歌舞伎座 新春高麗屋三代襲名

  • 歌舞伎座新春は37年ぶりの高麗屋三代襲名披露公演。三代襲名ということも凄いが、37年前に続いての再度の三代襲名が実現したのであるからお目出度いことこの上ない。こればかりは予定していてできることではない。巡り合わせの幸運である。そういう襲名公演であるが、幸四郎さんが口上で、自分にとって襲名は関所であると言われた。口上の後に『勧進帳』の弁慶がある。実感のこもった口上である。

 

  • 幸四郎さんの弁慶は、弁慶という役と闘い、そして吉右衛門さんの富樫と闘い、義経の染五郎さんを守るために闘っていた。闘いの力の入った弁慶である。誰が何んと言おうと自分と闘う弁慶を見せればいいのだと思う。長唄の名曲『勧進帳』。富樫が命を懸けて義経と弁慶の主従関係に感嘆するという設定。判官びいきの日本人の心情を鷲掴みにする作品である。簡単には弁慶役者の心に添わせてくれるような作品ではない。

 

  • こちらも『勧進帳』を自分成りに解体して改めて考えてみた。富樫は義経一行であると知りながら関所を通す。そして再び登場して弁慶にお酒をすすめる。なぜ。弁慶も断って早くこの場を立ち去るべきである。富樫は自分の死をかけてまで関所を通す弁慶という人物との時間を持ちたかったのであろうか。讃えたかったのか。弁慶が断らなかったのはわかるような気がする。弁慶は富樫のために舞って礼を尽くしたかったのである。幸四郎さんが、扇をかなり遠くまで投げた時、そう思った。富樫に対する気持ちを舞いに託したのではなかろうか。今まで長唄の演奏に乗る弁慶の動きだけを観ていて考えもしなかった。『勧進帳』は演じる時常にさらなる強固な関所が待っている。染五郎さんは、『東海道中膝栗毛』『大石最後の一日』『勧進帳』と一つ一つ関所越え中。

 

  • 車引』は基本形に添っての若々しい三兄弟であった。桜丸(七之助)、梅王丸(勘九郎)、松王丸(幸四郎)。三つ子の兄弟であるが、幸四郎さんにはもう少し太々しい押しがほしい。俺が一番だ!『阿弖流為』が荒事になったらどうなるか。幸四郎さんとなっての新たな妄想を。

 

  • 寺子屋』はやはり名前が変わっても芸の重みは変わらない白鸚さんの松王丸である。何回も観ていて謎解きがわかっていながら、その裏の気持ちが伝わるしどころの決まりの上手さ。主君のことを思って他人の子を身代わりにする側(梅玉、雀右衛門)とその心をわかって自分の子を犠牲にする側(白鸚、魁春)。現代であればとんでもないお話。お互いが疑心暗鬼にぶつかる身体と心の流れと止めが気持ちよく収まり、それでいて深さがある。間の合い具合の妙味。猿之助さんの涎くりが大人たちの場面ではひたすら手習をし、花道での愛嬌がほっとさせる。これだけの配役の『寺子屋』。若い役者さん、目にしておいてほしい。

 

  • 箱根霊験誓仇討』(はこねれいげんちかいのあだうち)は初めて観る作品。箱根での仇討とはこれいかに。小栗判官と照手姫のような出の勝五郎と初花夫婦。初花は敵に連れ去られるが、夫と母の前に戻って来て滝の霊験に身をまかせ飛び込んでしまう。弔う勝五郎は立つことができ、目出度く仇討ができるという話。勘九郎さん、七之助さん夫婦に敵役と奴の二役の愛之助さんで、秀太郎さんが母としての貫禄をみせ話として簡潔におさまる。

 

  • 双蝶々曲輪日記ー角力場』(ふたわちょうちょうくるわにっきーすもうば) 芝翫さんの濡髪長五郎に愛之助さんの放駒長吉。愛之助さんは山崎屋与五郎のつっころばしとの二役。愛之助さん早変わりのためか、長吉のほうに稚気が薄い。長五郎に勝ち有頂天で、長五郎と並んでそれに対抗して幾つかのしどころがあるのだが、その間が早くさらさらとやってしまいアクセントがない。自意識過剰の若造のおかしさの間がほしい。芝翫さんの出は大きいのだが色気が少ない。ご自身の襲名が一段落した安堵感中であろうか。稚気と大人の色気のコンビネーションをお願いしたい。

 

  • 締めは舞踊三題。『七福神』はお目出度い楽しい踊り。七福神が揃って踊るのは60年ぶりということで、どなたかなと分からなかったのが布袋の高麗蔵さん。大黒天の鴈治郎さんが弁財天の扇雀さんを誘いだすという神様もやはり女性を見る眼は同じというユーモアもあり、又五郎さん(恵比寿)、彌十郎さん(寿老人)、門之助さん(福禄寿)、芝翫さん(毘沙門)と神様でもほのぼのとさせるゆとりである。『相生獅子』も初春に観ると扇獅子で艶やかさが増す。扇雀さんと孝太郎さんで、七福神の役者さんたちの後に控える要の年代の孝太郎さんは少し力が入っているかなと。『三人形』は傾城(雀右衛門)、若衆(鴈治郎)、奴(又五郎)の吉原での様子であるが、踊りが現代に合わせた具体的な振りではなくよくわからず仲の之町の雰囲気だけ味わう。踊りがあると舞台の味わい方にも変化がでます。

 

『坂東玉三郎新春舞踊公演』とシネマ歌舞伎『京鹿子娘五人道成寺・二人椀久』

  • 大阪松竹座の新春は、お年賀の口上から始まる。玉三郎は舞踏公演で台詞がなく声をお聞かせするという意味でも口上をもうけましたと。新春から大阪で壱太郎さんと江戸と上方の役者が並べることを嬉しく思いますと二代目鴈治郎さんのことにも触れられる。何を踊りたいか聞いてもなかなか言わなかった『鷺娘』を踊る壱太郎さんは、玉三郎さんの踊りはもちろんであるが、小道具、照明、舞台装置などあらゆる発想が印象に残ると。テレビの『にっぽんの芸能』(NHK・Eテレ)で玉三郎さんが『京鹿子娘道成寺』の鈴太鼓は子供用を用いていると言われて驚いた。身体の動きからそうなったと。そばで壱太郎さんは様々な驚きを受け取られているのだろう。

 

  • 今、玉三郎さんは、後輩たちと同じ舞台に立つことが伝えるということに一番有効な手段と考えておられるようだ。後輩たちは緊張と新鮮さの連続なのであろう。シネマ歌舞伎『京鹿子娘五人道成寺』(全国上映中)でもそうであったが、心に粘着性の突起を装置して触れる驚きや教えをすばやくとらえ、それを心の中に取り込んで再考し活かす方法を模索しているようである。七之助さんは、他のテレビ番組で勘三郎さんは穴を掘れというがどう掘るかを教えてくれないで、何やっているんだ掘れとだけ言うが、玉三郎さんはきちんと掘り方を教えてくれて優しいですと言われていた。その教えを聴く耳の鋭さも必要のようです。

 

  • 舞踊は賑やかな『元禄花見踊』から始まる。詞は花見の様々な様子がでてくる。着ている衣裳の様子、北嵯峨、御室の地名、お酒の大杯など、そして上野のはなざかりとなる。さらには囃子詞(はやしことば)も入りまるで花見の酔いに任せた詞の蛇行ジャンプである。ここは玉三郎さんの朱色の組みひもの優雅な動きに操られて楽しく花見客の見学である。ヨイヨイヨヤサ・・・

 

  • 秋の色種』は大好きな長唄である。CDを購入。詞に合わせた振りもいい。「衣かりがね声を帆に、上げておろして玉すだれ」声を帆に・・・で扇を少し開いたり閉じたり、玉すだれ・・・でゆらゆらと。この踊りの扇使いは見とれてしまうだけである。お箏は、玉三郎さんと壱太郎さんのお二人で。『秋の色種』の演目が入っていたからこそ、大阪へと思ったのである。はかないですね。観ている時はそうこことおもいますが、記憶が薄れていく。季節はずれの秋の溜息。後輩たちも、千穐楽、もう終わってしまうんだと溜息でしたね。

 

  • 鷺娘』は、玉三郎さんが<玉三郎の鷺娘>として一つの完成を極めた感のある演目である。それに壱太郎さんが一か月果敢に挑戦することを決め、それも玉三郎さんと同じ舞台でということで、なかなかいいだせなかったという気持ちもわかる。玉三郎さんの『鷺娘』が脳裏に残っている人が多い。玉三郎さん以外では、魁春さんの、黒の塗り下駄での出をされたものと、福助さんは透かしの印象的な傘にされた踊りが記憶に残る。恋の妄執に責めさいなまれ息耐えるというテーマのある作品なので観るほうもそこに気持ちが集約されていく。

 

  • 踊り手に鷺の精町娘との変化が要請され、一度観ていると綿帽子の白無垢に黒帯の出では、鷺の精の鷺娘としてそこにいる。そこから引き抜きがあり、明るい町娘となり ~縁を結ぶの神さんに 取りあげられし嬉しさも~ となる。ところが引っ込んで出てくると、神さんへの怨み言となる。引き抜きがあって傘づくし。壱太郎さんは小さな傘を二本使い若さが映える。もろ肌脱ぎの赤になり、鷺のぶっ帰りで終盤に入る。短いなかに引き抜きが入り、観客に鷺娘の心模様を伝えつつ最後は鷺の精にも抗い難い責め苦へと入っていく。

 

  • 人に恋してしまった鷺の許されない道。玉三郎さんの『鷺娘』は終盤、玉三郎さんが踊られてるのは重々承知していながらなにものかに身体が操られていて内面の妄執のすさまじさと悲しさを感じる。壱太郎さんの場合はまだ壱太郎さんの意志の力で踊られていて激しい踊りであると認識してしまう。この観客の気持ちをこの後どう鷺娘の心に吸引していくのかたのしみでもある。『鷺娘』は変化物の一つとして踊られていて、それが一つの舞踊作品として独立したものである。最後の責めの分部を加えたのが九世團十郎さんでロシアバレエのアンナ・パブロワが来日して『瀕死の白鳥』を観て着想を得たという。 

 

  • 真っ暗な舞台にぽつぽつと灯りがみえる。あれはなんであろうか。ぱっと明るくなって吉原仲之町。松の位の『傾城』。チラシの玉三郎さん。髷(まげ)は伊逹兵庫(だてひょうご)。左右あわせて12本の長い簪(かんざし)。中央には櫛が三枚。その後ろの左の松葉の簪が二本。右後ろには玉簪が二本。まじまじと髷と飾りをみる。花魁道中の風情を軽く見せて暗くなる。歌舞伎座と違ってこの場面は短い。再び明るくなり、廓での間夫とのやりとりが踊りとなっていく。喧嘩したり仲直りしたり、戸を叩く音を水鶏にだまされたりと動きはゆったりしているが饒舌な舞踊で、季節感豊かなありさまである。

 

  • 実際にそこにはいないのに映像でその場面や人物を映し出すことをバーチャルというなら、芝居や踊りなどはその心を自分で映像化するバーチャルである。『京鹿子娘五人道成寺』は、五人の花子の心をこちらは受け取ることになり超バーチャルな場所にいることになる。人工的バーチャルに対する五人の花子の肘鉄。歌舞伎役者さんの素と役の扮装と技はこれまた時空を超えさせる。その映像は、その場にいて観忘れた所作などが確認できる。烏帽子の脱ぎ方など。いつもと違っていた。

 

  • 映画『二人椀久』では、椀久の最後は倒れて終わるのであるが、勘九郎さんは、大木に体を支えるようにして終わる。傾城松山が夢の中に現れ楽しく踊るのであるが、いつのまにか椀久は松山がそこにいるのに触れることができない状態になっていく。花道でも捕らえようとしてとらえられない。そして完全に松山の姿は消え椀久は一人残され、たまらなくなって大木に体をゆだねるのであるが、命あるものに触れていたいという椀久の寂寥感伝わってすっと幕がおりた。実際に観てたよりも寂しさが心にささる。

 

  • 友人の住んでいる近くの映画館でもシネマ歌舞伎を上映しているので薦めたら行っそうで、映画館へ一人で行くのは生まれて初めてで朝4時に目が覚めて不安だったと。彼女に言わせると玉三郎さんは神技で、若手に苦言を呈し、意気盛んな感想である。来月、『籠釣瓶花街酔醒』も見に行くと。行く前と後の彼女の話しの様子に笑ってしまう。苦言の多いこちらが、しきりに若手の弁護にまわっていた。『籠釣瓶花街酔醒』の縁切りの場で『傾城』が流れる。

 

  • 鷺娘』に関しての九世團十郎さんとアンナ・パブロワとの件は、パブロワさんが来日した1922年には九世團十郎さんはすでに亡くなっていますので間違いです。『鷺娘』を最初に踊ったのは江戸時代(1762年)二代目瀬川菊之丞さんで、明治に九世團十郎さんが復活して人気を得ました。玉三郎さんが踊られている『鷺娘』の振り付けは六世藤間勘十郎(二世勘祖)さんである。『商業演劇の光芒』(神山彰編)の中で水落潔さんが「東宝歌舞伎と芸術座」で書かれている。長谷川一夫さんが座長で新演技座旗揚げ公演の演目に『鷺娘』(1941年)が入っていて「『鷺娘』は勘十郎さんが『瀕死の白鳥』をヒントに創作した舞踏・・・」とあるので実際に『鷺娘』と『瀕死の白鳥』を結びつけたのは、六世藤間勘十郎さんであったと思います。その後、踊る方によって変化していることでしょう。

 

  • 判らないことが多く、研究しているわけではないから出たとこ勝負。壱太郎さんの『鷺娘』の二本の傘も現藤十郎さんが扇雀時代に初演で二本傘なのを復活振り付けされたのを踊られたことを知る。『名作歌舞伎全集第19巻』の『鷺娘』に1961年にNHK「日本の芸能」でのテレビ放送のときで扇雀時代の写真が載っていて傘の大きさは普通の大きさである。壱太郎さんと藤十郎さんの『鷺娘』のこんなところにつながりがあったのかと、観た事がさらにしっくり落ち着いた。

 

  • シネマ歌舞伎の『籠釣瓶花街酔醒』を観れなくて、セット券が一枚残ってしまう。有効期限は2月。東劇で『京鹿子娘五人道成寺』『二人椀久』を延長して上映してくれていた。二回目の鑑賞である。上記の『二人椀久』の最後、間違って記していた。<勘九郎さんは、大木に体を支えるようにして終わる。>としたが、そのあと立ち膝になり羽織を抱きしめて幕であった。大木に寄りかかるところが強い印象でそこで記憶は終わったらしい。二回観て訂正できてよかった。落ち着いて鑑賞でき二回目なのに新鮮であった。

 

播州赤穂

  • 大阪松竹座『坂東玉三郎 初春特別舞踊公演』を観に行ったので播州赤穂まで足を伸ばす。赤穂城もであるが、塩関係も見ておきたかったのである。ところが、千種川のこちら側が忠臣蔵関係で川を渡ったあちら側が塩関係の海浜公園で、海浜公園側は火曜日は休館日ということである。塩の国が見たかったのであるが残念。

 

 

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  • 赤穂大石神社は、大石邸宅跡に創建されている。松の廊下刃傷の知らせの早籠が叩いたであろう大石宅長屋門が残っていた。大石神社関係のかたは新年でもあり忙しそうであった。

 

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  • 赤穂大石神社は義士資料館がなかなか興味深い。大石内蔵助亡き後大石の妻・りくは、長女と次男を亡くし、三男の大三郎が広島浅野家本家に召し抱えられ次女ルリと広島に移り、香林院として68歳でなくなっている。映画『最後の忠臣蔵』にも出て来た寺坂吉右衛門の孫は祖父の偉業で出世している。

 

 

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  • 城で飼っていた犬まで一筆書いて渡している。犬公方綱吉ゆえか。浅野内匠頭長矩の彩色した木像は国立劇場にある六代目菊五郎の鏡獅子を彫った平櫛田中作で勅使御饗応役としての緊迫感あり。

 

 

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  • 大石宅庭園には、備中松山城受取り際に祈ったという茨城の笠間稲荷から勧請された稲荷社があり「受取り稲荷」とも呼ばれている。

 

 

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  • 備中松山城受取りについては、舟木一夫特別公演の『忠臣蔵』で初めて知る。赤穂城受け渡しの際はこの経験が潔さにつながったのでは。長矩はその経験がありながら何とも言い難し。神社の外には、義士たちの邸宅跡が印され、磯貝十郎左衛門宅址には、遺品のなかに紫のふくさに包まれた琴の爪が一つあったとあり、歌舞伎『大石最後の一日』を思い出す。美男子で能、琴、鼓などの遊芸に優れていたとある。これは映画にもなっていて昨年見逃してしまう。
  • 今の赤穂城を築いたのは、浅野長矩の祖父長直で、兵学者・儒学者の山鹿素行を召し抱え築城にも参加させている。その後山鹿素行は朱子学を批判したとして赤穂配流となり、大石宅の庭で茶やお酒を楽しんでいる。そのころ大石良雄10歳。山鹿流の陣太鼓。歌舞伎の『松浦の太鼓』を思い出す。芝居や映画の虚構性と歴史が重なって何とも楽しい。長直は塩づくりに力を入れ、東浜塩田を天守のない天守台からながめていたらしい。平城で、庭園など戦の無い時代の城である。戦は無いが改易との戦いがあった。

 

 

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  • 赤穂は井戸を掘っても海水がまじるため上水道を完備した。それが、浅野家の前の池田家の時である。『赤穂市立歴史博物館』でそれを展示や映像で説明していた。千種川から町家にも各戸に給水していて、播州赤穂駅からお城に向かう道にも「赤穂藩上水道」とあり、水が勢いよく流れだしていて町民の喜びが想像できる。

 

 

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  • 入浜塩田の模型もあり、浅野家の後は永井家その次の森家は西浜塩田を干拓し、12代藩主を続けた。この森家の祖先には、織田信長に仕えた、森蘭丸坊丸力丸三兄弟がいた。その後森家に後継ぎがなく廃絶となるが、幕府は復活させ森長直を赤穂藩主とし、そこから12代続くのである。この森三兄弟の出現で安土に寄ることを決める。

 

 

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  • 三之丸に大石良雄宅ら重臣の屋敷があり大石神社から『赤穂市立民俗資料館』へ行く途中に塩屋門跡がある。藩主長矩の刃傷、切腹の第一、第二の早籠の知らせが入ったのがこの門で、城受取りの軍勢が入ったのもこの塩屋門とある。水色の洋館が『赤穂市立民俗資料館』で明治38年に塩専売法が施工され大蔵省塩務局の庁舎である。現存する日本最古の塩庁舎。赤穂で使われていた農具や日用品などが展示されているが、展示品の時代の流れがわかりやすく広い空間、狭い空間を上手に利用している。赤穂緞通(だんつう)を知る。堺、鍋島と並ぶ三大緞通。

 

 

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  • 赤穂の伝統工芸にも出会えた。駅の裏山には赤の文字が。

 

 

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メモ帳 5

  • 箱根神社。芦ノ湖から見える赤い鳥居(平和の鳥居)を数回目にしつつ、訪れていなかったので友人とお参りへ。二人とも今年の初詣。今年は素通りした場所や埋めたかった場所を旅の一つの目的地としたい。湖だけに龍神を祀る九頭龍神社新宮も同じ境内にある。九頭竜神社本宮はもっと奥で、箱根神社元宮は駒ヶ岳山頂にあり、ケーブルで行けるらしいが今回は箱根神社のみ。御朱印も下で預けて番号札をもらい、御参りして帰りにスムーズに受け取れた。参拝客もほどほどで富士山の雲の無い雄姿もみれて空白が埋まる。

曽我神社あり (曽我十郎・五郎之命)

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  • 次に三島大社へ。元箱根港から三島駅までのバスが交通渋滞のため20分遅れ。途中富士山があまりにも美しいので大吊橋のスカイウォークに途中下車しようかと相談したが人が多いため通過。三島大社前で降り、屋台が並び参拝客の数もほど良い。食べるために並ばないのであるが、うなぎを焼く匂いに今回は例外。水の澄んだ源兵衛川。飛び石も配置され心和む散策路。楽寿園の庭園の池はかつてはたっぷりと富士山からの水で満たされていたがその後の開発のため干えあがっている。そのため富士山が爆発のとき流れた溶岩の地肌の池の底がみえる。楽寿館で説明を受け、水の満ちた庭を想像する。東海道歩きで素通りし、見せたかった三島の一部に友人も満足。

 

  • 等々力渓谷(とどろきけいこく)。東急大井町線の等々力駅の近くに渓谷がある。五島美術館から歩こうと思っていつも寄れなかった。昨年の秋、電車移動を決める。等々力渓谷には古墳時代後期から奈良時代の横穴群がある。

 

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一服の清涼感。途中で階段を登って行くと等々力不動尊がある。駅の北側にある満願寺の別院で、満願寺は吉良氏の祈願寺であったそうで驚き。それだけ吉良氏の系図は古いのである。等々力不動尊の「瀧轟山」の山門は大きな交通道路に面しており上と下の風景の違いが面白い。

 

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ここには吉良邸討入りのあとそれに加わった元赤穂藩士十人を預かった毛利家上屋敷邸の跡もある。歩くと驚くことが重なる。

 

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  • 五島美術館。等々力駅からお隣の上野毛駅へ。『光彩の巧み ー瑠璃・玻璃・七宝ー』。装飾の系譜は西アジアから欧州を経て中国から日本へ。日本では仏典の七つの宝にちなんで七宝と呼ばれ座敷の釘隠しなどの飾りや、室内の調度品に。名古屋城本丸のふすまが展示されていて、名古屋城では全体像を見れたが、ここでは眼の前にある。ふすまの引手の細工の緻密さ。タイミング抜群。国分寺崖線を生かした庭園に、いろはモミジの赤さが映えるがススキも灯篭とマッチして古風な雰囲気が似合っていた。

 

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  • 宇都宮城。宇都宮は江戸時代は関東で最も栄えた宿場である。戊辰戦争では、新撰組副長・土方歳三が大鳥圭介軍の参謀として宇都宮城を奪うべく戦さをしかける。近藤勇が流山で官軍に捕まった後である。歳三は城の東南から攻めれば落ちると確信し奇襲をかけ、結果的に落城してしまう。函館の五稜郭への橋を渡った時からそれを確かめたかった。宇都宮城に、ジオラマでそのことがしっかり表示されていた。土方歳三の戦の才は情で語られるよりも冷静である。

 

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宇都宮城の中世 → 藩主奥平時代 → 江戸時代将軍が宿泊する城

 

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旧幕府軍の宇都宮城攻撃

 

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戊辰戦争の宇都宮のジオラマ

 

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宇都宮釣天井」は映画『家光と彦左』で知ったが、そのこともきちんと宇都宮城の歴史の一部に記されていた。2代将軍秀忠が日光参拝の折り往復宇都宮城に宿泊する予定が、帰りは宇都宮城をさけて江戸に帰る。その後、幕府は宇都宮城主・本多正純が留守の時に宇都宮城を取り上げてしまう。真相がよくわからないため伝説の「宇都宮釣天井」がつくられる。「宇都宮城主本田正純が、日光社参の帰り道に宇都宮城に宿泊する予定であった3代将軍家光を、からくり仕掛けの天井をつくって暗殺しょうと企てた。しかし計画は失敗に終わり幕府の裁きをうけ殺された。」

 

宇都宮城忠臣蔵とも関係あり。22代目城主・宇都宮国綱が秀吉に所領を没収追放され、城代となったのが浅野長政で、その三男長重が笠間藩主となり、その後赤穂へ移封となる。松の廊下刃傷事件の浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)は長重のひ孫にあたる。この事件のあと急きょ「勅使饗応役」をまかされたのが戸田忠真(とだただざね)でこの功績もあって宇都宮城主となり、その後老中にまで出世する。話題性の多い宇都宮城を知る。

メモ帳 4

  • 2018年がやってきた。向かうというより向うからきたという感じ。檀一雄さんの『花筐』を読む。大林宣彦監督の映画を観ていないと感覚がつかめない作品。この作品をひりひりと感じる感性が失せている。その時代の青春を受けとめようとするが、作品だけでは受けとめえない感性の鈍さ。悲しい。時代の空気を感じるとは何んと難しいことか。小説は今命が散る自分を誰に見届けてもらうか。その相関図と思う。異国から波の音が聞こえる町に降り立った榊山(さかきやま)少年が、他の少年、少女たちとひとりの若き未亡人の叔母とにきらきら光る波を映し出す。「感受性の隅々までが何の隠蔽(いんぺい)もなく放置され、五体はわなわなとふるえていた。次第に榊山の体内には光のように峻厳な充実感がみなぎっていた。」

 

  • 檀一雄さんは太宰治さんなどのところを転々としつつ、昭和12年初短篇集『花筐』の刊行直前に動員令で入隊。昭和15年に召集解除。再召集を恐れて満州に渡る。三島由紀夫さんの『私の遍歴時代』に檀一雄さんのことは出てこなかった。三島由紀夫さんにも昭和20年赤紙がくる。気管支炎で高熱を発し、胸膜炎と誤診され即帰郷。檀一雄さん明治45年・大正元年(1912年)生まれ。三島由紀夫さん大正14年(1925年)生まれ。

 

  • 昭和12年(1937年)三島由紀夫さんは初めて歌舞伎座で歌舞伎を観劇。羽左衛門、菊五郎、宗十郎、三津五郎、仁左衛門、友右衛門の『忠臣蔵』で、大序の幕があくと完全に歌舞伎のとりこになる。『花筐』には吉良という名前の少年がでてくる。道化者の阿蘇少年が「吉良上野の子孫かい?」とたずね「そうだ」と即答されへこむ。三島さんは、子供の教育に悪いと12歳まで歌舞伎は見せてもらえず、もっと教育に悪いはずの映画は自由に見せてもらったのだから妙だと言及している。

 

  • 三島由紀夫さんが観た『忠臣蔵』は大序とあるので『仮名手本忠臣蔵』の通しでしょう。森繁久彌さん主演の社長シリーズの映画『サラリーマン忠臣蔵』『続サラリーマン忠臣蔵』は『仮名手本忠臣蔵』を下地によく出来上がっていた。現代物のサラリーマンでどう仇討をするのか。株主総会で怨みをはらすとあり、映画『総会屋錦城』が面白かったのでそれではと観る。原案は、井原康夫とあり、実際は4人のかたの一字をとった名前で「康」の戸板康二さんの案が強いようだ。なるほどとうなずける。

 

  • 社長シリーズのメンバーに加え、桃井和雄を三船敏郎さんにし、その部下・角川本蔵を志村喬さんに。本蔵に押さえられる浅野卓也は池部良さん。浅野と深い仲の芸者加代治が新珠三千代さん。加代治に御執心の吉良剛之助が東野英治郎さん。赤穂産業の浅野卓也社長亡き後、新社長として乗り込んでくるのが丸菱銀行頭取・吉良剛之助。専務・大石良雄の森繁久彌さんは当然辞表を提出。同志と新会社設立。艱難辛苦のすえ、赤穂産業の株主総会で吉良剛之助を退陣させる。

 

  • 仮名手本忠臣蔵』を上手く使いつつ、社長シリーズのいつもの雰囲気を合体させる。大石社長の料亭、クラブ通いはお手のものであり、その場を祇園、一力、山科などの名前を使う。原案者の方々はそのアイデアに相当楽しんだであろう。観る方もその組み合わせの同一と相違の変化を愉しませてもらう。堀部安兵衛を堀部安子の中島そのみさんとし、かえって面白くなった。森繁さんが三船さんにもっと骨のあるやつだとおもったと言われるあたりも、ピリ辛でしまる。池部さんはダンディで、野暮な東野さんは悪役の位置そのもの。『サラリーマン忠臣蔵』娯楽映画でありながらなかなかである。

 

  • 京都の東福寺の東奥に皇室と関係の深い泉涌寺(せんにゅうじ)がある。楊貴妃観音と呼ばれる仏像もあり、友人に薦められかつて紅葉の頃、東福寺から歩いて訪れたことがある。泉涌寺の塔頭の一つ来迎院に茶室「含翠(がんすい)軒」があり、思いがけなくも大石内蔵助の作った茶室とあった。ここで赤穂浪士たちとの密談もされたそうで、大石内蔵助の親戚がこのお寺に縁があったとか。一山越せば山科の大石内蔵助宅にも近い。茶室はすこし寂しい感じで、世間の討ち入りの喧騒さとは程遠い静かな雰囲気であった。

 

  • 大石内蔵助旧居跡といわれる岩屋寺のそばに大石神社がある。大石神社は浪曲師・吉田大和之丈(奈良丸)らの篤志により建立。浪曲の義士伝は、桃中軒雲右衛門が完成させ、同時代に吉田大和之丈(奈良丸)も義士伝もので人気を博す。映画『桃中軒雲右衛門』では月形龍之介さんが演じあの独特の声が浪曲師に合っていた。映画『総会屋錦城』の中で志村喬さんが桃中軒雲右衛門の義士伝の一節をうなる場面があり、音源はレコードであろうか。『サラリーマン忠臣蔵』では森繁久彌さんが東野英治郎さんの前で大塩平八郎作「四十七士」で剣舞を披露し、辞表をたたきつける。それよりも「青葉茂れる~」の歌としぐさ、間のはずしかたがやはり森繁節で絶品。

 

メモ帳 3

  • 国立劇場で伝統歌舞伎保存会第21回研修発表会があり、本公演も観劇。『今様三番叟』は箱根権現が舞台。源氏の白旗を使いさらし振りがあり女方がみせる変化にとんだ三番叟で楽しさも。『隅田春妓女容性』<長吉殺し>は、同じところに用立てるお金を巡って梅の由兵衛(吉右衛門)と義弟の長吉(菊之助)の義理立ての姿が悲しい。観劇二回目なので、もう少し芝居に濃い味があってもと思う。今度、亀戸天神と柳島妙見堂へ行こう。

 

  • 研修発表会のまえに時間は短いが『お楽しみ座談会』(吉右衛門、東蔵、歌六、雀右衛門、又五郎、錦之助、菊之助) 『本朝廿四孝』で先輩に習ったときのことなどを披露。映像での勉強が多い今の時代に苦言も。<十種香><狐火>が研修発表舞台。皆さん内心は別なのであろうが堂々と演じられる。米吉さんの八重垣姫が<狐火>引き抜きのあと、着物の左袂から下の赤い袂が出てしまう。振りが横向きの時に左腕が後ろになって戻した時直っていた。その後も問題なし。狐の化身になっているので赤の出過ぎは禁物。立女方としての心意気で最期を締めた。

 

  • 研修発表舞台に刺激されてその後、歌舞伎座『楊貴妃』の一幕見へ。立ち見ですと言われたが、2、3席空いていた。時間が短いので自分の観たい場所での立ち見の人が多い。詞を反復して行ったので、よくわかった。つま先の優雅な動き。揺れる衣裳。二枚扇の使い方。扇の左右の位置関係も綺麗に見えた。今回は集中でき音楽も声も耳に心地よく、それと玉三郎さんの舞いが一体化。中車さんの動きも良い。玉三郎さんが、玉すだれから現れる時、拍手が邪魔。納得いく『楊貴妃』で、今年の観劇も終了。

 

  • 全身の動きの線を見せる踊りのバレエ。購入してしまえばとおもうほどレンタルするのが、バレエドキュメンタリー映画『ロパートキナ 孤高の白鳥』。ロシアバレエ団マリインスキー・バレエのプリンシパルのウリヤーナ・ロパートキナ。残念なことに今年引退を表明。古典からプティやバランシンの作品にも挑戦され自分のバレエにされる。自分に合う作品を選び最高の表現者となる。大好きなバレエ表現であり映像である。観終るとなぜか歩いて返しに行く。

 

  • フラメンコの映画『イベリア 魂のフラメンコ』。スペインの偉大な作曲家、イサーク・アルベニスのピアノ組曲「イベリア」にフラメンコを中心としたダンスで構成した映像である。カルロス・サウラが脚本・美術・監督を担当していて、その構成はフラメンコダンスも背景も照明も音楽も飽きさせない。鏡などを使い、顔や衣裳にあたる照明も美しい。切れ味がよく変化に富みフラメンコに魅せられた。

 

  • カルロス・サウラ監督が気に入り映画『サロメ』『ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い』を見る。『サロメ』は舞台稽古をしている設定からで出演者にフラメンコとの出会いや経歴なども聴く。そして「サロメ」を通しで演じるダンサーたち。「サロメ」をどう作りあげたいかがよくわかり、舞踏「サロメ」も圧巻。さすがカルロス・サウラ監督作品。『ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い』は題名通り、天才劇作家、ロレンツォ・ダン・ポンテとモーツァルトが出会って、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」が出来上がるという筋。新説らしいが旧説も知らないのでただ流れのままに。

 

  • 渋谷のル・シネマでカルロス・サウラ監督の映画『J:ビヨンド・フラメンコ』が上映中。スペインのアラゴン地方が発祥とされる「ホタ」といわれるフラメンコのルーツのひとつ。いままでの映画のフラメンコのタップの音が耳についているので、こちらはタップがほんのわずかでさみしいが、カスタネットが軽快に鳴り響きつま先がよく動く。民族舞踏なだけに地方にそれぞれルーツが残っているのであろう。歌と音楽も素晴らしい。

 

  • 映画『花筐/ HANAGATAMI』おそらく2017年締めの映画館での鑑賞。大林宣彦監督がデビュー作『HOUSE/ハウス』よりも前に書かれた脚本「花かたみ」。原作は檀一雄さんの初短篇集『花筐』で映画化の許可をもらっていた。檀一雄さんの本の解説も語られる。映画を観始めて乱歩と思ったら、エドガー・アラン・ポー『黒猫』の英語の授業の場面が。大林監督の映像の多様性。戦争を前にした個々の青春からほとばしるぎりぎりのポエム。文学者、映画監督などの様々な群像も重なり合う。芥川龍之介の不安さえもそこにはある。唐津の風景と唐津くんち。何のために流すのか。真っ赤な血。有楽町・スバル座で上映中。

 

  • 檀一雄さんの『花筐』。この作品載っているかなと本をだしたら〇印。これは読んだ印。まったく覚えていない。いつ檀一雄さんの作品を読もうと思ったのか。どんなきっかけで。記憶にない。映画チラシに『花筐』を読んで三島由紀夫さんは小説家を志したとある。この落差。『花筐』を読み返すより掃除でもしたほうが良さそうだ。頭の中も。大林宣彦監督の観ていない作品も来年ゆっくり。小説『花筐』も。も、も、も、づくし。

 

  • 昨夜、大林宣彦監督の映画『この空の花 長岡花火物語』を観てしまったら午前2時半を回ってしまう。『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』で式場隆三郎さんの資料と会い、甲府での『影絵の森美術館』では山下清さんの作品に会い、映画『この空の花 長岡花火物語』は、山下清さんの「 世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら、世界 から戦争が無くなるのにな」の言葉に出会う。何かつながってしまった。長岡の花火にイベントを超えた人々の想いが込められていたのを初めて知る。平成29年もあと10分。平和に暮れるであろう。このしあわせがいつまでも。よき新しい年を。

 

昇仙峡

 

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影絵の森美術館』  藤城清治展

 

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メモ帳 2

  • 北野恒富展 -「画壇の悪魔派」と呼ばれた日本画家』(千葉市美術館) ナニワで明治、大正、昭和と活躍された画家。期待の「画壇の悪魔派」がよくわからない。結果的には美人画家の印象。作品多数でナニワの美人画家がチバで頑張り、寒風の最終日鑑賞者も頑張る。日本酒の美人ポスターから熱燗連想。「鷺娘」の絵からナニワの『鷺娘』が気になる。
  • 映画『総会屋錦城 勝負師とその娘』 表舞台から消えていた大物総会屋・錦城の志村喬さんがやはりこの人ありの抜群さ。老いていながら娘のために相手の総会屋を倒し、総会屋はダニであると自ら豪語。妻の轟夕起子さんも適任。近頃、轟さんに注目。京マチ子さんにも。
  • 男はつらいよ純情詩集』の京マチ子さんと寅さんの出会いは最高。満男の先生・壇ふみさんを好きになり、さくらにお兄ちゃんは先生のお母さんと同じ年代よと注意されて、寅さん納得。そこへ先生のお母さんの京マチ子さんが登場。こんな落ちありと爆笑。世間離れしたふたり。山田監督の俳優さんの芸歴に合わせた人物像の設定の上手さ。
  • 溝口健二監督の遺作『赤線地帯』は、売春防止法が議論されている時代の娼婦たちの様子をえがいている。京マチ子さん、若尾文子さん、三益愛子さん、木暮実千代さんなどがそれぞれの事情からその生き様を演じる。この女優さんたちが渡辺邦男監督の『忠臣蔵』にこぞって出演。その振幅がお見事。『赤線地帯』の前に、同時代の厚生大臣一家を描いた川島雄三監督の『愛のお荷物』があり、厚生大臣夫人が轟夕起子さんで好演。過ぎし日の映画鑑賞はやめられない。
  • 国立科学博物館で『南方熊楠』展始まる。(2018年3月4日まで)
  • NHKEテレビ 12月19日22時~「知恵泉」究極日本人・南方熊楠
  • 映画『女の勲章』原作・山崎豊子さんで吉村公三郎監督。船場のとうはんの京マチ子さんが、洋裁教室から商才に長けた八代銀四郎の力を借り洋裁学校にし、チェーン学校へとファッション界を登りつめる。銀四郎の田宮二郎さんがギンギンの大阪弁のテンポの速さで女も経営も手にしていくが、とうはんは自殺。若尾文子さん、叶順子さん、中村玉緒さんと個性がくっきり。ファッションも楽しめる。原作のほうが、経営手腕の機微は面白いであろう。驚き。テレビドラマで銀四郎を仁左衛門さんが、孝夫時代に。現代物の色悪。
  • 世界最大級のファッションイベント「メットガラ」密着ドキュメンタリー『メットガラ ドレスをまとった美術館』。ファッション満載であるが、NYメトロポリタン美術館のスミに追いやられている服飾部門の地位獲得の目的がある。ファッションはアートになれるか。テーマは「鏡に中の中国」。今まで中国のイメージで創作されたファッションの展示。和服の場合。日本では工芸としての位置づけがすでにある。織り、染め、刺繍などから、帯留め、煙草入れまで工芸品のアートとして展示。洋服のファッションは動いてこその意見もある。そんなこんなで裏も表も刺激的。
  • 映画『楊貴妃』溝口健二監督である。実家での下働きのような生活。宮廷での優雅な生活。どちらも自分なりの生き方で行き来する京マチ子さん。枠組みは狭く、権力争いの中でそれとは関係なく自分の生き方を探すがやはり負けてしまう楊貴妃。溝口監督の世界。玉三郎さんの『楊貴妃』はその後のことで難解。言葉と踊りが自分の中で曖昧。玉三郎さんの世界に入りきれなかった。
  • 映画『大阪物語』原作は井原西鶴作品をもとに溝口健二監督が。脚本・依田義賢。溝口監督が急死され、吉村公三郎監督が引き受ける。夜逃げの百姓一家が大阪で大店に。主人の二代目鴈治郎さんのお金に対する執着心が引っ張る。最後はお金の妄執にとりつかれる鴈治郎さん。この方が出演されと映画に一味深みが加わる。

メモ帳 ー吾輩はメモ帳であるがまだ名前はないー

  • 国立劇場 『今様三番叟』雀右衛門さんの鼓のリズムに乗った動きか軽快で艶やか。『隅田春妓女容性(すだのはるげいしゃかたぎ)』 菊之助さんの女房役にやっと満足できてうれしい。娘役と女房役の境界線が成立。

 

  • 単色のリズム 韓国の抽象画』(東京オペラシティアートギャラリー) 画家の生き方など関係なく作品のみ目の前にある。紙に傷をつけたり、線を引いただけだったり。観てしまうとこれって出来そうと思わせるところがいい。できっこない。

 

  • 歌舞伎座12月 中車さんの台詞の上手さが生きた。『瞼の母』の渡世人・忠太郎の形も驚くほど。彦三郎さんのほどよさもあり半次郎の兄貴分になっていた。母役の玉三郎さんへ体当たり。関西弁『らくだ』が達者な愛之助さんとのコンビでいつもと一味違う。橘太郎さんの柱の蝉の素早さに不意打ち。

 

  • 土蜘』の松緑さんの僧の足使いが良い感じで面白く気に入った。今月の歌舞伎座は『ワンピース』の出演者が新橋演舞場から大移動で『蘭平物狂』の捕手などに活躍大奮闘。脇からの次世代の地固めが始まっている。

 

  • 民藝『「仕事クラブ」の女優たち』(三越劇場) 小山内薫亡き後の築地小劇場とそれを取り巻く演劇状況。左翼劇場との合同公演を機に女優達が悩み、迷い、生活の糧を求める。新劇界の空白分部をよく調らべ、そこを芝居で埋めた、新劇による新劇史。奈良岡朋子さん演ずるなぞの女性。そばにいてくれると弱い心が救われる存在感。

 

  • シネマ歌舞伎『め組の喧嘩』 十八代目勘三郎さんの粋な火消鳶頭の辰五郎の動きをしっかりと見つめる。わらじを履くとき踵をとんとんと強く叩く。どうしてなのか知りたいところである。橋之助さんは芝翫となり、片岡亀蔵さんのらくだの足先までの上手さが、時間を交差させる。芝居後の勘三郎さんの映像が涙で一気にゆがむ。

 

  • 映画「忠臣蔵」は各映画会社が競って制作。これぞと役者さんをそろえる。大映映画『忠臣蔵』は長谷川一夫さんの内蔵助に歌舞伎役者、映画スター、新劇俳優の豪華さ。内蔵助の長女役の長谷川稀世さんが新橋演舞場では貫禄の戸田局。大河ドラマ『赤穂浪士』の右衛門七の舟木一夫さんが内蔵助。堀田隼人の林与一さんが吉良上野介。時の流れの速さ。(映画『忠臣蔵』16日 BS朝日 13時~)

 

  • 新橋演舞場『舟木一夫公演 忠臣蔵・花の巻・雪の巻』 昼の部と夜の部の通し狂言。通しでありながら昼だけ夜だけにも気を使う構成の難題に挑戦。芝居だけを続けて観たいのでコンサートは失礼して泉岳寺へ。短慮な内匠頭の刃傷沙汰を承知で、自分たちで物語を作ってしまう舟木一夫さんの内蔵助。上杉家も家を守るため必死である。この役者陣なら3時間半くらいの芝居で一気に観たかった。

 

  • 朝倉彫塑館『猫百態ー朝倉彫塑館の猫たちー』へ猫大好きの友人と。新海誠監督の『言の葉の庭』の雨描写が好きというので急遽新宿御苑へ。東屋を探す。東屋4つあり全部見て歩く。池のそばなので正解は見つけやすい。藤棚が二つ。モデルはわかる。加えたり削ったり。入口は千駄ヶ谷門か?。印象的な坂道が。満足したニャン!

 

  • レンタルショップに映画『忌野清志郎 ナニワサリバンショー 〜感度サイコー!!!〜』があり、初めて忌野清志郎さんと対面。ライブも面白いが映像の構成もラジオからという設定で渋い。ナニワの風景も楽しい。めっちゃナニワのノリノリライブ。あれっ、獅童さんも。ナニワの砦が一つ消えたような。ファンでなくてもしんみり・・・

 

『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』『北斎とジャポニスム』(2)

日本からの浮世絵などの風を受け取った一人がゴッホさんなら、送った一人が北斎さんという設定が『北斎とジャポニスム』です。

「東京都美術館」と「国立西洋美術館」でそれぞれ忍者を忍び込ませて、どうやらあちらはこういう手を使っているらしい、こちらはこういこう、なんて探り合いをやっていたとしたら面白い映画ができそうです。丁度二つの美術館の間で伊賀市のフェステバルをしていたのです。

怖かったのが「上野の森美術館」の『怖い絵展』の観覧者の長い列の怖さ。国立博物館の『運慶』も終わりに近づいていますから並んでいたかも。鑑賞終わらせているので冷たく他人ごとです。上野公園の美術館等はビルの中でないのがいいです。ただ東京国立博物館の年間パスが無くなって、新しいシステムは相当の割高になりました。保存修復とかいろいろ財源が必要なのでしょうがかなり不満です。

北斎さんの漫画にはこの不満顔に似た絵も載っていることでしょう。北斎さんは人、動物、魚類、ハ虫類などのあらゆる姿を前からも後ろからも横からも、あるいは踊っている姿、相撲をとっている姿など動画のように描いてもいます。

こういう絵を観た西洋の絵描きさんたちは、描く人物がかしこまっていなくていいのではないか。そのほうが、その人物の本質がわかり、絵を観た人がもっと自由な発想をするのではないかと思ったのではないでしょうか。

北斎さんの絵と並べて、その影響を示してくれています。お行儀悪く足を開いてソファーに座る少女。すねているのか、遊び疲れきってしまったのか子供のあどけなさがでています。踊子を描いたドガも、舞台裏の踊子はそれぞれの想いのポーズで出番を待ちます。ロートレックは酒場の様子や踊子の絵やポスターを描いていますが、線が重要な要素になっていて、その当時の人々はその描かれている対象からも、これが芸術だなんて思わなかったでしょう。

北斎さんの浮世絵だって、江戸の人は芸術だなんて思っていません。どこかのお城やお屋敷の襖絵とかは何々派の偉い絵師の絵であるとおもっていたでしょうが、浮世絵は庶民のもので、役者絵、美人画、名所絵など庶民の生活とつながっていました。

その風が西洋にも吹いていったのです。西洋に雪景色を描くなどの発想はなかったようです。北斎さんは雨だって描いていますからね。映画『ゴッホ 最後の手紙』でゴッホが雨の中で絵を描いていて周囲は止めるのですが、もしかしてゴッホさんは雨を描くにはどうしたらよいかと考えたのかしらと思って観てました。

虫とかカエルとかトンボとか花などは、エミールガレやドームなどのガラス工芸にも影響しているわけで、その他の工芸にも影響しています。ただ日本だって大陸から風が吹いてきていたわけですから、日本で熟成して違う風になって送ったともいえます。

「神奈川沖浪裏」の波の影響力は強大です。クールベさんの港や海の風景は暗くて好きではないのですが、北斎さんの波の影響とするなら上手く使っているなと思えました。女流彫刻家のカミーユ・クローデルも北斎さんの波に触発されています。

とにかくなんでも描いた北斎さんは、これも絵になるのか、これも描けるのだ、工芸に使うと面白いと刺激を与えまくったことは間違いないです。

東海道の松の間から富士山を描いた絵から、モネさんは風景画の中に木々を並べ、ゴッホさんも同じような木の並べ方で描いています。いくら江戸時代でもこんな風景ではなかったであろうと思われる切り口の北斎さんならではの風景画です。そこには北斎さんの独自性があります。鯉に乗った菩薩の絵では、こちらは歌舞伎の『鯉つかみ』の鯉を思いだしていました。

北斎さんは線であっても、積み重ねられたデッサンの量は超人的ですからそのリアリティはしっかりしています。

二つの絵画展は、えっ!そうなのという楽しさでした。楽しかったことのみ思い出すままに書きましたので悪しからず。でもこれから北斎探偵団員になって、絵をみてしまいそうです。ロートレック展(三菱一号館美術館、2018年1月8日まで)もやっているのですね。師走でもあり眼がチカチカします。

そう師走なのに右手首を痛めてしまい、これ以上悲しいことにならないよう書き込みは控えようとおもいます。足首でなくて良かったのかどうか。どちら様もお気を付けください。

 

『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』『北斎とジャポニスム』(1)

一日二つは無理でしょと思いましたが新たな視点を分断させるのは嫌だなとの想いで『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』(東京都美術館)『北斎とジャポニスム』(国立西洋美術館)と二箇所続けて鑑賞しました。混んでいましたが、浮世絵のほうは今まで少し観ていますから人の多い絵は人と人の間から覗き込み時間を多くとらず、観たい絵だけ集中し今回の展示の意図を頭の中で組み立てました。

楽しかったです。芸術品を鑑賞するというよりも、見たことも会ったこともない国の人々が絵を通して交信し合っているのです。これは、遅く生まれてきた人に与えられた特権でしょうか。そういう企画を実行してくれたことに感謝です。

ゴッホさんに関しては、弟・テオさんに多くの手紙を出していますので、そこからの研究も多く生前売れた絵は一枚だけだそうで、テオさんの経済的援助で成り立っている制作です。ゴッホさんの望みは、テオさんの生活を脅かすことなく絵についてテオさんと語り合えることだったと思います。残念ながらその現実に負けてしまいました。押し寄せる状況に疲れてしまったのでしょう。

ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』では、多くの日本人がオーヴェールを訪れていて、ゴッホさんと最後まで交友のあったガシェ医師のもとに訪れた人の名前が記載された「芳名録」も残されていて紹介されていました。画家たちも訪れていて、日本画家・橋本関雪さんが訪れときの映像もありました。

佐伯裕三さんはオーヴェールの教会を描き、前田寛治さんは、ゴッホのお墓を描き、横尾忠則さんも訪れています。

ゴッホさんに関する研究者であり精神科医・式場隆三郎さんの資料も多数ありました。斎藤茂吉さんにオーヴェールを訪ねるように薦めたのは式場さんです。 『炎の人 式場隆三郎 -医学と芸術のはざまで-』

ゴッホさんがパリに出て来た時、絵を描く人が多いのに刺激を受けたことでしょう。そんなとき浮世絵に会うわけです。独力のゴッホさんにとって、線、構図、描かれている庶民、風景、花々に大いなる違う世界をみられ、親戚に日本に来たかたもいて話しを聞かれたらしいのですがどんな話を聴かれたかは記録には残っていません。

広重の『亀戸梅屋敷』などは模写をし、そこから自分の絵に木を中心に大きく描いたり、英泉の花魁の絵を模写して、その周囲にも他の浮世絵をモチーフに描いたりしています。それがどの浮世絵からとったのかも解説してくれていまして、こういう浮世絵も観ていたのかと注目しました。ただ色はゴッホさんの色です。

ゴッホさんの色というのはゴッホさんのもので、『表現への情熱 カンディンスキー、ルオー と色の冒険者たち』(パナソニック汐留ミュージアム 2017年12月20日まで)でカンディンスキーがゴッホから原色を含む激しい色づかいを学んでいます。

ゴッホさんにも優しい色づかいはあり、ゴッホ=ひまわりから離れて、浮世絵との関係から、夢中になって模索するゴッホさんの絵があります。日本初公開の絵もあり、その後のゴッホさんの苦しみとは違うゴッホさんの絵に触れているんだという感覚が新鮮で、その風が日本からのものであり、巡り巡って、ゴッホさんが日本に向けて風を返してくれ、文化というものはいい風を吹かせるものだと明るい気持ちになりました。

もしこの風域に境界をもうけるようなことがあればそれは無粋というものです。浮世絵を江戸の庶民誰もが楽しんでいたことをゴッホさんは知っていたでしょうか。おそらく知っていたでしょう。

式場隆三郎さんに関しては、山梨県甲府の昇仙峡そばにある『影絵の森美術館』で山下清展も開催されていて、ペン画や美しい色に複製された張り絵などがあり、式場さんのことをふっと思い出して忘れられてしまうのかなと思ったりしましたので、今回その仕事ぶりがきちんと紹介されていて嬉しかったです。さて浮世絵は、まだ風を起こします。