井原西鶴作品からの拡散・西鶴・秋成・京伝・春水(2)

雨月物語』(円城塔・訳)。最初の物語「白峰」は主人公が逢坂の関を越えて東国の歌の名所を巡る旅に出たらしいのです。そして旅路の表現になります。

「尾張に入れば浜千鳥の足跡続く鳴海の浜を、先に進めば富士の山をと心惹(ひ)かれるものばかり、駿河の国の浮島が原、清見が関に杖をとどめる間にも、風にたなびき行方も知れぬ富士の煙を我が身に重ね、ようやく相模の国は大磯小磯の浦々をすぎた。」として、武蔵野、陸奥鹽竈(むつしおがま)、出羽の象潟と続くのです。この主人公は誰でしょう。西行です。なるほどです。引っ張り方がなかなかです。

先に読んだ時よりも物語の場所に実際に行った場所が増え身近な気分にさせてくれました。

映画『雨月物語』も見直さなければです。

通信総籬』(いとうせいこう・訳)。えん次郎がヤブ医者のしあんと喜之助を誘って吉原へ出かけその中の様子を描いているのです。その前に喜之助宅での様子も書かれています。喜之助の女房は「宣徳の火鉢の上に掛かっている広島薬罐(やかん)から」茶をついで出し、喜之助は半戸棚から豆の混ざった金平糖をだします。<宣徳の火鉢>とか<広島薬罐>などはどんなのかなと思いますがいとうせいこうさんはさらぬ注釈をつけていて、その注釈を読むだけでも興味ひかれます。<金平糖>など食べ物も豊富にでてきます。

さらに登場人物の着物や小物なども微細に表現されています。喜之助の女房は、更紗の風呂敷を前掛けがわりに帯にはさんでいます。オシャレですね。

山東京伝は浮世絵をならい挿絵も描いていましたので、ファッションなどにたいしても目がいくわけです。それは西鶴にもいえるのです。西鶴さん、挿絵も描いていたのです。

同時代人として、酒井抱一、葛飾北斎がいたのです。

春色梅誉美』(島本理恵・訳)。男女の色恋沙汰が描かれていて大ベストセラーになった作品です。元々は吉原の唐琴屋でのことでした。唐琴屋の養子だったはずの丹次郎は今では隠れ住む身の上に。丹次郎の許嫁で唐琴屋の娘・お長。唐琴屋の売れっ子花魁の此糸(このいと)。丹次郎の面倒を見る芸者の米八。女性三人はよく知った仲なのです。ただお長と米八の想い人は丹次郎なのです。二人の想いに火花がちらちら。そこに唐琴屋の客・藤兵衛が絡み、腹黒い現在の唐琴屋の経営者などが位置しているのです。

単純なようで登場人物の心情と事の起こりなどが絡み合っていて最後に上手く落ち着くと言った筋立てです。一人称で書かれていて、当時こんな書き方をしていたのかと驚いたのですが、そうではなく訳された島本理恵さんのより楽しめるようにとの配慮でした。これまた現代語訳の面白い試みです。

会話が生き生きとしていて、読みながら歌舞伎を観ているような感覚にされました。

この作品がベストセラーとなり、今度は米八の恋敵となる仇吉を主人公にした『春色辰巳園(しゅんしょくたつみのその)』が発表されます。その原作をもとに歌舞伎『梅ごよみ』が出来上がるのです。2004年の『梅ごよみ』の仇吉の玉三郎さんと勘三郎さんの辰巳芸者の恋の立て引きと意地の張り合いがたまりませんでした。

たわいない話を二人の役者さんが役者の味わいで見せてくれるのです。辰巳芸者とはこうであろうと思わせてくれるのです。実際にはどうであるか判らないことを、そうよね、こうっだたのよね、と思わせてくれるのが舞台の面白さであり、芸の立て引きでもあります。スター性もいいですが、この芸の立て引きがないと物語性が薄まることもあります。

為永春水さんは、幕府の統制がますます厳しくなって出版禁止処分に引っかかったりするのです。『春色梅誉美』の挿絵は柳川重信ですが、あの『(くらら)』(朝井まかて著)にも登場する渓斎英泉とも組んでいるのです。絶えずうごめいている江戸文化です。

作家と楽しむ古典』はこの全集で訳された方々の興味深い作品への想いや、試みへの工夫などを読むことができます。

気軽に読めて楽しく、三浦しをんさんの『菅原伝授手習鑑』では三つ子の三兄弟の勤め先がそれぞれ立場の違う人に仕えるのですが、松王丸の悲劇はこの勤め先によるわけです。それを世話したのは道真公で、三浦さんは、松王丸をライバルの藤原時平に仕えさせたのはライバルの様子を探るためではないかと推測されています。全然考えてもいなかったのでこれまた驚きの展開へと導いてくれました。

「寺子屋」の悲劇の場所は、日本の文字を読める人の多さに貢献し、江戸文学を楽しむ読者を増やしたことでしょうからこれまた面白い展開です。

好色一代男』は、『伊勢物語』パロディ化でもあるそうで、そうなれば『伊勢物語』も読まなくてはです。この全集なら読むのが楽しみであり娯楽の範疇ともいえるのが嬉しいです。

追記: デルタ株、これでおさえられるのであろうか。おさえてもらわなければこまる。国内での実態の検証は?

000788445.pdf (mhlw.go.jp)

有料動画配信 歌舞伎『桜姫東文章    上の巻』、文楽『傾城阿波の鳴門』『小鍛冶』

 

歌舞伎『桜姫東文章』は、二幕第二場の「三囲の場」が円熟度満載の仁左衛門さんと玉三郎さんのやり取りが大変気にいり、その場を5、6回観てしまいました。わずか10分の場面なのです。

桜姫東文章』は、かつて「玉三郎の世界」という放送があって、1982年南座公演のダイジェスト版を紹介していてその録画があります。ダイジェスト版なので「三囲の場」はありません。様々な展開がある中でこういう場があったのですね。後半はもっと激動的な流れになるわけですから、ちょっとこの場は全体の流れから雰囲気の違う見せ場でもあります。

世の中からはみ出してしまい、桜姫の子供を抱える清玄と桜姫が三囲神社の土手で出会い、あっ!と思った時には闇となりすれ違って別れてしまうのです。言ってみれば、桜姫と清玄は心が通い合うことのない関係なのです。宿命なのです。その関係をふっと忘れさせるような場面でお二人のセリフは聞いているだけで気持ちの好い響きと抑揚でした。

花道から桜姫、土手から清玄の出で、そこに流れるのが「身にしむる雨にもうきめを三囲の、、、」の唄の独吟なのです。

録画の画面には、権助と桜姫の濡れ場では「恋による花も思いのひとりくも 濡れぬ昔が 結ばれなる闇の髪」の歌詞がうつしだされています。後半の殺しの場面でも歌詞が映し出され、この作品は唄もとらえて見るとぐっと面白さが増すと感じ、それも考慮して見直しました。清玄と白菊の「江の島児ヶ淵の場」も唄を耳にして観るとまた違った味わいがありました。

三囲の場の舞台装置の図

国立劇場で『桜姫東文章』の公演をしています。調べたら2000年でした。当時の幸四郎さんと染五郎さんでした。染五郎さんの女形はまだ少し硬いと感じましたが、『桜姫東文章』の内容はその時わかりました。「三囲の場」は記憶にありません。生き残った清玄が出世して登場し、なるほどこういう流れなのかとそれからは肩の力を抜いて鑑賞した記憶があります。

歌舞伎の『桜姫東文章』がかつての玉孝コンビでが36年ぶりなら、文楽『傾城阿波の鳴門』は国立文楽劇場の本公演では33年ぶりの上演だそうです。よく上演されているような気がしましたがそうなんですね。

親を訪ねてきた巡礼の娘が、誤って父親に殺されてしまうという悲しい物語ですが、母親のお弓の嘆きが身につまされます。娘・つるを祖母に託し、お家の宝刀を探すため、盗賊になっている夫婦。そこへ娘が現れますが、盗賊で追われる身と母は泣く泣く娘を巻き込みたくないと帰すのです。やはりと後を追います。父は娘とは知らず巡礼の子の持っているお金を借りたいと頼みますが騒ぐため口をふさぎ誤って殺してしまいます。そこへもどったお弓。自分が名乗ってととどめておいたならこんなことにはならなかったのに。

これまた浄瑠璃と三味線を中心に見直しました。

小鍛冶』は、もちろん歌舞伎の『小鍛冶』と比較しながらわくわくして楽しみました。相槌のところは火花が出るのです。これは映像だとよく見えて効果抜群でした。それぞれの面白さを観ることができ一件落着です。こちらは床本がありましたのでそれを見つつさらなる鑑賞もできすべて満足の映像鑑賞となりました。

<ユーチューブ 傾城阿波の鳴門>で検索すると、様々な「巡礼歌の段」を鑑賞することができます。

ユーチューブはテレビで見れることが解りましたので、こうして次々と情報がわかると時間がどんどん押されて嬉しいような困るようなです。

西鶴さんに戻らなくては。

追記: 出血大サービスにひかれて映像をみました。浄瑠璃の太棹での三味線演奏家さんの爪の手入れを見たことがありますが、長唄の三味線でも同じように手入れするのですね。長唄の声のためにの荒治療にも驚きました。というわけで『音楽驛』視聴しましてじっくり聞かせてもらいました。

出血大サービス! | 市川弘太郎オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)

追記2: 『好色一代男』で主人公の世之介は二十歳の時長屋に住む娘のところに無理やり婿入りしてしまいます。そのあとに「婿入りしたその夜に毒殺された小栗判官にならなければいいけどね。」と西鶴は書き足しています。小栗判官の説教節に例えているのです。小栗判官の話も色々に脚色されていて、歌舞伎でも、スーパー歌舞伎Ⅱ『オグリ』では殺されて閻魔大王にあっています。近松門左衛門の原作も加味した『當世流小栗判官』では死んではいませんが、娘・お駒の嫉妬によって、目が見えなくなり不自由な身体になるという話に変わります。西鶴さんは近松さんの物語を読むか見るかできたのでしょうか。気になるところです。歌舞伎の『當世流小栗判官』はギリギリで視聴でき久しぶりに鑑賞できました。

歌舞伎オンデマンド|歌舞伎美人 (kabuki-bito.jp)

えんぴつで書く『奥の細道』から(4)から歌舞伎座『小鍛冶』

えんぴつで書く『奥の細道』から(4)からなぜ歌舞伎座『小鍛冶』かといいますとえんぴつで書く『奥の細道』から(4)で能の『』の紹介をしました。『』が再度観たくなりました。その同じDVDに能の『小鍛冶』も録画されていまして観たわけです。

さらに歌舞伎の『小鍛冶』の録画もありました。そのことは2013年に記していました。

2013年11月2日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

そこで友人がダビングしてくれた狂言の『釣狐』と白頭の『小鍛冶」が観れなかったとあります。観たいという執念でしょうかそのDVDを処分せず残しておりました。ただのものぐさですが。ふっと思ったのです。友人の機器はブルーレイが観れるといっていました。もしかしてそれかな。今の機器はブルーレイが観れるので試してみたところ映ったのです。その嬉しさといったら。これはお狐様のお告げで歌舞伎座の澤瀉屋の『小鍛冶』を観るべきだと。

「芸能花舞台」で解説の利根川裕さんが澤瀉屋の『小鍛冶』は能に近いと言われていたのです。

というわけで四月歌舞伎座は一部の『小鍛冶』だけの観劇です。

舞台は紅葉の時期で、三條小鍛冶宗近(中車)が登場しますが衣装がはっきりした濃紺で舞台に映えます。中車さんは舞台人として板に身体がなじんでこられました。上手に赤い稲荷の鳥居。宗近が参拝に訪れたわけです。本来は文楽座の出演なのでそうですが、今回は竹本でした。

童子(猿之助)の登場です。登場場所はわらぼっちからです。狐は豊作の神様でもあります。稲を食べる野鼠を退治してくれるからです。だから稲荷神社でもあるわけです。紅葉は火とも重なります。

童子の出としても可愛らしくていいです。童子は手に稲穂を持っています。童子は過去の名剣についても語ります。語るといっても竹本の語りで身体表現をするのですが、動きの良い猿之助さんですので安心して鑑賞させてもらいました。

狂言の『釣狐』では人間に化けた狐が面白い動きをするので、この童子はどんな狐の動きをするのかなと注目していました。消える前に大胆に飛び跳ねました。

次は長唄で巫女(壱太)、宗近の弟子4人(笑三郎、笑也、猿弥、猿三郎)の5人による間狂言の踊りで本来は3人なのだそうですが今回は5人で楽しませてくれます。猿翁さんに厳しく訓練された役者さんだけに心配なしです。巫女は袖を朱の紐でまとめていて、その材質が柔らかくふわーっとしていて顔に映えて明るい巫女となりました。宗近の相槌がいないという話もしています。

童子は実は稲荷明神でした。稲荷明神(猿之助)は白頭でした。頭上には狐。歯を金にしてましたが、金泥の能面を意識されたのでしょうか。

次の場面がいよいよ刀つくりとなるのですが、そこに座っているだけでも風格をあらわしてくれるのが勅使橘道成の左團次さん。舞台の重みが増します。

再び竹本となり胡弓もはいっていました。宗近は稲荷明神の相槌を得て軽快につちを打ちます。リズミカルな音楽性も豊かな場面です。竹本の三味線のテゥルルルルルの音は初めて聞いたような気がしますが。

稲荷明神は途中で遊びに行くように場を離れますが、遊んでいる場合じゃないでしょといいたくなる余裕の体です。笑えました。時々狐の足もみせてくれて緊張感のなかにも可笑しみがあります。

無事、小狐丸の名刀もできあがって稲荷明神は揚揚と花道を飛ぶように去っていきます。それを見送る小鍛冶宗近と橘道成。これが澤瀉屋の『小鍛冶』なのだと鑑賞できて満足でした。

あとは赤頭と文楽の『小鍛冶』ですが、今月文楽は大阪で公演しているそうで何とか映像でも良いので観たいものです。それぞれに工夫が多い作品です。

画像が悪いですが能の童子と稲荷明神です。(能では稲荷明神の使者の狐としているようで、黒頭、白頭ではその狐の設定もちがっているようです。)

観世流の童子

観世流の黒頭の稲荷明神の使者

宝生流の童子

宝生流の白頭の稲荷明神の使者

十七歳の時の勘九郎さんの稲荷明神、隈取が狐を表しています。長唄の『小鍛冶』は宗近との相槌の場面だけでした。

(今月の『小鍛冶』の舞台の画像は制限がかかっておりますのでご自分で検索してみてください。)

能『』のDVD鑑賞は今回笑ってしまいました。老人が僧に近辺の名所を案内するのですが突然急いで去っていくのです。消えるのですが、それを観ていて、そうよね名所を案内してる場合じゃないですよ。六条の河原院に想いを馳せてもらわねばと思っていましたら、融の大臣が気品のある姿で現れたのです。内容は知っているのですが、こちらの雑念が通じたようで能がぐっと近くなりました。

狂言『釣狐』がこれまた今までにない面白さでした。狐が人間に化けて狐を罠にかける猟師にそれをやめさせようとするのですが、うまく化けたかどうか水に姿を映して確かめたりする動きが鋭角的であるのになんともユーモアにあふれています。歌舞伎舞踊『黒塚』で鬼婆が自分の影を振り返るのと雰囲気が似ていたり、ぴよんぴょんと軽く跳んだり急にすり足で動いたりと目が離せません。

さらに奥州の殺生石の話を持ち出して狐は死んでも妖力があるので恐ろしいのだと脅すのです。

この殺生石は芭蕉さんも寄っています。旅としては通り過ぎています。場所は日光と白河の間である那須温泉に殺生石はあります。

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芭蕉は日光のあと黒羽(くろばね)城下に入ります。那須野を越えて九尾の狐が埋められたと伝わる玉藻の前の古墳を訪れます。さらに那須神社の八幡宮へ。屋島の戦いで、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とすなどの功績をあげた那須与一ゆかりの八幡宮です。那須与一は義経について従軍しました。さらに雲巌寺に寄ったあと那須温泉に向かいそこで殺生石をみています。

玉藻の前という絶世の美人は鳥羽上皇と契りを結びますが、玉藻の前は妖力を持った狐の化身で鳥羽上皇は病に伏せてしまいます。陰陽師が対峙しますが玉藻の前は那須野に逃れさらに討伐の軍の矢に射られて死にます。ところが毒石となるのです。毒を発し近づく生き物を殺してしまうのです。

現在でも硫化水素や亜硫酸ガスなどの有毒ガスを発しているといわれる場所です。(危険な時は見学させないそうです)

釣狐』ではその話をして猟師を脅し罠を捨てさせるのです。さて狐と猟師はその後どうなるのでしょうか。

狂言の猿(靭猿・うつぼざる)から始まって狐(釣狐)に終わるという作品のひとつです。

そんなわけで芭蕉さんは様々な伝説の地も見学されているのです。それだけ情報もとりいれていたわけです。

追記: 今月の歌舞伎座の『小鍛冶』のお話を巫女で出演されている壱太郎さんがされています。解りやすくてお見事です。是非どうぞ。

「小鍛冶」の見どころを解説【四月大歌舞伎】 – YouTube

追記2: 三津五郎さんの『馬盗人』の録画を観ました。チャプリン顔負けです。シャボン玉売りの『玉屋』はご本人は柔らかくが難しいと言われていましたが、動きが綺麗で内容も解らないまま見惚れていました。そう簡単には処分できないです。

「三谷文楽」から文楽、歌舞伎へ(4)

これは『曽根崎心中』と『天網島時雨炬燵』を観なくてはと録画を探したらに二作品を一気に放送してくれていたのがあったのです。2006年に国立小劇場で上演されていた。パンフレットでは『曽根崎心中』が第二部であり、どうやらどうやら第三部の『天網島時雨炬燵』を鑑賞していたようである。

心中物には敵役と情に厚いひとが登場するが、『曽根崎心中』の九平次は本当に腹立たしい人である。醤油屋・平野屋の手代徳兵衛は親方に返さなくてはならないお金を九平次に貸すのである。ところが九平次は、借りていないという。印を落とし届けていて徳兵衛の持っている借用書はそのあとの日付だから徳兵衛はかたりだというのである。窮地の徳兵衛。それがもとで徳兵衛と天満屋の遊女お初は心中をすることになる。

「天満屋の段」はお初が徳兵衛を打ち掛けに隠し縁の下に導き入れる。そこには九平次もきていて徳兵衛の悪口をいう。お初は徳兵衛の悔しさを察し死ぬ覚悟を足でたしかめる。徳兵衛はお初の足を自分ののど元に持っていきその覚悟を知らせる。それによりお初も覚悟する。有名な場面の誕生でもある。

天神の森での心中となるのであるが、お初は白無垢に着替え、水色のしごきである。このしごきを縦半分に切って結んで長くし二人の体をつなぐのであるが、このしごきをつかっての二人の悲しくも美しい動きとなり、刀で二人は息絶えるのである。この場面が美しいので『其礼成心中』のおかつさんが実際には美しくはないと強調するのである。

お初がこのしごきを実際に切っているいようなので何か仕掛けがあるのであろうと思った。今回、文楽、歌舞伎、映画等と録画を整理したのである、もう一本文楽の『曽根崎心中』の録画があった。2002年、秋田県小坂町の康楽館で上演されていたものである。人形遣いのお初は蓑助さんで、徳兵衛は勘十郎(この時は蓑太郎)さんである。2006年と同じであった。案内も両方とも山川静夫さんである。

水色のしごきがカミソリで切れていく仕掛けをみせてくれたのである。糸でぬってあってかみそりを充てると糸を引っ張って半分に切れていく形となるのである。

康楽館には花道があるので、蓑助さんの提案で、天満屋を去る場面と天神の森への出の場面を花道を使ったのである。空中を動くお初と徳兵衛は足も地に着かずという心持であろうから違和感はなかった。映像では一方向からであるが、両方向のお客さんに満足されてもらうみせどころであったとおもわれる。アンコールで蓑助さんは花道からで180度に対してわかる細やかな人形の遣い方であった。劇場によってその雰囲気にも多少変化がでてきて同じ演目でもあきなかった。

天網島時雨炬燵』は、妻子ある紙屋を営む治兵衛(勘十郎)が、曽根崎新地紀の国屋の遊女小春(和生)との心中である。すでにふたりは心中の約束をしていたがなかなか会うことができない。小春を探して河庄の外に立つ治兵衛。中では小春が頭巾を被った侍の相手をしている。そして小春は心中しなくていいようにしたいと告げるのである。それを聞いた治兵衛は裏切られたと脇差を小春めがけて投げつける。

侍は治兵衛を格子に縛り付ける。それをはやしたてる恋敵の太兵衛。それをいましめる侍。侍は治兵衛の兄の粉屋孫右衛門(玉女・現玉男)であった。

孫右衛門は小春が心中する気がないので安心する。ところが、小春の心変わりが治兵衛の妻おさんからの手紙によるものだとわかるのである。孫右衛門は治兵衛と小春の間に入り、小春の心情を思いつつも手を切らせようと苦心するのである。この孫右衛門の情を出すのが難しいと住大夫さんは話された。

映像のほうにはそのあとの治兵衛宅「天満紙屋内の段」がない。治兵衛は自宅に帰る。おさんは夫の様子から小春が自分の手紙で心中を思いとどまったことを知り、小春は一人で死ぬつもりだと察知し小春を助けるために算段する。今度はそのおさんの気持ちに対して二人は申し訳ないと心中の道を選ぶのである。

簡単にいえばそうなるが、かなりほかの人とのお金と人間関係もあり複雑にからみあっている。

歌舞伎の『心中紙屋治兵衛 河庄』は、文楽とは趣がかなり違っている。まず丁稚がおさんの手紙を持参し小春に渡すのである。この丁稚が愛之助さんであった。(1997年大阪松竹座収録・歌舞伎名作撰))そのため観客も早々と小春の心変わりを理解するのである。小春(秀太郎)はひたすらじっと耐える。事情を知らず裏切りと思う治兵衛(藤十郎)は腹立たしさから小春を懲らしめようとし、それを止める孫右衛門(富十郎)とのやりとりがなんとも可笑しさをともなう見せ所となっている。

治兵衛と孫右衛門の浪花ならではの間の取り方とテンポは絶妙である。孫右衛門には本心を打ち明けたくなる小春を押さえる役目もある。その難しさがありながら笑いも入れるという歌舞伎ならではの「河庄」である。

文楽と歌舞伎の持っていき方の違いが分かりやすい演目の一つかもしれない。上方歌舞伎のほうは役者が演じているうちに工夫が加わり変化していったのであろうか。この間は真似をしようと思っても簡単にはいかない芸域である。

三谷ワールドが個人的嗜好から勝手な味付けができて本人は自己満足しています。

整理していたら断捨離できなくなりました。録画して忘れていた面白い組み合わせの舞台もでてきたのです。観るだけ見て録画するだけしての現在ということでしょう。ぬり絵していけるかな。努力しましょう。

追記: 緊急事態宣言延長のうちに新型コロナの変異株の拡大を防いでほしいです。ワクチンで希望が出てきたのに敵は手ごわいです。先におさえこまなければ。

追記2: 東日本大震災から10年。様々な報道がなされていた。被災地で当時10歳だったお子さんも成人されたわけである。成人された方が10年を通して見てきたことから自助ではどうすることもできないこともありますと語られていた。つらい状況をしっかり見つめられ前をむいて生きておられている若い力にこちらが光を当てられているようなパワーをいただいた。

追記3: 新型コロナの変異株のなかには、感染力が強く、15歳以下の子供たちの感染が多くなっているともいわれている。科学的検証をしっかりしてもらい対策を早急に検討していただきたい。若い力が未来に羽ばたけるように。

追記4: お気に入りは冷蔵庫に張れるミニホワイトボード(100均)。気がついた時に買い物の品物を書き込みスマホで写真に撮って買い物へ。バーッと記憶のままに品物を選び、じゃまにならないところで写真を見る。買い忘れたものを足してレジへ。有料配達も上手く利用して自転車で。

若いお母さん方電動自転車でお子さん乗せて頑張っています。電動はもう少し先の楽しみにとっておきます。

高田馬場から歌舞伎『三谷かぶき 月光露針路日本 風雲児たち』&シネマ歌舞伎(2)

2019年6月に歌舞伎座で上演されたのが『三谷かぶき 月光露針路日本 風雲児たち』である。三谷幸喜さんの歌舞伎二作目である。『月光露針路日本』を歌舞伎調で読むと、『つきあかりめざすふるさと』となる。

月光とくると榎本健一さんの『月光価千金(げっこうあたいせんきん)』が浮かぶ。

三谷かぶき 月光露針路日本 風雲児たち』については、2020年6月17日に少し触れていたのでその部分を載せます。

▶ 三谷幸喜さんは歌舞伎の台本も書かれていて演出も。『月光露針路 日本風雲児たち』(つきあかりめざすふるさと)で原作はみなもと太郎さんの長編マンガ『風雲児たち』からである。映画『おろしや国酔夢譚』を観ていたので内容は分かっていたが、ロシアの宮廷をどう描くのかが興味あった。さすが歌舞伎役者さんと舞台装置である。

女帝カテリーナが猿之助さんで公爵ポチョムキンが白鸚さんである。猿之助さんは高杉早苗さんを思い出してしまった。ミュージカルでもベテランである白鸚さんは、さすが外国の高官のそのものであった。お二人で豪華絢爛な宮廷を描いてしまわれた。それに圧倒されながらも負けない光太夫の幸四郎さん。彼の願いは乗組員と途中で亡くなった者たちの魂を日本に連れ帰ることであった。(シネマ歌舞伎として10月上映予定。) ◀

シネマ歌舞伎は観ていなかったのであるが、有料動画配信で観ることができました。そりを引く着ぐるみの犬の突然の登場で雪原を走る場面がぱーっと思い描けたときの感覚は実際の舞台と映像ではやはり違っていた。知っていたとしてでもある。

ただ映像では役者さんの表情がよくわかるのが美点である。三谷幸喜さんは、『決闘!高田馬場』のコメントで歌舞伎座の広さだと広すぎて余ってしまうといわれていたが、余ってしまう場面があった。ラスト大詰め間近で光太夫(幸四郎)に対し、庄蔵(猿之助)、新蔵(愛之助)が胸の内を吐き出す重要な場面がある。熱演であったが何か伝わり方が薄かった。

ところが映像のほうでは泣けてしまった。役者さんの表情が映されるため伝わり方の力が強くなるのである。こういう広い舞台空間も三谷さんは浮かんでいたのかもしれない。

さらに舞台を観ていたときは海外の行き来もでき、簡単に行き来のできない今の状況など想像もしていない。そのため感情移入もどこか遠い過去の人である。それが今だと近いので三人の心情に強く反応した面もあるのでしょう。

新作のときは、舞台上でなかなか見られない役者さんたちが多数舞台上に参加するのでそれを観れるのもたのしみです。お化粧しているので見極めるのが難しいのですが。

役者さんだけで数え方が間違っていなければ74人のかたが参加されていた。

注目したのは作次郎の片岡松十郎さんである。朝ドラマ『おちょやん』で岡安の女将のかつての恋人役で出演していた方である。この方であったかと認識できた。朝ドラは観ないのであるが『おちょやん』は浪花千栄子さんがモデルということで、歌舞伎役者さん、大衆演劇の役者さん、関西系の役者さんが出られているので録画して5日間分をまとめて観ている。

舞台もこれだけ多数の役者さんが参加する公演が観られるのはいつであろうか。

映像は一気に集中して観た。涙も心には大切なケアとなるんだそうです。

DVD『PARUCO歌舞伎 決闘!高田馬場』から(1)

PARUCO歌舞伎 決闘!高田馬場』は2006年、PARCO劇場で公演された、作・演出・三谷幸喜さんの新作歌舞伎である。忠臣蔵でも知られている堀部安兵衛が、中山安兵衛時代におじの助太刀のため、決闘の場・高田馬場へ走りに走った物語である。2時間ノンストップで演じられた熱い舞台である。

出演・市川染五郎(現幸四郎)、市川亀治郎(現猿之助)、中村勘太郎(現勘九郎)、市川高麗蔵、澤村宗之助、松本錦吾、坂東橘太郎、市村萬次郎、等

幸四郎さん、猿之助さん、勘九郎さんのお三方は襲名前であのころから現在に至るまで走り続けていますなと改めて感じさせられた。ここからは現お名前で記します。サービス精神満載のDVDセットで、本編140分、特典映像71分の二枚組である。観れなかった者にとってはお得感満載のDVDでありました。

長唄、常磐津、鳴り物の位置を舞台の後ろの上部に位置させている。これは三谷文楽『其礼成心中(それなりしんじゅう)』でもやっていてその録画映像を観たとき違和感があったが、歌舞伎のほうはそれが感じられなかった。三谷文楽のほうは2012年に公演されていて、映像で観たのが三谷文楽のほうがずーっと先になってしまったためかもしれない。

PARUCO歌舞伎 決闘!高田馬場』の舞台映像面白かったです。坂東妻三郎さんの映画『決闘高田の馬場』をイメージしてこの作品が作られたそうで、走る!走る!走る!ひたすら安兵衛は走る。まさかまさか、この映画を有料動画配信で観ることができたのです。これも嬉しかった。

映画での安兵衛は長屋の人々に好かれ、心にかけてくれる。歌舞伎のほうはさらに長屋の住人(大工の又八、にら蔵・おもん夫婦、洪庵先生、おウメ)と深くつながっている。そして、長屋の住人が知らなかった安兵衛の過去が小野寺右京によって知らされる。長屋の住人は命を懸けてさらに安兵衛を応援し、おじの決闘の場、高田の馬場へかけつけさせるのである。

幸四郎さん二役、猿之助さん三役、勘九郎さん二役で早変わりもあり、歌舞伎では考えられない、あるいは演劇ではありえない演技方法が炸裂していて観客を喜ばせる。

DVDでは三谷幸喜さんと幸四郎さんお二人で舞台映像でコメントもされている。それがまた役者さんの演技に対する考え方や人物像なども想像でき、稽古の様子が見えてきて笑わせてもらう。台本が途中までしかできていなくて稽古途中から役者さんに合わせてでき上っていったようである。猿之助さんははじめは一役だったのであるが、次の出番まで間がありすぎ、面白い人なのでさらに役を増やされる。

そのことにより、立ち役と女方という歌舞伎独特の形が歌舞伎をまだ観たことがない人にも体験できることとなる。さらに勘九郎さんも二役となる。舞台では勘九郎さんの見事なアドリブの動きがあり笑わせるが、猿之助さんにばっさり遮断され突っ込みがなくて残念そうに舞台からそでに去っていく。

衣装は役者さんがそれぞれ発注され、どうしてそんな衣装となるのか三谷さんでさえ驚かれていた。想像していた人物像とかなり違った人物になったようである。幸四郎さんの二役目の衣装もその例で、三谷さんが幸四郎さんにこの役については特典映像のほうで説明しておられる。そこから幸四郎さんが考えた役の人物の衣装がこれかということで、三谷さんと幸四郎さんの頭の中を見るようで楽しい。

三谷さんのコメント、質問、状況説明らの楽しいのは、歌舞伎のことはわからないので教えてもらうというスタンスである。初歩的なところから突っ込んでくれるのでかえって演劇と歌舞伎の違いや、歌舞伎役者さんの歌舞伎に向かう変人ぶりがみえて可笑しさが増すのである。

歌舞伎音楽についても舞台上の印象を話すとすぐ工夫してくれてその引き出しの多さに驚かれている。稽古の時、浄瑠璃から三味線、つけうちまで入れながら役者さんが一人で演じていて何をやってるのかわからなかったが音が入ってこうなるのかと納得されたようである。という感じで話されるのでその話をこちらも新鮮に受け取れて芝居が出来上がるまでの経過がわかるのである。

唄の詞に「歌舞伎座、国立なんのその、コクーン歌舞伎をはすにみて」とあって、勘三郎さんがコクーン歌舞伎をやっていたのである。勘九郎さんは勘三郎さんに台本を見せろとせまられたが絶対みせなかったそうで、舞台をこっそりみにきていたとか。勘三郎さんの様子が話だけで浮かびます。コクーン歌舞伎は『四谷怪談』でした。

幸四郎さんの渋谷の路上でのポスターの撮影から、テーマ音楽の亀染勘幸ヴァージョンのCD収録の様子もみられ、とにかくこれでもかというサービスぶりで、たっぷり堪能させていただきました。これだけ楽しませてもらえるDVDもそう多くはないとおもいます。

2006年で時間がたっているのにその熱さは今も同じですね。皆さんこの時期なので、もっと心のマグマはぐらぐらと燃えていることでしょう。

追記: 映画『決闘高田の馬場』(監督・マキノ正博、稲垣浩のクレジット)は1937年に公開された『血煙高田の馬場』を1952年に改題して51分に短くしたものです。

追記2: 人気者堀部安兵衛さんの八丁堀の碑関係はこちらでどうぞ。

『堀部安兵衛武庸之碑』 と細井広沢 – 中央区観光協会特派員ブログ (chuo-kanko.or.jp)

碑の地図はこちらで   PORTAL TOKYO 東京ガイド 中央区 堀部安兵衛武庸之碑

追記3: 高田馬場近い西早稲田にある碑の地図はこちらで。都電荒川線早稲田駅からが近いです。水稲荷神社内にあり詳しくは水稲荷神社で検索をどうぞ。

映画『女殺し油地獄』・シネマ歌舞伎『女殺油地獄』

図夢歌舞伎 弥次喜多』との出会いで(アマゾンプライムビデオ)で、堀川弘通監督の映画『女殺し油地獄』(1957年)を観ることができた。弥二さん喜多さんありがとうである。

脚本が橋本忍さんで、映画『黒い画集 あるサラリーマンの証言』同様、スキのない筋立てであり、歌舞伎の『女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)』の流れと同じである。映画のトップは罪人が馬に乗る市中引き回しの男を写す。字幕 「河内屋与兵衛 罪科に依り市中引廻しの上 千日前処刑場で磔刑さる 享保六年七月二十三日」 

与兵衛がどんなことをしでかしたのかそのことが描かれ、ラストの場面がトップの画面となる。与兵衛は油屋の息子であるが、同業者の豊島屋の女房・お吉を殺してしまうのである。なぜそういうことが起きてしまったのか。映画では、与兵衛が自首する時ふた親と妹に自分の事をかえりみて語るのである。近代的解釈によって構成されている。

歌舞伎『女殺油地獄』は近松門左衛門が書き下ろしたものをもとにしている。近松さんは人形浄瑠璃の作者である。享保七年に竹本座で上演されている。ところがこの作品江戸時代の人々には人気が無かったらしい。明治なって坪内逍遥さんが『女殺油地獄』を取り上げた文章を書く。その影響もあってか歌舞伎では明治四十二年大阪で初演されるのである。それから歌舞伎でも人気演目となり、映画でも作品化されるわけである。

歌舞伎をまだ観た事のないかたは、アマゾンプライムビデオで映画『女殺し油地獄』とシネマ歌舞伎『女殺油地獄』を観ることができるので時間があれば観て歌舞伎に触れていただきい。与兵衛は幸四郎さんで、お吉は猿之助さんである。

映画『女殺し油地獄』と歌舞伎の『女殺油地獄』では解釈も違い、演技も大きく違うということがわかるとおもいます。歌舞伎の与兵衛は近代人ではないのである。明治時代に上演した人たちは、近代人であったが、おそらく苦労してどうやろうかと考えて考えて身体表現にかえっていったのであろう。そして型となり、されにその型の中でそれを継続することによって役者さんによって違う空気を観客に送ることになるわけである。女方というものもしっかり観てもらいたい。

映画の方は、歌舞伎の『女殺油地獄』をよくわかってられる二代目中村扇雀(与兵衛)さんと二代目中村鴈治郎(継父・徳兵衛)さんが演じられていて、映画の構成にきっちりはまっておられる。映画俳優としての素材として臨まれている。そこがまた映画の見どころでもある。お吉は新珠三千代さんである。継父という設定も重要なカギである。

歌舞伎での与兵衛は、お吉を殺した後花道を去るというかたちで終わるのである。それゆえに与兵衛の人物像は、それまでの登場場面で思い至ることになる。もしくは役者の演技に満足して終わるということになったりもする。そこが近代演劇とは違うところかもしれない。ただ現代ではアイドルという分野もあり同じ現象は起きている。

江戸の人気者弥二さん喜多さんは現代においてもお二人さんの人気度を継続され面白い旅をさせてくれました。めちゃくちゃ忙がしい思いをさせられていますが。

もし観てつまらなかったときはクレームは弥二さん喜多さんにお願いいたします。こちらは舞台も劇場でのシネマ歌舞伎も観ていますがこれってお得とおもいます。

もう一度歌舞伎の『女殺油地獄』の本を読み返そうとおもいます。

女殺し油地獄
シネマ歌舞伎「女殺油地獄」

追記: 銀座ナイルレストラン監修のカレーにスーパーで出会う。全然期待していなかったのにタイミングよすぎ。もちろん購入。お家で歌舞伎、そろいすぎ。

追加2: 1月31日 NHKEテレ 午後9時から 『古典芸能への招待』で『女殺油地獄』があります。与兵衛が仁左衛門さん、お吉が孝太郎さん。同じ作品でも役者さんによって違うということがわかると思います。これまたタイミングの良さの継続です。

追記3: 浅草関連の映画『人生劇場 新飛車角』をついに見つけられた。浅草のやくざ吉井角太郎(鶴田浩二)が戦友を殺した相手との死闘に油まみれの場面が出現。沢島正(忠)監督は歌舞伎からヒントを得たのではないだろうか。

追記4: 2月7日 NHKBSプレミアム 午後11時20分から「プレミアムステージ」で、『四天王御江戸鏑(してんのうおえどのかぶらや)』があります。初春に国立劇場で公演されたものです。娯楽性にとんだものとおもいます。歌舞伎の多様性をおたのしみください。

ひとこと・図夢歌舞伎『弥次喜多』

歌舞伎の弥次さん喜多さんが、このコロナ下どうなるのか知りたかった。

かなり謎めいた展開。分断される弥次さんと喜多さん。哀しいかな、お伊勢参りも、ラスベガスも、歌舞伎座のアルバイトの思い出も共有し共感できなかった。

現実に新型コロナは先ず分断を狙っている。その中で犠牲になっているのが誰であるのかさえ隠蔽するのである。

個人的には現実で、新型コロナが出始めて緊急事態宣言となり映画館へも行けなくなり有料の映画配信を観ることにした。ところがこれが上手くつながらなくてカードが拒否される。ここで止めておけばよかったのに、ガチャガチャやってしまって、結果的に観れなかった。後日カード会社からの電話でカードの不正使用されているのがわかった。カードの再発行で事なきを得た。そのため有料配信はやめていた。今回の配信先は登録済みだったので思いの外簡単に視聴できた。新しい世界の生活も大変である。

もし何かおかしいと思ったらカードの裏の電話番号からカード会社に電話を。メールからの反応は禁物。

『図夢歌舞伎「弥次喜多」』Amazon Prime Video 12月26日より独占レンタル配信開始/(C)松竹

追記: 思わず深夜噴き出して声が出たのであるが、どんな場面だったのか思い出せないのである。誰か一番笑えたところ呟いてくれないであろうか。後半の押した部分でのことなのだが。くやしいー!

追記2: あれ!視聴し始めて48時間は何回でも観れるという事なのですね。観なおしたのだが声をだして笑ったところがはっきりしない。かえって話の展開に集中してしまった。

追記3: 3回集中して観た。何となくあわただしいこの時期だからこそ集中できたのかも。世界観の大きさ、歌舞伎の世話物のしんみりさ、人気ドラマがドッキングして旬で愉しむ価値あり。喜多さんのかたりと弥次さんのラスト、年末の心に沁みました。

追記4: 彼方岸子(笑三郎)の初舞素敵です!

令和三年 新春ご挨拶と初舞 『寿 万歳』市川笑三郎 – YouTube

追記5: 「図夢歌舞伎」と同じ配信サイトからドキュメンタリー映画『RBG 最強の85才』が観れた。欲していたことが叶って少し前進した気分。

追記6: ラスト、弥次さんにあたる光が想像をかきたてる。笑也さんバージョンか門之助さんバージョンに続くバージョンがあるのか。弥次さんと喜多さんの旅は神出鬼没ですからね。      

ひとこと・映画『ラスト・クリスマス』と歌舞伎『傾城反魂香』

今年のクリスマスソングは映画『ラスト・クリスマス』(2019年・ポール・フェイグ監督)でエミリア・クラークが歌う、ワム!の「ラスト・クリスマス」である。自分の居場所を探しあぐねてあたふたとしていた女性が一人の男性の登場で彼を探すうちに自分の居場所をみつけるというヒューマンラブコメディーである。

意味深なワム!の「ラスト・クリスマス」の歌をこんな感じで歌わないでというかたもおられるであうが、映画の主人公が明るく歌える自分をつかんでの歌である。そこがいい。

映画の原案・脚本がエマ・トンプソンである。

歌舞伎座の『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』。主人公又平も居場所がなかったひとりである。戯作者になるまで近松門左衛門さんも居場所が無かったのかもしれない。心中物の登場人物もそうである。今回の作品は奇跡によって又平は自分の居場所を確保する。勘九郎さんの又平が若さにその喜びがあふれていた。女房おとくの猿之助さんが 白鸚さんの又平の時よりも一層しっかり者の恋女房にうつる。女形としての手が美しい。

勘九郎さんの又平をみていると、八十助時代の三津五郎さんの小柄な身体で喜ぶ又平を思い出した。この方が出れば勘三郎さんも浮かんで、又平の嬉しさと重なって複雑な涙となった。鶴松さんと團子さんが頑張っている。つながっていくのでしょう。

自分の居場所を見失うことはどんなときもきついものである。

ひとこと・朝井まかて『残り者』

朝井まかてさんの小説『残り者』を前進座が舞台にしたのですが観ることができませんでした。残念。というわけで原作を読みました。面白い。朝井まかてさんは軽くいくように見せて知らない世界を展開してくれます。

残り者』も江戸幕府が江戸城明け渡しの江戸城の前日からその日までを、大奥に勤める女性達の考え方仕事ぶりなどを見せてもらえます。そして外見の姿によってその階級制もわかるようになっています。さらに天璋院(篤姫)と静寛院宮(和宮)では武家と公家の違いがあり、そんなことも交えて、天璋院が可愛がっていた猫のサト姫が五人の江戸城に残っていた者を会わせるのです。仕事の部署の違う者との出会い。

是非再演があり観劇する日を願っています。

前進座の公式サイトを紹介しておきます。劇団前進座 公式サイト (zenshinza.com) 前進座チャンネルの松涛喜八郎さんのーふかぼり芝居講座シーズン3ー「おうち散歩 四谷漫談 エピソード1~4」は戸板のお岩さんの川の旅が紹介されていて紹介地図から鶴屋南北さんの頭の中の地図が想像できました。『残り者』はーふかぼり芝居講座シーズン4-でおたのしみを。

朝井まかてさんの読者といたしましては、森鷗外さんの末っ子の類さんのお話『』の世界に侵入いたします。ソワソワ、ワクワク。心落ち着けて。