立場を想う気遣いに代えて演じられます。孫右衛門の歌六さんは、何も言葉に出して言えない忠兵衛の気持ちを親の側から独特の声で切々と語られ、逃げ道を教えます。背景が雪で埋まる裏道となり一瞬美しさを現わし即哀切漂う風景の中を忠兵衛と梅川は逃げ、孫右衛門が抱える新口村の標識が涙を誘います。

十三世仁左衛門さんは、不自由なのが目で良かったと言われています。耳なら音も相手のセリフもわからないからやりようがないと。夜中に目を醒ましてもああやろうこうやろうと芝居のことを考えると楽しいとのことで、目の不自由なことで周りに癇癪を起すことはなかったそうです。

元禄忠臣蔵(大石最後の一日)』は、幸四郎さん、染五郎さん、金太郎さんがこのお名前で三人で歌舞伎座に出演される最後の舞台となります。

大石内蔵助の幸四郎さんは、セリフのトーンを一定に近い状態で「初一念」を貫く最後の腹を示されました。自分だけではなく同志たちにも「初一念」を崩さぬよう心をくばられます。ところがおみの(児太郎)という女性が夫婦約束した磯貝十郎左衛門(染五郎)の本心が聞きたいと現れます。会わせるのを迷う内蔵助でしたが、二人を会わせ磯貝のウソの無い真をさらけださせます。満足したおみのは全て無かったことにするため自刃します。児太郎さんと染五郎さんが役にはまっていました。金太郎さんの細川家の若君も雰囲気を出し、上使役の仁左衛門さんの押し出しが、赤穂浪士の格をあげます。幸四郎さんの大石は最後に名を呼ばれ、「初一念」が揺らぐことなく自分の役割を果たせた安堵感とともに静かに切腹の場へと花道を進んで行きます。

 

歌舞伎座11月吉例顔見世大歌舞伎(1)

京橋のフィルムセンターでドキュメンタリー作家羽田澄子さんの2回目の特集がありまして、十三世片岡仁左衛門さんの『歌舞伎役者 片岡仁左衛門』6部作を再び観ることができました。この映画を最初に観たときから20年は経っているわけです。記録とし、自分を啓発するつもりで歌舞伎を観て勝手なことを書いていますが、こちらは20年でこの程度かと振り返ると全部消してしまおうかと思ってしまいます。

しかし反対に、いやいや待て待て、十三世仁左衛門さんの歌舞伎が大好きで冷静で穏やかでいながら熱い芸談をお聞きしますと観客の恥を晒しても受け留めて下さるような気もしてきました。

今回の顔見世は、現歌舞伎界の頂点を極めておられる方々の演目がずらりとならんでいます。『奥州安達原(環宮明御殿の場)』(吉右衛門) 『雪暮夜入谷畦道(直侍)』(菊五郎) 『仮名手本忠臣蔵(五・六段目)』(仁左衛門) 『恋飛脚大和往来(新口村)』(藤十郎) 『元禄忠臣蔵(大石最後の一日)』(幸四郎)

かつて歌舞伎のラジオ中継があったそうですが、今回の顔見世はラジオ中継でもいいと思えるほどの聞かせぶりでした。十三世仁左衛門さんは、晩年緑内障を患われて見ることが不自由になられましたが、その分さらに聞いて発するセリフの調子が冴えわたります。『御浜御殿綱豊卿』の綱豊卿が梅玉さんで、新井勘解由が十三世仁左衛門さんで、仁左衛門さんを映していますから、梅玉さんはセリフの声が中心です。そのセリフを聴く仁左衛門さんの表情がいいのです。教え子に対する満足の気持ちがよく表れていて、綱豊卿が大石の初老を過ぎてからの女狂いも仕事とはいえ面白くなかろうという言葉に笑う顔がこれまた何ともいえない良さです。当然梅玉さんのセリフには満足され、好い役者さんになりますよと言われています。

今回は、十三世仁左衛門さんのお話や映像などの感想と重なるところは重ねて勝手な解釈と想像であらすじは抜かしてダイジェスト版にします。

湧昇水鯉滝(わきのぼるみずにこいたき) 鯉つかみ 』は、染五郎さんのお名前での最後の公演ということもあって、大奮闘ですが、少し不満なのは、この鯉のいわれが知りたかったです。愛之助さんもされていてその時もすっきりしなかったのですが、今回は時間の関係もあるのでしょうが、その辺を避けられ鯉の精と志賀之助の染五郎さんの二役に重きを置かれたわけです。

志賀之助と小桜姫(児太郎)との出会いを踊りにしてしっとりとはじまりますが、障子に映る影が志賀之助のはずが鯉ということで、そういうことかと理解しますが、もう少し鯉との関係を上手く出してほしかったです。

二役は本水の場でもスムーズに見せてくれましたが、忘れ物をしたような残念さがありました。幸四郎襲名となられても、染五郎時代の挑戦は継続されるでしょうから、さらなる再演を期待します。

奥州安達原(環宮明御殿の場)』は、<袖萩祭文>ともいわれます。駆け落ちして盲目となり物乞いの身の袖萩でありながら、父の窮地を知り環宮(たまみや)の門前で歌祭文をかたる哀れさが、雀右衛門さんの新たな境地をしめします。父(歌六)と母(東蔵)の胸中の複雑さ。義家(錦之助)、貞任の弟(又五郎)としっかり脇が固められ、貞任と身をあかす時代物の吉右衛門さんのいつもながらの大きさはお見事です。袖萩の夫が貞任で娘が父を慕う所に時代の中での細やかな情愛がにじみでていました。

映画の中で、十三世仁左衛門さんが、『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』の蘇我入鹿(そがのいるか)をされ、大判事が吉右衛門さんで定高が七代目芝翫さんで、<花渡し>の場でこれは初めて観ました。<山の段>の前にこういう場面があるのを知りました。20年前はそんなこともわかっていませんから少しは進歩したのでしょう。

『鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)』の<奥庭>も十三世仁左衛門さんは自分しか知っている者はいないからと丸本から起こされて上演されました。90歳に近いころとおもいます。背景が紅葉で美しい場面で、天狗の面を取ると鬼一で、この場は実際に舞台で観てみたい場面です。

『菅原伝授手習鑑』の<寺子屋>の松王丸の首実検の場を父の型と初代吉右衛門さんの教えを受けた型と、六代目菊五郎さんの型と三つの型を「仁左衛門さんの芸をきく会」で実演をまじえて語られています。違いがよくわかります。『紅葉狩』の山神では六代目菊五郎さんに裸で教えられ、さらに背中に細い棒をあてがって縛って、身体の中心がふらふらしないように指導されたそうです。

穏やかな仁左衛門さんが、「怒られて教えられたことは覚えていますね。」と言われていて教え教えられることの難しさです。

雪暮夜入谷畦道(直侍)』は、始まりからゆったりと力を入れずに観劇できました。直次郎と三千歳の別れに目頭が熱くなったのははじめてです。わかりきっていますが、直次郎の菊五郎さんと三千歳の時蔵さんの情の通い合いが型を超えて自然の流れとして伝わってくるのです。小悪党同士の丑松(團蔵)との出会い、蕎麦屋夫婦(家橘、齊入)、按摩丈賀(東蔵)に対する警戒心と三千歳の情報、そこから三千歳がいる寮であたたかく迎えられての逢瀬。意識することもなく江戸に連れて行ってくれる舞台です。清元も間合いよく情感を刺激してくれました。

 

映画『岳 ーガクー』・テレビドラマ『學』

山岳映画の一つに『岳 ーガクー』(2011年)があるのを知りました。原作は石塚真一さんの漫画『岳 みんなの山』ということで、原作を読んでいないのですが、映画に出てくる主人公・島崎三歩がいつもニコニコしていて、救助した遭難者に「また山にきてよね」と声をかける様子から<みんなの山>となるのかなとおもいましたが、映画のほうは、一人の女性遭難救助隊員の成長とそれを助ける三歩とのからみ、そして遭難救助隊の仕事の在り方などを映像化しています。

観ていておもったのは、映画『劔岳 点の記』は明治時代でしたから、山に登るための装着の違いです。そのため山に登る技術も相当進歩しているのですが、その分山に対する生身の感覚が甘くなっているのではないかということです。ヘリも飛ぶし遭難救助隊の技術と使命感はしっかりしていても、自然の驚異に対しては、二次災害を起こさないの鉄則があります。<みんなの山>はどこまでなのかは山を登る人の意識が大切だとおもいます。

ニコニコの三歩(小栗旬)にも、無二の親友を山で失った体験があります。山岳遭難救助隊に勤務する父を山で亡くした椎名久美(長澤まさみ)は、自分も長野県警山岳遭難救助隊に入隊します。そこで、山岳救助ボランティアの三歩に出会うのです。

三歩はフリーの時間に久美に山のことを教えます。その時、山に捨ててはいけないものの一つを久美に宿題にし、久美が経験していくなかでそれは<命>と教えます。この言葉に久美は遭難救助隊の役割を意識し頑張るのですが、自分が遭難し救助ヘリの牧(渡部篤郎)に「アマ!」と言われたり、隊長の野田(佐々木蔵之介)の命令を聴かず、結果的に三歩に助けられたりします。

野田隊長は山が爆弾(雪崩)の起きる状態のため、遭難者を救助中の久美がいることを知りつち救助を中止します。三歩は散歩してきますと山に向かい、雪崩に遭い、久美は遭難者とともにクレパスに落下してしまいます。久美の父はクレパスで亡くなっているのです。雪崩から這い出した三歩は久美たちを探しあて、天候も変わり<命>は捨てずにすみました。

映画の内容としては、少し甘いとおもいますが、三歩が、かつて救った遭難者と山で再会し「感動した!」と抱きつくのが、「みんなの山」としての三歩の山に対する愛が表現されているのでしょう。次の展開が観ていてわかってしまうのも、物足りなさを感じさせられます。リュックからもの一つ出してもそれは命につながる道具成り装置なのでしょうから、そういう出し方なども工夫して映して欲しかったです。実写の場合、漫画よりもリアルさを出せる技術があるわけですから。

夢の中ででも、三歩が山に囲まれ満喫しつつ「あっち!」と飲むコーヒーの空間は体験してみたいですね。実際には登れない高さですから。

監督・片山修/原作・石塚真一/脚本・吉田智子/撮影・藤石修/音楽・佐藤真紀/出演・小栗旬、長澤まさみ、佐々木蔵之介、渡邊篤郎、石毛良枝、宇梶剛士、ベンガル、石黒 賢、石田卓也 矢柴俊博、やべきょうすけ、浜田 学、鈴之助、尾上寛之、波岡一喜、森 廉、ベンガル

 

』。こちらは同じ<ガク>の音ですが、カナダのローキー山脈の中を14歳の少年がサバイバルで生き抜き、里にたどり着く話しです。飛行機が墜落したのではありません。祖父の命をかけての、少年の生きる力をよみがえらせる想いだったのです。

WOWOW開局20周年記念番組(2011年)で、倉本聰さんの脚本によるテレビドラマです。倉本聰さんが、1992年に執筆したのですが映像化されなかった作品です。おそらくロケのことなどが障害としてあったのでしょう。ただ作品は今でもリアルにうったえるテーマです。

飛行機の中でイヤホーンをして指を動かす少年が、隣の老人から「學、シートベルトを締めなさい。」のセリフから始まります。少年は風間學(高杉真宙)。老人は學の祖父・風間信一(仲代達矢)です。

信一は元南極越冬隊員で、カナダに住むその時代の友人・モスを訪ね、そこからヘリでロッキー山脈に降ろしてもらい、一週間後に迎へに来てくれることを約束します。二人だけになった學と信一。信一はここから歩いて帰るとどんどん進んでいきます。學は一切言葉を発しません。

學は父親が商社マンで両親はニューヨークに住んでおり、ひとり東京で生活していました。ある日、知り合いの家の女の子(4歳・ユカ)なのでしょう、椅子に乗っかり机に上にある學のパソコンをいじっているのです。「何をしてるんだ!」と女の子を突き飛ばす學。學にとってインターネットは一番大切なものなのです。女の子は飛ばされ打ちどころが悪く亡くなってしまいます。パソコンはデーターが全て消えたことを表示します。そのことしか頭にない學は、女の子を段ボールに詰めゴミ捨て場に運びます。それが発覚し、両親は世間の非難から逃れるように自殺してしまい、學は北海道に住む祖父母に引き取られます。祖父にも祖母・かや(八千草薫)に対しても一言も言葉を発しません。

ロッキー山脈で祖父は自分の命を絶ち、一人で生きて里までたどり着けと手紙を残します。祖父は學に北海道の大雪山で、一年間自然の中で生きる方法を教えていました。少年は何も聞いていなかったのでしょうが、祖父はどこかにその体験が残っていることを信じ、自分が癌のため長く生きられないことを承知しての実行でした。

右往左往する少年。初めて発する声。少しずつ祖父の言葉を手繰り寄せていきます。先ず自分のいる位置を確認しろ。火のおこし、蛇を捕まえて焼いたり、木の皮やツルで紐を作ったり、罠を作り鹿を捕まえ「お前が憎いのではない」と殺し、それを解体し保存したりします。出しては読む祖父が祖母に書いた手紙。「學を頼って生きろ。」

信一からの手紙を受け取ったモスは捜索を頼みます。祖父の亡くなった場所には十字架が立っていましたが、探しあてることが出来ず捜索中止となります。

大きなグリズリーとの遭遇。力尽きた學の前に現れる亡き祖父。「まだナイフがあるじゃないか。川に乗れ。」ユカも一緒に現れて「頑張ってお兄ちゃん。」ユカはその前にも現れていて自分のお墓に遊びに来てと伝えていました。

學は祖父に「ユカちゃんの家族に謝って罰を受けたい。」とも伝えます。學は筏を作り川を下っていきます。筏が壊れればまた作り、そしてモスの待つところまで到達するのでした。モスには手紙をもらったとき、信一のすることが理解できませんでした。ただ學がここへくることを信じるだけでした。モスにも、過去にベトナム戦争で友人を誤って殺してしまい、その妹・マギーと結婚し、許しをこうというよりマギーを愛するという力を得ていたのです。

信一は、そうした友人であるからこそ、學の生きる力を得たあとにモスのもとにたどり着くことを願ったのです。學は、祖父から祖母への手紙をモスに差し出します。ぬれて乾かしたり、火を起こす時燃やそうとして代わりにお札を燃やして守って来た手紙でした。

生きていくことに必要なものは何なのかをテーマにし、壮大な自然を前に生きていく少年の姿を通して問いかけています。人間以外の多くの生き物が人間が生きるために命をさしだしてくれています。その命を受けながら、人間が人間の命を奪うというのは何なのか。何かが欠落しているのではないか。どこかの感情が壊されているのではないか。その感情が壊されてしまう状況がどこにでも存在しているのが感じられる現代です。

悠久の宇宙のなかで小さな自分の立っている位置を確かめる必要性を感じさせられるドラマでした。世の中動いてますからたえず自分の位置を確かめないと流されて終わってしまいそうです。などとおもいつつ大根の葉刻んで炒めています。関係があるのか無いのかそれが問題だ。

監督・雨宮望/原作・脚本・倉本聰/出演・仲代達矢、八千草薫、高杉真宙、勝村政信、松崎謙二、山本雅子

 

 

ドキュメンタリー映画『石井輝男 FANCLUB』・映画『黒い画集 ある遭難』

江戸川乱歩の映画となると、石井輝男監督のドキュメンタリー映画『石井輝男 FANCLUB』が思い浮かびます。石井輝男監督の映画は、高倉健さんとの関係からもかなりの数観ていますが、エログロ路線作品は観ていません。

ドキュメンタリー映画『石井輝男 FANCLUB』(『石井輝男 ファンクラブ』)は石井輝男監督の遺作となった『盲獣vs一寸法師』(原作・江戸川乱歩)を撮影している現場を撮っています。こういうドキュメンタリー映画の場合、監督のコメントがあったり、石井監督を敬愛するかたなどがコメントしたりするのでしょうが、そういう事が一切ありません。石井監督と若いスタッフたちが撮影に臨んでいる姿だけです。石井監督が役者さんにこうしようと提案したり、休憩したり、準備したり、外でのゲリラ的撮影があったりしますが、皆さん楽しそうです。

こんなんで映画撮れてしまうのかなあという感じで、映画を撮りたい若者はこのドキュメンタリー映画を観た方がいいです。撮ろうという気になると思います。石井輝男監督の長い経験からの撮影現場ですが、その姿は「先ず撮ったら」と言っているようです。

兎に角、石井輝男監督、好き好き人間が集まっていて、出演しているのも、リリー・フランキーさん、塚本晋也さん、リトル・フランキーさん、及川博光さん、本田隆一さん、熊切和嘉さん、園子温さん、丹波哲郎さんなどで、演じるよりその現場を愉しんでいる感じです。

丹波哲郎さんが来ると皆緊張しているのがわかります。スタッフが写真を撮らせてくださいと座っている丹波さんに頼みますと、隣に座っていた石井監督が、丹波さんの洋服を直します。丹波さん泰然自若としていてされるままです。監督のやることに間違いはないと任せています。丹波さんは、何か不思議な人です。

リトル・フランキーさんの名前を間違えて「リリーさん、リリーさん」と呼ぶと、スタッフが困ったようにカメラに向かって「リトルさんです。リトルさんです。」と訂正するのも可笑しいです。リリーさんのほうは、足先にマタタビを塗って猫を寄らせる場面で転んだらしく、アザができたと太腿をみせます。みたくありませんよ。真面目におやりなさいといいたくなるほど、ご本人は現場をひたすら楽しんでいます。

及川博光さんは、えっ!もういいのと拍子抜けしていましたが、及川博光さんの代役が女性との抱き合う場面の後ろ姿は撮っていて、代役はスッタフの男性で、その彼女がその場にいたらしく、石井監督はしきりに彼女に「ごねんね。」とあやまっていました。

映画についてなど一言もなく、新聞に深作欣二監督の『バトロワ』がPTAで問題になったという記事を紹介されて、「彼は論客だからね。いい宣伝になったんじゃない。」と言われます。

『石井輝男 FANCLUB』のファンになってしまいました。ですので『盲獣vs一寸法師』は見ていません。『石井輝男 FANCLUB』に比べるとつまらないような気がするのです。石井監督を見ている方が面白いです。生真面目な高倉健さんの二枚目半を引き出したのも石井輝男監督だと思いますし、都会的ギャングものも石井監督ならではのセンスだと思います。全員死ぬというのが残念です。最後に全員生きて都会のどこかを人知れず闊歩していたというのが一本くらいあってもよかったのにと思いますが。

監督・編集・矢口将樹/撮影・熊切和嘉

『盲獣vs一寸法師』は2000年撮影開始。2003年完成。2004年公開。石井輝男監督肺がんのため2005年急逝。『石井輝男 FANCLUB』公開は2006年。

立川連峰の映画『劔岳 点の記』を紹介しましたが、石井輝男監督が脚本を書いた松本清張さん原作の映画『黒い画集 ある遭難』も立山連峰の鹿島槍ヶ岳と五竜岳を舞台にしたサスペンスです。原作は読んでいないのですが、映画は理路整然と言った感じで進み次第にひとつひとつが明らかになっていく楽しさを味わわせてくれる作品です。

松本清張さんの『黒い画集短編集』の中から、三篇が映画化されています。『黒い画集 あるサラリーマンの証言』(1960年)、『黒い画集 ある遭難』(1961年)、『黒い画集 第二話寒流』(1961年)で、それぞれ松本清張ワールドが楽しめる作品に出来上がっています。松本清張さんの映画は古いほうがしっくりきます。

黒い画集 ある遭難』は、銀行に勤める江田昌利(伊藤久弥)、岩瀬秀雄(児島清)、和田孝(浦橋吾一)の三人が鹿島槍ヶ岳から五竜岳を目指すのですが、山小屋に泊った次の日雨と霧で道を間違えたようで、途中で江田は救援を頼みに一人おりるのです。和田よりも登山実績のある岩瀬は疲労がひどく、寒さもあり錯乱状態となり黒部渓谷の奈落へ転落死してしまいます。

岩瀬の姉・真佐子(香川京子)は、初心者の和田が助かって、経験豊富な弟が死んだことに納得がいかず、山登りをする従兄の槙田(土屋嘉男)に、江田ともう一度弟が登ったルートを体験し遭難現場へ行ってもらうことにします。

江田は三人で登るとき、夜行で疲れるので寝台まで取ってくれました。ところが、和田は夜中に起きている岩瀬の姿をみています。岩瀬はなぜ疲労がひどくなったのか。槙田は江田にどこで休憩し、どう進み、なぜ道を間違えたかを冷静に聴き検討し、疑問をなげかけます。江田も冷静に答え、江田の周到な計画であると思えるのですが、経験の薄い和田も同じように登っているのですから確信をつかめません。実際の雪山を体験しつつのこの映画も山岳ものとしては秀逸だとおもいます。

そして、岩瀬の疲労の原因がわかります。岩瀬は眠れなかったのです。寝台車でも、山小屋でも。なぜか。岩瀬と江田の妻とが不倫関係にあり、そのことを江田は岩瀬に耳打ちしたのです。江田は、岩瀬を眠らせず疲労させ自から錯乱状態に陥って死ぬようにしむけたのです。

そのことを槙田に告げると槙田を骨落させるが、自分も雪崩に巻き込まれてしまいます。

原作はありますが、映画でみせる筋道の立った脚本の展開で石井輝男さんのそれこそ、ある一面をみせてくれる脚本でした。

監督・杉江敏男/原作・松本清張/脚本・石井輝男/撮影・黒田徳三/音楽・神津善行

 

映画『追憶』・ 映画『劔岳 点の記』

能登半島の旅の輪島で、映画『追憶』のロケ地マップを手にいれました。<刑事、被疑者、容疑者として、25年ぶりに再会した幼なじみの3人。彼らには誰にも言えない過去がありました。>

11月3日からDVDレンタルで新作としてレンタル開始で、開始日に借りたのは初めてです。ロケマップで見ても、旅の途中の風景は入っていないようですが、一応手にしてしまったので観ることにしました。

降旗康男監督と撮影の木村大作さんとは9年ぶりのタッグだそうです。どちらかといいますとこのお二人の映像美が見たかったのが強いです。主演は、岡田准一さんですが、降旗監督と木村さんの映像に一人立つには少し早いようですが、動きの少ない中でよく頑張られたと思います。観るほうは岡田さんの立場はわかるのですが、小栗旬さんと柄本佑さんについては分からない部分があり、柄本さんは思い描いたよりもいいヤツで、小栗さんはかなりこちらの思いがぐらつくほどマイペースで、それぞれのキャラを上手く発揮してくれ、終盤に向かい、三人の人間性も見えて来ました。観ている時はウムと思いこれはとインプットしますが、かすかな表情を逃がさず捉えているなあと感じました。

ヒューマンサスペンスということなので内容は書きませんが、何か大変な経験をした子供たちが大人になって顔を会すというのはよくあるパターンですが、自分から大変な環境を打破しようとした子供たちが、大人になってもっと困難な状況に陥るというのはやるせないです。それがどう展開するのかが見どころでもあるのですがヒューマンの方向性にいきました。

映像に出てくる輪島の間垣(高さ約5メートルの苦竹をすき間なく並べた垣根。冬は強い潮風から家屋を守り、夏は暑い西日をさえぎる)などは、その地の風土に合った生活の知恵の美しさです。

最初に車に子供三人と運転する人(吉岡秀隆)が乘っていて、運転する人が、蛍光灯を変えて来るからと資料館のようなところにいくのですが、ここは<時国家(上時国家)>で、平時忠さんを祖とする800年続く旧家で公開されているようです。本家と分家があって、上時国家と下時国家と呼ばれているのです。なるほどここであったのかと納得です。

次世代が、降旗康男監督と木村大作キャメラマンに挟まれて仕事ができた記念すべき映画と言えるでしょう。

原案・脚本・青島武、瀧本智行/出演・岡田准一、小栗旬、柄本佑、長澤まさみ、木村文乃、安藤サクラ、吉岡秀隆

『追憶』は富山ロケもしていまして、となれば次は木村大作キャメラマンが監督した映画『劔岳 点の記』(2009年)となります。立山連峰や剱岳が豊富に贅沢に映されている映画です。立山に行かなくてはと思ってしまう映画です。

「点の記」は、三角点など基本になる位置を測量して設定し、その記録を書き記すことを指すようです。劔岳の点の記なのですが、1906年(明治39年)の実話で、まだ誰も登ったことのない剣岳を踏破し地図をつくれとの軍の威信をかけての命令です。その指令を受けるのが参謀本部陸地測量部の測量手・柴崎芳太郎(浅野忠信)です。先輩の元測量手(役所広司)に相談し、地元の山の案内人・宇治長次郎(香川照之)を紹介されます。

立山は山岳信仰の山で立山曼荼羅といわれていて、剣岳に登るなどとんでもないと反発されたりもしますが、案内人の宇治長次郎の協力のもとなんとか下調べもでき、紫崎は無理であると判断します。軍部は日本山岳会も踏破を目指しており精神論など持ち出して威嚇し、実行するしかありません。

紫崎は、他の測量夫二名(モロ師岡、松田龍平)と長次郎の集めてくれた村人三名の協力のもと雪崩などにも会いつつ、行者(夏八木勲)の「雪を背負って登り、雪を背負って降りろ」の言葉を胸に劔岳の頂上に立つのでした。

軍部のお偉方には、本当に腹が立ちます。じゃ、自分で行ってごらんよと言いたくなります。紫崎が静かなだけ、こっちが憤ってしまいます。紫崎や長次郎はあくまでも冷静で、自然の驚異を知っているだけに人間の感情などに左右されないのかなと思ったりもしますが、その冷静さのため観る側は山自体をじっくりあじわうことができます。一歩一歩一緒に歩いています。そして適確な判断で速く下りましょうの言葉にほっとしたりします。

さらに腹が立つことには、頂上には修験者の錫杖(しゃくじょう)の頭の部分が残されていて初登頂ではなかったのですが、それを聞いた軍の上層部は紫崎達のやったことをなかったことにしたいとまでいうのです。現場を無視してご都合主義もいいところです。

しかし、木村大作さんの映す立山連峰や劔岳はそんな人間界のあほらしさを跳ね飛ばす悠久さと威容さがあります。木村大作・名キャメラマンならではの監督作品です。音楽も抜群でした。

列車に乗降シーンなどは明治村で撮影したそうで、東京の電車の神田橋停車所なども明治村だったのでしょうか。あったようななかったような記憶が薄いです。愛知の明治村に再度行く予定が台風22号のために『長沢芦雪展』に変更したのです。行く機会があったときは、じっくり見てこなくては。

エンドロールは、「仲間たち」として、監督などの名称はなく名前だけが流れます。最後に、 原作者 新田次郎 「この作品を原作者に捧ぐ」 とあります。木村大作監督らしい計らいです。ここでは、蛇足かもしれませんが紹介させてもらいます。

監督・撮影・木村大作/原作・新田次郎/脚本・木村大作、菊池淳夫、宮村敏正/音楽監督・池辺晋一郎/出演・浅野忠信、香川照之、モロ師岡、松田龍平、螢雪次郎、仁科貴、蟹江一平、仲村トオル、笹野高史、國村隼、小澤征悦、宮崎あおい、鈴木砂羽、石橋蓮司、井川比佐志、夏八木勲、役所広司

 

能登半島から加賀温泉郷への旅(番外篇)(5)

化生の海』を書かれた内田康夫さんと浅見光彦にありがとうです。そして、この本を置いてくださっていた<北前船主屋敷蔵六園>にもです。

化生の海』は今回の旅をさらに膨らませてくれました。内田康夫さんは歴史的な裏付けをされるので、それを読むだけでもそうなのだと新たな知識を頂きます。浅見光彦は雑誌『旅と歴史』のルポライターということもあり、内田康夫さんに劣らずよく調べてくれ、さらにソアラに乗って動いてくれます。今回も北海道の余市に住む男性が加賀の橋立で死体で発見されるのですから、加賀に話しが移動するであろうし、こちらの旅と重なるのかどうか楽しみでした。

殺された三井所剛史(みいしょたけし)は、家族に松前に行ってくるといって出かけ、発見されたのは加賀の橋立漁港の近くの海中です。娘の園子は余市のニッカウヰスキーの工場見学案内係りをしていて、受付の女性が浅見光彦の友人の妹で、5年たっても進展のない事件を浅見光彦が調べることになるのです。

松前城の資料館で、三井所剛史が持っていた箱に入った土人形と同じ人形を発見します。函館では、三井所剛史が中学2年の時作文コンクールで最優秀になった作文をみつけます。浅見光彦は北海道へは取材旅行としてきていますから、「北前船の盛衰」でもテーマにして雑誌社に一文を送ろうと思っています。そのことから橋立が北前船と関係ある土地だと知るのです。江戸時代から昭和27年まで、「江沼郡橋立村」は、大阪と松前を結ぶ不定期回船北前船の根拠地の一つであると。

函館の「北方歴史資料館」も訪ねていて、高田屋嘉兵衛の記念館でもあるらしく、彼は函館の廻船問屋で財をなした函館の中興の祖なのですが、ニシンを獲るだけ獲ってそれを肥料にして儲けたのです。生の魚(塩づけとか乾燥にもしますが)と違い肥料は日にちがもちます。二代目の時ロシアとの密貿易の嫌疑をかけられ闕所(けっしょ)に処され、所領財産を没収され、所払いとなっていますが、四代目の時闕所が解かれていますので、いいがかりだったとの説もあるようです。こちらは、函館を旅した時、名前だけでしたので、今回その様子を知ることが出来ました。

いよいよ加賀の橋立に向かいます。読みつつわくわくします。そして山中温泉につながっていきます。山中節の歌詞に「 山が赤うなる木の葉が落ちる、やがて船頭衆がござるやら 」というのがあり北前船の帰りを待っているわけです。

土人形は、裏に「卯」の字があり浅見光彦は<北前船の里資料館>で全体の感じが似ている土人形を見つけます。その人形の裏にも「卯」の字がありました。そして光彦の母から、自分が若い頃旅で見た「卯」の字がついた人形は「津屋崎人形」だと教えてもらいます。九州福岡市から少し北の小さな港町で、もちろん、浅見光彦は行きます。ところがその間にまた一人行方不明となり、その車と死体が発見されるのが、九谷焼窯跡の先の県民の森のさらに先なのです。地図をみつつここあたりなのだと確認しました。

いよいよ事件は佳境に入って来て、北海道の余市から、三井所園子と母もやってきます。その後は書きませんので興味があればお読みください。

函館の五島軒のカレー、港の倉庫群、行ってはいませんが山中温泉のこおろぎ橋、無限庵などもチラッとでてきます。九谷美術館、山中塗と輪島塗の違いなどもあり、登場人物の父と兄が船の事故で能登の義経の舟隠しあたりで見つかったなどという話しも出て来て地理的にもわかり、文字が身近な事として生きてきました。そういう意味でも楽しい内田康夫ミステリーワールドを充分味わわせてもらいました。

能登演劇堂は能登の中島町の町民の方達のボランティアが大きな力となっていますが、映画『キツツキと雨』(2011年)は、映画ロケに協力するロケ地の木こり職人と新人映画監督との交流、村人や映画スッタフの撮影現場の様子を描いている佳品です。

真面目一筋の木こり職人・岸克彦(役所広司)は、妻を二年前になくし、息子(高良健吾)と二人暮らしですが、この息子が無職で一人立ちできないのです。そんなことに構わず木を切る仕事をしているとチェンソーの音がうるさいから少し仕事を止めてくれと言われます。何かと思って様子をみますと映画のロケらしいのです。

人の好い克彦は、撮影場所に案内したりするうちに、このロケに次第に協力体制に入ってしまいます。ワッオー、映画のロケだ!などのノリは無く、いつのまにかそうなっていくのが、とぼけているわけではないのになぜか可笑しいのです。よく判らないのだが、助けなくてはならないのかなあの感じです。

新人監督の田辺幸一(小栗旬)は自分の脚本にも自信がなく、ベテラン助監督に引きずられるような感じで、これで映画が完成するのであろうかの様そうです。ところが、克彦が加わってから、すこしづつ空気がかわっていきます。言われたことをするだけなので、自分を主張するわけではないのですが、村の人を巻き込むとなると俄然力を表すのです。

そして、監督の幸一でさえ面白いと思えない脚本を読んで面白いと真面目にいうのです。田辺監督も次第に撮影に自分の意見を言い始め、克彦も監督用の木の椅子を提供したり、ゾンビとなって村人と映画に出演したりして盛り上がっていきます。

ザーザー降りの雨に克彦は木こりの勘で晴れるといいます。さてどうなりますか。

ほのぼのとしていて、克彦に衒いのない真面目さと、監督の幸一の自信の無い影の薄さのコントラストがコミカルさを発散しています。村人がゾンビになって撮影する場面も笑ってしまいます。

どうやら克彦と息子の気持ちにも同じ風が吹き始めたようで、どうなるかと思った撮影も大物俳優(山崎努)から田辺監督は認められたようです。

この映画、役所広司さんが『無名塾』出身だからというわけではありませんが、紹介したくなりましたので書いておきます。

監督・沖田修一/脚本・沖田修一、守屋文雄/出演・役所広司、小栗旬、高良健吾、臼田あさ美、古舘寛治、黒田大輔、森下能幸、高橋務、嶋田久作、神戸浩、平田満、伊武雅刀、リリィ、山崎努

 

 

川島雄三監督映画☆『愛のお荷物』☆

赤ちゃん誕生にまつわる風刺喜劇で題名の『愛のお荷物』がなんとも可愛らしくユーモラスであると同時に大人たちの勝手さが見え隠れします。

上映が1955年(昭和30年)で、第一次ベビーブームが1950年前後で、始まりのナレーションも、こんなに人口が増えて将来どうなるのでしょうかと心配しています。今では羨ましい限りということになります。

国会では産児制限の必要性や性に関する論議が活発で、売春防止法が1956年に成立していますから、国会議員が並んでイチニイチニと行進しつつ、赤線地帯に視察に行くなど川島雄三監督の腕は冴えています。

そんな最中、厚生大臣夫人が48歳にして妊娠してしまうのです。子供は少なくしていこうと主張している大臣にとっては、夫人は高齢出産に困惑し、大臣は出生率を押さえる方法を考えて提案している立場上これまた困惑します。そのことはまだ公表されていませんが、国会の答弁から新聞に大臣が赤ちゃんのオシメを替える風刺漫画(清水崑画)が載ったりします。

大臣ご夫婦・新木錠三郎(山村聡)、蘭子(轟夕起子)には、きちんと定職につかず自分の好きな電気器械をいじり研究しながら新内などにも現をぬかす長男の錠太郎(三橋達也)がいます。名前に<錠>がつくのは、この家が老舗の薬屋であるためでしょう。お祖父さんも錠造(東野英次郎)という名で箱根で楽隠居で、薬店は妻に死に別れた番頭の山口(殿山泰司)が任されています。

錠太郎は、恋人である五大冴子(北原三枝)にもどうやら子供ができたようで、結婚したいと父に打ち明けます。五大冴子は錠三郎の秘書をしています。次女のさくら(高友子)には、婚約中の出羽小路亀之助(フランキー堺)がいて、京都に住む亀之助は元貴族の家柄ですがドラマ―で、電話でさくらにドラム演奏を聴かせながらのデイトです。こちらも赤ちゃんができているらしいのです。

結婚している長女夫婦(東恵美子・田島義文)には子供がいないため、私が赤ちゃんを引き取ってあげると軽くいいます。

蘭子の妊娠は誤診とわかり一安心。さくらは、結婚式を早めるため祖父を病気にして作戦成功、五大冴子との結婚を反対していた蘭子も、興信所で調べたら五大冴子が明治の大阪の実業家・五大友厚の子孫とわかりこれも了承となります。

京都で錠三郎は、昔舞子であった頃つき合った貝田そめ(山田五十鈴)に会いたいと言われ会ってみると思いがけないことに、そめは錠三郎に伝えずに子供を産んでいて育て上げ東京に就職したので、一度会ってやってほしいと告げます。錠三郎は承諾します。

その息子・錠一郎(三橋達也)は、錠三郎のいない時自宅に現れ蘭子と会い、帰り際、おばさんのことが好きになりましたと言われ、蘭子も呆気にとられる感じで事実を受け入れるかたちとなります。

番頭の山口はお手伝いのとめとの間に子供が出来、二人も結婚させる事にし、長女も子供が出来たから、他の子は引き受けられないといい、蘭子もガマガエルでの再再検査でやはり妊娠と判明。錠三郎の秘書官鳥井(小沢昭一)も具合が悪く実家に帰っていた妻が妊娠とわかり、厚生大臣の新木錠三郎の周囲には、赤ちゃんが6人生まれることになったわけです。「愛のお荷物」も無事「愛の贈り物」となってめでたく誕生できることになりました。

そしてなんと、内閣改造で新木錠三郎氏は、今度は防衛庁長官に就任ときまりました。

脚本は、川島雄三さんと柳沢類寿さんの二人で、助監督に今村昌平さんの名が映りました。登場人物の名前にも風刺がきいていて、厚生大臣に質問する神岡夏子議員(菅井きん)は神近市子さんをかけているらしく、質問で、厚生大臣はもはや青春の情熱もなく赤ん坊をつくる能力がないなどといわれ、大臣もそれは妻に聴いてみなければわからないことでと答弁していたり、なんともよく注意していないと聞き逃す台詞が飛び交っています。

三橋達也さんは、錠太郎、錠一郎、さらに京都で撮影されている場面で赤ん坊を背負った勤王が三橋さんで新撰組と戦っている俳優の三役です。その撮影を見て一言錠太郎が物申したりとテンポが軽快に進みますから、さらさら流されますが、川島監督流の風刺は結構強いですが、風刺喜劇ですからその手法はきっちり守られています。

それでいながら、祇園での場面などはしっとりと映され、このあたりの映像の変化は喜劇であっても見逃せないところです。

日活映画というと、石原裕次郎さん、小林旭さんらのアクション映画が前面に出されますが、この頃の映画の中の北原三枝さんや芦川いづみさんなどの演技力や、思いがけずちらっと出てくる宍戸錠さんなども楽しませてくれる一因でもあります。

映画館ラピュタ阿佐ヶ谷で、轟夕起子さん特集をモーニングショーのみ上映しています。宝塚出身でありながら小太りのおばさんの雰囲気も惜しみなく披露され、親しみやすさと天然の育ちの良さなども表現される女優さんです。今年は、生誕100年、没後50年だそうで、50歳で亡くなられているのです。かつての女優さんは短時間で人生の年輪を演じられていたわけです。

そういうところを引き出す映画監督の怖い存在もあったということになります。

 

追記: 子どもの頃、清水崑さんの政治漫画から似顔絵に興味をもったのが和田誠さんで、墨田区の『たばこと塩の博物館』で「和田誠と日本のイラストレーション展」(10月22日まで)を開催しています。『週刊文春』の表紙や作画姿の映像など和田誠ワールド満開です。

テレビで映画『快盗ルビー』(和田誠監督)が偶然見れてラッキーでした。映像が和田誠さんのイラストのように美しい色合いで、お洒落な喜劇です。小泉今日子さんのキュートさと、真田広之さんのずれ具合が軽くて楽しいコンビとなって展開します。