歌舞伎座六月 『素襖落』 『名月八幡祭』 

『素襖落(すおうおとし)』は、狂言の『素襖落』を歌舞伎の松羽目もの舞踊にしたもので、肩の力を抜いて楽しめる。ただ、初演の時の外題は『素襖落那須物語』で、太郎冠者が『那須与市物語』を踊る。

さる大名(左團次)が、伊勢参宮を思い立ち、同道を約束していた伯父のもとに太郎冠者(幸四郎)を使いに出す。伯父は留守で娘の姫御領(高麗蔵)が出立の祝いに酒を振る舞ってくれ、素襖まで与えられる。太郎冠者は、素襖を主人にとられては困ると隠し持ち帰る。お酒が過ぎて、主人の質問にも答えられず、上機嫌で小舞を舞い、小袖を落としてしまう。大名は素襖を拾い、太刀持鈍太郎(彌十郎)も加わり三人で踊りつつ素襖を奪い合い退場となる。

伯父宅での姫御領、次郎冠者(亀寿)、三郎吾(錦吾)の踊りがあり、賑やかなお酒となる。酔った太郎冠者は、壇ノ浦の合戦での那須与一が平家側の船上の扇を射落とした踊りと仕方話が繰り広げる。高麗蔵さんの姫御領が科白といい姿といいすっきりとしており、亀寿さん錦吾さんの踊りもきりりとしていて、幸四郎さんが「那須与市物語」入る雰囲気作りが出来上がっており、幸四郎さんの酔いながらの物語は洒脱であった。伯父宅を辞してからの酩酊ぶりも楽しく、ダレることなく、左團次さん、彌十郎さんとの素襖を挟んでの愉快な取り合いとなり息の合った舞台に仕上がった。

『名月八幡祭(めいげつはちまんまつり)』 実際にあった深川の芸者殺しが芝居となり、そのうちの河竹黙阿弥作『八幡祭小望月賑(はちまんまつりよみやのにぎわい)』を池田大伍が書き換えた作品である。

母一人子一人で真面目が取り柄の越後縮を行商している縮屋新助(吉右衛門)が、自由奔放な深川芸者美代吉(芝雀)に惚れこむ。その場しのぎの美代吉は、新助の一世一代の決断の深さを理解できず、新助はその裏切りが許せず、深川八幡祭礼の夜に美代吉を殺す結果となる。美代吉の性格を知っている魚惣(歌六)は、新助にああいう女はやめておいたほうがいいと忠告し、まさか真剣に惚れているとも思っていなかった。祭りを前に宿賃も勿体ないから一日も早く田舎に帰るという新助を、深川八幡の祭りを見てから帰ったらいいと引き留めてしまう。そのことが、新助を美代吉の住む生活に係らせてしまうのである。

美代吉は、旗本の藤岡慶次郎(又五郎)を旦那にしている。それでいながら遊び人の船頭三次(錦之助)を情夫にしている。この三次が美代吉に博打のお金をせびり、美代吉はそのために借金がある。深川芸者として名を売る美代吉はお祭りのために百両の金が必要である。三次にまた金をせびられ、新助のいる場で三次に愛想尽かしをし、その場の気分で新助に借金を申し込む。新助は、田舎の家、田畑全てを売り百両こしらえる。ところが、藤岡が手切れ金として百両届けてよこす。お金ができれば、新助のお金に要はない。新助はいいようにあしらわれる。一途さゆえに新助は狂乱し、美代吉を殺してしまう。

それぞれの生き方の違いが明確に表現された。純朴な働き者が、自分には手の届かないと想っていた女性と一緒になれる喜びを吉右衛門さんは徐々に変化させ、一気に狂乱へと突き進んでいく。芝雀さんは、その場限り楽しければ好いという深く考えない姉御肌の芸者美代吉を作り上げる。そんな美代吉を姉御と持ち上げ、美代吉と同類の三次・錦之助さん。武士として綺麗な遊び方をする旗本の又五郎さん。それが、新助を落とし込む結果となる。もう一人、新助の人間性を見誤った面倒見のよい歌六さん。それぞれの生き方がどこかで、新助の本来の生き方を違う方向に変えてしまう作用をしてしまうのである。本水を使っての殺しの場面の後、新助は祭りの若い衆に担がれて花道をさる。月が、何事もなかったように美しいのが物悲しい。

 

歌舞伎座六月 『蘭平物狂』

『蘭平物狂(らんぺいものぐるい)』 この演目は、現松緑さんが、四代目を襲名したときの襲名興行演目でもあった。この演目は立廻りが半端でない動きで、見せ場のひとつでもあるのだが、襲名の時は不満であった。立ち回りが不満だったのではなく、息子繁蔵にたいする蘭平の慈愛が紋切型でこちらに響いてこないのである。今回はそれを一番期待し、今の松緑さんはどう表現するか楽しみであった。待ってた甲斐があった。特に繁蔵を探し繁蔵の名前を呼び回る時の一声、一声の抑揚が違い、どこにいるんだという焦りと不安が出ていた。そこを納得できたので満足であった。大河改め三代目左近さんがこれまた小さな身体を大きく見せての大奮闘である。

『蘭平物狂』は浄瑠璃の『倭仮名在原系図(やなとがなありわらけいず)』の四段目で、現在はこの段しか上演されない。在原とくれば業平で、在原業平といえば、『伊勢物語』のモデル、歌人で六歌仙の一人などが有名である。『倭仮名在原系図』は、業平の兄・行平(ゆきひら)の須磨に流されていた時の松風との恋物語に、皇位継承争いなどを取り込んだ話である。その話の四段目だけであるから、人間関係を理解し、立ち回りを楽しむとなると、頭の回線に油が必要である。さらに、この蘭平、刀物を見ると乱心するのである。凄い事を考えつくものである。このことを知っている行平は、蘭平が気に食わないと刀を抜いて蘭平を乱心させる。操ってしまうのだから恐ろしい。ところが、蘭平のこの奇病は計略のための偽りであった。蘭平は実は行平に滅ぼされた伴真澄(ばんのさねずみ)の子・義雄である。ところが、ところが行平はさらに上手で、蘭平=義雄と見破っていたのである。

行平(菊五郎)の奥方水無瀬御前(菊之助)は、夫が松風のことを忘れられず籠りがちなのを気にかけ、松風に似た与茂作(團蔵)の女房りく(時蔵)を松風としてめあわせる。喜ぶ行平のもとに罪人が逃げたという知らせがあり、その捕縛に蘭平(松緑)は刀物を見ると乱心するので息子の繁蔵(左近)を行かせる。蘭平は息子の事が気がかりで行平の言いつけも上の空である。怒った行平は刀を抜く。ここで、蘭平の乱心ぶりが披露される。ここは、行平が松風に与えた烏帽子と狩衣を使っての蘭平の踊りで、乱心を上手く使った見せ場である。

与茂作夫婦は、蘭平の素性を明らかにさせるための行平の回し者で、蘭平はそうとは知らず行平の罠にはまってしまい追われる立場となる。ここからが、立廻りの見せ場となり、追われながらも蘭平は、息子繁蔵はどこにいるのかと気をもみ心配にくれるのである。繁蔵は手柄をたて、与茂作実は行平の家臣・大江音人(おおえのおととど)の家来として、父を捕らえにくる。息子に対する慈愛から蘭平は繁蔵に捕らえられるのである。

このお芝居を見た時は、刀を見た時の乱心の面白さ、りくの松風になりすます可笑しさ、繁蔵は蘭平の息子という関係、大立廻りのダイナミックさあたりを楽しんだ。その後、行平の策略、蘭平の子を想う親心などが見方として加わり今回の『蘭平物狂』になったのである。

役者さんも若さまかせの躍動感のある動きから、内面の心情表現が加わり、二転、三転のどんでん返しがある話の筋と、それらが上手く舞台という時空の世界で展開され、観客と融合する沸騰点にまで高まり、消えていくのである。そういう経過を辿る芝居の典型が『蘭平物狂』にはあると思う。そして、左近さんの初舞台にふさわしい演目であった。いずれは、松緑さんの芸を捕らえなくてはならないのである。

 

歌舞伎座六月 『実盛物語』 『大石最後の一日』

『実盛物語』 浅草公会堂 新春浅草歌舞伎 (第一部)での『義賢最期』に続く話である。木曽義賢の妻・葵御前(梅枝)は義賢の子を身ごもっており臨月である。その葵御前を匿っているのが百姓の九郎助夫婦(家橘・右之助)である。そこへ清盛の男の子が生まれたら殺すようにとの命を受けて、斎藤実盛(菊五郎)と瀬尾十郎(左團次)が検分にくる。九郎夫婦は窮して、孫の太郎吉が琵琶湖で拾ってきた白幡を握りしめていた片腕を、葵御前が産んだと差し出す。実盛は瀬尾を帰るように仕向け、白幡を離さずやむなくその女の片腕を切り落としたことを語る。その女の名は小万。小万は太郎吉の母であった。その片腕の手から白旗を離す時、太郎吉が指を一本、一本伸ばしてやると動くというのも、『三十三間堂棟由来』と同じように子に対しての反応である。その小万(菊之助)の死骸が運ばれてきて、片腕をつけて呼ぶと生き返り皆に別れをいうのである。

葵御前は無事男の子を出産する。瀬尾は戻ってきて、太郎吉に討たれるように自ら仕向ける。実は、小万は瀬尾の娘だったのである。自分を討つ事によって、孫の太郎吉に源氏の家来となれるよう手柄を立てさせたのである。太郎吉は自分は武士になったつもりで、母の敵の実盛を討とうとするが、実盛は、大人になったら討たれてやると約束して去るのである。

「平家物語」を下地としているので、巻の七にある「実盛」では、手塚太郎光盛に討たれるが、この太郎吉が芝居のなかで手塚太郎光盛の名をもらい、実盛の最後の先のほうのことまでを想定してこの芝居は作られている事になる。思慮深い実盛を菊五郎さんは、重くせず晴れやかな別れとして演じられた。その中で、菊之助さんの小万は源氏側としての執念をしめし、息子の太郎吉にその意思を伝える道筋をつくるのである。出は少ないが、『義賢最期』から繋がる小万の心を通す必要性がここにある。

『大石最後の一日』 仇討を終えた内蔵助(幸四郎)の最後の願いは、赤穂浪士が英雄としてではなく<初一念>で奢ることなく最後を向かえる事である。内蔵助は細川家に共にお預けとなっている浪士磯貝十郎左衛門(錦之助)のことが気になっていた。内蔵助の勘は的中し、磯貝と婚約したという娘が男装して小姓となり内蔵助と面談する。娘おみの(孝太郎)は、磯貝のおみのに対する心は本心なのか、それとも大事の前の世間を欺く偽りだったのかを聴きたいという。内蔵助は磯貝が琴の爪を懐に隠し持っていたのを知っていた。内蔵助はおみのに会う事によって、磯貝に迷いの生じることを懸念する。しかし、おみのの覚悟のほどもわかり、磯貝にも世に心残りなく<初一念>で死を向かえさせたく、おみのと磯貝を会わせ本心を伝えさせるのである。ここに至る内蔵助の人をよく見抜く細心さと、大きさを幸四郎さんは腹で演じられた。磯貝の本心を知ったおみよは自害するが、その覚悟のほどを孝太郎さんはしっかり内蔵助と対峙し盛り上げる。磯貝は錦之助さんのはまり役で、迷いとそんな自分にうろたえる戸惑いを乗り越え切腹の場所にすすむ。そして最後の一日の締めくくりとして大石は<初一念>を胸に安堵して花道を去るのである。

一つだけ残念なところがあった。上使の荒木十左衛門(我當)が、切腹を告げる。そして、そっと、吉良家は断絶となったことを告げる。その言葉に幸四郎さんは、声高らかに喜びを表現された。ここは、歌い上げて欲しくなかった。喜びはわかる。内蔵助は押さえ、他の浪士たちの喜びで充分伝わり、内蔵助の心の内はいかほどであろうかと想像するほうが、全体の出来上がりからするとよかったように想う。今回は幸四郎さんは全て受けの深さで通して欲しかった。好みの問題である。

細川家の子息細川内記役の隼人さんがしっかりした科白で 平成25年12月国立劇場 歌舞伎公演 (1) の主税からさらに一歩成長されていた。内蔵助とおみの橋渡し役である彌十郎さんも好演であった。

歌舞伎座六月 『お祭り』 『春霞歌舞伎草紙』 

『お祭り』 やはりこれから書くことにする。仁左衛門さんの『お祭り』での歌舞伎座復帰は2回目である。兎にも角にも復帰され何よりである。始終ホロ酔いの心持よさそうな笑顔で踊られた。からみの若い衆は千之助さんである。大きくなられた。以前テレビで、仁左衛門さんが何か舞台のことで注意されたらしく悔し涙を見せた。でも仁左衛門さんの言っていることは間違ってはいない、正しいと言われていたのを思い出す。事実であるから一層悔しかったのであろう。これから、身体もどんどん成長し、長くなる手足のやり場に困るかもしれない。同じにやっても形がとれなくなることもあるであろう。仁左衛門さんの粋な鳶頭が、絡む若い衆をを軽くいなし、楽しんでいる様子がほのぼのとしていて、お酒の酔い具合に色気があった。千之助さんは仁左衛門さんにからみつつ、どうしてあんなに軽く踊れるのだろうと思われているかもしれない。三津五郎さんに続いて本当にお帰りなさいである。

『春霞歌舞伎草紙(はるがすみかぶきぞうし)』 出雲の阿国(時蔵)の一行が京に着き、華やかに踊る。出雲の阿国の恋人である名古屋山三(菊之助)が現れ楽しかった日々を懐かしみ、山三は阿国に新しい歌舞伎踊りが見たいという。この作は長谷川時雨さんで、山三は現身ではなく霊である。阿国と共に新しい趣向の歌舞を創りあげた楽しさを求め、さらに霊になってまでもそれを探す山三。時雨さんは山三の出現をこのように設定したのである。時蔵さんの阿国は貫禄充分で、若衆に亀寿さん、歌昇さん、萬太郎さん、種之助さん、隼人さん、女歌舞伎に、右近(尾上)さん、米吉さん、廣松さん等を引き連れている。若手の役者さんの踊りにも次第にそれぞれの個性が出てきはじめている。山三が出現したくなる艶やかな舞台である。

長谷川時雨さんは大変魅力的な女性である。夫で流行作家の三上 於菟吉(みかみ おときち)の援助をうけ、「女人芸術」を発行する。その際には、平塚らいてう、岡田八千代、柳原白蓮、神近市子、平林たい子、山川菊枝等多数が協力する。この雑誌から育った人も多く、林芙美子、円地文子、太田洋子、佐多稲子、尾崎翠などがいる。さらに与謝野晶子、岡本かの子、長谷川かな女、山本安英等が執筆している。女性でこれほど、様々な方向性の女性達に執筆の発表の場所を提供した人は他にいない。明治末から、大正初期には、歌舞伎の脚本を書き、六代目菊五郎等と舞踏の発表会を催している。少し探ってみると、スケールの大きな女性である。

昨年の11月には、三津五郎さんと菊之助さんが『野崎村』と『江島生島』をやる予定であったが、三津五郎さんが休演となり、菊之助さんが座長で頑張られた。この時の『江島生島』も長谷川時雨の作であった。江島(尾上右近)と生島(菊之助)の逢瀬と別れ、島に流された生島は気が触れて江島を想い彷徨うのである。菊之助さんがリードされたが、右近さんにとっては大役で江島の位の大きさに届かなかった。

機会があれば、他の長谷川時雨さんの作品も上演して欲しいものである。

松竹大歌舞 中央コース 猿之助・中車襲名披露 (公文協)

演目は『太閤三番叟』『襲名口上』『一本刀土俵入』である。気構えなくても楽しめる演目である。

『太閤三番叟』 『三番叟』も幾つか種類があるが、『太閤三番叟』は<太閤>であるから、秀吉が舞う三番叟である。大阪城が出来上がったお祝いに、太閤(市川右近)自身が三番叟を舞うのである。正室の北政所(笑也)が翁を、側室の淀君(笑三郎)が千歳を舞う。笑三郎さんのほうが笑也さんより貫禄があり、北政所と淀君のタイプとしては反対の気もするが、それはこちらに置いておく。千歳は露払いをし、翁は国の繁栄と安泰を祈る。笑三郎さんは優雅に力強く、笑也さんは品格を持って舞われた。翁が去り、千歳が鈴を持って待ち構えていると、三番叟の右近さんの出である。軽快な出である。顔の作りが良い。金の剣先烏帽子に真っ赤な上衣に白の袴。黒い瞳がはっきりしていて、文楽の人形のようである。多少操りの要素もあるのであろうか。表情は崩さない。それがまたよい。身体はリズミカルに切れよく動く。柴田勝家の残党との立ち回りが舞いながら行われる。邪魔にならない立ち回りである。久方振りに右近さんの踊りを堪能した。

『四代目市川猿之助・九代目市川中車襲名披露口上』 幹部として片岡秀太郎さんと坂東竹三郎さんが参加された。猿之助さんは、中者さんとがっぷり四つに組みたいので『一本刀土俵入』を演目に選んだと言われた。原作者の長谷川伸さんとは縁があり、猿之助さんの祖父である三代目段四郎さんと高杉早苗さんの仲人でもあった。秀太郎さんは澤瀉屋の初演の『一本刀土俵入』では、子守りで出ており、竹三郎さんも出演していたそうである。中車さんは、猿之助さんと組める演目で喜ばれていた。(右近、笑也、猿弥、月乃助、弘太郎、寿猿、笑三郎、門之助)

『一本刀土俵入』 この組み合わせで観て一番感じたことは、花道の短いホールということもあってか、前半は駒形茂兵衛がお蔦に感謝し、最後はお蔦が茂兵衛に感謝して、二人の立場が対等であり五分と五分の関係になったということである。お蔦はいつ帰るとも知れない夫を待ち、酌婦として荒れた生活をしているときに関取を目指す茂兵衛に会い、お金と櫛、かんざしまで与えてやる。茂兵衛に、かなうかどうかわからないが光を見たのである。

茂兵衛は関取どころか博徒となっていた。ただ、お蔦の夫はいかさま博打をして追われる身となっている。茂兵衛が博徒だからこそ救えた底辺の家族である。茂兵衛もその家族に光をみることができたのである。茂兵衛のお蔦に何回もお辞儀をする姿とお蔦が茂兵衛に何回もお辞儀をする姿に、同じ底辺に生きる人のつながりが見えた。それは、ある意味、中車さんがまだ舞台役者の途中でもあるこが原因でこうした面白いかたちになったのだと思う。

前半はお蔦の猿之助さんが引っ張ていく。芝翫さんに習った形で演じると口上でいわれていたが、美しいお蔦でさわやかである。中車さんがリアルになる自分を消そうと意識しているのが垣間見えるので、そのほうが良い。そして後半での茂兵衛は、股旅者の恰好よさもあるのであるが、中車さんはまだそこまで出せない のである。そのことが、今まで見た『一本刀土俵入』では感じられない印象を受けたのである。それはそれでいいのだと思う。これが中車さんの声であるという声もまだできていない。科白まわしもである。映画やテレビの香川照之と別のところに自分を置いているのが判る。これが見えなくなった時歌舞伎役者中車の味がでてくるのであろう。歌舞伎役者猿之助さんと歌舞伎役者中車さんとの取組は始まったばかりである。

 

 

歌舞伎『三十三間堂棟由来』・映画『三十三間堂通し矢物語』

三十三間堂は、『平家物語』によると、清盛の父の忠盛が、鳥羽院が願っていたので三十三間堂を建て一千一体の仏像を安置したとある。鳥羽院は大変喜ばれ、但馬の国を与えさらに内裏への昇殿を許したのである。文楽等では鳥羽院ではなく、白河法皇となっている。実際には、後白河上皇の時、平清盛の財力で建立が妥当なのであろう。

歌舞伎の『三十三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)』を初めて観た時、解りやすく感動した記憶がある。お柳になった魁春さんが儚い雰囲気で、心の決め方もきっぱりと見せてくれ、柳の模様の衣裳も効果的で印象的であった。調べたら、国立劇場で(2003年)での公演で、歌舞伎鑑賞教室であった。歌舞伎鑑賞教室は歌舞伎に接したことの無い人にも気軽に鑑賞してもらおうとの企画で、学生さんなども、教師に引率されて観にきている。お柳の夫・平太郎が信二郎(現錦之助)さんで好演であった。(中村魁春、中村錦之助、中村歌江、市川男女蔵)

<紀州熊野山中鷹狩の場>では、お柳と平太郎の出会いの場であり、鷹が柳の枝に鷹狩ようの紐を絡ませてしまい動きがとれない。そのため鷹の持ち主が柳の木を切ってしまおうとする。それを、平太郎が弓矢で糸を切り、柳の木を助けるのである。柳の精は、命を助けられる。さっきの鷹主が面子をつぶされたと仕返しに来た時、柳の精は柳の葉で平太郎を隠し助けるのである。この場面は趣向もこらされ、初心者には目にも楽しいものとなる。

三十三間堂は、映画『三十三間堂 通し矢物語』の映像の中でもたっぷり出会うこととなる。成瀬己喜男監督の初の時代劇である。敗戦の年の1月から5月まで撮影が行なわれ6月に公開された。京都ロケの撮影中空襲警報で中断され、東京はこの間に空襲で焼け野原となったのである。検閲も時代劇という事で免れた面がある。

通し矢は、朝六時から翌日の六時までの間に、120メートル先の的を射る矢の数を競うものである。星野勘左衛門が記録を作り、十八年後、18歳の和佐大八郎がその記録を破った事実をもとにしている。この映画を見たあとで三十三間堂を訪れたら、和佐大八郎の額があった。それ以前に訪れた時は、記憶に残るほどの関心を示さなかったのである。

映画では大八郎(市川扇升)の父が、星野(長谷川一夫)に敗れ自害し、そのため大八郎が星野の記録に挑戦し、見事破るのである。大八郎を助け指導した人物が実は、星野であったという筋である。

旅籠小松屋の女将お絹(田中絹代)は未婚であるが、父の亡き後しっかりその宿を守っていた。大八郎の屋敷に2年間行儀見習いに居たことが縁で、大八郎を預かり星野の記録を破るべき五年間導き仕えていた。大八郎は17歳になっているから、10歳から成長を見ているわけである。ついに大八郎の通し矢の日程が決まる。ところが大八郎は弓の腕前に伸び悩んでいた。そこに、星野とは知らず、弓の指導を受けることとなる。一人で練習していた大八郎にとってそれは、力強い応援であった。しかし、大八郎は紀州藩、星野は尾州藩。藩の思惑、星野家の弟の家名のこだわりから、大八郎の邪魔をし、名をかくしていた星野の存在が大八郎に知られてしまう。この辺りのそれぞれの心理と、若者ゆえの迷い、それを見守る星野、見極めがつかぬお絹の揺れが成瀬監督らしい丁寧さで進む。旅籠の室内、武家の茶室の撮る方向など現代物と変らぬ成瀬監督好みである。

通し矢の庶民の盛りあげかたも、三十三間堂の見物人にお寺の者が説明し、辻講釈師に語らせ、噂話でテンションを上げてゆく。そんな中で、星野は自分の意思を通し、自分の誉れよりもそれを乗り越えていく若者の背中を押す。お絹が「立派なお方です」と云わせる恰好良さで終わらせる娯楽時代劇の痛快さをもきちんと盛り込み、秀作となっている。

監督・成瀬己喜男/脚本・小国英雄/撮影・鈴木博/出演・市川扇升、長谷川一夫、田中絹代、田中春夫、葛城文子

このほか成瀬監督の芸道ものは、『桃中軒雲右衛門』(月形龍之介、細川ちか子)、『鶴八鶴次郎』(長谷川一夫、山田五十鈴)、『歌行燈』(花柳章太郎、山田五十鈴)、『芝居道』(長谷川一夫、山田五十鈴)などがあり、長谷川一夫さんは、成瀬監督が、素知らぬふりをして、芸人の世界に通じていたことを、「これは親切な人でね。いけずの親切ですからね(笑)」といわれている。

桃中軒雲右衛門のお墓が旧東海道品川宿の天妙国寺にあるらしい。後から後から見つかって、手に負えない。困窮。

さらに、『三十三間堂棟由来』<平太郎住家の段>のCDを購入していたのである。浄瑠璃が竹本越路大夫さん、三味線が野澤喜左衛門さんである。越路大夫さん引退後も、住大夫さんは指導を受けに訪れられていた。いい声である。それだけに住大夫さんの鍛錬のほどがわかる。進めば進むほど困窮。箱根の峠越えどころの話ではない。天下の嶮がどこまでも続いている。

 

歌舞伎座 『團菊祭五月大歌舞伎』 (夜の部 2)

『極付 番隨長兵衛』。町奴の頭・番隨院長兵衛と旗本・水野十郎左衛門の命の取り合いであるが、水野の屋敷の湯殿で浴衣姿で素手の長兵衛を水野が槍で殺すという卑怯な命の取り方である。町奴と旗本奴の白柄組(しらつかぐみ)とは、小競り合いが絶えなかった。

芝居小屋(江戸村山座)で芝居の最中に、水野の家中のものが暴れ芝居を中断させてしまう。それを見かねた長兵衛が仲裁に入り事を収めてしまう。それを水野が桟敷で観ていて、これまでの経緯もあり殺意を抱くのである。

花川戸の長兵衛宅へ水野から宴の誘いがある。子分や兄弟分の唐犬権兵衛が罠だと言って止め、さらに女房のお時、息子の長松も行くのを止めてくれと頼む。しかし長兵衛はここで男を立てなければ末代の恥と、死を覚悟で水野の屋敷へでかける。

水野の屋敷で、お酒を振る舞われて、そのお酒を家来が長兵衛の着物にこぼしてしまう。これは申し訳ないと、気持ち悪かろうお風呂でさっぱりして下さいとすすめる。長兵衛は断るが、再度のすすめに腹をきめ、湯殿に向かう。そこでだまし討ちに遭うのであるが、もとより覚悟のうえ。水野が槍を構えて現れ、水野に対する啖呵の科白が海老蔵さんきまっていた。殺すならころせいと胸をはだける覚悟の程がきっぱりきまる。長兵衛の男伊達である。

このお芝居、お芝居の中にで芝居が演じられ、その観客と歌舞伎座の観客とを一緒にしてしまい、ことを収めるため長兵衛は観客席から現れ現実のお客様を、芝居の中のお客様として扱う。この辺りはお客様に対する柔らかさと、邪魔者に対する威圧感と大きさが必要である。

もう一つ面白いのが、湯殿が出てきて、そこが長兵衛の死に場所となることである。刀もなく、浴衣である。その姿で、死に際の潔さと大きさを表現しなくてはならない。そして、人の子である長兵衛と長松との親子の別れも見どころであるが、今回は湯殿での男伊達が光っていた。

長兵衛(海老蔵)、お時(時蔵)、唐犬(松緑)、子分(男女蔵、亀三郎、亀寿、萬太郎、巳之助、右近、男寅)、役者(松之助、市蔵、右之助、家橘)、近藤(彦三郎)、水野(菊五郎)

『春興鏡獅子』。最後が大曲の舞踊である。菊之助さんであるから、『娘道成寺』や玉三郎さんとの『二人道成寺』の面白さもあって、わくわくしていた。誘い出され、一旦引っ込み再び出てきて挨拶をして踊りが始まる。美しいし、身体の全てが流麗に動いていく。ところが、何か単調である。ここぞというところが伝わってこない。さらさら流れていく。牡丹の花のところか。 「散るは散るは 散りくるは散りくるは ちりちりちり 散りかかるようで面白うて寝られぬ」 ここでもこない。獅子頭に引っ張られるところで何かが起こるか。起こらない。う~ん。なぜなのだ。帰ってから、他のかたの『春興鏡獅子』を見た。どこかしらで、静ではあるが内面の起伏が伝わる。どうしてなのか。こちらの力の無さか。残念ながらわからないのである。しいて言えば、優等生の踊りなのか。

 

歌舞伎座 『團菊祭五月大歌舞伎』 (夜の部 1)

『矢の根』」。<矢の根>は、羽のほうではなく、根の鏃(やじり)のほうのことである。石の鏃となると、黒曜石が美しいと思うが、それは横に置いておいて、歌舞伎では鉄であろう。曽我の五郎が一生懸命この矢の根を砥いでいる。これも<毛抜き>同様特大の矢である。正月から矢の根を研いでいるのであるから、父の敵の工藤祐経 (くどうすけつね)を討つための心根と思ってもよい。矢の根を研ぎつつの科白の中に七福神の名前が出てくる。ここで、戯曲を読んでおくのだったと、後悔先に立たずである。どうも七福神の悪口らしいのである。これは目で読んで耳で聞くべきである。そこへ、よくわからない人が年始の挨拶にくる。これは、五郎を演じている役者さんに、大薩摩(演奏の方)が舞台の上で年始の挨拶に来たらしいのである。かつては実際にやっていたらしいのであるが、今は大薩摩の方も役者さんが演じて、かつての形を、演じるという手法になっている。初めて観た時はなんじゃなの世界である。

この年始に頂いたの宝船の絵を枕の下に入て五郎は寝るのである。この五郎の衣装も凄いのである。黒地に大きな蝶の模様が素晴らしい。松緑さん負けてはいない。襷(たすき)が太くて紫とブルーのねじりである。これを外して寝る。衣装が綿入れであるから、寝るといっても大変である。後見さんが肩を入れて五郎の背中を支える。五郎は夢をみる。兄の十郎が現れ、工藤に捉われていると告げる。目を覚ました五郎は兄を助けるべく支度をする。外した襷をかけるのであるが、後見さんが二人がかりで取り掛かる。これも見せ場の一つで、出来上がると拍手である。背中に蝶の羽ねのように、太い襷が形よく出来上がる。正式には<仁王襷>と呼ばれている。

五郎は、大根を積んだ馬に、馬子を蹴散らして乗り、兄のもとへ駆けつけるのである。ムチの替わり大根を振り上げて。花道を力強く進んで去るのである。この大根はお正月なので、初荷を現している。大きな五郎を乗せた馬の足が細く見え、馬の役者さんは、何ともご苦労様である。荒事の大きくて、少年の遊び心を舞台にしてしっまたような演目である。

あの砥いだ鏃の矢、せっかくだから、背中に背負わせたかったものである。このアイデアだめかな~。そうなると弓も持たなくは形にならないか。最後は庶民の食材である大根に花を持たせたのであろう。

五郎(松緑)、十郎(田之助)、大薩摩太夫(権十郎)、馬子(橘太郎)

 

 

歌舞伎座 『團菊祭五月大歌舞伎』 (昼の部 2)

『毛抜(けぬき)』。名前のごとく、<毛抜き>が重要な働きをするのである。観たらな~だとおもってしまうが、江戸時代の人は現代の『ガリレオ』の湯川博士の科学的根拠による解明と思って楽しんだのかもしれない。湯川博士ならぬ粂寺弾正(くめでらだんじょう)は、これまたド派手の衣装で花道から現れる。このかた、芝居の途中で~くめちゃんは~と書きたくなるような愛嬌をみせる。

小野家のお姫様が文屋家の若君と婚約しているのが病気のため輿入れが延びている。そこで文屋家の家来・粂寺弾正が催促の使者となり小野家に乗り込むのである。歌舞伎の衣装は派手目が多いがこの衣装も凄い。馬子にも衣装ではなく、まずは衣装に負けない大きさが大事である。左團次さんは似合っていた。こちらはピカピカのグリーン系の模様裃であるが、他の写真で團十郎さんは黒地に赤の火焔模様の裃、着物は黒地に銀の衣装である。推理が解けても、再演されれば、役者さんの芸や衣装など、また新たな目が動く。

お姫様の病気は髪の毛が逆立ってしまうという奇病である。一人になった弾正は考える。考えつつ、毛抜きを取り出して、髭を抜くのである。その毛抜きが超大きいのである。後ろのお客にも見えるように。置いた毛抜きがひとりでに立つのである。大きくないとインパクトが無い。映像のアップである。鉄の物が立ちあがる。姫君の美しく結い上げられた髷には、鉄製の華やか笄(こうがい)が。これは、櫛、かんざしなら日によって変えるかもしれないが、笄は髷を結うための飾り道具である。上手く考えている。弾正はこの笄を取る。すると髪の毛の逆立ちも静まるのである。曲者は天井にあり。弾正の手により、曲者は天井から落ちてくる。大きな磁石を抱えて。全て、小野家の悪家老の仕業であった。弾正は悪家老の首をはね一見落着である。

<くめちゃん>と言いたくなるのは、一人のとき、お茶やたばこを運んでくる、美しい若衆や腰元に戯れをするのである。そして振られては、「面目次第もござりません」と客席に振るのである。左團次さんは声の質から、低音であるが、團十郎さんはこのあたり、高音であったなあと思い出す。最後の花道でも、これで無事役目が済みましたと客席に挨拶する。左團次さんは、襲名口上などで、緊張を和らげる可笑しな話を盛り込んで楽しませてくれるが、役になると、これが可笑しみのあるところでも、客に媚びた崩しかたはしない。形破りではないのでる。この磁石には、江戸の人は凄いと思ったであろう。科学に弱い者は、湯川博士を凄いと思うのであるから。

この楽しい演目が終わると重い『勧進帳』である。ただ歌舞伎の場合、重さの中にも、軽さを入れている。ただ軽いというのではなく、そのことによって、その役の大きさを現す手段である。たとえば、弁慶がお酒を振る舞われて昔の秘め事を話しつつ、豪快に飲む場面などである。そして、酔いに任せ延年の舞となる。機嫌よく舞っていると思いきや、舞いつつ早くこの場を立ち去れと四天王に合図するあたりで、弁慶は油断させていたのかと、弁慶の大きさを感じるのである。花道の上げ幕が上がる前、『勧進帳』の緊張感は、大鼓や笛によって強調され、他の演目にない静寂である。この出は役者さんの緊張も大きいことであろう。ただ能と違い歌舞伎には三味線がつく。その軽快さが、能とは違う楽しみがある。

今回、花道で安宅の関にさしかかり、どうしたものかと思案するところで、弁慶が義経達に、私にお任せ下さいという科白が耳に残った。色々な思いがあり、新たな團菊祭としての響きと重なった。。

弁慶と義経の並々ならぬ主従関係に目をつむる富樫によって救われたあと、義経が自分の運命に嘆くとき、弁慶が長唄に乗り戦話をする。 「鎧にそいし袖まくら片敷くひまも波の上。或る時は船に浮かび、風波に身をまかせ、又或る時は山背の馬蹄も見えぬ雪の中に海少し有り、夕波の立ちくる音や須磨明石。」 今回はこの場面がで義経一行がどれだけ頼朝のために戦ってきたのかが想像が広がった。ここは新たに、追われる身でも自分たちは武士(もののふ)であるという誇りと結束を確認する場面でもあったのだと気が付く。

そのつど、心に呼びかける強弱の場面が違うのも、生の舞台の面白さである。そのきかっけとして しまなみ海道  四国旅(7) での義経の奉納した刀を思い出したからでもある。瀬戸内海に漂う船、馬、鎧、翻る旗、太刀、飛び交う矢などが、戦話を観ていてうごめいたのである。

あらゆる想いが安宅の関で凝縮され、無事通ることが出来る。捕らえられるべき富樫によって凝縮された時間を与えられるのである。姿なき富樫に弁慶は頭を下げ花道から飛び六法での引っ込みとなるわけである。

『毛抜』 左團次、権十郎、松江、梅枝、巳之助、廣松、男寅、秀調、団蔵、友右衛門

『勧進帳』 弁慶(海老蔵)、富樫(菊之助)、四天王(亀三郎、亀寿、萬太郎、市蔵)、義経(芝雀)

 

 

歌舞伎座 『團菊祭五月歌舞伎』 (昼の部 1)

<十二世團十郎一年祭>。團十郎さん亡き後も團菊祭が催されて喜ばしい事である。

菊五郎さんの『魚屋宗五郎』が、今まで観た中で一番と言ってよいほどの宗五郎であった。妹のお蔦が主人の殿様に、不義の罪でお手打ちになってしまう。そんな中、今日はお祭りである。近所の人から威勢よく声を掛けられても、宗五郎は小さくなって花道で挨拶をする。お蔦の戒名をもらってきた帰りである。

家に帰ると知り合いの人も弔問に来てくれている。客が帰ると宗五郎の父も出てきて女房のおはまと、使用人の三吉も加わり、悲しみと納得のいかなさから皆溜息である。恨みがましいが、貧乏のどん底の時、お殿様がお蔦を見初めてくれて一家は助かっている恩もあり、不義となればいたしかたないと宗五郎は皆をたしなめる。筋道を立てて物事を考える物のわかった町人である。

そこへ、お屋敷勤めのおなぎが先にお酒を届け、お悔やみにくる。おなぎはお蔦は不義ではなく、悪巧みの密議を聴き、そのために計略にかかり、不義としてお殿様に惨殺されてしまったと真実をはなす。皆は、なんということか、あのお蔦に限ってと思っていた気持ちが救われる。そして、妹思いの宗五郎は禁酒していたお酒を飲むのである。回りの者も飲まずにはいられない宗五郎の気持ちを理解し飲ませたのであるが、宗五郎は酒乱である。次々と酒を要求する。次第に酔っていく。観ていて宗五郎の気持ちがわかるのである。押さえていた気持ちがお酒の力を借りて次第に外へほとばしり始める。それまで殊勝な一人の庶民が自己主張し始めるのである。お酒の力を借りるというところにこの芝居の面白さがある。道理をわきまえていたはずの宗五郎が変身していくのである。この変身には、酔い加減と柔らかさ、周囲の嘘のない立ち回りが必要である。また始まってしまったと女房の時蔵さん。わが息子ながらだらしがないと父親の団蔵さん。親方に楯ついては怒られる三吉の橘太郎さん。お酒を持ってきたのが間違いであったとおなぎの梅枝さん。それぞれの役柄で変身を止めようとする。

ついに宗五郎は屋敷に談判に出かけるのである。作者は河竹黙阿弥、初演は明治である。おそらく観ていた観客は自分のことのように大喝采だったと思う。

お屋敷での玄関先とお庭先でもしっかりと変身宗五郎を見せてくれる。言いたいことが今度はお酒のために上手く表現できない。その気持ちを受け止めるのが、家老の左團次さん。しっかりと受けてくれる。家老がしっかりしているので、お殿様の錦之助さんが品よく素直に頭を下げても、不自然ではない。ありえることに思えてくる。お殿様から金一封を頂き、宗五郎は辞退しつつも、「どうしようか」と女房に尋ね「せっかくだから頂いておいたら」と答えるあたりの庶民感覚も最後の締めを明るくする。

玄関先で唄など気持ちよく口ずさんで寝てしまうところなどは江戸っ子の粋なところである。そして足腰を踊りなどで鍛えているため、酔った状態を作っていると思わせる負担のない自然さが、観ている者を楽しませる要因でもある。今回は、江戸の庶民の生業をそっくり舞台に乗せてくれた。まな板の上の宗五郎さん。出刃でも庖丁でももってきやがれ。うい~。