ドキュメンタリー映画『はじまりはヒップホップ』『ジェイン・ジェイコブズ ニューヨーク都市計画』

テレビで72歳のご婦人がお孫さん二人からヒップホップの特訓を受け、しっかりとリズムに乗りラストもきめるられていました。二人のお孫さんの女性はダンスのプロということです。この映像を見て思い出したのがドキュメンタリー映画『はじまりはヒップホップ』(2014年)。ヒップホップ関連映画を観ていたときに遭遇した。

こちらも高齢者のヒップホップで、66歳から94歳までの男女である。車イスのかたもおられる。場所はニュージーランドの東のワイヘキ島。公民館で行われていたヒップホップ教室。指導員のかたはヒップホップを踊れないのである。YouTubeや本で手探りで勉強される。

さらに目標として2013年のラスベガスのヒップホップ選手権大会に申し込み、特別出演を果すのである。クルー名は「ヒップ・オペレーション」。メンバーの多くが腰骨の手術を受けているからである。

ラスベガスに行くにはダンスだけではなく医者の許可や、行く費用など問題が生じるが皆で話し合い何んとか実行に移すことができ、若い参加者から拍手喝采をあびる。そこまでの道のりがメンバーたちの生きてきた姿を通して描かれている。

指導員のビリー・ジョーダンはメンバーの家を訪ね、食事やお茶をしつつそれぞれの生き方や歩いてきた道を尋ね、耳を傾ける。そしてその生き方に共鳴し、自分の生き方の栄養とし、尊敬の念を積み重ねている。メンバーたちは、自分の人生をおごることなく、身体をうごかして表現者となり、若者たちとも交流し、生き生きと人生を謳歌する。

ドキュメンタリー映画『ジェイン・ジェイコブズ ニューヨーク都市計画』(2018年)は、街の人々のコミュニテイーを大切に考え、大開発の流れに異議を唱えたジェイン・ジェイコブズの考え方と行動を伝えてくれる。

この映画の内容を言葉で伝えるのは難しいのであるが、何んとかやってみよう。伝説のパワーブローカー、ロバート・モーゼスがスラムを撤去し、モダニズムの街に変えようと強引に実行していく。ジェインはグリニッジビレッジに住み皮膚感覚で街というものをとらえていた。さらにそこに彼女の直感と観察を加えて考え行動する。

「ニューヨークは大好きな街だった。通りを歩いてうろつくだけで楽しかった。どの通りにもどの地区にも個性がある。色んなことが起きている。」

「ニューヨークは豊かでない者も受け入れてくれる。広い土地を持っていなくても立派な開発計画などなくてもいい。それに新しいことや面白いことをする必要もない。あらゆる人を受け入れる場所なの。」

治安や衛生面から、人があふれる街路をなくすことが解決策だという考えが浮上し、団地を建設することでたむろすることを防ぐと考えられ、古い建物は壊され団地ができる。

「低所得者向け団地は非行や破壊行為や絶望の温床となり以前のスラムよりもひどいものです。」これはヒップホップ関連映画でどうしてこの離れたところに高層住宅があるのであろうかと疑問に思った。ゴーストタウンのような不気味さがあった。誰の目も届かないように思えた。暴力、ドラッグなどの諸問題をかかえることとなる。

モーゼスのビジョンには街路が消えていた。さらに地域コミュニティに無関心だった。

「街路には見守る人が必要である。人々の目が店番になる。住民と見知らぬ人々の安全を保障できる建物は通りに面していなければならない。」

「歩道には利用者が継続にいる必要があり街路に向けられる有効な目を増やして街路沿いの建物は人々が歩道を見るようにする。」アメリカのニューヨークを舞台した映画によくでてくる。住宅が長屋のようにつながり、階段がありドアがある。スラムといわれる場所には、ドアの横のベンチに座って歓談している老人などがいる。あるいは窓から暇そうに歩道で遊ぶ子供たちを眺めていたりしている。老人たちは、地域の子供たちの成長をよく知っている。

ジェインは、モーゼスがワシントン公園広場に道路を通す計画を知り市民運動にたずさわり、多くの著名人の賛同をえる。さらに、自分の住んでいるウエストビレッジがスラムの指定候補となり都市再生計画にくりこまれる。ジェインは、古いものを補修し修繕して住み続け、街の秩序を守り愛していた。ニューヨーク市を相手に訴訟をおこし都市再開発中止、スラム指定解除を勝ち取る。

モーゼスはさらにローワマンハッタン高速道路を計画するが白紙となる。実行されればソーホーの大半は壊され、世界的にも貴重な19世紀の素晴らしい建築物を失っていたのである。

「無秩序に見える古い都市の下には、その古い都市が機能している場合、街路の治安と都市の自由を維持するための素晴らしい秩序があります。」

その後、秩序を失い要塞化した各地の公営住宅などは解体される。一瞬で崩壊される映像に、あの時壊されたスラムの建物はもう戻らないのだと今更ながら思い知らされる。そこに住んでいた人が見ればなんだったのであろうかとその喪失感に虚無を感じるかもしれない。

このドキュメンタリーはジェイン・ジェイコブズは著書『アメリカ大都市の死と生』をもとに彼女の考え方を紐解いてもいるらしいが、私的には本を読んだだけでは駄目だったかもしれない。映像があってこそ納得できたのかも。

新型コロナウイルスは、人の大切な命とともに大切なコミュニティをも破壊しようとしている。そのことを意識しつつ新しい生活に立ち向かわなければ神経も傷つけられてしまう。

追記: 検察庁法改正案に抗議します。

テレビ・『緊急対談・パンデミックが変える世界』

友人が、NHK・ETV特集『緊急対談・パンデミックが変える世界~ユヴァル・ノア・ハラリとの60分~』を視聴していろいろ考えさせられたと知らせてくれた。

再放送を探していたらPCで『緊急対談・パンデミックが変える世界~海外の知性が語る展望~』を視聴できた。三人の方が発言されていてその一人がユヴァル・ノア・ハラリで、この方の考えをもっと聞きたいという視聴者の要望があり『緊急対談・パンデミックが変える世界~ユヴァル・ノア・ハラリとの60分~』となったようである。

『緊急対談・パンデミックが変える世界~ユヴァル・ノア・ハラリとの60分~』の再放送がわかり録画して視聴した。友人の言う通り考えさせられた。そして、新型コロナを一時的にせよ克服した国があるならその情報を収集し検証する必要があると思う。科学者や知識人の考え方が必要な時期なのではないだろうか。

さらに再放送があるようなので下記参照。

Eテレ 第1回5月2日(土)午後2時~『緊急対談・パンデミックが変える世界~歴史から何を学ぶか~』 第2回5月2日(土)午後3時~『パンデミックが変える世界~海外の知性が語る展望~』

NHK BS1 第1回5月4日(月)午前10時~『緊急対談・パンデミックが変える世界~歴史から何を学ぶか~』 第2回5月5日(火)午前10時~『パンデミックが変える世界~海外の知性が語る展望~』 第3回5月6日(水)午前10時~『緊急対談・パンデミックが変える世界~ユヴァル・ノア・ハラリとの60分~』

この友人からは、4月13日NHK総合で放送された『逆転人生』も紹介された。友人を通じて連絡があったらしい。視聴したことのない番組であった。

田中宏明さんが幼い次男の異常に気がつく。そしてやっと命を救ってもらえた高橋義男医師に出会うのである。その医師の診察室には所狭しと沢山の写真が貼られていた。高橋義男医師は自分が携わったこどもたちのその後の成長を、見続けていたのです。田中宏明さんは何んとか高橋義男医師のことを世の中に知らせたいと思い、自分がかつて漫画家志望であったことからマンガで表現することにする。そして漫画『義男の空』を自費出版。

全然知らなかったので、世の中にはこんなお医者さんがいるのかと心強さをもらった。他の友人たちとも交信し合い共有しました。知らせてくれた友人にありがとう。そして、日々、命の灯りを消さないように医療にたずさわれている方々に感謝。

上野の動物園通りから清水坂に向かう左手に森鷗外さんが住んだ鷗外荘がある。「水月ホテル鴎外荘」として公開されていたが、ここも新型コロナウィルスの影響で閉じられることになった。ここは温泉でもあり、友人たちと泊って歓談したことがあった。友人に電話するとテレビ報道ですでに知っていた。泊った次の日『横山大観記念館』に寄り、そこから『旧岩崎邸庭園』へ行ったことが話題になった。そんな旅もいつ再開可能であろうか。

鴎外さんは海軍中将男爵赤松則良の長女・登志子さんと結婚する。赤松中将は19歳で勝海舟らと咸臨丸(かんりんまる)でアメリカへも行った人である。ここは赤松家の持ち家であった。当時は寂しい場所で動物園のすぐそばでもあり、猛獣のほえ声にお手伝いさんが怖がったと言うはなしもある。この頃鴎外さんは東京美術学校(現東京芸大)の講師で、幸田露伴さんなどがよく訪れていたらしい。登志子さんとは離婚することになり、その後、本郷千駄木に移る。千駄木の家には後に夏目漱石さんが住む。

いつかまた、鴎外荘が公開され訪れる日のくることを願いたい。だがその前に閉じてしまうところがないように強く願う。

さてそんな話の中で、友人の知人が、すみれを持ってきてくれたと言う。そろそろすみれも終わりかけているので抜いてしまったのだが、根子のついているままガラスの容器にいれておくとまだ楽しめると花好きの友人に渡してくれたらしい。こういうのって嬉しいねと声が明るく響く。窓辺に飾って眺めている友人の姿が伝わる。こちらもそのすみれを眺めている。

追記: 友人が慢性骨髄性白血病と診断された。短い時間、身体の右側に異常があった。口が歯医者で麻酔をされた感覚で右手がしびれた感覚。すぐおさまったが次の日、脳神経内科を受診。検査ではっきりしたことがわからなかったが血液検査で数値が異常。血液の専門に回され、慢性骨髄白血病と診断された。薬のことなど色々説明を受けたらしい。急性になる前に見つけられてよかった。早期発見早期治療が医療の原則なのではないのか。新型コロナも早期発見早期待機(隔離)ではないのか。補償欲しがりません勝つまでは、いつの時代の政策なのか。

無料配信・国立劇場『通し狂言 義経千本桜』

こちらは、『通し狂言 義経千本桜』の忠信・知盛・権太の三役に菊之助さんが挑まれるということでAプロ、Bプロ、Cプロに分れての一か月公演の予定であった。場所は小劇場ということで全てを観るのは無理だなと思っていた企画である。

時間短縮ではあるが無料舞台映像配信で観劇できたのは幸いであった。そうした中で魅了してくれたのはBプロのいがみの権太である。台詞といい動きといい、特に椎の木の場の悪でありながら粋さがあり恰好好いのである。最後の死に際をみて、『仮名手本忠臣蔵」の四段目の菊之助さんの塩冶判官が観たくなった。

勘三郎さんが勘九郎時代に出された本『勘九郎ぶらり旅 ~因果はめぐる歌舞伎の不思議~』がありまして、昨年の暮れそろそろ処分しようかなと読みはじめたら面白くて処分するどころではなくなった本である。本は時間が経ってみると新たな発見が生じる。開かないで処分するのがよい。その発見とは、「はじめ」にで梅幸さんの判官について書かれてあった。

「僕は、子供の頃から梅幸おじさんの判官が大好きで、自分が舞台に立っていない時でも、いつも目を皿のようにして、その優雅な所作を見ていたし、素晴らしい口跡(こうせき)に聞きほれていた。」

その判官役を勘九郎さん自身が歌舞伎座で演じた時泣いたと言う(平成10年3月)。三段目で本蔵に抱きとめられ刀を投げつけてチョンと幕になったあと。「終わったら、涙が自然に出てきた。尊敬していた、あの梅幸のおじさんが演じた役を、この僕がまったく同じ舞台で、しかも同じ板の上で演らせてもらった喜びと、演れた感激で、目頭がジーンとしちゃってさ、知らず知らずのうちに涙が出た。」

菊五郎さんの判官は印象に強いが、梅幸さんの判官は実際に観たかどうか記憶にない。昨年、『にっぽんの芸能』で七世尾上梅幸さんを紹介していて『判官切腹の場』も紹介してくれて録画が残っていた。『魚屋宗五郎』の二世松緑さんと梅幸さんの夫婦役も素晴らしかった。九世三津五郎さんやなかなか映像では観られない七世門之助さん、二世助高屋小伝次さんも出られていた。魚屋宗五郎の酔っぱらいに合わせる梅幸さんはもちろんのこと皆さんの動きが自然で見事である。

判官切腹の場』は十三世仁左衛門さんが由良之助で、判官が由良之助を待つ気持ちが目の動きなどで丁寧に表されている。秀太郎さんの力弥がこれまた絶品。判官が由良之助に仇討を伝えそれを受ける由良之助との緊迫感とマグマの一瞬はぴかっと光が走る。これらが頭に浮かび、菊之助さんの判官が観たいと思ったのである。菊之助さんは新しい事にも挑戦されているのでまた違う判官になるのではと期待がたかまるのである。

その一つに新作『風の谷のナウシカ』がある。『風の谷のナウシカ』は、前半はアニメ映画を見返して観劇したので、なるほどこう歌舞伎化されたのかというのがよくわかった。後半はかなり難解で登場人物をとらえるのに苦労した。観劇した後で、漫画のほうを購入したが、そのまま開かずにいた。この巣ごもり時間に読むことができた。モノクロなので想像力全開で舞台のナウシカの青い色の衣裳などを思い出しながら、そうかそういう事かと何んとか全体像を掴むことができた。

アニメ映画が強いので、前半一つだけ不満があった。風を感じられないことであった。その工夫がもう少しほしかった。ナウシカは、王蟲(オーム)や巨神兵と心を通わせ、彼らが自分の役目をわかっているかのようにその役目追行してくれて浄化の犠牲となってくれることに涙する。その事をわかってあげれる人としての役目がナウシカだったのである。芸術、芸能、文化とは様々な感情を呼び起こし、考えさせ、力づけ、共に涙するそんな役目がある。

追記: さまざまに頑張っているのに新型コロナウィルスに感染して非難されたり、死にいたったり、自死するようなことになったら仇討を託したくなる。相手は幕府。それで駄目ならお岩さんになって出てくるしかない。『四谷怪談』の初演を『仮名手本忠臣蔵』とつないで舞台にかけた江戸歌舞伎は凄い。ゾクゾクする。

映像無料配信・三月歌舞伎座

三月歌舞伎座の無観客舞台の映像も無料配信されいる。大幹部の役者さんたちとその後を一生懸命追いかけられている次の世代の役者さんたちの出演なので、観ていて安心である。

雛祭り』。そういえば雛祭りの時期には、女の子いない友人たちにお雛様の絵葉書を送っていたが今年はすっかり忘れていた。映像でおそい雛祭りである。

男雛、女雛も美しく品よく鎮座され優雅な立ち振る舞いである。左大臣、右大臣もご機嫌に飲み踊り、若手の多い五人囃子も軽妙な踊りを披露してくれる。晴やかな気分にさせてくれる演目である。

新薄雪物語』は、役者さんが揃わないと公演できない作品である。歌舞伎には子供が親の主従関係から犠牲になるという演目があるが、この作品は、親が子供を守るために命をかけるという物語である。若さゆえに周囲の状況など目に入らず恋愛一直線の息子と娘を、それぞれの親がお互いに子供たちの窮地をどうすり抜けさせ命を守ってやれるのかという親心の葛藤が描かれる。

若い二人の恋心の場面、それがとんでもない罪をかぶせられ、詮議をされることになり、親子の関係を入れ替えての預かりとなる。それぞれ自分たちで詮議し罪をあきらかにせよということになる。姫を預かった夫婦は、姫を大切に預かり逃がしてやるのである。ではもう一方の親はどうするのか。ここからは父親同士の心の探り合いとなる。父親同士が繰り広げる駆け引きの見どころでもある。そしてどう見せてくれるのか期待の高まるところである。

衣裳のさばき方から、身体表現による立ち姿、歩き方、上半身の動かし方、首の回し方、傾け方、手の位置など、そうくるのですかとじっくり見させてもらう。物語と同時にすんなりと役者さんの動きや台詞を堪能させてもらった。

梶原平三誉石切』は、これまた観ていて面白かった。名刀が主人公のようなところがあり、刀を通じての物語である。さてこの刀は名刀なのかどうか。梶原平三は刀の鑑定人としては一流である。ところがその鑑定を認めない兄弟がいた。

梶原の鑑定の際の刀の扱い方など興味深い。そして気が付いた。鑑定し終わるとじっとしていた左右の家来が動くのである。彼らも息をつめていたということである。そしてこの左右の家来のひざに置く手の形が違うのである。兄弟側は握っている。梶原側は開いている。これって悪役側と善役側では違うのであろうか。今まで気にかけなかった。

罪人の酒名づくしの台詞、梶原の名刀を証明する驚くべき行動などバラエティーに富む。そして、義太夫節が耳に入りやすい作品でもあり登場人物の動きが音楽に乗るのに気が付くであろう。

赤っ面の悪役も出てくる。『新薄雪物語』に出てくる奴や違うタイプの悪役などもパターン化している。役者さんはそれぞれのパターン化した動きを習得している。お姫さまと、普通の娘のちがいなども今回かなり詳細に鑑賞できる。身についた役者さんたちで観れたのは幸いである。

新薄雪物語』や最後の『沼津』などは、悲劇にともなう親子の情愛を主題にしていて少し重い作品となっているので、『高坏』などの楽しい踊りが入っているのは歌舞伎の演目の並べ方としては観客の心持ちを上手くコントロールしてくれる。特に『高坏』は下駄タップが入るので軽快で気分を軽やかにしてくれる。『雛祭り』では雅なあでやかさをとそれぞれの愉しみ方ができる演目で歌舞伎の変化に富んだ趣向を感じとれる。

沼津』は、客席を演者が道中として使い、観客を喜ばせる場面であるが、無観客となればそうもいかない。キャメラがお地蔵様に見立てられて拝まれていたが。まさかこの後悲劇につながっていくとは思えない雰囲気で始まる。人の縁というものはこのようなめぐり合わせをするのであろうか。

そのめぐり合わせに父と息子のそれぞれの立場の違いの説得がある。情は十分すぎるほどある。しかしそれぞれが持ちこたえなければならない位置づけがある。お互いに親子であると知りながら口にださず、その情に頼らないのである。父はその息子の義に対して義で臨む。雲助であるにもかかわらずその義を心中に秘めていたとは。庶民の中に武士に劣らぬ腹構えがあった。

新薄雪物語』でも悪に対して、笑ってやろうという心意気がある。これは親心が庶民とは変わらないというところまで視線を下げる歌舞伎の観客を意識していているように思える。刀を持たぬ者たちの、権力に対して笑ってやるという何とも手の込んだ逆説とも思えるのである。命をかけて。

全てを観て、自分の好きな演目を見つけるのもいいでしょう。お気に入りの役者さん目当てでも。またそれを見つけ出すのも。歌舞伎座が新しくなった時、テレビなどでみて、歌舞伎には興味ないけれど新しい歌舞伎座にいきたいという人がいて驚いたことがあるが入り方は自由である。

追記1: 行定勲監督によるショートムービー『きょうのできごと a day in the home』(YouTube)面白かった。観てない映画がドンドン出てきて観なくてはと思わせられた。最後に観た映画が一本出てきた。う~ん、感想ちがう。うむ、好きなタイプということ?いや~こういう撮り方もありやな。私を映画館に連れてって!

追記2: 無料配信を紹介した友人の一人は『新版オグリ』は長すぎて女方さんの美しさのみに目がいったようなので、『雛祭り』と『高坏』を再度プッシュ。「飾っているはずの人形が、酔って踊るのは、不思議な現実感がありました。」「お酒の飲み方が、スッゴク美味しそうで、私も~あのお酒を飲んでみたい(笑)とおもいましたよ。幸四郎さんの演技が、素晴らしいなぁ~と感心しました。」ではお次は、幸四郎さんが出ている『新薄雪物語』と『沼津』をプッシュ!

映像無料配信『新版オグリ』映画『CATS』映画『ライオン・キング』

3月京都南座で公演中止になったスパー歌舞伎Ⅱ『新版オグリ』の無料配信(松竹チャンネル・YouTube)が始まった。新橋演舞場で2ケ月、2月博多座、3月南座で中止となり南座での無観客舞台の映像配信となった。  気ままに新版『オグリ』

博多座は新橋演舞場から少し変わり、南座はさらに変わったと言うことで観劇したいと思っていたので歓喜である。天馬の宙乗りが、南座は一箇所だけということで、オグリ一人かなと想像していたが、鬼頭長官が手綱を引き受けオグリが後ろに乗る形となった。天馬なので、制御は鬼にまかせたのであろうか。二人乗りなので天馬が大きく、南座でのインパクトの強さを考えたのかもしれない。確かに新橋演舞場では、小さくて可愛らしくうつった。

一幕での照手姫の輿入れの時、照手姫の登場がなく「待てー!」の一声でおわった。その後、横山家の家来の登場で、照手姫がオグリ一門にさらわれたことがわかってくるのである。ここは、えっ!照手姫出ないと思ったが二回目観ると入り込めた。新橋版を観ていない人はスムーズに理解できたであろう。そしてオグリの登場となり、オグリを印象づける。

テーマ曲が出てくるとやはり心が踊ります。そうそうそう!パソコンでイヤホーンで観ているので、台詞がよく耳に入り込み、その強弱、抑揚などがよくわかる。パソコンで映画など観るのは嫌いなのであるが、歌舞伎の台詞を聴かせるような舞台芸術には有効であった。若手も感情だけの発声から工夫して身についてきたなと思わせてくれる。反対にまだ感情に頼っているなと思わせるところもある。新しい一郎もおだやかにすんなり仲間になっていた。

もろこしが浦の場面は噂話ににぎやかな老女たちが大幅にリストラされて、志村けんさんのひとみばあさんらしきホヤ婆だけが残こった。志村さんの芸がつながっていることを知らしめることになり、舞台の映像のなかで志村さんを偲ぶことになってしまった。

地獄の鬼兵士もさらなる活躍をしていて、花道での立ち回りでの細かい動きも観ることができて満足である。さらにバックに鏡を使った回り舞台では、半円に並んだ鬼兵士が一つの円に見えるという演出は上手く使ったとうならせてくれる。映したカメラの位置にもよかった。

舞台は生きものである。昨年の秋に耳にした台詞の意味が今もっと強く響いてくる。自分のためだけに生きる、それでいいのか。ただオグリが地獄で自我を爆発させなければ閻魔もオグリを選んで旅出たせなかったわけである。オグリと閻魔と遊行上人と仏たちの巡り合わせであり、さらに照手姫にかけたオグリの言葉が照手姫からオグリにもどるということにもなっている。

自分の体験から熊野を目指すのがいいと指し示してくれた人。多くの生き方がありそれを通過した考え方がある。そこに耳を傾けてくれた人がオグリにとって良い選択であろうと道を開いてくれ、それを次の人に手渡してくれる。それを静かに聴いていることしかできないオグリ。それがオグリにとって一番必要なことであった。

新版オグリ』の前に1998年版の映画『CATS キャッツ』を観た。『CATS』は強いメッセジー性があるわけではない。『CATS』からは、猫たちのメーキャップと動きが大きくはっきりと観れるのでそこが興味深く、楽しんで観た。「メモリー」の歌はやはり優しくズシンとくる。スーパー歌舞伎の場合、古典歌舞伎の衣裳の継続性とは違ってドンドン変化するという愉しみもある。今回は猿之助さんと隼人さんのダブルキャストなので顔のメイクと衣裳の違いなども楽しむことができる。

もう一つ映画『ライオン・キング』(2019年)も観ていた。これは映画館で観たかった。アニメなのであるが実写さながらの映像である。2019年版に出演している声優さんや歌手のかたは子供時代にアニメ映画『ライオン・キング』(1994年)で大好きになっているかたもいた。1994年版は観ていないが今回の映画は実際の動物が演じているようで楽しかった。凄い技術的進歩である。

新版オグリ』は今回映像を使った。この映像が人の生きる世界の広さ雄大さを感じさせてくれた。『ライオン・キング』(2019年)の映像と重なってしまった。YouTubeの無料配信でミュージカル派の人や海外の人々が眼を止めてくれるのを期待したい。19日までですので要注意!この後、歌舞伎座3月歌舞伎公演無観客映像が配信される。(17日16時~26日)古典歌舞伎である。さらに国立劇場でも『義経千本桜』の無料映像の配信をしている。(30日15時まで)歌舞伎の入口を利用してみてはいかがであろうか。

映画『ホテル・ムンバイ』『英国総督 最後の家』

映画『ホテル・ムンバイ』(2019年・アンソニー・マラス監督)は、2008年にインドのムンバイで起きたムンバイ同時多発テロで占拠されたタージマハル・パレス・ホテルが舞台である。テロリストに占拠されたホテルでは無慈悲な殺人が行われ、ホテルマンたちが何んとかお客を助けようと必死の行動にでる。

厨房で事件に気が付いた料理長が先頭にたち、恐怖におののき隠れているお客をさらに安全な場所へ移動させることを考える。もしこの場で去りたい者は誰も責めないから立ち去るようにと指示する。そして残った者だけで速やかに行動開始となる。

その中には、妻のお産が近い従業員アルジュン(デーヴ・パテール)もいた。彼は、出勤時間に遅れたため帰るように言われるが、料理長は彼の頼みを受け入れ仕事をくれたのである。彼はお金が欲しいのと同時にこのホテルでの仕事に誇りをもっていた。ホテルマンの話しであるが、観ていると今現在、新型コロナウイルスで闘われている医療関係者の方々の姿と重なってしまう。皆さんは意に反して無防備の中で頑張られているように思える。

フロントでは各部屋のお客に危険であるから部屋から出ないでくれとテロリストに隠れて電話で伝える。テロリストはそれを利用して、助けに行くからドアをノックされたら開けるようにと指示させる。言い終るとホテルマンは殺され部屋をノックして部屋のお客を殺していく。容赦ないのである。

テロリストには次々と指令が入って来て考える猶予など与えない。しっかりマインドコントロールされつつテロを実行していくのである。料理長やアルジュンたちはテロリストに悟られない部屋に何とか多数のお客を誘導できた。しかし、そこも見つけられそこから脱出を試みる。ぎりぎりの選択であった。そのことによって多くの人質の命が助けられた。

独自に何とか赤ん坊を助けようとする夫婦とベビーシッター。赤ん坊は母親と再会することができた。そして、アルジュンも妻のもとに戻ることができた。新たな命が守られる希望の兆しが見えるラストとなりホッとさせてくれる。アルジュンはシク教徒でターバンをきちんと巻くことを大切にしている場面が印象的であった。シク教徒としての理念もきちんと持つ青年であった。

映画『英国総督 最後の家』(2017年・グリンダ・チャータ監督)は、1974年、英国が300年間支配していたインドの独立のため最後のインド総督として就任した家族と、総督官邸につとめる使用人同士の恋愛の行方を描いている。

映画なので歴史的事実は差し引いて観るが、またまた知らなかったことを示唆してくれた。映画『ガンジー』は感激して観た記憶があるが歴史的成り立ちは残っていない。見直さなくては。

インド総督として着任するルイス・マウントバッテンは、なるべくスムーズにインドに主権を譲渡したいと思っている。インドは宗教的な問題を抱えていた。ヒンドゥー教徒とシク教徒の国民会議と少数派のイスラム教徒のムスリム連盟とに大きく分かれて対立していた。国民会議はネルーが、統一インド独立を主張。ムスリム連盟はジンナーがインドと離れパキスタンとして新たな国を作ることを主張。ガンジーは、統一インドとして最初の首相をジンナーにと提案するが、国民会議から反対され受け入れられない。

総督官邸には500人からの使用人がいるがそこでもヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立が発生してしまう。インドの他の地域では大きな暴動が起り、統一インドが無理と考えたマウントバッテン総督はイギリスにインドとパキスタンに分離して独立させるべく英国にもどり許可をとりつける。

独立にインド人は歓喜するが、いざ分離独立がなされると今度は国境を挟んでのそれぞれの国への1400万人の大移動が開始された。その混乱から食料が不足したり長旅で病気になったり、くすぶっていた宗教対立など想像を越える大惨事が出現する。

そうした時代の流れの中で総督官邸に使用人として雇われたヒンドゥー教徒のジートとムスリムのア―リアとが再会する。アーリアはジートが警察官だったとき面倒を見た囚人・アリの娘だった。二人は愛し合っていたが宗教の違いから再び離れることになってしまう。そして独立後の混乱の中で運命的な出会いがあり結ばれるのである。

もう一つ大きな事実があった。第二次世界大戦で英国も国力が弱まっていてチャーチルは1945年にすでにジンナーにパキスタン建国を約束していたのである。マウントバッテン総督は自分が色々の人々の意見を聴いて苦渋の決断と思っていたがすでに出来上がっていて自分は利用されただけだと言う事を知るのである。マウントバッテンは独立後も家族とインドに残り混乱の中で人々の支援する。

映画の最初に「歴史は勝者によって記(しる)される」と出てくる。映画としては分かりやすくまとまっていた。恋愛関係により社会の変革の中での個人ということを盛り込んだのであろうが、歴史的流れの方が興味深くそちらのほうが面白かった。知らないことの入口となってくれた。

追記1: かなり前からDVDも郵送によるレンタルに変えた。政府からのマスクの配布が始まるであろうし、それとぶつからないように、配達してもらう回数も少なくするためレンタル枚数を増やし、先に送ってもらうようにした。この時期、郵便配達の方やスーパーの方、配送の方、宅急便の方達には感謝である。ごみを収集してくれる方たちも。映画『希望の灯り』はスーパーで品物を補充する人々の話しで静かに淡々と進む映画である。悲しい事も起こるがジーンと心に沁みわたり、おだやかな冷静さを補充してくれる。

追記2: 安倍総理が3300円(2枚)のマスクのことを口にされ値段高いと思ったが、このマスク大阪府の「泉大津市マスクプロジェクト」で作らたものと知る。泉大津市は現在日本一の毛布のまちとして繊維に関しては長い歴史があるらしい。使い心地も良さそうで、かなりの洗濯回数にも耐えるらしく良品質のようである。泉大津市記憶に残しておこう。

映画『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』『マリーゴールド・ホテル 幸せの第二章』

他にホテルのコメディ映画は無いかなと探したら映画『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』(2012年、ジョン・マッデン監督)にぶつかった。イギリスの大女優であるジュディ・デンチとマギー・スミスも出演している。このお二人は好きな女優さんんである。多くの映画に出演しているが、女王とかシェークスピアとなるとジュディ・デンチが浮かぶし、演技派のマギー・スミスは映画『天使にラブ・ソングを…』の修道院長など巾の広い分野の映画に出られている。

インドで、家族がもう閉めようと考えていたホテルを、亡き父の意志を継いでホテルの再建に乗り出す末息子のソニー。高齢者用の高級リゾートホテル経営を考える。老後を優雅に過ごしませんかの謳い文句にイギリスの七人のシニアがこのホテルに移住を決め、マリーゴールド・ホテルで出会うのである。七人の人々にはそれぞれ事情があり金銭的に裕福とは言えない人もいる。それまでの事情が紹介されつつ人々はマリーゴルード・ホテルに集まってくる。

やる気だけは充分の経営者兼支配人のソニーが笑顔で迎えてくれる。来てみてびっくり。改修中のホテルでおんぼろなのである。人々はお互いどんな交流をし、インドの文化と風習に接していくのであろうか。七人の中には映画『マイ・ブックショップ』でのビル・ナイや、映画『グランド・ブタペスト・ホテル』でのトム・ウィルキンソンなどもいてコメディとしながらも適度な重厚さと軽さが交差している作品である。

少しくらいのことではめげないシニアたちである。恋もし、職探しもし、ホテル経営の手伝いもするのである。今まで生きてきた時間を無駄にはしていない。ソニーは朝、お客様が夜の内に亡くなっていないか点呼する。高齢者用のホテルとしてのアイデアはあるが数字的な堅実さにかけ、人間洞察も未熟で恋人との関係も危ういのである。

そんな中、長い間会いたいと思っていた人との再会を果たすためにインドに来た男性シニアがいた。彼は再会が叶い満足するが、病気のため静かにマリーゴールド・ホテルの庭で亡くなってしまう。彼は短い時間を共にした人々に囲まれての最後であった。しかし彼は、永い付き合いの友人たちに囲まれたと同じような空間で亡くなることができたのである。若いソニーが想像できない心の交流がそこにはあった。

映画『マリーゴールド・ホテル 幸せの第二章』(2015年、ジョン・マッデン監督)は、『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』の続きである。ソニーはさらに二つ目のホテルを開業したいとおもっている。そのため提携してくれるホテルとの商談のため、経営を手伝ってくれているシニア女性と共にアメリカのカリフォルニアに向かい、良好な手応えを感じて帰ってくる。

ソニーは自分の直感をすぐに実際の現実に当てはめてしまうという欠点があって、ホテルに来た新しい男性客を提携会社からの覆面査察官と思い込む。新しいお客は女性と男性それぞれ一人ずつだったのであるが。

ソニーはついに恋人と結婚することになり結婚式をひかえているが、査察官と二軒目のホテルのことで頭が一杯である。さらに婚約者の前にライバルも出現するのである。ここらあたりから結婚式までは、若者のたちの駆け引きやダンスありでにぎやかであるが、内面のインパクトが弱い。二作目にはリチャード・ギアも登場するのであるが、残念ながら盛り上げることができず、一作目を越えることはできなかった。

この二作品はジョン・マッデン監督である。監督の映画『恋に落ちたシェークスピア』にはジュディ・デンチもエリザベス女王で出演していて広く知られている映画である。今お薦めの映画は『女神の見えざる手』である。思いがけない逆転に次ぐ逆転が次々展開されて観た後スカッとするのである。見えざる手が女神の手といえるかどうかは決めかねるが。

先輩たちから生き方の手を貸してもらいつつ幸せの第二章を踏み出したといえるソニー役ののデーヴ・パテールは映画『スラムドッグ$ミリオネア』の主役だった。顔が思い出せない。インドのムンバイのスラム街の孤児たちが集められ何処かに連れていかれる。そこで眼を薬品で潰される。子供たちに物乞いをさせるためには盲目のほうが同情を受ける。取り仕切る大人の発想である。一人の少年はその現場を見て逃走する。逃げ出した少年は苦難を乗り越え、テレビのクイズ番組に参加して全問正解し賞金を手にするのである。最後に幸せが訪れるという物語であるが個人的には心にトゲが刺さったような作品であった。

さて、デーヴ・パテールが映画『ホテル・・ムンバイ』に出演していました。凄くたくましくなっていました。

映画『マスカレード・ホテル』・小説『マスカレード・ナイト』

映画『マスカレード・ホテル』(2019年)は、ホテル・コルテシア東京で連続殺人事件の次の殺人が起ると予想した警察が潜入捜査に入る。刑事とホテルマンのプロとしての意識の違い、ホテルに来るお客の装いと素顔の違い、殺人という複雑さが交差して物語が展開される。原作は東野圭吾さん。鈴木雅之監督は『本能寺ホテル』も監督されていた。

ミステリーであるから殺人事件を追う形になるが、ホテルという設定によって生じる二つの視点が面白い。刑事が人の素顔を追うのに対し、ホテルマンはお客様の装う仮面の方を大切にする。ホテルという場所でお客は違う自分を装ったり、それを楽しむために訪れる人も多いのである。ホテルマンはその気持ちを尊重して見なくてもよい素顔が見えても気がつかない事として接するのである。

刑事は、自分が殺人犯である素顔を隠しているのであるからその装いをはがして素顔を一早く見抜くのが仕事である。刑事とホテルマンのその違いが、ホテル業務を介して展開されるのが面白さを増してくれる。

ホテルはお客様数が多いので、その中から怪しいと思われる人物をピックアップし、白か黒かのグレーゾーン段階で追跡していく。それを主に担当するのが、フロントクラークの山岸尚美とフロントスッタフとして潜入する刑事の新田浩介であるが役目は正反対である。新田浩介は帰国子女で英語ができるために選ばれたのである。

フロントはチェクインの時、名前や誰と宿泊するのかなどチェックでき、これまでの殺人事件関係の人物や防犯映像に映った人物がいないか観察できる。さらにチェックインの様子から不審さを察知できるのである。そのため新田刑事の眼光は鋭くなるが、そうしたホテルマンとしては相応しくない態度を山岸尚美から注意される。ふたりはお互いに、それぞれの仕事の大変さを思い知らされることとなる。

殺人事件に関しては明かさないことにするが、もう一人、外関係を足で捜査し新田に知らせる刑事がいる。この能勢刑事の役割は新田にとっても事件解決のためにも非常に重要である。能勢刑事はあるところで殺人と関係しているのではという人物のポスターを発見する。その場面はもう少し時間が欲しかった。映画『砂の器』で刑事が映画館で一枚の写真に注目する場面がある。その映画館の支配人が渥美清さんでかなりインパクトがつよかったのでちょっと比較してしまった。映画を撮るほうはそのことも計算済みだったのかもしれないが。

多くの俳優さんが出演していてあえてそれを探らずに観たのであるが、エンドロールで明石家さんまさんの名前があった。出番は見過ごしていました。これから観られるなら注意されたほうが楽しみがふえるかも。

映画の後でミステリー小説『マスカレード・ナイト』を読む。ホテル・コルテシア東京のカウントダウンパーティーに殺人犯が現れるという密告があったのである。そうなれば映画『THE 有頂天ホテル』に殺人事件が加わり、ホテル・コルテシア東京のカウントダウンは仮装パーティーなのでもっと大変なことになるわけである。そもそも「マスカレード」とは「仮面舞踏会」「仮装大会」などを意味するのだそうである。ホテルのお客様はある面、皆さま仮面をしているということで、『マスカレード・ナイト』となれば、少なくとも二重の仮面をしているという複雑さが加わる。

マスカレード・ホテル』のその後なので、山岸尚美はフロントクラークからコンシェルジュになっている。「コンシェルジュ」は映画『グランド・ブタペスト・ホテル』ではじめて知ったので、来ました!と嬉しかった。今回は、この「コンシェルジュ」にお客様が相談されたり依頼されることが盛りだくさんなのである。それをどう解決するのかも楽しみの一つである。映画『マスカレード・ホテル』の山岸尚美役の長澤まさみさんの様子が浮かぶ。

小説『マスカレード・ナイト』からの新田刑事は色白のように思え、帰国子女のイメージが強い。映画『マスカレード・ホテル』の新田刑事役は木村拓哉さんで、日焼けしていて、刑事・デカであるという雰囲気をリアルに出そうとしているようである。刑事とホテルマンに変装しての違いを映像で伝える変化をかなり意識されているのであろう。あっ、刑事も装うのである。キーワードがなかなか手が込んでいる。

もう一人意識されてるように映るのが老女役の俳優さんで、この老女も新田刑事は不審に思うのであるが、こちらも舞台女優さんが演技をしているような違和感を感じて気になった。そんなわけで、色々不審に思ったり素顔が見えて違っていたりと犯人捜しは続くのである。

小説『マスカレード・ナイト』では、コンシェルジュの山岸尚美がお客様に相談され様々なことを紹介する。カウントダウン・パーティのあと年始のプランをホテルは計画していてその中に、「日本橋七福神巡りツアー」というのがあって紹介していた。映画『『麒麟の翼』を思い出してしまった。

その他、日本橋室町のシネコンでの映画や日本橋三越本店の本館七階のイベントなども紹介している。ホテル・コルテシア東京にはモデルがあってロイヤルパークホテルなのだそうである。

そうそう、小説『マスカレード・ナイト』で新田刑事とフロントで組むのは、フロントオフィイス・アシスタント・マネージャーの氏原である。氏原はがちがちのホテルマンで、刑事がいるなんて知られたらどうなるのかと憤慨し、フロント業務などもちろん任せられないとして新田は手を出すことができないのである。そんな中新田たちは犯人を捕まえることができるのであろうか。

小説のほうは読む気がなかったのであるが、こうなれば小説『マスカレード・イブ』も読むことにした。これからであるが。新田浩介と山岸尚美が出会う前のそれぞれのことがわかるらしい。

よろしければ映画『本能寺ホテル』はこちらで。→ 織田信長関連映画(1)

追記:公演中止となった歌舞伎関係の映像無料配信のお知らせ

(1)3月国立小劇場での『義経千本桜』の舞台映像。(詳しくは 国立劇場 で検索)(2)明治座『三月花形歌舞伎』の出演者による座談会映像。南座3月スーパー歌舞伎Ⅱ『新版オグリ』の舞台映像。歌舞伎座『三月大歌舞伎』の昼夜演目の舞台映像。(詳しくは 歌舞伎美人 で検索)

明治座の出演者座談会見ました。明治座での次の機会には見逃さないぞと思わせてくれる内容です。その時はロイヤルパークホテルでフレッシュオレンジジュースも飲まなくては。

映画『わが街セントルイス』『グランド・ブタペスト・ホテル』『THE 有頂天ホテル』

映画『わが街セントルイス』(1993年)は、1933年の大恐慌時代に少年がその苦境に闘うという映画ということで手にした。少年がどう闘うのか。

12歳のアーロンは、父が不況で職を失い今は装飾用のローソクを売って歩いておりホテル住まいである。弟のサリバンは叔父の所に預けられ、母は病弱でサナトリウムに入ってしまう。父は時計のセールスの仕事を得て旅立ち、少年は一人ホテルに残される。少年に手助けしてくれるのが同じホテルの住人でレスターという若者である。卒業式の服を調達してくれたり生きていく方法の手ほどきをしてくれる。

お金がないためホテルの住人は次々とホテルから消えてゆき、アーロンも追い出されことになるが部屋に閉じこもり何んとか生きのびる。アーロンは頭がよく、弟を呼び戻すため叔父に父の名で手紙をだす。「サリバン(弟)がいたクラスに伝染病が流行している。潜伏期間は数カ月。しかし、兄弟の輸血で簡単に治せるらしい。至急サリバンをこちらに帰して欲しい。」

父は、政府事業庁の採用にも応募していてその採用通知がくる。父の居場所はわからない。時計会社の父宛に採用通知を送る。その事によって父は採用を知り、窮地の兄弟のホテルに帰って来る。無事家族は新しい家で一緒に住むことができることになる。

気持ちに余裕が無いのは分かるがこの父親には疑問を感じてしまう。アーロンを励ます言葉が他にあるのではと。実際にはアーロンの機転が何んとか持ちこたえさせ良い方向へと導ていくのである。そして、レスターとの関係がアーロンの大きな力となってくれている。レスターは警察に連れ去られてしまうが。

レスター役のエイドリアン・ブロディが印象的だったので、彼の出演映画を探したら、映画『戦場のピアニスト』の主役をつとめていた。この映画は評判になったが観ていない。映画『グランド・ブタペスト・ホテル』(2014年)にも出ていて、ホテル関連でこちらを観る。この映画の出演者が凄い。

レイフ・ファインズ、ハーヴェイ・カイテル、ウィレム・デフォー、ジュード・ロウ、ビル・マーレイ、エドワード・ノートン、シアーシャ・ローナン、エイドリアン・ブロディなどである。

映画は架空の場所の設定で、話しはホテルだけに留まらない。1932年にグランド・ブダペスト・ホテルには富裕層の人々が利用していた。そこの名高いコンシェルジュ(ホテルでのお客様の要望にあらゆる面からお世話する役目の人ということのようである)のグスタヴ(レイフ・ファインズ)がお客であったマダムDの死を知り、ベルボーイのゼロを連れてマダムDの邸宅へ旅立つのである。

マダムDの邸宅では遺言の公開があり、グスタヴは名画「少年と林檎」を相続する。マダムDの長男ドミトリー(エイドリアン・ブロディ)はグスタヴを嫌い、母の殺人者にしてしまう。グスタヴは監獄へ。ところが、そこで脱獄に参加。脱獄したグスタヴを待っていたのがゼロで、二人のその後に何があったのか。

話しがホテルから随分逸脱していくが、そのことを語るのが老人となったゼロである。グランド・ブダペスト・ホテルはかなり古くなっており、ゼロが所有者となっていたのである。グランド・ブダペスト・ホテルで出会ったグスタヴとゼロが突然巻き込まれる事件と大きくとりまく戦争による話しである。ホテルマンの情報網や連係プレイには驚かされる。グランド・ブダペスト・ホテルで銃撃戦が行われたりセットも見どころである。

登場人物が個性的で人数の多いホテルの映画といえば、三谷幸喜監督『THE 有頂天ホテル』(2006年)である。23人の人々がホテルの副支配人を中心に新年を迎えるカントダウンのイベントを目指し、様々に関り合いを持つのである。この映画は観客のほうが映画を観ながら人間関係がわかっており、映画の中の人の方が関係がわからなくて奇妙な行動に出てしまうところに笑いが起こるという設定である。それに加えて俳優さんたちの個性的な役作りも注目度が高い。

歌い手になるという夢があったベルボーイがそれをあきらめ田舎に帰ることにする。ギターとマスコットとバンダナを、一緒に働いたホテル仲間にプレゼントする。ホテルはカウントダウンまでの短い時間に色々な問題が生じるが何とか成功させることができるのである。気が付いてみればギター、マスコット、バンダナはベルボーイのところにもどり、彼は夢を追い続けることにする。

ギターを背負って仕事をしていた客室係の女性とバンダナを巻いて逃げ回っていたアヒルは、敢闘賞ものである。筆耕係りには笑えた。垂れ幕に謹賀新年と書く時、垂れ幕の上を膝を折って足首をあげて移動する様子などは性格をよく表していた。

ホテルでは、皆笑顔で新年をむかえ有頂天となり、それぞれの新しい年への一歩を踏み出すようである。23人のそれぞれの生き方、仕事分担、思いがけないハプニングが印象強く残るようにできているのが見事である。

さて登場人物の役者さんの多さで期待できるのが4月から始まるテレビドラマ『半沢直樹』である。前作は最終を含め3回分しか観ていないのでDVDで観直した。今のほうが台詞がびんびん響くような気がする。銀行だけではくくれない体質が想像でき広がる。今回もラストのテンションが納得いかない。頭取は、常務を自分の目の届くところに置き、半沢にはさらなる成長を望んだのか。それとも単なる保身か。もう一回テンションを上げてくれることを期待し楽しみである。

現在・過去・現在・未来への回線

日々の報道や観てきた映画、ドキュメンタリーなどから想いは様々に巡っていく。過去の人々が経験してきたことを今見つめている。

常磐線の全面開通。9年かかった。良かったと思ったら、放射線量の高い帰還困難区域はまだ存在していてそこを通るのである。そこを飛び越えて東北に来て下さいということである。東北を元気にすることは大切である。この開通を喜ぶなら、帰還困難区域のことへも思考の回線をつなぐ必要がある。現状が落ち着いたら乗車し車窓を眺めたい。

ドキュメンタリー『“中間貯蔵施設”に消えるふるさと福島 原発の町で何が~』では、“中間貯蔵施設”というのを知る。福島県内の除染で出た除染土などの除染ごみを仮りに置く場所である。30年間の仮りの貯蔵施設である。その場所を所有している人々の苦渋の決断を伝えてくれた。自分がこの世にいなくなったあとにどうなっているのかをも思考しての決断である。

アメリカ文化ヒップホップに興味をもって映画やドキュメンタリー映画などを追い駈けていたら日系アメリカ人のことにぶつかった。ドキュメンタリー映画『N.W.A & EAZY-E:キングス・オブ・コンプトン』(2015年)は、ヒップホップグループ「N.W.A」のイージ―・Eの半生を描いたドキュメンタリーである。グループの映画としては『ストレイト・アウト・コンプトン』(2015年)がある。

ドキュメンタリー映画のほうで、メンバーのイージ―・Eとドクター・ドレ―を会わせたのが日系アメリカ人のスティーブ・ヤノという人であった。スティーブ・ヤノは、ローディアム(カリフォルニア州ロサンゼルスの南部の蚤の市)の伝説のレコード店の店主である。当時彼は、地元の大学院で心理学を学んでいた。この店に行けば流行りのレコードが全てそろっていて、ミックステープもあり、皆、彼の店で音楽を調達していた。

スティーブは音楽をわかっていて、ドレーのミックステープも置いていた。イージ―もこのレコード店を訪れていてドレ―に会いたいとスティーブに伝えていたのである。三人は電話で話したようである。それが「N.W.A」結成のきっかけとなるのである。日系アメリカ人がアメリカ文化に関係していたということを知ってから次の報道に目が留まる。

カリフォルニア州議会下院本会議は2月20日、第2次大戦中の強制収容など不当な扱いにより日系人の公民権と自由を守れなかったことを謝罪する決議案を可決したというのである。決議案の提出の中心議員が日系アメリカ人のアル・ムラツチでカリフォルニア州は日本人移民の多い場所であった。調べたら、1988年、アメリカ政府は公式謝罪をしている。

強制収容所に関しては、ドキュメンタリーで『シリーズ日系人強制収容と現代 暗闇の中の希望』を昨年観ていた。こちらはカナダでの日系人強制収容所でのことである。教育を受けられない子供たちのために収容所に高校を設置しそこで教えた女性カナダ人宣教師と子供たちとの交流が紹介されていた。そこで受けた教育はその後の子供たちの成長に大きな力となっていた。カナダ政府も日系人強制収容に対しては1988年謝罪している。

これらの事実を知ってもらいたいと思っている人々は、世界中が行き来する現在、過去の差別的考えを知ってそういう状況が発生することがないようにと願ってのことであろう。新型コロナウイルスのまん延する現在にもあてはまるように思える。

この機会にこの映画を観ておかなければ。映画『バンクーバーの朝日』(2014年・石井裕也監督)。今だからこそ差別と閉塞感がひたひたと水か煙のように迫ってきた。野球によって何か変わるのではないかという希望は強制収容所への道となってしまう。

3年間働けば一生楽に暮らせるとの話しから日本人はカナダのバンクーバーに到着する。ところが白人より低賃金で、日本人の真面目さはかえって反感をもたれる。バンクーバーで生まれた子供たちは働きながら野球チーム朝日で野球の練習に励む。体力的にもチームは最下位であったが、チビといわれながらも体力差を頭脳プレーに変え日系人を勇気づけ野球を面白くした。

日華事変がはじまりますます職が無くなっていく。朝日は優勝して対外試合に呼ばれ野球で新しい世界があるように見えた。息子(妻夫木聡)は父(佐藤浩市)に「野球ができるならここで生まれてよかった」と伝えるが、真珠湾攻撃により敵性国人として強制収容所へ隔離されるのである。

日系人が自由になったのは日本が負けて4年後であった。2003年、朝日軍はカナダ野球の殿堂いりをするが、その時大半の選手がこの世を去ったあとであった。この映画は、バンクーバー国際映画祭で観客賞を受賞している。

映画『ハワイの夜』(1953年・マキノ雅弘監督)では、二大スターの共演ということで恋愛作品となっている。日華事変の頃、ハワイでの水泳の親善大会で日本人男性(鶴田浩二)と日系人女性(岸恵子)とが出会い、第二次大戦となってもその想いは変わらず死を賭けて再会を果たす。深くは掘り下げていないが、親と二世の子供たちの千々乱れる苦悩は伝わってくる。移民できた親たちは日本への郷愁が強く、ハワイで生まれた子供は自分はアメリカ人だと宣言し志願して戦争にいく。

国立歴史博物館で企画展示「ハワイ:日本人移民の150年と憧れの島のなりたち」を開催していて興味があったのであるが知ってから日にちが無く観ることができなかった。残念である。過去に生きた人々は現在の私たちへ様々な足跡を残していてくれる。その回線を少しでも感知していたいものである。未来への回線は・・・