六月歌舞伎座『妹背山婦女庭訓』『文屋』

  • 妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん) 三笠山御殿』。宇野信夫さんが「この頃の芝居の題はくだらない。当今は文覚上人の芝居だと、只『文覚』とだけだ。昔は、『橋供養凡事文覚(はしくようぼんじのもんがく)』なんて、凝っておりました。『与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)』を、お富と与三郎なんていっちまっちゃァ味も素ッ気もありません。」といわれている。たしかにそうであるが、たとえば歌舞伎を初めて観た人と話をするとき、「あの最初のお芝居・・・」「ドテラに大きな格子模様の裃衣裳の鱶七とお三輪が出てくる芝居ね。」「そうそう。」となって感想が聞けるのである。正確な外題を飛び越えないと内容の話しにならないのである。

 

  • 三笠山御殿は、蘇我入鹿の御殿である。蘇我入鹿は悪人である。入鹿の楽善さんと、家臣の玄蕃(彦三郎)、弥藤次(坂東亀蔵)の三角形が大きく、入鹿一族の大きさをかたどっている。そこへ一人乗り込んでくるのが松緑さんの漁師鱶七である。藤原鎌足の書状を持っての使いである。お詫びの印にと徳利の酒を差し出し、自分で飲んでしまったり、鎌足を鎌ドンなどと呼び、豪快に可笑し味もだす難役で、このバランスにもう一歩前進が欲しいところである。荒事の大きさと可笑しみという組み合わせは実に大変な役どころだと近頃特に感じる。

 

  • この後、御殿には三人の人物が苧環(おだまき)の糸に引かれて入って来る。先ず入鹿の妹・橘姫(新悟)と求女(松也)である。求女は実は鎌足の息子・淡海なのである。求女は入鹿を倒すため、夫婦になりたいなら宝剣を盗むように要求する。名前が求女で懸けているのかと勘ぐったり。恋した姫の大胆さや裏切りは歌舞伎の飛んだところで姫は承知する。松也さんの求女は目指す意志がはっきりしていた。さらに御殿に三人目お三輪の時蔵さんが、入ってくる。酒屋の娘で御殿など初めて。豆腐買おむらが忙しそうに現れ、お三輪を短時間で軽快に洒脱にあしらうのが芝翫さん。こんな時に豆腐買いとは、お客に一息入れて下さい、これから大変なことが起るのですからのサービスか。今度は官女が現れ、案内を頼むお三輪。

 

  • お三輪、求女、橘姫はどこで会ったの、どういう関係だったの、苧環のつながりはいつとなる。この前の「杉酒屋」を観るとよくわかるのであるが、なかなか上演されないので、三角関係なのかと思うしかないく、これからは、お三輪と鱶七の見せ場となる。お三輪は、事情を知っている官女にいじめられる。お三輪は、求女には会いたいし、祝言と聞き心は乱れに乱れるし、救いの手はいじめる官女なのであるが、一生懸命耐えに耐える。さらに恥をかかされ、嘲笑しつつ官女は去っていく。恋しさも、嫉妬と義憤に変わっていく。時蔵さんのお三輪は、どこまでも悲哀の様相が漂い、次の悲劇を大きくする。

 

  • 怒りに取り乱したお三輪は鱶七に刺されてしまう。お三輪は何なのと言いたいでしょう。私をここまで突き落とすのはなぜなの。全て入鹿を倒すためである。入鹿の母は、占いにより、白い女鹿の生き血を飲み入鹿を無事出産した。入鹿の名前はそれに由来している。そして入鹿の弱点は、爪黒の鹿の血潮と疑着(ぎちゃく)の相のある女の生き血を混ぜて笛に注ぎ、その音にて正体を無くさせることである。その大きな役にかなったのである。求女実は淡海の役にたったということである。そして、あっぱれ北の方と言われる。あなたは、淡海さまの奥方だと、鱶七実は鎌足の家臣・金輪五郎がいうのである。ああ、うれしや、でもでも、一目お顔が拝みたい。現代に合わせて観ればそんなー!犠牲になりすぎである。

 

  • そんなー!と思わせないで観させなければならないのが歌舞伎の芸である。それが無ければ長い時を越えて伝わってこなかったであろう。ただ、通し狂言でないから、その場だけで役柄を印象づけ、この役は素晴らしかったと言わせるにはハンディを背負っているが、乗り越えなければならない現代の歌舞伎である。数年前、「杉酒屋」を観て、そうであったかと知るところが多かった。観る方も塗り絵ではなく、形を描きつつ、そこに役者さんによる絵付けをすることができるようになると嬉しいものである。時蔵さんのお三輪の絵付けに満足する。そして、奈良も三輪神社に行くと「妹背山」だなあと思い浮かべたりするようになるのである。

 

  • 文屋』は、五月歌舞伎座の『喜撰』の続きのようで楽しみにしていた。六歌仙の文屋康秀が小野小町にどうせまるのか。ふたたび、菊之助さんの登場である。お公家さんであるが、静々ではなく、ひょこひょこと駆け出してくる。清元に、「その人柄も康秀が裳裾にじゃれる猫の恋」とあるように、猫がじゃれつくようにでるのがよいのであろう。菊之助さんの登場気に入りました。『文屋』って、こんなに楽しい踊りだったかなと、ひたすら愉しませてもらう。

 

  • 妹背山婦女庭訓』で出て来た官女がここでも出てくるのであるが、そのやり取りが文屋はひょうひょうとして構わずに、深草少将になってみたりする。どうもその柄ではなく、ひょうきんな文屋は文屋なのである。官女との恋づくしの可笑しな問答があり、さらに文屋はゆったりと踊り、駆け出して去ってしまう。小町は御簾の中にいるという設定で、出てこない。文屋はしっかり振られ役である。菊之助さんの文屋は公家の雰囲気もあり、嫌味にならない崩し方であった。立役の踊りに面白さが出てきている。

 

国立劇場『毛越寺の延年』・『歌舞伎鑑賞教室 連獅子』

  • 132回民俗芸能公演である。重要無形民俗文化財の『毛越寺の延年』の公演であり、拝観できるとは思っていなかったので国立劇場の民俗芸能公演にはさらなる感謝である。初めて毛越寺(もうつうじ)にいったとき(年数を数えるのが嫌になるほどかつて)延年の舞があると知り、その後歌舞伎の『勧進帳』での弁慶の「延年の舞」でさらなる憧れの舞いであった。ただ『勧進帳』の弁慶がお酒をたっぷり飲んだ後でのような躍動的な舞いではなく、芸能のゆったりした繰り返しの舞いが優雅に行われる。そして、『毛越寺の延年』は僧侶による舞いなのである。

 

  • 配布された解説書によると、古代後期~中世に寺院において「延年」と呼ばれる行事が盛んにおこなわれていたらしい。そこから、能や歌舞伎に取り入れられたようである。歌舞伎の場合は、能から正式に教えを受けることが出来なかったのであるから、それを庶民のために観せるために、工夫を考えてあらゆるものから取り入れたと想像できる。弁慶は僧侶でもあるし、延年の舞いの経験がないとはいえない。稚児舞いもあり、小さい頃から練習しているのである。今は、小学校一年になると初舞台だそうである。それゆえ、弁慶が延年を舞ったとしてもおかしくはない。

 

  • 毛越寺に神楽舞台があってそこで舞われると思っていたら、「常行堂」の中で催されるのである。1月20日の午後4時から「常行三昧供(じょうぎょうざんまいく)」といわれる法要からはじまり、午後9時から延年の舞の奉納がはじまるということでかなり遅い時間である。お客様のなかに毛越寺で拝観したというかたがいた。神楽舞台でのため舞台が高く足先などは見えなかったそうで今日はよく見えてよかったと言われていた。特別開催の日もあるようだ。今回は、「常行堂」の内部を舞台に再現しての開催である。

 

  • 一部で「常行三昧供」があり、延年の「呼立(よびたて)」「田楽(でんがく)」「祝詞(のっと)」「路舞(ろまい)」、二部は延年の「若女(じゃくじょ)・禰宜(ねぎ)」「老女(ろうじょ)」「花折(はなおり)」「留鳥(とどめどり)」となる。

 

  • 常行三昧供』は、毛越寺を開いた慈覚大師円仁が中国五台山から伝えたものと言われている。五台山は清涼山のことで、『連獅子』にも出てくる山である。この法要の声明が美しい旋律で、声の響きがまたいいのです。どこで息継ぎをしているのかと思うほどつながっていきます。最後の延年の能『留鳥』の謡なども、この声明で鍛えられた声と調子が引き継がれていて動きの少ない舞に寄り添う感じである。

 

  • 常行堂」の御本尊は宝冠阿弥陀如来で、奥伝に守護神の摩多羅神で、「常行堂摩多羅神」の提灯が下がっている。上の方には、渡り綱に正方形の白い切り紙が下げられていて、この切り紙の型が今は12種しかないのだが、かつては20種以上あったようです。大根、蕪、鳥居、紋などが切り描かれていて、これは結界を表している。阿弥陀如来は来られていないが、左右には、丸いピンクの花が付いた木が飾られていて、桜なのだそうで、ポップなほんわかとした球の桜の花である。

 

  • 延年の舞からは、僧侶が解説もしてくれるので大変参考になる。『呼立』は、『田楽』を先導するもので二人の僧が足による秘事をおこない短い口上を述べる。延年の舞い手には先導の僧がつき、終わると僧がむかえに来てまた先導して去っていく。そのあたりが他の伝統芸能と違う。『祝詞』などは、秘事で、口の中でつぶやいていてまったく聞き取れない。最後に御幣でお祓いをしてくださり、解説の僧侶が、これで皆さん、残りの半年は無病息災ですと言われた。ありがたし。

 

  • 路舞』は、慈覚大師が五台山を巡礼された折、二人の童子が現れ舞った故事を伝えたものだそうです。童子ふたりが足を踏み返すのをうさぎの跳ねるのに似ているとしてうさぎばねともいうそうである。『田楽』でも小鼓をうったり、『祝詞』では裾をもったりと、児童の役割も大きい。『花折』は稚児が桜の枝を持ち神前にささげて舞うのである。

 

  • 若女・禰宜』は、若い神子が鈴と中啓を持ち舞い、鈴の音を楽しむことと、後から出てくる禰宜(神職)との向きを変える時の足の動きの違いに注目とのことである。この足の違いは『老女』ではっきりする。年老いているので、よっこらしょという感じで、水干の袖がおおきく開いて向きを変えるのが見どころである。老女であっても、神の前では、白髪の乱れをただすことを忘れない。舞うときは、腰を90度にまげて動きもゆっくりであるから大変で、歩くとき、年のため足が危なかしいのを、片足でぴょんと跳ぶ動作であらわす。だからといってふらふらはしない。これをみて、『勧進帳』の弁慶が扇をなげて拾いにいくときとんとんとんと跳ぶが、あれはお酒に酔い足下がおぼつかない状態で、この老女と似た動作だなと感じた。『老女』は毛越寺の貫主・藤里明久さんの舞いで、会得に10年はかかるそうで、直角の腰の負担が大きいそうである。

 

  • 最後の延年の能『留鳥』は、『鶯宿梅(おうしゅくばい)』という故事を題材にとっているということである。難波の里に住む老夫婦が秘蔵している梅には、鶯が巣をつくっていて、その鶯を老夫婦はわが子のようにかわいがっていた。梅の見事さを聴き、帝がその梅を所望した。鶯の霊がでて住家の梅が余所へいってしまうのは悲しいと泣く。老人は都へ行き歌を一首官人に託した。「召しあれば梅は惜しまず 鶯の宿はと問はば 如何が答へん」帝は感じ入って梅を召し上げることはしなかった。官人はただものではないと老人の名前を尋ねた。太宰府に流された菅原道真の霊であった。

 

  • 逆説的な尋ね方が素晴らしいです。梅は惜しみません。ただそこに住む鶯はどうしたらいいんでしょうね。命ある者が、命をささえる宿がなくてはなんとしましょう。時として芸能とはお説教よりも心に沁みるものである。法要があり経文が読まれ、その僧が芸能にたずさわられ、一つのお堂で行われ、一つの宇宙空間を現出されているようであった。神仏に関係する芸能から自分たちの芸能に取り入れ、それを違う形で人々に伝え喜びを与える芸能一般の流布は、これまた凄いエネルギーである。

 

  • 歌舞伎鑑賞教室』には、「歌舞伎のみかた」の解説がついていて、今回は巳之助さんである。『ワンピース』のゾロ、ボン・クレー、スクアードの強烈なキャラからどう解説役として見せてくれるのか。がらっと変わってシンプルな歌舞伎役者・坂東巳之助の対応であった。高校生への実体験も、すり足、動きに合わせてくれるツケ、見得のきりかた、扇の開き方と動かしかたによる表現の違いなど、次の上演演目『連獅子』に合わせていました。『毛越寺の延年』もすり足でした。歌舞伎の「松羽目もの」にも通じることです。学生さんの動かし方も人柄の捉え方も軽快に進行される。

 

  • 連獅子』の説明では、清涼山にかかる石橋(しゃっきょう)のポップな絵から、清涼山に訪れた僧が、文殊菩薩の使いである獅子の舞いを見たという能の『石橋』をもとにしていることもおさえる。『毛越寺の延年』(路舞)では二人の童子でした。歌舞伎では親子の獅子が出て来て、どこが見どころであるかを伝え、演者である、又五郎さんと歌昇さんが実際の親子であることも紹介。最後に、これをきっかけに歌舞伎に興味をもってくれるようにと、新作歌舞伎『NARUTO ナルト』に出演する宣伝もしっかりしていて笑ってしまう。

 

  • 鑑賞教室のときは解説書を配ってくれるので、『連獅子』の前もって歌詞を読むことができる。歌詞は舞台横の左右の掲示板にも流れる。先ずは手獅子を携えた二人の狂言師が出て来て、獅子の親がわが子を谷に蹴落とし、駆け上がって来た子だけを育てるという故事を伝える。獅子だけではなく人間がでてくることによって、蹴落とした後の親の子を想う気持ちも伝えるということが加味されている。そして、駆け上がって来る子とそれを見つけたときの親のさらなる絆である。だからといって芝居ではないので大げさにわかり過ぎてもいけない。又五郎さんと歌昇さんは、歌詞の意味合いをとらえ、きちんと基本を踏まえた体の表現をされていて、改めて勉強しつつ鑑賞させてもらった。

 

  • 間の狂言が入る。『宗論』という違う宗派の僧が自分のほうが良い教えであると論争し、自分の宗派の念仏を唱えているうちに相手の念仏を唱えていたという可笑し味のある舞踏化されたものである。浄土の僧・遍念に隼人さん、法華の僧・蓮念に福之助さんである。隼人さんは、これまた『ワンピース』で、サンジ、イナズマ、マルコと格好いいキャラであったが、真面目な雰囲気の僧である。これは、念仏が入れ替わっての可笑しさから、年季をかけた役者さんはかなりの笑いをさそうが、隼人さんと、福之助さんは笑いに持って行こうと変に力まず、自分の宗派をおもうあまり気が付かないで失敗をしでかしたという生真面目な自然さで、それもまた地に足のついた演じかたであった。隼人さんは、『NARUTO』で巳之助さんと切磋琢磨するであろうし、福之助さんも橋之助さんと『棒しばり』で違う可笑しさに挑戦である。

 

  • 獅子の精の登場である。獅子は扮装も派手であるから、後半でワーッと盛り上がるが、前半でしっかり表現されていてこその獅子である。気合を内に秘める感じでひとつひとつ大切に演じられていた。歌昇さんは、国立劇場での芝居でこのところヒットを飛ばされて成長されていたので、きっと、やるぞという気持ちであったろうが、又五郎さんが落ち着け基本だぞと言われているようで、力強さのなかに微笑ましさも感じられる『連獅子』でした。

 

国立劇場 前進座『人間万事金世中』

  • 河竹黙阿弥作『人間万事金世中』は、明治12年の初演である。芝居名からしても、金が全ての世の中で、明治も10年たちその世相を皮肉っているのかもしれない。士族商法といわれ、武士を捨て商売をしても失敗し悲惨なおもいをしている黙阿弥さんの作品もある。『人間万事金世中』は、商売が上手くいくが、相場というリスクの大きなものが出現してそれに手をだしてしまう。さらなる儲けという欲にかられてしまうのである。そんな時代に翻弄されつつも若い世代は、しっかり物事を見ていてくれた人々に助けられるというお話である。

 

  • 恵府林之助は、父が瀬戸物問屋をやっていて米相場に手を出し破産し、父母も亡くなり伯父の辺見勢左衛門に引き取られてる。勢左衛門は横浜で船着問屋をしていて、その妻・おらんも娘・おしなも家族そろってお金第一主義である。おしなの結婚条件は、お金のある人である。そんな家であるから林之助はタダ働き同然の下男あつかいである。もうひとり、おらんの姪のおくらも両親がなく下女として働いている。おくらの父は生糸の仲買人だったが、蚕種紙(たねがみ・さんしゅし)の相場に失敗している。(蚕種紙とは、紙に蚕の卵を産み付けたものである) 場所が東京ではなく横浜で家主は差配人とよばれ、後の弁護士を代言人とよび、明治を思わせる。

 

  • 林之助には、さらに二人の伯父がおり、長崎で資産家となっている伯父・門戸藤右衛門が危篤の知らせがあったが、ついに亡くなり後継ぎがいないため遺言状をもって手代が訪ねて来る。親戚一同の前でもう一人の伯父・毛織五郎右衛門が遺言状を読み上げる。その結果、林之助には思いがけない遺産が譲渡される。遺産を元手にして林之助は横浜の元町で陶器問屋を開くことにし、明日開店である。ほんのわずかしか遺産の貰えなかった勢左衛門一家はおしなを林之助と結婚させようと乗り込んでくる。ところが、林之助の父が借金をしていた相場師の宇津蔵が代言人を連れてあらわれる。林之助は父の借金を返すためお店をさしだし、ふたたび裸一貫となる。それを知るとまた背中を向ける勢左衛門一家であった。

 

  • 途方に暮れていた林之助を助けたのは、おくらだった。彼女もおらんの身内で身寄りがないので勢左衛門一家よりも多額の遺産金を受け取り、伯父・五郎右衛門にあずけていたのである。それを使ってくれとわたす。さらにおくらは、林之助を育ててくれた貧しい乳母に名前を告げずお金を渡していたのです。この林之助とおくらの波戸場脇海岸の場は、新派の舞台をおもわせる場面で、この10年あとに出てくる「新派」という劇団の成立の動向をみるようである。やはり、歌舞伎の散切り物の庶民性が影響を与えていると思う。芝居のほうは宇津蔵があらわれ、五郎右衛門の手紙を渡す。五郎右衛門は林之助とおくらのお金の使い方を確かめていたのである。

 

  • 林之助の手に店が戻り再び開店させ結婚すると聞いた勢左衛門一家は、あわてて押し掛ける。林之助の結婚相手はおくらであった。これからも親戚づきあいをという勢左衛門一家に林之助はもちろんですと答える。これが黙阿弥さんの芝居なのという感じであるが、この芝居は、イギリスの作品が元にある。では黙阿弥さんの七五調はとなると、相場師の宇津蔵の台詞に生かされている。そして、宇津蔵についてきた代言人は実は落語家であった。林之助の乳母は外国人の洗濯をして生計をたてていたが病気になり、その孫は、辻占い昆布(おみくじの札板が付いていて板昆布ともいう)を売り歩いていて、このあたりも明治の横浜元町の庶民の生活がでている。こうした今は無い生活の知識は筋書から教えてもらった。

 

  • 筋書からもう少しお借りすると、『人間万事金世中』の翻案は、イギリスの人気作家リットンの戯曲『マネー(金)』で黙阿弥さんは、福地桜痴さんから梗概を聞いてこの作品となったのである。新富座で明治12年(1879年)に初演された出演役者さんは次の通りである。林之助(五世尾上菊五郎)、おくら(八世岩井半四郎)、五郎右衛門(九世市川團十郎)、勢左衛門(三世中村仲蔵)、雅羅田臼右衛門(初世市川團右衛門)、おらん(二世中村鶴蔵)、おしな(五世市川小団次)、宇津蔵(初世市川左団次)。遺言状を読む五郎右衛門の團十郎さんは、中幕で『勧進帳』の弁慶を演じられ朗々とした読みが重なり、趣向をこらしていたのです。 <「『人間万事金世中』をめぐって」・原道生>より。

 

  • 前進座公演での配役。林之助(河原崎國太郎)、おくら(忠村臣弥)、五郎右衛門(武井茂)、勢左衛門(藤川矢之輔)、臼右衛門(益城宏)、おらん(山崎辰三郎)、おしな(玉浦有之祐)、宇津蔵(嵐芳三郎)で、臼右衛門は、親類の一人で欲のかたまりである。おくら、おしなは、若手で抜擢された役者さんで成長著しい。勢左衛門一家に欲に対する団結。さらにその中に会っても個人の欲の追求。その中で耐えに耐える林之助とおくら。しっかり見ていた五郎右衛門。あざやかに役目を果たす宇津蔵。それぞれの役どころが押さえられ、歌舞伎の身体で黙阿弥をできるのは前進座の強みで、あまり上演されることのないこの作品を観ることができよかった。

 

  • 原本では、宇津蔵の借金の取り立ては狂言で、そのことを林之助は知っているが、そこを今回は本当の取り立てに変更している。そのことで、林之助の親の借金は無一文になっても返すという心意気がでて、それだからこそ見ていてくれた人の情けがより伝わった。黙阿弥さんは、勢左衛門一家を懲らしめるほうに持っていったのかもしれない。そこを、今回は若い者たちの成長とし、人情喜劇としている。江戸から明治を経験した黙阿弥さんの時代の流れに対する想いは迷路なので、そこは踏み込まないことにする。いつか踏み込めるとよいのだが。

 

  • 筋書に芝居の<ゆかりの地めぐり>も載っていてそれを参考に横浜を歩きたくなる。六月歌舞伎座に黙阿弥さんの『野晒悟助(のざらしごすけ)』が上演される。これも記憶にないので愉しみである。

 

歌舞伎座 5月團菊祭 『弁天娘女男白浪』『鬼一法眼三略巻 菊畑』『喜撰』

  • 弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)』は、團十郎さん亡き後、五年間團菊祭をけん引されてきた菊五郎さんの心意気の演目に思える。何の力も入れずに観ていられる浜松屋の場の弁天小僧菊之助である。相棒の南郷力丸は左團次さんで、菊五郎さんとの息も、あ・うんの呼吸である。出も引っ込みも、ゆすりも手はずもいつものことよ、あとは駄右衛門さんに任せたよ。受けた日本駄右衛門の玉島逸当の海老蔵さん、出ずっぱりの昼の部より、精神的にはこたえる役である。動かないでその大きさを伝えなければならず時間と経験でしょうか。渋さはありました。まずは、その舞台の空気を吸える経験を持てることは幸せなことです。

 

  • 鳶頭清次は松也さんで、台詞の強弱、押しも加わる。父上の松助さんは、上手い役者さんで少ない出にもその役の雰囲気をすーっと出せる役者さんで、役に対しては真摯さが見受けられた。菊五郎劇団にはこうした役者さんや立ち回りの役者さんが揃い世話物を支えて来られた。小さい方では、寺嶋眞秀さんが、間の良さで丁稚長松を。お茶を出す間、草履をそろえる間など邪魔にならず流れに乗っている。控えめの番頭与五郎(橘太郎)、浜松屋の主人幸兵衛(團蔵)なども、浜松屋の場を安定させ、菊五郎さんの弁天小僧菊之助の啖呵を際立たせる。

 

  • 稲瀬川勢揃いは、忠信利平に松緑さん、赤星十三郎に菊之助さんが加わり、捕り手に追われているのに名乗りの渡り台詞を格好くきめるのが、歌舞伎のシュールなところで絵にしてしまう。極楽寺の屋根の上での豪快な立ち回りがあり弁天小僧菊之助は駄右衛門に託し切腹。しかし、日本駄右衛門もついに青砥藤綱の梅玉さんの手にかかるのであるが、最後は、これまた派手に山門が上がり上の駄右衛門と下の青砥藤綱との見得でチョンである。ここは、石川五右衛門の経験もあり、海老蔵さん大きく決めました。

 

  • 河竹黙阿弥さんの作品では、国立劇場で前進座が散切りものの『人間万事金世中』(22日まで)を上演している。『白波五人男』を書いて、幕末、明治を体験した黙阿弥さんが、16年後には翻訳物を元に脚色した人情喜劇にしたてている。黙阿弥さんの違う面が見れる作品である。

 

  • 鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき) 菊畑』。『菊畑』は難しい演目である。実は何々であるを知っていた方が、人物のかけひきや内面の動きを見過ごさなくて済む。少しひょうきんさんもある知恵内という奴が、他の使用人から呑気にしていないで働け、そうしないと湛海(たんかい)さまにしかられるぞと言われる。知恵内は、何をいっているのだ俺の御主人様は鬼一法眼さまだという。湛海は、鬼一の娘の皆鶴姫の許婿である。鬼一は菊づくりを楽しみ、そのため見事な菊畑なのである。それゆえ知恵内は主人のための庭の手入れもなかなかである。主人の鬼一が現れる。この人は平清盛に仕えている。鬼一は知恵内に自分には鬼次郎と鬼三太の幼い頃別れた弟がいると告げる。実は知恵内は、鬼三太で鬼一が兄であることを分かっている。

 

  • 鬼一も知恵内の様子からもしやと思い始める。そのあたりの二人のやり取りが見せ場でもある。知恵内とともに仕える奴の虎蔵が使いから帰ってくる。虎蔵は、皆鶴姫の供として清盛館に行っていたが、姫から先に帰り父に伝言を知らせよと一人返されたが、鬼一は何で一人帰ってきたのかと怒り、知恵内に杖で虎蔵を打つように命じる。知恵内は打つことが出来ない。そこへ皆鶴姫が帰って来てとりなし、さらに湛海もやってくる。鬼一は、奥へと湛海を案内し姫も連れて行く。誰もいなくなって、知恵内と虎蔵の関係がかわる。虎蔵は知恵内の主人の牛若丸であった。この二人は源氏である。なぜ鬼一が知恵内に虎蔵を打たせようとしたのかが、ここで観客にわかるのである。ここでわかって、その前の鬼一と知恵内を思い起こして内心をさぐるのは難易度過ぎると思うしもったいない。歌舞伎は謎解きがわかっていたほうが役者の演技を堪能できる物もあるのです。

 

  • 鬼一は奥に入るとき、知恵内と虎蔵に解雇通告をする。最悪の状況である。ここからは、芝居を観ていれば判るようになっている。さらに、歌舞伎ならではの音楽性の浄瑠璃に乗った台詞が続く。主従関係。敵と味方に別れた兄弟愛。さらに菊に託した恋心。短いなかに様々な想いが託されている。二人のもとに皆鶴姫が現れ、牛若丸と鬼三太が、虎蔵と知恵内にもどる。さらに、この役どころの違いが状況によって、右へ左へと変化するのである。その役者のしどころ。役者さんにとってもやりがいがあると同時に難しい役どころである。

 

  • この役どころを、虎蔵・牛若丸の時蔵さんが引っ張っている。出からして観る人は人に仕える奴とは思えず、知恵内と同僚とはおもえないので、えっ!と思い、これは何かあると思う観客もあるであろう。そこも歌舞伎である。『勧進帳』の強力とは思えない義経と同じである。ただこの牛若丸は鞍馬山で修業していますから、行動もする。吉岡三兄弟は、宮本武蔵ともかぶさっている。三略巻はあらゆる兵法が詰まった巻物である。それを受け継いで所持しているのが鬼一法眼なのである。知恵内・鬼三太の松緑さんは、『一條大蔵譚』では、三兄弟の一途な鬼次郎を演じられている。このところ難易度の高いものへの挑戦が続いている。もう一段上がった知恵内を観たいです。皆鶴姫の児太郎さんはさらに身体に一本線が通ってきたようにで、鬼一に連れられていく後ろ姿がいい。時間とともにそれをどう動かしいくのかがたのしみでもある。鬼一法眼(團蔵)、湛海(坂東亀蔵)

 

  • 『菊畑』の私の教科書的映像の配役は、虎蔵・牛若丸(七代目芝翫)、知恵内・鬼三太(吉右衛門)、皆鶴姫(福助)、湛海(段四郎)、鬼一法眼(富十郎)である。

 

  • 喜撰』は、六歌仙の僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、大伴黒主が小野小町に想い焦がれているのを舞踊にしたもので、そのうちの喜撰法師を主人公にした舞踊である。六歌仙の一人でもあり喜撰法師という偉いお坊さんであろうし風格ある硬い踊りであろうと思うとそうではないのである。桜の枝にひょうたんを吊るしての出である。祇園の茶汲み女のお梶に逢うため通っているのである。小野小町をお梶に変えている。『毛抜』で、小野家が所持してるという短冊「ことはりや 日の本なれば照りもせめ さりとてはまた 天が下かは」は小野小町が詠んだ雨乞いの歌で、この歌を詠んだところ雨がふったといわれている。婚約相手が文屋家というのもかぶせているのであろう。

 

  • 今回喜撰法師となって踊る菊之助さんは、お梶をされている。どうして喜撰法師で踊る気になったのかはわからないが、これも挑戦であろうか。七、八、九、十代目三津五郎さんが踊り継がれた作品で動きが難しい。清元と長唄の掛け合いで楽しい軽妙洒脱な踊りである。お梶をされているので曲は体に入られているのでしょう。若くて優しい感じの喜撰である。お梶は時蔵さんで、くどきつつも喜撰法師よりうわての感じがいい。「島田金谷は川の間 旅籠はいつも お定まり」とにぎやかに旅籠の女郎衆の踊りとなり、喜撰法師さん飛んでいる。むかえに来た所化の踊りもありで最後は赤い傘をさされての御帰還である。所化が権十郎さん、歌昇さん、竹松さん、種之助さん、男寅さん、玉太郎さんらでベテランが負けそうなくらい若手がずらりである。5月歌舞伎、昼、夜、踊りで締めで、世の中いつまでもはっきりしないので、歌舞伎ですっきりしゃっきり歌念仏である。

 

歌舞伎座 5月團菊祭 『雷神不動北山櫻』『女伊逹』

  • 雷神不動北山櫻(なるかみふどうきたやまざくら)』。成田山開基1080年、二世市川團十郎生誕230年とあり、舞台で海老蔵さんの口上があり、市川家と成田山とのご縁が語られる。この芝居は、二世團十郎によって大阪道頓堀で初演(1742年)され、のちの歌舞伎十八番の『毛抜』『鳴神』『不動』の三演目が入っている。『毛抜』と『鳴神』は単独でも愉しませてくれる面白さがある。その繋がりが観客にわかりずらいのではと、海老蔵さんが演じる五役のパネルで解説も加えられる。わかりやすい解説で、芝居自体も見せ所を上手く配分していた。

 

  • 『毛抜』は、粂寺弾正(くめでらだんじょう)、『鳴神』は、鳴神上人、『不動』は、不動明王が主人公である。他のニ役は、早雲王子安倍清行であり、この五役を演じられるのである。悪役は早雲王子で、帝位を狙っている。安倍清行は早雲王子が帝位につくと世の中が乱れると予言。鳴神上人の行法により妃は見事男子誕生となる。早雲王子は余計なことをしおってとばかりに鳴神上人を追放。都は日照り続きである。鳴神上人が北山の滝に竜神を封じ込めたためである。雨ごいのためには短冊「ことわりや」がひつようである。短冊は小野家が所持している。

 

  • 粂寺弾正は文屋家の家老で、文屋豊秀の婚約者である小野春道の娘・錦の前がなかなか輿入れをしないのでそれを促しに行く。小野家は春風が短冊を持ち出し、錦の前は奇病で困り果てている。粂寺弾正は小野家の執権・八剣玄蕃の悪行をさらけ出し、これを成敗する。朝廷は鳴神上人のもとに雲の絶間姫を遣わす。雲の絶間姫は鳴神上人が封じていた竜神をはなち見事雨をふらせる。鳴神上人は怒り狂うが、不動明王によって静められる。

 

  • なかでも面白く良い出来と思ったのは『鳴神』である。雲の絶間姫が亡くなった夫を偲ぶその語りにはウソがない。だますためであると知っているのに観ている方も、雲の絶間姫の話しに聴き入ってしまう。夫とのなり染め。夫のもとへ川を渡るとき裾を持ち上げる雲の絶間姫。驚きの声を発する鳴神上人の弟子の黒雲坊と白雲坊。鳴神上人は、思わず魅せられ身を乗り出し壇上から転げ落ちる。ここからが、雲の絶間姫の落とすともなく落としていく手管と、おなごの体に初めて触れて自分が今まで感じたことのない本性に目覚めていく鳴神上人の破戒への過程である。菊之助さんの雲の絶間姫は、みぞおちを押さえて仮病を装うのが騙しであるが、あとはなりゆきですという感じである。それに比して、新しい知識でも得るように、これは何、これは何と魅了される海老蔵さんがこれまた新鮮さを満喫する鳴神上人といった感じで可笑しい。黒雲坊(市蔵)と 白雲坊(齊入)の相づちの入れ方が上手い。

 

  • 絶間姫は、滝のしめ縄が竜神を封じ込めているのだと知ると、仕事人となる。ここからは、冷静に役目遂行に徹する。しめ縄を切り落とせるところまで登り、ついに竜神を放つのである。登る竜神が鮮やかな輝き。さーっと花道を去る絶間姫。あの美しい出の夫を想う姿はウソでした。騙された鳴神上人。あんなに用心していたのにと、自分にも腹立たしいであろうと思える怒りまくりである。人間なぞ全部地獄に落ちろの想いでしょう。新しい立ちまわりが目立ちました。この鳴神上人の怒りも、早雲王子の悪心も不動明王によって静められ、そこには不動明王が静かに鎮座されている。

 

  • 毛抜』の粂寺弾正は、團十郎さんのようなおおらかさが欲しいと思った。今年は十二代目團十郎さんが亡くなられて五年目の團菊祭でもある。顔のつくりからして海老蔵さんは、笑われせることに腐心されてるように思えた。今回は小野家の内紛がわかる場がある。八剣玄蕃(團蔵)とそれに対する秦民部(彦三郎)の間に留めに入る腰元・巻絹の雀右衛門さんが入って、この場がぴしっと決められ、この芝居がおおきくなった。安倍清行が女好きであり貴族のつっころばしのような役どころで笑いをとるので、粂寺弾正の役どころを考えた方が五役の変化の面白さがでたように思える。そういう意味では、十二代目團十郎さんの芸に思い至る芝居ともなった。

 

  • 女伊逹』は時蔵さんで、今、快進撃である。あらゆる役に挑戦され、それが見事にきっちりはまっている。それだけに、女だてらに脇差を差し、二人の男伊達と喧嘩となり、さらにクドキも加わり、立ち回りもあるという華やかで賑やかな踊りを楽しませてくれる。男伊逹は若手であるが、種之助さんの下駄で走っての花道の出は難しいであろうが先導の押さえどころを決め、橋之助さんも身体に踊り込んだ感じが出て来ている。ベテランの吸引力に負けじとぶつかっていく風は気持ちよいものである。

 

 

四世鶴屋南北の旅(作品)

  • 大南北の旅、今度は気分まかせに作品から入って行きたいと思う。2006年、四国こんぴら歌舞伎での『浮世柄比翼稲妻(うきよがらひよくのいなづま)』の録画映像を観て、ここから潜り込んでみようかなと思う。『鞘当(さやあて)』が単独で、様式美と役者さんの大きさと台詞まわしの面白さとして上演されるが、これは『浮世柄比翼稲妻(うきよがらひよくのいなづま)』に挿入されている一部分である。DVDを観て、これは、その前の『名古屋浪宅の場』を観るともっと面白く観れることがわかった。

 

  • 鞘当』は、二つの花道から深編笠の不破半左衛門と名古屋山三が登場し、江戸の吉原仲ノ町で刀の鞘の先が当たり、何を!となるのである。この二人の衣裳が派手で立派で、二人とも吉原の花魁・葛木のところに通っている。お互いに刀を抜くことになるがそこへ止める人が入り収まるのである。止める人は、茶屋女房で留め女であるが、男の場合もある。半左衛門は黒地に雲と稲妻の模様に羽織つき。山三は浅葱色に濡れ燕模様に羽織つきである。深編笠をかぶっているから本舞台まで役者さんの顔は見えないが、ツラネの台詞とこの衣裳が観客にとっての御馳走である。

 

  • 鞘当』の前の場面『名古屋浪宅の場』では、山三の美しい小袖が、山三に仕えるお国という顔にあざのある下女が苦労して預けてあったのを請け出してくるのがわかる。山三はそれを着ての吉原通いなのである。山三は浪人で貧乏長屋住まい。お国が着物を請け出しに行っている間に恋仲の葛木がやってきて、山三の親の仇はどうやら半左衛門でその証拠をつかみたいとの話しがでてくる。鞘当でそれぞれの刀をたがえて鞘に収めるが、違う鞘に刀が収まるのが父を殺して奪った刀である証拠なのである。恋の鞘当だけでなく仇の証拠をつかむ鞘当ともなる。

 

  • 名古屋浪宅の場』では、南北さんお得意の毒薬も出てくる。お国の父・又平は伴左衛門に加担し、やり手のお爪との悪事。山三を殺そうと毒をしこむが、手違いから又平とお国が毒を飲んでしまう。お国はそっと山三を想っていたがその想いが叶い、瀕死の中、暗闇から葛木の元へ出かける山三に深編笠を渡し、お前が女房と言われ、手を合わせて死出へと旅立つのである。この場の幕開けから家に深編笠がかかっているのがわかり、ここで渡されるのかと納得する。家の中が暗いため、濡れ燕の小袖に着替えた山三はお国の状態を知らずに吉原へ出かける。小袖がローソクの灯りにきらきらひかり、模様の濡れ燕もお国の悲しさをおもわせる。お国の名前は名古屋山三と阿国の関係からかぶせているのだろう。お国の父の名が浮世又平であるが意図はわからないが何かあるのかも。

 

  • 名古屋浪宅の場』では、山三をめぐるお国と花魁葛木が出てくるが、女形が二役で演じるように工夫されている。こんぴら歌舞伎では猿之助(亀治郎)さんが二役で、山三が三津五郎さんである。雨が降れば雨漏りする家で、傘をさしたり、たらいを吊るして雨漏りを避けたりと大家や掛け取りとのやりとりも可笑しい。花魁の葛木が訪ねて来てそのアンバランスのやりとりとりや、ご飯の炊き方を面白可笑しく伝授したりとにぎやかな後に仇の話しが加わるという趣向である。

 

  • 芝居は濡れ場から殺しへと入っていく。お国は山三の錦絵を大切に持っている。娘が有名人や役者の錦絵を写真のように持っていたのがわかる。現代ではスマフォの画像であろうか。お国が山三の髪をなでつけるがその時流れるのが長唄の「黒髪」である。こういうあたりも心憎い演出である。お国の気持ちがよくわかる。鏡に映る山三とアザのある自分の顔。このあたりのお国の心情と山三のお国の心を知ってのしっぽりとへの流れがいい。その一方で又兵との悪巧み。殺しの場面へと入っていく。南北さんの細工は流々仕上げを御覧じろであるが、仕上げは、お国の哀しい最後である。

 

  • 鞘当』では、色男の山三の三津五郎さんは柔らかく、敵役の半左衛門の海老蔵さんも太々しさも垣間見せ、派手な衣装を着こなすお二人の役の違いが映える。留めの女・は猿之助さんで三役ということになりそれぞれを演じわける。お国の一途さとはかなさがが特に良い。猿之助さんは、ご自分の中で歌舞伎作品の分類化が明確にできているかたである。やはり、『名古屋浪宅の場』があると物語性が膨らむ。『名古屋浪宅の場』『鞘当』での『浮世柄比翼稲妻』を上演して欲しいものである。この作品、これだけではないのである。山東京伝の作品『昔語稲表紙(むかしがたりいなずまぞうし)』に出てくる名古屋山三と不破半左衛門の物語に、当時の世間に名高い白井権八と三浦屋小紫、幡随院長兵衛の話しを合わせてあるという。相当長くて複雑な芝居になっているようで、短いもので四世鶴屋南北作とあれば、その背後に大きく広がる物語があると考えたほうがよさそうである。〔浮世又平(秀調)、家主(市蔵)、やり手お爪(右之助・現齊入)〕

 

  • こんぴら歌舞伎で上演された所作事『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ) かさね』も四世鶴屋南北の作品『法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)』の一部分だが明治時代に清元の所作事として復活したもので、所作事なので役者さんの動きを見ているとあれあれ!と思う世界に引き込んでくれる。仮花道からすっきりとした立役の浪人・与右衛門の海老蔵さんが登場。本花道からは、与右衛門を慕って追いかけてくる腰元・累の猿之助さんの登場である。『色彩間苅豆』には、梅幸型と菊五郎型のふたつある。菊五郎型はふたりそろって花道からでる。小さい金丸座でさらに客席数が減ってしまうが『鞘当』で二つの花道をつかっているので贅沢な『色彩間苅豆』となった。

 

  • 次第に与右衛門は色悪となっていくのも見どころである。累は突然足が不自由になり、顔が醜くなってしまい、殺され、怨霊となって再び現れる。与右衛門の悪行が累にたたってしまうのである。与右衛門はかつて累の母と密通していて、それを累の義父・助にみつかり助を殺していたのである。川に卒塔婆と左目に鎌の刺さったしゃれこうべが流れてくる。卒塔婆には助の名前があり、与右衛門は卒塔婆を折ってしまう。すると累の足が不自由になり足を引きずって歩き、しゃれこうべの鎌を抜くと、累の顔が醜くなってしまうのである。そのたたりの恐ろしさに与右衛門は累に親の仇として討たれるかもしれないと、累を殺すことになる。演じる役者さんたちによって練りに練られて洗練されていき、月明かり、音楽、傘や帯ほどき、亡霊になっての引き戻しなどによって様式化されきた。海老蔵さんと猿之助さんでしっかり見させてもらった。

 

  • 法懸松成田利剣』は、醜い累が嫉妬深くて夫与右衛門に鬼怒川で殺され、その怨念が一族につきまとって様々なたたりをなすので、祐天上人が祈りによって解脱したという霊験譯をもとにしているらしい。累物は色々あり、南北さんがあったものから取り入れてさらに加えて自分の狂言を作りあげているのであろうが、そこのあたりは勉強不足である。『色彩間苅豆』は、かさねは自分の知らないところで悪があり、そこにはまって狂わされていくのが同情され哀れを誘うところで、時代の流れのなかで名作となった例であろう。清元を語るのは延寿太夫さん。尾上右近、清元栄寿太夫の二刀流の誕生も時代の流れのなかでの寿ぎごとである。

 

  • 南北さんの作品は、四月の歌舞伎座でもたっぷり観させてもらった。裏表といえば『四谷怪談』と『忠臣蔵』の関係もそうである。『四谷怪談』の大詰め「蛇山の庵室の場」は冬の場面であったのが、途中で夏のお盆の時期にかわり、夏の風物詩怪談物として受け入れられるようになったのである。南北さんは、あくまでも『忠臣蔵』と『四谷怪談』は表裏一体のドラマとして考えていたと思う。ただ『裏表先代萩』は、世話物としての要請があって小助を考えたようで、南北さんが最初から全面的に書いたわけではないようである。書いていながら、混乱してきたからもうやめた方がいいよという声が聞こえるのでこれまでとする。違う作品の映像もあるので、また、書きつつ探っていきたい南北世界である。『浮世柄比翼稲妻』の「名古屋浪宅の場」は浅草鳥越で、浅草関連の映画に今はまっているので、浅草の旅も加えつつ愉しみながら進めたい。さらなる声が、早く映画を観ようよと言っている。

 

四世鶴屋南北の旅(お葬式とお墓)

  • 四世鶴屋南北のお墓が、本所押上春慶寺にあるというので、訪ねる。地下鉄押上駅出口A2から出ると通りの向かいにあるはずであるがお寺さんらしい建物は無い。ビルの上に≪春慶寺≫とある。江戸のイメージが壊れた。帰るときには春慶寺のたどった経過をお聴きし納得させてもらった。せっかくなので先に北十間川から大きなスカイツリーを見上げ少し散策してお寺に向かう。
  • 春慶寺の前に立つがちょっと入りずらい。左横に『鬼平犯科帳』の「岸井左馬之助寄宿之寺」の石碑があり、鬼平の剣友である左馬之助を演じられた江守徹さんの名前も記されている。その横に、春慶寺の石碑がありさらに大きめの空間に鶴屋南北の提灯と鶴屋南北の石碑があり、その上のガラスケースの中にも石碑がある。下には、歌舞伎役者さんの名前がずらり。説明には、四世鶴屋南北の墓石は震災と戦災によって損傷し、劇作家・宇野信夫の染筆をもって新しい墓石が作られたとある。ガラスケースの中が、本当の墓石で、下は新しい墓石ということで、染筆(せんぴつ)とは、書画を書くこととあるので、新しいお墓の「鶴屋南北」は宇野信夫さん筆ということになる。
  • 思い切って中に入るが応答なし。まもなくご住職の奥さまが出先から帰られ、日蓮上人像を拝観させてもらい、鶴屋南北のお墓の話しになりいろいろ説明して下さった。さらに、そのお墓とお葬式についてのコピーがあるからとのご親切にそれを頂いてしまった。これは大変嬉しい鶴屋南北に関する参考資料となった。「死もまた茶番」(郡司正勝著『鶴屋南北』)と「鶴屋南北の墓」「南北の墓補遺」「鶴屋南北の墓 その後」(宇野信夫著『こころに残る言葉』)である。
  • 「死もまた茶番」によると、鶴屋南北が自分の死後の葬式の台本を書いていたのである。外題は『寂光門松後万歳(しでのかどまつごまんざい)』で、お弔いに万歳である。自分のお葬式をも自分流に演出してしまわれたとは、最後まで四世鶴屋南北である。奥さまは、『乗合船恵方万歳』と比較すると重なり合って替えたと想われる部分があると教えてくださる。勘三郎(十八代目)さんが春慶寺へ来た際、コピーをみせたところ舞台でやりたいと言われたそうである。郡司正勝著『鶴屋南北』は、鶴屋南北さんのことも分かりそうなのでさっそく読んだが薄ぼんやりと影が見えてきているがまだまだ霧のなかである。
  • 「鶴屋南北の墓」「南北の墓補遺」「鶴屋南北の墓 その後」では、宇野信夫さんが、春慶寺とお墓を見つけ、欠けて倒れていた墓石を石屋に頼み起こしてもらう。これでは誰のお墓かわからないのではという石屋の意見から、「なつかしや本所押上春慶寺鶴屋南北おくつきところ」と、別の石に彫ってもらいそばに立てたとあり、今もある。その時の住職さんは遊び人だったようで、宇野さんは次のように記している。「つきあってみると、なかなか味のあるいい人だ。南北が現代に生きていたら、必ずモデルにしたことであろう。」その後、若い僧が訪ねてこられ、地所が狭くなり南北のお墓を移動しなければならないことを報告されている。肩入れして下さる方がいて小さいながらもお寺の再建の目途が立ったようである。奥さまの話しだと檀家が三家だけの時があったとのこと。その後檀家も増え、元生命保険会社の建物を購入された。保険会社の売却条件が、建物を壊さずにこのまま使うならということだったそうである。なるほどと納得する。
  • 宇野さんは若い僧に会ってめぐらした思いは「江戸の昔、退廃と爛熟の作者鶴屋南北の骨を埋めた寺の住職に、将来おそらくはなられるひと、それは清純と透明の作家宮沢賢治に影響されて出家を志したひとである。私はいいようのない思いにとりつかれた。」とある。この若い僧が現住職さんである。住職さんは、次に訪れた柳島の妙見さまの法性寺からこられたかたであった。帰ってから頂いたコピーを読み知ったのである。
  • 春慶寺は「押上げの普賢さま」として信仰されてもいて、鶴屋南北のお墓の並び普賢堂がああり普賢菩薩さまを身近にお参りできるようになっている。前には「見返りの白象さま」が。このお寺の普賢さまが乗られている聖象は、見返りの姿で説明には、普賢菩薩様は六本の牙をもった白象に乗り、六本の牙は六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)の人の身心で、白い色は清浄を表すと。「六根清浄」と唱えるのはこのことですか。見返りということは反省でしょうか。さらに、開運普賢大菩薩さまのようです。
  • 宇野信夫さんは、学生時代に読んだ永井荷風さんの深川を歩いた文章の中に(『冬の蠅』)心行寺に鶴屋南北の墓に詣でたとあるが、その後、安政三年に出版された達磨屋無仏老人の著した『戯作者小伝』から本所押上春慶寺に四世鶴屋南北のお墓があることを知る。心行寺は、四世の孫である五世鶴屋南北のお墓である。四世南北が亡くなったのが、深川黒船町黒船稲荷神社内である。役者さんと閻魔堂橋、三角屋敷跡なども散策された荷風さんが位置的に心行寺に参られたのもうなずける。春慶寺にてお墓が起き上がるまでのいきさつが、これまた大南北さんらしい筋書のように思えた。

歌舞伎座 二月歌舞伎観劇始末記

  • 一か月公演の劇場は、千穐楽の日々である。歌舞伎座・二月歌舞伎は体調を崩し観劇予定の日に行けず、のびのびの思い切っての千穐楽の一幕立見席観劇となった。なんとか昼夜観ることができた。昼の部は通しで購入できたが、夜の部は『井伊大老』を見終わってからでは売り切れていると思いますとの係りのかたの説明。仕方がない、『暫』を観て、下におり並んで無事夜の部の通しを購入できた。それから、四幕目を観るために上の立見席へ。係りの方に「今からですか?」と言われるが説明する時間がないので「そうです。」のみ。『井伊大老』ラスト20分だけ観れた。

 

  • 一月に続いての高麗屋三代襲名披露である。昼の部、一幕で帰る人がいて二幕目から座れた。夜の部、ずっと立ち見なら途中で帰ろうと思っていたら、「隣、空いてますよ。」と教えてくださるかたがいて座れた。感謝。感謝。その後、周囲は皆さん通しで帰るひとがいなかったので、ここで座れなければ途中であきらめて帰ったか途中で何処か他の場所に座って仕切り直しとなったかも。記憶が薄れているが印象に残っていることを簡単に。『井伊大老』はもちろん立ち見。井伊直弼(吉右衛門)と側室・お静の方(雀右衛門)との最後の夜の語らいである。吉右衛門さんの直弼にさらに情の深さが増し、雀右衛門さんは自分が一番わかっているのであるからしっかりしなくてはという愛らしさに強さが加わっていた。お二人の濃厚な20分でした。

 

  • 幸四郎さんの染五郎時代、新作『陰陽師』の安倍晴明が源博雅に「おまえは、いいなあ。」とふっとつぶやいたあの一言の雰囲気と、能力がありながらどこか空虚さを感じている悲哀の一瞬がよくて、あれが古典で生かされないものかと思っていた。きました。『一條大蔵譚』。あほうを装っている長成は本心を打ち明ける日を待っていたのだと気づかせてくれたのです。もしかするとそんな日はこないとあきらめていたのかも。ところが、常盤御前(時蔵)を諌めるために、吉岡鬼次郎(松緑)とお京(孝太郎)が現れます。この二人が本物であることを見届けたときの長成の気持ちはいかばかりであったろう。奮い立つ鬼次郎をじっと見ておさえる長成。そしてあほうに戻る長成。晴明のときのあの一瞬と重なる。鬼次郎をふっと羨ましく思ったかも。そんなそぶりはみせませんが、私の中での役者幸四郎さんの一條大蔵卿が感じとれて満足でした。

 

  • 熊谷陣屋』では、魁春さんの相模が素晴らしかった。浄瑠璃のリズム感が身体に染み込んで、そこから動きが流れるように、それでいてきゅっと止も入り、押さえる悲しみ、こぼれ出る哀しみが舞台に漂っていた。そして、義経の菊五郎さんと弥陀六の左團次さんのやりとりに、ばあーっとかつての戦の様そうが浮かんぶ。義経は幼き頃の記憶で弥陀六はしっかり現在と照らし合わせてのかつての情景である。それが一つに重なっているのがわかった。今までには思い浮かばなかった絵です。義経の後ろにひかえている侍が歌昇さん、萬太郎さん、巳之助さん、隼人さんの若手で、毎日これを聴いて何を想い浮かべておられたであろう。しっかり聴いていてくれたであろう。幸四郎さんの熊谷は滞りなくであるが、最後の花道が、染五郎さんとの親子襲名もあり年代的にも熊谷と重なり胸に迫った。

 

  • 仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場』。お軽と平右衛門がダブルキャストであった。珍しいことである。偶数日が菊之助さんと海老蔵さん。奇数日が玉三郎さんと仁左衛門さんである。切符を予約するとき日にちだけで偶数か奇数か意識していなかったが、奇数日であった。となると、偶数日に立ち見である。新橋演舞場『喜劇有頂天一座』が偶数日の夜の部だったので、帰りに歌舞伎座に寄る。もちろん立ち見である。一幕であれば問題はない。菊之助さんは美しく、海老蔵さんも由良之助(白鴎)に相手にされなくても一生懸命に尽くし、密書を読まれたお軽の身請け話から由良之助の心がわかり、お軽に死んでくれとたのむ。笑いもありで、スムーズに展開していく。

 

  • では、玉三郎さんと仁左衛門さんとでは何が違うか。奥行が違うのである。お互いのやりとりに誘われて観客はいつのまにか笑わせられ、勘平の切腹の場面を思い起こさせられ、勘平さんが生きていないなら、なんで生きていられようというお軽の気持ちに引き込まれるのである。平右衛門は頭の切れる人ではなく、どちらかといえば鈍い人である。ただ自分なりのどうすればよいかを一心に考え仕える人であり情も深い。その辺の平右衛門の人間性もにじみ出ていて巾ができるのである。お軽もただ勘平一筋で、勘平がこのお軽の熱情に負けたのがよくわかる。お軽は公の人ではなく個の人である。仇討ちということはこちらに置いといてという女性なのだと今回思った。役と役者の大きさもみせてもらう。

 

  • 由良之助の白鷗さんは、どう変化するのであろうかと興味があったが、由良之助の基本は変わらなかった。いってみれば由良之助になりきっているのであるから、由良之助本人の考えた通りに行動し、ここをどう乗り切るかを考えだし、よしこうすれば上手く運ぶであろうという腹を決めていくのであるからぶれないのである。悟らせないのである。密書の手紙をお軽と斧九太夫(金吾)二人に盗み見されてしまうという一力茶屋での出来事。その手紙を力弥の染五郎さんは無事届け責任を果たされた。お軽を死なせることなく、勘平の手柄として九太夫を討たせる。平右衛門を仇討に加え、由良之助の事の次第のさばき方の大きさと由良之助の役者ぶりを通される白鷗さんである。

 

  • あとの演目は、お目出度い初春に演じられる曽我兄弟が春駒売りとなっての舞踏『春駒祝高麗(はるこまいわいのこうらい)』で華やかに。『(しばらく)』もお祝い劇でサイボーグのような鎌倉五郎が現れる荒事で豪快に。『壽三代歌舞伎賑(ことほぐさんだいかぶきのにぎわい)』は題名通りで、その豪華な賑やかさは歌舞伎ならではの主なる役者さん総出演である。誰さん、誰さんと思って拍手しているうちに終わって口上となった。二ヶ月間無事に公演が終わり、なによりの襲名興行でした。こちらも、この千穐楽から観劇復帰できた。

 

  • 今は四世鶴屋南北さんに引っ張られている。お墓のある春慶寺へ詣り貴重なお話も聴かせてもらえた。DVDの録画を整理していたら、2006年、四国こんぴら歌舞伎(22回)の映像が出て来た。三津五郎さん、海老蔵さん、亀治郎さんで演目は『浮世柄比翼稲妻(うきよがらひよくのいなづま)』と『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)』。三津五郎さんの名古屋山三の台詞がいい。じわじわと喪失感におそわれる。海老蔵さんの不破伴左衛門のこのトーンの台詞が荒事のトーンより好きである。亀治郎さん、この時猿之助を襲名しルフィを演じるとは考えていなかったであろう。この二つの演目、金丸座という芝居小屋に合っていて役者さんが舞台映えしている。これも鶴屋南北の作品である。ということで暫くは南北さんの世界に入り込むことにする。

 

歌舞伎座 四月歌舞伎『絵本合法衢』

  • 絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ) 立場の太平治』。「合法衢」が「合邦辻」と同じとは気がつかなかった。大阪で閻魔様にお会いできなかったのに、お江戸の歌舞伎座で大きな閻魔大王にお目見えでき有難いことである。さすが四世鶴屋南北、何のためらいもなく、次々と殺してくれる。数え間違いでなければ南北さん11人殺したことになる。左枝大学之助が6人殺し、立場の太平次が4人殺し、最後に左枝大学之助が殺されてしまうのである。左枝大学之助は仇として討たれるのである。実際にあった、合邦辻閻魔堂での仇討をもとにしている。

 

  • 左枝大学之助の配下に立場の太平次がいて、この二人は瓜二つで、悪にかけても同じで邪魔者は消せのやりかたで、この二役を演じられるのが仁左衛門さん。「立場(たてば)」というのは、旅人の休憩所で、宿場と宿場の間が遠かったり、峠越えなどのときに設けられた休憩所で<峠の茶屋>などもそうである。「間(あい)の宿」などもそうで、宿泊は許されていない。しかし、大井川の川留めなどのときは、旅人で膨れあがるので金谷宿と日坂宿の間にある間の宿・菊川宿は宿泊を許された。

 

  • 昼の部での『裏表先代萩』で菊五郎さんが演じられる下男・小助が着ていた襦袢が有松絞で、その血のついた袖が出てくるが、この有松絞の有松宿も間の宿である。江戸幕府の統制は細かいところまで規制していたのです。ところがそんな取り決めなどに従わないのが立場の太平次です。宿泊させています。殺しは当然夜でしょう。多数殺されますが、その人間関係を説明するのは難しいですが、観ていると難なくわかります。左枝大学之助は、近江国多賀家の分家の当主で本家乗っ取りを企んで、多賀家の宝をねらっている。

 

  • 大学之助が殺す1番目が中間の権平(「霊鬼の香炉」を盗んだことを知っている口封じ)。2番目が百姓の子供(気に入っていた鷹の羽を切った怒りからで、暴君そのもの)。3番目が多賀家家老・高橋瀬左衛門(「菅家の一軸」を手に入れるためのだまし討ち)。4番目がお亀(許嫁の与兵衛の仇と知っていて大学之助の懐に飛び込むが返り討ちとなり、与兵衛の夢に現れ告げる)。5番目が与兵衛(太平次に足を斬られ、合邦庵室で弥十郎に助けられるが大学之助に斬られ切腹)。6番目が太平次(太平次をかたずけた、との大学之助の台詞)。瀬左衛門、弥十郎、与兵衛は高橋家の三兄弟で与兵衛は養子にでている。次男の弥十郎と妻・皐月が敵討ちを果す。

 

  • 太平次が殺す1番目がおりよ(お亀と与兵衛の養母で、香炉を取り戻そうとして失敗し殺してしまう)。2番目がうんざりお松(太平次を好きで香炉を取り戻す手伝いをするが失敗し、邪魔になる)。3番目がお道(女房であるが、与兵衛を逃がしたため自分で手は下さないが仲間に殺させる)。4番目が孫七(高橋家の家来で悪巧みを知られたたためで、孫七は暗闇で誤って女房・お米を殺してしまうという悲劇あり)。太平次は大学之助のためと自分の欲のために殺しをするが、大学之助のそれを越えた悪によって殺されてしまう。多賀家の香炉と掛け軸の重宝を手に入れた大学之助は多賀家相続を申し出るため京に上るが、焔魔堂前で弥十郎夫婦に討たれるのである。

 

  • 殺しの凄惨さと同時に、手はずの失敗や、あちらもかたずけこちらもかたずけの慌てふためく太平次の可笑しさもある。それに対し大学之助の非情さは一貫している。太平次(仁左衛門)、弥十郎(彌十郎)、皐月(時蔵)、与兵衛(錦之助)、お亀(孝太郎)のだんまりもあって、これが、それぞれの役に合った動きで非常に綺麗な動きとなっていた。休憩の時、若いかたが「きれいだったなあ」といわれたのを聞いて、やはりそう思われたかと嬉しくなった。登場人物が多いが脇もしっかりと仁左衛門さんの悪の求心力を壊さない動きと台詞で面白くまわってくれた。

 

  • 裏表先代萩』も『絵本合法衢』も菊五郎さん、仁左衛門さんの二役ですが、舞台上での早変わりという派手さはなく、その人物像の違いを生身でみせるという熟練度での地味さでした。大南北さん、立作者となったのは50歳になってからだそうで、そこから75歳までの25年間で大きな活動をしたわけです。裏も表も知っていたからともいえるかな。お米も死んでしまうのだから南北さん、12人殺していることになる。

 

  • 絵本合法衢』のラストが面白い。京に上る大学之助の行列に弥十郎夫婦が駆けつける。駕籠めがけて斬りつけるが大学之助は乗っていなかった。悲嘆し自害する弥十郎夫婦。不敵な笑いを浮かべた大学之助が閻魔大王像の後ろから出てくる。この最後の舞台装置をみたとき、閻魔像の大きさに笑えたが、こういう大学之助の出があるのかと納得した。閻魔様の前で嘘をつてはいけませんよ。弥十郎夫婦の自害は見せかけだったのです。やります。これくらいでなくては、悪の権化大学之助を討つことはできません。そして、締めは、役者さんが並んで、「こんにちは、これにて」と終わるのです。これが許されるのが歌舞伎です。悪を美しくみせ、ふてぶてしさを笑いにかえる。そして、役からおりた役者さんまでみせる。かぶいてます。

 

  • 高橋瀬左衛門( 彌十郎)、おりよ(萬次郎)、うんざりお松(時蔵)、お道(吉弥)、孫七(坂東亀蔵)、お米(梅丸)

 

歌舞伎座 四月歌舞伎『西郷と勝』『裏表先代萩』

  • 今月の歌舞伎座は地味である。それだけにどのように観せ、どのように聴かせるかが難題である。『西郷と勝』は特に江戸城無血開城に向けての西郷隆盛と勝海舟のやりとりがいかなるものであったのか、どうお互いの想いが一致することができたのか。今回は、真山青果作『江戸城総攻』をもとに、かなり改訂されている。よいほうに改訂されているとおもいます。聴いていると勝つと負けるということの意味が逆転して返ってくるようで、ぐっと胸にせまりました。後ろの方のすすり泣きが伝わってきます。

 

  • 勝海舟(錦之助)は、山岡鉄太郎(彦三郎)と会い、慶喜をどうする気だと聞かれ、勝は慶喜にはとにかく生きてもらい、新しい日本を見てもらうのだと答えます。その秘策も勝にはあり、山岡は納得して駿府の西郷のもとに出立します。旧東海道の新静岡駅から少し南に「西郷・山岡会見跡の碑」があり、この会見でほぼ根回しされていたという意見もあります。西郷周辺の中村半次郎(坂東亀蔵)と村田新八(松江)は激しく口論している。すでに、品川、内藤新宿、板橋は総攻撃のため集まっているのに、西郷は門の外で鰯売りと長屋の人々との喧嘩をみているというのである。なんと呑気なことか。

 

  • 西郷隆盛(松緑)にとって、この喧嘩こそ大事なことであった。勝海舟が現れいよいよ話し合いとなる。西郷は自分が東海道を下って来て感じたことを話す。富士山、江戸の広さ、鰯売りと長屋の人々の喧嘩。明日のことなど考えも及ばず、いつものように生活している人々がこの広い江戸にどれだけ大勢いることか。もし、江戸総攻撃があれば、この人々は戦火のなかである。江戸だけではなく、戦争というものの実態が浮かび、原爆をも想起し、胸が熱くなった。

 

  • 西郷は、さらに、負けると思っていた戦にどんどん勝ってしまい、そのとまどいも話す。決して勝ったことにおごり高ぶってはいないのである。勝海舟も日本が二分して外国の介入をさせてはならないと説く。そして、勝海舟もこんな気持ちの良い負け戦はないと告げる。西郷の話しを聞いていた中村半次郎と村田新八も西郷の考えを理解し、三方の陣屋に総攻撃中止を伝えるために去るのである。松緑さん聞かせました。これってどこかで醒めてしまうと単調になるし、かといって熱くなりすぎても西郷の大きさが出ないしで、なかなか難しい長距離の台詞ランナーでしたが乗り切られました。錦之助さんも、主張すべきことは主張し、西郷の語りたいところは語らせ、自分があなたのことを充分に理解しているという信頼感を出し、二人の握手する姿にはその火花の熱さがしっかり伝わってきました。西郷隆盛と勝海舟、考えさせてくれます。

 

  • 裏表先代萩(うらおもてせんだいはぎ)』。「先代萩」といえば、伊達家のお家騒動を題材にしていて、乳人の政岡が執権の仁木弾正一味から鶴千代君を守るという話しであるが、それを表の話しとすれば、市井の人々にもその関係がつながっていて、裏の話しがあるとしている。表の悪を仁木弾正とするなら、裏の悪は誰か。町医者の大場道益・宗益兄弟は仁木弾正に鶴千代君を殺すための毒薬の調合をたのまれる。この兄弟も悪であるが、仁木弾正に対峙する裏の悪は、道益の下男・小助である。仁木弾正と小助の表裏の悪を演じるのが、菊五郎さんによる二役である。

 

  • 裏表先代萩』となっていますから、裏の悪から見せていきます。大場道益宅から始まり、道益(團蔵)は下駄屋に奉公するお竹(孝太郎)をくどいているがお竹はいやがっている。道益と宗益(権十郎)は薬により大金を得ており、小助はそれを知っていてお金を手に入れようと企んでいる。都合がいいことにお竹が父に金策をたのまれ、道益からお金を借りる。ところがその前にお竹は小助に言われ道益に借用書を書いていた。それが、道益が殺されお金が奪われた時にお竹に嫌疑がかかり、この裁きの場面が、「先代萩」の対決の場をお白洲の場面で展開するという形となる。仁木弾正と細川勝元の対決が、小助と倉橋弥十郎(松緑)との対決となるわけである。

 

  • では表はどうなるのか。お白洲の前に表が入ります。政岡(時蔵)、鶴千代(亀三郎)、千松の場面があり、千松が毒入りのお菓子を食べ苦しがり八汐(彌十郎)に殺される場面がある。栄御前(萬次郎)、冲の井(孝太郎)、松島(吉弥)と揃いしっかり表舞台も構成されている。床下で荒獅子男之助(彦三郎)と鼠との場面から仁木弾正の不敵な出となりゆっくりと花道を去っていく。小助⇒ 仁木弾正⇒ 小助⇒そして外記左衛門(東蔵)を狙う仁木弾正となり、援護された外記左衛門に討たれてしまう。細川勝元(錦之助)の登場で、お家騒動も無事収まるのである。鶴千代の亀三郎さんと千松の子役さんは台詞もはっきりと重い雰囲気の御殿の場で頑張られていた。

 

  • 毒薬が武家と庶民の悪をつなぐ、裏表の先代萩である。菊五郎さんの裏と表の悪の違い。人が良さそうでいてしたたかな小助が面白い。亡くなった息子の前で悲嘆にくれる時蔵さんの政岡の赤の着物が哀しくうつる。着物の色だけが一人歩きしない役柄の力というものを感じさせられた。この裏話は三世、五世尾上菊五郎が練り上げていった作品だそうで、観客を喜ばせる工夫を常に考えていたのでしょう。昔も今もその心意気は続いています。